🌏48)─1─明治維新の思想的原動力は日本的朱子学(水戸学)・日本的陽明学・国学・蘭学=洋学であった。~No.162No.163No.164 @ 

人生と陽明学 PHP文庫

人生と陽明学 PHP文庫

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 孔子の『論語
 孟子の『孟子
 朱熹の『近思録』。
 王陽明の『伝習録』。
   ・   ・   ・   
 日本の儒教は異端派で、中国や朝鮮の正統派儒教とは根本的に異なっていた。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、血に飢え・血に酔う勇猛果敢な尚武民族ではなく、争い事や競う事を嫌がる気弱で脆弱な臆病民族である。
 精神主義を声高に叫ぶのは、気が小さい臆病な負け犬の証拠である。
 神に強い犬は、どっしりと構えて動じない。
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 2017年6月号 新潮45「水戸学の世界地図 片山杜秀
 23 岡倉天心北畠親房
 天心にとって日本を特殊性は、中国とインドの文化を化合させてアジアの粋を示すことだった。
 天心の陽明学
 1904(明治37)年2月10日、岡倉天心横山大観菱田春草を連れて日本から米国に旅立った。ボストン美術館招請に応じてのことである。日露戦争が勃発したのはまさにその日。西洋の大国と日本がついに対決する。天心は興奮した。米国において英文で『日本の目覚め』を著し、それは同年秋、ニューヨークの書肆(しょし)から出版された。もちろん祖国の精神を西洋人に理解してもらおうとする本である。そこで彼は明治維新の意味を懸命に講じようとした。ついこの前までサムライの世だった日本が何故ロシアと矛を交えられる近代国家へと短期間で成長しえたのか。
 天心はその説明のキイワードのひとつは陽明学である。中国の明の時代の儒学者王陽明の学問を陽明学と呼ぶ。儒学の一派ということだ。天心は西洋人に竜のイメージで伝えようとした。その心は確固たる実体がないということ。斎藤美洲の訳から引く。
 『東洋の竜は、西洋中世の想像力が生んだような不気味な怪物ではなかった。それは力と善の精であった。それは原動力であり、第一原因であり、万象に宿ってその環境に応じながら、たえず新しい姿をとる。しかし決定的な姿というものはけっしてとることがない』
 竜はかくも変幻自在である。身を殺ぎ、生まれ変わり、身体をくねらせ、小さな隙間も通り抜ける蛇の拡大版としての竜。それは『大神秘そのものであり、人跡未踏の深山の洞窟にひそむとか、あるいは深海の底にとぐろをまくとかして、時きたらばおもむろに動き出す』。
 ……
 天心は竜と蛇を重ねているとはっきり分かる。竜は脱皮する。しかも頻繁に。閃光の中に浮かび上がる鱗はきらめく度に違う鱗である。『たえず新しい姿をとる』のだ。日本人は陽明学を学んだからこそ、その術を身に付けた。そう天心は言う。
 陽明学はかたちにこだわらない。既成の存在にとらわれない。日本に息づいた陽明学はとりわけそうだという。なぜか。天心によれば、極東の島国に伝来した陽明学は単なる中国の学問であることを離れ、日本の地で『インド流考え方』『生々流転の無常観』と特に結びついたからである。かたちあるものは滅ぶ。昔のもの、眼前のものにこだわる必要はない。すべてを打ち壊して新しいものを始める。その覚悟が入り用なときは素直にそうすればよい。何もかも変えてしまえばよい。そのために機敏に決断し実行する。日本の陽明学はそんな精神を育てた。とりわけ薩摩と長州に育てた。だから薩摩の志士は、敢然(かんぜん)として躊躇なく、とてつもない破壊と再生の儀式をなしえた。それが明治維新である。維新の背景はインド思想と結びついて存在に頓着せぬことを教えた日本流の陽明学。天心の明治維新観だろう。
 天心にとっての日本の特別性とは『東洋の思想』以来、中国的なるものとインド的なるものを化合させてアジアの枠を示すのが日本人の特技という仮定、ただその一点においてのみ担保されている。天心にかかれば陽明学もそのように解される。諸行無常だから、かたちに、存在にこだわるのは無駄である。無常観が破壊活動を促進する。陽明学の行動主義を倍加させる。維新が徹底する。ゆえに世界でも稀な、東洋でも類例なき、劇的革命としての明治維新が達成さたという。
