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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本民族が震災美談や生存奇蹟を有り難がるのは、恩寵の救済宗教や反宗教無神論のイデオロギーを持っていないからである。
そして、日本民族は災害や戦争を忘れやすい。
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2023年9月7日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「日本人はなぜ「震災美談」や「奇跡」をありがたがるのか?【関東大震災100年】
© ダイヤモンド・オンライン
地震、噴火、山火事、津波、暴風雨、隕石衝突など、天変地異が起こっただけでは「災害」にはならない。人間が住む社会がそこにあるからこそ起きる点で、災害とは社会的な出来事だ。しかも天変地異で興奮した群衆は、デマや風評をまきちらして弱者をさらに追い込もうとする。日本人は我が身に降りかかったこうした悲劇を、避けられなかった運命による悲運に転換して乗り越えようとするが、その態度はもう、令和の世では、改めるべきではないだろうか。本稿は、畑中章宏『関東大震災 その100年の呪縛』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・編集したものです。
災害の打撃からすぐ立ち直るが
何の教訓も得ないのが日本人
社会学者の清水幾太郎(1907〜1988)は、1755年に発生したリスボン地震がヨーロッパ全土に大きな社会的・思想的変動をもたらしたのにたいして、関東大震災はその後の日本社会にはほとんど何のインパクトも与えなかったと「日本人の自然観――関東大震災」という文章で指摘する。
清水のこの文章は、太平洋戦争開始以前、1937年(昭和12)に発表されたものだが、清水がインパクトを与えなかったというのは、もちろん反語であり、関東大震災はさまざまな問題を提起したにもかかわらず、日本人はそれを捉えそこねたという意味である。
大震災の惨禍は瞬く間に忘れさられ、あるいは忘れるように仕向けられた。惨禍の記憶を覆いかくしたのは、郷土愛、形を変えた伝統主義、素朴な自然讃美などである。災害を〈自然現象〉の次元にとどめておこうとする態度であり、〈社会現象〉として捉えようとしない姿勢が、そうしたイデオロギーの根底にある。
ここでは、関東大震災をターニングポイントにしえなかった、日本人の持続的な災害観、自然観をまず見ていくことにする。
100年前の震災のときにも、いまから12年前の地震津波のときにも、〈天譴論(てんけいろん)〉を唱えるものがいた。天譴論は本来、「天のとがめ。天帝が、ふとどきな者にくだすとがめ」という意味だが、近現代日本の大災害では、短絡的に、腐敗・堕落した世間・世相にたいする天罰といった意味で用いられている。
天譴論はふたつの面で、明らかに間違っている。ひとつは、天罰が腐敗・堕落した人にたいして下らないことである。世間・世相が腐敗・堕落しているなら、それを最も体現しているものに天罰が下るはずなのに、災害はそうした状態から遠い、無縁な人間に襲いかかるのだ。柳田国男が関東大震災の際に、「本所深川あたりの狭苦しい町裏に住んで」「平生から放縦な生活」をなしえなかった人びとが、なぜ制裁を受けなければいけないのかと憤ったのは、天譴論にたいする正しい認識だ。
天譴論が誤っていると考えるもうひとつの理由は、災害を〈自然現象〉だと捉えている点にある。災害は、気象・大気環境学、地質・鉱物学、防災・砂防学、固体地球・地震学など、地球科学の領域だけで収まるものではない。自然に起因するにしても、災害はそれにともなう〈事件〉、災害そのもの以外によって生存をおびやかすような事態を含めて捉える必要がある。そしてそうした〈事件〉は、「天」ではなく「人間」の手によって引きおこされるのだ。
廣井脩の『災害と日本人』によると、日本人の災害観には〈天譴論〉〈運命論〉〈精神論〉の3つのタイプがあるという。
〈運命論〉は、災害による人間の生死を、定められた運命と考える災害観で、災害にたいする〈運命論〉には、災害の悲劇性を減殺できる「心理的効用」があるとする。関東大震災で生き残った人びとは、死者の悲運に嘆息し、ひるがえって自らの幸運を感謝した。
また災害はつねに、家族や財産を一瞬にして奪いさっていく。こうした被災者にとって極限状況、そこに生まれる絶望・不幸の感情を、〈運命論〉は緩和してくれるのだ。「泣きごとを繰りかえしてもしかたがない、これは逃れられない運命なのだ」「世間にはもっとひどい目に遭って死んでしまった人さえ多いではないか」……。〈運命論〉は極限状況を耐えしのぶ作用を果たすのである。
こうした心のありようは加えて、災害からの回復を促進する機能を果たす。災害の悲劇を運命だと割り切ることによって、生活の再建に迅速に進んでいくことができる。
日本人が災害の打撃からきわめて早く回復するというのは、しばしば指摘されてきたことだと廣井は指摘する。関東大震災では外国人の被災者も多かったが、彼らのなかにも、震災後に日本人の被災者が、意外に平然としていることに驚きを感じたものが少なくなかったという。このように〈運命論〉には、災害の悲劇性を減殺するという心理的効用があるのだ。〈運命論〉は被災者に、災害にたいする「諦念」や「忘却癖」を生みだしていく。
テレ朝news 関東で地震相次ぐ 「太平洋プレート」に関連か
