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ゴジラ映画は、日本民族の神話物語であり、古(いにしえ)の宗教観・自然観・災害観が詰まっている、恐怖・危機・破壊ではなく復活・再生・復興の物語である。
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2024年1月19日 YAHOO!JAPANニュース ふたまん+「ゴジラは“祟り神”だった…? 『ゴジラ』シリーズから見えてくる日本古来の宗教観
『ゴジラ-1.0』 ビジュアル (c)2023 TOHO CO., LTD.
2023年11月3日、『ゴジラ』シリーズ最新作となる『ゴジラー1.0』が公開された。記念すべき30作目となる本作は、12月にはアメリカで公開された邦画実写作品のなかで歴代1位の興行収入を獲得し、アカデミー賞のショートリストにも選出されるなど、異例の大ヒットとなっている。
■【画像】リアルさが恐ろしい…モノクロ版『ゴジラ-1.0/C』予告映像■
1954年に第1作目が公開されてから、70年もの長きにわたって愛され続けてきた『ゴジラ』。人々にとって、こと日本人にとって、ゴジラとはいったいどんな存在なのだろうか。
■そもそもゴジラは“祟り神”?
『ゴジラー1.0』の脚本・VFX・監督を務めた山崎貴さんは、解剖学者・養老孟司さんとの対談のなかで、『ゴジラ』について「みんなで祟り神を鎮める話」だと語った。
そもそもゴジラとは、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験の産物であった。本作でもその設定は受け継がれており、小笠原諸島・大戸島に伝わる伝説の生物が被爆して巨大化したとされている。そうして生まれた怪獣が、縄張りを広げるべく敗戦直後の日本に上陸。復興を遂げつつあった街は再び瓦礫と化し、戦争を生き延びた大勢の人々が命を落とした。こんな理不尽な話があるか……。
しかし、この“理不尽”こそが、まさに祟り神の本質と言えるだろう。災害や疫病……理不尽に襲ってくる人智を超えた力を、古来の日本人は擬人化して“神”と畏れ、それが祟らぬようにと崇め奉った。
水爆実験によって生まれたゴジラは天災というより人災の色が濃いものの、巻き込まれたほうからすれば理不尽な厄災であることに変わりはない。そう考えると、ゴジラを一種の祟り神だとする見方にも合点がいく。
■祟っても神は神…日本人にとってのゴジラとは?
どんなに祟っても、日本人にとって祟り神はあくまで“神”だ。しかし『もののけ姫』の海外版を見てみると、“タタリ神”の英訳は“some kind of demon”、つまり“悪魔”として描かれている。
キリスト教などの一神教の影響が大きい文化圏では、神(=the god)といえばたった一人の全知全能の存在を指すことが多い。人を憎み祟るものは悪魔や悪霊の類でしかないし、ましてや歳をとっただけの古猪を“神”と呼ぶのもピンと来ないだろう。
このあたりの宗教観の違いは、日米の『ゴジラ』作品に如実に現れている。日本のゴジラは、恐怖や脅威、憎しみの対象になることはなっても、決して悪そのものではない。
一方で1998年にハリウッドで製作された『GODZILLA』では、ゴジラは凶悪なモンスターであり、人類が倒すべき敵として描かれた。これを観て“こんなのゴジラじゃない!”と思ったのは、日本人だけでなく海外のゴジラファンも同様のようだ。しかし世界的に見れば、こちらのゴジラのほうがストーリーとしてしっくり来るという人が多いのではないかと思う。
おそらく日本人にとってゴジラとは、怪獣であると同時に神のような存在でもあり、善とも悪ともつかない超自然的なものなのかもしれない。荒ぶる神・ゴジラをどう鎮めるのか。そこが『ゴジラ』シリーズの見どころの一つでもある。
