💖5)─3─明治の日本人は、撃沈したバルチック艦隊の特務艦イルティッシュ号から敵兵235人を救助した。~No.16 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族日本人の行動原理は、「船乗りの掟」である。
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 尚武の日本民族日本人は、殺し合う戦争と戦闘以外で死にかけている敵兵を助ける人道をハッキリと区別していた。
 それが、明治天皇の希望・大御心・御稜威であった。
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 日本民族日本人は、日本天皇を護り母国日本を守る為に武器を取り、侵略してくる外国(中華・中国、ロシア・ソ連)と命を犠牲にして戦っていた。
 日本民族日本人とは、日本天皇と母国日本を守る為ならば「死ぬ覚悟」で戦争をした。
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 日本民族日本人とは、南の琉球人から北のアイヌ人までを含み、中国人や朝鮮人は含まない。
 台湾人は、日本民族日本人の同族に近かった。
 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人そして台湾人の共通性は、南方系海洋民の遺伝子を濃く持つ縄文人である。
 中国人・朝鮮人の共通性は、北方系草原民の遺伝子を濃く持つ漢族である。
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 現代の日本人と当時の日本人とは別人である。
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 昭和天皇は、明治天皇の御意思を忠実に受け継ぎ、平和の為にアメリカや中国との戦争を避ける事を希望し、人道貢献としてユダヤ人難民の保護を切望した。
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 日本人は、戦争中でっても、戦闘以外で死にかけている敵兵・ロシア人兵士を助けた。
 それは、日本民族が持っている、困っている者を見ると放ってはおけない見過ごしにはできない、已むに已まれぬという「惻隠の情」である。
 今日助けた敵兵が、明日は殺し合う相手になるかもしれない、その結果として殺されるかもしれないという運命・宿命を受け入れて助けた。
 それが、「武士の情け」であった。
 日本民族日本人の行動は、いつ何時も「死を覚悟」したものであった。
 「生きて虜囚の辱を受けず」には、「惻隠の情」と「武士の情け」が含まれている。
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 共産主義には、日本民族日本人の情感は存在しない。
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 共産主義者ロシア人兵士は、戦闘が終わって逃げ惑う数十万人の日本人逃避者(主に女性や子供)を虐殺した。
 ソ連は、日本が降伏した後に北方領土を不法に軍事占領した。
 ロシアは、不法に強奪した北方領土を日本に返還する事を拒絶している。
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 2007年11月1日 朝日新聞日本海に沈んだロシア艦、17年ぶりに撮影成功
 日露戦争や第2次世界大戦の沈没船などをアジア各国で取材しているロシアのグループが10月中旬の1週間、島根県内に残る日露戦争(1904〜05年)ゆかりの地を回った。同グループは日本海海戦江津市沖に沈んだ運輸艦「イルティッシュ号」の撮影に17年ぶりに成功。県内各地でロシア人兵士の墓地を守る人たちと出会い、交流を深めた。
 イルティッシュ号の沈没地点で潜水撮影に臨むロシア人。後ろは調査船「イスクラ号」=10月14日、島根県江津市和木町沖で
 海底に沈む船体は魚礁になっているという=10月14日、島根県江津市和木町沖で、イスクラ号提供
 17年ぶりに撮影されたイルティッシュ号。調査したロシア人たちは「船体から生えた植物が十字架に見え、何かを暗示しているようで感動した」と語った=10月14日、島根県江津市和木町沖で、イスクラ号提供
 グループのメンバーは、ロシア・ウラジオストクの極東国立工科大学の職員、沿海地方議員ら5人。04年から日本や中国、韓国などで日露戦争や第2次世界大戦ゆかりの地を取材し、撮影記録をDVD2巻(約90分、約50分)にまとめてきた。
 一行は10月11日、大学の調査船「イスクラ号」で県内入り。江津市和木町沖約2キロの日本海で14日から3日間、水深約50メートル付近で「イルティッシュ号」(全長約180メートル)の撮影に挑み、日本海海戦に参加したロシア水兵を悼むプレートを船体に供えた。ロシア人たちは「骨組みしか残っていなかったが、船を間近に見て、生の歴史に触れた感じがした」と話した。
 1905年5月に同艦が沈没した際、沿岸住民が乗組員約235人を懸命に救助したエピソードは、敵国兵を救った人類愛の象徴として語り継がれている。
 一行は17日、海岸に建てられた慰霊碑や、乗組員が残した品々を展示する市立和木公民館を訪ねた。慰霊碑の清掃を続ける地元住民や公民館の森崎玉子主事らが出迎えた。
 森崎主事は「和木での出来事をロシア側にもわかってもらえたと思う。史実を後世に伝えたいという思いで一致した」と言う。「イスクラ号」のウラジミール・カルタショーブ船長は「血痕の着いた水兵服が胸に迫った。日本人には感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。
 これに先立ち、12、13の両日には隠岐の海士、西ノ島両町を訪れた。このうち海士町では、日露戦争を戦ったステッセル将軍が乃木希典将軍に贈った白馬「寿(ス)号」の墓、西ノ島町では日本海海戦で漂着したロシア人兵士の墓などに参った。カルタショーブ船長は「墓地がきれいに整備され、ゆかりの品々も大事にされていて本当に驚いた。ロシア国内であまり知られていない日露戦争中の史実をロシアの若者も記憶にとどめてほしい」と話していた。 」
