✨24)─1─アメリカ軍兵士による日本軍兵士の評価。玉砕した日本人兵士は強く、紳士的だった。~No.99No.100No.101 @ ⑳ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 戦前の日本人は、アメリカと戦争をしても勝てない事は分かっていたが、それでも勝つ事を信じ、勝つ為に死力を尽くした。
 我が、日本天皇・日本国・日本民族、故郷・家族の為を守る為に戦った。
 現代の日本人とは違って、「守る」為に戦争をした。
 守る為に、守り切る為に、その為ならば死んでも構わないという「死の覚悟」を決めていた。
 戦争を嫌う現代の日本人と戦争も辞さずの昔の日本人とでは、全く違う。
 それ故に、昔の日本人はサムライ・武士であったが、現代の日本人はサムライ・武士ではない。
 もし、現代の日本人で自分はサムライ・武士であると名乗り自慢するならば、そうした日本人の心はおぞましい程に腐っている。
 守る為に「死を覚悟」して戦争をしない日本人には、サムライ・武士を名乗る資格はない。
 吉田松陰らは、命を捨てて戦う覚悟持った者をサムライ・武士と認め、サムライ・武士なら「誠」と「志」を持って行動する事を説いた。
 誠と志を持たない者は、サムライでも武士でもなかった。
 現代日本から、誠も志も消えている。
 だから、現代日本にはサムライも武士も存在しない。
 サムライと武士は、人殺しを生業とする職業軍人である。
 よって、平和を愛し命を大事にするする日本人は、殺人鬼であるサムライや武士を否定しなければならない。
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 2017年8月21日 産経ニュース「【戦後72年】「日本兵は強く、紳士的だった」 寄せ書き日の丸返還の93歳元米兵ストロンボさんの“日本愛”に称賛・感動
 元米海兵隊員のマービン・ストロンボさん(中央)から日章旗を返還された安江定男さんの弟辰也さん(左)=8月15日、岐阜県東白川村
 長年の苦悩を背負い続けた元米兵は、約束を果たした安堵(あんど)からか、慈愛に満ちた表情に変わっていた。米西部モンタナ州に住む元海兵隊員、マービン・ストロンボさん(93)。「必ず家族の元に返す」。先の大戦の戦地サイパン島で、日本兵の遺体から日章旗(寄せ書き日の丸)を持ち帰り、73年の時を経て初来日し、願いをかなえた。遺骨や遺灰もなかった遺族は、帰ってきた日章旗を「宝」と呼び、むせび泣いた。「73年後の奇跡」のニュースへの反響も大きい。(社会部 天野健作)
狙撃兵として激戦地へ
 精悍(せいかん)な顔付きとピンと伸びた背筋。来日直後の記者会見で見せたストロンボさんのかくしゃくたる姿は、かの戦地を駆け巡った雰囲気を醸し出していた。
 「多くの人が殺され、そして命を落とした。非常に悲惨な光景だった」。ストロンボさんは戦時中、海兵隊の狙撃兵として、サイパンテニアン、タラワという激戦地で戦った。
 1944年7月ごろ、サイパンに上陸してしばらく歩いていると大砲があるのを目にした。興味を持ってじっと眺めていると自分の隊から離れてしまった。すぐに追いかけようとしたが、気がつくと日本陣営の前線に立っていた。
 足元には刀を持った日本兵の遺体が眠っているかのように横たわっていた。遺体には傷がなく迫撃砲にやられたと察知した。胸元にはきれいに畳まれた旗。
 「この旗が非常に重要な大切なものだと見て取れた。だから持って帰るのは罪悪感があった。しかし、もし私が持って帰らなければ、永遠に戦地で失われてしまう。いつかどうにかしてこの旗を家族の元に戻すからと約束した」
 旗は、自宅のキャビネットのガラス戸の中に飾って大事に保管した。自宅を訪れる客の目に触れるようになっていた。子供たちも喜んで一緒に写真撮影したりしていたという。
 ストロンボさんは今年3月、旧日本兵の遺品の返還に取り組む「OBON(オボン)ソサエティ」に相談した。日章旗には「武運長久(ぶうんちょうきゅう=出征した兵士の無事がいつまでも続くこと)」と大書され、約180人の署名があった。その中の42人が「安江」姓だった。神社の宮司の協力もあり、旗の持ち主は、安江姓が多い岐阜県東白川村の安江定男さん=享年(25)=だと分かった。旗に署名した6人がいまだ健在だということも明らかになった。
