⚔14)─1─江戸時代の日本人は世界を知らずキリスト教の真理や教義が理解できず弾圧し殺害した。スコラ学と正戦論・聖戦。政治化した本願寺との違い。~No.48 @ 

世界遺産ビジネス(小学館新書)

世界遺産ビジネス(小学館新書)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 人類史・世界史・大陸史において、他人や他国その土地を称え褒めちぎる発言や文章ほど信用できないものはない。
 例えれば、大航海時代に日本に渡来した西洋人の多くが日本国と日本民族日本人を賛美する言葉や文書を残しているが、西洋人の本心はそこにはなかった。
 何故なら、彼らは、日本人を奴隷として売買して利益・大金を儲けていたからである。
 白人キリスト教徒が日本人の正直さ・素直さ・勤勉さ・勤労さを称えたのは、「仕事熱心の良い奴隷になる」との売り言葉でしかなかった。
 他人に褒められて喜ぶのは、自分は「良い奴隷」になる事を認めているにすぎない。
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 死と隣り合わせに生きていた昔の日本人は、生き残る為に「誉め殺し」を警戒し、本心を隠して友好・友人を口にしながら笑顔で近づいてくる好人物を最も疑っていた。
 生きる事に真剣であった昔の日本人は、後悔しない為に他人を疑いその心・思考を読んで生きていた。
 昔の日本人は、中世キリスト教や中華儒教に騙されなかった。
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 芥川龍之介「我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです」(『神神の微笑』)
 安土桃山時代に日本でキリスト教の宣教に当たったイタリア人イエズス会のオルガンティーノ神父に対して、日本を古来守護してきた翁の霊は、渡来して来た文化や宗教を拒絶せず日本風に転換して受け入れ土着化する融通無碍な多様性に富んだ伝統文化の真髄を語った。
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 歴史的事実として。宣教師は、日本で布教活動をする資金を稼ぐ為に、異教徒日本人(女や子ども)を奴隷として東南アジアなどに輸出する手伝いをして居た。
 白人キリスト教徒は、日本人を奴隷として売り飛ばしていた。
 世界から責められるのは、日本人を奴隷として売った中世キリスト教、宣教師、西洋人、白人ではなく、奴隷として売られようとした日本人を助ける為に宣教師とキリシタンを処刑した豊臣秀吉徳川家康そして徳川秀忠であった。
 中世キリスト教会は、日本天皇を滅ぼそうとしていた。
 日本には、キリシタン弾圧に対して、一切の弁明も、如何なる弁解も許されてはいない。
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 司馬遼太郎「切支丹の神は倫理を説くのに対し、本願寺阿弥陀如来は洩れなく極楽へ連れて行ってしまう……切支丹は天国への道は『狭い門』を入るようにきびしいとするに対し、本願寺はいわば全員入学を説いた」(『島原・天草の諸道』)
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 2016年4月6日 朝日新聞「『長崎の教会群』禁教期に焦点
 伝統宗教と共存の集落 課題は物証
 熊本県天草市崎津集落。禁教令下の1805年、住民の7割にわたる1,710人がキリシタンと発覚した『天草崩れ』の舞台だ。
 当時の調書によれば、彼らはペトロ、ジョアンといった洗礼名をもち、寺の檀家、神社の氏子となりながら『あんめんりうす(アーメン・デウス)』と唱えていた。しかし幕府は、先祖伝来の風習を受け継いだ『心得違(ここれちがい)』として信心具を没収したうえで無罪放免とした。結果として信仰は維持され、明治のカトリックへの復帰につながった。
 『長崎の教会群』は16世紀以来のキリスト教受容過程を示す城跡、集落、教会堂など14遺産で構成していた。ところがユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)は1月の中間報告で、幕末〜大正期の教会堂についてはアジア各地に類例があると指摘、『日本のキリスト教共同体の特殊性は、2世紀以上にわたる禁教の歴史にある』と推薦書見直しを求めた。
