☘2)─2─日本の星空は、如何なる宗教、哲学、思想、主義主張よりも優れている。〜No.3No.4 *      

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・    
 日本流は、世界では通用しない。
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 「日本の星空」を真に理解できるのは、ローカルに生きる日本民族日本人の民族主義者・ナショナリストだけであり、グローバルに生きようとする国際派日本人には不可能である。
 特に、反宗教無神論共産主義者マルクス主義者)には理解できない。 
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 日本列島は百花繚乱の島として、多種多様な花が自己主張せず、控えめに、大人しく、ひっそりと花を咲かせている。
 日本に咲く花は、日本国土で死んだ人々に対する供養花である。
 日本の祭りも同様に、日本国土で死んだ祖先の鎮魂である以上、笛太鼓で賑やか囃し立て、舞踊り笑って騒騒しく、楽しみながら執り行われる。
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 フランソワ・チェン「夜中にふと目覚めたときに心臓の鼓動を感じ、この肉の塊が生の唯一の原動力なのかと不安に思ったことはないですか?
 『生きようとする意志』のようなものがなければ、この器官はじきに止まってしまうのではないでしょうか?」(『魂について』)
 2019年5月号 「桑原聡 この本を見よ 
 ……
 著者によれば、魂とは『生きようとする意志』、言い換えるなら『存在することの欲望』であり、その人に根本的な統一性を保証し、同時に存在するものとしての威厳と価値を保証するのであるという。著者はこれを明確に区別し、魂と精神は補完的あるいは弁証法的な関係にあり、精神の役割は『中心的』であるが、魂のそれは『根本的』であるという。」

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 2019年4月26日号 週刊朝日「暖簾にひじ鉄  内館牧子
 あの日の星空
 3月11日の夜、NHK総合テレビで『あの日の星空』というドキメンタリーが放送された。
 2011年3月11日、東日本震災がが東北地方を襲った。マグニチュードは観測史上最大の9.0。最大震度7津波の最大遡上(そじょう)高40.5メートルとされる。さらに津波福島第一原子力発電所の大災害を招いた。
 その日の夜のことを、非常に多くの人たちが、
 『信じられないほど星がきれいだった』
 と言う。
 そう書かれた本や雑誌も数多く読んだが、東北在住の私の友人知人は、本当に一人残らずいっている。
 『悲しいくらい星がきれいだったのよ』
 『満天の星って、こういうことを言うんだなと、初めてわかった』
 さらに、岩手の友人知人も宮城の友人知人も、そして福島の友人知人も、異口同音に言った言葉がある。
 『どこの町も停電して真っ暗。目がなれてくると、どこもかしこも倒壊した家屋や水につかった田畑。肉親を捜して回る声、悲鳴も聞いた。地獄だった』
 なのに、それらの上には、満天の星が光っていた。
 『今まで見たこともないような、きれいなきれいな星空だった』
 誰もがこう言う。私は何かの報道で、家屋の下敷きになって動けない女性が、いつ来るとも知れぬ助けを待ちながら、倒壊した家屋のすきまから星を見ていたと話したことが忘れられない。彼女も言っている。
 『あんな星は、今まで見たことがない。きれいでした』
 3・11の星空については、『停電で空が真っ暗だったから』とする言葉や文章も多くあった。
 だが、東北の友人知人から、私は何度も聞いた。
 『亡くなった人がみんな星になって、天に昇って行ったのよ。だから、今までにないほどの星だったの』
 そう書かれた文章もたくさん読んだ。あの夜、亡くなった人たちはみんなで手を取りあって天に昇ったり、星になったのだ。
 岩手に住む友人で、日本のみならず世界各国を旅している人がいる。彼は仕事の関係もあって、電気も通っていないような地や、山奥の村に多く行く。その彼は私に言っていた。
 『俺も亡くなった人が天に昇ったと思うよ。俺は今までどれくらい日本や外国の奥地に行って、星を見たかわからないけれど、あの日の星空は全然違ったものな。科学で証明できないことって、あるんだよ』
 ここに一冊のエッセイ集がある。照井翠さんの『釜石の風』(コールサック社)。照井さんは加藤楸邨(しゅうそん)に師事した俳人で、その作品は多くの賞を受けている。現在は岩手県北上市在住だが、震災当時は大きな被害を受けた釜石市に住んでいた。
 その『釜石の風』の中にあの日の星空に触れた文章があった。句集『龍宮』のあとがきに書いたものだという。その部分を引用する。
 『それにしても今夜の星空は美しい。怖いくらい澄みきっている。何か大きな代償を払うことなしには仰ぐことが叶わないような満天の星。このまま吸い込まれていってしまいたい。オリオン座が躍りかかってくる。鋭利な三日月はまるで神だ。』
 そして、星々の下の世界がいかなる状況だったかについても書く。3・11から3日目の朝についての状況描写は壮絶というしかない。