「兄のにおいがする」
 「長い間、待っていました」。8月15日、東白川村でストロンボさんを出迎えた安江さんの弟、辰也さん(89)はそう切り出した。
 互いの兄弟姉妹や近況に触れながら、「若いときのあなたもハンサムだったでしょう」と辰也さんが向けると、ストロンボさんも「そうだろうね」と冗談を言い合うほどすぐに打ち解けた。辰也さんはふいに「私は兄に代わってあなたに話をしているようだ」と漏らした。
 日章旗の返還は感動的な場面だった。ストロンボさんから直接受け取った辰也さんは旗に何度も顔を埋めながら、涙をにじませて「兄のにおいがする」と話した。
 辰也さんは「この旗に、定男の『武運長久』を願いながら記名頂いた180人の皆様の『しっかりやってこいよ』『きっと帰ってくるんだぞ』という気持ちの真心が通じて、帰ってくることができたと思っている」と話した。
 辰也さんによると、兄の安江さんとは日本を離れる前日、面会した。短い時間で終了5分前というときに、兄は声を潜めて「南の離れた島にいく。生きて帰れそうもないが、お前たち3人(兄弟姉妹)で力を合わせて、両親のことを頼んだぞ」と話したのが最後だったという。
 辰也さんはストロンボさんにこう声をかけた。「いまあなたの国と日本は世界に冠たる友好国になっている。旗をうちの宝にして、大切に長く長く伝えていきたいと思っている」
 読者からの手紙
 このニュースには称賛の声が相次いだ。
 ネットでは「93歳を国賓で迎えろ」「互いに命をかけたものでしか分からない世界」などと好意的な意見が並ぶ。「戦争したことのない韓国がアレなんだもんな」と、何度も過去を持ち出し日本に対し“歴史戦”を挑む韓国を揶揄(やゆ)する意見もあった。
 《(記事を)読むと胸がいっぱいに。日章旗は無形英霊と思います。心からストロンボさまのご苦労と平和の友情に感動して感謝します》
 東京都練馬区の徳永光さん(59)は産経新聞にこのような手紙を寄せた。
 手紙は《慈愛和平の心境は大切です》とした上で、《長年の約束を守ってお疲れさま》とするストロンボさんへのはがきも託した。
 約束を果たし、帰国直前に取材に応じたストロンボさんは17日、「ようやく旗を返すことができてすばらしい気持ち。正しいことができたのだと感じた。少しも後悔することはない」と言い切った。
 そして「戦争中は敵同士だったが、戦時中でも私は日本兵に対して一定の敬意を持っていた。日本兵は強く戦い、忍耐深く、戦い方が非常に紳士的だった」と語った。
 旗の橋渡しをしたオボンソサエティの共同代表、敬子・ジークさん(49)=米オレゴン州在住=は「こんなに奇跡的なことは最初で最後かも。退役軍人で健在な人もいるが、来日されるまでの方はいないでしょう」と話していた。 
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 寄せ書き日の丸 先の大戦では出征にあたり、家族や知人らが武運長久を祈って日章旗に署名やメッセージを寄せ書きし、多くの日本の将兵は受け取った日章旗を肌身離さず身に着けて戦地へ赴いた。一方、連合軍の将兵らは戦火に倒れた日本の将兵が持っていた日章旗を戦利品として入手。故郷へ持ち帰った。その後、日章旗の返還を希望する旧将兵やその遺族が出てくる一方、近年は国内外のインターネットオークションで売買されるケースも増加、問題となっている。」


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日本の軍隊―兵士たちの近代史 (岩波新書)

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  • 作者:吉田 裕
  • 発売日: 2002/12/20
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