💍33)─2─10年後の皇室に迫るプリンセス不在と高齢化。世間の「愛子天皇」待望論。〜No.122No.123 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 開かれた王家は、王国を継ぐ正統な王位継承者を失えば、他国の王族に継承権を与えて自国の国王に迎えた。
 正統性として護るべき王家は、世襲制血統王家ではなく非世襲制非血筋王統王家とされている。
 つまり、国民の国王は存在しても民族の国王は存在しない。
   ・   ・   ・   
 日本国民日本人の多数派が「愛子天皇」を待望している。
 日本は、リベラル左派(マルクス主義)の洗脳教育(戦後民主主義教育)によって国民意識が植え付けられ民族意識戦争犯罪を生み出す元凶であるとされて消されてきた。
 つまり、反宗教無神論・反民族の「愛子天皇」待望論の真の狙いは日本民族の否定・消滅である。
   ・   ・   ・   
 2023年1月7日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「「10年後の皇室」に迫るプリンセス不在と高齢化 公務を減らせば「象徴天皇制の実態はなくなる」と専門家
 令和の皇室も5年目を迎えた。しかし、皇位継承の危機的状況は何も解決していない。どのような状況にあるのか「10年後」を想像してみると、問題点がまざまざと浮かび上がる。
 2023年1月2日、3年ぶりとなる皇居での新年一般参賀愛子さまも初出席された(写真/アフロ)
 © AERA dot. 提供
 *  *  *
 「皇室の将来を考えたとき、5年後がひとつの節目となります。そして10年後の皇室の姿を現実として認識する想像力が、日本には必要です」
 そう話すのは、皇室の制度に詳しい、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんだ。
 令和皇室も4年が過ぎようとしていた2022年の秋から初冬にかけて、世間をざわめかせる出来事があった。
 天皇陛下の健康問題だった。天皇陛下が受けたMRI検査で前立腺の肥大が認められたため、組織検査をすると発表された。
 【速報】「天皇陛下前立腺組織検査 異常認められず」
 2日間にわたる東京大学医学部付属病院(東京都文京区)での検査入院の結果を受けて、メディア各社は「異常認められず」の速報を打った。
 宮内庁でも安堵(あんど)の声が漏れたという。
 「念には念をという意味での検査ではありましたが、ほっとした空気が広がりました」(宮内庁関係者)
 天皇陛下の健康問題は、重大事項である。
 令和の天皇陛下が即位したとき59歳。奈良時代に至る公式の歴史書続日本紀』に記載がある文武天皇以降では、60歳で即位した光仁天皇奈良時代)に次いで2番目の高齢即位となった。
 とはいえ、平成の天皇として55歳で即位した上皇さまと美智子さまは60代、70代で膨大な公務をこなし、国内外を訪問している。
 先の小田部さんは、こう話す。
 「平成の天皇は、69歳で前立腺がんの手術をなさるなど健康面が思わしくない時期もありました。しかし、むしろ60代から70代が天皇として円熟味を増した時期でもありました。即位してから15年、70歳になる年に全47都道府県への訪問を達成。国内外を精力的に訪問します。78歳で心臓のバイパス手術を受け、無理を押してではありましたが3カ月後にはエリザベス女王の招きで訪英も実現しました」
 平成の天皇と皇后が高齢になっても多忙な公務を抱えていた背景には、皇室の高齢化と皇族の減少がある。
 22年1月、岸田内閣は、皇位継承のあり方を議論した政府の有識者会議の報告書を衆参両院議長に提出した。首相は、皇族の数の減少が緊急の課題だと説明。「女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持」「旧宮家の男系男子の養子による皇族復帰」の2案の検討を求めた。
 それを受けて1月下旬に自民党は、「皇室問題等についての懇談会」の初会合を開催。しかし、「静かな環境で議論を進めていくことが望ましい」との認識からいまだ具体的な動きは聞こえてこない。
 小田部さんは、いま皇室の将来について言及できるのは、皇室の深刻な高齢化と人数の減少だけ、と慎重な物言いをしつつも、こう警鐘を鳴らす。
 「10年後を想像してみると、天皇陛下と皇后雅子さまは10年後に72歳と69歳です。先にも説明したように、平成の両陛下は60代、70代でも熱心に公務を務めました。しかし、問題は天皇家を支える宮家を含む全体の高齢化をなすすべもなく見守るしかないという点です」
 上皇さまの弟の常陸宮さまは、現在87歳、妃の華子さまは82歳。昭和天皇の弟の故・三笠宮崇仁さまの妃である百合子さまは99歳だ。
