🎑25)─3・E─人口激減で民族固有言語である日本国語が消滅する。~No.64 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本国語は多様性に富んだ言語で、北はアイヌ語から南は琉球語まで数多くの地方言語・方言が存在するが、言語における価値観は八百万の神々の神話物語である。つまり、多であり一つであり、一つであり多である。
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 日本国内には、日本国語が嫌いで消滅させようとしている日本人が少なからず存在し、日本国語嫌いの日本人は旧植民地国家のように英語か中国語を公用語にしようとしている。それが、エセ保守やリベラル左派が日本の多文化共生の為に進めている外国人移民(主に中国人移民)の若者1,000万人計画である。
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 現代日本の統一言語・標準語は、明治新政府が外国勢力の軍事的日本侵略に対する積極的自衛戦争に勝って生き残る為に、日本を一つの国家にまとめて日本人を死を怖れない精強な兵士に洗脳する為に新しく作った新国語、つまり造語・新語の人工言語である。
 それが、近代日本の民族主義国粋主義軍国主義の正体である。
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 日本人は日本国・日本民族・日本国語・日本神道が好きである、はウソである。
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 現代ハワイには、ハワイ人のハワイ語は語彙として残骸のように残っているが、人会話として残っていない。
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 2023年9月15日10:02 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「日本語が「消滅の危機」にある理由、世界で9番目に話されているのになぜ?
 日本は、自ら進んで、小学校の低学年からの英語教育に乗り出しました。よほどの覚悟を持って日本語の将来を守らなければ、いつの間にか英語の国になっている可能性もあります(写真はイメージです) Photo:PIXTA
 「日本語が消滅する」と聞いたらどのように感じるでしょうか?日本語研究の第一人者で埼玉大学名誉教授の山口仲美さんは「世界のあちこちで民族固有の言語が消滅しているように、油断をすると日本語も消滅する」と危惧しています。実際、「2週間に1言語のペースで衰退しつつある言語の最後の話者が死んでいる」と言われています。なぜ、日本語は消滅の危機にあるのでしょうか。『日本語が消滅する』(幻冬舎新書)より紹介します。
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● 消滅の予兆
 日本語が消滅する?そんなことあるわけないでしょとお思いになった方も多いでしょう。でも、油断をすると、日本語も消滅するのです!世界のあちこちで、その民族固有の言語が消滅しているのと同じように。
 ご存じのように、日本では、2020年から、小学3年生からの英語教育が始まりました。未来を背負う子供たちが、自国語を十分にマスターしないうちに、英語教育を始めることは、将来的にその国固有の言語の衰退を招きます。日本語学者の宮島達夫さんも指摘しています、「小学校への英語導入という決断をするには、日本人が将来英語モノリンガルになる第一歩になるかもしれない、という覚悟をしておく必要があります」と。
 小学校への英語導入という決断は、最初のうちは、母国語である日本語とのバイリンガル(=二つの言語を話せる人)を生み出しますが、やがて世界共通語の英語のみを話すモノリンガル(=一つの言語のみを話す人)になっていくということが分かっています。あ~あ、日本語はもうお終(しま)いかもしれない。そんなに遠くはない将来を思って、私は愕然としました。母国語のとりかえが起こり得る事態に一歩足を踏み込んでいるのです。
● 世界にある言語の総数は
 世界地図を開いて人間の住んでいる陸地を眺めてみてください。一体、この広大な陸地では、現在どのくらいの種類の言語が話されているのでしょうか?
