💄44)45)46)─1─逆境・苦境に耐えて生きた逞しい日本人女性達。野口シカ。~No.90No.91No.92No.93No.94No.95 @ ⑧

野口英世の母シカ

野口英世の母シカ

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本は男性中心社会で、しがらみ濃い依怙贔屓社会である。
 女性は差別され、社会から疎外されている。
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 2017年12月24日号 サンデー毎日「歌鏡 田中章義

 外(と)つ国の愛子(まなご)の功(いさお)うちききて 
   笑顔の中に世を終りぬる   小林栄
 
 師走を迎え、朝晩の冷え込みが厳しい時期になると思い出す会津の女性がいる。1853(嘉永6)年に農家の娘として生まれた野口シカだ。幼くして、両親と暮らすことができず、さみしい思いをしていたシカは祖母と二人で肩を寄せ合って生きていた。病気がちだった祖母のために生活費や薬代を稼ごうと、7歳で自ら志願して働きに出た。奉公先のおかみさんの厳しい対応にもめげずにもめげずにがんばった。そんな中、祖母はシカが10歳の時に病死してしまう。悲しみに暮れるシカは、それでも懸命に前を向く。天国の祖母を喜んでくれるような生きかたをしようと励み続けた。
 やがて結婚し、子どもを授かったものの、酒におぼれた夫の代わりに、家族を支え続けた。往復数十キロにも及ぶ距離を、商家の重い荷物を担いで生計を立てた。子どもたちに食事をさせ、夜更けに猪苗代湖や近くの川で川エビなどを捕りながら、売り歩くこともしていた。
 そんな中、長男が母のいないうちに火傷(やけど)を負ってしまった。手には後遺症が残った。農業に従事する人が多かった集落で、この手では仕事ができないと思った母は息子を学校に行くことができるように、さらに仕事に尽力した。長男は、この働きに働く母の姿を見ながら育った。周囲の子どもたちから悪口を言われても挫(くじ)けずに歯を食いしばる。母に少しでも楽をさせたい──そんな思いで長男は勉学に邁進した。
 掲出歌を詠んだ小林栄は、そんな母子から『恩人』と称された人だった。長男の進学資金を援助し、長男に請われて『英世』という名を贈ったのも小林だった。掲出歌は、母の死を異国で働く長男に伝えた挽歌(ばんか)だ。千円札に描かれている野口英世野口英世になることができたのは、母の尽力とともにこの歌の作者の支えも大きかった。
 来年2018年は英世の母シカの没後100年だ。困難にめげず、途中からは産婆の仕事もして地域の人々に尽くしたシカ。英世もすばらしいけれど、母シカの生涯にも、母子を支え続けた恩人の人生にも尊いものが含有されているのではないか。極寒の季節を経て、育まれ、培われるものがあることを思う年の瀬だ」
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 昔の日本は、現代の日本とは違い「捨てる神あれば拾う神あり」という社会であった。
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 昔のお大尽・金持ちと現代の資産家・富裕層は別人である。
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 昔の日本人は、正義漢面してインターネット、ツイッター、SNSなどで非難中傷・罵詈雑言・脅迫・威嚇などを書き込み悦に耽る心卑しい日本人とは別人である。 
 現代日本から、昔の様な「情」や「人情」は消え去っている。
 現代日本にある「情」や「人情」は見せ掛けだけ実体はない。
 1945年、1980年、1990年、1995年、2011年そして2017年と時代を下るに従って、伝統的文化的な燻し銀のような日本社会は安っぽい舶来のメッキに変わり、そしてその悪趣味的メッキさえ剥がれ隠されていた本質の醜悪が見え始めている。
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 日本人の本性が薄情・冷淡・冷酷・冷血である以上、醜悪が表面化したからといって驚く事ではないし嘆く事もない。
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 弱い者に対するイジメ・嫌がらせ・意地悪は日本人の本心である以上、心が捻くれた日本人がいる限りなくなりはしない。
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 昔の日本民族の話を現代の日本人に話しても意味がない。
 何故なら、1945年8月15日の敗戦と1946年11月3日の日本国憲法で、その前とその後では日本は変容したからである。

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