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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本国語の危機。
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将来の日本は、グローバル言語・英語を公用語とし、ローカル言語・日本国語を日常語とする。
世界中にあった幾千万の民族言語・部族語・地域方言は、文化度が高く教養が豊かな優秀言語である西洋語の普及によって、野蛮で野卑で文化度の低い劣性言語として消滅させられた。
人類史・世界史・大陸史とは、グローバルがローカルを淘汰してき歴史である。
日本は、グローバルではなくローカルの一因に過ぎず、民族的なモノは何時かは全て消滅する。
世界のグローバル化が進めば、ローカル民族言語である日本国語も、かって存在していたハワイ民族言語やミクロネシア地域言語同様に地上から消えるのが定めである。
だが日本国語の壁は、思った以上に頑強である。
その証拠が、和言霊を秘めた日本国語文化である。
日本人が愛読する詩は、西洋の長詩系詩歌ではないし、中華(中国・朝鮮)の長詩系漢詩でもなく、日本の短詩系和歌・短歌・俳句・川柳・長唄・都々逸・民謡などである。
そして、日本国語文化の古層に存在するのが国と民族を思い遣る日本天皇の御稜威・大御心である。
その金字塔が『萬葉集』である。
『萬葉集』を源流として『古今和歌集』など和歌は、日本国語を表現媒体として日本独自の詩歌文化を生み、日本人の心に染み込んでいる。
日本の詩歌文化は、階級や身分を軽々超え貧富の格差さえも消滅させていた。
詩作の才能で人々を平等にし、その優劣判断は公平無私で依怙贔屓はなった。
日本の詩歌文化の前には、階級闘争のマルクス主義は無力であるばかりか無知蒙昧な戯言・狂言に過ぎなかった。
日本民族で最古の和歌読む家系は、日本皇室である。
和歌の総家元は、日本天皇家である。
天皇制度の精神的支柱は、和歌である。
日本民族の根本精神とは、日本天皇が詠む和歌、「御製」である。
和歌の心が、日本民族の心である。
日本国語文化を消滅させるには、日本民族を柔らかく1つにまとめている、血筋を正統な皇統と継承している日本天皇家を消滅させる必要がある。
天皇制度反対や天皇制度廃絶の真の目的は、日本国語文化の消滅にある。
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西洋語を何カ国語も話せる事は、乱暴に言い方を換えれば、日本の方言を幾つも話せる事ににている。
中国でいえば、北京語や上海語や広東語などが話せるという事になる。
重要なのは文字である。
西洋ではキリスト教の「聖書」であり、中国では儒教の「四書五経」であり、日本では和歌・俳句などの「詠」であった。
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1016年9月8日号 週刊新潮「東京情報 ヤン・デンマン
母国語へのこだわり
【パリ発】……国家は、国土・国民・国語により成り立っている。しかし、この3つが揃わない国は多い。ブラジルの公用語はポルトガル語だし、隣のアルゼンチンはスペイン語だ。一方、ISは普通のテロ組織と異なり、国土・国民・国語を持つ。
もう一つ大事な要素が、国家元首だ。本来、元首がいなければ国とは認められない。日本は国土・国民・国語を持つが、元首がいない。憲法を読んでも誰が元首なのかはっきりしない。これは非常に珍しいケースである。アメリカの議事録には『Republic of Japan』とある。憲法に国民主権と書いてあるからだ。しかし、日本は共和国ではない。そこらへんの主婦や老人が元首とは思えないし、天皇は『国民統合の象徴』ということになっている。
つまり、日本がどのような国なのか、われわれ西欧人には理解できないのだ。
小国の悲しさ
R紙記者が頷く。
『ミスター・デンマン。あなたの言うことはよくわある。これは日本語が曖昧な部分を許容するからではないか。日本語の移り変わりは激しいし、擬音語・擬態語をエスタブリッシュメント(支配階級)までが使うだろう』