■今も息づく日本古来の宗教観
現代では、日本は世界有数の無宗教国だと言われている。しかし、日本の宗教観の原点であるとされるアニミズム思想(万物に魂が宿っているという考え方)は、あらゆるところに息づいているように思う。
たとえば、日本を代表する産業となったアニメーションがその一つだ。生命のない二次元のキャラクターに魂を吹き込み、生きている人間と同じように共感して心を動かすのは、アニミズム的な価値観ならではだろう。実際、アニメの語源はラテン語で魂や命を意味する「アニマ」であり、アニミズムの語源でもある。
時代や価値観が変わっても、変わらず日本人に受け継がれてきた宗教観。ゴジラはこの感性と絶妙にマッチしている。世界中にゴジラファンはいるが、やはりとりわけ日本人にとって、ゴジラは特別な存在ではないかと思う。
劇場では引き続き『ゴジラー1.0』が公開中だ。ゴジラの迫力自体も楽しめるが、“戦争と復興”という世界共通のテーマや、いたずらに自己犠牲を美化しない描き方は、国や世代を超えて共感できるものだろう。新しい時代の視点から描いた日本人の原風景を、ぜひ堪能してもらいたいところだ。
霜月はつか
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nippon.con「「八百万の神々」入門
第2回:神様を「タイプ別」に分類―自然神、神話の神、民俗神に元人間
旅と暮らし 社会 文化 暮らし 歴史 2024.01.11
平藤 喜久子 【Profile】
「八百万(やおよろず)の神々」の「八百万」は、「極めて多くの」という意味だ。多種多様な神様を、自然信仰、神話や民間伝承、神となった歴史上の人物などタイプ別に分類して紹介する。
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自然神:山や木、岩そのものが神となる
日本では今でも山や岩などの自然物に神が宿ると考え、神そのものとして祭っているところがある。日本を代表する山である富士山も神の宿る山(=神体山)だ。その他にもさまざまな場所でしめ縄の張られた神の宿る岩(=磐座<いわくら>)や木(=神木)を見掛ける機会がある。
丹波国一之宮 出雲大神宮(京都府)(かぜのたみ/PIXTA)
こうした自然信仰は、弥生時代にまでさかのぼるとされる。稲作が各地に広まった頃から、作物の実りを神に祈るようになったようだ。そのときの神は太陽であり、雨を降らせるものであり、木であり、山であった。自然の中にあるもの、自然そのものと思われていたのだろう。もちろん、もっと古い時代にも神への信仰、自然信仰はあったのだろうが、どのようなものだったのか定かでない。
古代の神祭りの様子を知る手掛かりとなる場所に、奈良県桜井市の三輪山がある。美しい円すい形で、山中には4世紀から6世紀ごろの遺跡があり、巨大な石の下から勾玉(まがたま)などが出土している。
三輪山(PIXTA)
神話の神々:不完全で間違いも犯す
古代には、次第に人格を持った神も登場するようになる。
日本全国には約8万の神社があり、祭神もさまざまだ。その中で最も多いのは、神話の神々である。日本の神話は、主に8世紀に編纂(へんさん)された「古事記」「日本書紀」「風土記」が伝えている。「古事記」「日本書紀」は国土の成り立ちの神話や天皇家の起源、歴史を後世に伝えようとした文献で、「風土記」はそれぞれの地方の地名の由来や伝承、特産物などの地誌を記録している。いずれも政治的な背景で編纂されたものだが、描かれている神々の姿は、歴史や政治に関わるものばかりではなく、古代の人々の世界観や習俗、文化も生き生きと反映している。
神話に登場する神として、まず知っておきたいのは最高神のアマテラス(天照大神)だ。天を照らす神という意味の名前から、太陽神であるとされる。
アマテラスの試練
