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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
何故、リベラル左派やエセ保守が反安倍派であったのか。
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敗戦後の日本は、アメリカとキリスト教会系敗戦利得者、ソ連・中国共産党・国際共産主義系敗戦利得者によって再建された。
教育界とメディア業界を指導した、文化マルクス主義者達は、新生日本を作る為に天皇制度廃絶と天皇家消滅させる手段を、日本に幾つも仕掛け、日本人を幾重にも縛った。
その最たるモノが、日本国憲法であり、改正皇室典範であり、皇室経済法であった。
それを実行しているのが、反宗教無神論・反天皇反民族反日本人といわれるリベラル左派とエセ保守である。
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日本人の共産主義者・無政府主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺するべく付け狙っていた。
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2023年8月7日8:51 YAHOO!JAPANニュース 週刊SPA!「皇位継承と男女平等は無関係だ/倉山満
「平民」であることを理由に当時の旧皇族や旧華族から強い反発を受けながらも、1959年4月10日、当時皇太子だった上皇陛下とご結婚された美智子さま 写真/産経新聞社
―[言論ストロングスタイル]―
皇位継承と男女平等は無関係だ
昔から「男女平等だから、女性天皇・女系天皇を認めるべきだ」との議論が人口に膾炙(かいしゃ)している。しかし、皇位継承と男女平等は、何の関係もない。仮に皇室に男女平等を持ち込むなら、「皇后に男がなれないのはけしからん」とでも言うのか。これは、常識の問題だろう。
日本の歴史に男女不平等が無かったなどと言えばさすがに大嘘だが、皇室が「男女分業」によって形成されてきた面もまた真実である。むしろ、皇位継承においては“男性排除”の原理が貫徹しているのである。
なぜ、皇位(天皇の地位)は世襲なのか
まず誰もが思う疑問、その一。なぜ、皇位(天皇の地位)は世襲なのか。政治が安定するからだった。
中華帝国が典型だが、誰でも実力で帝の位に就けるとしよう。政治の戦いは激烈になる。古代中国で漢王朝を打ち立てた劉邦は、農民の出身から皇帝に成りあがった。歴代中華王朝には外国人が打ち立てた王朝すら多い。トルコ人の唐、モンゴル人の元、満洲人の清、などなど。つまり、中国人のみならず、その時代に生きている人ならば誰でも皇帝に成るチャンスがあることになる。
それに対し、世襲の場合はそうはいかない。「一番偉い人」になれる可能性は限られる。だから歴代中華皇帝は、自分が王朝を打ち立てれば、世襲制を導入し安定化をはかり、王朝が弱体化したら誰かがとってかわった。選挙が導入される前、政治の決着は殺し合いで決めた。
近代において、長く世襲を続けた王室はその国の伝統として尊重されるようになった。そして、権力を振るわない代わりに責任を負わせない、立憲君主制が導入され今に残る。我が皇室は公称2683年の間、一度も途切れたことが無い世襲の伝統を誇る。また、「一番偉い人が権威として君臨するが、権力は振るわない」という意味での立憲君主制では、世界史最長不倒で最古の王朝だ。
なぜ男の天皇が継ぐことになっているのか
では誰もが思う疑問、その二。なぜ男の天皇が継ぐことになっているのか。これの理由は簡単で、男は子供が産めないからだ。また、現代の医療技術でも絶対に子供を産める技術が無いことも、関係してくる。
既に述べたように、天皇の世襲には合理性があったし、今は世界で唯一無二の伝統である。この世襲を続けるために、父から子へと継承する男系継承と、母から娘へと継承する女系継承、どちらが合理的か。仮に女系継承をしようとしたら、女帝は天皇の仕事とお世継ぎづくりの両方をしなければならなくなる。その際、男の側室などお世継ぎづくりに何の関係もない役立たずだ。
皇位継承の安定において万能の方法論はない
