💎15)─3─平成28年4月3日は、初代神武天皇2600年式年祭の年である。フィリピン慰霊の旅。~No.55No.56No.57 @ ⑩ 

完全保存版 天皇125代 (別冊宝島 2128)

完全保存版 天皇125代 (別冊宝島 2128)

  • 発売日: 2014/01/23
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本民族日本人と皇室の弥栄。
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 式年とは、崩御された命日から数えて節目の年に挙行される皇室の「ご先祖祭り」である。
 つまりは、祖先神・氏神の人神祭祀である。
 100年目の式年祭以降は100年目ごとに挙行されて、今日に至るまで絶える事なく続いている。
 それが、日本の皇室であり、万世一系男系天皇(男系・女性両系による直系長子相続)である。
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 平成17年  サイパン島慰霊訪問。美智子皇后の御製「いまはとて島果ての崖踏みけりしを みなの足裏(あうら)思へばかなし」
 平成27年4月 ペリリュー島慰霊訪問。美智子皇后の御製「逝(ゆ)きし人の御霊かと見つむパラオなる 海上を飛ぶ白きアジサシ」
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 1月25日 産経ニュース「【両陛下ご訪比】両陛下、26日からフィリピンご訪問 戦没者をご追悼
 天皇、皇后両陛下は26日から5日間の日程で、フィリピンを公式訪問される。首都マニラに滞在し、先の大戦で命を落とした日比両国の戦没者を慰霊するとともに、マラカニアン宮殿(大統領府)で催される晩餐会で天皇陛下がお言葉を述べるなど、両国の友好親善に努められる。歴代天皇として初めての同国訪問で、両陛下にとっては、皇太子夫妻時代の昭和37年11月以来、54年ぶり2回目のご訪問となる。
 今年は日本とフィリピンの国交正常化60周年にあたることから、昨年6月に国賓として来日したアキノ大統領から両陛下のご訪問の招請があった。国際親善を目的とする公式訪問という位置づけだが、同国は先の大戦最大の激戦地である上、両陛下は国籍を問わずに全ての戦没者の霊を慰めたいとの強い意向を持っておられることから、宮内庁は日本人戦没者の慰霊碑「比島戦没者の碑」と、フィリピン人戦没者が眠る「無名戦士の墓」でのご供花を日程に組み入れた。
 先の大戦中には、同国のルソン島で約27万人、レイテ島で約8万人、ミンダナオ島で約6万人など、多くの日本兵が戦死。フィリピン全域での日本兵戦死者は51万8千人に上る。また、同国側の犠牲者も極めて多く、110万人とも言われる。両陛下の「ご慰霊の旅」は続く。」
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 1月30日 産経ニュース「【両陛下ご訪比】両陛下、フィリピンからご帰国 慰霊果たされ
フィリピンからご帰国された天皇、皇后両陛下=30日午後、東京・羽田空港
 日本とフィリピンの国交正常化60周年を記念してフィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は30日夕、政府専用機羽田空港に到着し、帰国された。両陛下が続けられている「慰霊の旅」が海外で実現したのは、平成17年のサイパン、昨年のパラオ共和国に続き3度目となった。
 両陛下は同日午前、滞在していたソフィテル・ホテルをご出発。マニラ首都圏のニノイ・アキノ国際空港から帰国の途につかれた。空港では到着時に続きアキノ大統領が両陛下を見送った。大統領自ら空港で賓客を見送るのは異例という。
 両陛下は滞在中、大統領主催の晩餐(ばんさん)会に臨席するなど両国の友好親善に励み、先の大戦で110万人の犠牲が出たとされる同国の「無名戦士の墓」と51万8000人が亡くなった日本の「比島戦没者の碑」に供花し、両国の犠牲者を等しく慰霊された。
 羽田空港では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方が出迎えられた。宮内庁は、ともに80歳を超えた両陛下のご負担に配慮し、この日はご帰国だけの日程とした。」
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 4月4日 産経ニュース「 神武天皇二千六百年式年祭 両陛下ご拝礼
 神武天皇陵を参拝された皇后さまと秋篠宮紀子さま=3日午前、奈良県橿原市
