⛩40)─1─ウルトラマンは記紀神話のスサノオの化身でルーツは琉球などの南方海洋であった。〜No.97No.98 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 ウルトラマンは、東方・南方の太陽の国・光りの国から飛来した賓(マレビト)=渡来神=なまはげであった。
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 日本人と中国人・朝鮮人は別人で同族同種ではない。
 一衣帯水は嘘であり、唇と歯の関係は存在しない。
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 2022年5月28日号 週刊現代「今日のミトロジー 中沢新一
 ウルトラマンの正義
 迷路のような正義
 ウルトラマンが登場したのは、日本が激動の時代に突入していた60年代初期のことで、その頃はさまざまな価値が激しく動揺していた。正しいとされてきたことが疑問視され、悪と見られてきたことをむしろ創造的であると考える人たちが出てきた。この番組を見ていた子供たちにとっては、平穏な暮らしをおびやかす怪獣と闘ってくれるウルトラマンは、まちがいなく正義の味方だったろう。しかし番組を製作していた大人たちは、ウルトラマンがとてもひとことで正義の味方とは言えない、複雑な事情を抱えた宇宙人であることを、はっきりと理解していたことが、今ではよくわかる。 怪獣を追って地球にやってきた宇宙人が、衝突事故で地球人を殺してしまったことから、物語は始まっている。そのときの
罪責感(ざいせきかん)から地球人を守ろうとする側に立つことになったウルトラマンは、地球人の暮らしをおびやかす怪獣や宇宙人と闘う存在となったものの、きわめて複雑な内情を抱えていた。
 まっさきに浮かんでくるのは、怪獣と闘うウルトラマンの行為は、果たしてストレートに正義と言えるのか、という疑問である。番組の制作者たちは、怪獣をたんなる悪として考えていなかった。60年代後半といえば、日本の経済が高度成長期に入った頃で、各地で環境破壊が進んでいた。そこまでかろうじて保たれていた人間と自然のバランスに、いたるところで裂け目ができていた。
 その裂け目から噴き出してくる、怒りに満ちた自然のエネルギーを象徴する存在として、あの怪獣たちが地中や宇宙空間から出現してきた。そうなると怪獣を地上に引き出してしまったのは人間であり、その怪獣と闘っているウルトラマンは、ねじくれた回路の中で、人間の味方をすることによって、根本的な矛盾から目をそらしていることにな。ウルトラマンのしていることは、果たして正義の行為なのか。ウルトラマンの正義は、かくのごとく迷路のようにこんがらがっている。
 その矛盾にはウルトラマン自身が気づいたらしく、怪獣との闘いにその内心の葛藤がよくあらわれている。ウルトラマンは怪獣を徹底的に壊滅させたいのではなく、間違ってさまよい出てしまった地上から退場させて、もとの穏やかな住処である地中や宇宙空間へと送り届けようと努力している。怪獣との闘いはしばしばプロレスのようだ、儀式のようだと評されていたが、その儀式性の理由はそんなところから発生している。
 正義であり悪であり
 しかしこの迷路のような性格は、まさにウルトラマンがまぎれもないミトロジー思考の産物であることの証でもある。ミトロジーの世界には、ストレートな正義も単純な悪も存在しないかであるそういうミトロジーの代表として、日本神話の『スサノオ』のことを考えてみよう。スサノオは端的に幼児性の強い人部で、お姉さんのアマテラスのしている優等生的な行為が、気に入らなかったものだから、それを徹底的に痛めつけてやろうと悪の行為に出た。とうぜん厳しく罰せられることになり、爪を剥がされて天界から地上に追放された。
 地上でスサノオは大蛇と闘って、生け贄にされそうだった少女を助けた。スサノオが大蛇をやっつけることができたのは、彼自身が大蛇と共通する暴力=悪の体現者であったからである。そこで逆転が起こる。それまで悪の側にいたスサノオが、大蛇と闘って勝利することによって、正義の側に反転するのである。スサノオは悪でもあれば正義でもあり、むしろ悪の体現者であったことが、正義の存在になる条件を生み出した。
 ここにはミトロジー思考の典型が示されている。変わることなき正義の味方などは存在しない。正義はむしろ悪の力を温床として、闇の中で成長をとげ、別の悪の体現者に遭遇するチャンスを得て、正義の存在に反転をとげる。ミトロジーの中では、悪と正義は渾然一体となっている。そこに逆転をもたらす『弁証法』が働くことによって、正義の味方が光りの中に浮上してくる。
 ウルトラマンと怪獣の関係は、これと同じ弁証法をはらんでいる。ウルトラマンはもともと単純な正義の味方ではなく、悪と渾然一体になった存在であるが、地球に危機をもたらす怪獣や宇宙人が出てきてくれたおかげで、プロレス的格闘をつうじて、すっきりした正義の味方の側に、転がり込むことができた。
 政治とメディアにミトロジー
 現代の世界にもっとも欠けているのが、このようなウルトラマン的ミトロジー思考である。その欠如は、政治とメディアの世界で著しい。今回のウクライナの戦争においても、敏捷(びんしょう)に動く弁証法の代わりに、硬直化した形式主義が支配している。悪を体現するロシアと竜退治の聖ジョージの闘いという図式が、西側と日本のメディアを覆い尽くしている。またロシアのメディアでは、悪(別名『ネオナチ』)を体現するNATO諸国とそれに闘う正義の皇帝という図式が、支配的である。
 ミトロジー思考はこの世に完全な正義などはない、それはいつも悪の原理と弁証法的に一体であると考える点において、現代の形式主義的な政治思考に優(まさ)っている。ウルトラマンの抱えていた内面の葛藤を思い起こすとこが、今必要である。」
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 ウルトラマンは、パンドラの箱から最後に出てきた「希望」であったが、箱から出てきた悪や災いは異質な絶対悪ではなかく、蓋が開くまでは箱の中に一緒に存在していた同種ある意味で同種であった。
