₩75」─4─日本軍は河南省救援物資輸送路を死守した。大陸打通作戦。泰緬鉄道。日本軍兵士の餓死・病死。1944年〜No.347〜No.348〜No.349  *    

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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 軍国日本の戦争は、侵略戦争か、自衛戦争か。
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 東京裁判は、軍国日本の人道的善意を完全否定し、全ての戦闘行為を非人道的戦争犯罪と断罪した。
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 蘇智良(上海師範大学教授・慰安婦問題研究センター)「1931年の華北満州地区での日本軍占領から1945年の日本の敗北までに、約40万人の女性が強制的に軍の慰安婦にされ、少なくともその半数は中国人であった」
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 日本軍は、戦場で孤児となった幼子を拾って兵舎に連れ帰り食事を与えて養育し、日本人でも中国人でも養子として引き取ってくれる相手を探した。
 引き取り手がなければ、見つかるまで面倒を見ながら一緒に転戦した。
 大きくて自分で分別が付く子は、負けだした日本軍といると録の事はないと見切りを付けて逃げ出した。
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 日本人兵士は、「女性を殺すと化けて出て呪われる」とか「子供を殺すと祟られる」という土着的迷信を恐れていただけに、無意味に女や子供を殺す度胸はなかった。
 日本の男にとって、女は夜叉であり、鬼であり。山の神であり、最も怖い存在であった。
 日本の大人にとって、「地頭と鳴く子には勝てない」として聞き分けのない子に手を焼き、面倒な子育てを女に任せて仕事を言い訳にして逃げ回っていた。
 日本の家庭は、女天下で男のいる場所はなく、子供からも煙たがれて嫌われていた。
 亭主関白はその裏返しとして、哀れな男達の悲しい空威張りに過ぎなかった。
 女天下の方が、亭主関白より数段強かった。
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 中国駐在のアメリカ軍諜報機関は、日本軍は戦局が悪化し撤退する時期に生物兵器を使用していないとの調査レポートを作成した。
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 中国共産党は、占領地で虐殺を行っていた。
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 1944年 毛沢東は抗日戦を叫びながらも裏で日本軍と手を結び、蒋介石と軍国日本を戦わせて漁夫の利を得ていた。
 八路軍は、解放区で芥子栽培を行いアヘンを精製して、日本軍占領地と親日傀儡政権で結託していた。
 延安の中国共産党は、積極的に日本軍と商売を行い、日本製品が晋西北の各県に溢れていた。
 アメリカ軍は、中国共産党と軍国日本の裏取引を知らずに、中国共産党に抗日戦の為の軍事費や軍需物資を送り続けていた。
 東條英機首相は、中国共産党との裏取引を黙認していた。
 中国共産党は、指導者であるソ連が軍国日本と中立条約を結んでいる以上、ソ連の意向に逆らって日本軍を攻撃する事はあり得なかった。
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 1月 マッターホーン作戦。中国─ビルマ─インド戦線におけるB29作戦の為に第58航空団のケネス・ウルフ准将を少将に昇進させ新設した第20空軍を任せた。
 アルビン・C・ウェリング工兵准将は、中国とインドに4ヵ所ずつ計8ヵ所の重爆撃機基地建設を開始した。
 期限の4月までに、8ヵ所の作戦基地建設を人海戦術で完成させた。
 B29編隊150機は、5機はエンジントラブルで途中で引き返し、残りは4月2日にインドに到着して、4月19日に全機が基地に集結した。
 日本陸軍第5航空軍(通称「隼」)には、航空情報隊という特別情報機関を持ち、中国におけるアメリカ陸軍航空部隊や重慶軍側の機密無線を傍受し解読していた。
 B29編隊は、インドから成都を経由で爆撃目標に向かう場合、日本側の間諜に発見される為に奇襲攻撃は不可能であった。 
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 3月8日 インパール作戦で、日本軍は補給を軽視した為に敗走した。
 日本軍第15軍約10万人の内約3万5,000人が戦死し、そのほとんどが餓死か病死とされた。
 連合国軍は、進撃の足手まといになるとして、日本軍兵士捕虜を殺害した。
 インド人兵士は、イギリス軍の命令に従って、日本軍兵士捕虜の負傷者や病人にガソリンをかけて、生きたまま焼き殺した。
 戦争の勝利は、全てに優先するというのが世界常識とされた。
 連合国軍の行為は、日本軍の捕虜虐待に対する報復として合法とされた。
 公式記録は、日本軍の玉砕とされた。
 宗教的科学的人種差別が、世界の常識である。
 日本軍兵士捕虜で助けられた者は、英語やフランス語などの外国語を話せる者か、日本軍の機密情報を話した者か、日本軍や日本人避難民の居場所を教えて攻撃に協力した者だけである。