 天心は言う。日本の陽明学の徒によれば『過去の仏陀は未来の仏陀と同じではない。なぜなら後者は前者に何かが加わったものにちがいないからである。新しい存在はすべて過去の瓦礫の上に、無数の小世界がくずれ落ちるまっただ中から生まれ出るものである。生々流転とは、異なる次元における自己顕現にほかならない。目ざましきかな、その変転!みごとなるかな、「生死」の異変!』 
 不断の新生!万物流転!無限の生命力!天心が陽明学を解き明かそうと用いた竜のイメージは、恐らく太平洋の荒波、その刹那にかたちを変え続けるダイナミズムに、竜の鱗を重ねることで強固な想念へと育ったものだろう。天心は明治36年、つまりボストンに行く前年、茨城県の太平洋側の北端の五浦に土地を買い求めている。明治35年から36年にかけては千葉の銚子で過ごしてもいる。眼前はやはり太平洋。そして、繰り返される海外への船旅。波に揺られ続ける。天心は海に不断の更新を発見し、かたちにこだわらない東洋の心を見いだした。
 そのような天心の竜への賛美は、たとえば横山大観のあの竜の絵画に反映されてゆくだろう。竜は維新の具像化であり、最良の日本精神であり、東洋の実践主義的哲理そのものである。天心が、眼前に怒濤の逆巻き続ける五浦に六角堂を建てたのは、ボストンから帰った明治38年。近所には徳川光圀巡検に訪れたおりに水を汲もうとしたと言い伝えられる井戸もある。五浦は水戸藩の領内であり、逆巻く海は19世紀初頭からは米国船や英国船が出没して水戸藩を悩ます海でもあった。
 明治維新と日本的朱子学
 ところで、陽明学がもののかたちにこだわらない行動主義であって、それが無常という観念と結び付いて明治維新の原動力になったとは、具体的にどういう理屈なのか。そもそも陽明学とは何か。
 王陽明は1472年に生まれ1528年に逝った。繰り返せば明の時代である。時は朱子学全盛であった。明の前はモンゴルの征服王朝の元。その前は宋。朱子学の大成者、朱子こと朱熹は宋代の儒学者である。彼は『格物致知』を説いた。物とはこの世に存在するものや出来事であろう。そこには道理が内在している。道理があるから物がある。出来事がある。物は無常にも崩れ行く。だから道理は霞んでいるかもしれない。しかしそれでも道理はある。人間は物の道理を洞察することで知に至る。ここで言う知とは単なる知識や知恵ではない。真実を知る最高の力である。人の正しい道を見抜く力である。最高道徳が分かる力である。正義が奈辺にあるかを間違えない力である。それを知と呼ぶ。
 この朱子の教えは正しいのか。物の核心を見通せば知を極められるのか。王陽明は『格物致知』に徹しようとしてみた。有名な竹の故事が生まれる。何物にも道理があるとすれば、たとえば竹にも道理があるだろう。王陽明は考える。『格物致知』の物に竹を代入すれば『格竹致知』である。竹の理を極めてみよう。彼は7日7晩、竹に向き合った。だが竹の道理が見通せない。王陽明が未熟だからだろうか。ならばどこかの有徳の士は彼と違って竹の道理を知っているだろうか。そんな話はきかない。とすれば、朱子の理屈に無理があるのではないか。竹の理など不可知なのではないか。とはいえ、この世に理がないはずはない。最高道徳や正義がないということはあるまい。それはどこにあるのか。どうすれば知ることができるのか。
 朱子は人間の外のかたちあるものにこだわる。この世に既にあるものや起きたことに粘着する。事物を外から見る。儒学をよく学べば真実が事物の中から伝わる教える。その伝で言えば、竹にも神が宿っているし、それを徹見する能力を人間が持ち得ることになる。
 王陽明はそこがおかしいと考えた。人間の外にあるものを観察することで知に至るという朱子の根本発想が変ではないか。物に理があり、理を突き詰めれば最高道徳、正義、究極的に為すべきことが分かる。それは正しい。ただその物は外ではなく内なのだ。自分という物、一個の人間の内なる心に最高道徳は備わっている。それを曇りなく発動されるように自らを磨けばよい。そうすれば自らが為したいことが即正義となるだろう。外にあるかたちをためつすがめつ眺める必要はない。おのれに純粋にひたすら忠実であればよい。最高道徳に律されたおのれの行いは知、つまり正義を知る心と同体になる。これを知行合一という。陽明学のテーゼである。