日本神話で、島々や自然界はイザナキとイザナミという夫婦神によって生み出される。
「古事記」では、2人の「国生み」とアマテラスの誕生を次のように伝える。
イザナキとイザナミが天に架かる橋の上から矛を海に差し入れ、かき混ぜて引き上げると、その先端から塩がぽたぽたと落ち、固まって島になった。2神はその島で結婚し、日本列島となる島々を生みだしていく。
イザナキ(右)とイザナミ(イラスト:さとうただし)
次に山や川、草木など自然を世に送り出す。妻のイザナミは最後に火の神を生み、大やけどを負ったせいで亡くなる。イザナキは妻を連れ戻そうと黄泉(よみ)の国に行くが、失敗して戻ってくると、穢れ(けがれ)を払うための禊(みそぎ)を行う。最後に顔を洗ったとき、左目からアマテラスが生まれ、右目からは月の神ツクヨミ(なぜかその活躍はほとんど描いていない)、鼻からスサノオが生まれた。
一方、「日本書紀」では、イザナキとイザナミが相談し、天下を治める存在としてアマテラスを生み出したとする。生まれたときから貴く、特別な存在であった。
アマテラスは天にある高天原(たかまのはら)を治めているが、あるとき彼女に試練が訪れる。弟のスサノオが荒々しい様子でやって来たのだ。てっきり高天原を奪いに来たと思ったアマテラスは、武装して迎える。
スサノオは高天原で大暴れ、機織りの部屋の屋根を破り、斑馬(ふちうま)の死体をその穴から投げ入れる(イラスト:さとうただし)
スサノオは高天原で大暴れ、機織りの部屋の屋根を破り、斑馬(ふちうま)の死体をその 穴から投げ入れる(イラスト:さとうただし)
スサノオに邪心があるのか、ないのかを、姉弟は互いの持ち物から子を生み合うという形で占った。するとアマテラスの持ち物からは5人の男神が、スサノオの持ち物からは3人の女神が生まれた。弱々しい女神が生まれたことで、自分に邪心がないことが証明されたとするスサノオは、高天原で大暴れをし、とうとう機織りの女性がアマテラスの目の前で亡くなってしまう。アマテラスは衝撃を受け、「天の岩屋」という洞窟に閉じこもってしまった。
太陽神が隠れたことで、世界は真っ暗闇となり、災いも起こる。困った神々は相談をし、洞窟の前で祭を執り行い、女神アメノウズメがにぎやかに踊って神々を笑わせることにした。洞窟の中でその笑い声を聞いたアマテラスは、なぜ自分がいないのに皆が笑っているのかと不思議に思って洞窟の戸を少し開いた。それをきっかけに光は戻ることとなった。
岩戸の前に供えられた「八咫鏡(やたのかがみ=巨大な鏡)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま=大きな勾玉)」は、現在天皇家に伝わる「三種の神器(じんぎ)」のうちの2つだ。
アマテラスを祭る伊勢神宮・内宮(正宮)(PIXTA)
この神話から、アマテラスが太陽の神であること、そして最高神であっても完全な存在ではなく、間違いも犯すし、事態にうまく対応できないこともあると分かる。一神教の神とは違う、不完全な神である。そんなアマテラスは、この事件をきっかけに、より成長し、以後は神々と相談しながらさまざまな出来事に対応する。孫のホノニニギ(占いで得た男子神の息子)を支配者として地上に下し、天皇家の祖先神にもなった。
現在、日本の神社の中心的な存在は、三重県にある伊勢神宮(正式名称は地名を冠しない「神宮」)である。その祭神はアマテラスだ。また、全国の神明宮(しんめいぐう)と称する神社(例えば、「阿佐ヶ谷神明宮」など)もアマテラスを祭っている。
民俗神:森羅万象に宿る
「古事記」「日本書紀」に名前は出てこなくても、古くから人々の間で身近な神として信仰されてきた神々がいる。エビスはその代表だ。