 事実。そうした協力的な日本兵士捕虜が多く存在したといわれている。
 「良いジャップは、死んだジャップである」
 ビルマやタイの民族派は、連合国に協力して敗走する日本軍を攻撃した。
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 4月 南方物資の華北への輸送路を切り開き確保する一号(大陸打通)作戦の発動。参加兵力約51万人。車輌1万5,000輌。馬10万頭。
 第12軍主力は、洛陽・鄭州から信陽を経て漢口に到る京漢鉄道線を確保した。
 日本軍は、翌年45年2月迄に約2,400キロを踏破し、南方からの補給路を確保して初期目的を達成した。 
 日本陸軍は、中国大陸を南北につなぐ鉄道輸送路を確保するや、上海・南京にある医薬品と長沙などの華南穀倉地帯の食料を河南省の被災地に運び込んだ。
 4月28日 中国軍爆撃機は、河南省の生命線である京漢線の黄河鉄橋を空爆して破壊し、日本軍による河南省の被災者に届ける食糧と医薬品の救援物資輸送を妨害した。
 抗日中国軍は、河南省への救援物資の輸送を遮断する事で、飢餓を煽り、自国民を死に追いやっていた。
 河南省に、ペストや赤痢やインフルエンザが大流行して、餓死者に加えて病死者が増大した。寒冷地の為に、マラリアコレラチフスの蔓延はなかった。
 中国軍は、侵略者日本軍が非人道的細菌兵器を使用したと世界の報道機関に発表した。
 ユダヤ系国際報道機関は、中国側の発表を信じて軍国日本を非難した。
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 ヒルダ・ラバウ「ヨーロッパで皆殺しになった人々を思えば、上海は楽園でした」
 上海のユダヤ人難民(約4万人)は、日本軍の保護下でナチス・ドイツホロコーストから護られていた。
 ニューヨークの合同配給委員会(ジョイント)は、A級戦犯賀屋興宣蔵相(〜44年2月19日)の許可を得て上海のユダヤ人難民達に僅かであったが生活資金を送金していた。
 ユダヤ人難民救済は、昭和天皇が望んでいた事であった。
 日本天皇は、反ユダヤ派ではなく親ユダヤ派であった。
 ヒトラーから逃げて来たユダヤ人難民を助けたのは、軍国日本であって、ファシスト中国や中国共産党ではなかった。 
 そして、東条英機A級戦犯達であった。
 ナチス・ドイツと親密関係にあったのは、軍国日本ではなくファシスト中国(国民党)であった。
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 ユダヤ系国際金融資本は、日本皇室の全資産を没収する為に日本天皇制度を廃絶しようとしていた。
 ユダヤ人は、反天皇反日で、日本を破壊する為に幾重にも罠を仕掛けた。
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 *洛陽攻略(A級戦犯東条英機首相兼陸軍大臣参謀総長
 5月 支那派遣軍約14万人は、飢餓民1,000万人以上を省外に流失させない様に、中国軍40万人以上が待ち構えている河南省を侵略した。
 日本軍約6万人は、中国軍約30万人が守る省都洛陽を攻撃し占領した。
 中国戦線の崩壊を防ぐには、中国人飢餓民の救済と疫病の沈静化を速やかに行う事であった。
 日本軍は、必要とされる食糧や医薬品などの軍需物資を、優先的に被災地に運び込み、被災者に配った。
 中国の再生には、食糧輸送を再開するべく橋や鉄道の修復し、社会環境を向上させるべくインフラ整備を行う為に、中国人兵士捕虜や農民を強制連行した。
 食糧増産には自然破壊を食い止める必要があり、植林事業と潅漑設備に体力があり動ける飢餓民を重労働に狩り出した。
 日本軍は、食糧を確保する為に、食糧を隠匿している地主や資産家が支配する村を襲って三光作戦を行った。抵抗する男女の民兵を殺害し、隠匿食糧を強奪して、餓死寸前の1,000万人に食糧を与えた。
 4億人の中国人民は、日本軍の犯罪行為に激怒して、抗日戦を支持した。
 日本陸軍は、莫大な予算と膨大な物資を中国人飢餓民救済の為に投入していた。
 日本陸軍と海軍は、国民の生活を犠牲にしてまでも戦争の勝利の為に、予算と物資の獲得競争を繰り返して国家予算を疲弊させていた。
 無理矢理、奴隷的重労働を強制された中国人は、日本軍を感謝するどころか逆恨みして日本人を「日本鬼子(リーベンクイズ)」「東洋鬼(トンヤンクイ)」と罵って憎んだ。
 国際世論も、全ての元凶は侵略戦争を行っている軍国日本であると非難した。
 当の日本軍も食糧不足にあった為に、自活策として、駐屯地内で農作物を作りながら敵軍と戦っていた。
 抗日中国軍と反天皇派日本人と反日朝鮮人は、各地で破壊工作を行い、日本軍の輸送網を攻撃し食糧などの物資を奪っていた。
 中国軍は、日本軍に負担を強いる為に、さらなる被災民を日本軍支配地に追い込んでいた。
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 6月5日 アメリカ陸軍航空軍は、日本本土空襲の予行演習として、B29編隊98機はインドのカラグプル基地から発進して往復3,600キロの洋上飛行し、タイのバンコックにおける鉄道施設と造船施設を爆撃した。
 カルカッタから日本本土空爆に向かうとすれば、航続距離から爆撃目標は九州に限られ、最大の目標は長崎の大村海軍航空基地であった。