 ……
 禁教の実態や背景を正しく伝えることも重要だ。素案では世界遺産としての価値を、『キリスト教が幕府により徹底的に禁じられ、宣教師との接触が絶たれたにもかかわず、民衆によって自律的に継承されたことを示す遺産』とした。
 だが崎津の例からも、幕末まで信仰が維持されたところでは、事を荒立てず事実上黙認されていたことがうかがえる。遺産の一つ、火野江城跡では五輪塔などの部材が石段に転用されており、キリシタン大名や教会が仏教を弾圧していたことも事実だ。大石一久・元長崎歴史文化博物館研究グループリーダーは、『なぜ禁教に至ったのか丁寧な説明が必要だ。これを怠ると、日本人が宗教に非寛容、残虐な民族という印象を世界に与えかねない』と懸念する。
 津崎集落では、神社と教会とをつなぐ道が例大祭や聖体行列の空間として共有されている。日本の伝統宗教キリシタンの共存という独特の文化的伝統は、宗教対立に基づく争いが絶えない現代にこそ、世界遺産にふさわしい普遍的価値観といえるかもしれない。
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 日本民族日本人は、2600年、125代続く万世一系男系天皇(直系長子相続)制度=国體を、外敵であるキリスト教共産主義、国内の反天皇的日本人から、命を犠牲にして守ってきた。
 祭祀王・万世一系男系天皇は、氏神・祖先神の人神信仰の中心的存在である。
 2600年の歴史を持つ民族の、文明、歴史、伝統、文化、日本国語、宗教、芸術、芸能、習慣、風習、その他全ての日本民族の継承者である。
 日本民族日本人は、日本国籍日本人とは違う。
 日本皇室が廃絶されれば、全てがなくなる。
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 幾つかの国連関係機関は反日的で、日本の弁明や反論を完全無視し、中国共産党政府・韓国・反天皇反日的日本人の歪曲し捏造し狂言的言い分のみを採用して日本を非難している。
 日本民族日本人は、身に覚えのない罪状で、歴史を否定され、名誉を傷つけられ、国際的地位を貶められ、残虐行為を行ったという烙印を押されようとしている。
 反天皇反日派国際勢力の真の目的は、万世一系男系天皇制度の廃絶と日本民族の消滅である。
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 中世キリスト教会は、自然災害は罪深い人間に対する絶対神の天罰と信じていただけに、多発する自然災害で苦しめられる日本人はよほどの大罪を犯していると確信し、その罪悪を悔い改めれば絶対神は御許しになって全ての自然災害からお救い下されると得心して、日本の国禁を破ってまで密入国して布教活動を行った。
 日本人は、自然災害は自分に不徳があって天・神が怒っていると信じて、心を入れ替え、身を浄め、謙虚と誠心誠意を旨として、浄く正しく美しく、素直と正直で一日一日を生きる事に腐心した。
 日本人が考えていた天・神の怒りは、キリスト教絶対神による天罰とは本質で異なっていた。
 日本人の思考力では、キリスト教絶対神による天罰は理解できなかった。
 日本人は、祖先を大事にする氏神・祖先神の人神信仰を持つだけに、子孫の為に良かれと考えて行動している自分を祖先も子孫である自分達の為に考え行動してくれていたであろうという独り善がり的な思い込みから、キリスト教が悔い改めを強要する原罪が納得できなかった。
 自分の家族の氏神・祖先神を冒?し、否定し、破壊される事が許せなかった。
 そして、非白人を奴隷として家畜の様に使役して恥じない事が理解できなかった。
 日本神道と日本仏教を信仰する日本人にとって、キリスト教が説く「隣人愛の信仰」が胡散臭く感じられた。
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 最も嫌悪したのは、ヨーロッパ人貿易商と組んで日本人(主に女性や子供)を奴隷として東南アジアや中国に売った事である。
 誰も、日本人が奴隷として東南アジアや中国に売られた事に同情してくれない。
 世界は、日本人が奴隷として売られた事は至極当たり前であったと認めている。
 キリスト教価値観では、キリスト教の洗礼を拒否して改宗しない日本人の身分は奴隷とされた。
