🕯160─1─情緒で千羽鶴を送るのは日本では美談・善意だが外国では迷惑・嫌悪。~No.337No.338 

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 日本人は世界で愛されているはウソであり、日本は世界で信用され信頼されているはウソであり、その為に日本が世界で理解される事はありえない。
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 2023年2月14日 YAHOO!JAPANニュース 中央日報日本語版「トルコに「千羽鶴」? 日本国内からも「処置に困る」指摘
 千羽鶴。[YouTube キャプチャー]
 先週トルコ(テュルキエ)とシリアで起きた大地震で両国の死者数が3万7000人を超える中、世界から続々と寄付が集まっている。このような中で、日本では「千羽鶴を送るのはどうなのか」という報道があった。
 日本では地震・大雨被害地域に千羽鶴を送ることが多い。ウクライナ戦争勃発当時にも日本人は大使館に千羽鶴を届けた。千羽鶴が幸運をもたらし、患者などの回復を早めることができると信じられているためだ。
 11日、日本ニュース番組「ABEMA Prime」はトルコ支援方案について議論し、「しばらく経って落ち着いたときに、千羽鶴を送ってくれたことが心のやすらぎになることはあると思う」としつつも「でも、パンと水がないときに千羽鶴が来ても困る」という専門家の指摘を伝えた。
 これに先立って、日本ではウクライナを見舞うために障がい者センターのメンバー40人がウクライナの国旗の色である青と黄の折り鶴を約4200匹分折って届けようとして日本国内で非難を受けたことがある。
 トルコに災害緊急救助チームを派遣している日本非営利団体「ピースウィンズ・ジャパン(Peace Winds Japan)」で医師として活動している稲葉基高氏は「お金をぶち込むのが一番いい」と話した。
 稲葉氏は「現地では必要なものが何なのか、刻々と変わる。物資は難しい」とし「水やパン、温かいものがほしいニーズはあると思うが、送って着いた時にはもう別のものに変わっている」と説明。
 続いて「Amazonでポチッとやって、それがそのままピッと届くような状況ではない。だからこそ、現場のニーズに合わせてすぐに変えられるお金がいいと思う」と話した。
 あわせて「東日本大震災の時も同じことが起きたが、いわゆるラストワンマイルを誰が届けるのか。それを届ける人がいないと届かない」と付け加えた。
 同団体で広報および企業提携を担当している新井杏子氏も「一日ではなく、数時間ごとにそこの場所にどんな人がいて、何が必要か変わってくる」と話した。
 あわせて「そこに合わせてタイムリーに物を届けるのは難しい。特に海外では、その国の人が慣れ親しんでいる食べ物がある」とし「私たちも物資支援を送るときに、なるべくその近隣の国で調達していた。距離が近ければ到着も速いし、カルチャーギャップも少ない」と説明した。寄付したお金は具体的にどのように使われるのか、見えにくい面があることから、新井氏は「使い道をしっかり見て、考えて託してほしい」と伝えた。
 韓国でも寄付が相次ぐと在韓トルコ大使館もSNSを通じて「救援物資のうち中古品は受け付けない」と公示した。中古品についているかびや細菌などによって衛生問題が発生する可能性があるためだ。また、一部で救援団体を詐称した組織が活動しはじめると大使館側は「信頼できて名前が良く知られた組織を通じて救援物資を送ってほしい」と呼びかけた。在韓トルコ大使館がシェアした現地で必要な物品リストは△缶など腐らない食べ物△防寒用品△生理用ナプキン△服△テント△バッテリー△ベッド△テント用マットレス△寝袋△ガスストーブ△保温瓶△ヒーター△移動式トイレ--などだ。
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 1月28日 MicrosoftStartニュース プレジデントオンライン「なぜ被災地に千羽鶴を送ってしまうのか…イザというとき日本人が情緒に流されてしまう根本原因
 茂木 健一郎 の意見
 「被災地への千羽鶴」は日本では美談として扱われることが多い。脳科学者の茂木健一郎さんは「生活必需品が求められているタイミングに千羽鶴が届いても迷惑なだけ。日本人は情緒に流されてしまう傾向があるが、これは日本の学校教育に問題があるからだろう」という――。
 千利休像(長谷川等伯画、春屋宗園賛)(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons)
 © PRESIDENT Online
 ※本稿は、茂木健一郎『「本当の頭のよさ」を磨く脳の使い方』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。
 ここ数十年の日本の教育に対する不満
 日本は教育大国だと、長年言われてきました。
 資源のない小さな島国が国際社会で存在感を発揮するには、僕たち1人1人が知性を磨かなければならない。日本では、人間こそがすなわち資源なのだ──。そんなことを学校の先生から教えられた人もいるのではないでしょうか?
