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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
唐・長安は、シルクロードでローマとつながり、ブックロードでヤマトとつながっていた。
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日本民族は、日本土人であった縄文時代の昔から日本近海を手漕ぎ丸木舟で航海していた海の人であった。
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2021年12月1日 MicrosoftNews MANTAN Inc.「歴史探偵:「遣唐使 極秘ミッション」 驚異の航海術を徹底解明
俳優の佐藤二朗さんらが出演するNHKの歴史番組「歴史探偵」(総合、水曜午後10時半)。12月1日は「遣唐使 極秘ミッション」と題し、遣唐使船と当時の航海術などを最新科学で徹底検証する。
約1300年前、異郷の地・中国へ旅だった遣唐使。命がけの航海に使われた船を検証すると、遭難が相次いだという従来のイメージを覆す高度な航海術を持っていたことが明らかに。さらに、遣唐使に課せられた極秘ミッションを調査すると、中国で見つかった不思議な石版から、謎を解く手がかりが見つかった。日本の歴史を変えたビッグプロジェクトの真実に迫る。
「歴史探偵」は、俳優の佐藤二朗さんとNHKの渡邊佐和子アナウンサーが「探偵」として、歴史上の謎に挑む歴史番組。」
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日本と朝鮮を分けたモノは、書籍であった。
朝鮮の使者は、国王を喜ばせ、権力者への賄賂として、皇帝から下賜された高価で貴重な品物を陸路で本国に持ち帰った。
遣唐使は、国の為に、下賜された品物を売った金で数多くの書籍を購入して日本に持ち帰った。
日本は、唐で出版されている書籍の半数近くを輸入した。
唐の書物は、中国だけではなく、シルクロードを通じて流れ込んでいたインド、中央アジア、ペルシャ、東ローマのビザンチン、西ローマのローマなど世界中の知識と技術が詰まった智の宝庫であった。
天皇が国際都市長安に求めたのは、遣唐使が持ち帰る目の前に積み上げられた目が眩むような金銀財宝の山、富み、豊かさではなかった。
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日本は何時の時代でも、海外とヒトによる自由な往来・交流はしなかったが、モノとカネの交易を続けて、日本民族は舶来物好きと好奇心そして国の将来という必要に迫られて新しい知識や最新技術を積極的に取り入れていた。
古い知識と技術の継続的改良・改善・変革と新しい知識と技術による破壊的イノベーションという車の両輪方式が、日本の発展・進化・進歩の原則であった。
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日本の歴史上、中国大陸に富を求めたのは積極的に交易を行った権力者は平清盛と足利義満で、地方大名であれば山口の帰化系大内氏などであった。
南蛮貿易を進めた戦国大名は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と幾人かの大名であった。
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