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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2020年6月号 Hanada「香論乙駁 有本 香
安倍総理、伊勢神宮に遥拝しましょうか
今月も、中国・武漢発のコロナウイルス禍について書かせていただく。
4月7日、安倍首相が『緊急事態宣言』を発出してから、私が住む東京の景色は一変した。
……
一見静かな街には、仕事や顧客を失って生活をどうするか、家賃をどうやって払うか、と悩む人たちが少なくない。逆に、医療関係の人は毎日、感染のリスクを負いながら、地獄の忙しさのなかで患者と向き合っている。誰もストレスを抱え、将来への不安を抱え、政府や国会議員への不満を抱えている。だが、東京で暴動を起こす人はいない。
諸外国のように、警察官が武器を携行して市民を追い立て『ロックダウン』せずとも、総理大臣の『一声』で、これだけ見事に営業や外出を『自粛』する国民は、世界のどこにもいまい。これが日本だ、とは言える。
前代未聞の静かな東京を見ていて、ふと、私たちの先人『疫病』といかに向き合ってきたのか、について疑問が湧いた。
日本最古の歴史書『日本書紀』には、第10代・崇神天皇の御代({みよ}西暦では3世紀後半~4世紀前半)に『疫病で国民の大半が死亡した』という記述があるが、どうやらこれが日本史上初の『疫病』の記録のようだ。若き畏友(いゆう)で歴史学者の久野潤氏に尋ねると、即、次のような答えが返ってきた。
『どのくらいの死者が出たかは学者の間でも議論のあるところですが、このときの疫病対策の結果として伊勢神宮ができたのです』
久野氏の話しを要約するところだ。
日本における政(まつりごと)は、皇祖神(こうそしん)である天照大御神が、孫の瓊々杵尊(ににぎのみこと)に三種の神器(八咫の鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣)を授け、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)を高天原(たかまがはら)のようなすばらしい国にするため、天降(あまくだ)るように命じたことからはじまる(天孫降臨)。初代・神武天皇から現代まで、この三種の神器は天皇より受け継がれてきたが、当初これらはすべて皇居のなかに祀られていた。
しかし10代・崇神天皇の御代で疫病が大流行し、国家存亡の危機に直面した際、それまでの『まつりごと』に誤りがあったのではないかと省(かえり)みられた。ここで言う『まつりごと』とは、政と祭祀(さいし)の両方の意味を持つ。
その結果、ご先祖だとは言え、人間である自分たちの居城内に天照大御神を祀ることは不敬だったのではないかとの結論に至り、天照大御神を表す八咫の鏡を然(しか)るべき場所にお祀りしようと外に移す。ここで疫病禍は収まった。
その後、さまざま経緯を経て、次の垂仁天皇の御代に、伊勢に祀られることとなる。
話しの最後に久野氏はこう付け加えた。
『私は何も、今回のウイルス終息を願って、第2の伊勢神宮を建てたらいいと言うわけではありませんよ』
もちろん、そんな誤解はしていない。氏の話からわかることは、日本人は疫病を、制圧すべき対象とのみ捉(とら)えてきたのではないということだ。我々の先人は、多くの犠牲を払うなかで謙虚に自らを省み、社会を良き方向へ変えていく『奇貨(きか)』としてきたのである」
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天皇は、現人神(あらひとがみ)=神の裔=祈りを捧げる唯一の祭祀王であって、奇跡を起こし恩寵や恵み・施しを与える天地創造の全知全能の絶対神ではないし、迷える小羊を救い癒し慰め導く救世主(メシア)でもない。
よって、天皇を信仰して拝んだところで御利益はない。
正統な日本天皇は、新興宗教やカルト教団が自称する霊験あらたかな生き神様・生き仏様・教祖様のようなまがまがしき存在ではない。
神の裔・天皇とは、高天原にある天つ神系神の国、国つ神系神々の常世の国、死者の魂・霊魂が集う黄泉国、と、人が住む現世の国・この世の狭間・中間で祈りを捧げている貴人である。
つまり、聖と俗の中間・狭間・境界に立つ、他の余人には代えようのない唯一・唯一人の神聖不可侵な存在である。
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日本神道は、民族宗教・古代宗教・ローカル宗教であって、近代宗教・普遍宗教・世界宗教とは違い教祖はいないし、経典・聖典はなく、布教活動もなく、あるのは行ってはならない・してはならない掟・禁忌だけである。
拝む参拝者はいても信仰する信者・教徒・信徒はいない。
日本神道には、不寛容・排他的・狂信的原理主義は存在しない。
一神教のユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、多神教などを否定し、駆逐する。
多神教の日本神道は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を八百万の神々として呑み込み、神々がおこなう喧嘩は対立ではなかった。
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政治は私欲・強欲に塗れた俗で、祭祀は私欲・我欲を洗い流した聖である。
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日本国内には、神話否定で反宗教無神論の反天皇反日的日本人達が少なからず存在し、彼らは天皇制度を廃絶し皇室を消滅させるべく蠢いている。
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日本神話において、人に不幸をもたらし、時には命まで奪う荒ぶる神、死神、疫病神(やくびょうがみ)、貧乏神などはすべて忌み嫌うべき穢れた神々ではない。
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日本の神の天罰は、絶対神の天罰ではない。