 アメリカ陸軍航空軍第20軍は、44年6月から45年4月までの10ヶ月間で、49回の出撃の内日本本土空襲は9回であった。
 日本陸海軍は、本土防空の為に、優秀なパイロットを中国各地や南方方面から本土に配置換えを実施した。
 熟練パイロットは本土決戦要員とされ、未熟パイロットは特攻の消耗要員とされた。
 6月16日 アメリカ陸軍戦略爆撃部隊は、中国四川省成都の飛行場からB29爆撃部隊を出撃させ、九州北部を空爆した。
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 日本軍は、ペストやインフルエンザなどの伝染病や風土病に対する防疫対策として、細菌・毒物・毒ガスなどの生物化学兵器を研究している石井部隊(731部隊)を投入した。
 被災地に最も必要とされたのは、安心して飲める飲料水であった。
 石井部隊は、疫病対策と給水確保の為に設立された特殊部隊で、その実態は極秘とされ知るものは少なく、資料が機密扱いとされてほとんど残っていない。
 石井部隊は多くの中国人を助けたが、人体実験を行った戦争犯罪部隊として告発された。
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 中国人飢餓民達は、侵略して来た日本軍に群がり、日本軍を熱烈歓迎した。
 日本軍兵士達は、餓死寸前の者、ペストやチフスなどの重病人、重軽傷者を日本軍陣地に運び込んだ。
 日本軍医療班や従軍看護婦達は、医療に携わる者の責務として、助けを求めて来た中国人達を別け隔てなく、差別せず、治療し、食料を与え、看護した。
 日本軍兵士達は、占領地に放置され腐敗した十数万人、数十万人の中国人犠牲者を、丁重に集団墓地(万人抗)に埋葬して弔った。
 日本精神・大和心とは、敵味方に関わりなく、家族の一員のように、怪我人や病人を救護し、死者を丁重に弔う事である。
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 日本軍は、飢餓地域に食糧を供給する為に、比較的食糧がある地域で現地調達を行った。 だが。何れの地域も貧しく食糧が豊富で有り余っているわけではなかったから、平和的に、飢餓地帯の惨状を説明して食糧の供出を求めても不可能であった。
 中国人は金銀の貨幣は信用して受け取っても、日本軍の軍票はもちろん何なる政権の紙幣も信用しなかった為に、正規の値段で購入する事も出来なかった。
 日本軍は、これ以上の餓死者を出さない為に、力尽くで食糧を調達して飢餓地帯に運び込んでいた。
 日本軍がやって来るという情報が入るや、村人は食糧や家畜を隠して山林に逃げ込んだ。
 日本軍は、無人の村に入り込んで食糧や家畜を根こそぎ奪っていった。
 人間不信の中国人は、同じ漢字を使う同胞でも、同じ言語を話さなければ赤の他人、異国人扱いして平気で見殺しにした。
 日本人には、そうした中国人の国民性、民族性が理解できなかった。
 日本軍によって食糧を強奪された地域は、お互いに助け合い残った食糧を分け合おうとはしなかった為に、餓えた者は徒党を組んで血縁にない村を襲撃して住民を殺して食糧を奪った。
 襲撃された村は、別の村を襲撃して殺害と略奪を行った。
 この連鎖的襲撃による殺害と食糧強奪の原因が日本軍にあるとして、抗日武装勢力が各地に誕生し、中国共産党はそうした武装集団を傘下に引き入れて勢力を拡大した。
 特定の飢餓地域における日本軍の行動は全て裏目に出て、多くの地域で恨みを買い、人民を抗日へと走らせていた。
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 ファシスト中国や中国共産党軍は、ソ連から提供された細菌や毒物などの生物化学兵器を被災地で使用していた。
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 日本軍大部隊を動員して、河南省侵略、大陸打通作戦、江北殲滅作戦、江南殲滅作戦、常徳殲滅作戦などを実行した。
 サムライ日本人は、メシの為、米櫃の為とは考えたくはなかった。
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 上海は、日本海軍の管轄であった。
 上海の日本軍も動員された為に、上海ゲットーの管理は反ユダヤ派の久保田所長の難民事務所が行った。
 日本人の大半が徴兵されて人員不足となった為に、所員の多くが反ユダヤ朝鮮人軍属がゲットー内を取り仕切った。
 日本軍の監視が緩んだ為に、ユダヤ人難民の待遇は悪化し、治安が悪くなり、何をするにも朝鮮人軍属や日本人所員への賄賂が必要になった。 
 ニューヨークのジョイント本部は、日本陸軍の協力を得て、スイスを通じてユダヤ人難民の生活支援の資金を送金した。
 日本軍部は、昭和天皇の意向に従って上海のユダヤ人難民保護に努めた。
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 軍事費の増加が、財政を圧迫し、国民の生活を更に苦しめた。
 現代日本は、軍部による軍事費増強は愚策であったと厳しく批判している。
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 東條内閣(A級戦犯内閣)は、窮余の一策である「強制連行して奴隷的な重労働を強要する」という犯罪行為を誤魔化す為に、「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。