 そこに万物流転、諸行無常、実体否定の古代インド的・仏教的世界観が化合すれば天下無敵となる。志士が思った通りに行動し、かたちあるものにこだわらない。どうせいずれはみんな壊れるのだ。思うことは状況に応じていかようにも変わる。天心が竜とは『力と善の精』であり、『それは原動力であり、第一原因であり、万象に宿ってその環境に応じながら、たえず新しい姿をとる』と述べているのはまさにそれである。竜を知にして行である。最高道徳を徹見し実践して知行合一を果たし続ける竜の力。『力と善の精』だから知行合一をなしうる。天心に言わせれば吉田松陰西郷隆盛陽明学の徒である。儒教的教養に裏付けられて人間本来の判断能力を全展開しうるという確信に満ちた人間だから、間髪をいれず、かたちにこだわらず、思った通りを大胆になせる。思うままに行えばそれは正しい。そう信じる人間が大勢いなくては維新の大業はなかった。そういう真似は儒学と仏教を重ね合わせなくてはうまくできない。両者を吸収した日本にだけできる離れ業。日本の覚醒できた理由を天心はそのように説く。
 だが、それだけでは明治維新は解明できないだろう。そもそも陽明学は、いくらかたちにこだわらないと言っても、アナーキーな破壊をもたらす思想ではない。それはあくまでも儒学である。最高道徳を信じ、天の観念を奉り、天を現実界で代表する天子が居ればそれに忠誠を尽くし、親には孝行をし、民を思う。自己の内面にひたすら依拠(いきょ)した行動主義とはいえ、知行合一のうちの知が内面に君臨し行動を制御し、その知とは儒教の説く正義を離れることはない。天子というかたちあるものが外に居れば、それに対して破壊的に振る舞うという態度が原則論としては出てくるはずもない。要するにすべての外形を否定し尽くす理屈では決してない。
 実際、明治維新はすべてを新しくする革命ではなかった。かたちを重んじた。王政復古なのだから。かたちを軽んじる傾向のある陽明学が役割を果たしたとしても、それはかたちを重んじる傾きを持つ朱子学とセットになっていた。明治維新はかたちを破る闘争であると同時に、かたちを守る運動でもあった。天心は諸行無常を強調するが、人間は実際には諸行無常を心底から受け入れたいとはかぎらない。無常の虚しさにとらわれたくない。『有常』を擁護したい。物やかたちにこだわる朱子学にはもともとそういうところがあり、朱子学的思考が日本に伝来すると、それは無常を乗り越えて日本にただひとつ永続の可能性のあるものとして残り続けているかたちを純粋に擁護する運動と結び付いていった。そのようにして日本的陽明学と対になったのが、言わば日本的朱子学である。その中から水戸学があらわれる。
 はて、日本的朱子学の擁護するかたちとは何だろうか。明治維新は王政復古なのだから、そこに見つかるかたちあるものは天皇に決まっている。日本固有の天子である。より正確に言えば、生身の天皇に物である三種の神器がセットになって基本型をかたちづくっている。生身の天皇は生き物だから崩御する。活物であるがゆえにはかない。まさに諸行無常だ。一方の三種の神器は鏡と玉と剣であって、生き物ではない、死物と呼んでもよい。だが壊さずに守れば長く保つこともできる。天皇は代替わりが順調なら永遠にも続くだろう。が、代の替わるときは危うい感じがする。その空白や裂け目を三種の神器が埋める。活物が死物に生気を吹き込み、死物が活物に永遠性と正統性を付与する。この組が成立してこそ何としても永続させたいと日本的朱子学の徒の願うかたちがうまく出来上がる。そのかたちを巧みに作り上げたのが徳川光圀に始まる水戸学の流れであった。
 『三種の神器』の特権化
 いやいや、三種の神器は別に水戸学を持ち出さずとも、神話の時代から定まって天皇とセットにされた概念ではないか。そう思われる向きもあるだろう。確かに『日本書紀』にはこうある。
 『天照大神乃賜天津彦彦火瓊瓊杵尊八坂瓊曲玉八咫鏡草薙剣三種宝物』
 天照大神天孫降臨にあたって地上に持たせた『三種宝物』として玉と鏡と剣が明記されている。しかしそれがただちに三種の神器として天皇の存在に必須となったわけではどうやらない。三種の神器という表現が一般化しだすのはずっと時代がくだって『平家物語』以降と考えてよいだろう。