 そう、本来、教育とは知性、本当の頭のよさを磨くもののはずです。しかし、僕には、ここ数十年の日本の教育が日本人の本当の頭のよさを磨いてきたとは、到底思えないのです。
 千利休、幕末の志士に感じる「頭の良さ」
 たとえば僕は、千利休(1522〜1591)はとてもクレバーだと思います。利休が発見した「わび」「さび」の概念は、世界中で尊ばれ、好まれる美意識、コンセプトです。
 ちなみに「わび」とは足りないものに美を見出すこと、「さび」とは時間の流れとともに変質していったものに美を見出すことです。大事なのは、千利休が発見したといっても、彼が「これがわび・さびです」と確立したわけではないということ。
 たとえば水墨画の大家、長谷川等伯や雪村などもわび・さびの極地と言っていいと思いますが、かつて日本に通底していた、そういった美意識を見出し、論理立て、わび・さびと名づけたのが千利休だったのです。
 また、明治維新という出来事も、全体を通じて非常な知性を感じさせます。外国から開国を求められている、しかし国内も一枚岩ではない、国内をまとめ外国の勢力に対抗しなければならない。
 「ペリーを怒らせるのは嫌だしなあ」「将軍の顔を潰しちゃいけないしなあ」「薩摩は長州より格が上だぞ」なんて、重要な登場人物の誰か1人でも情緒に任せて動いていたら絶対に成功しませんでした。
 明治維新を成し遂げた薩摩や長州の人たちは、いや、はからずも対抗勢力となってしまった江戸幕府の人たちも、我が藩の利益だけでなく、立場は異なっていても日本という国について考え、選択をしたはずです。
 本当の頭のよさとは「情緒に流されない力」
 千利休にしても、時は乱世なわけです。
 秩序が乱れ、戦乱や騒動が絶えない時代にあって人々の心はすさみ、厭世的な気分が国中を覆っていたはずです。そうした情緒に流される方向に添えば、生きるのは悲しい、苦しいみたいな方向に行ったって決して間違いではないわけです。もしくは人はすぐ死ぬ、祇園精舎の鐘の声だみたいな価値観だって当時すでにあったでしょう。
 しかし千利休はそこに「もののあはれ」的な美を見出すことはしませんでした。そうではなく、人は滅びる、しかしモノは滅びない、そして古びたモノ=時を経てなおそこにあり続けるモノは美しい、という非常に骨太な、情緒ではなくロジックに裏打ちされたセンスを示してみせるのです。
 そんな中世の千利休、近代の維新の志士たちが持っていた本当の頭のよさとは「情緒に流されない力」だったと僕は考えています。
 つまり、かつての日本人は「言語化されていない」けれど「情緒的ではなくてロジックに基づいた」感覚を正しくとらえる力を持っていました。
 この情緒に流されずに正しく判断する力こそがいまの時代も必要なのであり、本来、教育とはそういった部分を伸ばしていくべきだと僕は考えています。
 テストで判定できる知識は役に立たない
 そのためには、たとえば外国の学校現場で取り入れられているようなディベートを重視し、プロジェクトの企画から完成までを行うプロジェクト型の教育が必要でしょうし、アートや一般教養についての深い学びも必要でしょう。
 それらは本来、テストで判定できるようなものではないはずです。
 しかし、日本の教育はいまだに暗記型、詰め込み型で、テストで成績を判定します。テストで判定できる知識で、社会に出てから役立つものがどれほどあるでしょうか。
 たとえば、いかに創意工夫してプロジェクトを立ち上げやり遂げるかは、趣味の世界でも、ビジネスの世界でも求められる普遍的な能力ですが、テストのしようがありません。英語における「用語のセンス」もテストできないでしょうね。
 もちろん、単純に英文を訳せるかどうかはテストできます。しかし、「これはペンです」を英語にできるかどうかはテストできても、そんなものは実際に外国人と話すときには役立たないでしょう。
 「あ、それはペンですよ」と、相手に教えるシチュエーションより、「心がざわっとして、ちょっと悲しくなって、でもそう言ってもらったことが嬉しかった」という複雑で曖昧な心の機微を伝えるシチュエーションのほうが、人生では絶対に多い。こうした用語のセンスを日本の英語教育で身につけられるとは、到底思えません。
