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2023年4月23日 YAHOO!JAPANニュース「「どうする家康」織田信長の時代には、普通に行われていた人身売買について
渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
奴隷に付けられた足枷。(写真:イメージマート)
大河ドラマ「どうする家康」は、お市の方の侍女・阿月が人身売買で売られる場面があった。この時代の人身売買は普通に行われていたので、もう少し詳しく考えてみよう。
我が国における人身売買は、基本的に禁止されていた。しかし、飢饉などで農作物が収穫できなかったりすると、生活に困って妻子を売ることがあった。寛喜2年(1231)の大飢饉において、人身売買が横行したのは、よく知られた事実である。
戦国時代になると、戦場で乱取りが常態化し、人の略奪も行われた。将兵は村の人々を捕らえて連行し、人買い商人に売っていた。それが、将兵にとっての恩賞代わりになったのである。次に、織田信長の時代における人身売買を確認しよう。
天正3年(1575)、織田信長は越前国の一向一揆を鎮圧した。その際、約3~4万の人々が、殺害または生け捕りにされた(『信長公記』)。生け捕りにされた人々は、農民そして女・子供が大半で、彼らには過酷な運命が待ち構えていた。
生け捕りにされた農民や女・子供は、人買い商人を介して売買され、やがて奴隷となる運命にあった。奴隷になった人々は、家事労働あるいは農作業に従事し、まったく自由が認められなかったのである。
天正7年(1579)9月、信長が支配する京都において、女性の人身売買が大きな問題となった(『信長公記』)。その事実は、以下のとおり記されている(現代語訳)。
去る頃、下京場之町(京都市下京区)で門役を務めている者の女房が、数多くの女性を騙して連れ去り、和泉国堺(大阪府堺市)で日頃から売っていた。この度、この話を聞きつけ、村井貞勝が召し捕らえて尋問すると、これまで八十人もの女性を売ったと白状した。
この女性は、門番の妻だったが、裏では女性の売買に関わっていた。女性を騙して売り飛ばし、その数が80人に及んだという。誰かが京都所司代の村井貞勝に密告したので、捕まったのである。京都所司代は、京都市中を取り締まっていった。
人身売買は織田政権下でも禁じられていたので、女性は厳しく罰せられたという。その後、処罰を受けた女性がどうなったのか不明である。
記事に関する報告
渡邊大門
株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・中野校講師。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社、『戦国大名の戦さ事情』柏書房など多数。
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日本には、大航海時代の中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易(被害者として)と日本軍部・陸軍・A級戦犯によるポーランド・ユダヤ人難民(数万人)をホロコーストから守ったという人道貢献(実行者として)を世界記憶遺産に申請する資格・権利がある。
これは、日本国家ではなく、生きている日本民族日本人としての責務である。
日本人奴隷交易とA級戦犯の人道貢献には、その事実を証明する・裏付ける公文書・古文書・キリスト教会報告書など歴史的証拠が国内外に数多く残っている。
もし、日本の申請が認められないというのならば、ユネスコとイコモスによる世界遺産・世界文化遺産・世界記憶遺産には存在意義はない、無意味・無価値という事である。
日本人奴隷交易の責任の一端は、乱取りで捕らえた日本人を奴隷として外国人に売った日本人にもある。
A級戦犯が有罪となって見せしめ的リンチ縛り首で処刑にされた罪状は、政治家・官僚・軍人として戦争を始めた平和に対する罪であって、拷問・虐待・惨殺・虐殺を行った人道に対する罪ではなかった。
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武士は、敵が自分より強者・巨大で戦えば必ず負けると分かっている絶望的状況にあっても、体面・名誉・プライドの為に戦うと決断したら「勝敗は時の運」と思い定め、死を覚悟し、「肉を斬らして骨を斬る」の捨て身の戦いを「正々堂々」と奇策や奇兵を駆使しておこなった。
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庶民にとって、領主・大名・主君が誰であったも関係ない。
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戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などの陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として買って世界中に輸出して金儲けしていた。
日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
一説によると、日本人奴隷として輸出した人数は、ポルトガル商人が5万人以上で、スペイン商人はふめいである。
これが、南蛮貿易に隠された暗黒史である。
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反権力・反権威・反体制的な庶民は、社会秩序に反逆する野伏せりや悪党であり、そして天皇を命を捨ててでも守ろうとした勤王派・尊皇派であった。
その代表的人物が、楠木正成であった。
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現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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日本人は、悪人、罪人である。
故に、親鸞はそうした救われない哀れな日本人は阿弥陀仏(阿弥陀様)が救ってくださると、「悪人正機説」で他力本願を説いた。
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