🏯50)51)─1─戦国時代の兵士の7割以上が貧しい百姓兵で残虐であった。〜No.95No.96No.97No.98 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 民族の歴史・宗教・伝統・文化を否定し破棄するマルクス主義共産主義の価値観では、日本民族の庶民(百姓や町人)や賤民(非人・部落民・他)を説明できない。
 そして、隣人愛のキリスト教では百姓や賤民を救えない。
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 2019年12月28日・1月4日号 週刊現代「リレー読書日記」
 『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』 藤木久志著 朝日選書
 『戦国の作法 村の紛争解決』 藤木久志著 電子書籍のみ/講談社学術文庫
 『戦国の村を行く』 藤木久志著 絶版/朝日選書
 民衆の視点からみたとき、『戦国』の景色は一変する。
 異端の歴史学者が遺した仕事
 和田竜
 歴史学者藤木久志さんが今年の9月に亡くなった。とかく戦国武将の視点から語られがちな戦国史において雑兵であるとか、農民であるとか、民衆の視点に立った研究をされて著書も多く、名著とされるいくつかは、僕はもとより多くの歴史作家が影響を受け、なかには藤木さんの研究そのものを物語化した小説もあったように思う。
 言うまでもなく戦国時代は下剋上の時代であり、身分の低い人間たちが実力をもってのし上がっていったわけだが、とは言いながらもこの際の主役は、地侍であるとか一定以上の身分にあった連中で、この点、藤木さんの著書では、名もない民衆そのものの活力や実態にスポットを当てたところが画期的であった。
 名著とされる『雑兵たちの戦場』では、雑兵たちの人取りの実態が明らかになる。人取りとは文字通り人を取ることで、奴隷の確保のことである。上杉謙信常陸小田城を落とした際、謙信自身の指示で、人の売り買いの市が城下で立てられたという。負けた側の民衆は奴隷として売られ、勝った側の雑兵は奴隷を売ることで生きる糧を得ていたわけだ。
 敵の農作物を刈り取ってしまったり、物を奪ったりする乱取りも、籠城する敵を兵糧攻めにする寄せ手の武将の戦術の一環として語られがちだが、雑兵たちからすると違う。大切な生活の糧なのであって、彼らを使う武士からしても、『戦場で奔走しても恩賞のない雑兵たちの士気を高める大切な機会であったのだ(後略)』
 人取りは、秀吉の人身売買停止令によって禁じられる。しかし、奴隷の確保や売買はほとんど戦場の習慣だったようで、禁止令が出されて後も続く。司馬遼太郎の短編『故郷忘(ぼう)じがたく候』の題材にもなっているが、朝鮮出兵のとき、秀吉自身の命令で技術者や女性が献上されたというし、薩摩の大嶋忠泰という武士が家族に宛てた手紙の内容に触れて、『朝鮮の人々を日本の留守宅へ土産に送り、家族もまたそれを楽しみにしていたらしいのである』という藤木さんの記述には衝撃を受ける。
 史料を何の疑問もなく読み飛ばしていたなと思い知らされることもある。
 同書では、『三河物語』を引用して戦国時代は兵農未分離だったという常識にも疑問を呈している。大久保彦左衛門が家康の今川氏人質時代を回顧して、自分たち三河侍は慣れない百姓仕事をしてまで時節の到来を待ったのだといった意味の記述を取り上げ、『実は兵農分離こそが現実だったことになる』としている。確かに様々な史料に武士が農作業をすることを落ちぶれたかのように表現する記述は散見され、僕などはそれを、『兵農未分離とはいえ、さすがに信長が農作業をするとは思えないから、その様な身分ではなくなっということだろう』と勝手な解釈をしていたが、藤木さんのような指摘をされると、すでに兵農は分離していたと考える方がすんなりいくと言えそうだと思った。
 『戦国の作法』では、庄屋についての話が教務深い。『庄屋』の言葉は江戸時代のものと思われがちだが、戦国期にもすでに存在し、本書に登場する大和国の若槻庄の庄屋善衛門などは相当強い。元亀2年(1571年)当時、若槻庄は興福寺の所領だったが、松永久秀に年貢の取り立てを請け負わされていたという。この松永久秀と対立した善衛門は納入を断り、領主である興福寺に出向いてたびたび抗議している。興福寺に対しては逃散(ちょうさん)をちらつかせ要求を通そうとしたらしい。
 農民のしたたかさ
 善衛門はあくまで農民であり、農民の側に立って年貢の取り立ての実務を取り仕切り、領主と交渉する一方、領主はそれに任せきりというのが実態だったようだ。領主側は『現地の実情や先例などは、何一つ掌握できていない様子である』。
