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日本のマンガを読みアニメを見るのは、何時の時代でも子供であるが、大人になると子供心を失い見向きもしなくなる。
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日本のマンガ・アニメの原点は、古事記の詩的な神話物語、つまり八百万の神々による民族神話である。
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2023年8月23日 YAHOO!JAPANニュース リアルサウンド「『風の谷のナウシカ』原案にあった終末論はなぜ消えた? 宮崎駿の思想を受け継ぐ、庵野秀明による”続編”への期待
宮崎駿『風の谷のナウシカ 1』(徳間書店)
マニアックなファンの間ではよく知られている通り、『風の谷のナウシカ』の原案には、宮崎駿のディープな思想が反映されていた。しかし1984年に完成したアニメ映画は、原案とさまざまな点で異なっており、ある意味“安全な作品”になっている。一体どんな違いがあったのか、この機会に振り返ってみよう。
【写真】『風の谷のナウシカ』造形総指揮・竹谷隆之が秘密に迫るメイキング写真集をみる
少し経緯が複雑だが、『風の谷のナウシカ』には、宮崎自身が執筆した漫画版が存在する。この漫画は全7巻で構成されているが、映画版では2巻までが描かれた形だ。だが、本来重要なのは最終巻の結末だった。
漫画版の終盤では、ナウシカに衝撃的な事実が告げられる。彼女たちはすでに滅亡した旧世界の人間によって作られた存在であり、腐海の毒と共存することでしか生きられない改造人間だったのだ。
しかも腐海が浄化しきった世界では改造人間が死滅し、愛と平和だけを望む新人類が目を覚ますという。そこでナウシカは、浄化された世界で新人類のように生きられるようになる“改造”を提案される。ところが彼女はかりそめの安寧を否定し、滅亡に向かう運命のなかで、穢れと共に生きていくことを決断するのだった。
またアニメ映画版『風の谷のナウシカ』に関しても、実は別の結末が想定されており、巨神兵と王蟲が戦う最終決戦的なシーンが想定されていたという。
こうして比べてみると、実際に完成したアニメ映画がいかに構想段階から変わったのか分かる。宮崎の構想から伝わってくるのは、自然を汚しながら生きるしかない人類へのニヒリズムと、終末論的な世界観だ。
大人が見てもショックを受けそうな『風の谷のナウシカ』の構想は、当時のスタッフの間でも反対意見が多かったようだ。完成版が大衆的な成功をつかんだことを考えれば、改変の判断は正しかったのだろう。
若き日の庵野監督が感銘を受けた宮崎駿の一言とは
だがその一方、『風の谷のナウシカ』の原案に強い感銘を受ける人物もいた。『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズで知られる庵野秀明だ。
ラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』での発言によると、『風の谷のナウシカ』の打ち上げの場で、庵野を驚かせる出来事が起きたという。宮崎が「人間なんてね、滅びたっていいんだよ!」「とにかくこの惑星に生き物が残ってれば、人間という種なんて、いなくなっても全然いいんだ」と語ったのを聞き、庵野は「この人すごい」と尊敬の念を抱くようになったそうだ。
さらに庵野は、そうした終末論的な思想がストレートに表現された原作『風の谷のナウシカ』の最終巻を絶賛し、「宮さんの最高傑作」とまで言い切っていた。
たんに共感するだけではなく、庵野は自身の作品において宮崎の終末論を受け継ぐような作風を披露している。たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』における人類補完計画と碇シンジの選択は、きわめて“ナウシカ的”な表現と言えるはずだ。
そのことを本人も自覚しているようで、鈴木敏夫が「文藝春秋」に寄稿した『宮崎駿とヱヴァンゲリヲン 庵野秀明のナウシカ愛』という文章では、庵野が『風の谷のナウシカ』の続きとして『新世紀エヴァンゲリオン』を作っていると発言したことが明かされていた。
なお、長年『風の谷のナウシカ』には幻の続編として「ナウシカ2」の存在が議論されてきた。そこで監督としてよく名前が挙がっているのが、ほかでもない庵野だ。
シン・シリーズを完成させた今、庵野が宮崎の思想を受け継ぐ可能性はゼロではないかもしれない。そうなれば、『風の谷のナウシカ』の原案にあったニヒリズムと終末論を別の形で復活させることも考えられる。アニメ業界を牽引する師弟の未来に、いろいろと期待が膨らんでしまう。
キットゥン希美
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YAHOO!JAPANニュース「『風の谷のナウシカ』実はバッドエンド? ”原作漫画”と”映画”のストーリーが全然違ってた!
