- 作者:猪瀬 直樹
- 発売日: 2009/11/25
- メディア: 単行本
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プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗
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現代人は、祖先仏や氏神の人信仰という民族宗教への関心が薄くなり、自分の祖先を祀り崇拝する事に興味がなくなっている。
宗教心が無くなり、由緒ある神社や仏閣が消滅し始めている。
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1989年1月7日午前6時35分 昭和天皇陛下危篤報道発表。
午前7時55分 十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)により、昭和天皇陛下崩御されたと発表された。宝算87歳。
NHK・朝の『ワイドニュース』の平均視聴率は32.6%。
翌8日終日まで、NHK総合と民放各局は特別報道体制に入り、崩御報道を受けてのニュースとあらかじめ制作されていた昭和史を回顧する特集、昭和天皇の業績を偲ぶ番組などを放送した。この2日間はGMは完全自粛として放送されなかった。
テレビ番組放送で派手なバラエティ番組は、映画や旅行番組に差し替えられた。
NHK教育テレビのもは、通常放送を行った。
レンタルビデオ店は、多くの人々がビデを借りる為に殺到して大混雑した。
践祚。明仁皇太子殿下(55)は、昭和天皇の崩御を受けて、皇位継承の儀式を執り行って即位した。
1988年以降、各地に病気平癒を願う記帳所が設けられ、総数は900万人の国民が記帳した。
政府は、崩御当日を含め、自治体には6日間、民間には2日間弔意を示すよう協力を要望する事を閣議決定した。
全国各地で、スポーツ・歌舞音曲を伴う祭りやフェスティバルなどのイベントが自粛された。
反天皇反日敵日本人は、戦争犯罪者と糾弾していた昭和天皇が罪を認め、謝罪せずに死んだ事に失望した。
そして、日本人共産主義者は。
1月8日 政府は、元号法に基づき平成と改元した事を発表した。
今上天皇陛下は、即位後朝見の儀で「国民と共に日本国憲法を守り、国運の一層の進展と世界平和、人類の福祉の増進を切に希望して止みません」との勅語を発した。
1月15日 成人式にて、装飾を地味にしたり派手なイベントを自粛した。
1月31日 追号が「昭和天皇」と定められた。
2月24日 新宿御苑において昭和天皇の大葬の礼が行われ、武蔵野陵に埋葬される。
NHK・『ニューススペシャル・昭和天皇大喪の日』(8時30分から4時間40分間)の平均視聴率は44.5%を記録した(視聴率はビデオリサーチ・関東地区調べによる)。
今上天皇による御誄(おんるい) 斂葬の儀 葬場殿の儀。
「明仁謹んで御父昭和天皇の御霊に申し上げます。崩御あそばされてより、哀痛は尽きることなく、温容はまのあたりに在ってひとときも忘れることができません。?殿(しんでん)に、また殯宮(ひんきゅう)におまつり申し上げ、霊前にぬかずいて涙すること四十余日、無常の時は流れて、はや斂葬の日を迎え、轜車にしたがって、今ここにまいりました。顧みれば、さきに御病あつくなられるや、御平癒を祈るあまたの人々の真心が国の内外から寄せられました。今また葬儀にあたり、国内各界の代表はもとより、世界各国、国際機関を代表する人々が集い、おわかれのかなしみを共にいたしております。皇位に在られること六十有余年、ひたすら国民の幸福と平和を祈念され、未曾有の昭和激動の時代を、国民と苦楽を共にしつつ歩まれた御姿は、永く人々の胸に生き続けることと存じます。こよなく慈しまれた山川に、草木に、春の色はようやくかえろうとするこのとき、空しく幽明を隔てて、今を思い、昔をしのび、追慕の情はいよいよ切なるものがあります。誠にかなしみの極みであります。」
「大葬の礼」には、世界各国から、国家元首、使節、大使等、164ヶ国(EC委員会を含む)・27機関の700人に及ぶ人々が参列した。
さらに、国内要人等約1万人が参列した。
イスラエル大統領ハイム・ヘルツォーグ。民主カンボジア連合政府ノロドム・ラナリット王子。フィリピン大統領コラソン・アキノ。インドネシア大統領スハルト。インド大統領ヴェンカタラマン。バングラデシュ大統領エルシャド。イラク副大統領ターハー・ムヒーウッディーン・マアルーフ。イラン副大統領ミールサリーム。 サウジアラビア皇太子アブドゥラアジズ。シンガポール首相リー・クアンユー(李光耀)。トルコ首相トゥルグト・オザル。ベトナム国家評議会副議長兼国会議長ダオ。中国外相銭其?。徐敦信外交部アジア司長。楊振亜大使。韓国国務総理姜英勲。申東元外務次官。李源京大使。バチカン(ローマ教皇庁)オッディ枢機卿。カルー大使。他。