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 2016年12月16日 中国新聞「露大統領に友好の親書 江津 戦時の艦隊乗組員救助の記憶 首脳会談機に地元住民
 江津市和木町の住民でつくる和木まちづくり協議会と和木まちおこし実行委員会が、長門市での日ロ首脳会談に合わせ、ロシアのプーチン大統領に親書を送った。日露戦争時、漂着したロシア艦イルティッシュ号の乗組員を住民が救助し、現在もロシアとの交流が続く。親書には「両国の友好がさらに深まるように」との思いを込めた。(松本輝
 親書は「過去、不幸にして戦争という悲しい出来事がありました」と切り出す。ロシア・バルチック艦隊の特務艦だったイルティッシュ号は1905年5月27日、日本海海戦で被弾し、翌28日に同町沖の日本海に。ボートで海岸にたどり着いた200人を超える乗組員を住民が助けた。
 同町では翌06年から毎年「ロシア祭り」を開く。かつては戦勝記念行事だったが、太平洋戦争後は両国の友好と戦争根絶への思いを受け継ぐイベントに変化。祭りの際には、ロシアからホームステイを受け入れるなど、今も交流を続ける。
 親書では祭りを今後も継承していく決意を示し、プーチン大統領に「『博愛精神・友好』にお力を」と呼び掛けている。作成は10月、住民が発案。ロシア語に翻訳して今月上旬、ロシア大使館(東京)に送った。
 まちづくり協議会の野田久雄会長(65)は「オバマ米大統領の広島訪問や安倍首相の真珠湾訪問表明など、将来の友好と平和を目指して行動している。私たちの親書も、その力になればうれしい」と話している。(2016年12月16日朝刊掲載)」
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 2018年1月18日 毎日新聞日露戦争 沈没露艦隊を救助 史実を絵本に 島根・江津
 出来上がった絵本を広げる実行委の五十嵐百合子会長(左)ら=島根県江津市人権啓発センターで2018年1月16日、関谷徳撮影
 救援の様子を描いた絵本の一幕=関谷徳撮影
 日露戦争中に、島根県江津市和木町沖に沈没したロシア艦隊「イルティッシュ号」(イ号)の乗組員を、町民らが救助した史実を語り継ぐ絵本「こっちへこーい こっちへこーい〜イルティッシュ号の来た日」を、市内の実行委員会が製作した。20日に絵本の読み聞かせなどがある記念フォーラムが開催される。
 イ号は1905(明治38)年5月、日本軍の砲撃を受けて沈没。その際、和木町民らが漁船を出すなどして、乗組員235人を救助した。翌年から、命の尊さや人類愛を後世に語り継ぐ「ロシア祭り」が、ほぼ毎年開かれるようになった。
 絵本は「イ号乗組員救援史を絵本にして語り継ぐ実行委」が企画。ロシア船の乗組員を住民が協力しながら救助する様子や、ロシア祭り開催の意義などが記されている。
 A4判32ページで1800部作製。文中の漢字には全て振り仮名を付け、巻末にはロシア語と英語の訳文も添えられている。一般販売はせず、市内の学校や県内の各自治体、図書館のほか、ロシア祭りで交流のあるロシアの関係機関にも寄贈する予定だ。
 記念フォーラム「未来に伝えたい先人の愛と勇気」は20日午後1時半から「パレットごうつ」(同市江津町)であり、来場者にも絵本がプレゼントされる。入場無料。
 実行委の五十嵐百合子会長は「地域の人たちが人命救助に尽くした勇気と人間愛の史実を絵本を通して多くの人に知ってもらいたい」と話す。
 問い合わせは、市人権啓発センター事務局(0855・52・1018)。
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 1月24日 産経ニュース「日露戦争中のロシア艦船「イルティッシュ号」乗組員救援史語り継ぐ絵本完成 島根・江津でフォーラム
 有志が制作した絵本「こっちへこーい こっちへこーい〜イルティッシュ号の来た日〜」
 日露戦争中、島根県江津市沖に漂着したロシア艦船の乗組員を地元住民が救った−という史実を語り継ごうと、市内の有志が絵本を制作した。この絵本の出版を記念したフォーラムが同市で開かれ、読み聞かせやコーラス、講演などで、参加者らが先人の「愛と勇気」をしのんだ。
 1905年5月、日露戦争終盤の日本海海戦で、露バルチック艦隊の特務艦「イルティッシュ号」が被弾し、今の江津市和木町沖へ漂着。荒海の中、住民らが救助に当たるとともに、亡くなった乗組員の慰霊碑も建てた。自らの危険を顧みず交戦中の敵国兵士を救出した住民らの行動は「人類愛と勇気に満ちている」と称賛され、この史実を語り継ぐ催し「ロシア祭り」が、形を変えながら現在まで続いている。
 絵本「こっちへこーい こっちへこーい〜イルティッシュ号の来た日〜」は、有志が実行委をつくり、制作を企画。地元のイラストレーター、みはしたかこさんが作画を手がけ、ロシア語と英語の文章も記載している。A4判、32ページで1800部を発行した。
 フォーラムでは、この出来事をテーマにした歌「イルティッシュ号」などが披露され、実行委メンバーで絵本の制作部長を務めた渡辺昭子さんが絵本の読み聞かせをした。
 講演で、講師を務めた安来市加納美術館の神英雄館長は「地域の歴史を積み重ねて日本史になる」と史実を語り継ぐ意義を強調。日本とトルコの友情を育んだ「エルトゥールル号」遭難のエピソードを引き合いに出し、「絵本などを通じてこの出来事を広く伝えていけば、日露間に新たな歴史が生まれるかもしれない」と期待を込めた。
 実行委は、同書を地元自治会や市内の公共機関などに配布。県内の図書館にも送付する予定で、希望する県内外の各種団体などへの頒布も検討している。問い合わせは市人権啓発センター内事務局((電)0855・52・1018)。


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