諦念とは、人間の手では災害はどうにもならないという感情であり、地震や台風のような自然の破壊力にたいしてただ耐えしのび、諦めるほかないという心理である。忘却癖とは、災害の経験を将来の防災に生かすことなく、忘れさってしまう態度をいう。災害の〈当事者〉でも、災害を過去の不運な出来事だと捉えて、悲惨な経験を生かすことなく忘れさってしまうのである。
〈運命論〉がもつ、被災者の心理的打撃や災害の悲劇性を緩和するという効用と、災害にたいする諦念や忘却癖を生みだす作用は互いに関連し、災害をあくまでも〈自然現象〉の枠内におくことにより、人間の手によって起こされた事件さえ「水に流して」しまうのだ。
日本人の災害観における〈精神論〉とは、防災対策を講じて災害を克服するのではなく、人間の精神や心構えを強調する態度であると廣井は定義する。自然を征服したり、コントロールしたりすることによって災害に対応するのではなく、心の持ちようや内面的努力を強調することで災害に対処していこうとするのである。
大ヒットした新海誠映画は
日本人の伝統的な自然観がベース
廣井が援用するところによると、社会心理学者の南博は日本人特有の心理のひとつに〈精神主義〉があり、その具体的な形態として次の3つを挙げられるという。
第1は、人間の力を超えると思われる場合に、精神力が働いて、思いがけない超人的なことができるという信念。第2は、精神の働きで物質的な条件が変えられるという考えかた。第3は、物質のなかに精神がこもっているとみなす「物神性」の観念である。
廣井はこのうち、第1と第2の信念が、〈精神論〉と強くかかわっているという。物質にたいする精神の優位を核心にもつこうした精神主義は、災害についても明確に現われていると廣井は指摘するのだ。
たとえば、関東大震災後の帝都復興の過程でも、〈精神復興〉というスローガンが力説されていた。ここでいう〈精神復興〉とは、帝都を真に復興するには、道路の拡張や橋の改修といった〈物質的復興〉だけでは不十分で、市民ひとりひとりが私利私欲を捨て、勤勉かつ品行方正に生きることが必要だといった信念である。
具体的にはどういうことなのか。廣井によると〈精神論〉の特徴は、物質にたいする精神の優位を強調することで、ただひたすら神仏に祈る行為は〈精神論〉の極致とされる。
関東大震災においては、国民の精神的自覚を促す〈精神復興〉として表現され、都市施設の復興や経済復興と並んで〈精神復興〉の必要を説くより、〈精神復興〉こそが、復興の根本だという論調が目立った。このような態度は結果として、災害後の防災対策の軽視を生みだすことにつながっていく。
関東大震災にたいする反省を記した学者や文化人の文章には、防火体制の無策を指摘したり、東京を災害に強い都市にすべきだと意見したりするものもみられた。ただ庶民にとっては、そうした意見より〈精神復興〉のスローガンのほうがアピールしたようで、幹線道路や環状線の建設、耐火・耐震の建物よりももてはやされたのだ。
廣井は、日本人の〈自然観〉の特徴は、自然と人間の関係をきわめて密接なものとみなすことにあるという。しかし、日本人における自然と人間の関係はきわめて一方的で、「偉大な自然」と「卑小な人間」という対比が、そこには存在している。自然を絶対化し、人間の無力を自覚する態度は、自然を対象化して、征服しようとする態度ではなく、自然と一体になり、服従しようとする態度で、こうした日本人の自然観はその災害観と深くかかわっている。
〈天譴論〉や〈精神論〉にも、自然の破壊力への恐れや、自然の偉大さにたいする人間の無力感が色濃く反映されている。災害を〈自然現象〉として捉える意識は、東日本大震災を動機としたアニメ映画にも引きつがれている。
新海誠監督の『すずめの戸締まり』は記録的な大ヒットとなったが、自然の暴力性に人間は無力であるといった日本人の伝統的な自然観を背景にしてつくられているのだ。新海作品では『君の名は。』(2016年)の隕石衝突、『天気の子』(2019年)の降りやまない雨といった宇宙物理学や気象学の領域に属する事態を、非科学的かつ素朴な手段によって乗り越えようとすることが物語の推進力になっているのである。
災害が人為的要因に大きく影響されるということは、これまでもしばしば唱えられてはいる。しかし、そうした場面では、被災をまぬかれたことを「美談」や「奇跡」とし、被災してしまったことを「悲劇」と捉える際に、人為的な物語が描かれるのである。
じつはこれも〈天譴論〉と大差がなく、偶然や運命に結果を委ねてしまっている場合が少なくないのだ。地震以外の〈自然現象〉は、現代科学でほとんどが予測可能であり、被害を大きくしたり、気象そのものとは直接的に関係しない被害がもたらされたりするのは、人間の行動によってであり、そこには〈天〉や〈自然〉が入りこむ余地はないのである。
『 関東大震災 その100年の呪縛 』(幻冬舎新書) 畑中章宏 著
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改めて関東大震災を例にするなら、流言蜚語は〈自然現象〉とは全く違うところから生じるものだし、デマを鵜吞みにしたり、風聞に便乗して暴力的になったりするのは人間業でしかない。
震災の翌年、関東大震災における「震災美談」と「復興美談」を震災記念事業として、一般市民から募集し、当選作は、『震災記念 十一時五十八分』に掲載された。その第三編は「精神復興の叫び」というタイトルが付けられ、収録された12の論文のほとんどが、施設や経済の復興より精神の復興を優先すべきだと説いている。
近年の災害でも「美談」はもてはやされる。そのいっぽうで、肉体的暴力にまで至らなくても、デマや便乗によって、精神的暴力をふるおうとする人が、インターネットの普及にともなって、確実に増えている。
