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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
同じ日本人といっても、昔の日本民族と現代の日本国民では別人のような日本人である。
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江戸時代後期に日本を訪れた西洋人は、日本では子供達の余りにも幸せにしている事に驚いた。
日本民族が子供や女性を大事にしたのは、数万年前の旧石器時代・縄文時代からの民族宗教・神話宗教が根底に存在していたからである。
日本民族とは、氏神・祖先神の人神崇拝者であった。
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人口爆発の昭和40年代頃までの日本人=日本民族は、子供を愛し国の宝として地域社会、大人達が守り育てていた。
それが、マンガの「サザエさん」であり「ドラえもん」の日本であり、現代日本、現代の日本人とは正反対の日本人であった。
日本民俗的に言えば、子供は家に富と幸せをもとらす「騒々しい五月蠅い座敷わらし」であった。
日本のマンガ・アニメなどでは、主人公は男性の大人ではなく子供や女性である。
武士が慣れ親しんだ古典の能では、死が近い翁、老婆や死んで彷徨う亡者、幽霊であった。
日本には、子供達に聞かせる歴史的伝統的文化的宗教的民族的な「昔話」が全国に数多く存在する。
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2023年5月11日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「「子供嫌い」の日本、アメリカと価値観が違う背景 アメリカでは子供は小さな大人、日本では?
日沖 健
日本では子供の遊ぶ声がクレームになることも(写真:YUMIK/PIXTA)
© 東洋経済オンライン
少子化問題について、政府は給付金の支給など経済対策を進めています。一方、SNSでは「子供なんて大嫌い。お金があったとしても、別に子供は欲しくない」という意見をよく目にします。
もちろん個人差はありますが、一般論として、子供嫌いが指摘される日本人とは対照的に、子供好きだといわれるのがアメリカ人です。今回は、アメリカとの比較を踏まえて、「日本人は子供が嫌い」という仮説と少子化対策のあり方について考えてみましょう。
アメリカ人は子供が好き、日本人は嫌い
筆者の近所にあるイタリア料理店の入り口に、「おや?」と目を疑う表示があります。
「ペット同伴可のお店。ペットとご一緒にどうぞ」
「小学生以下のお子様の入店はご遠慮願います」
店主の意図はわかりませんが、ともあれ「子供よりもペット」という昨今の風潮を象徴しています。この店だけでなく、日本ではちょっとした高級店だと「子供連れ禁止」が当たり前です。
アメリカでも、ニューヨークの金融街などでは、子連れ客に対し迷惑料を取る店があるようです。ただ、「子供連れ禁止」という店はまれで、たいてい子供を歓迎します。高級レストランでも、幼児用のハイチェアが用意されていて、家族連れが楽しく食事しています。
日本では、公園で遊んでいる子供によその大人がやさしく声を掛けるということは滅多にありません。むしろ、昨年長野市内の公園が近隣住民の「子供がうるさい」という苦情を受けて閉鎖されたように、子供は平穏な生活を脅かす邪魔者です。
アメリカでは、通りがかりのおじさん・おばさんが子供を見つけると、「adorable!(可愛い)」とか言いながら寄ってきて、子供の頭を撫でたり、抱き上げたりします。見ている日本人の筆者は、トラブルにならないかとハラハラします。
子供は小さな大人か、別の生き物か?