文=ヨークシャー
ジブリ
風の谷のナウシカ
写真集
宮崎駿
徳間書店
竹谷隆之
『風の谷のナウシカ』はバッドエンド?
1984年に劇場公開された往年の名作『風の谷のナウシカ』。宮崎駿監督による作品でスタジオジブリの中でも人気のある映画の1つだが、実は『風の谷のナウシカ』には漫画の原作がある。
【写真】『風の谷のナウシカ』造形総指揮・竹谷隆之が秘密に迫るメイキング写真集をみる
映画はこの原作の序盤の部分を短くまとめたものだ。原作では映画で描かれていない世界の真実などが明かされるが、今回は『風の谷のナウシカ』の映画と原作の違いについて触れてみたい。
漫画は救いがない? 映画と原作の結末の違いとは
『風の谷のナウシカ』の舞台は、旧人類による最終戦争から1000年の時が経った世界。文明を失った人間たちは、瘴気を放つ腐海と巨大な蟲に侵食された土地で怯えながら暮らしている。
映画の『風の谷のナウシカ』では、腐海や蟲と共存する道を選択するナウシカが描かれるものの、腐海や蟲たちの真の正体は明かされていない。一方、原作では腐海や蟲たちの真実が描かれている。ナウシカたちが存在する理由も明らかになるため、腐海や蟲との共存にとどまらないスケールの大きな結末を持つ。
端的に言うと腐海は汚れた世界を浄化する役割を持ち、蟲はその腐海を守る存在だ。原作ではこの腐海と蟲が旧人類によって作り出されたものとなっている。また、ナウシカたち現代の人間も腐海の浄化を見守るために旧人類によって作られた存在。旧人類が望む完全に浄化された世界では、現代の人間は消滅してしまうという衝撃の設定が明かされている。
映画ではナウシカとクシャナたちとの戦いがメインに描かれるが、原作はナウシカと旧人類との対立を描いた物語。映画と原作に共通しているのは環境問題をテーマにしているところだが、映画よりも原作はかなり重い。
映画では平和的で希望のある終わりを迎えるが、原作ではナウシカが救いのない世界で愛する人々と生きる選択をするという厳しい現実が待つ結末を迎えた。自然との共生を目指す世界が前者とすれば、後者は自然破壊が招いた結果の社会と捉えることができるだろう。
クシャナは敵じゃない? ストーリーで変わるキャラクターの見え方や描き方
物語で描かれる真相や結末が変われば、キャラクターの見え方や描き方もまったく変わってくるもの。映画でのナウシカは自然と動物を愛する心優しい女性という印象だが、原作ではどちらかというとかっこよくて芯の強い女性というイメージが強い。もちろん優しさもあるが、それだけではない逞しさを映画以上に感じさせる。
映画では敵だったクシャナも、原作ではナウシカと共闘しているなど違いがある。性格も高慢な印象があった映画に対し、原作では頭がよくキレる部下思いのかっこいい女性という印象だ。圧倒的なカリスマ性も持っており、ナウシカに次ぐほどの人気キャラでもある。
そもそも原作は登場するキャラクターも映画より多く、相関図も映画より複雑だ。さまざまな立場がありそれぞれの思想や主張があるため、考えさせられることもたくさんある。ネット上でも「こんなに衝撃を受けた漫画は初めて」「映画だけで満足していてはもったいない」など、原作を推す声も多く見られた。
映画の『風の谷のナウシカ』はテレビでもこれまで何度も放送されているが、原作の漫画の方は映画ほど認知されていないだろう。未読の方はぜひ手に取って、『風の谷のナウシカ』の世界をたっぷり堪能してみてはいかがだろうか。
(c)Studio Ghibli
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