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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本人と中国人・朝鮮人・韓国人とは祖先、ルーツは違う。
日本文化と中国文化・朝鮮文化は全然違う文化である。
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日本と中国・朝鮮は、異質であって同質ではない。
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文化には、優劣は存在しない。
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2022年10月 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「中国人が日本の包装紙を見て目を見張ったワケ、中国にはない「文化」とは
● 「宗家 源吉兆庵」の包装紙に描かれた中国の詩
かなり前のことだが、いただいた和菓子の菓子折りを見た途端、目を見張った。包装紙に、盛唐時代の詩人・王之渙の詩「登鸛鵲楼」が刷られていたのだ。中国の小学生も暗唱できる「白日依山盡、黄河入海流。欲窮千里目、更上一層樓」だ。
「太陽が山の稜線に寄り添うかのように落ちていき、黄河の水が海に入り、海流と溶け込んでいく。すでにはるかな遠方を見ている目を極めたいなら、さらに高いところに上ろう」という意味だ。
その和菓子屋は、岡山県からスタートした創作和菓子の「宗家 源吉兆庵」だ。Twitter上では、なぜ包装紙に漢詩が起用されたのかという疑問を持つ人もいるが、私から見れば、おそらく以下の理由から採用されたのではないかと思う。
雄大な景色を眼下に俯瞰しながら、より遠いところを眺めたいなら、さらに高いところに上ろうよと勧めるこの詩は、すでに国内店舗が約150、海外店舗が約30の規模を持つ源吉兆庵の高遠な志を代弁しているからだ。
● 『古今和歌集』の詩も…菓子そのもの以外でも並々ならぬこだわり
先月、上海で不動産仲介業をやっている弟が久しぶりに東京にやってきた。手土産に源吉兆庵の旬のお菓子「花熟柿(はなじゅくし)」を持ってきてくれた。これは円熟した柿果肉をまるごと使ったゼリーだ。柿関連のお菓子は私の好物だ。販売期間は9月上旬~10月中旬という短さで、この季節ならではのプレゼントだ。干し柿をまるごと一つ使用して作られた「粋甘粛(すいかんしゅく)」も大好きだ。
古くは「菓子」といえば「果子」のことを言い、果物や木の実などを指していた。源吉兆庵の「自然シリーズ」のお菓子がまさに果実の旬をビジネスの絶好のタイミングとして捉え、自然が育てた果実の姿・形・味わいをそのまま生かして、四季折々の和菓子に仕立てている。
日本には柿を食材にした美しくておいしいお菓子が数え切れないほどあるが、なかでも、源吉兆庵の商品に対しては格別の愛着を持っている。同社の食材・味・色彩・季節感に対する並々ならぬこだわりは、秋の季節感を出す紅葉と薄墨で書かれている和歌の草書がデザインされた包装紙にも表れている。
弟が持ってきた菓子折りには、「秋の野の草のたもとか花すすき 穂にいでてまねく袖と見ゆらむ」と書かれていた。
「まわりにある花ススキは秋の野のたもとだろうか。風に揺れるその穂はまるで私を呼び誘う美女の袖のようだよ」という意味だ。
『古今和歌集』に収録されているこの歌は、平安時代前期の貴族・歌人、中古三十六歌仙の一人として知られる在原棟梁の手によるものだ。恋歌仕立ての作品だが、作者の季節感が自然ににじみ出てくる名作で、包装紙のデザインによって表現された美しいイメージの世界に酔いしれてしまう。
● 夏ののし紙に描かれた和歌で思い出したこと
季節が違うと、源吉兆庵が使う包装紙も変わる。そこに書かれている詩や和歌も違ってくる。
たとえば、夏用ののし紙には、その季節に合う草花(カエデの青い葉)と『万葉集』に出ている和歌が添えられていた。
「大滝を 過ぎて夏身に近づきて 清き川瀬を 見るが清けさ」
作者は兵部川原。和歌の意味は、「大滝を過ぎて、ここ菜摘(なつみ)に近寄って清い川瀬を見るとすがすがしい気分だ」という。夏の贈答品の包装紙にぴったりの和歌だ。ちなみに、その和歌の原文は「大瀧乎 過而夏箕尓 傍為而 浄川瀬 見何明沙」となっている。
三十数年前、上海外国語大学で日本語と日本文学を教えていた私は、京都外国語大学で1年間研修する機会を得た。当時、研修を終えて中国の大学に戻ったら、いずれは日本の古典文学も教えなければならないだろうと思い、『万葉集』や『古今和歌集』の独学を始めた。底冷えの京都で難しい日本の古語と悪戦苦闘した、あの日々は孤独で苦痛だった。それも後に日本に永住しようと決めたとき、教師職を求めず、ジャーナリストへ転身した動機の一つにもなった。
源吉兆庵の包装紙は、孤独で日常離れした日本語研修の日々と、そのときにうろ覚えした知識を、懐かしく、美しく、しかもおいしく、思い出させてくれたのだ。
● ぶどうのパッケージも、中国では見られない包装へのこだわり
包装紙ではないが、商品の包装に商魂をつぎ込んでいる商品はまだまだある。
インバウンド事業を促進するための山梨県観光懇話会委員をかなり長い期間、務めたことがある。その山梨県を支援するために、妻はふるさと納税で毎年、山梨県の業者のぶどうを選んでいる。
妻が選んだのは2006年に設立した株式会社ヴァインヤードの「甲斐国物語」ブランドのぶどうだ。届いた商品を開けてみたら、ぶどう棚を写した写真をプリントしたような紙と「自然が教えてくれる葡萄のおいしさ」と題するおいしいぶどうの秘密を教える紙が入っていた。
「3月、葡萄の木を剪定すると、切り口から水がポタポタと流れ落ちます。これは水揚げといい、冬の間に眠っていた葡萄の木が、枝へ栄養分を与えるために土から水分を吸い上げている状態のことです。(中略)自然と向き合いながら、今日も丁寧に。おいしい葡荀は、毎日手をかけることから生まれています」
「おいしいものを、おいしい時にセレクト」と題する案内文では、商品の特質を丁寧に解説し、食べ方も親切に教えてくれる。また、お客さんへの感謝のあいさつやインスタグラムへの投稿の誘いなどの内容を書いた紙も絵はがきもある。
最後の紙は、「ぶどう果皮のかすり(斑点シミ)、傷について」と題する文章で、商品の問題についての説明をしている。「果皮に斑点しみ、小さな傷が入った粒が混じることがございます」と断った上、「これは、今年の天候による低日照、台風による風の影響により生じたもので、特に熟度が進むと色濃く現れます。味や健康への影響はありません」と説明している。
自ら商品の問題点と思われるところを進んで説明するその姿勢は好感が持たれる。
商品の包装もビジネスを展開する上で、欠かせない大事な舞台だという認識において、「宗家 源吉兆庵」とまったく遜色しない。
和歌や唐詩をツールにして、商品を販売すると同時に、文化の情報発信もしっかりとやる源吉兆庵に対して、甲斐国物語の方は、地域の風土のアピールに力点を置いている。精練さや完成度には差があっても、その目指す地平線には、同じ標高がある。
市場経済に目覚めてからすでに数十年もたった中国では、商品の包装に競うかのように豪華さを求める風潮がある。書籍のカバーなどを除いて、他国の詩などを包装紙にデザインして販売する商品に出合ったことはない。
いつか中国の商品も、日本の和歌やシェイクスピアのソネット(十四行詩、Sonnet)などがあしらわれた包装紙に包まれて販売できるようになったら、自国の文化に対する自信は名実ともに確立できたといえよう。
莫 邦富」
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