 『平家物語』と言えば諸行無常の代名詞である。栄耀栄華を極めた平家が滅亡し、代わった源氏も源頼朝義経の諍いに始まって諸行無常の歴史をなぞってゆく。定かなものが見当たらない。『平家物語』は岡倉天心流に諸行無常を積極的に前向きに肯定しているのではむろんない。かといって諸行無常への諦念に覆い尽くされているのでもない。無常を超えた定かな何かを欲する。その思いが三種の神器についての記述につながっているだろう。『平家物語』では安徳天皇を奉じて瀬戸内海の海を漂う平家に後白河法皇院宣がこうくだる。
 『一人先帝、金闕(きんけつ)、鳳暦の台を出でて、南海、西海の境に幸し、しかるあひだ三種の神器、南海にうづもれて数年を経る。もつとも朝家の御嘆き、亡国の基となり。なかんづくかの重衡の卿は東大寺焼失の逆臣たるによつて、すべからく頼朝の朝臣の申し請くる旨にまかせて、死罪に行はるべきといへども、ひとり親族を離れて、生捕となる。籠鳥雲を恋ひて、思ひをはるかに千里の南海にうかぶ。帰雁友を失つて、心さだめて旧都の中途にかよはんや。しかるときば、三種の神器ことゆえなく都に返し入れたてまつらば、かの卿においては、すみやかに勧宥せらるべきものなり』
 『一人先帝』というのは安徳天皇のこと。都から落ちて西国の海に漂って久しく、都では後白河法皇後鳥羽天皇を新帝にたてている。安徳天皇はもう先帝扱い。しかし三種の神器安徳天皇とともにある。後鳥羽天皇の正統性が疑われる。亡国のきっかけにもなる。そこで源氏方に生け捕りになっている平重衡三種の神器を交換しようではないか。後白河法皇はそう言う。
 平家方の返答は?『帝王の御位をたもたせ給ふと申すは、ひとえに内侍所の御ゆえなり。これを都へ返し入れたてまつらば、君は何の御たのみにて世にもわたり給ふべき』
 『内侍所』ととは宮中における八咫鏡の置き場所のこと。転じて、ここでは三種の神器の言い換え表現になっている。三種の神器を都に返しては、安徳天皇がなおも正統な天皇であると平家が主張することができなくなるし、安徳天皇自身も何を心のよりどこにしてよいか分からなくなる。よって返さない。平家は後白河法皇にそう返答する。
 このくだりこそ日本の思想史・文学史における三種の神器の誕生を示す箇所といってよいだろう。記紀にも登場する鏡と玉と剣ではあるけれど、天皇の正統性とここまで結びつけられて強調されたことは、これより前にはあまりなかった。
 『平家物語』の諸行無常は源氏や平家の運命についてだけではない。朝廷・天皇家がとてつもなく諸行無常である。ついに天下にひとりのはずの天皇がふたりになってしまう。南北朝時代に先駆ける事態が一時期にも出現した。王朝の分裂。亡国の危機。諸行無常の極み。ここで無常を超えた定かな何かとしてクローズ・アップされるのが三種の神器というものである。三種の神器という物に宿る真理が、ふたりの天皇の正閏を見定め、諸行無常アナーキズムから世を救い出す唯一無二の手段として待望される。
 この『平家物語』による三種の神器の特権化の思想的発展型として現れるのが、北畠親房の『神高正統記』になるだろう。南北朝時代のまっただなかに北朝よりも南朝が正統であることを、南朝方が三種の神器を所有する事実をひとつの根拠として、強く主張した書物である。その理論を更に大きく飛躍させると水戸学の天皇三種の神器を巡る日本的朱子学の大系となって、それが近代日本を支配することになる。
 北畠親房は『神皇正統記』をどこで著したか。南朝方の公家である彼は、1338年(南朝元号で延元3年、北朝元号だと暦応元年)、常陸国の神宮寺城に入り、ついで阿波崎城、小田城と移った。『神皇正統記』は延元4年に小田城で書き上げられた。神宮寺城と阿波崎城は今日の茨城県稲敷市に、小田城は同じくつくば市に位置する。岡倉天心の五浦が常陸の北なら、北畠親房は南。その真ん中が水戸。常陸国は、日本の国がら、国体、ナショナリズムの方向を定めることに、最も関与した土地と呼んでよいだろう」
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 『平家物語』は、栄耀栄華の末に儚く滅亡して行く俗世の平氏一門だけではなく、神聖な天皇家・皇室さえも虚しく滅びる怖れがある事を物語っている。
 天皇家・皇族を、正統な日本の主権者であり、永遠に存続する事を保障しているのが三種の神器である
 日本民族日本人の永遠の命は、永遠に滅びる事のない三種の神器の正統な継承者である天皇家・皇室で保障されている。