 それにしても松永久秀というのは年貢納入を拒む農民に簔(みの)をかぶせて火をつけて、もがき苦しむ様を見て楽しんだという伝説さえある武将である。こうした武将に、年貢取り立ての代行とはいえ抵抗してみせた善衛門という人物が垣間見せる農民のしたたかさには意外な思いがさせられる。
 『戦国の村を行く』では、戦国時代の村の生活を知るのによく使われる九条政基の『旅引付(たびひきつけ)』を参考に当時の村人たちの領主に対する姿勢などを明らかにした。ちなみに『旅引付』は、関白にまでなった九条政基が殺人事件を起こして都を離れ、所領であった泉州の日根荘(ひねのしょう)に下ったときの日記だ。
 藤木さんはこの著書の中で、日根荘でのもめごとについて紹介している。日根荘の中にいくつかある村の中の1つが年貢を払わないことに怒って領主である政基は、その村に水を行かせないよう同じく領内の別の村に命じたが、強い反対にあって断念せざるをえなかったという。『村をこえた農民どうしの強い連帯感は、お公家さん領主の九条政基には、とても理解できなかったのではないでしょうか』。
 ほかにも権力の徴兵にまるで消極的だった当時の農民の様も紹介し、弱さや悲惨さだけでは語りつくせない戦国期の農民像を構築することに成功している」
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 日本の大改造は、徳川家康江戸幕府と近代的天皇制度の明治政府の2回行われた。
 現代日本は、無理な大改造の反動として先祖返りが始まり、江戸幕府以前の原日本に戻ろうとしている。
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 何故、日本人は素直で従順で大人しく、自己主張せず、口答えせず、権利を主張せず、抵抗しないのか。
 それは、奴隷根性がすり込まれているからである。
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 日本の歴史において、世界で日常茶飯事的に起きていた十数万人、数十万人を根絶やしにする大虐殺は1つもない。
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 日本人は、特別でもなければ、賢くもなく、優れてもいないし、秀でてもいない。
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 日本人の本性とは、薄情で、冷淡で、冷血で、冷酷で、非情である。
 自分だけ助かり利益・金儲けする為に、平気で人を裏切り、見捨て、切り捨て、蹴落とす強欲が日本人の本性である。
 日本人は、他人より自分という殺伐とした個人の強欲の塊で、自利自愛で他利他愛はなく、社会の為、人の為などはなかった。
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 日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋の民衆・大衆・人民・市民とは違っていた。
 百姓は、戦場に倒れた死者を弔う名目で死者の身包みを剥いで大きな穴に放り込み、敗れた側の落ち武者を嬲り殺して首を切り取って褒美を貰っていた。
 町人は、戦場を見渡せる安全な高台に酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦・殺し合いを観戦して楽しんだ。
 百姓や町人らの合戦見物や戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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 日本の合戦において、武将は雑兵や足軽による乱取りは黙認していた。
 乱取りで捕まった人々は、奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人奴隷商人に売って金儲けをしていた。
 中世キリスト教会・イエズス会などの修道士会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として世界中に輸出して金儲けしていた。
 日本人奴隷を生み出していたのは、雑兵や足軽になって乱取りを行った百姓であった。
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 自分が奴隷にされた事のある人間は、相手を奴隷にすることに罪の意識はない。