エビスといえば、釣りざおを持って鯛(タイ)を抱えた姿で知られる。「七福神」の中で唯一、日本出身で、漁民の間から生まれた神と考えられる。漁民たちは、イルカやクジラ、また水死体が海岸に流れ着いたとき、それらを「エビス」と呼んで大漁をもたらすものと考えた。海流の変化が普段は見ない漂流物を運んでくると知っていたのだろう。
エビスには、もともとはよそ者という意味がある。どこか海の向こうから福をもたらしてくれる神、それがエビスだ。兵庫県の西宮神社は、エビスを祭る本拠地の一つだが、この神社ではエビスは「古事記」「日本書紀」でイザナキとイザナミの間に生まれ、海に流されたとする「ヒルコ」がエビスであると伝えている。このように民間から生まれた神が神話の神と結び付くことも少なくない。
エビスとサルタヒコ(イラスト:さとうただし)
京都・三室戸寺(みむろとじ)の宇賀神(京都)(sannsann/PIXTA)
この他、民間で信仰された神に、かまどの神の荒神(こうじん)、集落に悪霊などが入るのを防ぐ道祖神、正月に訪れる年神(としがみ)、稲作を守る田の神、穀物の神で蛇身人頭の姿で表される宇賀神(うがじん)、東北地方で信仰されている蚕の神オシラサマなどがある。この中で道祖神は古事記や日本書紀に登場するサルタヒコとして神社に祭られることもある。アマテラスの孫が地上に降りる際に、道案内をしたとされる鼻の長い巨人の神で、天狗(てんぐ)のイメージの原型だともいわれる。
民間信仰から生まれた神で、最もよく知られているのはお稲荷さんで知られる稲荷神(いなりのかみ)だろう。この神については、別の回で詳しく紹介したい。
元は人間だった神
キリスト教やイスラム教など一神教の考え方では、人間は神が造ったものであり、神になることはない。しかし、日本では神が人間に宿ることもあったためか、人が神として神社に祭られることもある。その代表は菅原道真(845~903)だろう。
道真公は、平安時代に活躍した学者、政治家であったが、政治的な地位が高くなったことで、他の勢力にねたまれ、天皇に歯向かう心があるという讒言(ざんげん)にあい、太宰府(律令制で、筑前の国=福岡県に置かれた官庁)に左遷されその地で亡くなった。その後、都では天変地異が起こり、道真の怨霊のせいではないかといわれるようになる。皇太子の死去や、朝廷への落雷で讒言に加担した人物が亡くなるといった出来事も重なり、道真は「天神」という神として恐れられ、京に祭られることになる。それが現在の北野天満宮の始まりと伝えられる。
京都・北野天満宮の梅と牛の像。道真公は丑年の生まれで、牛にまつわる逸話が多いことから、境内に牛像があり、なでるとご利益があるとされる(Photojp/PIXTA)
この天神=菅原道真は、恨みを残したまま亡くなった怨霊として恐れられたが、次第に詩文に優れた学者であったことが人々の間で思い起こされ、学問の神様として信仰されるようになった。今では、各地の天神社(てんじんしゃ)は合格を願う人々でにぎわっている。このように、祭られた神の性格や御利益は、時代とともに変化していく。
時代を下ると、怨霊を慰め、鎮めようとして神社に祭るだけではなく、偉業を成し遂げた人物も神とするようになった。徳川家康が東照大権現(とうしょうだいごんげん)として日光東照宮(栃木)に祭られたのがその代表例だ。
次回は、代表的な神社と祭神の関係性、ご利益を中心に紹介する。
*注:神様の名称の漢字表記は複数あるため、カタカナで統一
バナー:さとうただし(イラスト)
平藤 喜久子HIRAFUJI Kikuko経歴・執筆一覧を見る
国学院大学神道文化学部教授。1972年生まれ。専門は神話学。同大学日本文化研究所所長。主な著書に『「神話」の歩き方 古事記・日本書紀の物語を体感できる風景・神社案内』(集英社、2022年)、『神話でたどる日本の神々』(筑摩書房、2021年)など。
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