🏕28)─1─自然災害多発地帯日本列島の美しい四季と恵み多き山野。~No.52 * 

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 島国日本は、北海道、本州、四国、九州の大きな4島を含め、6,852の有人島無人島で構成されている。
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 2014年 文藝春秋 冬号 2015年
 「天災大国 日本はまだまだ強くなれる 大石久和
 厳しい国土条件を生かすには、さらなるインフラ整備が必要だ 
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 戦後のGHQの時代から今日まで、反日メディアの主導もあって『日本人なるもの、日本的なるもの』の否定が続いてきた。しかし、『日本人が日本人であることへの誇りやこだわりを捨てて国際人になどなれるわけがない』というのは絶対の真理である。
 民族の経験が民族の個性を育てる。われわれ日本人はヨーロッパや中国の人々との比較において、何を経験し、何を経験しなかったかを見つめることから、『われわれを理解でき、日本人として自律できる』のである。
 日本人の経験は、すべて日本国土で発展されてきた。国土の自然条件(地形的、地理的、気象的条件など)がわれわれを日本人として規定しているのである。
 日本国土の自然条件
 国土の自然条件をヨーロッパなどとの比較で見ると、10もの厳しい条件が抽出される。これらは単独でも厳しいものだが、それらが重なり合うことでさらに厳しさを増している。
 1,大地震の可能性
 阪神・淡路大震災東日本大震災を経験したばかりだというのに、近未来には東京直下地震や、東海・東南海・南海というトラフ連動型地震の発生も確実だと言われている。
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 パリ・ニューヨーク・ロンドン・ベルリン・モスクワを大地震が襲ったことは過去一度もないし、地震学の知識から今後も絶対にないと断言できる。
 大地震は、有史以来過去に何度も襲ってきて、その都度悲惨で壊滅的な被害をもたらしてきた。現在でさえも予測不可能な突然の地震によって多くの命を失う経験を繰り返してきたことは、日本人の自然観や死生観に大きな影響を与えている。またわれわれの『起こってから考えるしかない』といった思考癖にもつながっている。
 2,豪雨の集中性・貯水の困難性
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 梅雨期と台風期に集中する降雨が、近年になるほど豪雨化し集中化してきている。
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 3,脊梁山脈の縦貫
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 この山脈は、冬には日本を『湿気と曇天と豪雪のために生活不便地になる雪国』と、『乾燥と晴天が続き生活利便性が低下しない非雪国』という二つの地位に分断している。
 4,不安定な地質
 わが国の国土面積の70%が山地であるが、この山地を構成する岩が風化しているという特徴がある。……
 5,少ないうえに一つ一つが狭い平野
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 可住地が、日本は国土面積の27%しかなく、イギリス、ドイツ、フランスがそれぞれ85%、67%、73%であるのに比して著しく少ない。可住地が少ないだけでも、大きなハンディキャップ だが、わが国では分断されていて領域の小さな可住地ばかりである。
 6,長く複雑な海岸線と細長い弓状列島
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 7,四つに分かれる国土
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 8,軟弱地盤上の河川の氾濫原にある都市
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 9,強風の常襲地帯
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 10,広大な豪雪地帯
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 日本国土の位置的条件
 1,大陸との距離
 日本人の経験を規定することとなった最大の要因は、対馬海峡が約200㎞と大きいことである。この海峡幅は、『文化は何とか伝わることができたが、大軍は超えることができなかった』大きさであった。イギリスを大陸から隔てるドーバー海峡は約30㎞しかなかったので、カエサルの時代でも大軍が超えた、ということとの違いである。
 世界中の民族同士が血で血を洗うようなすさまじい大量殺戮を伴う紛争を何千年にもわたって繰り返してきたが、日本がその外に立てたのはこの海峡幅のおかげであった。
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 日本人は中国文化を学んだが、そっくりそのまま取り入れることはなく、自分流にアレンジし、遣唐使船の廃止もあって独自の文化を育ててきた。