前近代において、女性の側室は皇位継承に大いに役に立った。幼児死亡率が高かった時代、子供が生まれても無事に育つとは限らない。女性の役割は大きかったので世襲が可能になり、皇統は続いてきた。医療が極端に発達し、幼児死亡率が激減した近代、側室は前近代の遺物となり皇室においても廃止された。
俗に、「側室制度がないと男系継承は不可能だ」「いや、宮家が三~四家あれば計算上大丈夫だ」などと議論が戦わされているが、私はどちらにも与さない。側室が何人いようと、宮家が何家あろうと、子供が産まれなければ終わりなのだ。現に「40年間1人も男の子が生まれない」という計算上は天文学的な数字が現実となり、皇室は危機に陥ったばかりではないか。これは皇位継承権を女系に拡大しても同じ。どの制度も相対的安定にすぎず、「これをやっておけば大丈夫」などという万能の方法論は無い。
多くの日本人は女性天皇と女系天皇の区別もついていない
絶対に子供が生まれる技術も無いのに続いてきた皇室を、今後も守っていきたいか否か、これは価値観の問題だ。人々が大切にしたいものを壊したい感性の持ち主に、「今までの伝統を守るべきだ」と説いても、何の意味もないだろう。その時々の日本人に「皇室のこれまでの歴史を守りたい」との心を涵養(かんよう)するしかない。
そもそも、多くの日本人は女性天皇(女帝)と絶対にやってはいけない女系天皇の区別もついていない。そのような人たちの多数決で皇位継承のあり方を決める訳にはいかない。正しい知識の普及は重要で、疑問に答えるのが専門家の義務だ。
近代になってから、正式に成文法で女帝は禁止されたが、絶対にやってはいけない訳ではないし、必要があれば法など変えればよい。女帝とは女性の皇族が天皇になることである。歴代八方十代(重祚と言って、二回なった人が二人いる)の先例がある。完全な権力闘争の末に位についた奈良時代の称徳天皇以外は、全員が中継ぎだ。
中継ぎとして皇位に就いた女帝たち
中継ぎの理由は様々だ。古代では男の争いが激しすぎて、力のある女帝が皇位に就いて、政争の激化を回避した場合が多いし、中継ぎがそのまま長期政権となった飛鳥時代の推古天皇もいる。古代では中継ぎも実力者でないと務まらなかった。江戸時代の明正天皇は徳川幕府の圧力をかわす秘策として即位。後桜町天皇は、継ぐべき皇子が幼少なので中継ぎとなった。
持統・元明・元正は、天武天皇~草壁皇子~文武天皇~聖武天皇と、男系の中でも天武天皇の皇后であった持統天皇が、自らお腹を痛めて生んだ草壁皇子(後に岡宮天皇と諡られた)の子孫に皇統を継がせるための中継ぎだった。
聖武天皇の娘の孝謙天皇は他の天武系までの中継ぎであり、天武天皇の孫の淳仁天皇に譲ったが、争乱の末に皇位を奪還、称徳天皇となった。
この称徳天皇が単なる民間人の弓削道鏡に皇位を譲ろうとする大事件が発生、以後約800年以上も女帝は憚られた。
単なる一般国民の男を皇族にした例は一度もない
女帝は全員が未亡人か生涯独身だ。配偶者が天皇か皇族ならば問題ないが、単なる一般国民の男を皇族にした例は一度もない。現代において、女帝はやってはいけないが、極めて方法が難しいし、悠仁殿下がおわす以上、無理やりやる必要性が無い。
皇室では男性は皇族になれないが、女性はなれる。正田さん、小和田さん、川嶋さんだった方々のご活躍は周知の通り。ただし、愛子殿下・佳子殿下と違い、皇女ではない。
前近代でも、天皇の妻などは皇族として扱われた。南北朝の動乱で後伏見上皇の女御だった西園寺寧子は治天の君(院政を行える人)となり、皇室途絶の危機を救った。皇族として扱われていたから治天の君になれたのだ。もちろん皇女ではないが。
皇室の男女分業の歴史の一端、お知り頂けただろうか。
歴史を知ることが、くにまもりだ。
―[言論ストロングスタイル]―
【倉山 満】
’73年、香川県生まれ。憲政史研究者。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、「倉山塾」では塾長として、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交についてなど幅広く学びの場を提供している。主著にベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』や、『13歳からの「くにまもり」』を代表とする保守五部作(すべて扶桑社刊)などがある。『沈鬱の平成政治史』が発売中
日刊SPA!
