🎑3)─1─歪んだ正義漢。日本では大災害や大事故が発生すると必ず笑い・ユーモアへの自粛圧力が起きる。くまモン活動自粛。~No.2No.3 * 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現代日本人は、楽しく笑う事に不寛容である。 
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 日本人は、電車に乗る為に駆け足で階段を上ってホームに出るが、目の前で電車のドアが閉まって乗れない時、思わず笑ってしまう。
 外国人であれば、電車に悪たれをついて怒鳴り散らすか、バツが悪そうに周囲に悟られないように素知らぬ顔で立ち去るか、いずれにしても日本人みたいに笑う事は少ない。
 お化け屋敷に入っても、日本人は怖さに悲鳴を上げながら出口に急ぎ、外に出ると安堵から思わず笑ってしまう。
 外国人は怒ったり泣いたりするが、日本人のように笑う事は少ない。
 日本人は、嬉しくて笑うが、怖くても笑うし、悲しくても笑い、バツが悪いような失敗をしても笑う。
 外国人は、ヘラヘラ笑う日本人が理解できないどころか、自分が日本人に馬鹿にされていると思い込んで日本人に怒る。
 日本人の笑いと世界の笑いは、何処かが違う笑うである。
 日本人の笑いは幾種類もあって、他人を笑うより自分を笑う方が多い。
 笑う顔も、多様性に富み、幾種類も存在する。
 日本国語は、全ての笑いや全ての顔を表現できる程に語彙の数が多い。
 外国語には、それ程の語彙はなく、日本お笑いや笑顔を言い表す事ができない。
 だからといって、日本国語が優れた言語ではなく、偶然にもそれだけの語彙を作らねばならなかったというだけの事に過ぎない。
 もし、日本国語をグローバル言語にするならば外国語に訳せない語彙は捨てなければならない。
 日本国語をローカル言語として留めておくのなら、日本情緒独特の言い回しは外国人に理解されなくともそのまま放置しておけば良い。
 その逆として、日本人には欧米の笑いは理解できないし、中国や韓国の笑いも理解しにくい。
 笑いのツボは、日本国語に翻訳すると笑えず、その国の言語でなければ笑えない。
だが、目の前で扉を閉めて走り去る電車を見ながら日本人がなぜ笑うのか、当の日本人でも理解していない。
 お化け屋敷を出た時に、なぜ笑うのかも同様である。
 とにかく、日本人はよく笑う。
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 2016年5月19日号 週刊文春「ツチヤの口車 土屋賢二
 笑いは不謹慎か
 熊本地震のときなど、ネットでは揚げ足を取って叩き『検閲』が横行しており、わたしの家にいるようだ。それを恐れてか、災害時にはテレビ局は、お笑い番組を自粛する。お笑いは不謹慎だからというのだ。
 だが、事故や手術の失敗で死ぬ人は毎日いるし、海外では虐殺や子どもの餓死が日常茶飯事だ。そういうときお笑い番組を流しても不謹慎にならないのか。
 そもそも、なぜお笑い番組が不謹慎になるのか。人間が一番笑うテーマは、深刻な不幸なのだ。事実、コントになるのは、病院、葬式、失恋、リストラなど不幸な出来事である。人間が深刻に苦しむことがなければ、笑いは必要ないだろう。人生の根底には生、死、運命への不安が深淵のように口を開けており、人間はその前では無力だ。それに対抗するには笑いに頼るしかない。
 イギリスにいたとき『ユーモアのセンスがないと人ではない』と言わんばかりにユーモアが重視されていること驚いたが、その理由がまた意外だった。多くのイギリス人は『ユーモアがないと人生の危機を乗り越えることができないから』と答えたのだ。ユーモアがないと苦難に押しつぶされてしまうのだ。
 わたしも苦しいときに笑う。教師時代、年度末になるとあらゆることに自信を失う鬱状態になっていたが、あるとき『自信がないことにかけて自信がある』と考えて思わず笑い、乗り越えられたことがある。
 大きな手術をしたときもそうだった。数時間の麻酔からさめると、そばに手術室つきの看護師さんがいて、わたしの本のファンだと話しかけた。わたしが病院の態度が信頼できるとお礼を言うと、看護婦さんは『わたしたちは万全の態勢を整え、手術では一人の死者も出さないようにしています』と言ったので、わたしは『えっ、患者が死にそうになったら手術室の外に出すんですか』と言った。看護師さんは、わたしの冗談を聞いてもニコリともしなかったが、冗談がウケなかったことも可笑しくて、心の底にあった病気や死への不安は和らいだ。