ヴァイツゼッカー大統領「日本は科学文明を持つ近代国家であるはずなんだけれど、その様な国がアニミズム信仰の国である事は不可思議だ」
西洋キリスト教文明的教養を持つ者にとっては、人や自然を神として崇める日本は神秘な国ではなく野蛮な国に見えた。
オランダ国のベアトリクス女王は、昭和天皇嫌い、日本嫌いから欠席した。
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かって。ユダヤ人であるキッシンジャーは、周恩来との会談で、昭和天皇は土人の国の酋長で、日本は文明度の低い部族国家と侮蔑した。
ユダヤ人の本心は、昔から反天皇で、今も今後も天皇制度の廃止が宿願である。
反天皇の左翼的新聞記者は、昭和天皇の冥福を祈って記帳に訪れた大勢の日本人を見て、「世界の国の人が見たら恥ずかしく変に思うだろう」との批判記事を書いた。
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ユダヤ人達は、同胞を助けてくれた昭和天皇やA級戦犯達の功績を否認し、ヒトラーと同類の戦争犯罪者としてその戦争責任を声高に騒いでいる。
敬虔なユダヤ教徒ユダヤ人は、異教徒の王である日本天皇を否定し、異教の神を祀る日本皇室を地上から抹消しようとしていた。
ユダヤ人は、日本人を許したとしても、ヒトラーと同盟を組んだ昭和天皇やA級戦犯達を絶対に許せない。
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日本国内は大葬の礼一色となり、テレビやラジオは通常の放送を中止し、全国の娯楽関連施設は営業を自粛した。
戦前の様に、日本全国から歌舞音曲が消えた。
天皇について教育を受けていなかった子供達は、大葬の礼一色に不満を漏らした。
子供に天皇について説明ができない大人達の内で、過剰な大葬の礼行事に反感を抱く者もいた。
一部の反天皇派日本人は、「大葬の礼爆砕」を主張し、各地で爆弾事件等を引き起こしていた。
左翼・左派のマルクス主義者は、私的行事であるはずの「大葬の礼」が国事行為的に行われ、国民の日常生活に支障をきたしているとして天皇批判キャンペーンを繰り広げた。
日本共産党中央委員会は、「天皇裕仁は侵略戦争の最大かつ最高の責任者であり、人民を搾取する専制君主制である天皇制は廃止されるべきである」との声明を発表した。
そして。大葬の礼は、「憲法の主権在民と政教分離の原則に反する」との理由で中止すべきであると要求した。
反天皇の市民団体は、天皇の戦争犯罪をテーマとした学習会やシンポジウムを各地で開き、大々的な天皇批判キャンペーンを繰り広げた。
一部のキリスト教会も、神道的様式による大葬の儀式は天皇に神格を持たせ、戦前の皇国思想を復活させる恐れがあるとして、猛反対した。
日本赤軍派は、天皇制度打倒の為に大喪の礼を爆砕するととの声明を出した。
1月7日付声明。天皇ヒロヒトの死に関して、「我々日本赤軍は、天皇制の戦犯罪に決着をつける。……天皇制打倒のために闘う」
2月1日付声明。国家葬としての大葬の礼は天皇制度強化の為に悪辣な儀式であるとして、「我々は、全ての人民と政府に対して、葬儀への参加を拒否し、葬儀に参加しようとする者に対して、闘う事を呼びかける」とのアピールを行った。
日本の警察は、各国治安機関と連携を強化して、日本赤軍による反天皇反日テロの未然防圧を図った。
全国29都道府県166ヶ所で反皇室集会が開かれ、1万3,600人の市民が参加しデモ行進を行った。
公権力は、天皇批判と大葬の礼反対を求める左翼・左派とそれに反発する右翼・右派の暴力事件を封じ込め、大葬の礼が無事に終了する様に全国の警察を総動員して警備した。
中核派や革マル派などの極左暴力集団は、大葬の礼に対する不満を利用して日本を混乱させるべく、成田闘争重視路線から皇室闘争中心路線へと活動方針を転換した。
大葬の礼までの間に、皇室打倒闘争として11件のゲリラ事件を引き起こした。
革労協狭間派は、10件のゲリラ事件を引き起こした。2月3日の東郷神社本殿爆破事件。大葬の礼当日の御葬列の進路である中央自動車道の切り通しでの消火器爆弾爆破事件。 中核派は、爆弾ゲリラ計画は全て警察によって摘発された為に、御葬列通過前の祭官車への飛び出し事件のみで、全ての皇室テロ行為が封じ込められた。
大葬の礼警戒が解かれた4月28日に、三番町宮内庁宿舎自動車爆弾事件を引き起こして存在を誇示した。
