💎2)3)─1─サッチャー。マハティール。キッシンジャー。李登輝。イツハク・シャミル。リー・クアンユー。~No.2No.3No.4No.5No.6 @ ① 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 自信がない気弱な者や単細胞で思考力の弱い者は、他人から褒められると無邪気に喜び、他人から煽てられると子供の様にはしゃいで浮かれ、自分は優秀な人間だと自慢れる。
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 <落合信彦氏の対談から。集英社発行『BAET』 1991年6月24日号>
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「政治に関心を持つ日本の若者へのメッセージ」
 「これは政治に関心のない若者にも伝えたい事ですが、本を読みなさい、学びなさい。
 一人ひとりの人生はあまりに短いのです。
 一秒たりとも無駄にせぬ努力をする事です。
 政治に関心があるならそれを深く研究し、その哲学を学びなさい。
 そして歴史を知る事。歴史は人類の営みが継続的かつ永遠性を持っている事を教えてくれます。
 政治とは単に能率や効果の問題ではありません。
 それは、過去と未来をつなぐ橋なのです。
 常に過去から最高のものを受け継ぎ、それを基に未来の信条や価値観を作り上げる努力をする事です。過去の価値観や信条などあまりにも古く、あまりにも真実な為にそれらは往々にして時を超越し、どんな時代でも通用します。
 それから政策を考える時には常に長い目で見る事。
 近視眼的な政策、すぐに即効性をもたらす政策は国を誤らせるものとになりがちです。
 将来の為を思えば、時にはきつい事、不人気な事もせねばなりません。
 ここに信念の大切さがあります。
 甘いウソもよりも苦い真実に直面できる勇気を持つ事、そしてそれらを人々にぶつけられる信念と情熱を持つ事です。
 そしていつも互いに対する義務感を忘れない事。
 人間は自分だけの幸せを考えて生きてはいけません。
 我々は皆同じ船に乗っているのですから。
 この船に乗っている人々が争いもなく幸せに生きていけるようにするのが政治です。
 最後に肝に銘じておいて欲しいのは政治とは〝人間の心〟と同意語という事です。
 単あるロジックで政治はやっていけません。
 ロジックだけで人間性がなければ政治はただのいやしい権力争いになってしまいます。
 人間の心を持っていて初めて大いなる知恵や判断力がつくのです。
 政治とは本当にダイナミックで魅力的なものであり、これからの日本の若者たちが活躍できる最高の舞台です。
 彼らに私の心からのグッド・ラックの言葉を伝えておいてください」
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 「平和と自由の選択ならば、必ず自由を選ばなければいけますん」
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 「確かに戦争は悪です。しかし、その戦争によってもっと巨大な悪をストップせねばならない事もあります」
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 サッチャー回顧録「合意された国際的ルールを守る為に力を合わせなければならない。それを侵犯するものに対しては軍事的行為を含め、実効ある制裁を加えるのが国際社会に属するものの責務である。私は第二次世界大戦の対独〝宥和政策〟の失敗から侵略というものには、いつでも断固抵抗しなければならない教訓を学んだ」

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 マハティール『立ち上がれ日本人』。「はっきり申し上げれば、いまの日本人に欠けているのは自身と愛国心です」
 「日本人は、日本固有の文化にもっと誇りをもつべきだす。もし当事者であるあなた方がそう思っていないとしたら、私の口からお伝えしたい。あなた方の文化は、本当に優れているのです。日本の力を忘れていませんか」
 「日本人は再び立ち上がるのか、有権者の審判も問われている」
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 ヘンリー・キッシンジャー「人間はワインと同じだ。
 どんな人も自分の生まれた場所を大事に思っているし、故郷を良い所だと思っている。……人間も、このワインと同じで生まれ育った地域の気候や歴史の産物なんだ。これが人間の本性なんだ。
 だから地理や歴史を勉強しなさい。世界の人が住んでいる土地と彼等のご先祖についてちゃんと勉強しなさい。勉強した上で、自分の足で歩いて回って人々と触れ合って、初めて世界の人の事が良く分かる」
