💖13)─2─イギリス人士官は撃沈されたら「日本艇に救助してもらえ」と教えていた。~No.54No.55 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 令和4年2月号 正論「日本が好き!
 武士なくしてこの国はない
 黒鉄ヒロシ×井上和彦
 ……
 戦艦大和は日本刀⁉
 井上 子供心に衝撃的だったわけですね。日本人の特性というのはどこから来たのでしょうか。
 黒鉄 おそらく。日本はアジアを中心に強い種族の中でも平和主義者が流れ込んできて、作ったのが大和王朝じゃないかと僕は思っています。日本人ってことあらば負けると分かっている戦でも、すぐに覚悟を決めて突撃する性質がありますよね。これは喧嘩なんかでも強い秘訣です。
 井上 私は、全日本銃剣道連盟有識者会議のメンバーですが、銃剣道は、礼に始まり礼に終わるという『道』を説きます。戦いの中で礼にこだわる国なんて、日本ぐらいでしょう。
 黒鉄 ある意味、宗教化していますね。海外の力任せに剣を振り回す戦いと違って、間合いの一瞬で切る所作を大事にする。
 井上 軍人がなぜ軍刀を常に持ち歩いていたのを考えると、むしろ自らを律するためだったと思えてくるんです。
 黒鉄 刀は持ち主の心像風景を映し出しますからね。戦艦大和もあれは日本刀でう。
 井上 えっ、戦艦大和が日本刀ですか?
 黒鉄 戦艦大和は、日本人の心像風景であり、精神の有り様です。そういうところで言うと、今の日本には武士がいなくなりましたね。武士的な覚悟がない。自慢しないとか、人を助けるというのもありません。品が悪くなった。
 井上 戦艦大和は日本刀だ、というお話しを聞いて、日本の戦争に対する心構えも分かったような気がします。
 黒鉄 おそらく戦争となるとどの軍隊でも変なことをする部隊はある。ところが武士で構成された士族は違いました。例えば西郷隆盛が士族を率いた田原坂の戦いは涙なしでは語れないですが、やっぱり変なことをしていません。山縣有朋が徴兵制みたいにして広く兵を求め始めてから日本の軍の性格も変わったように思います。
 井上 日本軍将兵が各地で雄々しく立派に戦われたということを知るほど、今の日本が情けなくなります。
 黒鉄 品格を取り返さないといけないですよね。戦中の昭和17年時に日本海軍はマレー沖などで快進撃を続けましたが、轟沈した英国の駆逐艦の乗務員を助けて、着るものだけでなく牛乳やビスケットなど貴重な食料も与えています。それも1度や2度のことではありません。信じられないことに、撃沈された船のイギリスの士官が『日本艇に向かって泳げ。必ず救助してくれる』と言ったそうです。これも、日本人は語り残していません。英国人の元海軍中尉が自伝に著したことから世の中に知れることになった。
 井上 普通は敵を叩くか捕虜にしますよね。
 黒鉄 海軍全艦がそうだったようです。でも、戦争が進み、追い詰められていくと兵士の質が悪くなり、変わってしまった。兵士の質は何かというと、武士道が行き渡っているからどうかです。武士というとアナログと言われるかもしれませんが、そうなんです。
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 忠臣蔵のダンディズム
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 黒鉄 ええ、忠臣蔵には人がまともになるエッセンスが全部入っている。あの討ち入りという思想と日本軍の突撃というのも似ているし、……赤穂浪士なんて言っても今や知らない人の方が多いでしょう。だから日本人の品格が失われた。
 井上 ののしるだけの政治家を含め品のない日本人は増えていますね。
 黒鉄 江戸庶民にはありましたよ。寄席のもぎりで、足の悪い人が来たら『今日はおみ足の悪い人来てるよ』と吹聴があれば、落語家はすっと演目の中から足に関する話題を外しました。それは優しさでもあったし、マナーとしても成立していた。ヨーロッパではこうしたこまやかな文化はない。シェイクスピアの舞台を見に行って、観客によって省かれるストーリーなんてありますかね。
 井上 ないでしょうね。粋であり、気遣いですね。
 黒鉄 今の価値観の主体が経済本意になって、品がない、金より大切なものがあるということを、世界で唯一、文化にしみ込ませたのが日本です。そのエッセンスがさきほども言ったように『忠臣蔵』にあります。
 井上 具体的にはどういうところでしょう。
 黒鉄 逃げない覚悟をする、一回口に出したことは絶対に守る。結局ダンディズムの変形ですね。三島由紀夫さんのダンディズムの定義には、他人を驚かしても自分が驚かないというものがあります。それらを突き詰めたら、やせ我慢ですよ。よく考えたらもうしんどいし、みんなやめようということをやるわけです。それを規律で、鋳型のようにはめてくれたのが武士道なんですね。明治で活躍した人はほとんどが元武士です。だから武士なくしてこの国はないはずなのに、今、『武士度』が極めて低い。
 井上 武士度ですか。
 黒鉄 そう。昔の日本人はやっぱり武士度が高かったんですよ。例えば、そうじゃなさそうに見える遠藤周作さんだって武士ぽっかったんですよ。やくざも武士っぽかった。今みたいな、ちんぴらみたいなやくざとは違いました。
 井上 どうしたらいいのでしょう。
 黒鉄 八方塞がりですけど、本を読まなくなったというのが、命取りです。何を読めばいいのかも分かっていない。それから、お金で計れない価値を尊重することが減っています。
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 井上 ……そうした中でも日本の好きなところを教えてもらえますでしょうか。
 黒鉄 雪月花ですかね。天の配剤といいますか、四季があるのは奇跡です。食べ物が四季によって全然違います。四季に応じて物語も日本にはあります。それらも、『忠臣蔵』には全部入ってますよ。春に切腹して冬に討ち入りといった形で・・・。でも、まだ絶望とまではいきません。チャンスがあるうちに、若い人には頑張ってほしい。
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 僕らの時代から、なんか左が正義のような形で世の中が動いたのは、とんでもないことでした。しようがなかった側面もあるとはいえ、みんなペコペコして左巻きの言う事を聞いてきた。やっぱり日教組がいけなかったんです。とんでもない教育を受けたことが非常に大きい。本当の歴史を知らないで初心にだまされることはやめて、日本人は正しいことを見極めないといけない。『方丈記』でもいいし、『平家物語』や『徒然草』でもいいからちゃんと本を読まないと・・・。なんのために学校で古典を教わってるんだという話です。もう一回読んでみてください。楽しいですよ。
 井上 本当にそうですね。保守とは歴史を大事にすることではないでしょうか。
 黒鉄 よっぽど変な人類でなければ保守以外考えられないです。言語も伝統文化も保守の上に立っているわけですから・・・。その中で、ことさら、われわれは保守であるというのはイボやオデキみたいなもので、いわゆる右翼といわれる人たちで偏向している。
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 保守は別に全てを変えるなとは言いません。変わるべきところは変える。保守の入口で間違えている人が意外に多い。本当の保守とは日本語を正しく使う人。それから親に感謝する人です。