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 江戸時代を通じて。日本各地に残る自然災害対策は、政治権力の幕府や諸藩或い宗教権威の寺社仏閣が行った公共事業ではなく、一民間人が発案し私財と民間の寄附金で行われていた。
 日本の歴史に於いて、反宗教無神論マルクス主義階級闘争史観は存在しなかった。
 伝統・歴史・宗教を大事にする地方の庶民の間に、都会の知識人の間で好評な共産主義はおろか社会主義が根付く事はあり得なかった。
 日本列島の最大最悪な脅威は自然災害であり、日本民族に最大最善の恵みを与えてくれるのも四季がある自然であった。
 そこには、天地を創造した全知全能の創り主である唯一絶対神は存在しない。
 当然、父なる神の御子である救世主もいない。
 奇跡も恩寵もない。
 不幸も不運もない。
 あるのは、逃れられない定めだけである。
 宿命はやむを得ないとして受け入れるが、運命は諦める事なく自分で切り開いた。
 日本の神や仏は、そうした中で、奇跡を行わず恩寵をもたらさず「ただ」そこに存在していた。
 日本の八百万の神々とは、全知全能なる唯一の絶対神と比べて無力であった。
 日本民族日本人は、自分の先祖を、過酷な自然災害多発地帯で生きて「命・血、魂・心」を繋いでくれた事に感謝して、氏神・祖先神の人神として祀った。
 唯々、感謝して、祖先を人神として村の鎮守様に祀った。
 氏神・祖先の人神には、霊力としての奇跡や恩恵は持っていない、霊験としての御利益(ごりやく)だけである。
 怪しげな呪いや呪術とは、無縁である。
 氏神・祖先神の人神とは、自分の両親・祖父母・曾祖父母など「命・血、魂・心」のつながった、自分の祖先である。
 氏神・祖先神の人神を貶す事は、自分の両親・祖父母・曾祖父母など「命・血、魂・心」のつながった祖先を貶す事である。
 氏神・祖先神の人神を否定する事は、自分の両親・祖父母・曾祖父母など「命・血、魂・心」のつながった祖先を否定する事である。
 祖先が、自然災害を生き抜いてくれたお陰で今の自分が生きて存在している。
 それゆに、氏神・祖先神の人神を崇拝するのである。
 自分とは、天地創造の唯一絶対神が創られた泥人形ではなく、両親・祖父母・曾祖父母などの祖先から「命・血、魂・心」を受け継いできた人である。
 自分は、泥人形ではなく、人である。
 両親・祖父母・曾祖父母などの祖先と自分を切り離しては、人としての自分は存在しない。
 人として自分を今この時に生かしているのは、生殺与奪の権を持ち最後の審判を下す絶対神ではなく、人として生きてきた両親・祖父母・曾祖父母などの祖先である。
 人は、人から生まれたのであって、絶対神によって創られたわけではない。
 両親・祖父母・曾祖父母などの祖先が偉大だから氏神・祖先神の人神として祀ったのではなく、「命・血、魂・心」を授けてくれたから、その感謝として神社と神棚に祀ったのである。
 その意味で、日本民族日本人は氏神・祖先神の人神の子孫である。
 氏神・祖先神の人神に選ばれた、特別な存在ではない。
 氏神・祖先神の人神信仰は、選民信仰ではない。
 自然災害多発地帯で生きる上で、「神仏の奇跡や恩寵で救われる」と口に出し人々を惑わす輩は陰険にして陰湿な極悪人である。
 人を救うのは「人の心」を持った人だけである。
 日本の神仏は、霊験で人の心の傍らで無言に寄り添い、神徳・仏恩の御利益をもたらす存在である。
 日本民族日本人は、神や仏を尊び拝むが、奇跡や恩寵でで助けて貰おう救って貰おうなどという「さもしい思い」は持ってはいなかった。
 そうした絶対神に依存する「さもしい思い」を「心の穢れ」として嫌い、立ち止まる事なく前に進んだ。
 自然災害には、絶対神や救世主の奇跡や恩寵はないし、人としての不運も不幸もない。
 理不尽な暴力と偶々の偶然だけである。
 自分が咄嗟に選んだ道を走って逃げた先で、生き残るか死ぬかは、不幸でも不運でもなく、定めである。
 時には、逃げなければ助かったかもしれない。
 自然災害は地球の営みであって、絶対神の御心とは無縁である。
 地球の営みは、宇宙に影響されている。
 人が生きているのは、絶対神の御手の上ではなく、地球の営みの中、人々の間である。
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 氏神・祖先神の人神信仰における神の数。 
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14代前では、8,192人。