 サミュエル・ハンチントンは世界を8つの文明に分け、その一つを『孤立した日本文明』としている。イギリスは、彼の分類では『西欧文明』のなかにくくられている。
 2,列島を取り巻く海峡
 日本人は中国文化から多くのものを学んだが、『吹きだまりの文明』といわれるように各方面からの影響も受けている。
 ……日本文明は中国文明の亜流などではない。
 日本人は何を経験し、何を経験しなかったのか
 1,自然災害死と紛争死
 ここまで示してきたように、わが国の自然条件はきわめて厳しく、そのために地震や風水害などの自然災害や飢饉によって多くの命が失われてきた。
 われわれ日本人はいたずらな自然の揺らぎのために命を落としたが、人と人との紛争でほとんど死んでいない。1万年に及ぶ縄文時代の遺跡には集団戦の痕跡が見当たらないのである。わが国には都市を取り囲む城壁がまったくないが、ヨーロッパでも中国でも強固で長大な城壁が都市を囲んでいる。
 そもそもCityという言葉はラテン語のCivitiasから派生しており、それは『壁のなかに人が蝟蝟集(いしゅう)するところ』という意味だから、都市の概念には当然、城壁が含まれている。
 莫大なカネもかかり大変な労力を要するものを建設しなければ、まとまって住むことなど考えられなかったということは、城壁がなければ全員が虐殺される危険があったということである。 日本人で世界の殺戮の歴史を研究する人はいないが、アメリカのマシュー・ホワイト氏は過去の戦争などで亡くなった人数についての研究を集約している。
 その研究によると第二次世界大戦の6600万人を最大の殺戮として、続いてチンギス・ハンや毛沢東の4000万人など大変な死者数を計上している。彼の研究で日本が単独で登場するのは島原の乱の2万人だけで、関ヶ原の戦いもないのである。
 ヨーロッパや中国では、自然災害での死もあったが、圧倒的多数が紛争での殺戮で亡くなっている。
 2,小集落での暮らし
 日本人は歴史のほとんどの時間を400人程度の小集落で暮らしてきたと紹介した。ここでは全員が顔見知りであり、日々を気まずくならないように暮らすことが最優先された。
 広い領域を大きな城壁で囲って大勢がまとまって暮らしてきたヨーロッパや中国(パリの最終城壁は周囲34㎞の円形。長安は東西10㎞、南北約8㎞の長方形)の都市での暮らしとは、大きく異なるものであった。この広い領域では、人々を規制や権力が縛ったのである。
 日本人はどのように考え、何を感じるようになったのか
 1,『思考』の違い
 人は愛するものの死に臨むとき、最も深く考え、最も感じるものである。第1に彼我に大きな思考や感覚の差をもたらしたのは、その死が何に由来したかということであった。
 思考の型を対比的に示すと、彼らを合理主義とよべば、われわれは情緒主義となる。西欧ではやがて起こる戦いに備えたり、前の敗戦を総括するためには、網羅的で手順をキチンと踏んだ合理的で理論的な思考が不可欠であった。
 ところが、こちらは種々の自然災害がいつどこでどの程度の規模で起こるのか、わかりようもないものに備えなければならないのだが、現在でも困難なのに、科学の発達していなかった時代に合理的な思考によって準備することなどできるはずもない。
 災害が起きてから、被害の程度を小さくするための努力が精一杯だったのだ。そして、この災害で亡くなった人の魂を懸命に鎮めるしかないのである。普段は恵みのもとである河川があふれ、海が盛り上がって奪っていった命だが、恨みようもない死を受容するしかなかった。
 また、あらかじめ紛争に備える思考は、長期的・俯瞰的なものでなければ十分なものではないが、災害が起こってから被害を最小にすることを考えるしかない思考は、臨機的で当座主義的なものにならざるをえない。
 紛争に対処して『命令を伝え理解する』ための論理言語を磨いてきた西欧人と、『微妙な思い』を伝えるための情緒言語を磨いてきた日本人という大きな違いが生まれた。彼らの言語は隙間のない理解ができるように作られてきたのである。
 西欧の言語のイントネーションや強弱が日本語に比べてきわめて強いのはそのためである。チャーチルが、『日本語は信号通信によって即座に伝達を行うのがきわめて困難だった』と述べているように、紛争を乗り切るための言語など発達させる必要もあかったのだ。
 われわれ日本人は世界で唯一、多様な一人称と二人称を持っている。私の複雑な『思い』をあなたに伝えるためには、状況を反映した人称の使い分けが必要というわけである。人称の使い分けをするようでは厳格で厳密な命令伝達など行えるわけがない。
 第2の分岐点は、生活単位の大きさであった。少集落のなかで顔見知り同士がとにかくもめごとを避け、『何事も全員での話し合い』で決めて仲良く暮らすことを何より優先してきたのがわれわれである。一方、顔見知りの範囲を超える広い都市のなかに住まうために『厳格なルールの確立とその遵守』を誓い合い、城壁都市内で『公』を発見し『市民』を誕生させたのが西欧人だった。
 これらの違いが西欧人の主張貫徹主義とでもいうべき姿勢と、日本人のもめていないことが最優先という妥協主義・円満主義とでもいうべき思考のパターンをもたらした。われわれはテーブルを蹴ってまで主張を貫くことなどできない。『けんか両成敗』という外国人にはまったく理解できない言葉まである国柄だ。理非を糺すのではなく、とにかくもめていることがいけないと考える西欧人などいないのである。