 わたしの弟が緑内障でかなり視野が狭くなっていることも冗談にしている。『おめえは緑内障でわたしは白内障、と進む道は分かれたが、おめえもこれで心も身体も視野が狭うなった。病は心を表すもんじゃのう』と言って二人で笑う。
 わたしの親が死んだときは、悲しみで人前で涙を抑えることができなかったが、精進落としの席では冗談ばかり言って笑ったものだ。知らない人が聞いたら、葬式の直後だとは思わなかっただろうが、それでもわたしは不謹慎とは思わなかった。笑いは悲しみと両立する。それどころか悲しみに打ちひしがれないためには笑いが必要なのだ」
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 5月22日号 サンデー毎日くまモン復活『寄り添うモン』
 熊本地震発生から活動を控えていた県の『営業部長』くまモンが、3週間ぶりに姿を見せた。『くまモンに会いたい』という多くの声に応え、5月5日の子どもの日、西原村の避難所やボランティアセンターなどを慰問した。
 赤ん坊の頭をなで、お年寄りと10秒以上握手し、ボランティアたちの肩をもむ──くまモンのいたわりに『うれしい』『可愛い』と歓声があちこちで聞こえ、『こんな幸せなことはない』と80歳女性も。 
 同日午後2時からは、益城町熊本産業展示場『グランメッセ』の駐車場。待ちわびていた子どもたちに笑顔があふれ、いっしょに踊ったり記念写真の撮影に応じた。くまモンは今後も、災害の大きい地域から訪問し、被災者に寄り添うつもりだという」
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 自然災害多発地帯で生きる気弱な日本民族の活力源は、泣きそして笑って浮かれ騒ぐ事。
 昔の日本民族日本人は、苦しい時、辛い時、悲しい時、切ない時は、むしろ笑って誤魔化した。
 顔で笑って、心で泣いた。
 苦しい時ほど無理をしても笑うのが、日本民族日本人の本来の生き方である。
 特に、大人は子どもの前では虚勢を張って笑った。
 昔の日本民族日本人は、辛い時ほど皆で一緒になってよく笑った。
 貧しい町民の間で、落語、漫談、漫才、川柳、落首など滑稽な日本的笑い文化と、歌舞伎、浄瑠璃、能・能楽などしんみりした日本的涙文化が発展した。
 日本民族日本人の生き方は、泣き笑いであり、不機嫌に苛つき当たり散らす事ではない。
 現代日本には、独り善がりで、つまらなく、くだらない日本人が増え始めている。
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 釈尊は、「比丘(びく。修行僧)達よ、これは実に苦しみという聖なる真実です。生まれることも苦、老いることも苦、病気になることも苦、死ぬことも苦、憎む人と会う苦、愛する人と別れる苦、求めるものが得られないことも苦」と7つの苦を挙げ、それら一切の苦は突き詰めれば自己執着であると説いた。
 「生まれる苦」とは、「思い通りに生まれる事ができない」と言う意味で、金持ちの親か貧乏人の親か、地位の高い親か地位の低い親か、鬼のような親か仏のような親か、広い家を持った親か狭い家を持った親か、どこに生まれるか分からないという事である。
 人は、生まれながらにして平等ではなく、むしろ残酷なほどに不平等である。 
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 自然災害多発地帯の日本では、自然災害は平等であった。
 自然災害で全財産を失う為に、貧富の格差が広がる事は少なかった。
 日本民族日本人は、絶え間ない自然災害によって、絶えず命の危険に晒され、あくせくと築き上げた全財産を失う恐れがあるのにもかかわず、誰一人として日本列島から中国大陸や朝鮮半島に逃げ出す者がいなかった。
 なぜかその逆で、中国大陸や朝鮮半島から日本列島に渡ってくる者が絶えなかった。



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