 いまの日本の教育を受けた人の多くは暗記型、詰め込み型の勉強は得意でも、ディベートや質問は苦手です。しかし、世界の多くの国では暗記や詰め込みではなく、発想、交渉といった教育に力を入れている。これは実は由々しき事態です。
 日本と他国で全く違ったゼレンスキー大統領の演説
 ここまでの話を象徴しているな、と感じたのがウクライナのゼレンスキー大統領の演説です。
 2022年3月23日、ロシアのウクライナ侵攻についてゼレンスキー大統領が日本の国会で演説をしました。ゼレンスキー大統領はほかの国の国会や国連でも演説をしていて、多くの国は「あなたの国で演説したい」というゼレンスキー大統領の意志を無条件に受け入れ、対応しました。
 ところが日本だけ、「前例がないので可能かどうか」という議論がまず出てきました。結局、演説は実現したわけですが、その内容は、他国でのものとは違っていました。
 ドイツには政治姿勢を明確にするよう求め、欧州の各国には具体的な支援やケアを要求したゼレンスキー大統領ですが、日本に対しては、「日本はすぐに援助の手を差し伸べてくれました。心から感謝しています」と、まず誉めたたえた上で、夫人がオーディオブックをつくるプロジェクトに参加した際、選んだ題材が日本のおとぎ話だったことを述べました。
 そして、「同じように温かい心を持っているので、実際には両国間の距離は感じません。両国の協力、そしてロシアに対するさらなる圧力によって、平和がもたらされるでしょう」と、共感を求めたのです。
 もちろん、「ロシアとの輸出入を禁止し、軍に資金が流れないよう、ロシア市場から企業を引き揚げる必要がある」などの現実的な方策について言及もしています。
 しかし全体には情緒にあふれ、ロシアのチェルノブイリ原発の占領と広島・長崎を暗に重ね合わせるなどした、日本人の共感を求める内容の演説だったことは、皆さんの記憶にも新しいことと思います。
 「日本人にロジックは刺さらない」
 ゼレンスキー大統領が日本でだけこのような演説をした理由について、日本はウクライナと距離が離れていて物的援助は現実的ではないからとか、同じロシアの隣国としてロシアの脅威を日本が感じることが今後の国際社会に対して効果を持つからとか、日本の知識人はそれらしく解説していました。
 それらの側面もあると思いますが、僕は正直に言ってしまうと、「日本人にロジックは刺さらない」という、諸外国の認識もあるような気がしてなりません。
 つまり、情緒的なこと、感情に訴えるようなことは効果があるけれど、ロジカルに必要な支援を要求しても日本人は理解しないし、感動しない、むしろ反発するかもしれない。
 国際社会でそう認識されているからこその、あの演説だったような気もするのです。
 被災地へ千羽鶴を送る人が見えてないもの
 ゼレンスキー大統領の演説は1つの例にすぎませんが、これからも日本が国際社会できちんと存在感を発揮するためには、ロジカルに物事を判断できる力を身につけるべきでしょう。
 そうでなければ、日本人はただ単なる善意や正義心などといった感情だけで動く人たちになってしまいます。無垢の善意は、時に迷惑であるだけでなく害をもたらします。
 たとえば、よく言われるのが「被災地への千羽鶴」です。必要なのは生活必需品やお金というタイミングで千羽鶴が届いても、被災した側は、ある意味でその善意を持て余してしまうのは論理的に考えればわかりそうなものです。
 千羽鶴を送るのが悪いわけではなく、タイミングが悪いのですが、情緒に流されるとそういったことは見えなくなってしまうのですね。
 そんな現象が、このところ目立ちます。「情緒に流されない力」を鍛えることは、正解のない社会で生きていく強い力になるのです。情緒に流されない力、つまりロジックの力、論理的思考力です。

                    • 茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう) 脳科学者 1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。クオリア(感覚の持つ質感)を研究テーマとする。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。近著に『脳のコンディションの整え方』(ぱる出版)など。 ----------