 23代前には、419万4,304人。
 25代前では、1,677万人。
 28代前では、1億3,421万人。 
 30代前には、5億3,687万912人。
 40代前には、5,497億5,581万3,888人。
 100代前には、・・・。
 人は、二人の両親から産まれてくる。
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 日本民族日本人は、祖先を神として祀って大事にしてきた。
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 自分が受け継いだ「心・魂、命・血」の由来は、両親・祖父母・曾祖父母などの祖先か、絶対神なのか。
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 氏神・祖先神の人神信仰の代表が、伊勢神宮である。
 伊勢神宮は、皇室の氏神・祖先神である皇祖・天照大神を祀っている。
 初代神武天皇は、橿原神宮(かしはらじんぐう)に祀られている。
 日本皇室の歴史は2600年あり、男系天皇は125代続いている。
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 スコラ学は、正戦論で異教徒や異端者に対する聖戦を容認した。
 修道士等は、「キリストの兵士」と自称して布教の為に世界に旅立ち、キリスト教を旗印にして宗教戦争を仕掛けた。
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 ストア学派「自分が影響を与えられることができないことを気にすべきではない。自分が影響を与えることだけに集中すべきである」
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 ウィキペディア
スコラ学
 スコラ学はラテン語「scholasticus」(学校に属するもの)に由来する言葉で、11世紀以降に主として西方教会キリスト教神学者・哲学者などの学者たちによって確立された学問のスタイルのこと。このスコラ学の方法論にのっとった学問、例えば哲学・神学を特にスコラ哲学・スコラ神学などのようにいう。
 概要[編集]
 スコラ学は決して特定の哲学や思想をさすものでなく、学問の技法や思考の過程をさすものである。スコラ学の「スコラ」とは英語の「School(学校)」と同源語であり、この言葉が入っていることからわかるように、当時の「修道院」において用いられた学問の技法と対照的なものであった。すなわちスコラ学の特徴は問題から理性的に、理づめの答えが導き出されることにあった。これに対して修道院で伝統的にとられていた学問のスタイルは古典の権威をとおして学ぶだけであり、研究者の理論的思考というものは必要とされていなかった点に違いがある。
 スコラ学の究極の目的は問題に対する解答を導き出し、矛盾を解決することにある。スコラ学の最大のテーマは信仰と理性である[1]などと言われ、神学の研究のみが知られているきらいがあるが、真の意味でのスコラ学は神学にとどまらず哲学から諸学問におよぶ広いものであった。「真の宗教とは真の哲学であり、その逆もまた真である[2]」ということがスコラ学の基本的命題だと言われることもある。
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 戦争哲学
 戦争と平和の哲学(せんそうとへいわのてつがく、英: Philosophy of war and peace)とは戦争と平和を主題とした哲学の発展的な研究領域である。
 概説[編集]
 戦争は古来より人間によって繰り返されてきた暴力を伴う闘争であり、征服や国防などの政治的な目的を達成し、国家を変革し、財産や人命を失わせる政治共同体間で生じる関係の一形態である。政治共同体がその主観の位置から敵と味方に区分され、互いにその軍事力を用いて殺傷と破壊を行い、勝敗を決する。その特徴としては勝利という目標のために暴力・殺人・破壊など、平和において非道徳・犯罪とされる行為が公認されることが挙げられる。[1]
 政治共同体の間で生じる関係の形態には平和と不和が考えられ、不和の中でも最も対立が明らかなものが戦争である。また不和でも、一切の関係が断絶している状態や武力以外が用いられる闘争の状態などがある。[2]戦争の本質・原因・善悪については長く論争が交わされており、原因については神意説・自然説・人為説、善悪についても必要説・罪悪説・必要悪説・改善説などがある。[3]