 天皇位を正統たらしめている三種の神器は、日本中心神話・天孫降臨神話・日本神道によって天津神天照大神(女性神)の血を引く子孫のみが、その血筋(皇統)を正当権利として所有する事を許された日本の秘宝である。
 ゆえに、三種の神器を所有できない俗物は、如何に人物が優れていても天皇に即位できない。
 三種の神器の所有は、軍事や経済を持った政治権力者でもなく、生死を超越した宗教権威者でもなく、ひとえに血の繋がった家族性にある。
 三種の神器とは、移り変わりやすいいい加減な絶対正義ではなく、変わる事のない不動の絶対道徳である。
 絶対正義と絶対平和は、勝利者・強者と共にある為に一瞬で消えてなくなる儚い幻想にすぎない。
 かってのマルクス主義共産主義による絶対正義と絶対平和と人民の楽園は、今や地球上の何処にもない。
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 中華世界(中国・朝鮮)は、安定した広大な空間の為に多様性がなくとも生きられた。
 日本は、不安定な狭い空間な為に多様性がないと生きられなかった。
 中華世界は、古典を一言一句そのままに墨守し、如何に優れていようとも、時代に合ったものでも、新しきものは拒否し排除した。
 日本は、時代ごとに古典に絶えず新しいものを加えて、時代に合ったように変化させて受け入れた。
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 故に、日本と中華世界は異なる。
 日本と中国・朝鮮との、2000年近く続く敵対、対立、反目、確執、嫌悪、憎悪の根本的原因はここにある。
 よって、両者間の和解、相互理解や友好、宥和は完全に不可能である。
 日本の親和性が強いのは、儒教が支配する中華世界ではなく、インドを中心とした仏教世界である。
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 何故、日本は絶えず新しく変われて、中国・朝鮮が新しく変われなかったのか。
 その違いは、日本天皇と中華皇帝・中華国王にあった。
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 江戸後期。日本には、官学の朱子学儒教、在野学の仏教、道教陽明学儒教国学蘭学=洋学、諸派など多様性がり、価値判断は寛容で多種多様であった。
 中華世界(中国・朝鮮)には、官学の朱子学儒教しかなく、価値判断も一つで不寛容であり、在野学は時折弾圧された。
 朝鮮では、特に仏教の弾圧は熾烈を極め、多くの仏像・仏典・仏具などが日本に二束三文で売り飛ばされた。
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 明治の初め、日本でも儒学者と偏狂的国学者による仏教弾圧が行われた。それが廃仏毀釈である。
 薩摩では、大半の仏教寺院が破壊された。
 明治新政府は、寺社仏閣が特権として所有していた広大な寺領を没収する為に、意図的に廃仏毀釈を煽った。
 百姓の多くは、御上から煽てられて廃仏毀釈をしたのではなく、長年の寺院と僧侶に対する怒りを秘めていた。
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 廃仏毀釈は、必然的な必要悪として行われた。
 もし、廃仏毀釈が起きなかったら日本の近代化は失敗したか、数十年遅れ、日本はロシアに侵略され北方領土と北海道を奪われた可能性が大であった。
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 後に、神社合祀令で村の由緒ある神社が統廃合で廃棄されても、庶民は先祖代々の神社を守る為に暴動を起こさなかった。
・・・
 近代国家を創る官学は、朱子学儒教キリスト教西洋近代学とされた。
 そして、無宗教国家神道を創り、廃仏毀釈で日本仏教を神社合祀令で日本神道国学を弾圧した。
 荒れ狂う庶民や不逞支族の無節操を縛る為に、教育勅語軍人勅諭を発布した。
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 日本が近代化に成功して急成長し世界の五大国になり、中国・朝鮮が近代化に失敗し衰退し内戦で混乱したか、その根本的原因はここにある。