 「自分の嫌な事は相手にしない」とは、嘘である。
 「弱い者は奴隷として苦役を強制され、強い者は奴隷を所有して家畜の様に使役する」、それが人類史である。
 キリスト教イスラム教など多くの宗教は、「奴隷」を合法として認めていた。
 奴隷になりたくなければ、経済力を付けて国を豊かにし、強力な軍隊を持って国を守る事である。
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 国力のない弱い国は、国力のある強い国に侵略され奴隷にさえる。
 それが、人類史である。
 朝鮮はその際たるものである。
 日本は拒否し抵抗した。
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 徳川斉昭藤田東湖ら水戸学者らは、欲得だけで動く強欲な庶民を恐れた。
 明治の新政府は、ロシアの侵略から日本を守る為には日本・日本人を1つにまとめる必要があり、教育勅語軍人勅諭を発布し、皇国史観を広める為に日本書紀古事記から天皇の御威光・威徳に基づく修身教育を徹底した。
 こうして、日本民族日本人と日本国は明治時代に作られた。
 近代的天皇制度や国家神道は、キリスト教や後のマルクス主義共産主義に対抗する為に作られたと言うより、強欲な庶民を1つにまとめる為に必要であった。
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 封建領主は、従順そうに見えてもいつ何時牙を牙を襲ってくるか分からない百姓や町人を嫌い、恐れ、寝首を掻かれないように警戒した。
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 領主・支配者が誰であろうと、それが日本人でなく中国人や朝鮮人、ロシア人、ユダヤ人、アメリカ人でも、極端に人間でなくても猿や猪、烏や鷹、鹿や馬、犬や猫だろうが、生き物ではない山や川、石や紙・護符でも受け入れた。
 庶民は、領主・支配者の血筋や家系、氏素姓や出自、身分や階級・階層など気にはしないし、何処の馬の骨とも分からない奴でも相手を受け入れるが最低条件として自分の生活・仕事を邪魔しない、害を与えない、被害を与えない事を約束する事であった。
 相手の宗教・信仰や哲学・思想・主義主張など一切興味がなく、全て屁理屈と軽蔑していたが、いらざる争いを避ける為に全てを「御無理ご尤も」と嘲笑して受け入れていた。
 日本で宗教戦争や思想・主義主張紛争が起きない多様性と寛容はここにある。
 世界では、少数派が多数派を支配し、少数派は強権を持って多数派を弾圧していた。
 日本は多数派が主導権を握り、多数派が少数派の生殺与奪の権を持っていた。
 日本では、少数派はどこまで行っても力のない少数派である。
 世界では、少数派こそが絶対権力を持って全ての富を独占する。
 その意味で、貧富など各種格差は世界で常識であるが日本では起き辛い。
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 権威や権力には、表面的・建前として従ったが、裏面的・本音では従ってはいなかった。
 日本人は、言う事と行う事が一致せず、何を考え、何を思い、どうしたいのか分からない。
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 現代日本人は、明治時代以前に先祖返りし始めているが、それは日本人の有りの儘の素の姿であり、真実の姿である。
 その最たる例が、万世一系男系天皇(直系長子相続)を廃して単世複数系の女系天皇制度に改悪しようと事である。
 庶民にとって、天皇が誰であっても気にしない、それがAI(人工知能)であってもロボットであっても、それこそ宇宙人であっても。
 庶民は個人主義が強いだけに、豊かな多様性と懐の深い柔軟性を持っている。
 現代日本人は、そうした庶民に先祖返りし始めている。
 それは、正しい道とも言える。
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 日本人を洗脳して作り変えたのが、明治から大正にかけての児童用立川文庫などの架空の嘘で固められた大衆歴史小説であり、今までなかった日本精神、大和心・大和魂、武士道・士道などという造語・新語である。
 巷で人気のある、武将や英雄豪傑話の多くは意図的に作られた話である。
 つまり、勝者の物語に過ぎない。
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