 アメリカのSILインターナショナルの刊行する『エスノローグ―世界の言語―』(Ethnologue -Languages of the World、第24版、2021年)のデータベースには、現在、世界に存在する言語として7139種類が登録されています。けれども、大まかに6000種類から7000種類と考えておくのが妥当な気がします。というのは、言語を数えるのは、ものすごく難しい。一つの「言語」とみなすのか、それとも「方言」とみなして言語数にはカウントしないのか、といった問題が起こることが多いからです。
 たとえば、『エスノローグ』の日本の項を見ます。すると、「日本語族」として、次の12種類の言語が数え上げられています。
 日本語、(1)北奄美語(きたあまみご)、(2)南奄美語、(3)喜界語(きかいご)、(4)徳之島語(とくのしまご)、(5)国頭語(くにがみご)、(6)沖永良部語(おきのえらぶご)、(7)中央沖縄語、(8)与論語(よろんご)、(9)宮古語、(10)八重山語、(11)与那国語(よなぐにご)。
 番号を付けた11種類の言葉まで、「日本語」にならぶ「日本語族」として数え立てられているのです。(1)から(11)の言語は、鹿児島県の島々と沖縄県の島々で話されている言葉です。(5)の国頭語は、沖縄本島の北部で話されている言葉です。(10)の八重山語は、西表島(いりおもてじま)や石垣島波照間島(はてるまじま)などの八重山諸島で話されている言葉です。これらの言語の話されている場所を、図1に示しておきます。
 私たち日本人は、これら(1)から(11)の言語を、日本語とは違った別の「言語」と考えていますか?いませんよね。日本語の中の「方言(琉球方言)」ととらえています。でも、『エスノローグ』では、別の言語としてカウントしています。ですから、『エスノローグ』のデータベースにある7139種類という数は、「方言」も「言語」数にカウントされている可能性が高く、割引して考えておくほうが無難だと思えます。
 でも、一方では、ニューギニア島の内陸高地部、南アメリカのアマゾン地域、サハラ以南のアフリカなど、山岳地帯や道路のない地域では言語調査が行き届いておらず、そうした地域には、まだ数えられていない言語の存在する可能性があります。
 というわけで、『エスノローグ』に掲載されている言語総数から若干の差し引きを行なって、現在、世界にある言語は、6000種類から7000種類と考えておくといいというわけです。さらに、現在、少数の話者しかいない言語が、日夜消滅していっている現状を考えると、6000種類として話を進めるのが無難です。
● 世界各地で、消滅している
 世界にある言語数は6000種類と言っても、中国語や英語やスペイン語のように億単位の人々に母語として用いられている多数者言語もあれば、10人以下の話者しかいない「少数者言語」もあります。以下、「少数者言語」と言う時は、「少数の人が使っている言語」の意味で用いていきます。ユネスコ国際連合教育科学文化機関)の調査によると、10人以下の話者しかいない言語は、なんと199もあるのです!
 こんなふうに、話者数が言語によって、大きく異なっています。母語話者数の多い順に言語を並べて1位から20位まで行くと、もう世界人口約80億人の半数近くである35億人を占めてしまいます。つまり、地球上に住む人間の半数近くの35億人は、たった20種類の言語で賄(まかな)われていることが分かります。残りの45億人の人々が、5980種類の多様な言語を話しているわけです。今、消滅の危機に見舞われているのは、この話者数の少ない言語です。
● 日本語話者数の世界ランク
 すると、日本語のことが気になりますね。日本語は、母語話者数から見ると、世界の言語の中でどのくらいの位置にいるのでしょうか?第9位です。1位は中国語で、母語話者数はおよそ8億8500万人、2位が英語で4億人、3位がスペイン語で3億3200万人、4位がヒンディー語で2億3600万人、5位がアラビア語で2億人、6位がポルトガル語で1億7500万人、7位がロシア語で1億7000万人、8位がベンガル語で1億6800万人。
 そして、9位が日本語で1億2500万人です。日本の人口が、日本語の母語話者数になっているのです。ちなみに、10位はドイツ語で1億人です。こうして、20位までの母語話者数を合計していくと、世界人口の半数近い34億9200万人になります。
 このデータを知ると、日本語は、母語話者数が第9位だから、滅びることなんてないんじゃないと、胸をなでおろす方がいらっしゃるに違いありません。確かに、母語話者数から見ると、滅びる危険性の少ない言語の一つです。
 でも、言語の消滅の原因は、母語話者数のみにあるわけではありません。日本語は、英語やスペイン語などの世界共通語にはない消滅しやすさを抱えています。英語やスペイン語などは、発祥の地であるイギリスやスペイン以外の土地でも話されています。さらに、英語やスペイン語は、第二外国語として世界中で学ばれています。
 ところが、日本語は日本以外の国で話されることはありません。第二外国語として学ばれることも多くはありません。日本語は日本でしか話されていない孤立言語です。