 軍事学は戦争における軍事力の運用という具体的な方法論の学問であるが、戦争哲学とは戦争の定義や善悪や原因などの普遍的、抽象的な問題を取り扱う哲学の領域の一つである。戦争哲学の領域は政治哲学・法哲学・道徳哲学などの分野にまで及んでおり、戦争についての一般的な問題について探求している。戦争哲学の古典的な著作としては、軍事学者クラウゼヴィッツの『戦争論』が挙げられる。これ以前の戦争の研究は実務の観点から戦術や兵器に注目した研究であったが、クラウゼヴィッツは価値観を排除し、弁証法によって戦争の本質を明らかにしようとしたため、戦争哲学の発展に大きく貢献した。
 研究史[編集]
アレクサンドロス3世(大王)によってギリシアとオリエントの文化をヘレニズム文化へと統合が進められ、ギリシア人は世界国家の市民としての価値観からストア学派が現れた。キプロスの哲学者ゼノンにより確立されたストア学派は自然の法則と合致するように人間の理性をはたらかせる禁欲主義の倫理を提唱し、理性によって全ての人間を平等に同胞とする世界市民主義と自然法の着想を展開した。この思想はキリスト教自然法思想へと受け継がれることになる。
 『神学大全』の著者である神学者トマス・アクィナスは人間が目指すべき目標として平和を理想しながらも、国家を防衛することの意義を認めた。またフィレンツェの哲学者ダンテ・アリギエーリもキリスト教的な教義の強い影響の下で自然法の秩序を戦争に適用した。正戦の理論はこのような思想的基礎から樹立され、スペインの神学者フランシスコ・アレスは正当化される戦争の三つの条件を明確に定義した。神学者トマス・モアもこのような正戦論を主張しており、正戦の条件を定義している。オランダの法学者フーゴー・グロティウスの自然法論で正戦論は神学的な性格から法学的な性格を与え直され、戦争は正当な権利のため以外に戦ってはならないことを定式化した。これは現代の政治哲学、法哲学にまで及ぶ影響を与えて国際平和のため以外に戦うことを禁じる国際連合の設立へと反映された。
 イギリスの哲学者トマス・ホッブズは『リヴァイアサン』において共通の権力が確立される以前の人間本性と自然状態について理論的に考察し、そのような自然状態を万人の万人に対する戦争であると論じた。逆の見解としてイギリスの哲学者ジョン・ロックホッブズ的な戦争観ではなく、戦争を自然状態ではなく権利を伴わない武力が行使される時に生じる事態だと見なしている。哲学者ベネディクト・スピノザホッブズが述べたような共通の政府が存在しない人々の間で生じる戦争観を受け入れていたが、ロックのように戦争と道徳や法を両立させることはできないと考えていた。ジャン・ジャック・ルソー恒久平和のための計画を作成し、ヨーロッパを単一の権威の下に統一することによって安定化を図ることを提案した。このような平和主義の構想はイマヌエル・カントの『永遠平和のために』で体系化されることになる。
 善悪論[編集]
 戦争の善悪については肯定派の立場、否定派の立場、戦争の種類などによって肯定する立場、さらに善悪は問題ではないという立場に大別される。肯定派として、「戦いは万物の父である」と論じたヘラクレイトス、「平和の希望があるときはそれに向かって努力すべきである。しかし平和が獲得できないときは戦争のあらゆる利益を求めて利用してよい」と論じたホッブズなどが挙げられる。またフランス哲学者のシャルル・ド・モンテスキューは「国家の生命は個人の生命と同様に自己保存のために戦争を行う権利がある」とし、またドイツ哲学者ヘーゲルは「あたかも海流が生じることにより海洋の新鮮さが保たれるように、戦争は国民の倫理的健康に関する諸規定の固定化を防ぐ」と論じた。
 戦争は全て悪であるという否定派として、セネカエラスムスなどが挙げられ、またカントが論じた恒久平和論がある。聖アウグスティヌスは戦争の原因が原罪にあり、神は超越的な力によって戦争で人間を罰していると唱えた。
 戦争の種類などによって肯定する立場としては、キケロ、グロティウスなどが挙げられる。イングランドの哲学者であったフランシス・ベーコンは「悪いのは戦争そのものではなく、戦争を引き起こす悪に満ちた激情である」と論じた。またイスラームではジハード以外の戦争を否定している。共産主義では帝国主義戦争は一定の段階に過ぎないとしている。