 日本軍が強制連行したのは、一般市民ではなく、行く場所、帰る故郷を持たない敵兵やテロリスト・ゲリラなどの捕虜であった。
 部隊によっては、中国人労働者に対して僅かながらの報酬を払った。
 この件は戦争犯罪として裁かれ、東條英機A級戦犯として処刑された。
 日本軍は、非難され、抗議され、軽蔑され、感謝されず悪態をつかれようとも、「志」の赴くままに毅然として戦争を続けた。
 最大の難所が、ビルマからタイに抜ける泰緬鉄道である。
 軍部は、食糧等の陸上輸送網の要である泰緬鉄道を、如何なる犠牲を出そうとも開通させる為に暴力的に突貫工事を行った。
 華北の飢餓民約1億人を救済する為に、十数万人の連合国兵士捕虜や地元民が犠牲になろうとも無視した。
 連合軍は、日本軍の意図を破壊する為に、抗日中国軍や東南アジアの対日武装組織の協力を得て陸上交通網を攻撃した。
 ビルマも、連合軍に協力して日本軍を侵略者として攻撃した。
 7月18日 東條英機内閣総辞職
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 後の、毛沢東の失政で大量の餓死者を出した大躍進で最も被害が出たのは、日本軍が救助した河南省であった。
 河南省は、日本軍部に助けられた事に恩義を感じないし、自己犠牲で戦ってくれた日本軍に感謝しない。
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 7月18日 A級戦犯梅津美治郎は、参謀総長に就任した。
 7月22日 小磯国昭内閣成立。
 小磯国昭A級戦犯)は、連合軍に一撃を加えた上で対米講和を図ろうとした。
 陸軍は、小磯首相の意向通りに動かなかった。
 秦彦三郎陸軍参謀次長は、最高戦争指導会議で小磯の発言に対して「近代的作戦用兵を知らない首相は口出しするな」と一括した。
 陸軍省内の強硬派は、「この内閣は2ヶ月で潰す」と公言して息巻いていた。
 小磯首相は、現役に復帰して陸相を兼務し指揮体制の一元化を図ろうとした。
 陸軍は、現役復帰に反対して小磯内閣を倒閣するべく暗躍した。
 小磯首相は、中国戦線だけでも終結させるべく、緒方竹虎情報局総裁とともに蒋介石政権との単独和平工作(繆斌工作)を画策した。
 当初は陸海軍の了解を取り付けたが、繆を信頼できない人物だと確信していた。
 昭和天皇重光葵外相、杉山元陸相、米内海相らが反対した為に頓挫した。
 9月7日 小磯国昭は、インドネシアの独立を認容する声明を発表した。
 1945年3月 重慶の国民政府との和平工作(繆斌工作)に失敗し為に、小磯内閣は4月5日に総辞職した。 
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 軍部は、中国戦線を終結させる為に、あらゆる手段を使って蒋介石重慶政権との和平交渉を求めていた。
 蒋介石重慶政権は、軍国日本に戦争終結の可能性をほのめかし、翻弄し、そして拒絶した。
 それは、陰険なる謀略であった。
 軍国日本と蒋介石重慶政権の戦争終結を望まなかったのは、毛沢東中国共産党スターリンソ連ルーズベルトアメリカであった。
 昭和天皇と軍国日本が如何に戦争終結を望んでも、叶えられない儚い夢であった。
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 日本は、アジア諸地域で戦争犯罪国家として攻撃されていた。
 日本人兵士は、戦争犯罪者として処刑された。
 彼らの魂は靖国神社に神として祀られたが、中国、韓国・北朝鮮アメリカなど多くの国々は靖国神社軍国主義の象徴として廃止を求めている。
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 日本軍は、占領地の金融政策として、親日派政府の財政・金融担当者の協力を得てユダヤ系国際金融資本と金融戦争を繰り広げていた。
 ハイマン・クブリン「日本の将校は残虐な行為を行うし、野蛮な行動も見られたが、ナチスの殺人者とは比べものにならない。捕虜や占領地の住民を虐待したりそれを黙認したりする事はあるが、それは大抵その場の激情に駆られたもので、悪魔的な大量殺戮計画の一部であったためしはない。たとえ自分の民族の優越性を確信していたとはいえ、ナチスの様に他の民族を抹殺する事でそれを立証しようとはしなかった」
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 延安の日本人共産主義者は、日本軍から脱走してきた日本人兵士を反天皇の革命闘士に洗脳して、破壊工作をさせる為に日本軍の後方に送り込んだ。
 日本軍内の朝鮮人兵士は、武器と軍情報を持って脱走し、中国軍陣営に走り込んでいた。
 反天皇の日本人は、反日朝鮮人と協力して暗躍していた。
 彼等は、日本で暴力的共産主義革命を起こし、天皇ファシズムや農村型軍国主義を打倒する事に情熱を抱いていた。
 日本軍は、四面楚歌にあった。
 戦後は、日本を破壊する為に帰国して活動を続け、反天皇感情を国民世論とするべく天皇の戦争責任を広めた。
 ピョートル・ウラジミコフ「彼等は、積極的に占領地区内の日本軍と商売を行っていたのだ……実際、晋西北の各県は色々な日本の荷物で溢れていたが、これらの日本製品は、全て占領区の日本軍倉庫から直接提供されたものである」
 「私は、偶然に新四軍総本部の電報に目を通した。この電報は、中共指導者と日本派遣軍最高司令部の間で長期間連携を保っていた事実を明らかにしていた」