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 2022年4月28日 神戸新聞NEXT「連載・特集連載・特集プレミアムボックス
話題
 なぜ人は千羽鶴を折るのか 日本折紙協会に聞いた 「海外にも折り紙文化はあります」
 願いを込めて折られた千羽鶴(Junko/stock.adobe.com)
 願いを込めて折られた千羽鶴(Junko/stock.adobe.com)
 在日ウクライナ大使館に送ろうとした千羽鶴をめぐって巻き起こった議論。侵略に抗っている戦時下、送ることを控えるべきなのか、何が必要な支援なのか見極めるべきではないか、一方、千羽鶴を折ることまで否定するのは行き過ぎではないか、SNSではさまざま観点から賛否の声が上がっています。そもそも、なぜ私たちは千羽鶴に思いを託すのでしょうか。折り紙の国内外の普及に取り組む日本折紙協会(東京)に聞きました。
 日本の折り紙文化は、和紙という素材、折りたたむ文化など重なって、開花したといいます。しなやかで破れにくい和紙は、書写目的以外に住環境や生活用品のほか、紙垂や御幣など神事にも使われるようになります。平安の貴族社会では畳んで懐中に入れる料紙や懐紙があり、鎌倉時代武家社会では礼法折り紙が浸透し、雄蝶雌蝶や熨斗包みはその名残です。それらの儀礼的な折り紙の余技として、鶴や舟などの「遊戯折り紙」を楽しむようになり、江戸時代には庶民の間に広まりました。これが今に続く折り紙です。
日本折紙協会編集部の青木伸雄さんに聞きました
ー古来より鶴は縁起の良い鳥とされていますが、千羽鶴はそこからでしょうか
 「鶴は千年という言葉もあり長生きの代名詞にもなっています。千羽鶴の「千」は元々は「数が多い」というだけの意味で、一枚の紙に切り込みを入れて、一部が繋がった正方形を切り出して折る「つなぎ折り」のことでした。江戸期の寛政9(1797)年に出版された『秘伝千羽鶴折形』は世界最古の遊戯折り紙の本として知られ、49種類の繋ぎ折り鶴が紹介されています」
ー現在の千羽鶴とは異なります
 「ごく初期の折り鶴は、祓え(神に祈ってけがれを清め、災厄を取り除くこと)の形代(人の身代りに罪やけがれを移す人形)の意味合いが強いものでした。息を吹き込むのは、けがれを託すことの名残です。現在の糸で繋ぐ千羽鶴は、繋ぎ目が切れやすい洋紙が出回るようになったことと、広島で被爆10年後に亡くなった佐々木禎子さんの悲話から有名になりました。『サダコの千羽鶴』の物語を経て、今の祈願的なものに移り変わったと思います」
ー様々な願いを込めた現在の千羽鶴は比較的最近の形なんですね
 「さらに言えば折り紙は日本固有の文化ではありません。15-16世紀頃の洗礼証明書や布のテーブルナプキンを折り畳んで飾り付ける「ナプキン折り」がありました。ドイツの教育者フリードリッヒ・フレーベル が19世紀中頃に創始した教育法には、ヨーロッパの伝承折り紙と幾何学模様(模様折り)が含まれています。明治期、日本の幼稚園教育にフレーベルの教育法が取り入れられ、日本の折り紙に影響を与え、片面に着色した正方形の「いろがみ」も教材として普及しました」
ウクライナの教会であった犠牲者追悼ミサを報じるニュースの写真を見ると、折り紙らしきものが遺影のそばに飾られていました
 「写真だけでは折り紙らしきものが何かは判別できませんでした。以前スペインで起きた鉄道テロの際には、教会での追悼を伝える記事の中で、人型に切った紙を亡くなった人の数だけ(手が繋がった)切り紙の手法で作って吊るしたという内容を覚えています」
ウクライナ千羽鶴を送ることについて
 「『ウクライナ千羽鶴を届けたい』といった相談は寄せられてはいますが、こちらでは先方の事情を把握できていないので、送るようには伝えていません。お気持ちとしては皆さん平和を願ってのことと思いますが、それが今、ウクライナの状況で実際にどのように役に立つかということは我々も想像がつかないので…」