 奈良県を訪問中の天皇、皇后両陛下は、初代天皇である神武天皇の命日とされる3日、橿原市神武天皇陵で、二千六百年式年祭の山陵の儀に臨まれた。神武天皇の御霊を慰める祭典は毎年行われるが、節目ごとの式年祭は大正5年以来100年ぶり。
 儀式には、天皇陛下がモーニング、皇后さまがグレーのロングドレスの参拝服で臨まれた。陛下は墳丘前の祭壇に玉串をささげて拝礼した後、御霊への思いを表す「御告文(おつげぶみ)」を読み上げられた。続いて、皇后さまも拝礼された。
 陛下には秋篠宮さま、皇后さまには秋篠宮紀子さまがそれぞれ同行し、陛下、皇后さまのご拝礼に合わせて頭を下げられた。
 両陛下はその後、神武天皇が即位した橿原宮跡に創建され、神武天皇をまつる橿原神宮も参拝された。
 一方、歴代天皇をまつる皇居内の皇霊殿で行われた二千六百年式年祭では、両陛下の名代として、皇太子ご夫妻が拝礼された。
 療養中の皇太子妃雅子さまが心身を清める潔斎をへて、皇室の伝統的な装束を身につける宮中祭祀(さいし)に臨まれるのは、平成21年1月7日の昭和天皇二十年式年祭以来7年ぶり。」
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 4月4日 産経ニュース「100年ぶり、大正天皇にならわれ 神武天皇式年祭
神武天皇・海道東征】 .
 初代天皇である神武天皇式年祭が、大正5年以来100年ぶりに行われた。皇祖の命日に御霊を慰める式年祭は、宮中祭祀(さいし)の中でも「大祭」に位置付けられる重要な儀式。天皇、皇后両陛下は大正天皇貞明皇后の前例にならい、奈良県橿原市神武天皇陵まで赴き、厳かに拝礼された。
 宮内庁によると、現在の宮中祭祀明治憲法下の旧皇室祭祀令に基づいて行われる。大祭は天皇自らが祭典を行い、拝礼した上で、御告文(おつげぶみ)を奏上する。神武天皇と先代(現在は昭和天皇)のみは毎年の命日に大祭として祭典を営む。
 先代より前の3代(現在は大正天皇明治天皇孝明天皇)は毎年、掌典長が執り行い、天皇が拝礼する小祭となる。また、歴代天皇崩御から3年、5年、10年、20年、30年、40年、50年、100年、それ以降は100年ごとに営まれる祭典は式年祭と呼ばれる。
 天皇祭、式年祭は、歴代天皇をまつる皇居・皇霊殿と、それぞれの陵(天皇の墓)で行われる。両陛下は先代である昭和天皇の三年、五年、十年、二十年の式年祭はいずれも武蔵野陵(東京都八王子市)での儀式に臨まれている。
 宮内庁によると、100年ぶりの神武天皇式年祭を迎えるにあたり、大正5年の二千五百年式年祭大正天皇貞明皇后神武天皇陵を参拝した前例にならい、両陛下も陵での拝礼を望まれたという。
 二千五百年式年祭では、大正天皇は陸軍式の正装だったが、陛下は今回、モーニング姿で臨まれた。また、ホテルからの御料車には、国会開会式などと同じくトヨタ製の「センチュリーロイヤル」を使われた。
 当時は伏見宮貞愛親王東伏見宮依仁親王妃が務めた皇霊殿での名代は皇太子ご夫妻、依仁親王だった陵への同行役は秋篠宮ご夫妻がそれぞれ果たされた。
 皇太子妃雅子さまは体調への負担が大きい伝統的な装束「五衣」「小袿」「長袴」に、髪を束ねて後ろに垂らす「おすべらかし」の髪形で臨まれた。宮内庁関係者は「神武天皇式年祭を重く受け止め、体調を整えられた」としている。
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 神武天皇 宮内庁書陵部によると、父は天津日高彦波瀲武●(=慮の心を皿、右に鳥)●(=滋のつくり、右に鳥)草葺不合尊(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、母は玉依姫命(たまよりひめのみこと)。日本書紀によると、太子となって九州から東遷し、大和を平定。紀元前660年に橿原宮で即位し、初代天皇となった。紀元前584年に127歳で崩御したとされる。明治6年に即位した2月11日を紀元節と定め、戦後に廃止されたが、昭和42年に「建国記念の日」として祝日となった。」
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 4月9日 産経ニュース「【皇室ウイークリー】(429)両陛下、神武天皇式年祭でご拝礼 皇太子ご夫妻、名代としてご参拝
 土器の破片の整理・修復作業を見学される天皇、皇后両陛下=2日、奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所