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悠仁殿下お一人が背負う「皇位継承の歴史」/倉山満
倉山 満 バックナンバー
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悠仁殿下お一人が背負う皇位継承の歴史
「深曽木の儀」の習礼(リハーサル)に臨まれた悠仁さま
五歳を迎えた男児が伝統の装束を身に着ける皇室の伝統行事「着袴の儀」に続き、碁盤の上から飛び降りる儀式「深曽木の儀」の習礼(リハーサル)に臨まれた悠仁さま 写真/宮内庁 提供
皇位継承問題とは何か。神武天皇の伝説以来の歴史を、悠仁殿下お一人が背負っておられる。悠仁殿下の御代をお支えする体制の構築こそが、喫緊の課題だ。
これは長年の懸案であったが、菅義偉内閣が有識者会議を招集、「旧皇族の男系男子孫の皇籍取得」の方針を取りまとめ、岸田文雄内閣になって政府は報告書を両院議長に提出した。各党会派は政府報告書に対する意見書を提出することになっているが、今のところ提出したのは日本維新の会だけだ。他の党派は、事の重大性をどのように認識しているのか。政党である以上、有権者にその重大性を伝える義務こそあるだろうに。これこそ最も重大な“宿題”だ。
一度の例外も無く続いてきた男系継承
そもそも、皇室とは何か。日本国を作った神様の子孫である。『日本書紀』によれば、タカミムスビという神様に命令されて、ニニギノミコトが地上を治めるべく天上から降り立った。これを天孫降臨と言う(異説では、アマテラスの神勅によると言う)。
そのニニギノミコトの曾孫が、神武天皇である。神代はタカミムスビの後になって、神様の性別が分かれてからイザナギの息子の息子……と系譜がつながり、ニニギノミコトから神武天皇へとつながり、人代は神武天皇の後、息子の息子……と系譜がつながり悠仁殿下に至る。悠仁殿下が神武天皇の伝説以来の歴史を受け継いでいる重みがわかろうか。
この男系継承は、今まで一度の例外も無く続けられてきた。この伝統を続けるか続けないか、日本にこれより大事な政治の問題は無い。
大御心は悠仁殿下にある
悠仁殿下は、先帝陛下からも皇位継承者として期待されている。
一般の七五三に当たる儀式を、皇室では「着袴の儀」と言う。悠仁殿下が5歳の平成23(2011)年にも行われた。本来は春に行われるはずだったが、東日本大震災で延期となり、11月3日に行われた。言うまでもなく、明治の日だ。悠仁殿下に、偉大な帝王だった明治天皇のように育ってほしいとの期待がわかろう。
当時の天皇陛下(今の上皇陛下)から着物が送られた儀式だ。この時に送られた着物は、襟の綴じ糸が山科流だった。通常の綴じ糸は高倉流と言って、斜め十字に綴じられている。ところが、悠仁殿下が送られた着物の綴じ糸は、山科流と言って縦十字だった。これは有職故実に詳しい人たちに、衝撃と感銘を与えたと聞く。
大御心は悠仁殿下にある、と。
天皇陛下と皇太子殿下だけが許された綴じ糸
平成時代、山科流の綴じ糸が許されたのは、天皇陛下(今の上皇陛下)と皇太子殿下(今の天皇陛下)だけだ。上皇陛下が在位中から、いかに悠仁殿下に御期待されているか、この一事でわかろう。天皇陛下は重い立場にあるので、想いを軽々しく口にしない。静かに行動で示す。
現在、秋篠宮殿下が皇嗣(次の皇位継承予定者。皇太弟)として控えておられるが、次世代の皇族男子は悠仁殿下お一人。支える皇族が無くてはならない。
そこで政府は、旧皇族の男系男子孫の皇籍取得を提言している。これの何が重要か。
もし悠仁殿下がご無事に成長され、ご無事にお妃選びが行われ、ご無事に男子がお生まれになり、そのお子様がご無事に即位されれば、何も考えることは無い。しかし、障害は多い。何より、絶対に子供が生まれる技術など無いのだ。どんな制度であろうと、常に皇位の継承は不安定だ。男系以外の女系に拡大しても、あまり変わらない。