 『てらてら光る津波泥や潮の腐敗臭。近所の知人の家の2階に車や舟が刺さっている。消防車が2台積み重なっている、泥塗れのグランドピアノが道を塞いでいる。赤ん坊の写真が泥に貼りついている。身長の3倍はある瓦礫の山をいくつか乗り越えるとそこが私のアパートだ。泥の中に玉葱がいくつか埋まっている。避難所にいる数百人のうな垂れた姿が頭をよぎる。避難所の今晩の汁に刻み入れよう。
 戦争よりひどいと呟きながら歩き回る老人。排水溝など様々な溝や穴から亡骸(なきがら)が引き上げられる。赤子を抱き胎児の形の母親、瓦礫から這い出ようともがく形の亡骸、木に刺さり折れ曲がった亡骸、泥人形のごとく運ばれていく亡骸、もはや人間の形を留めていない亡骸。これは夢なのか。この世に神はいないのか。』
 長く引用したのは、これほどの状況下にさらされ、これほどの『地獄』にありながらも、人間はふと見上げた空に星を見て、『きれいだな』『こんな星空、見たことないな』と思う。『あの日の星空』は停電のせいではなく、亡くなった人たちが天に昇ったからだと改めて確信する。
 NHKのドキメンタリーは、仙台市天文台の解説と共に、プラネタリウムで3・11の星空を再現していた。それはまさに『こんな星、プラネタリウムでしか見られないわ』と思うほどの満天の星だった。だが、実際にこうだったのだ。
 照井さんは次の一句を詠んでいる。
 『春の星こんなに人が死んだのか』
 あれから8年が過ぎた。そして今、よく聞くのが『3・11への関心が薄れている』という声だ。しかし、読売新聞の世論調査結果は非常に興味深いものだった(3月10日付)。
 『復興に関心ある』が84%に上がっている。一方、『関心が弱っている』が昨年は44%、今年は37%に下がった。同紙は西日本や北海道の自然災害が関心を高めたのではないかとしている。
 これら自然災害に我々が払った『大きな代償』を語り継がなければならない。二度と再び、満天の星にしてはならない。」
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 1986年5月 明仁皇太子「天皇と国民との関係は、天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽共にするという精神的立場に立っています。この事は疫病の流行や飢饉にあたって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の写経の精神や、また『朕、民の父母となりて徳覆うこと能わず、甚だ自ら痛む』という後奈良天皇の写経の奥義などによっても表れていると思います」
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 日本民族日本人の生きる支えとなっていたのは、自然崇拝、精霊崇拝、祖先神氏神崇拝であり、満天の星空と朝昇り来る太陽であった。
 日本民族日本人には、個人としての業や罪はあっても、人間としての原罪や宿罪はない。
 業や罪とは、生きているうちに犯すもか前世で犯したものである。
 生まれる以前のアダムとイブの原罪や宿罪は存在しないし、無関係である。
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 日本民族日本人の特性である「ものの憐れ」を心穏やかに冷静に受け入れた時、底力を発揮する。
 そして、楽しく嬉しいのは当然だが、それ以上に悲しく、苦しく、切なく、辛い時ほどよく笑う民族である。
 日本民族日本人の控えめの笑いは、中国人や朝鮮人・韓国人の騒騒しい馬鹿笑いとは違う。
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 1980年代以降、日本民族日本人でない日本人が急増している。
 特に、高学歴出身知的エリートにその数が増えている。
 政治家、官僚・役人、企業家・経営者、学者・教育者、知識人・教養人、そしてメディア関係者達。
 戦後教育の悪影響が、2010年以降に表面化している。
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 東日本震災の被災地に対する失言を繰り返す、政治家、官僚、学者などの高学歴出身知的エリート達。
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 東日本震災時。人気取りの為に被災地を訪れた菅直人総理などの政治家や、自己満足的に被災地で祈りを捧げていた聖職者や宗教家などの宗教関係者は、家族を失った被災者から罵詈雑言で追い返され。
 被災地で涙を流しながら心から受け入れられたのは、天皇皇后両陛下や皇太子同妃殿下ら皇族達だけである。
 日本を被災地には、如何なる宗教もどんな哲学・思想・主義主張も無力であり無用で邪魔であった。
 それは、昔の関東大震災の被災地でも同じ事であった。
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 関東大震災における朝鮮人惨殺事件は、100%ウソとは言わないが、それでも80%近くはウソである。
 日本の歴史、2000年を振り返っても、被災地に於ける惨殺事件や暴動・略奪事件は関東大震災しか存在しない。
 中国・韓国はもちろん世界中では必ずと言って良いほど、被災地における惨殺事件や暴動・強奪・強姦事件は必ず起きている。
 つまり、日本だけが世界の常識が通用しない、世界の非常識な国・民族であると言う事である。