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 ジョン・ルカーチ「一般に祖国愛が防衛的であるのに対し、大衆迎合的なナショナリズムは攻撃的である」(『歴史学の将来』)
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 李登輝「人間は、自分が分割されない個として、かけがえのない一回限りの生を生きる存在である事を自覚する時に人格となります、そのとき初めて、自分でない他の全ての人間と向かい合い、他の人間を、自分とは分かれた、なお自分と共に生きる『他者』として経験する可能性を持つのです。
 こうして個としての自我意識を核としながら、自分に向かい合う世界を対象化して捉えていく事ができるようになるのであり、そこに文化を生み出し、歴史を作り出していく人格的前提があると言ってよいでしょう。
 ……
 人間の自己形成にあたって、人は二つの根源的衝動と取り組まなければなりません。即ち、共棲的環境からの分離への欲求とともに自分を守ってくれる対象に近づこうとする結合への欲求です。
 こうした『人間とは何か』の説明によって分かる事は、個人の生活史の中で繰り返される生命原理が示す様に、分離と結合の繰り返しです。そして同時に自由と不自由の繰り返しでもあります。
 人類と平和を論じる前に、戦争と平和を人間はどう考えているかを言わなければなりません。戦争はいけない、戦争はやむおえない、などと話す人の価値判断ばかりが先走った議論の多い中で、現実の世界における平和がどのように可能となるのか考えなければなりません。
 そこで、『戦争と平和』を書いたトルストイの考え方を見る事は非常に有益と考えます。トルストイは『「戦争と平和」という本について数言』という、結びのなかで、彼にとって最も重要な考えを述べているからです。
 『私は進行している歴史上の事件の原因は、我々の理性の理解の及ぶものでない事が明らかだと悟った。数百万の人間がお互いに殺し合おうとし、50万を殺した事件が、人間の意志をその原因としてうはずがない。
 何の為に数百万の人間がお互いに殺し合ったのか、世界の創造の時から、それは肉体的にも、精神的にも悪だという事が分かっているのに。
 それが必然的に必要だったからであり、それを行いながら、人間達はミツバチが秋になる頃、お互いに殺し合い、動物の雄達がお互いに殺し合う、あの自然の、動物学的法則を実現していたからである。それ以外の答えを、この恐ろしい問いに答える事ができない』
 このように、トルストイの戦争に対する観察は、『人間とは何か』という事をよく説明しており、逆にこれはまた平和に対する人間の考え方にもあてはまる事と思えます。
 トルストイは、秋になって交配が終わると、せっかく集めてきた密をただ飽食するだけのオス蜂は殺されてしまうミツバチの法則について言及しています。
 ……ロシアでも台湾でも、ミツバチの行動は変わる事はなかったのです。つまりミツバチの本能がそうした行動を起こさせるという事が分かりました。
 同時に、生きる為には犠牲を払わざるをえない例は人間にもあります。
 ……
 平和を求めたいというのは、大部分の人間の欲求でしょう。しかし、そうした期待はトルストイが『戦争と平和』で述べた考え方や、『人間とは何か』という事の本質に基づいて考えれば、首尾一貫した原理、原則の適用は不可能な事と言わざるをえません。可能なのは、具体的な状況の中から平和の条件を探る事にすぎません。そうなると、『戦争はいけない』、あるいは『戦争は戦うべきだ』とは簡単に言えなくなるのです。
 現実の世界における平和がどのように可能となるかを考える必要があります。
 平和とは要するに戦争が行われていないという状態にすぎません。そして世界から全ての戦争をなくしてしまう事は難しいとしても、やはり戦争は例外的な出来事であり、世界の大半の人々にとって平和こそが現実の日常なのです。となると、現実が難しいのは、戦争の廃絶であって平和ではありません。
 もちろん問題は、どうすればその平和を実現できるのかという点にあります。平和の為に全ての武器を廃絶すべきだなどという考えは、実現不可能なユートピアとしての平和に変わるでしょう。
 逆に武器で脅されなければ平和を保つ事ができないと考えるなら、武力放棄とは自衛的手段を捨て、自ら侵略に身を晒すような愚行にすぎません。平和についての議論は、実は平和そのものでなく、それを実現する方法をめぐる争いの歴史なのです。
 国際政治の主体は国家です。そして各国がその存続の為に権力を行使する限り、国家間の協力関係はごく限られた範囲でしか成立しえません。国内の社会では、強制力を持つ主体は国家の他になく、その暴力を背景にして政府が法を執行する事も可能となるのに対し、国際社会はそうではありません。
