⛪263)264)─1─小氷河期。戦国時代を生んだ飢餓と寒冷化。略奪繰り返した戦国大名。徳川家康は性悪説の日本人を性善説に洗脳した。〜No.527No.528No.529/   @     

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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
  2017年8月29日号 エコノミスト「小氷河期 戦国時代を生んだ飢餓と寒冷化
 略奪繰り返した戦国大名    田家 康
 地球規模で寒冷化が進む小氷河期が、戦国時代を生み出した。
 室町時代後期は、各地で一揆が相次ぐ戦乱の絶えない時代だった。この戦国時代は、地球規模で気温が低下する小氷河期によって生まれたと考えられる。
 当時、経済を根底から支えていた農業は、鎌倉時代以降、かんがい設備の充実や品種改良、水田二毛作の普及などの技術改革で生産性が向上し、それに伴い総人口も大きく増加した。鎌倉時代の人口が約600万人であったのに対し、室町時代中期の1450年には約1,050万人、関ヶ原の戦い徳川家康が天下統一を実質的に果たした1600年には約1,400万人と推定されている。
 しかし、この繁栄の一方で、同時に気象災害による飢饉も多発した。干ばつや冷害、長雨などが引き起こした広域の飢饉の頻度は、1330〜1420年の90年間は8年に1度であるのに対し、1420〜1477年にかけての57年間は約4年に1度に急増した。
 こうした環境変化は、15世紀から19世紀にかけて450年間続いた小氷河期と無縁ではないだろう。原因は太陽活動の低下と巨大火山噴火の頻発とされている。戦国時代は、特に太陽活動の極端な低下が120年ほどにわたって長く続いた期間(シュペーラー極小期〈1416〜1534年ごろ〉)にあたり、この期間は火山噴火活動も活発だった。
 大きな火山の噴火は少なくとも7回以上発生したが、とりわけ、1452〜1453年にかけて起きた、南太平洋のバヌアツ共和国海域のクワエ火山の噴火規模は巨大であった。多くの火山灰が成層圏を傘で覆うように広がって太陽放射を遮り、『火山の冬』とも呼ばれる気温の低下が起きた。
 飢饉で軍事侵攻
 気候の寒冷が続くと、凶作で飢えた農民は武装して各地で土一揆を起こすようになった。人口が増加して集団意識が高まったことや、農業技術の発達により鉄製農具などが広く普及したことも農民の暴徒化を後押しした。1467年から11年間続いた応仁の乱では、両軍の大名が武装した農民を兵として利用する動きへと発展し、足利幕府は次第に統治能力を失墜、下剋上の世相へと変化していった。
 暴徒化した農民は、足軽として戦国大名の兵力に組み込まれる者も少なくなかった。このためか、1500年代になると土一揆の発生頻度は激減していった。
 戦国時代が本格化すると、各地の大名はその支配地を『国』として捉え、領国内の統治を目的に定めた法律『分国法』を置いて、領国統治を進めていく。飢饉で不満を持つ農民への権威を維持し、気象災害による深刻な食料難を補うため、隣国への軍事侵攻を活発化させた。
 例えば、甲斐の武田信玄は、1573年に三河の陣中で没するまで、生涯32回の他国への軍事侵攻を行ったが、大きな飢饉が発生した翌年は必ず外征を行っている。冷夏・長雨だった1544年の翌年は南信濃の伊那郡に攻め込み、1557年以降の干ばつ時には北信濃川中島まで支配した。1566年にも、冷夏・長雨時に上野への侵攻を果たしている。
 越後の上杉謙信も、最初に関東出兵を行ったのは、長雨で飢饉となった1560年だった。その後1574年までの計12回の関東出兵のうち、8回は秋から翌年の夏にかけて行った。冬期の麦の裏作ができない雪国越後での食料不足を見据え、温暖な関東平野で越冬したのだ。
 こうした戦国大名による略奪の対象は、食料だけではなかった。農作物を刈り取るだけでなく、村を破壊して財産や家畜を奪い、人間も生け捕りにして奴隷として売買した。九州では、生け捕りにあれた奴隷はポルトガル商人に二束三文で売られ、東南アジアを経由してインドに送られた。最も遠隔地に売られた記録として、アルゼンチン内陸のコルドバに日本人奴隷取引証書が残っている。
 戦国大名たちは、自国の領土さえ守れば他国がどんな惨状になってもよいという『一国平和主義』のもと隣国を侵略し、むごい略奪行為を繰り返した。戦国大名にとっては、狭い領地の中で農民が暴徒化しないよう、他国から奪ってでも経済を安定させることが最優先だったのだ。