 ……そういうのが、だんだん分からなくなってきているから、『忠臣蔵』を知らなきゃダメなんです。」
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 敵軍捕虜を、助けた少数の日本人、助けなかった多くの日本人、さらに多くの日本人は見捨てた。
 大勢の日本人が、直接・間接、積極的・消極的に捕虜虐待に加担していた。
 それが、日本人の偽らざる本性であり、日本人に対する称賛も褒め言葉もいらないし綺麗事など無駄であり無用である。
 日本民族の善意・誠意・誠実は、歴史から削除されている。
 そして、現代の日本人は大切にして護ろうという強い意志がない。
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 イギリス国民は、日本軍の捕虜となった兵士が非人道的な取り扱いを受けているのでは無いかと心配した。
 イギリス政府と軍は、国民を安心させる為に、日本軍は捕虜を国際法に従い丁重に取り扱っていると報告していた。
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 日本軍部特に海軍は、真珠湾攻撃が宣戦布告前に開始されアメリカ国民の反感・憎悪を駆り立てた事を反省し、戦時捕虜に対して慎重な取り扱いをしていた。
 日本軍は、敵国の軍隊・兵士とは戦うが、敵国の国民世論との戦いはなるべく避けたかった。
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 日本軍は、ミッドウェー海戦までは戦場への物資補給が順調に行われ、戦地の捕虜収容所における敵軍兵士捕虜に対する処遇は国際法に準じて行われていた。
 ミッドウェー海戦敗北、ガダルカナル島撤退、マリアナ沖海戦敗北、サイパン島玉砕、ニューカレドニア島各地での玉砕、レイテ島沖海戦敗北、レイテ島玉砕、などによる連合軍の大反撃に伴う輸送路遮断作戦で補給路を断たれた日本軍では、戦死者の3分の1が戦闘死で、残りの3分の2が栄養失調による餓死か医薬品がなく治療が受けられなかった傷病死であった。
 日本軍による捕虜虐待の多くは、日本人兵士の餓死や傷病死が多く出た戦争の後半であった。
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 日本刀は、切れ味は良いが、5~6人斬ると後は斬れなくなる。
 よって、日本刀は合戦の時は余り役に立たなかった。
 世界で最も人を斬るに適した剣・刀は、中国の青竜刀か西洋の大剣であった。
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 庶民と言われる日本人の心には、救いようがない闇があり、そこにはおぞましい貪欲(赤)、怒り(青)、動揺(黄)、怠惰(緑)、愚痴(黒)その他多くの煩悩という鬼が住んでいた。
 武士は、武士道で心の鬼を退治し、再び鬼が蘇らないように座禅と武道の鍛錬で鎮めていた。
 自由気ままに生きる庶民にとって、武士道は精神的虐待であり、武道の鍛錬(軍事教練)は拷問であった。
 現代の日本人は、昔の武士・サムライそして庶民(百姓や町人)ではなく、昔の武士道、百姓根性、職人堅気、商人気質、ムラ意識など諸々を素養として持っていない。
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 金儲けや利権の為に、中国共産党に忖度し、日本の国益より中国の利益を優先する親中国派・媚中派が支配する現代日本と昔の日本は、別の日本である。
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 日本とくに日本民族では、マルクス主義共産主義無政府主義による人民革命は起きない。
 もし人民革命が起きるとすれば、日本人から日本民族が消滅もしくは少数派となり外国移民の日本国民に入れ替わるもしくは多数派になったときである。
 何故なら、マルクス主義共産主義無政府主義とは反天皇反民族反日本だからである。
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 庶民にとって、領主・大名・主君が誰であったも関係ない。
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 戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
 武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
 日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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 日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
 町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などの陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
 町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
 百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
 百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
 合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
 百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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 武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
 乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として買って世界中に輸出して金儲けしていた。
 日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
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 現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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 日本人は、悪人、悪党、罪人である。
 故に、親鸞はそうした救われない哀れな日本人は阿弥陀仏阿弥陀様)が救ってくださると、「悪人正機説」で他力本願を説いた。
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