皇室闘争から成田闘争にもどり、公共用地審議会の会長代理宅に対する爆弾事件や千葉県職員の個人住宅への放火事件等個人テロを強め、社会不安を狙った。
左翼・左派による、天皇制度打倒の新たなテロ・ゲリラの始まりであった。
労働戦線は、11月21日に、日本労働組合総連合会を組織した。
日本共産党系統一労組懇も、同じ日に全国労働組合総連合を組織した。
ソ連・中国共産党政府・北朝鮮は、昭和天皇の死によって日本の団結力は緩み日本は衰退する可能性がある判断し、日本を混乱させるべく諜報工作として反天皇反日的な日本人協力者を支援した。
反天皇反日に日本人は、日本国家に平和をもたらし、日本民族を豊かにし、日本人に幸せをもたらそうという意志はなく、自分が信じる思想信条のみを叶える為に日本社会を混乱させる事のみで行動していた。
つまり。「〜イズム闘争」としての、創生と新生ではなく、破戒と崩壊であった。
目指していたのは、人民大虐殺である、レーニンのロシア革命や毛沢東の中国共産党革命であった。
最大の障害が、天皇制度であった。
右翼・右派も活動を活発化させ、地元居住民の迷惑を気にせずに各地で街宣車を走らせ、静かな市民生活を破壊する様に拡声器を大音量にして騒音公害を引き起こしていた。
そして、「中曽根元首相に対するテロ企図事件」、「山口社会党書記長襲撃事件」等の悪質な事件を行った。
一部の右翼団体は、政治家や企業家を宣伝活動で脅して金銭を要求した。
石川県など一部の地方自治体は、騒音公害を引き起こす右翼の街宣車を取り締まる為に条例を制定して、市民生活を右翼の横暴行為から守るべく諸対策を推進した。
戦前の様な世を憂い国家の為に活動するといった正統派右翼は、戦後では少数派となり、代わって暴力団・ヤクザなどの犯罪者集団的政治結社が増えた。
宗教界に於いても、オウム真理教の様な反社会的宗教団体が増え、社会に不満を持つ者や将来に不安を抱く青年を信者として組織を拡大していった。
さらには、韓国系キリスト教諸団体が日本に上陸して布教活動を活発化させ、反天皇反日を説いて回った。
警察庁は、法秩序を守る為に、国際テロ対策を所掌する外事第二課を新設して体制の充実を図った。
だが。日本国内には、ソ連、中国共産党・中国軍、北朝鮮、韓国などの国家スパイから各国の企業が送り込んだ産業スパイが暗躍する、スパイ天国であった。
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1990年 ローマで「国際エクソシスト協会」が設立された。
ローマ教皇は、悪魔の攻撃から神聖な世界を救う為に司祭をエクソシスト(悪魔払いをする祈祷師)に認定し、悪魔崇拝や悪魔術が迷える弱い人々の心を毒し始めていると警告した。
11月 即位の礼の為に、高御座が京都御所から皇居へ運ばれた。
大正天皇と昭和天皇は帝国憲法で京都御所で即位の礼が執り行われたが、新憲法で関東の地で即位される最初の天皇である。
11月12日 明仁皇太子殿下は、即位礼正殿の儀が行われて、正統な天皇となられた。
即位の礼祝賀御列の儀として、皇居から4.7キロ離れた赤坂御所までオープンカーで移動され、沿道に約12万人の市民が詰めかけて祝福した。
警察は、天皇制度廃止派によるテロ行為を封じ込めていた。
反天皇派日本人は、天皇の代替わりがあっても、親の責任は身内である子供や孫も背負うべきであるとして「天皇の戦争責任」を追求した。
つまり、現皇室の血統が存在する限り「天皇の戦争犯罪」は消えない、とされた。
中国や韓国・北朝鮮などのアジア諸国も、昭和天皇の家族に対して終わる事のない謝罪を要求している。
「天皇の戦争犯罪」や「天皇の戦争責任」に対する謝罪要求がなくなる時は、現皇室の人間が全員死に絶え血筋が絶えた時である。
その時こそが、反天皇派日本人の勝利の時である。
天皇を中心とした伝統的民族神話、言語・文字・歌謡などの土着民族文化、祖先神・氏神の人神信仰や自然神崇拝といった寄り添う民族宗教、風習・習慣・伝承・習俗・因襲などの古めかしい民俗、2000年近く手塩に掛けて大事に育てて来た日本文明が完全消滅する時である。
12月22日 レフ・ワレサは、ポーランド大統領に就任した。「ポーランドを第2の日本にしよう。我々は第2の日本になりたい。普通の日本の市民が体験している明るさ、自由、豊かな暮らし、そういうものがポーランドに欲しい」
アンジェイ・ワイダ(ポーランド映画監督)「この度の苦難の時に当たって、心の底からご同情申し上げます。深く悲しみをともにすると同時に、称讃の思いも強くしています。恐るべき大災害に皆さんが立ち向かう姿を見ると、常に日本人に対して抱き続けてきた尊敬の念を新たにします。その姿は世界中が見習う模範です。……私は貴方達に思いをはせています。この悪夢が早く終わって、繰り返さないよう心から願っています。この至難の時、力強く、決意をもって乗り越えられん事を」