 皇祖・神武天皇の没後2600年の命日とされる3日、奈良県橿原市神武天皇陵で式年祭の山陵の儀が行われ、天皇、皇后両陛下が厳かに参拝された。神武天皇式年祭は大正5年以来100年ぶり。両陛下は大正天皇貞明皇后の前例にならい、陵での拝礼を望まれたという。
 午前10時すぎ、天皇陛下はモーニング姿、皇后さまは灰色のロングドレスの参拝服姿で陵にご到着。宿泊先から陵までは、国会開会式などの重要行事と同じくサイドカー付きのバイクが先導し、御料車にはトヨタ製の「センチュリーロイヤル」が使われた。
 儀式では、陛下がお供役の秋篠宮さまを伴って陵の前に設けられた祭壇に向かい、玉ぐしをささげてご拝礼。神武天皇への思いを示す「御告文(おつげぶみ)」を読み上げられた。続いて、皇后さまが秋篠宮紀子さまを連れ立ち、同様に深々と頭を下げられた。
 皇居・宮中三殿で営まれた式年祭皇霊殿の儀では、両陛下の名代で皇太子ご夫妻がご参拝。皇太子妃雅子さまは7年ぶりの宮中祭祀(さいし)を果たされた。小町恭士東宮大夫によると、儀式の後に両陛下からおねぎらいの言葉をいただき、ご夫妻はお気持ちに感謝されていたという。
 両陛下は3日午後、神武天皇が即位した橿原宮跡に建立され、神武天皇をまつる橿原神宮を参拝された。神宮関係者によると、一般の立ち入りが許されていない幣殿まで進み、拝礼されたという。
 これに先立つ2日には、橿原市橿原考古学研究所で、発掘調査で出土した土器の修復作業をご見学。実演していた女性の土器片の一部が偶然はまり、皇后さまが「ようございましたね」とほほ笑まれる場面もあった。
 陛下は8日、皇居内の生物学研究所脇の苗代に、うるち米のニホンマサリ、もち米のマンゲツモチの2種類の種もみを丁寧にまかれた。
 皇太子ご夫妻は5日、春休み中だった長女、敬宮(としのみや)愛子さまを伴い、東京都墨田区江戸東京博物館で開かれている日伊国交樹立150周年記念の特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ−天才の挑戦」をご覧になった。
 特別展の目玉で、鳥の飛行の構造を研究した直筆ノート「鳥の飛翔に関する手稿」は左手で鏡文字を使って書かれた。ご一家は小さな文字がびっしり書き込まれたノートを熱心にのぞき込まれ、愛子さまは「器用ね」と感想を漏らしていた。
 7日には、ご一家で東京都立川市昭和天皇記念館に足を運び、開館10周年の特別展示「思い出の昭和天皇」を鑑賞された。昭和天皇の生涯を4期に分けて写真や遺品などで振り返る企画で、ご一家は即位から戦後の地方巡幸、大阪万博のころまでを紹介した第2期をご覧になった。
 皇太子さまは、昭和天皇が戦後の一時期に軍服に代わって身に着けていた天皇服を見て「珍しいですね」と話された。雅子さま愛子さまは、昭和天皇が愛用したミッキーマウスの絵柄の腕時計を紹介され、笑顔をみせられた。
 秋篠宮ご夫妻が日本とイタリアの国交樹立150周年に伴う招待を受け、5月10〜17日の日程でイタリアを公式訪問されることが8日の閣議で了解された。祝賀式典に臨席するほか、バチカンにも立ち寄り、ローマ法王フランシスコを表敬される。
 国学院大学は5日、三笠宮家の彬子さまが1日付で、同大の特別招聘(しょうへい)教授に就任されたと発表した。彬子さまが総裁を務め、日本の伝統文化を伝える活動を続ける「心游舎(しんゆうしゃ)」と連携し、学生に田植えなどをしてもらうほか、彬子さまが年数回講義をされる。
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 【皇室ウイークリー】は毎週土曜日、「産経ニュース」に掲載している企画です。ニュース紙面ではあまり触れられない各宮家のご活動や、病気療養中の雅子さまのご様子を含め、宮内庁担当記者が皇室の1週間を振り返ります。紙面で掲載できなかった写真もご紹介しています。さらに「皇室ウイークリー」だけのために撮影した写真も、アップしています。
 また皇室のご動静は、産経新聞社が取材協力している扶桑社の季刊誌『皇室 Our Imperial Family』でも、詳しくご紹介しています。」
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天皇陵

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  • 作者:園田徳造
  • 発売日: 2015/11/23
  • メディア: 単行本
天皇陵の誕生(祥伝社新書268)

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  • 作者:外池 昇
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