たしかに日本人は『最近ゴタゴタしている』などと対象を正確に描写するのを避け、あえて感触だけを残す。これを英語にするのは難しい。短歌や俳句は、わずかな文字数で、恐ろしく深い意味を生み出す。日本語の複雑さは、日本人の最大の武器である。
R紙記者が同意する。
『しかし、肝心の日本人がそれに気づいていない。それどころか日本では小学生にまで英語を教え込んでいるそうではないか。わが国では考えられないな』
学習指導要領の改訂により、2020年度までに英語教育のスタート時期が小学校5年から小学3年に引き下げられた。日本のアホな官僚や政治家は、『世界公用語である英語を学ばなければグローバル時代を生き抜いていけない』などと、この20年以上言い続けている。
R紙記者がため息をつく。
『このあたりの感覚はフランスにはないな。わが国では英語教育をほとんどやっていない。イギリス人は母国語が英語だから、外国語をほとんど学ばない。ドイツでは、低年齢からの英語教育に批判的な声が多い。イタリア人もあまり外国語を学ばない』
一方、オーストリアでは99.7%の小学校で英語の授業をやっている。EU加盟国の中ではトップだ。地中海のマルタやキプロスも、小学生の英語教育に力を入れている。フランスとドイツの間に挟まっているルクセンブルクのような小国では、英語の他にフランス語も教え込む。そうしないと生き延びることができないからだ。
ここまでの話をまとめると、一般的に大国は外国語教育にそれほど熱心ではない。一方、弱小国は外国語教育に熱心である。これが小国の悲しさだ。
文化の層の厚さ
こうした問題に日本人は鈍感だ。小学校の低学年に外国語を強制するなど、属国根性以外のなにものでもないあろう。
R紙記者がウェイターを呼び、2本目のワインを注文した。
『日本人は英語教育に熱心だが、その前に英語を学ばなくても生活できる自国の文化を誇ったほうがいい。フィリピン人やシンガポール人は英語を話さなければ生きていけないんだからね。日本に司馬遼太郎という作家がいただろう。彼は日本人の英語下手が日本文化に寄与したと言っていた。200年以上の鎖国があったにもかかわらず、明治以降、日本は急激に発展した。それはなぜかと考えたわけだな』
私もその話を聞いたことがある。ドイツ人が英語を学ぶときは単語を入れ替えるだけでいい。しかし、日本語と英語は文法構造が違うので、習熟には時間がかかる。そこで、外国語をすぐに覚えてしまう才人が、英語が苦手な人のために翻訳を次々にやったわけだ。
こうして科学、医学、法学、政治学といった各分野の最先端の知見が日本語に翻訳されていった。そこで生まれた文化の層の厚さが日本をつくったのだ。
R紙記者が言う。
『母国語を蔑(まいがし)ろにし、外国語教育に飛びついたところで、三流国家に成り下がるだけだ。借り物の言葉では、語れないことがある。しかも、日本の翻訳文化は、格差社会をも消滅させた。西欧の上流階級は世界文学を原文で読む。下流層はドストエフスキーの存在すら知らない。しかし日本では、世界中のありとあらゆる文献がこなれた日本語になっている。だから、日本では労働者階級の子供が東大に行くことができるんだ』
母国語はアイデンティティである。
小説の神様と呼ばれた志賀直哉は、美しい文章を書いたが、彼は敗戦後、『日本語を廃止してフランス語を国語にしょう』などと言い出した。日本語は能率的な言葉でないので、軍事において命令の伝達に齟齬(そご)が生じると。だから日本は戦争に負けたんだと。しかし、当の志賀はフランス語がまったくできなかった。日本人の自信が失われてしまった時代だったのだろう。
R紙記者が笑う。
『問題は、いまだに当時の怨念を引きずっている連中が日本のトップにいることだな。日本では明治期の中央集権化により、地方を蔑む風潮が現れた。各藩の御国訛りを使っているのは恥ずかしいと。一方、アイルランドやウェールズに住んでいる人間は、クイーンズイングリッシュが使えるのに、あえて地元の訛りを守ろうとする』
母国語に対するこだわりがなくなったとき、本当の意味で国家は崩壊するのだろう」
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危機言語―言語の消滅でわれわれは何を失うのか (地球研ライブラリー)
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