 人称を多く持ったのも、狭い仲間のなかで微妙な関係を保ちながら暮らしていくための『共』の思想とでもいうべき知恵だったのである。
 2,『感覚』の違い
 思考の差をもたらした彼我の経験の違いが、大きな感覚の差も生んでいる。その第1は、『人為観』と『天為観』とでもいうべき差異である。大きな地震がないことと、そのため建物が石で建築できたことから、西欧の都市景観は『自然に』大きく変化していくことなどあり得ない。パリはオスマンちう『人によって』計画通りに整備され、それは今日ほとんどそのままの姿で存在している。
 ところが東京は関東大震災で破壊され過去の姿を止めない。つまり、西欧では『人が何かしない限り何も変わらない』が、こちらは『人が何もしなくとも災害が何もかも変えてしまう』のである。だから西欧人は人為の国で、わが国は天為の国だというのである。
 こうして西欧ではすべての出発点に人がいるから、『神は万物を支配するために人をこの世に送った』という話を理解できるが、われわれには無理である。こちらは、地震でも津波でも人も動物も植物もともに倒され流されて行くから、『人は特別な存在だ』と考えることなどできようもない。
 まさに『山川草木国土悉皆成仏』の世界だが、すべてのものに仏性が宿るということの考えは、いまこそ世界が獲得すべき思想だと考える。
 第2は、死の受容と死の拒否とでもいうべき『死生観』の差異である。紛争がもたらす死は、『他人による愛する者の殺戮』であるから、この死を受け入れるためには『殺した相手を恨みぬくこと』と『復讐を誓うこと』が残された者の責務として必須のこととなる。
 こちらの死はそうではない。普段はわれわれに恵みを与えてくれる大地や川や海が愛する者を奪っていったのだ。恨むこともできず復讐などできるわけもない死なのである。ただひたすら受け入れるしかない、感情のぶつけようもない苦しい死なのである。
 ただ耐えるしかない死が満ちている世界に、『命令的で要求的な狭量な神』が浸透するわけもない。ここでは『悲しく死んでゆくしかない人』をひたすら救済する神こそが必要なのである。究極の易行門に到達した法然親鸞がこの国に生まれたのは必然だったのだ。
 第3は『歴史観』の相違である。一言で言えば、西欧の『歴史とは積み重なっていくものである』という感覚と、われわれの『歴史は流れ行くものである』という感覚との違いである。
 ダビンチやニュートンの生家まで現存する国では、『過去に重なって今日がある』と日々実感されているが、明治の面影ですらほとんど失ってしまった東京人がそのような感慨を持つことなどできない。このことは、われわれに『新しくなることを尊ぶ』感覚をもたらした。伊勢神宮などの式年遷宮は、新しくなることで神の力がよみがえると考えないと理解できないことである。
 日本人は仲間となって力を発揮する
 以上に示してきたように、われわれ日本人は世界のどの民族も経験しなかった特異な経験を経て今日に至っている。それは、『それが異なった考えや感覚をもたらした』ということに過ぎないのであって、卑下したり後れていると嘆いたりするこちではない。しかしこの差異があるという認識がなければ間違った処方を用意してしまうことにもなりかねない。
 箱根駅伝をはじめわれわれは駅伝が大好きだが、それは『自分の努力が仲間への貢献』として生きることに至福を感じるからである。アメリカ人は、個人の責任が明確化されることで力量を発揮するが、われわれ日本人は一人一人の責任が明確化されると逆にたじろいでしまうと言われる。
 そこに『競争と個人の短期評価』を持ち込んでも成果が出るわけがない。トヨタのQCサークルや京セラのアメーバ経営のような『グループの責任』が最適解なのだ。
 1995年に『規制破壊』なる本が発刊されたように、この頃以降、わが国の経済政策や企業統治改革は主流派経済学の論理に沿って進められてきた。この間、一貫して『改革』が主張されてきたが、改革とはつまり過去否定であるから、『何か悪いことをしてきたと言わんばかりの標語の連打』は、人々の意気をそいできた。
 1対1なら日本人に負けないが、3対3以上になるとかなわないと韓国人や中国人は言うのは、日本人はお互い助け合うからである。このような素晴らしい特性を持つのに、直輸入の個人主義だとか個人評価とかを持ち込んで混乱してきた。日本人は日本人であることから再生していくしかないのである。
 公共事業をインフラ認識に高めよ
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 都市城壁を持たなかったこともあって、社会を支えるためには基礎構造としてインフラストラクチャーが不可欠であるという認識をわれわれは欠いている。だからこそ、劣後し始めたインフラ環境をととのえるため、どこに何をいくつまでに整備していくのかという具体的な国土計画が必要なのである。脆弱な国土での数多い天災が、日本人の勤勉性と向上心を育んできた。大災害を経た今こそ『国土に働きかけなければ、国土は恵みを返さない』という危機意識を呼び覚まさなければならない」
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