日本人の中には、天皇制度を廃止しようとする勢力が存在する。
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1991年 筑波大学での『悪魔の詩』訳者殺人事件。
7月10日 今上天皇・美智子皇后両陛下は、雲仙普賢岳の火砕流被害現場を訪問され、火砕流で死亡した消防団の遺族のもとを訪れて一人ひとりに慰めと励ましの言葉を掛けられた。
避難所として使用されている島原市総合体育館と仮説住宅を巡られ、被災者に寄り添うようにして話を聞き見舞いの言葉を述べられた。
9月4日 中核派による、外務省審議官実父宅放火殺人事件。
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1991年 ソ連の崩壊で冷戦が終結するや、ソ連が隠していた共産主義陣営が犯して来た犯罪の数々や事実や機密情報が明るみに出た。
日本国内の反天皇反日的日本人達は、時代遅れとして通用しなくなったマルクス主義・思想を守ると同時に共産主義者が行った過去の犯罪で糾弾されない為に、国民の関心と世界の注目を逸らすべく天皇の戦争責任、日本民族の戦争犯罪、日本国家の戦後賠償、日本人の反省と謝罪を声高に騒いだ。
歴史問題で、日本人から自信を奪い自尊心を打ち砕き、日本の歴史的事実による説明・説得が不能な状況に追い詰め、解決不能な状態に追い込んだのは、過去糾弾を逃れようとした反天皇反日的日本人の窮余の一策であった。
中国共産党政府、韓国、ロシア、アメリカなどの反日的国際勢力は、効力を失い崩壊しかけてヤルタ・ポツダム体制を維持・強化する為に反天皇反日的日本人の自国糾弾活動を最大限に利用した。
特に、中国共産党は、覇権主義と帝国主義で領土拡大し世界での地位向上と影響力強化の為に自虐的に落ち込んでいく日本を悪用し、経済力と軍事力を養った。
日本の真の敵は、国外ではなく国内に存在していた。
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1992年 靖国神社に、日清戦争から大東亜戦争まで軍用犬として徴用され戦没した数万頭の犬の為に「軍犬慰霊像」が建立された。
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1993年4月23日 第44回全国植樹祭(〜26日)。今上天皇・美智子皇后両陛下は、天皇に即位されて初めて沖縄を訪問された。
過激派や、沖縄訪問を阻止する為に激しい反対運動を展開した。
警察は、4,700人の警官を大動員して厳戒態勢を敷いた。
沖縄県民の中にも、天皇の沖縄訪問を歓迎しない声があった。
今上天皇陛下・美智子皇后両陛下は、沖縄平和祈念堂を訪れ、戦没者遺族にお言葉を述べられた。
「戦没者墓苑に詣で、多くの亡くなった人々をしのび、遺族の深い悲しみに思いをいたしています。……沖縄県が戦場となり、住民を巻き込む地上戦が行われ、20万の人々が犠牲となった事に対し、言葉に尽くせぬものを感じます。ここに深く哀悼の意を表したいと思います」
夏頃から マスコミで、美智子皇后陛下への根も葉もない中傷や事実無根の非難が報道された。
一部の国民は、そうした皇室批判記事が載っている月刊誌や週刊誌や日刊新聞を先を争って購入し、テレビ番組を見て、美智子皇后陛下及び皇室への批判を自分勝手に膨らませながら語り合って喜んでいた。
10月 美智子皇后バッシング。
マスコミは、新聞や雑誌を売る為に、競って、意図的に捏造し、無ければ嘘を、より過激な表現で記事を書き立てた。
美智子皇后及び皇室批判は、西洋諸国における王室批判の様な高度なユーモアや知的なエスプリの欠片もない、低能でただただ卑猥で悪意に満ちた陰湿で陰険であった。
美智子皇后陛下は、お誕生日の当日・10月20日に御倒れになり、この後約6ヶ月間全く声が出ない失語症に苦しまれた。ご病気の体であるにもかかわず、その後のほぼ全てのご公務をこなされた。
お誕生日の文書で皇室批判に答えられた。「どの様な批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分ではなかったり、どの様な事でも、私の言葉が人を傷付けておりましたら許していただきたいと思います。
しかし、事実でない報道には大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が繰り返し許される社会であって欲しくはありません」
だが。一部のマスコミは、日本憲法が保障する国民の「知る権利」「表現する権利」と報道人の「報道する権利」を振りかざして、針小棒大的に皇室批判を続けている。
