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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本軍は、戦場で人を殺す戦争犯罪をおこなったが、戦場で人を助ける人道貢献もおこなっていた。
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2023年5月21日 産経新聞「書評 『チェコスロヴァキア軍団と日本 1918-1920』長與進著
『チェコスロヴァキア軍団と日本 1918-1920』
© 産経新聞
シベリア出兵の当初目的だったチェコスロヴァキア軍団の救出。日本では長期にわたる無益な派兵の中の一エピソードとして忘れられがちだが、独立国チェコスロヴァキア成立史の観点からすると非常に重要な事件だった。「この時期の両国の関係が、歴史上でいちばん近かった」と位置付ける東欧研究者が、軍団の機関紙から見える日本との交流を明らかにする。
出兵初期の両軍関係は、きわめて友好的だった。傷病兵と日本民間人との交流美談も生まれるが、軍団が帰国する最終段階では日本軍との謎の多い銃撃戦も生じる。歴史に埋もれた興味深い事件が満載。(教育評論社・2640円)
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現代の日本人と当時の日本人とは別人のような日本人である。
特に、エセ保守とリベラル左派はそうだと言える。
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日本は世界で信用され、日本人は世界で愛されている、はウソである。
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2023-07-13
💖目次)─8─近代天皇と軍部・陸軍の人道貢献・平和貢献。現代日本人は人助けが苦手。~No.1 *
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天皇の御稜威・大御心・御聖慮。
2022-03-27
💖2)─1・A─光明皇后の慈愛。ハンセン病(癩病)を癒やした人の子・光明皇后と神の子・キリスト。~No.2
2017-03-17
💖2)─1・B─皇室の国際赤十字・新月運動。シエラレオネと昭憲皇太后基金。~No.2・ @
2021-02-24
💖2)─2─皇室の私有財産の使い道。世界的な昭憲皇太后基金。~No.3
2021-03-08
💖2)─3─皇室。日本赤十字社の戦争協力。従軍看護婦は靖国神社の乙女。~No.4
2022-02-03
💖2)─4・A─太平洋戦争時。女性皇族は病院を慰問し患者を励まし勇気を与えていた。~No.5
2021-09-14
💖2)─4・B─日本人の美徳。~No.5
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日本の中国ヘの救援・支援。
2019-05-11
💖3)─1─華北大旱魃を救った明治天皇と明治政府。義和団事件。中国は西原借款の善意を踏み倒した。〜No.6No.7No.8No.9・
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日清戦争。
2019-07-06
💖4)─1─諸外国は観戦武官や新聞記者を日本に派遣して日清戦争を観察していた。~No.10No.11No.12No.13・
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日露戦争。世界ゼロ次世界大戦。
1900年7月 アムール川(黒竜江)事件。ロシア人兵士が清国人(満州族)約2万5,000人を虐殺した。
日本の世論は緊張し、反ロシア大集会が日本各地で開かれるに至った。ロシアは次に朝鮮を蹂躙して日本へ侵略してくるに違いない、というのが世論の見方であった。
そして、日露戦争は不可避となった。
2017-08-15
💖5)─1─金沢の市民は、日露戦争で身内をロシア軍に殺されたが、怨みを忘れてロシア人兵士捕虜の面倒を見た。~No.14・ @
2021-02-15
💖5)─2─日露戦争と習志野の捕虜。~No.15
2018-01-24
💖5)─3─明治の日本人は、撃沈したバルチック艦隊の特務艦イルティッシュ号から敵兵235人を救助した。~No.16No.17・ @
2021-09-01
💖5)─4─日露戦争で沈没の輸送艦、映画に 「イルティッシュ号の来た日」。~No.17
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2020-06-27
💖5)─5─日本人は朝鮮人やアイヌ人を感染症から救っていた。~No.18No.19No.20No.21
朝鮮、
アイヌ、
江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大約2万6,800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
琉球、
台湾、
満州。
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2020年6月27日号 週刊現代「佐藤優 ビジネスパーソンの講座 名著、再び
現代社会に蘇った、『コロナ禍』の背景にある『黄禍論』の正体を知れ
……
池上氏は、このようなアジア人に対する差別を過去、欧米で深刻だった『黄禍論』とのアナロジー(類比)で解釈する。〈これで私が思い出したのが、『黄禍論』という黄色人種に対する人種差別です。19世紀から20世紀にかけて、欧米で中国人や日本人などの黄色人種に対する差別が燃え盛りました。日清戦争や日露戦争での日本の勝利を見た白人たちが、『黄色人種の脅威』を訴え、差別が広がったのです。新型コロナウイルスパニックでまた黄禍論が復活したような格好です。〉日露戦争(1904~05年)のときにロシアが日本の脅威を訴えるために『黄禍論』を宣伝した。その影響は北米大陸にも及んだ。第一次世界大戦後、日本が急速に国力をつけるとアメリカで急速に『黄禍論』が拡大し、日系アメリカ人が不当な差別を受けた。コロナ禍との文脈でトランプ大統領の白人至上主義者が『黄禍論』を蘇らせたのだ。」
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シベリア出兵。集団的自衛権発動。
2017-08-14
💖6)─1─日本陸軍は、シベリアからポーランド人戦争孤児765人を武力で助け出した。~No.22No.23No.24No.25・ @
2019-10-27
💖6)─2─日本外務省・日本大使館の反ドイツ派は、帰国したポーランド孤児をナチスから助けた。~No.26・