 中国・朝鮮の近代化は、日本の影響と支援・協力で成功した。
 孫文の近代化運動は、まさに日本方式であった。
 近代化への日本方式を作り上げた日本は優秀であり、日本方式に全面的に依存しなければ何もできなかった中国・朝鮮は無能であった。
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 日本人の思考・思念の内にごく普通に多種多様な価値判断を渾然一体として共存させ一つに絞りきれない為に、真の宗教・信仰を持てないし、哲学・思想・主義を究め発展させる事もできないし、それ以前に分別・分類して違いを明らかにして理解する事が苦手である。
 日本人が学んだのは、古典・経典・学術書の字面の浅読みで、真意を見極める深読みではない。
 つまり、「論語読みの論語知らず」に過ぎない。
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 哲学・思想・主義が苦手な日本人には、儒教朱子学陽明学も、キリスト教カトリックとプロテスタンも、イスラム教のシーア派スンニー派も、何故、殺し合いをするまでに対立してるのか理解できない。
 論語は読めても、朱子学陽明学が理解できない。
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 世界で生きていく為には、情緒的な宗教・信仰を持たなくとも、合理的論理的な哲学・思想・主義を持って自己主張をする必要がある。
 昔の日本人は、善し悪しに関係なく、権利を守る為に戦争に発展する危険性がある事を覚悟しても自己主張をした。
 現代の日本人は、過去の反省から、戦争を避ける為には権利を犠牲にするのもやむを得ないとの判断から自己主張するとを止めた。
 現代日本から、寛容にして多種多様な価値判断は消滅している。
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 現代の日本人は、ある意味、どちらかというとアメリカ人や西欧人の西洋人というよりか中国人や朝鮮人の東洋人に似てきている。
 昔の日本人に比べると、世に抗う意欲性も積極性も消失し、流れに従うように思考停止と行動不全に陥っているように見える。
 「朱に染まると紅くなる」のが、日本民族日本人の特性でもある。
 日本の土地が中国資本に買われ、中国人移民が急増すれば、その性癖はさらに顕著となる。
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 元々、日本人は宗教に対して関心は薄く敬虔な信仰心など持ってはいなかった。
 日本人の宗教・信仰は薄っぺらく浅いもので、真理や道理には興味はなく、教義や教理も知りたいとは思わず、厳格な律法によるな戒律を毛嫌いしていた。
 無宗教の日本人による宗教らしい行動とは、安易なお祈りと祀り、緩やかなや決まり事や定めのみであった。
 御利益があって有り難いと思えばこだわりなく崇めて祈る。
 日本神道八百万の神々も、仏教の数多の御仏も、キリスト教のキリストや聖母マリア絶対神も、イスラム教のマホメット絶対神も、ユダヤ教のモーゼやダヴィデや絶対神も、それ以外の全ての宗教の神仏も、味噌もクソも一緒に尊いとして拝んだ。
 日本は、良く言えば多種多様性に溢れ多元多用であるが、悪く言えば曖昧でいい加減で無秩序で統一されないまとまりがない分別なき混乱状態と言う事になる。
 それが、得体の知れない掴み所のない泥沼的な日本風土である。
 泥沼状態では、対立や反目やいがみ合いもなく、ゆえに争いも起きない。
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 日本人の心は、矛盾に満ちている。
 中国人や朝鮮人のような確固たる信念・観念・思い込みがないだけに、どっち付かずで、言われるままに優柔不断に物事を決められずふらついている。
 強い指導者の下で、中国人や朝鮮人は何も考えずに一つにまとまりやすいが、日本人は絶えず悩み不安に襲われるだけに一つにまとまりずらい。
 別の見方をすれば、中国人や朝鮮人は指導者が弱ればバラバラに分裂し新たな強い指導者の下にまとまる。
 対して、日本人は悩んだ末に、信じるに足る、命を託すに値する、と納得して指導者の元にまとまればたとえ指導者が弱っても見捨てようと為ず、指導者が滅びるとき自分も一緒に滅びた。