 パンドラの箱とは、天皇神話である古事記・日本神話におけるスサノオである。
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 日本の神話宗教には、この世の終わりであり神=絶対善と悪魔=絶対悪の最終戦争(ハルマゲドン)と天国で永遠の命を授かるという最後の審判は存在しない。
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 ウルトラマンはヒーローであつても、バットマンやスーパーマンなどの悪を滅ぼす正義の味方でもなかったし、善悪を判定し違法・無法・犯罪を罰する法執行官でもなかった。
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 日本の神話物語で海の外から訪れて日本民族を救ってくれたマレビト・渡来神・渡来仏は、東方・南方そして天竺(インド・中央アジアペルシャなど)の遠い西方であって、隣の中国や朝鮮などの近い西方ではない。
 中国や朝鮮から来たのは、帰化人という人であって神や仏ではなかった。
 日本にとって、中国や朝鮮は太陽の国・光りの国ではなかし、西方浄土・極楽浄土の憧れ癒やされ救われる仏の国でもなかった。
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 日本神話では、天界・神の国、光りの国・大陽の国である高天原は不死の天つ神が住む聖地である。
 死ぬ神である国つ神や死が定めの人間は不浄・穢れをまとうがゆえに、神々の天界に上る事ができず、黄泉国・死の世界・死者の世界・地の国に下るしかない。
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 日本は地球上の国、全ての民族の中で、唯一、「天」(悠久の八百万の神々)の〝神話〟、「地」(数万年前の日本列島)の〝歴史〟、「人」(数千年前の人間)の〝伝説〟という天・地・人の3つを持つ特殊、特別の民族である。
 そこに一本の不動の心柱を与えているのが、正統な最高神の女性神天照大神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。
 つまり、日本は民族の神話宗教による縦の正統性と時代の掟・法・法律による横の正当性でできている。
 神話とはミトロジーで、歴史はヒストリーで、伝説はサガである。
 日本民族の神話は、世界の神話や宗教、文明や文化が寄り集まり混ぜこぜの中から生まれた宗教物語である。
 日本列島の歴史は、大陸の縁から海洋へ引き離され浮き沈みしながら数億年前かけて生まれた地球物語である。
 日本人の伝説は、乱婚を繰り返し生まれた血の汚れた雑種の混血人がつくった生活物語である。
 つまり、日本の自然は物語でできている。
 が、現代日本を支配する科学万能主義や正義至上主義は、これら全てを無価値として否定し切り捨てている。
 故に、現代の日本人、とりわけ常識を持った大人には民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はない。
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 東京新聞「 本 書評 アースダイバー 神社編 中沢新一
 2021年7月11日 07時00分
◆聖地に潜む潮のリズム
 [評]藤沢周(作家)
 あの豪快勇壮な「岸和田だんじり」。疾駆する大勢の曳(ひ)き衆の熱気と、斜めにかしいで暴走する地車の迫力は、映像で見ても怯(ひる)みそうになる。「ありゃ、一体、なんだ!?」と呆気(あっけ)に取られるうち、我が身の底から何かがしぶいてくるのを感じるのだ。
 この飛沫(しぶき)感。どうやら海を渡ってきた我らが祖先・倭人(わじん)たちの、波の記憶が噴き出しているようである。この祭は江戸時代からというのが通説であるが、アースダイバー中沢新一によれば、はるか縄文の頃からだという。海の霊力を詰め込んだ船の模型をかつぎ、曳き、村中を荒々しく走り回りながら、神宿る山へと駆けのぼるのが原型ではないか、というのである。
 「自然地形とその上で展開されてきた精神活動や歴史のつながり」を探り続けてきたアースダイバーが、日本の聖地の象徴である神社に沈潜し、その奥で波打つ潮のリズムと神秘の力をつかみ取ってきたのが本書だ。山国である信州安曇野の「御船祭り」でさえも、海人アヅミ族の祭が源。数台の船の模型を町中で曳き、穂高神社で集合して、互いの勢いを競い合うこの祭。二千年近く前に北部九州から日本海沿岸をさまよい、北アルプスの麓に辿(たど)り着いたアヅミ族が、山の神と海の神を結びつけたのが始まりなのだ。
 「海人族は、神奈備(かんなび)である山とワタツミの住処(すみか)である海とのつながりを断たれたら、生きていけない。神奈備山は穂高岳であり、そこから御神体である蛇体をお呼び申して、神輿(みこし)に乗せた神官にのりうつっていただく。そして意識を失ったままの神官の身体を通じて、目の前に続々と集合してくる御船の勇姿を、穂高神にご覧になっていただく」
 諏訪大社出雲大社、三輪神社、伊勢神宮等々、聖地である神社の最古層に降りていくことで日本人の無意識の底へとダイブする試みは、我々の心の胎生学を構築することでもある。同時に、心奥の渚(なぎさ)の音に耳を澄ます時、未開の可能性の景色を発見することにもつながるのだ。
 (講談社・2420円)
 1950年生まれ。思想家、人類学者。著書『カイエ・ソバージュ』全五巻など多数。
◆もう1冊
 中沢新一著『増補改訂 アースダイバー』(講談社)。隅田川多摩川流域などを追加。
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アースダイバー 神社編
 講談社BOOK倶楽部
 日本の聖地「神社」に残されている謎を解き明かす!「アースダイバー」の新境地
 『アースダイバー 神社編』
 (著・写真:中沢 新一)
 2021.05.21
 アースダイバーとは何か