2021-02-07
💖6)─3─ポーランド人蜂起部隊イェジキの子供兵士を陰で支えた反ドイツ派日本外交官。~No.27No.28No.29
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2017-08-17
💖7)─1─日本人軍国主義者は、シベリアのロシア人戦災児童約800人をロシア人共産主義者から救出した。~No.30・ @
2021-02-11
💖7)─2─ロシア人避難学童救出活動と日本シベリア派遣軍諜報機関。~No.31No.32No.33
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2020-03-13
💖8)─1─平明丸事件。日本陸軍はシベリアで救出したトルコ軍人捕虜約1,000人を本国に送り届けた。~No.34・
2023-10-05
💖8)─2─シベリア出兵時。日本軍は友軍チェコスロヴァキア人傷病兵を国内で治療していた。~No.35No.36No.37
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第一次世界大戦、日本が5大国の一国として国際連盟の常任事理国になった。
2017-08-18
💖9)─1─日本皇室と日本赤十字社は、パリに日本赤十字社救護班による日赤病院を開院した。~No.38・ @
2021-02-17
💖9)─2─日本赤十字社と集団的自衛権。赤十字救護看護婦「竹田ハツメ」。~No.39No.40No.41
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2017-12-04
💖10)─1─青島要塞攻防戦。ドイツ兵士の坂東俘虜収容所。丸亀・松山・久留米。「バルトの楽園」。~No.42No.43No.44No.45・
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2019-07-05
💖11)─1─マルタ島の偉業。日本欧州派遣艦隊は地中海の守護神である。~No.46No.47No.48No.49・
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2021-05-09
💖12)─1─1920年の華北大旱害・飢饉に対する軍国日本の調査と救済。~No.50No.51No.52
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日本軍の敵軍捕虜に対する扱い。
2018-08-07
💖13)─1─日本軍は、武士道精神で戦い、戦闘が終われば戦場に残された敵軍兵士負傷者を助け保護し治療した。~No.53・ @
2022-02-06
💖13)─2─イギリス海軍は撃沈されたら「日本艇に救助してもらえ」と教えていた。~No.54No.55
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日本民族日本人の愛国心。
2017-08-23
💖14)─1─愛国心とは命を捨てる決意と死を受け入れる覚悟である。~No.56No.57No.58・ @
2021-07-09
💖15)─1─日本民族は漂着民の子孫で、目の前で船が難破すれば遭難者・漂流者を助けた。~No.59No.60No.61
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小灘利春「特攻は愛するものを守りたいとの強い思いから生まれたのです」
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2021-09-23
💖16)─1─堀口九萬一はメキシコ・クーデターで大統領一家を助けた。大正2(1913)年〜No.62
2021-07-24
💖16)─2─渋沢栄一とアルメニア人大虐殺のアルメニアの孤児・難民への義援金。大正11(1922)年。〜No.63
2022-05-21
💖16)─3─東慶丸はトルコの港湾都市イズミルでギリシャ人やアルメニア人の難民を助けた。大正11(1922)年。〜No.64
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日本の農業技術が中国の食糧不足を救った。
2019-12-05
💖17)─1─稲塚権次郎の小麦農林10号が、飢餓に苦しむ華北の中国人を救った。1935年。〜No.65No.66No.67・
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日本軍旗の旭日旗は、人道貢献の救助と平和貢献の希望を世界に示す光の旗であった。
それ故に、戦犯旗として忌み嫌われ、踏みにじられる。
そして、日本軍人を神として祀る靖国神社は戦争犯罪者を崇拝する犯罪肯定宗教施設として世界から糾弾されている。
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大正7(1918)年 日・米・英・仏・伊など諸国連軍は、ドイツ帝国との裏取引で戦線から離脱した裏切り者のロシア共産党政権打倒と、世界を不幸にするマルクス主義・共産主義を撲滅する為にロシア革命に干渉し,白衛軍(はくえいぐん)に味方し、シベリアのチェコスロバキア軍を救援する名目でシベリアに出兵した。20年に連合国軍は撤兵したが日本軍は駐留し,尼港(にこう)事件が起きた。日本軍は、内外の非難の中で22年に撤兵した。
軍国日本のシベリア出兵は、帝国主義的領土拡大の侵略戦争ではなく、あくまでも積極的自衛戦争の一環であった。
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明治・大正期の日本軍は、欧米列強の軍隊のような一等国の軍隊を目指して戦っていた。
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大正9(1920)年1月 国際連盟は、ヴェルサイユ条約の規定に従って成立した。
世界は日本軍の人道貢献と平和貢献を偉大な功績と認め、発足した国際連盟の初期常任理事国に任命した。イギリス,フランス,イタリア,日本。
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中国や朝鮮で、アメリカでの排日移民運動に触発されて反日暴動が続発していた。
中国の五・四運動。朝鮮の三・一暴動。
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大正12(1923)年9月1日 関東大震災と朝鮮人・日本人・中国人惨殺事件。