 「中共指導層は数人ほどしかこの秘密を知らず、毛沢東代理人は、南京の岡村寧次大将総本部隷属の人物だ。何時だって彼は日本の反スパイ組織の厳密な保護下で、南京と新四軍総本部の間を思う存分に往来する事が出来る」(『延安日記』)
 延安の中国共産党は、活動資金を得る為に「大生産運動」としてアヘンを栽培し、日本軍や南京政府に極秘で売っていた。
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 日本軍は、治安維持と宣撫工作として、昼間に占領地区内での抗日勢力討伐に出動し、夜は抗日ゲリラの襲撃を恐れて駐屯地に閉じ籠もり息を潜めていた。
 地元住民を味方に付ける為に、全ての日本兵士に強姦や掠奪を厳しく禁じていた。
 日本兵士も、強姦している最中に地元住民に襲われる事を恐れていた。
 そもそも。日本軍が部落に入った時には、年頃の女性は逃げて、部落に残っているのは老人や子供しかいなかった。
 日本軍は、中国軍とは違って軍規や軍律は厳しく、統制が取れていた。
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 日本は、通貨価格の安定を大目標として、華北金融を聯銀券で一本化すると共に、物価の安定による物資供給の増加と食糧の増産に全力をあげた。
 日本軍部は、戦争継続の為に、政府に対して食糧などの戦略物資の増産増強を強要した。
 重慶政府は、日本軍が食糧との物資を購入できない余に金融戦争を仕掛け、日本軍占領地の食糧を買い占めた。
 華北の大飢饉は、華中での食糧需給にも悪影響を出し始めた。
 日本軍は、物資輸入を増加させると共に、南方占領地に対して米、麦、塩、砂糖、食用油、錦糸布、石炭などの増産を強制した。
 その為にも、奥地の物産を揚子江下流地域に安定供給させる為に買付物価低価統制の見直しが求められた。
 日本陸軍は、南方穀倉地帯から被災地・華北に食糧を輸送する為に、鉄道や道路の確保するべく延期していた大陸打通作戦(一号作戦)を発動した。
 労働者不足に悩む現地軍は、犯罪行為と知りながら、大陸縦断の大輸送網の建設する為に各地で人狩り作戦・労工狩り作戦を強行した。
 ビルマインドネシアなど東南アジア各地の住民は、連合国に味方し、侵略者日本軍に対する抵抗活動を始めた。
 これは、国際法違反と認定され、戦後に同作戦に従事した日本人は戦犯として処分された。
 戦後。日本軍と戦った国家は戦勝国としての権利から、賠償金を敗戦国日本から獲得した。
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 郭沫若「話しだけも胸が痛む事だ。あんな風に我々は、やれ動員だ、やれ抗戦だといって、しまも毎日毎日『最後の勝利は必ず我らのもの』などと繰り返していたが、抗戦8年の間に、いわゆる壮丁から弱丁へ、弱丁から病丁へ、病丁から死丁へという風にして踏みにじられた同胞の数は、戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりした者の少なくとも100倍以上はあっただろう。」(『抗日戦回想録』)
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 ジャック・ベルデンは、国共内戦が激化している最中、河南省には行って国民党軍と中国共産党軍・紅軍の飢えた人民に対する蛮行を調査した。
 「紅軍から村を引き継ぐと、地主もしくは国民党の将校は民衆大会を招集し、大赦を宣告するのだ。『どの村では共産党の土地政策はとても良かった』。
 国民党は、何時もこういうのだった。『我々は何一つ変更しようとは思わない。我々は、この村の村長、民兵の隊長、共産党のキャップを除いて、全ての人を許すつもりだ。誰でも、我々を恐れる必要は少しもない。しかし、諸君の中の一部の者は、共産党の宣伝によって惑わされている。諸君が村役場まで出頭して、悔恨状に署名しさえすれば、万事それで良いわけ』。
 そこで、農民達は出頭した。これ以上良い事ないと思ったので、彼等は村役場へ行って、自分が婦女会あるいは民兵に参加した事を認めた。そう言う事をしても、何も悪い事が起こらなかったので、『愚直な農民』は罠に掛かった。
 女房達は亭主を説きつけて、山の隠れた場所こら帰って来た。そして、活動的な農民が全て再び村内に入ったと見た時に、国民党は悔恨状の署名者全員を縛り上げ、公然と処刑した」
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 1944年 ベトナムで飢餓が発生した。
 仏印政庁は、ベトナム人被災民を救済する為にべく食糧を放出しなかったので200万人以上が餓死した。
 フランス人は、人種差別主義者として、ベトナム人を人間以下の獣として扱き使っていた。
 日本軍の諜報部員は、アジアを白人支配から解放する為に、ベトナム人独立派に接触していた。
 1945年 ベトナムに駐屯していた日本軍は、飢餓民を救済する為にクーデターを起こし、食料庫を開放した。
 日本軍は、ベトナム全域を支配下に置く事で餓死を食い止めた。
 だが、此の行為は侵略とされ、日本軍は戦争犯罪に問われ、時効無き有罪とされた。
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 国際司法機関は、日本軍の泰緬鉄道建設は、如何なる理由があろうとも戦争犯罪であると裁定した。
 国際軍事法廷は、泰緬鉄道建設に従事した日本人を戦争犯罪で有罪とした。