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日本の民族宗教とは、自分の祖先を家神と祀る祖先神・氏神の人神信仰である。
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日本列島は、隅から隅まで民族中心神話が息づいている。
民族中心神話を辿ると縄文時代まで遡ることができる。
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日本民族日本人は、自然災害多発地帯と疫病・伝染病蔓延地帯の日本列島に数万年生き続けていた。
日本の民族中心神話・土着民話・地域民俗には、日本民族の知恵が豊富に詰まっているが、現代日本はグローバル化の掛け声で、それら全てを世界基準に基づいて画一化・単純化・統一性し破壊・消滅させている。
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日本の最高神は、伊勢神宮に祀られた女性神・天照大神である。
天皇・皇族・皇室は、天照大神を皇祖神・祖先神として祀る特別な一族である。
天皇の正統性とは、天照大神の一系統における特殊な血統・血筋である。
万世一系の男系天皇とは、天照大神の血を引く子孫の事である。
そして、天照大神の子孫である神武天皇を初代とする皇統である。
正統継承を証明するのが、八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三種の神器である。
特に、八咫鏡は天岩戸神話で天照大神の姿をうつした鏡とされた。
三種の神器の正統性は、日本書紀・古事記、天孫降臨神話・天岩戸神話、民族中心神話である。
つまり、日本の心、日本民族の念いである。
現代の日本国憲法には、それらがない。
つまり、重要なのは人の心や念いの正統性ではなく法理に基づく正当性である、と。
キリスト教の隣人愛の福音は、人の心や念いを否定している。
現代日本から、人の心や念いが消えつつある。
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日本の民族中心神話には、天地創造もなければ終末論もなく、最後の審判もなく、神と悪魔のハルマゲドンもない。
数万年前の縄文時代からの祖先がいて、今現在の自分がいて、数百年後、数千年後の子孫が日本列島の上で生きている、それだけである。
日本列島は、春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、そして春が来る、その繰り返しである。
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日本は、土や塵やゴミを集められて意図的条件のもとで創られたのではなく、木の枝に花が咲くように意味もなく無造作に何となく生まれたのである。
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日本民族日本人は、花鳥風月プラス虫の音の自然を愛し、空気と水を清浄にする苔と良い菌を育て、四季折々の自然と共に生きるべく、山・川・海そして平地の自然を守っていた。
日本の自然は、1/fゆらぎとマイナスイオンで満たされていた。
日本民族日本人は、自然の1/fゆらぎとマイナスイオンを体の中に取りこみ、心を鎮め、精神を正常に保ち、争い事を極力避けながら平穏無事に生きてきた。
それが、日本の空気、雰囲気である。
心穏やかに目を凝らせば、空気に色が存在するある。
空の色、水の色、風の色、光と陰。
緑豊かな山林の木漏れ日。
小川のせせらぎの音。
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日本民族日本人と朝鮮人・漢族系中国人とは違うのである。
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日本民族日本人の生き方とは、南方海洋民の子孫として、縄文舟を数人が協力して櫂を漕ぎ数日かけて海を越える生き方である。
日本の空気・空気圧・同町圧力とは、舟の空気・空気圧・同町圧力である。
漢族系中国人と朝鮮人は、日本民族日本人とは違って西方系草原民の子孫である。
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世界的普遍宗教の絶対神は、奇跡を起こして疫病・伝染病を退治し、災害を消し去り、餓えた者には食べ物を与え、乾いた者には水を与え、死んだ者は生き返らせ、恩寵と恵みで死んだ者に永遠の命を与え、労苦のない神の国・神の王国・光の国・天国に招き入れ、永久の安息を与えた。
天照大神をはじめとする日本の八百万の神々には、天地を引っ繰り返すような神力・霊力はなく、人間以上の重労働を日々黙々と行っている。
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日本民族日本人は、「与えられる」のではなく「行う事」が生きる事と信じ込んでいた。
信仰で神から恵んで貰うのではなく、拝んで神から分けて貰うのである。
信仰して神に助けて貰うのではなく、拝んで神に支えて貰うのである。
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日本文明は、長江文明の後継文明であって、黄河文明の亜流文明ではない。
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日本民族日本人は、乱婚を繰り返して生まれた雑種の混血民族であって、純粋な純血種・純血民族ではない。
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キリスト教系朝鮮人テロリストと日本人共産主義テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に付け狙っていた。
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