 本書は、21世紀に入って以来、連綿と続けられてきた中沢新一さんによる思想的営為「アースダイバー」シリーズの(単行本ベースで)4作目にあたります。
 「アースダイバー」に初めて出会う方のために、その由来を簡単に説明しておきましょう。
 アースダイバーとは、アメリカ先住民に伝わる神話から名づけられています。
 陸地なき時代、多くの動物が水底にもぐり、何かをつかもうとしていた。成功したのは、1羽のカイツブリ(水鳥)だった。カイツブリは水底から、一握りの泥をつかんできた。それは陸地の材料となった。
 カイツブリのように深く深くもぐるならば、何かをつかむことができる。それまで存在しなかった何物かを得ることができる。アースダイブとは物事のはじまりへと遡行する行為のことです。
 これを認識したときの中沢さんの行動はとても印象的でした。
彼は自転車(ママチャリ)を手に入れ、東京の各地を周遊しました。あちこちを見てまわったのです。すると、それまで多くの人がふれていなかった東京のすがたが浮かび上がってきました。この土地に生きていた人――弥生人縄文人そして旧石器時代人――文字を持たないわたしたちの祖先の生活が見えてきたのです。
 中沢さんはこの方法を大阪にあてはめ、『大阪アースダイバー』を執筆します。続いて、近世以降に築かれた人工の土地、築地と明治神宮を考察して、『アースダイバー 東京の聖地』を上辞しました。
増補改訂 アースダイバー
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 一神教の信仰宗教であるキリスト教ユダヤ教イスラム教が生まれたのは、自然環境の変化が乏しい砂漠かわずかな水と農作物が作れる牧歌的な狭い土地である。
 水も緑もない荒涼として生物が住まない死の砂漠を旅をすると、突然、眼の前に水が湧くオアシスが現れ、人々が住む町や隊商(キャラバン)が集まる町や都市に行きつく。
 それら全てが、神の御意思、神の思し召し、神の計らいである。
 人は、大自然の中に神を感じ、大自然の偉大さに感動して宗教に目覚めるのではない。
 普遍宗教・啓示宗教・信仰宗教の神とは、唯一絶対の存在であり、万物創造の創り主であり、全知全能で万物を司る御一人であり、生と死を支配し怒りと愛で最後の審判を下す御方であり、父なる神である。
 神が為さる計らいを決して疑ってはいけない。
 自然災害や身の不運は、神に叛いた罪・大罪ゆえの天罰である。
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 日本列島では、一神教の信仰宗教であるキリスト教ユダヤ教イスラム教は通用しないし、天地創造の創り主たる絶対神による啓示、隣人愛、福音、奇蹟、恩寵も役には立たない。
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 日本神道の神輿・山車の原型は海原を移動する船であって、砂漠の上を輿として移動するユダヤ教の「契約の箱(アーク)」とは違う。
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 日本の歴史には3種類あって、1,日本民族の民話・伝承・寓話・宗教によるローカルな神話物語、2,アフリカを源流とする人類進化・文明発展史、3,記録が残る人間英雄伝説である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類文明史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語・人類文明史・人間英雄伝説の3つを均等に持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は正史で日本を武力統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
 現代日本建国記念日は、天皇神話物語であって人類文明史・人間英雄伝説ではない。
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 デュルケーム「(宗教の役割の一つは)共同体を維持する装置」(『宗教生活の原初形態』)
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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
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 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
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 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
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 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
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 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
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 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
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 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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