OECDの2021年統計によると、1970年に生まれた女性の50歳時点の生涯無子率は、日本が27%で先進国で最高値、アメリカは11.7%で最低値です。
子育てにお金がかかることや子供がうるさいことは、日本でもアメリカでも同じはず。にもかかわらず、両国でこういう大きな違いが生まれているのはなぜでしょうか。
筆者は以前、ボストン大学のグレッグ・シンガー教授から興味深い仮説を聞きました。日本の大学でも教鞭を執った経験がある知日派のシンガー教授によると、「アメリカでは子供は小さな大人、日本では大人と子供は別の生き物」だそうです。
シンガー教授が例示したのは、クリスマス・お正月の過ごし方です。「アメリカではクリスマスの夜、家族が1つの部屋に集まって過ごす。日本では、お正月に親族が本家に集まって、大人たちと子供たちで別の部屋に分かれて食事をする。高校生ぐらいになって大人部屋への参加を許されると、自分は大人の仲間入りをしたのだと実感する」。
アメリカには「成人」という明確な概念はありません。子供は本質的には大人と同じ生き物で、成長して連続的に大人になります。日本では、子供は「別の生き物」として生まれ、育ち、大人部屋への参加を認められ、昔は元服・今は成人式を迎えて「人間に成る(=成人)」わけです。
日本人に限らず、人は自分と同じ相手を好きになり、違う相手を嫌います。恋愛では、自分と価値観・嗜好が同じ相手を好きになり、「ちょっと違うなぁ」という相手を嫌います。古来、民族紛争が絶えないのも、自分と違う民族を嫌うからでしょう。理屈がどうこうではなく、人間の自然な感情です。
この自然な感情は、大人と子供の関係にも当てはまります。アメリカの大人は、自分と本質的に同じ子供のことが好きです。日本の大人は、「別の生き物」である子供を嫌います。これが、シンガー教授が主張する「日本人は子供が嫌い」な理由です。
家父長制が関係か
日本人の「大人と子供は別の生き物」という考え方は、どのように形成されたのでしょうか。伝統的に日本社会の特徴になっている家父長制が、関係しているのかもしれません(ここからは筆者の分析です)。
家父長制とは、一家の長である家長が、他の家族の人たちに対して絶対的な支配権をもつ家族制度です。家長は成人男性で、「一家の大黒柱」として弱者である女性・子供を養い、家を守ります。女性・子供は家長に隷属します。
家長の座は、嫡男(家長が産んだ男子、原則として長男)に継承されます。ただ、嫡男といっても元服・成人するまでは子供で、家長に養われる弱者です。元服・成人して大人になると、養われる弱者から養う強者に大変身します。
このように、家父長制における支配する家長(大人)と支配される子供という関係、ある時点を境に子供が大人に大変身するという慣行が、「大人と子供は別の生き物」という考え方に繋がっています。
家父長制は、中世に始まり、武家から商家・農家に広がり、1898年の民法制定でルール化されました。戦後の民法改正で廃止されましたが、今も戸籍・相続といった制度や冠婚葬祭などの慣習に家父長制が色濃く残っています。
そして、日本だけでなく中国・韓国など家父長制が濃厚な東アジア諸国で少子化が深刻になっていることから推察される通り、家父長制は今日の少子化に大きな影響を与えています。
戦前までの前近代社会では、家父長制は子供を増やす方向に作用しました。当時は、農業や家内制手工業が主体で、家長を中心に家族単位で働きました。家族は労働力なので、家長は将来の働き手になる子供を増やそうとします。
ところが、資本主義経済が発達した現代社会では、家族の人たちは家を離れて会社員として個人で働きます。女性も社会参加します。すると家父長制は、次のように子供を減らす方向に作用します。
家父長制が、日本の少子化の有力な原因に
① 家長である成人男性には、女性・子供を養えるだけの経済力が要求されます。日本・韓国では男性が正社員として働いていること、中国では男性が住居を購入していることが結婚の事実上の条件になっており、結婚のハードルが上がっています。
② 家父長制では、結婚してから子供を産む想定になっており、非嫡出子を認めていません。子供の総数に占める非嫡出子の割合は、日本2.3%、韓国1.9%とOECD平均の約40%を大きく下回っており、①の結婚難と相まって少子化を促します。
③ また、家父長制で女性は、家長に隷属し、家長や家族の人たちに奉仕する存在です。そのため、家事・介護の負担が女性にのしかかり、働く女性の出産・育児を困難にします。
このように、家父長制は、現代社会では子供の数を減らす方向に強く作用しています。家父長制が、今日の日本・中国・韓国の少子化の有力な原因になっていると考えられるのです。
1990年の「1.57ショック」以来、政府は子育て世帯への経済的支援など少子化対策を進めてきました。しかし、ここまでの考察から、経済的支援だけでなく、家族制度など社会の仕組みを改革し、家父長制の呪縛を解き放つ必要があります。
もちろん、社会の仕組みを変えるのは容易ではありません。夫婦別姓など家族制度を巡る最近の議論を見ると、「この国の形を変えるな」という保守層の主張は頑強です。保守層以外の国民の間でも、「社会を大きく変えてでも、少子化問題を何とか解決したい」という合意は形成されていません。
岸田首相は、2月1日の衆院予算委員会で同性婚について、「家族観や価値観、そして社会が変わってしまう」と懸念を表明しました。この発言は同性婚に限定したものでしょうか、それとも社会を変えること自体に後ろ向きなのでしょうか。岸田首相が進める「異次元の少子化対策」の行方が注目されます。
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