 そして、多くの日本人元兵士や親日派朝鮮人軍属が正規な弁護を受けられずに、BC級戦犯として処刑された。
 戦前の日本には、自己弁護も、自己主張も、一切許されていない。
 片岡正雄曹長「国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の杭となるなり」
 戦後。ビルマは、日本に対して戦争犯罪の謝罪と戦後賠償を求めた。
 日本は、戦争犯罪を認めて、ビルマの要求を受け入れた。
 平和憲法の日本は、アジア諸国に対して、戦争犯罪を行って迷惑かけたと土下座をして謝罪している。
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 日本の鉄道敷設技術は、世界のトップレベルにあった。
 緬鉄道は、1942年7月〜43年10月までも1年4ヶ月の驚異的な短期間の建設期間で完成した。
 鉄道建設に動員された連合国軍兵士捕虜とアジア人労働者は述べ30万人以上で、地獄のような重労働の為に夥しい犠牲者が出た。
 過労死、栄養失調による衰弱死、風土病による病死、捕虜虐待による死亡などで、捕虜の犠牲者は1万人以上で、アジア人労働者の犠牲者は3万〜6万人以上。
 犠牲者の正確な人数は、不明とされている。
 日本軍は、1944年2月に全線開通に伴い、建設で死亡した犠牲者全員の霊を慰霊する儀式を執り行い、慰霊碑を建て、合わせて「泰緬側人柱の霊」も癒やした。
 戦後、泰緬鉄道は非人道的戦争犯罪とされ、建設に関わった日本軍関係者が処刑された。
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 河南と広東だけで、600万人以上が餓死したといわれ、ペスト、チフスコレラなどの疫病などでの病死やその他の犠牲者を入れると、1,400万人以上の人々が被害にあったという。
 日本軍は、中国での戦闘を戦う為に、ペスト、チフスコレラ赤痢などの研究を重視した。
 陸軍軍医部は、乏しい医薬品を被災地に持ち込んで中国人の治療に当たった。
 日本人従軍看護婦らも、献身的に、軍医に協力して中国人の手当に当たった。
 中国に蔓延していたペスト、チフスコレラを封じ込め、死の疫病に苦しんでいる中国人を助けたのは軍国日本・軍国主義者である。
 戦後。国際法廷は、疫病の発生は日本軍の生物兵器による残虐な犯行と認定し、生物兵器に関係した日本軍将校や技術者を有罪とした。
 日本軍占領地にいたのは、731部隊などの生物兵器を研究していた犯罪部隊である。
 オーストラリアなどは、日本軍の生物・化学兵器に対抗する事を名目として、ユダヤ人国際資本の財政支援とユダヤ人研究者の協力で生物・化学兵器の研究・開発に全力をあげていた。
 ソ連軍は、日本軍に勝つ為に抗日中国軍に生物兵器や毒ガス兵器を供給していた。
 中国は、自己中心主義の為に、古代から金と性欲を極限までに追求する貪欲、貪婪を最善としてきた。
 戦いに勝つ為ならば、法律も道徳も、道理も道義も一切関係なく、卑怯や卑劣を承知で如何なる手段も実行する。
 勝利者に、盾突く敗者は誰もない。
 中国人は、祖先崇拝という正統派儒教の孝徳を守るべく、公益をかなぐり捨て、無秩序的に、どんな汚い事でもして生き残ろうとした。
 生きる事。
 とにかく生きる事。
 どんな事をしても生きる事。
 生き残る事が、正義であり、勝利である。
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 中国共産党は、飢餓民の救済を日本軍に任せたが、反日感情を利用して農村部で勢力を拡大した。
 毛沢東は、整風運動を行い、秘密警察を使って反毛沢東派を粛清して党を掌握した。
 ソ連が対ナチス・ドイツ戦で手一杯になっている事に付け込んで、アジア全体の共産主義化の主導権を得た。
 中国共産党は、中国国内はもちろん日本や朝鮮など全アジアに破壊工作員を送り込んだ。
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 日本軍兵士の多くが戦争犯罪者として有罪判決を受け、長時間苦しめられながら猟奇的な手段で処刑された。
 日本軍は、感謝される事はなかった。
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 現代日本も、歴史の全てを知り尽くしたうえで、日本軍の行動は弁解の余地もない侵略行為であったと認めている。
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 毛沢東「日本の皇軍が過去において中国の中国の大半を占領したため、中国人民は教育を受けることができた。もし日本の侵略がなければ、我々は今でも山の中にいて、北京で京劇を観ることもできなかっただろう。日本の皇軍が中国の大半を占領したからこそ、我々はたくさんの抗日根拠地を作り、その後の解放戦争における勝利の条件を作り出すことができたのだ。日本による資本の壟断と軍閥は我々に対して「好いこと」をしたのだ。もし感謝が必要なら、むしろ我々が日本皇軍の侵略に感謝したいと思う」(1961年1月24日、日本社会党議員黒田寿男らに会見した際の談話)
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 1995年 江沢民は、モスクワを訪問し、世界に向けて「日中戦争で日本軍に虐殺された中国人は3,500万人」と公表し、中国共産党軍は58万人以上の犠牲者出して侵略者日本軍を撃退したと発表した。そして、中国は日本に対して謝罪と賠償を要求する権利があると強調した。