 当時、戦国大名は領国統治において、略奪だけでなく、耕地面積や収穫量を調査して村高ベースで年貢を徴収して税収を確保したり、貨幣を精銭・地悪銭・悪銭の3種類に区別して貨幣流通の安定を図る『撰銭(えりぜに)』などを行い、経済基盤の整備にも注力していた。また、武田氏による黒川金山山梨県)、毛利氏による石見銀山島根県)などの鉱山開発で得た収入は大きく、この金銀との交換によって鉄砲の保有も進んだ。
 しかし、それでもひとたび大飢饉が発生すれば、領土が限られていたために、その甚大な損害を補うには、領国の外に解決策を見いだすしかないという考え方であった。
 政策による全国統治
 だが、本当に略奪以外の道はなかったのだろうか。鎌倉幕府の第3代執権であった北条泰時は、1230年代に発生した寛喜の飢饉の際、その3ヶ月後には民衆に食料消費の抑制を指示し、また出挙(すいこ、貸し付けた種籾{たねもみ}に利子分の種籾を上乗せして返済する貸付制度)が円滑に行われるよう、借り手が返済不能になった際は幕府が肩代わりする保証を与えた。餓死者が発生した地域には幕府の蔵から出挙米を放出し、出挙の利息を半額に下げるよう全国に指示した。
 徳川3代将軍の家光も、1640年代の寛永の飢饉の際、全国の代官に対し、作柄についての詳細な報告を求め、状況把握を行い、質素倹約を柱とする対策を立てた。また、小規模な農業を営む農民を救済するため、使役の抑制やタバコ栽培の制限を行い、さらに農村での酒造禁止令と粉食品禁止令を発した。
 こうした全国的な政策的統治は、中央政府が機能していなかった戦国時代においては当てはまらないかもしれない。だが、寒冷化で飢饉が発生する度に他国を侵略して自国を潤わせても、戦乱の時代から抜け出すこともできない。
 ともあれ、略奪が横行する時代を生み出した背景には、気象災害が深く関係していたことは明らかである。現代においても、地球規模で進行する温暖化が深刻化すれば、海面水位が上昇することによる水害や、干ばつで食料不足に苦しむ発展途上国の被害が増大し、戦国時代のような社会不安を招きかねない。気象災害への対応は、大国それぞれで対応する『自国ファースト』ではなく、世界全体で歩調を合わせていくべき問題ではないだろうか」
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 犯罪行為とされた日本軍の食糧現地調達は、戦国時代からの伝統的であった。
 食糧や財産・家畜を奪い、敵領の領民を生け捕りにして奴隷として国内外に売り飛ばすという「乱取り」は、日本全国で行われていた。
 日本人奴隷は、ポルトガル商人や宣教師らの手で世界中に輸出されていた。
 日本には奴隷制度はなかったが、日本人奴隷はいた。
 日本人を外国人商人に奴隷として売ったのは、日本人である。
 日本人とはそうした血も涙もない冷血・冷酷で薄情・非情な人間であり、現代日本人はその子孫である。
 江戸時代の大名は、領国・領地第一主義の戦国大名の血を引いていた。
 中世キリスト教会やイエズス会は、日本人を奴隷として売買する事を認め、奴隷売買手数料を日本国内の布教活動資金に使っていた。
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 キリスト教の基本原理は、原罪に結び付いた性悪説である。
 キリスト教徒は、犯した罪を神の家である教会で告解し、教会から神の御名による免罪の宣言を得て罪を消し去る。
 ゆえに、白人キリスト教徒には日本人を奴隷として売って利益を得た事に対しての罪の意識はない。
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 軍国日本が犯した戦争犯罪の原型は、戦国時代にすでに存在していた。
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 日本人の笑顔も本音と建て前も、日本人の心に潜むドス黒い闇を覆い隠す為の手段にすぎない。
 日本人とは、自分より弱いと見なした弱者に対して容赦のない「いたぶり」や「イジメ」を繰り返し、度を越すと相手を自殺へと追い遣る。
 そうした日本人を卑屈に去勢しふやけた人間に改造したのが、徳川家康であった。
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 徳川家康は、日本人が持っている「おぞましい性悪説」を滅する為に「お人好しの性善説」を広めた。
 日本人が、自然な人間の本姓であり世界基準である性悪説を失い人為な日本基準の性善説に凝り固まったのは、徳川家康のせいである。
 日本人から、他人を殴り倒し蹴倒しても勝ち抜こう生き抜こうという自然の闘争本能が奪われた。