世の中には「男系で行き詰まった時に備えて、女系継承を容認しておくべきだ」と主張する論者もいる。たとえば、女系天皇容認論の主唱者の所功京都産業大学名誉教授だ。ただし、悠仁殿下ご誕生以降は当面は必要ないと述べ、女系容認論を控えている。それはそうだろう。これまで続いてきたものを続ける努力をせずに、途切れた時に備える議論だけするなど、本末転倒も甚だしい。
憲法の人権原理を皇室に持ち込まないのが常識
そこで、昭和22年に日本国憲法と現行皇室典範の施行後も皇族の地位にありながら、占領軍の圧力で皇籍離脱を余儀なくされた、旧皇族の男系男子孫の方々に皇籍を取得していただこうとの提案がなされている。当時皇族だった方々が「元皇族」で、その子孫の方々は一般に「旧皇族」と呼ばれる。別に、昨日まで国民だった方々が今日皇族になって、明日天皇になる話ではない。旧皇族の男系男子孫の方々の次の世代の方々には生まれた時から皇族としての自覚を持って育っていただき、悠仁殿下をお支えしていただこうとの趣旨だ。
これを「憲法14条が禁止した門地による差別だ」との議論が一部にあるようだ。要するに、国民の中から誰かを皇族にすると差別に当たると言うが、「皇室は身分制の飛び地」という言葉を知らないのか。現在でも女性は婚姻により皇族になることはできるが、男性はなれない。14条が禁止する性別による差別が行われているが、誰も問題にしない。皇室の話に人権を持ち出すなど、憲法学の多数説が認めないからだ。たとえば宍戸常寿東京大学法学部教授は、「疑義がある」と言いながら乗り越えるべき論点を整理しつつ、「飛び地」であることを認めている。合理的な区別である以上、憲法の人権原理を皇室に持ち込まないのが常識なのだ。
一筋縄ではいかない皇籍取得
日本国憲法は、皇室の問題は皇室法に委ねている。これまた女系論を主唱した園部逸夫元最高裁判事によれば、皇室法とは「制定法、慣習、先例、条理、伝統等」である。女系天皇容認など、あり得ない。
だが、旧皇族の皇籍取得も一筋縄ではいかない。旧皇族の方々は、600年以上前に今の皇室と分かれた「もう一つの皇室」である。あまりにも血縁が遠い。この問題意識は300年前に新井白石が抱いた。だから旧皇族の源流である伏見宮家は当時も存在していたが、より血縁が近い閑院宮家を創設した。そして約60年後に皇室の直系が絶えた時、閑院宮家から光格天皇が即位し、皇統を保守した。300年離れていても問題だったのが、今は600年だった。
そこで参考になるのが、これまた女系論の主唱者だった笠原英彦慶応大学法学部教授だ。笠原教授は、女系を容認した場合に最大の問題となるのは皇婿殿下であり、単なる一般国民では務まらない。旧皇族の方々以外にいるのか、と問題提起している。悠仁殿下ご生誕以前の議論だ。私は女系天皇容認論者でも、話ができる方々の意見は拝聴する。
皇族の方々の人生に口を出すなど恐れ多いが、国の大事だから述べた。
―[言論ストロングスタイル]―
倉山 満
’73年、香川県生まれ。憲政史研究者。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、「倉山塾」では塾長として、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交についてなど幅広く学びの場を提供している。主著にベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』や、『13歳からの「くにまもり」』を代表とする保守五部作(すべて扶桑社刊)などがある。『沈鬱の平成政治史』が発売中
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