 日本国内からも。日中戦争を詳しく調べた上で、日本軍による三光作戦などの非人道的行為が明らかである以上は、戦争加害者として誠意を持って謝罪し要求された額の戦後賠償を行うべきである声が上がった。
 日本の歴史学界は、日本軍占領下で起きたこと全ては日本軍に原因があると認めている。
 つまり。河南省飢饉は、日本軍が中国に侵略したから起きた事であり、中国人餓死者の拡大は日本軍兵士が原因であったと。
 中国共産党政府は、歴史的事実を盾にして、日本を戦争犯罪者と激しき非難し多額の賠償と謝罪を求めている。
 それは南京虐殺事件や重慶差別爆撃などの戦争犯罪に対する抗議、そして領土としての尖閣諸島問題や歴史としての靖国神社参拝問題にも通じる、徹底した反日という中国の強硬な姿勢である。
 中国は、日本に対して対等な友好など求めず、属国的に従属を要求している。
 金儲け的日本人は、国益よりも利益優先として中国側の言い分を無条件で受け入れるように求めている。
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 中国で戦死した日本軍兵士は、靖国神社で祭神として祀られている。
 中国と韓国・北朝鮮は、閣僚や政治家の公式参拝に猛反対している。
 日本国内でも、靖国神社を否定し、廃止を求める声がある。
 靖国神社に反対する者達は、日本政府に正しい歴史認識を強要するだけに、歴史の全般を詳しく知り尽くしている。
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 2013年6月30日 msn産経ニュース「西安にも抗日石碑の設置協力要請 訪中の朴氏、ハルビン駅に続き
 中国訪問中の韓国の朴槿恵大統領は29日、1940年代に日本の植民地支配に抵抗した朝鮮人らが部隊の拠点を置いた陝西省西安に、記念の石碑を建てる許可を出すよう同省の共産党幹部に要請した。聯合ニュースが伝えた。
 朴氏は28日にも、習近平国家主席に対し、初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺し死刑になった安重根の石碑を、暗殺現場の中国黒竜江省ハルビン駅に建てたいとして協力を要請している。
 中国国内にある抗日運動ゆかりの地に記念碑を建てることで、中国と韓国が歴史問題で共に日本に向き合う構図を強調したい考えとみられる。
 朴氏が石碑の設置許可を求めたのは、日本に抵抗した独立運動家らが上海で樹立した大韓民国臨時政府の傘下にあった「光復軍」が拠点を置いた場所。朴氏は、韓国は2009年から設置事業を進めてきたと述べたという。(共同)」
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 2014年7月13日 msn産経ニュース「日本政府に損害賠償980億円 中国の戦争被害遺族ら 集団訴訟の準備進める 
 日中戦争をめぐる損害賠償訴訟を支援する「中国民間対日賠償請求連合会」の童増会長は13日、河北省唐山市豊潤区の村で旧日本軍に殺害されたとする住民の遺族らが、日本政府に約60億元(約980億円)の損害賠償を求める集団訴訟を同省の裁判所に起こす準備を進めていると明らかにした。
 北京で13日に記者会見した。原告団には村民約30人が参加。提訴の時期は検討中という。原告団代表の男性(66)は「安倍晋三政権は侵略の歴史を美化している。心からの謝罪を求めたい」と話した。
 日中戦争の被害の賠償をめぐっては、北京市の裁判所が3月、強制連行されたと主張する中国人被害者や遺族らによる日本企業2社を相手にした損害賠償訴訟を受理。その後、中国国内で提訴の動きが広がっている。(共同)」
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 2016年8月27日 産経ニュース「米国人判事に『俺は東条が嫌いなんだ!』と言われた」 米慰安婦像撤去訴訟の原告、目良浩一氏が明かす訴訟の実態とは…
 産経新聞のインタビューに応じる「歴史の真実を求める世界連合会」代表の目良浩一氏
 米カリフォルニア州グレンデール市に設置された慰安婦像の撤去を求めた訴訟で、近く米連邦最高裁に上訴する方針を固めた原告の「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」の目良浩一代表(81)は、産経新聞のインタビューに応じた。これまでの法廷では複数の米国人判事から「私は東条(英機元首相)が嫌いなんだ」などと差別的な言葉を投げかけられたこともあったと振り返った。インタビューの主な内容は次の通り。
ここで引っ込むことはできない
 今月4日に連邦高裁で敗訴したことを受け、最高裁への上訴を決めた。慰安婦像の撤去を求める訴えが否定されたら「日本人は多数の女性を“性奴隷”にした」との説が正当な歴史になってしまうからだ。ここで引っ込むということは、日本の尊厳を守るためには耐えられない。やはりもう一つ頑張って上訴し、最高裁で明らかにしないといけない。
 私たちはグレンデール市の慰安婦像設置は連邦政府だけが持つ外交権限の侵害だと訴えている。慰安婦説、奴隷説が正しいかどうかというのは裁判にならないと考える。誰を訴えるかという問題もあり、慰安婦説を唱えた人となると、グレンデール市には関係なくなる。
 私たちの訴訟は地方自治体が新たに慰安婦像を設置することを防ぐために有効だということで始めた。実際、グレンデール市以降、米国内で慰安婦像は建っていない。かなりの抑止力になっていると思う。