 善悪は問題ではないとする立場について、軍事学者である孫武マキャベリクラウゼヴィッツ、またイギリス劇作家のシェイクスピアは戦争は善悪で理解できるものでもない、またすべきでないという立場にあった。[6]
 正戦論[編集]
 詳細は「正戦論」を参照
 戦争の善悪という倫理問題をより学術的に発展させた研究に、西欧に伝統的な正戦論(Just war theory)がある。
 正しい戦争は、戦争のための法(jus ad bellum、戦争開始の正当化事由:Just causeを含む)への適合と、戦争における法(jus in bello)への適合を必要とする[7]。不正な目的の戦争は開始そのものから否定されるべきであり、また不正な手段は正しい戦争目的のためでも禁じられるべきであるとする。これはそれまで漠然としていた戦争の正当化の論理に理論的な判断基準を与えることの試みであり、同時に戦争の惨禍の際限の無い拡大に歯止めをかける狙いもあった[8]。
 アウグスティヌスやトマス・アクイナスが神学的な思想に基づいて展開したスコラ的正戦論に始まる。キリスト教が述べている隣人愛などの教義と武力行使の正当性についての整合性を持たせるための議論が行われた。十字軍については当時は戦争のための法(jus ad bellum)を満たしたとされ正当化された一方、兵士には戦争における法(jus in bello)の遵守は求められなかった。これはjus in belloが当時、異教徒・異端者相手の戦闘には適用されなかったためであり、十字軍の侵攻における残虐行為の拡大に繋がった[8]。
 17世紀から18世紀にかけて国際法がこの問題に取り組み始め、国際法学者であったフーゴー・グロティウスの『戦争と平和の法』でも戦争行為を巡る正義の判断に言及されている。グロティウスは防衛、回復、刑罰という正当性がなければならないと論じており、また同盟国の危機のための戦争をも認めている。これは集団的自衛権の考え方でもあり、友好国のために戦うことは正統な権利だと考えていた。同時に「避けがたい不知」のために当事国双方が自らの正当性を信じている場合もあることを認めており、その後の学説でも国際社会には戦争の正当性を判定することができる中立者は存在しないとされ、戦時における武力行使の法的な規制だけが論じられるようにもなった。
 しかし政治哲学者のマイケル・ウォルツァーは『正しい戦争と不正な戦争』("Just and Unjust Wars")で戦争の正義を考察した。ウォルツァーは戦争の正当化事由として侵略への自衛戦争、予防的な先制攻撃、人道的介入が挙げられる。戦争での正議論には個人の生存権自由権の二つの権利から出発しており、従って個人の集合体である政治的共同体の維持も極めて重要であるとする。そこで外敵からの侵略を受けたならば自衛戦争を行うことは当然であるとして自衛を認める。また隣国が軍拡を推し進めており自国がそれを明らかな脅威と認識したら侵略を予防するために先制攻撃をしかけることもまた正当化できるとする。また介入については国家主権を尊重する必要があるとしながらも、飢餓や虐殺などの国際社会の安定を脅かす可能性に対処することは正当化が可能であるとする。ただしウォルツァーは人道的な目的の介入については否定的な立場をとっている。なぜならば完全に純粋に人道的な目的だけで介入が行われた事例は歴史にもなく、また外国人が自国民の命に勝る価値を自国の政治過程では持つことはないためである。このウォルツァーの正戦論は伝統的な正戦論を踏まえた現代の正戦論であり、これを正戦論の復活とする見解もある。
 平和論[編集]
 平和はしばしば戦争と正反対の概念として対照され、戦争哲学においてもその本質や戦争との関連が論じられる場合がある。平和はその本質や内容から相互援助による平和、協調的な平和、不干渉による平和などに分類されるが、総じて政治共同体の関係は少なからず協力的である。その特徴として挙げられるのが、政治共同体の間の緊張関係が緩和され、従って相互に脅迫・威嚇・強制などの暴力的な手段が用いられなくなる。さらに個人においては生命の危機に直面する事態が比較的に減少し、戦時に見られるような集団の結束や共同体への忠誠が衰えがちになる。
 平和という状態が自然に実現できないことは歴史の事例から明らかであり、啓蒙・社会的措置・国際機関などによる平和構想が練られてきた。[9]
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