🏕2)─1─地震、土砂災害...日本で多いのはなぜ?~No.3 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 2022年8月4日 MicrosoftNews BOOKウォッチ「地震、土砂災害...日本で多いのはなぜ? 
 © BOOKウォッチ
 集中豪雨による土砂災害が心配される季節。本書『教養としての「日本列島の地形と地質」』(PHP研究所)は、日本列島の地形と地質への興味をもってもらうと共に、自然災害への理解を深めることを目的に書かれた本だ。
 著者の橋本純さんは1972年生まれ。茨城大学大学院理工学研究科を修了。建設コンサルタント会社に勤務し、約20年間、技術者として災害復旧の調査・設計業務(公共事業)を経験。2021年に企業防災のコンサルティングを行う「ジオわーくサイエンス」を創業。また同年、自然災害やハザードマップの普及促進を目的に「一般社団法人みんぼうネットワーク」を設立。
 自然災害の専門知識の翻訳者になりたいと、「地形・地質」を前面に出して情報発信を行っている。自然災害だけではネガティブなイメージを持たれるからだ。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」のおかげで「ある地域の地形・地質的な成り立ちの歴史」に興味を持つ人が増え、活動の後押しになっているという。
本書は2部構成。第1部は「日本列島はどんなところ」。日本に自然災害が多い理由、日本列島ができるまでの歴史、地質学の基本を取り上げている。
 第2部は、47都道府県の、とある地域をピックアップして、その地形・地質をくわしく紹介している。いわばミニ「ブラタモリ」のような内容である。
 まず、第1部第1章で、日本が災害大国である理由を説明している。基本的には気象条件とプレート(地球表面を覆う硬くて薄い岩盤の殻)だという。
 気象条件は、雨や雪が多いこと。雨や雪解け水で河川の水が多くなれば、山が削られ、脆くなり、崩れやすくなるし、洪水も起きる。
 また、日本周辺にはプレートがひしめき合っている。プレートのせいで、日本では地震も火山も多く、地層が細切れで安定せず、断層も多い。2003年から2013年までの間に世界中で発生したマグニチュード6以上の地震のうち、日本は18.5%を占めていた。日本の国土面積が世界全体の約0.25%であることを考えると、いかに地震が多いかがわかる。
 火山はプレートの境界に多いため、火山も多い。世界に火山は1551あるが、そのうち日本は110と7.1%を占める。国土面積を考えると、地震同様に多いのだ。
 ツギハギだらけの日本の地質
 次に、橋本さんは「日本はツギハギだらけ」だと指摘している。イギリスと日本の地質図を比較し、きれいに北西から南東に向かって色の濃さが変わるイギリスに対し、日本はモザイク状になっている。
 これは日本列島の土台がもともとはユーラシア大陸の一部、しかも大陸の端っこにある付加体と呼ばれる、細切れで雑多な地質がモザイク状に集合した陸地だったことに由来する。
 それがある時、大地が引き裂かれて細切れになり、南東の方に移動してきたのだから、当然キズ(断層)だらけだと説明する。日本列島の激動の歴史が、ツギハギで弱く脆い地質をつくってしまったのだ。これこそが日本に土砂災害が多い原因の一つだと指摘している。
 地質学の基本では、岩石の分類を解説している。「泥や砂や石ころが溜まって地層になって、長い年月の間に固まって岩石になった」堆積岩、「マグマが冷えて固まって岩石になった」火成岩、「もともとは堆積岩や火成岩だったものが、マグマに焼かれたり、地下の深い場所で強い圧力を受けたりするなどの影響によって、別の岩石に変わった」変成岩の3グループがあり、それぞれ細かく分類される。
 たとえば、堆積岩では、泥が固まったものは泥岩、砂が固まれば砂岩、火山灰が固まれば凝灰岩といった具合だ。「ブラタモリ」でタモリがとっさに岩石の名前を言い当てるのは、その場所の環境を考え、昔はどんな場所だったかをうまく推理しているからではないだろうか。
 第1部で得た知識をもとに、第2部を読むと理解が進むだろう。たとえば、青森県では八戸市中央部を南北に流れる新井田川中流域で蛇行するさまを取り上げている。古生代ペルム紀前期~中生代白亜紀前期(約3億年~1億2500万年前)の付加体の地質だという。他県の河川を見ても付加体は河川が蛇行しやすい地質だと指摘している。
 群馬県では妙義山の奇妙な形がなぜつくられたか、長野県では山奥なのになぜ「海」のつく地名があるのか、三重県伊賀市名張市にはなぜ池が多いのか、など各地のさまざまな地形について解説している。
 楽しい本だが、1カ所だけ厳しい調子で書いているところがある。2021年7月に静岡県熱海市で発生した土石流災害について、盛土が崩れているので土石流の原因の一つではあるが、仮に盛土が崩れなかったとしても、この地域はもともと土砂災害が発生する可能性がある地域だというのだ。ハザードマップでは伊豆山地区は土石流警戒区域になっている。
 「ここまで生きてきて(70~80歳)こんなことは初めてだ」と落胆する地元の人の気持ちは痛いほどわかるが、「人間の時間感覚で災害を考えてはいけない」と警告する。
 橋本さんが地すべり調査をしたとき、約5000年前の縄文時代も地すべりを起こしていた事例があったという。
 先日、福島第一原発事故をめぐる訴訟で、東京電力の当時の経営陣に13兆円の賠償責任があるという判決が出た。平安時代の869年、貞観地震により東北太平洋岸に大きな津波が発生したことがわかっており、巨大津波が予見できたのに対策を先送りして事故を招いたと認定された。
 まさに、「人間の時間感覚で災害を考えてはいけない」という指摘があてはまる事例ではないだろうか。
 BOOKウォッチでは関連で、『地形散歩のすすめ――凹凸からまちを読みとく方法』(学芸出版社)、『増補改訂 凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩』(宝島社)、『三つの石で地球がわかる』(講談社ブルーバックス)などを紹介済みだ。
・書名:教養としての「日本列島の地形と地質」
・監修・編集・著者名: 橋本純 著
・出版社名: PHP研究所
・出版年月日: 2022年1月 6日
・定価: 2035円(税込)
・判型・ページ数: A5判・274ページ
・ISBN: 9784569850962
(BOOKウォッチ編集部)」
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教養としての「日本列島の地形と地質」
マンガでわかる災害の日本史 (池田書店のマンガでわかるシリーズ)
漫画方丈記 日本最古の災害文学
日本沈没
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 西行法師「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮参拝して)
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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