 国際政治では、それぞれの国家に対して強制力を行使する事ができる法執行の主体は存在しません。国防を委ねる事のできる主体が存在しない以上、各国は武力を保持して、その存立を保つ他に選択肢がないのは明白です。こうして、それぞれに主権を主張する国家が軍を保持し、対抗を続ける世界としての国際政治が存在するのです。
 このように『国家に分断された世界』における政治とは、平等な主権を持つ世界国家が国益を最大にすべく権力闘争を繰り返す過程であり、法の支配とか正義とかを訴えても意味はないのです。国際関係は善悪正邪とは無縁の領域と見なされる事にあります。
 国家より上位に立つ実効的な支配が存在しないという国際政治の基本的特徴は現在でも変わっておらず、もして国家の防衛を委ねる事のできるような国際組織などは存在しません。国境を越えた交易や人の往き来がどれほど拡大しようとも、武力に頼らない国防を実現する保証は決してないのです。
 国際政治の安定を考える上で、各国の間の抑止、威嚇、『力の均衡』を無視する事ができない限り、政策の手段としての武力の必要性を排除する事は考えられません。
 古今東西の別なく、人類の歴史は異なる組織集団の分離、結合の繰り返しです。結局のところ歴史の発展とは組織や共同体の盛衰と交替の記録を、よりミクロに捉えれば、組織を掌握する権力者の盛衰と交替の記録にほかなりません。
 時代の断面を切り取れば理、組織や共同体の幸、不幸、繁栄、滅亡は指導者によって強く影響されている事がわかりかす。同時に指導者の持つ力と背負っている条件が組織の盛衰を左右し、興隆と滅亡を決定付ける鍵となる事が多いともいえます。
 ……
 日本を取り巻く環境はますますきな臭くなってきています。このような状況に置かれながら、国家の根幹を規定する憲法で戦力を保持しないという事を規定している事は、自らの生存を放棄している、もしくは他者の手に委ねていると取られかねません。
 戦力を保有する事は即ち戦争をするという事ではありません。混沌とした国際社会の中で、いじめられない為に、自分の身を自分で守る為に戦力を保持する事が必要であり、国際社会共通の認識です。
 ……
 私は『国を守る、これは総統の責任である。自分の国は自分で守らなければならないという原則を知っていますか』と初めからこんこんと説明してあげたのです……
 いま日本は『Gゼロ』の世界において、岐路に立っています。日本が生き抜く為の改革をなし遂げる為には、日本人一人ひとりが志をもって行動する事が不可欠であり、誇りと自信を持たなければなりません」
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 イツハク・シャミルイスラエル首相)「(政治家の要素とは)まず予知能力。例えばオスロ合意(1993年)によるいまの和平プロセスは絶対に崩壊する。その確信を支える情報は私は得ていた。予知能力を持つには、新しい情報を得る努力が必要不可欠なのだ。次に安易な妥協をしない事。特に国家国民の利益が掛かっている政策で中途半端な妥協は命取りになる。だから、今いった予知能力が必要となる。先が読めれば簡単に妥協などしないものだ。もう一つ、政治家に必要なのは、清潔さだ。これは美徳でも何でもない、ごく当たり前の事だ。命を張って国民の幸せを常に考える事が政治家の義務なのだ。これらの要素を持っていれば、一応政治家として最低限の合格ラインになるといえるだろう」
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 リー・クアンユー「中国の近隣諸国は、全ての国は大小問わず平等であるとか、中国は決して覇権を追求しないなどといった、中国の儀礼的な文句を信じてはいない」
 「日本人は如何なる製品も手掛け、常にそれを改善している。……日本人は、箸から車まで全て洗練した物になる」
 「いまや時代は明らかに変わり、日本人も変わりました。しかし、時代が変わっても変わらないものがあります。文化、人間の根底にあるものはずっと変わりません。日本人は大変エネルギッシュで勤勉で、真面目な国民である」
 「アメリカはゼロから発明して競争相手を負かす。だから私は、アメリカ経済は回復すると確信している。アメリカは製造業で日本やドイツに引けを取った。しかし、アメリカはインターネット、マイクロソフトビル・ゲイツ、デルなどで挽回した。アメリカは突然大量に製品を市場にもたらし、コストを低減する。ヨーロッパと日本はそれを追いかけなければならない。……日本人は細部で節約するが、アメリカ人は全く新しいもので突破口を開く」 


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