 青木さんによると、折り鶴はツルをかたどったものではなく、折っていくうちにできた四芒星をもとに、最後に首を曲げた瞬間に「鶴が生まれた」と考えるのが自然といいます。「千羽鶴に込められた日本人の思い、願い、祈りを機微を込めて海外に伝えるのは相当難しいのではないか、と個人的には思います」とコメントしています。
■折り鶴をめぐっては過去にも    
 今回の「ウクライナ千羽鶴」論争は、報道によると、2ちゃんねる創設者のひろゆき氏と、メンタリストのDaiGo氏が否定的な発言を繰り返し、拡散したようです。戦争と災害の違いはありますが、東日本大震災以降、「被災地に折り鶴を送るのは迷惑ではないか」というテーマは、ネット上で繰り返し話題になっています。
 外務省のサイトによると、東日本大震災間もない2011年3月21日には、ウクライナ・ルガンスク国立大学外国語学部の学生と教員が、9時間かけて千羽鶴を折り、被災者への支持を示しました。千羽鶴の作成は、日本語を学ぶ女子学生の1人が千羽鶴が悲しみを和らげるということで呼びかけたものです。当時、同大学では40人が日本語を学んでいました。
 2016年に出版されたボランティアに関する書籍では、「広島市千羽鶴の処分に年間1億円を計上している」という事実誤認の表記があり、ブロガーの指摘を受けて修正するという問題がありました。
 広島市によると、平和記念公園の「原爆の子の像」に捧げられる折り鶴は、年によって差はあるもののおおむね10トン。市は折り鶴を処分せずに保管してきましたが、2011年度からは「折り鶴に託された思いを昇華させるための方策」に基づいて、配布を希望する個人や団体に渡すようになり、2011年度は101・8トンだった折り鶴の保管量は2022年3月は22・6トンに。市の施設で保管しているため、折り鶴に関する費用は(1)原爆の子の像に捧げられた折り鶴を市の保管施設へ運搬(2)折り鶴の配布を希望する個人・団体への運送料が主で、合わせて約250万円といいます。
 (まいどなニュース・竹内 章)
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 千羽鶴はどうして折るの? 千羽鶴の由来を紹介
 折り鶴を千羽(たくさん)折り、糸で束ねる「千羽鶴」。クラスメイトが入院したときなどに、病気がすぐによくなるよう願いを込めて作ったことがあるという方も多いのではないでしょうか。また、部活動でいい結果が出せるようチームメイトと一緒に作ることもあるでしょうし、広島平和記念公園には平和の願いを込めてたくさんの千羽鶴が贈られています。
 しかし、どうして何か願いごとをするときに「千羽鶴」を作るのでしょうか。
ここでは「千羽鶴」を折ることの意味や由来をご紹介します。
 千羽鶴の由来
 神様へのお礼として、折り鶴や鶴の絵を描いたものを神社に奉納していたものが折り鶴の由来であると言われています。また「鶴は千年 亀は万年」ということわざがあるように鶴は長寿の象徴としてもとらえられており、江戸時代には庶民の間で「折り鶴を折るたびに寿命が延びる」として折り鶴を作ることが流行したそうです。
江戸時代にも折り鶴の本が出版されており、明治時代以降になるとオリジナリティあふれる折り鶴作品も見られるようになりました。
 戦争中になると、戦場へ行った家族が無事に帰ってくるように願いを込めて鶴を折るようになります。次第に千羽鶴は「神様へのお礼」に加えて、「願掛け」という意味あいを持つようになっていったとされています。
 どうして千羽折るのか、という点については、前述のことわざのように「鶴は千年だから」、であるとか、「千は数が多く縁起がいいから」であるとか諸説ありますが、明確な答えはありません。
 神社に奉納する際、数が多ければ多いほど神様への気持ちの強さを大きく表せると考えられていたそうですし、実際に千羽でなくても、たくさんの折り鶴が束ねられたものであれば千羽鶴と呼ばれています。もともとたくさんあれば何羽でもよかったものに、縁起が良い数字を付け足そうと考え、シャレて「千」という数字を呼び名に入れるようになったのかもしれませんね。
 千羽鶴が非核の象徴になっている理由
 現在、千羽鶴は「非核の象徴」や「平和の象徴」であるとされています。