 例えれば、中国・朝鮮には全てを引き付ける強力な磁石が一つだけ存在した。
 日本ではそこそこ強う磁石が幾つも散らばって共存し、同じ素質・物質同士で小さくまとまっていた。その幾つもの磁石は、特殊な見えない力を持った一つの特異点を中心に程よい距離を保ちながら調和を維持していた。
 別の言い方を知れば、中国や朝鮮は、首都という大都市が一つと貧しくひなびた町村しかない世界である。
 日本は、首都の他に大小幾つものの都市とそそこ豊かな町村が数多く存在している世界である。
 つまり、中国・朝鮮は強力な中心文化であり、日本は緩やかな周辺文化である。
 国力は、中国・朝鮮は中央・グローバルであり、日本は地方・ローカルであった。
 中国・朝鮮では、政治権力・宗教権威・最高道徳が中央の一点に集中し、そこ人為的に絶対正義と絶対真理が打ち立てられていた。
 日本では、政治権力・宗教権威・最高道徳は一つにまとまる事なく異質な物として個別に並存し、絶対正義や絶対真理は生まれなかった。
 歴史的事実として、中国・朝鮮は日本を呑み込み消滅しようとしたが、日本は中国・朝鮮と距離を置いて共存しようとした。
 世界常識は、中国・朝鮮にあって日本にはない。
 それ故に、世界は、中国・朝鮮の話は理解しやすいが、日本の話は理解できないどころか狂人の戯言に聞こえる。
 排他的閉鎖的で不寛容な絶対価値観をごり押しするキリスト教共産主義が、中国・朝鮮に根付き、日本の根付かなかったのは、その為である。
 キリスト教関係者や共産主義者、特に共産主義者社会主義者などのマルクス主義者等は特異な狭い思考力の為にこの事が理解できない。
 さらにえげつないのは中世キリスト教会で、白人キリスト教徒は日本人を奴隷として中国・東南アジア・インドなど世界中に売る飛ばして巨万の富を得ていた。
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 日本の国のかたち・国柄・国體が理解できないというより理解したくない日本人が、反天皇反日的日本人である。
 反天皇反日的日本人が持っているのは、日本を発展させ日本人を幸福にしようという使命ではなく、自分の思い・考えのみを優先し気にくわない日本らしさの徹底破壊と完全消滅させたいという衝動のみである。
 反天皇反日的日本人が日本天皇を中心とした日本民族の歴史・物語を否定し嫌悪を持って拒絶する以上、彼らに理解してもらおうと話し合う事は無意味である。
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 日本民族としての重要な一点は、日本天皇を崇敬し、皇室・天皇家の末永い弥栄を願い、日本の国のかたち・国柄・国體を武器を取って守る意志があるどうかである。
 そこには、周辺諸国である中国や韓国・朝鮮との友好など関係ない。
 守るべきは、日本天皇・日本国・日本民族の生存・存続、平和・幸福であり、中国・韓国・朝鮮の生存・存続、平和・幸福ではない。
 中国・韓国・朝鮮の為に日本が犠牲になるいわれは、歴史上何処にもない。
 それは、歴史を見れば明らかである。
 歴史を鑑とする、歴史を教訓とする、歴史を学ぶ、とはそういう事である。
 日本民族の血を引かない外国出身者でも、日本天皇を崇敬し、日本天皇を守護し、日本天皇の為に生きようとする時、血ではなくその心・志で日本民族の一員となる。
 日本民族の構成員として優先すべきは、血ではなく心・志である。
 それ故に、帰化人は歓迎され、渡来人は嫌われ差別された。 




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入門 朱子学と陽明学 (ちくま新書)

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伝習録 (中公クラシックス)

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陽明学 生き方の極意

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山田方谷の陽明学と教育実践

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