 ちなみに、第二言語として学んでいる話者数を加えて世界の言語の使用状況をとらえると、英語が第1位の座につきます。さすがに世界共通語の貫禄(かんろく)です。合計13億5000万近くの人に使われています。こうした第二言語の話者数も加えて順位を並べなおすと、日本語は13位に下がります。
 しかも、日本語の母語話者である日本人の人口は、現在減り続けています。さらに、日本は始終災害に見舞われています。日本列島が壊滅的な被害を受けて、日本人が極端に少なくなったら?そのうえ、心配なのは、英語さえできればいいと思っている人が増えていることです。
 日本人は、自分たちの精神的支柱となっている日本語を、世界共通語となった英語から守りきることができるのでしょうか?日本語も、決して安全ではないのです。
● どんな言語が危機に
 さしあたり、言語消滅の波に襲われているのは、少数者言語です。ユネスコでは、消滅の危機にさらされている言語を2500種類ほど列挙しています。こうした危機言語がクローズアップされたのは、1991年7月のアメリ言語学会大会でした。
 それから30年。日に日に少数者言語は、消滅しています。
 「世界のどこかで、2週間に1人のペースで、衰退しつつある言語の最後の話者が死んでいる」と、言語学者のニコラス・エヴァンズさんは発言しています。2週間に一つ、ある民族の使っていた言語が消滅しているのです。永久にこの地球上から消えているのです。
 では、どんな地域のどんな言語が消滅の危機にさらされているのでしょうか?世界を次の(1)から(8)までの八つの地域に分けて、その様相を大きくつかんでおくことにします。
 (1)東アジアおよび東南アジア、(2)オーストラリアおよび太平洋地域、(3)南アジア、(4)東ヨーロッパおよび中央アジア、(5)西ヨーロッパ、(6)中東および北アフリカ、(7)サハラ以南のアフリカ、(8)南北アメリカ
 図2をご覧ください。日本を起点にして、ほぼ西に向かって進んでいくという順序です。では、まず、(1)東アジアおよび東南アジアから。この地域にある日本にまずは注目。
● 日本の消滅危機言語
 ユネスコの調査では、日本で消滅の危機にある言語は「八つ」と指摘されています。「えっ」と驚く方もいらっしゃるでしょう。そこに記されている言語とは、次のものです。
 アイヌ語奄美語八丈語、国頭語、宮古語、沖縄語、八重山語与那国語
 奄美語、国頭語、宮古語、沖縄語、八重山語与那国語は、すでにお話ししたように、日本語の中の「琉球方言」と考えるのが普通です。また、八丈語も、日本語の中の「八丈島方言」です。「方言」だとしても、消滅の危機を迎えていることは間違いありません。
 日本全国の方言は、50年くらい前から消滅の危機が叫ばれていました。1999年には、「基本的な部分は共通語で固められた上に、感情表出に関わる単語や終助詞などに方言的要素を散(ママ)りばめるといった程度のものが、今や方言的な会話の実態」と言われています。
 方言は、国家という概念ができると、減少する傾向があります。ゆっくりと国家の標準的な言語形態に向かって方言が変化し、消滅していってしまうからです。
 方言の消滅に続くのは、より高いレベルの国家語です。つまり「日本語」の消滅です。「日本語」の消滅の恐れさえ、抱かなくてはならない状況になってきたのです。消滅の波は、「方言」から国家レベルの「日本語」にまで、ひたひたひたと音もなく、おしよせてきています。
● 日本語の将来を守るには
 日本語が世界第9位の話者数を誇っているのは、実は、欧米列強が東アジアや東南アジア、そして太平洋地域の島々の植民地化に乗り出した時、日本とタイだけは、民族国家の形をとった独立国だったため、植民地化を免れたという過去の僥倖(ぎょうこう)に負うているわけです。
 にもかかわらず、日本は、自ら進んで、小学校の低学年からの英語教育に乗り出しました。よほどの覚悟を持って日本語の将来を守らなければ、いつの間にか英語の国になっている可能性もあります。
 言語学者のK・デイヴィッド・ハリソンさんは重い口調で言います、「その言語を用いる人々が国際言語を採り入れはじめると同時に(その言語は)消えていく」と。
 山口仲美
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 2020年4月8日 DIAMONDonline「日本の15歳が「読解力低下」!?OECD調査があぶり出す学校教育
 福田晃広:清談社
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 昨年12月3日に公表された国際学習到達度調査(PISA)で、日本の読解力は15位と、前回調査時の8位から大幅に順位を落とした。その要因として、よく指摘されるのは読書習慣の低下だが、話はそう単純ではないという。元文部科学省主任視学官で、今回の調査結果の分析にも関わった川村学園女子大学の田中孝一教授に詳しい話を聞いた。(清談社 福田晃広)
 PISAで測る読解力は
 日本の国語教育とは別物
 日本の高校生の読解力の実情とは...?