その由来は広島平和記念公園の「原爆の子の像」になっている、佐々木貞子さんにあると言われています。
 佐々木貞子さんは2歳のときに広島に投下された原爆で被ばくし、12歳のときに急性白血病と診断されました。
 それから9カ月にわたる苦しい闘病生活が始まるのですが、貞子さんはその間「千羽鶴を折ると願いが叶う」と信じて、鶴を折り続けたのです。しかしその願いむなしく、貞子さんは12歳でこの世を去ってしまいます。
 貞子さんの物語は広島の市民に広く知られ、次第に世界中に広がっていきました。その後、「平和の子の像」が作られ、貞子さんと、彼女の象徴でもある折り鶴(千羽鶴)が「非核の象徴」「平和の象徴」として考えられるようになったと言われています。
 折り鶴
 以上が千羽鶴の意味や由来です。外国でも「Origami」と言えば通じるほど世界中に知れ渡っている折り紙。その定番のひとつが折り鶴です。外国の方へのお土産として渡してあげれば喜ばれることでしょう。その際はここで紹介した由来や意味をお話してみてはいかがでしょうか。
 【日本のおみやげ.com】
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 日本大百科全書(ニッポニカ) 「千羽鶴」の意味・わかりやすい解説
 千羽鶴 せんばづる
 千羽の折り鶴を糸でつないだものや、千羽のツルを描いた絵、また模様などに数多くの鶴を染め出したものをいう。日本では昔から鶴はめでたい鳥とされ、それが千羽そろったのをことさらに吉兆とした。千羽は多数の意で、かならずしも正確な数をいうのではない。起源は明らかでないが、いまも古い社(やしろ)に奉納されている昔の額などに千羽鶴の絵をみることができる。また、折り鶴を祈願の意で社寺に奉納する風もあった。最近は社寺だけでなく、幸福の祈願と、慰安や祝福の意を込めて、病気や不幸を負っている人に贈ることが行われる。
 [丸山久子]
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 2018年07月11日 13時17分 公開
 「被災地に千羽鶴はやめるべき」議論が西日本豪雨で再燃 熊本地震で現場はどうだったか、熊本市に聞く
 「平成30年7月豪雨」の被災地へ支援の動きが高まる中、「千羽鶴を贈るのだけはやめて」という呼び掛けが話題に。熊本地震の際、現場で千羽鶴に困るようなことはあったのか、熊本市の復興総室に取材しました。
 [黒木 貴啓,ねとらぼ]
 西日本を中心に大きな被害をもたらした「平成30年7月豪雨」。被災地への義援金自治体や企業が募集するなど支援の動きが高まる中、「被災地へ折り鶴を贈るのは自己満足でしかないからやめるべき」という呼び掛けが、Twitterで議論の的となっています。熊本地震の際は、こうした千羽鶴や色紙といった励ましの贈り物はどれほど届き、処置に困るようなことはあったのか――熊本市の復興総室に取材しました。
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 折り鶴は「完全に作る側の自己満足でしかありません」
 議論を呼び起こしたのは、東日本大震災の経験者によるツイート。折り鶴は食べられないしお金にもできない、場所を取るし、捨てづらいとし、「作る側の自己満足」として折り鶴を作る費用を募金してほしいと語っていました。
 千羽鶴といえば広島平和記念公園内にささげられるなど平和のシンボルとして知られており、大きな災害があったときにも被災地へ贈られることもあります。しかし近年、このツイートにあるような「必需品でないのに場所をとる、その上捨てづらい」などの理由から、厄介な品にしかならないので被災地へは贈るべきではないという意見が見られるように。東日本大震災熊本地震など、震災のたびにネットで物議を醸してきました。
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 千羽鶴に困る被災者のイメージ