 日本政府としての対応は「旧日本軍」の文言削除案のみ
 日本政府の訴訟に関する対応は協力的ではない。個人的には理解してくれる人もいるが、組織として何もやっていない。裁判の過程でロサンゼルス総領事館と外務省にそれぞれ参考書類の提出をお願いしたことがある。日本政府としての慰安婦像に関する考え方を説明するような書類だ。提出されれば効果があるのに出してくれなかった。
 一方、今年春、ある動きがあった。ロサンゼルス在住の日本人医師が、前グレンデール市長のナジャリアン氏から「何とかして問題を解決したい」との相談を受けた。そこで医師は日韓の専門家が会議を開いて問題を解決する案を考え、自身のコネクションを通じて東京の外務省の上層部に案を投げた。
 かなり時間が経ってからその話が総領事館に回ってきて、総領事が韓国の総領事と解決策を協議したようだ。彼らの解決策は慰安婦像の碑文から「旧日本軍」という文言を削除するというもので、慰安婦像の撤去ではなかった。ところが、いざ会議をやろうとなったら、韓国の総領事が断ってきたようで、この動きは止まってしまったという。
 ナジャリアン氏は今年4月に交代し、後任のドゥバイン市長にその後の対応を託した。私たちは7月6日に新市長に会いに行ったが、出張中だった。行き先を聞いたら「韓国」との答えが返ってきた。
 「ころころ変わる判断」に「偏った判決」
 米国の裁判は悪く言えばいい加減で、くるくる判決が変わる。連邦裁の一審では「原告は訴訟を起こす資格がない」という門前払いの判決を受けたが、2審では「資格がある」という。米国の法律に照らせば簡単に分かることだと思うけど、ころころ変わる。
 その理由として、1審の判事は一人なのでロビー活動をかけやすいことがあるのではないか。だが、2審の判事は3人で、ロビー活動には少し手間がかかる。最高裁になれば判事の数も多くなり、ロビー活動はかなり難しくなるはずだ。だから最高裁に持っていくことは意味があると考えている。
 2審の判決は非常に偏っていた。グレンデール慰安婦像は慰安婦を記念する意思を表現したもので、それ以上のものではないという判断だった。だが、像の碑文には、旧日本軍が悪辣な人権侵害の罪を犯した、そして日本はその罪を認めるべきだ、ということが書いてある。単に慰安婦を記念して建てたわけではなく、日本を誹謗するような碑文がある。だが、判決文はこれには言及していない。
 日本は米国にとって重要な同盟国だ。それなのに一つの市が同盟国を誹謗するということは、明らかに連邦政府が持つ外交権限を侵すものだ、そういう議論が最高裁でできると思っている。
 最高裁に進めば、米政府が日本政府に対して訴訟の見解を問い合わせる可能性がある。その場合、日本政府は日韓合意に基づいて全て解決したと伝えるのではないかと思っている。そうであれば最高裁の判断にある程度影響を与えるのではないか。
 裁判官の「東条が嫌いだ。何が悪い?」発言に唖然…
 連邦裁判所での訴訟とは別に、カリフォルニア州の裁判所でも訴訟をやっているが、州の裁判官の発言にあぜんとさせられた。8月5日に州の控訴裁判所(2審)の公判があった。州の訴訟では、碑文が日本人・日系人を差別しているとして訴因の一つになっている。こちらの弁護士がその点を公判で指摘したら、ポール・ターナー裁判長は「俺は東条(英機元首相)が嫌いだ。他の米国人も大抵嫌いだ。そういう人を差別して何が悪い?」と言う。記録も残っている。
 1審の判決文も「旧日本軍が女性の人権を侵害したことは明白な事実」と認定し、そうした人たちを擁護する人はけしからん、という内容の文章で始まっている。
 連邦裁判所の判決文には少なくとも、日韓間では慰安婦問題をめぐる意見が違っていて議論が続いていると書かれている。連邦裁の事実認識の方が多少まともだ。
 一般的に米国で認識されている慰安婦問題は“性奴隷”だ。州の1審の判決にあるように、慰安婦問題を知っている人の知識は韓国人らが吹聴している説だ。連邦裁2審では中韓両国系の反日団体から参考意見が提出され、受領された。非常に偏った内容であることは明らかだったので、こちらも参考意見を提出したいと申し入れたが、却下された。
 いま生きている人が汚名を返上しないといけない
 最高裁まで争うのは、旧日本軍、日本政府、日本国民が残忍でいろいろな罪を犯したと確定されれば、汚名が数世紀にわたって続くからだ。数世紀も日本の人がさげすまれる状態になっていいのかと考えると、今の日本人が頑張らないと! 私の場合、戦時中に生活していたから当時の日本人の考えなどが分かるが、私の世代が終われば書類でしか日本の過去がどうだったか分からなくなる。いま生きている人が闘わないといけないと思う。
 訴訟費用については、これまで1億3000万円ほどの支援を日本国内外からからいただいた。私個人も5000万円ほど投じている。これから最高裁に書類を提出するために約700万円が必要になる。最高裁で却下される可能性もあるが、却下されなければさらに2000万〜3000万円が必要になる。さらに州の裁判もある。支援をお願いしたい。
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 問い合わせはGAHT(電)03・5403・3512まで。ホームページはhttps://gahtjp.org/」


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