日本人の共産主義者・無政府主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)や皇族を暗殺するべく付け狙っていた。
現代のエセ保守やリベラル左派は、反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人として、暗殺を肯定し称賛し、テロリストを人民の英雄として子供達に教えている。
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大正13(1924)年7月1日 アメリカ議会は排日移民法(1924年移民法またはジョンソン=リード法)を可決し、大統領は署名し成立した。
アメリカは、人種差別から日本人移民の受け入れを拒否した。
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宗教的人種差別主義の白人キリスト教諸国は、日本人が如何に努力しようが非白人非キリスト教徒であるとして認めず、アフリカ人同様に奴隷・家畜・獣であるとの潜在意識を持っていた。
戦前までの軍国日本は、江戸時代後期からそうした西洋の武力侵略・キリスト教の宗教侵略・共産主義のイデオロギー侵略から日本の天皇・国・民族を守る積極的自衛戦争を、一カ国で孤独に戦っていた。
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歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではない。
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32年テーゼ
1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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近代的軍国日本の戦争とは、数千年前の弥生時代・古墳時代からの天皇を中心とした国體を死守する為の積極的自衛戦争であった。
国體には、数万年前の石器時代・縄文時代からの原始的民族神話が深層に流れている。
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レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党・日本共産党など極東アジアの共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
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大正13(1924)年1月5日 朝鮮人テロリスト集団の義烈団による二重橋爆弾事件。
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昭和6(1931)年9月18日 満州事変。
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昭和7(1932)年1月8日 桜田門事件。上海系朝鮮人テロリストによる昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件。
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1月28日(~5月) 第一次上海事変勃発。
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5月 ソ連・コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し「32年テーゼ=日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
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スターリン「日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンはスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者・マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党・共産主義者にも同様の文言を送った。
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昭和8(1933)年頃から、日本人の共産主義者・社会主義者から大量の転向が続出し、日本共産党は治安維持法による弾圧で壊滅状態に追い込まれ、過激分子は地下に潜って反天皇反民族反日運動を続けた。
転向を拒否した日本共産党幹部は、逮捕されて収監されるか、中国に亡命しソ連やアメリカの支援を受けた。
転向社会主義者や隠れ共産主義者で高学歴者は、エリートとして官公庁に就職し、戦後は敗戦利得者としてユダヤ系ニューディーラーの支援を受けGHQの日本占領政策に協力し、20万人以上の公職追放後は官公庁の高級官僚や民間企業の幹部に就任し政治や経済を動かした。
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日本人共産主義者を庇っていたのが、敵日の中国共産党と人民解放軍(現代の中国軍)であった。
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日本人の共産主義者や無政府主義者のテロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に付け狙っていた。
日本人共産主義者とは、反天皇反民族反日本であり反宗教無神論である。
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軍事国家日本は、明治から昭和初期まで戦った大陸戦争は領土拡大の帝国主義的侵略戦争ではなく、天皇・国・民族、歴史・文化・伝統・宗教を外敵から守る民族主義的自衛戦争で、国内に引き込んで撃破する消極的専守防衛ではなく外地の敵軍基地を粉砕する積極的先制防衛であった。
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日本の軍国主義国家建設は、侵略してくるロシア・ソ連・国際共産主義勢力、中国(中国共産党)・朝鮮に対する正当な自衛行為であった。
軍国日本の戦争は、戦時国際法に違反しない合法的な正当防衛の積極的自衛戦争であった。
つまり、日本は戦争犯罪国家ではなかった。
当然、歴代天皇は戦争犯罪者ではない。
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