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 酷たらしい惨状と言っても、自然災害の惨状と戦場の惨状とは違う。
 被災者と言っても、災害の被災者と戦場の被災者とは違う。
 犠牲者と言っても、災害の死亡者と戦争の死亡者とは違う。
 戦争被害より自然災害被害の方が、更にひどい。
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 日本の天皇家・皇室が、古今東西の如何なる王侯貴族と違って革命で打倒されず存続してきたのはこの為である。
 日本の民族宗教も、また同じである。
 反天皇反日的日本人は、そうした天皇・皇族、皇室の活動を否定し、天皇制度を廃絶しようとしている。
 だが、反天皇反日的日本人は災害地の被災民から最も嫌われている。
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 日本列島とは、世界の果て、大地の縁(へり)、地の極(きわ)、生死の境界であり、その先は太平洋という死の世界である。
 人間は、舟がなければ海では生きられない。
 人間は、イエス・キリストの奇跡のように水の上を歩くことができない。
 日本列島には、絶対神の恩寵や恵みもないし、救世主(メシア)の奇跡も起きない、見捨てられた絶望が支配する辺境の地である。
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 日本列島は、地球規模に匹敵する自然災害が多発する危険地帯であった。
 自然の四季と全ての大地や海には、何らかの自然災害が潜んでいる。
 日本列島に住む人を含むすべての生き物は、何時何処で、発生した自然災害で命が奪われるかわからない中を生きていた。
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 日本列島とは、自然を原因とする死が支配する恐ろしいところであり、命溢れる花鳥風月プラス虫の音や苔と菌が息づく孤島である。
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 日本列島を覆っているのは、α波、1/fの揺らぎ、マイナス・イオンによる空気・空気圧・同調圧力である。
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 甚大な被害を出し夥しい人々の命を奪う自然災害は男性神素戔嗚尊スサノオノミコト)である。
 亡くなった人々の魂・霊魂が家族を探して彷徨う夜・星空は男性神・月読尊(ツキヨミノミコト)である。
 命の甦り、生き変わり、生まれ変わりである朝焼けの太陽は女性神天照大神アマテラスオオミカミ)である。
 それが、古事記日本書紀万葉集である。
 そして、日本が「日出ずる国」と言われる由縁である。
 それを図案として見える化したのが日章旗旭日旗である。
 日本の甦り・生き変わり・生まれ変わりは、同じ命の再生ではない。
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 日本を自然は、日本中心神話・天孫降臨神話・天皇家神話における「天の岩屋戸(あまのいわやと)」である。
 日本の祭りの起源は、天の岩屋戸神話である。
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 祀りは、祭りとして、集まった人々が焚き火の廻りで車座になり、酒を酌み交わし、御馳走を食べ、語り合って笑い泣き、歌舞音曲で歌い踊り、そして和歌を詠む。
 車座には、身分や階級や階層も、上座も下座も、上位者も下位者も、支配者も被支配者も、富める者も貧しい者も、勝者も敗者も、強者も弱者も、健常者も障害者も、人を差別する全ての理がなかった。
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 日本民族日本人が生きられるのは、勢(いきよ)いと偶然と幸運の賜であり、神秘や奇跡や必然ではない。
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 日本と中国・朝鮮とは、水と油のように全く交わる事がないし、幾ら話し合っても理解し合う事など絶対にできない。
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 最高神である女性神天照大神伊勢神宮)は、天皇家・皇室の祖先神である。
 天皇に即位できるのは、天照大神の血を正統に受け継ぐ直系子孫だけである。
 それが、天皇家・皇室のみが持つ神聖不可侵の血筋・血統である。
 それ故に、日本民族日本人には天皇・皇室が必要なのである。
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 天照大神の血を正統に受け継がない人間が、全ての人が認める人気者、世界で称賛される人徳者や教養者、優れた能力のある実力者、武力で勝ち上がった勝利者、あるいは世界的な億万長者、であろうと天皇には即位できない。
 日本中心神話・天孫降臨神話が、そうした俗物的私欲的でおぞましくえげつない人間を天皇とは認めない。
 天皇の神性は身を慎む無欲無私の教養であって、権威を振り回す欲得の宗教ではないし、権力を行使する恐怖の政治・軍事・経済でもない。
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