国民としての義務より権利を。
人としてのさらなる自由と平等を。
強欲が、さも当然の様に日本人の精神を歪に腐敗していった。
こうした反皇室報道は、非難中傷する皇族を変え、天皇制度がなくならない繰り返され、国民の間に皇室への憎悪以上の敵意を植え付け様としている。
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かって。
憲法学の権威・宮沢俊義は、日本国憲法は天皇主権を否定し国民主権を認めた、「ある種の法的意味の革命」がなされた革命憲法であると、著書『憲法の原理』で主張した。
「国民主権を問題とする場合の主権とは、国家の政治の在り方を最終的に決める力をいう」
「君主主権と国民主権とは両立せず、一方の是認は、論理必然的に、他方の否認を意味し、天皇主権と国民主権と原理的に両立しない」
「前者より後者への推移は、政治の根本原理の変革と見るべきものである」
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天皇は、憲法第7条の規定に従って、国事行為として政府及び議会が審議の末に決定した法律を、国事行為として裁可した。
日本の法律で、天皇の裁可・承認・追認のない法律は正当な法律とはされず効力も持たない。
だが。天皇が勅命を以て国家や国民に命じても、内閣全閣僚の署名がなければ承認されず、議会が賛成多数で議決しなければ実行されない。
日本の法律は、天皇の国事行為と国民の主権という共同作業で成立している。
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「天皇を政治の表舞台から外す」という国體とは、古代から変わる事がない。
天皇主権と国民主権は別次元に存在して、敵対して対立する事はないし、一方のみで存続する事もできない。
この奇妙な君主と国民の曖昧な関係は、日本以外には存在しない。
つまり、世界の非常識である。
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世界の君主と国民の関係は、冒す事ができない絶対価値観そのものである全知全能の唯一神の御名によって保たれていた。
君主は絶対神の御名によって国民を支配し、国民は絶対神への信仰の証しとして君主に忠誠を誓っていた。
絶対価値観の下では、君主主権と国民主権は両立できない。
ゆえに革命は必然的に起き、悲惨な結末と甚大な犠牲者を出す。
それは、中国や朝鮮でも同様である。
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天皇の発言は単ある言葉に過ぎず、国民主権において「拝聴する」か「聞き流す」かは個人の自由とされている。
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日本に於ける国民主権は、アメリカなどの完全なる民主主義国の国民主権とは不完全なものである。
アメリカは、完全自己責任で法律を起草して決定し施行する。
もし、法律によって不利益が生じても責任は政治家ではなく、政治家を直接選挙で選んで全権を委ねた国民にある。
アメリカ国民は、大統領を自分で選んだ責任として、アメリカ政府が行う世界中の紛争国への軍事介入に兵士として出動を命じられた、忠誠を誓って従った。
国民主権には責任と義務が伴い、責任と義務を拒否した所に主権はない。
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オルテガ「(大衆とは)自分が他人と同じである事に喜びを感じる人々」
天皇を嫌悪する日本人は、同じ日本人でありながら自分が天皇の様な地位になれない事に不満を抱く、思考が停止している偏狭な平等主義者である。
自分が天皇となって何不自由なく豊かな生活が送れないのならば、それは社会の悪であるから無くした方が社会の為であると信じ切っている。
彼らは、自己中心のエゴを押し通す為に、自分の都合の良い様に「国民主権」を悪用して恥じない。
憲法は、政治家や官僚が恣意的に国家権力を悪用しない為に縛る法律であり、同時に大衆が国民の意思・民意を振りかざして暴走しない様に抑制し責任と義務を強要する法律でもある。
戦前の大日本帝国憲法は、国民が独裁者となって政治や軍事等の国政を私しない様に制限していたのと同様に、国家元首にして大元帥であった天皇の最終決定権という専権事項を封印し裁定承認機関に押しとどめていた。
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- 作者:波多野勝
- 発売日: 2012/05/24
- メディア: 単行本