 呼び掛けは8万回以上リツイートされ、リプライ欄ではさまざまな意見あがっていますが、賛同の声が多く見られます。「災害があってどうしようというときに千羽鶴が送られてきても何にもならない」「東北でボランティアしたときに千羽鶴の置き場所に困った」「善意の押し付け」など、「被災者を思いやるのなら、折り鶴よりもお金を送るのが一番」という声が圧倒的です。
 しかし一部では「いくらなんでも言い過ぎでは」「折り手の優しい気持ちも少しは考えて」と反感を覚える人もいます。こうした意見に「気持ちを届けたいのなら、迷惑な形ではなく助けになる形で送りましょうという話」と諭す声や、「なぜそこで相手の助けになる行動を考えられないの」と反論する声も続出。「行為を見直そう」という主張と「善意を否定された」という感情がぶつかり合いやすく、本件の議論の難しさを浮き彫りにしています。
 熊本地震のケースは
 大きな災害のたびに取り沙汰されるようになった「被災地に千羽鶴は迷惑」論ですが、現場ではどのように捉えられているのでしょうか。2016年4月14日に起こった熊本地震の際の状況について、熊本市復興総室の室長に取材しました。
 千羽鶴 被災地 迷惑 熊本地震 現場 西日本 豪雨
 熊本市復興総室サイト
――熊本地震の際は、被災地にどれほど千羽鶴が贈られて来たのでしょうか。
 室長: 量としてどれほど来たのかは、市で一元的に総括していないので具体的にはわかりません。知り合いのつてで仮設住宅所へ贈るなど、避難所、各自治体、学校などそれぞれ被災者のいる場所へ直接送るケースが多いですから。
 室長: ただ正直言うと、発災直後に千羽鶴や色紙はそれほど送られてこなかったと思います。個人からの支援物資としては、やはり水や衣類といった「生きていくために必要なもの」が優先的に届きました。千羽鶴や色紙は、震災からしばらくたって現場が落ち着いてからでしたね。届いた千羽鶴の廃棄に困っているという話は聞いたことがなく、報告書としてもあがってきたこともありません。
――市役所に届いたものはどのようにしていましたか?
 室長: 「熊本の子どもたちへ」とあったら教育委員会へ各学校に送ってもらう、「避難所の方へ」とあったら避難所へなど、状況に応じて届けるようにしていました。市役所のカウンターに飾ってあるのもあります。
――支援物資で処置に困ったことは何かありましたか。
 室長: 処置に困ったのは折り鶴や色紙よりも、避難者が少なくなった後でも日本全国から個人の支援物資が大量に届いてしまったことです。被災地のニーズは時間がたつにつれ変わってしまいます。発災直後は水、はがき、生理用品などいろんなものが必要で、それは数があるだけ助かるもの。しかし落ち着いてきてそれらが必要十分あるにもかかわらず、水、毛布、簡易型のダンボール型ベッド、乾電池、化粧品、子ども用のミルク、おしめなどが多く送られてきました。ニーズにマッチしない上に数もすごいので、持て余してしまいました。
――現段階で西日本の大雨の被災地へ支援するとすれば、どのような形が喜ばれるのでしょうか。
 室長: まず話にあるような千羽鶴や色紙を現時点で送るのは、先方が困られるので控えた方がいいと思います。というよりも、個人からの支援物資を送ること自体をやめた方がいいでしょう。
 室長: 現地ではまだ人命救助も終わっていないところもある上に、各避難所へ水や服、おにぎりといった必需品をいかに早く的確に送り届けるか、各自治体は対応に追われているところだと思います。現場のマンパワーも不足している中、そこに個人が物資を送ってしまうとさばききれず、混乱を招きかねません。
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 今回の豪雨で、自衛隊の通行の妨げになるため、支援物資を置かないよう呼び掛ける自治体もあった
 室長: 今にでも送りたい気持ちはわかりますが、被災地でボランティアや物資を受け入れる環境が整ってからの方がいいです。支援物資の申し出ようと電話も掛ける人も多くいますが、現在は他の対応で立て込んでいる状況なので、それも控えるべきかと。自治体などに、義援金を送っていただくのが最もよいかもしれません。
(黒木貴啓)
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