 数学的リテラシーや科学的リテラシーは世界トップレベルなのに、なぜ読解力だけが順位が低いのだろうか? Photo:PIXTA
 まずPISAとはどのような調査なのか説明しよう。PISA(Programme for International Student Assessment)とは、OECD経済協力開発機構)が進めている国際的な学習到達度調査のこと。2000年から始まり、義務教育修了の15歳児(日本の場合高校1年生)を対象に、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野を3年ごとに調査している。
 毎回、参加国・地域も増えており、今回の2018年調査では79カ国・地域(OECD加盟国37カ国、非加盟42カ国・地域)、約60万人が参加した。
 国際的な実施体制としては、OECDが中心となって、調査参加国の代表が構成する委員会や複数の国際請負機関により運営されている。日本では、国立教育政策研究所を中心に、文部科学省と連携・協力して実施している。
 読解力といえば、多くの日本人は文章の詳細な読み取りをする力だと思いがちだが、PISA調査の読解力の定義は、「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発展させ、社会に参加するために、テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、取り組む力」としている。
 田中氏も、一口に読解力といっても、わが国の国語教育の歴史的な流れも踏まえると、大きく3つの相(すがた)があると説明する。
 「1つ目の相は、夏目漱石森鴎外などの小説に出てくる人物の心情を読み取るといった日本の国語教育における伝統的な読解力のこと、2つ目の相は、2000年の第1回調査以来のPISAが求めていた読解力(いわゆるPISA型読解力)のこと、そして、3つ目の相は、今後、国際社会に必要とされる、インターネットを介して情報を検索・探索し、その価値や信頼性を吟味しながら読むことのできる読解力のことです」
 「この3つ目の相としての読解力は、今回の2018年PISA調査が完全なPC利用型となり、その特徴を生かした調査形式・内容となったことで、新たな相として浮かび上がってきました。つまり、2つ目の相としての読解力の拡張版(いわば「新PISA型読解力」)と位置づけることができます。このようにして、2018年調査は、この3つ目の相としての読解力を中心に実施されました。読解力について、これら3つの相が明確に認識されずに、各人の今までの通念と立場から論じられているのがわが国の現状ではないでしょうか」
 今回のPISAで問われた読解力(新PISA型読解力)は、これからますます発展が予想される情報社会を生きるための基礎力のようなもの。たとえば、今回のテストでは、とある電化製品のWebサイトに書かれている説明文を読み、その情報をどう見極めるかといった問題などが出題されている。
 PISAは、実生活のさまざまな場面でどれだけ読解力が生かされるのかを見るものであり、特定の学校カリキュラムをどれだけ習得しているかではない。一般的には、読解力というと国語科の問題に集約しがちだが、PISAは社会科、理科、家庭科などのすべての教科に関連がある。
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 実はICT教育では、日本は最後進国
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 2021年6月23日 DIAMONDonline「言語能力が低い子は成長しても読解力が低いという、これだけの研究結果
 榎本博明:心理学博士、MP人間科学研究所代表
 教育現場は困ってる
 語彙力と読解力は相互作用しながら発達していきます。 Photo: PIXTA
 本を読むことは大切だとよく言われるが、本を読まなくても子どもは成長するし、日常生活には困らない。しかし、『読書をする子は○○がすごい』(日経プレミアシリーズ)の著者・榎本博明氏は、子どもの頃から本を読む習慣を付けることは大きな意味を持つ、さらに幼い頃から豊かな言語環境に触れることが非常に大事だと指摘する。
 語彙力と読解力はリンクして発達していく
 語彙力と読解力は相互作用しながら発達していく。たとえば、心理学者高橋登が小学生を対象に行った調査でも、読解力は低学年から高学年まで一貫して語彙力によって規定され、また語彙力もそれ以前の時期の読解力によって規定されることが確認されている。
 ここから言えるのは、読解力があればどんどん語彙を増やすことができ、語彙が豊富なことが読解力のさらなる向上につながるといった好循環がみられるということである。その意味では、語彙力や読解力を高めることが大切となる。
 言語能力の発達に関しては、幼児期から児童期にかけての時期が非常に重要になることがわかっている。
小1時点の語彙力の差は、小6になっても追いつけない
 たとえば、スワンソンとデ・グロッパーは、児童を対象に、未知の言葉の意味を文脈から推理させる実験を行っている。中学や高校時代の英語の試験問題、あるいは入試問題に取り組んだ際のことを思い出してみよう。知らない単語があるからといって諦めるわけにはいかない。文脈を頼りにその未知の単語の意味を推測して読み進んだり訳したりしたはずだ。それと同じように、未知の言葉の意味を推理させたのだ。
