🎑42)42)44)─1─グローバルな大陸言語はローカルな島言語を消滅させる。日本国語は滅びる島言語である。〜No.102No.103No.104No.105No.106 ⑪ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2019年7月14日号 サンデー毎日校閲至極 大坂校閲・水上由布
 国? 地域? チームでいこう!
 言語は生活のすべてに関わり、意思疎通できる相手には親しみも覚える。それが事態を複雑にする。言葉は重いからこそ歴史上、国家は侵略した国の言葉を支配し、された側は自分たちの言葉を守る」
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 武士は、自分が発した言葉に責任を持ち、もし言った事に違えて相手に迷惑を掛けたら切腹して謝罪した。
 それが、言霊と武士道である。
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 現代日本人は、昔の日本人ほど言霊を信じていないし日本国語に対する愛着もない。
 それ故に、平気で嘘をつくし、誤魔化すし、詭弁を弄して恥じない。
 その傾向は、高学歴出身知的エリートに多い。
 日本から、日本人から、信(信用・信頼)が急速に消え始めている。
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 ユダヤ人達は、絶望的ホロコーストにあっても笑顔を忘れず、ユーモア、ジョークを飛ばし合って笑いながら耐え、そして生き抜いた。
 その生き方は、日本民族日本人とは正反対の生き方で、むしろ中国人や朝鮮人に近い。
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 2019年7月14日号 サンデー毎日五木寛之のボケない名言 
 喪失と悲嘆の記憶が力となる   ──島薗進
 悲しい歌を共にうたうこと
 グリーフケアという言葉も、ようやく私たちの身近なものになってきつつあるようだ。
 長年、グリーフケアの重要さを説き続けてきた宗教学の第一人者、島薗進さんの『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』(朝日選書982)は、ハッとするような新鮮な指摘が随所に見られてとても刺激的だった。
 その第6章に、悲しみを分かち合う『うた』という文章がある。小学唱歌や童謡が今なおうたわれていることに触れながら、世界各国の〈悲しい歌〉の喪失と復活について語った部分は、ことに興味深く感じられた。
 人は悲嘆のさなかで、なぜ悲しい歌を口ずさむのだろうか。敗戦後の極寒の時代を、私自身、たしかに悲しい歌を歌うことで耐えてきた。引き揚げ船の中で、はじめて聞いた『リンゴの唄』に奇妙な違和感をおぼえた記憶がある。
 しかし、1970年あたりを節目にして、望郷やナショナリズムの色をたたえた悲哀の感情が、次第に変化していく。数々の大災害と地方の喪失は、幻想の悲しみをリアルに乗り越えはじめた。
 アニメーション映画『この世界の片隅に』には、かつての唱歌『故郷』にはない悲しみと怒りの反映があった、と著者は言う。
 北原白秋西条八十、そして野口雨情などの残したものを振り返りつつ、新しい『悲しみの歌』の登場を待ち続けているのは私だけだろうか」
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 太平洋島嶼にあったハワイ語ミクロネシア諸語、オセアニア諸語やカリブ海島嶼にあった島言語は、今は話されていないか、下層階級の貧困家庭で使われている卑しい言語である。
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 現代の日本国語は、明治時代に作られた新しい造語である。
 本当の日本語は、日本列島、沖縄、北方領土4島に数百若しくは千数百とあった方言・訛りと船乗り・僧侶などの職業語などの総称で、地域言語としての多様性を持っていた。
 癖の強い、薩摩弁の人間と津軽弁の人間が話し合っても意味が通じなかった。
 ようは、バラバラで幾ら話し合っても通じず、通じないから相手の言わんとする所を忖度するしかなかった。
 言わなくても相手の目を見れば分かり合えるという、日本民族特有の無言での以心伝心が生まれた。
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 外国人移民(主に中国人移民)が急増すれば、歴史の浅く個性の乏しい日本国語は外国人の言語につられて変貌していく。
 事実、日本国語は時代時代によって変わってきた。
 江戸時代の言語、明治の言語、昭和初期の言語、敗戦後の言語、バブル経済以降の言語、全てとはいわないが微妙な点で異なっている。
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