🎑4)─1─現代日本から民族特有の泣き笑いが消えつつある。NHK大河ドラマ「いだてん」。~No.5 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・  
 2019年6月28日 朝日新聞「記者レビュー
 弱さを肯定する『大河』
 大河ドラマ『いだてん』の第一部が終わった。明治~昭和に五輪にかけた人たちの物語だ。
日の前半最終話、関東大震災後に明治神宮外苑競技場(のちの国立競技場)にできた避難所の夜を描いた場面で泣いた。
 ろうそくの灯がゆらめく薄闇(うすやみ)に、嗚咽が漏れ、鼻をすする音が響く。罹災(りさい)した浅草遊女が言う。『みんな大人だから昼間は無理して笑っているけれどさ。身内は死なれて家もなくして。つらくないわけないもんね』
 悲しみを前面に出す描写ではない。なのに涙が出たのは、阪神淡路、東日本、熊本と、私の中の震災の記憶が揺さぶられたからだろう。
 思えば、人の弱さを優しくすくいとってきた大河だった。主人公の金栗四三は五輪初出場のマラソンで気絶し、金栗と五輪に出たカリスマ・三島弥彦は、欧米人との心身の格差に直面して、心をぽっきり折られた。日本スポーツの父、嘉納治五郎は借金を重ね、語り手の古今亭志ん生は酒のために一張羅(いっちょうら)を質に入れた。彼らの生き様に、自らの惰弱さを、勝手に共振させてきた。
 弱さで笑いを誘う場面もある。だが冷笑し突き放すことはない。むしろ肯定している。そして気付く。私たちとそう変わらない人が、歴史を紡いできたことに。英雄伝が定番の大河だが、30日開始の第二部も、どうか弱いままでいて。(真野啓太)」
   ・   ・   ・   
 大河ドラマ「いだてん」は、歴代大河ドラマでもベストテン=テンに中る傑作である。
   ・   ・   ・   
 大河ドラマ「いだてん」は、最低の視聴率が続き、歴代大河ドラマの中でも最悪のとされワース=トテンに数えられている。
 つまり、現代日本人は弱さ、哀しさを受け入れ笑って寄り添う大河ドラマ「いだてん」を嫌っている。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人の笑いは、中国や朝鮮の笑いとは全然違う異質の笑いである。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人は、面白く、おかしく、楽しく、ほろりと涙を誘う笑いが好きである。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人とは、顔で笑いながら心に哀しみを秘める人々の事である。
 語らずとも察し合いながら共に生きるのが日本民族日本人である。
 言わず、語らずとも、お互いの心・心情、感情・気持ちが分かり合えるのが日本民族日本人である。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人とは、尚武の民として優秀・勇猛ではなく、弱く悲しいひ弱な人間である。
 それ故に、自分と他者を区別・差別する哲学・思想・主義主張を嫌った。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人は、幾ら努力しても、如何に苦労しても、それが成功せず報われない事は知っていたが、知っていてなおも辛抱と我慢で努力し苦労を重ねた。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人は、勢い、偶然、幸運で生きていた。
   ・   ・   ・   
 2019年7月4日号 週刊文春「ツチヤの口車 土屋賢二
 都合のいい偶然
 幸福になるのに必要なのは『都合のいい偶然』だ。金を稼いでいたり、内面を磨くよりも、はるかに協力に幸福をもたらすのは、何でもない小さな偶然なのだ」
   ・   ・   ・   
 1日で、10万人以上が炎で生きたまま焼き殺された関東大震災
 Ⅰヵ月以上、大小幾つかの余震が震災地を揺らし、全てを失い焼き出された数十万人の被災者を襲って不安と恐怖をもたらしていた。
 そんな悲惨な状況下でも「人間らしく正常に考えて行動しろ」、という傲慢な現代日本人が発する説教は酷な話であった。
 それが、朝鮮人惨殺事件である。
   ・   ・   ・   
 2019年7月4日号 週間分「春日太一の木曜邦画劇場 
 『小林多喜二
 政治スタンスは明確だが何せこの映画は面白い!
 昨今、俳優・映画製作者・芸能人たちが政治的な発言をすると、そのことがネット上などで物議をかもす──というケースが増えてきた。
 政治信条は人それぞれにあってしかるべきだし、それに伴い論争が起きるというのも、民主主義国家として健全なことだと思う。が、最近の傾向として憂うているのは、それが感情的になり過ぎているということである。政治信条に対する論争ならあくまで、そこに絞って展開されるべきものと思うのだが、すぐに人格攻撃とかに走ってしまいがちだ。それでは議論にならない。
 そうした中には──政権寄り、反政権、どちらのスタンスにしても──その発言をした俳優や製作者の作品そのものを否定するケースも多い。またその逆に、その発言を理由に礼賛する、という場面もある。
 もちろん、自らの政治的スタンスが作品に込められていることも決して少なくはない。でも、それは作品に接する上でさほど重用ではない。そう筆者は考えている。大事なのは、映画として面白いかどうか。それだけだ。いかに高尚なメッセージを込めていようとも、映画として面白くなければ、それは失格なのである。
 ……
 映画に接する時は、ご自身の政治スタンスをいったん置いて、エンターテインメントとして向き合ってほしいと思う」
   ・   ・   ・   
 西洋や中華の演劇などの芸能や絵画などの芸術は、その多くが、政治などの宣伝活動、宗教の布教活動、哲学・思想・主義主張を広める啓蒙運動が目的であった。
 全体主義共産主義ファシズム、ナチズムは、映画をプロパガンダや洗脳教育に悪用した。
 日本の芸能や芸術にも、反政治権力・反宗教権威の反骨精神が含まれていたが、西洋や中華とは異なる。
 日本に於ける芸能の民は、非人・穢多・河原乞食などの賤民であった。
   ・   ・   ・