 その結果、読解力の高い子は、読解力の低い子よりも、未知の言葉の意味を推理する能力が高いことがわかった。読解力が高ければ、文脈をしっかり把握できるため、そこから未知の言葉の意味を読み解くことができる。ゆえに、読解力が高ければ、知らない言葉が出てきても文脈を頼りに意味を推理しながら文章を理解できるし、本を楽しむこともできる。
 さらに、ヴァーホーヴェンたちは、小学生を対象に追跡調査を行い、小学校1年生の時点の語彙力の差は6年生になってもほぼ固定されたままであることを確認している。
 ここから言えるのは、小学校入学時に語彙力や読解力といった言語能力の高い子は、その後も卒業するまで一貫して言語能力が高く、入学時にそのような言語能力の低い子は、卒業するまで一貫して言語能力が低いままになる可能性が高いということである。
 このように小学校入学時の言語能力が将来の言語能力の発達を大きく左右するのだとすれば、幼児期の言語発達に無関心ではいられない。
 幼児が“モノを指さして名前を覚える”ことの重要性
 子どもの「名前を付ける行為」も見逃せない
 さらに、ウルフは衝撃的な知見を紹介している。それはカナダの心理学者ビーミラーによるものだが、幼稚園入園時の語彙レベルが下位4分の1に入る子どもたちは、語彙力でも読解力でも平均以上の子どもたちや平均並みの子どもたちに追いつけないままに終わるというのである。しかも、小学校6年生までには同学年の平均的な子どもたちとの語彙力や読解力の差は、ほぼ3学年分にまで広がっているという。語彙と読解力との相互作用のため、幼児期の語彙の発達の遅れは致命的なものになるというのだ。
 人間の発達には可塑性があるため、鳥類などのように発達初期の経験がその後の生涯を決定づけるというほどではないし、遅れたら取り返しがつかないなどと焦る必要はない。だが、言葉をどんどん獲得していく幼児期に、豊かな言語環境に触れさせることが大切なのは言うまでもないだろう。
 ウルフたちは、幼児期に対象物を命名する能力が、その後の文字を読む能力の発達に関係していることを見出している。
 ここから言えるのは、幼児期初期の子どもが指差しながら事物の名前を確認しつつ覚えていくときに、幼児の頭の中では言語能力の発達にとって非常に重要なことが行われているということである。言葉を話し始めた頃の子どもの指差し行動につきあったり、しりとりなどの言葉遊びをすることも、子どもの言語能力の発達にとってとても大事なことなのだ。
 その後の言語能力の発達においては、絵本を読んでもらったり、自分で読んだりすることで、語彙力や読解力を高めていくことが非常に重要になってくる。それが順調に進んでいくかどうかで、小学校卒業時点の言語能力まで予測できるというのである。
 読書時間の二極化は小1から始まっている
 『伸びる子どもは○○がすごい』(日経プレミアシリーズ)
 東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所が、2016年に「子どもの生活と学びに関する親子調査」を実施している。その調査では、子どもたちの本を読む時間を調べている。
 具体的な設問としては、「あなたはふだん(学校がある日)、つぎのことを、1日にどれくらいの時間やっていますか」という問いかけがあり、「本を読む」時間などを尋ねている。小学校3年生までは保護者が回答し、小学校4年生以上は子ども自身が回答する。
 データをみると、平日に本を読む時間の平均は、小1で15.0分、小2で16.2分、小3で17.6分、小4で20.4分、小5で22.3分、小6で23.4分というように、少しずつではあるが学年の上昇とともに増えている。
 だが、平均というのは、この場合はほとんど意味がない。なぜなら、たとえば小3では、まったく読まない(0分)子が22.9%いる一方で、2時間以上読む子が0.8%、1時間読む子が8.3%、30分読む子が22.6%もおり、平均に近い15分読む子は16.5%しかいないからだ。1日の読書時間は0分から2時間以上まで大きくばらけている。
 この調査結果報告では、まったく読まない(0分)子の比率が学年の上昇とともに増えているところに着目し、読書時間は学年が上がるにつれて減少するとしているが、先に示したように平均読書時間でいえば、わずかずつだがむしろ増えている。
 そこで着目すべきは、まったく読まない子が学年の上昇とともに増えている一方で、2時間以上読む子が小1の0.5%から小6の4.1%まで8倍ほどに増え、1時間読む子も小1の4.7%から小6の10.2%まで2倍以上に増えていることだ。
 つまり、学年が上がるにつれて、長時間読書をする子も、まったく読書をしない子も、どちらも増えていく。ここからわかるのは、読書時間の二極化という現象が、すでに小学校1年生の段階から始まっているということである。
 また、「本などに感動する」保護者の子どもほど読書時間が長くなっていた。保護者が本を読み感動する姿を身近に見ているかどうかが、子どもの読書傾向に影響しているということである。
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