この場合の暴力は差別的言動や、風聞の流布、あるいは被災者をおとしめるようなふるまいだ。災害においては、じつはこうした二次的加害が意外なくらい多い。混乱に乗じて承認欲求を満たそうとするのだろうが、二次的被害に遭うのは多くの場合、日常的弱者であることが少なくないのだ。
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儒教の易姓革命(禅譲・放伐)と天命思想(受命思想)を、中国と朝鮮は無条件で受け入れ、日本は換骨奪胎して受け入れた。
天皇を易姓革命と天命思想から守ったのは、伝統文化である、天孫降臨の記紀神話(古事記・日本書紀)と民族の神話物語、庶民物語であった。
天皇は天命思想を引き受け、庶民は易姓革命を拒否した。
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天命思想とは有徳、徳治の事で、人徳と陰徳を体現したのは第45代聖武天皇・光明皇后であった。
日本風天命思想は、天皇の御威光、皇道主義である。
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日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に旧石器時代・縄文時代、弥生時代・古墳時代と日本民族が住んできた。
日本民族は、旧石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりの事であり、日本の個人主義とは自分の仕事に誇りを持つ事である。
つまり、日本民族日本人とは集団主義者であると同時に個人主義者でもあった。
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ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明の揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
死への恐怖。
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2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
何もしない勇気
最適化された世界の窮屈さ
……
太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
……
『浅はかな干渉』が生み出す害
……
『注意の搾取』が奪い去ったもの
私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
……
物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
生への渇望。
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日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
日本で生きるのは、運しだいであった。
日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
彼らには、数万年前の旧石器時代・縄文時代と数千年前の弥生時代・古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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日本民族文化における自然観とは、縄文時代以来、自然と人間が対立しない、自然との繋がりを大切に文化である。
それを体現しているのが、自然物をご神体とする神社である。
日本民族の美意識は、「わび、さび、簡素」だけではなく、濃くて派手な縄文系、シンプルで慎(つつ)ましい弥生系、統一された形式としての古墳系が複雑に絡んでいる。
それを、体現しているのが神社のしめ縄である。
それは、「全てが、控えめにして微妙に混じり合っている」という事である。
谷崎潤一郎「言い難いところ」(『陰翳礼讃{いんえいらいさん}』)
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日本列島とは、同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
日本の自然は、数万年前の旧石器時代・縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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日本民族は、旧石器時代・縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
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田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基、西行、一休、鴨長明、兼好法師、芭蕉、葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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日本民族中心神話において、最高神は天皇の祖先神である女性神の天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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