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 日本人の生き方は、世界の常識である「弱肉強食という勝者の原理」から日本の常識である「棲み分けるという弱者の原理」に変わった。
 それは、生活環境ごとに変わって生きるという自然順応型である。
 だが、世界は全く異なり、生活環境にあわせて自然を人為的に改造するか、改造できなければ破壊・消滅させる自然征服型である。
 何故、違いが生まれたか、それは自然災害の発生頻度であった。
 大陸は、生活するには厳しい環境が多かったが、自然災害は少なかった。
 日本列島は、生活するには優しかったが、自然災害が多発していた。
 日本人と大陸人との生き方の違いはそこにあった。
 「人は同じ人間である」とは、ウソである。
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 渡部昇一「言うまでもなく、現代文明は、欧米の考え方を基盤として歩んできた文明です。この欧米社会は一言で言うと、性悪説キリスト教ユダヤ教、そして同じく性悪説のローマ法を地盤とした社会と言えるのです。
 いまキリスト教ユダヤ教性悪説と言いましたが、その理由は、それらの教義によると、人間は原罪によって楽園から追放された存在であって、そういう人間が救われる道はただ一つ、神の戒律に従うことだとしているからです。つまり、人間の性は歪められていて、ほうっておいてはとんでもないことをしでかすから、神と契約して戒律を守り、自分の性を拘束しろというのです」
 「旧幕府時代から性善説国民感情として支配的であったと考えるのが正しいと思われます。幕府も法令を細かくすることは恥ずかしいことだという意識があったようですし、性善説に立つ儒教や仏教が庶民に行き渡っていたのは間違いのないことだからです。もちろん、性善説が全国民的にひろがっていったのは、島国という地理的特性や鎖国という政策も大きい影響していると思います。しかし、いずれにせよ、日本においては、性善説が一般的であったと言えるでしょう」
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 日本人は、奴隷として売られた日本人を武力を持って奪い返さなかったし、金で買い戻す事もせず、なかったものとして切り捨て意図的に忘れた。
 日本人は、日本人が奴隷として売られた事実を認めない。
 そうした捻くれ根性は、現代日本人も強く持っている。
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 キリスト教会は、キリスト教禁令とキリシタン弾圧をした豊臣秀吉徳川家康徳川秀忠徳川家光を悪魔として憎んでいる。
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 豊臣秀吉「武辺をば今日せず明日と思ひなば、人におくれて恥の鼻あき」
 {今日、一生懸命に成績をあげようちせず、明日にしようと思っていたら、どんどん周囲から取り残されていくばかりだ}
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 宮本武蔵「仏神は貴し、仏神を頼まず」
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 伊達政宗「知らん行末計(はか)らんよりは、指当ることを為さんには如(し)かじ」
 {どうなるか分からない将来を考えるより、今身近にある問題に迅速にあたる方が大切}
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 本多正信「害を避くるを知りて、害を避くるの害を知らず。勢一(いきおいひと)あび屈する時は、また伸ぶべからず」
 {害を避けてばかりいてはいけない。時に害に立ち向かわなければ勢いを失ってしまうことになる}
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 北条早雲「有るをば有るとし、無きをば無きとし、有りのままなる心得、仏意冥慮(みょうりょ)にもかなふと見えたり」
 {あるものはある。ないものはない。見たまま、感じたままの心を持つことが、神仏の思し召しにかなうのだ}
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日本中世農村史の研究 (岩波オンデマンドブックス)

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