 天皇ご一家をのぞく宮家において膨大な量の公務を主に担っているのは、皇嗣家である秋篠宮さま(57)と紀子さま(56)、そして高円宮妃の久子さま(69)だ。10年後、秋篠宮ご夫妻は67歳と66歳である。久子さまは、79歳になっている。 
 久子さまは3人のお子さまを育て、夫の高円宮憲仁さまが02年に47歳で急逝して以降は、宮家の女主人として切り盛りしてきた。
 久子さまと親交のある人物は、こう話す。
 「秩父宮家、高松宮家の妃殿下方に学び、御所言葉など皇室に伝わる伝統や作法を学んできたのが久子妃殿下です。次女の典子さんと三女の絢子さんは結婚して皇室から離れ、いらっしゃるのは長女の承子さまのみです。久子さまが学び守ってこられた皇室の文化を受け継ぐ先があればよいのですが」
 久子さまの長女の承子さまは、現在36歳。久子さまも公認のお相手とは、数年前から結婚のタイミングをうかがっているとうわさされてきた。
 「ヒゲの殿下」と人びとに愛された故・三笠宮寛仁さまの妃であった信子さま(67)と長女の彬子さま(41)と次女の瑶子さま(39)も、10年後は、信子さま77歳、おふたりの姉妹は51歳と49歳になる。
 将来のことはわからないが、彬子さまご本人は周囲にこう話しているという。
 「結婚はしない。三笠宮家に人生をささげるつもりだ」
 若い世代は、天皇家の長女の愛子さま(21)と秋篠宮家の次女の佳子さま(28)だが、10年後に愛子さまは31歳、佳子さまは38歳となる。
 秋篠宮家の長男で皇位継承順位2位の悠仁さま(16)は、26歳になる。
 いま30代、20代の女性皇族は承子さまと瑶子さま、佳子さま、愛子さまの4人。
 10年後には、結婚などにより皇室を離れている可能性が高い。
 「その10年後に公務を担うことが可能な70代以下の皇室メンバーは、72歳の天皇陛下と69歳の皇后雅子さま。そして79歳の久子さまをはじめ、77歳の信子さま。67歳の秋篠宮さまと66歳の紀子さま。若い世代では、51歳の彬子さまがいらっしゃる。そして26歳の悠仁さまだ」(小田部さん)
 公務を担うことが可能な70代以下の皇室のメンバーは合計8人だ。72歳の天皇陛下と皇族は70代が2人、60代が3人、50代が1人の7人である。
 いまの愛子さまや佳子さま、承子さまや瑶子さまといった、若い世代の「プリンセス」不在の皇室となる。
 小田部さんは、
 「皇室の人数が少なくなるならば、単純に公務を減らせばいいという声もあります。ただし、担い手が減れば地方を訪ねて人と触れ合う余裕はなくなる。必然的に国民と皇室のきずなはうすれます。それは、象徴天皇としての実態がなくなることを意味します」
 冒頭で述べたとおり、小田部さんは5年後がひとつの節目だと話す。
 なぜなら5年後であれば、愛子さまや佳子さまらの女性皇族の結婚について見通しが立っている可能性が高いからだ。そして悠仁さまの結婚についても候補者のリストアップが進んでいる可能性もある。
 しかし、女性皇族が結婚後も皇室に残るといった議論が5年後までにまとまり、制度として確立されている可能性は低いだろう。
 「極端な話、天皇陛下が国事行為をできる環境があればいい、という議論も出てくるかもしれません」(小田部さん)
 日本社会と同じように、皇室の高齢化は深刻な問題だ。タブー視して、目を背け続けた先に見えるのは、どのような風景なのか。
 (AERA dot.編集部・永井貴子)」
   ・   ・   ・   
 リベラル左派は、反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人として、神話宗教の血統を唯一の正統とする世襲制の現皇室を消滅しようとしている。
 現代の日本人は、民族的な歴史力・伝統力・文化力・歴史力そして宗教力がない為に民族中心神話が理解できない。
 彼らとはマルクス主義者であり、リベラル派・革新派一部の保守派であり、超エリート層である高学歴の政治的エリートと進歩的インテリとして政治家、官僚、学者・教育者、弁護士・法律学者、メディア関係者、企業家・経営者、その他である。
   ・   ・   ・   
 1月8日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「世間が熱狂する「愛子天皇」待望論と旧皇族との「結婚」論 新旧の狭間で令和皇室が歩む道
 「愛子天皇」待望論が続いている。現在の皇室典範によれば将来的に天皇となるのは秋篠宮家の長男、悠仁さまだ。しかし、愛子さまが成年皇族となった2021年以降、世間ではそのキーワードを目にする機会が増えた印象すら受ける。
 2023年1月2日、新年一般参賀に出席された愛子さま(写真/アフロ)
 © AERA dot. 提供
 *  *  *
 政府サイドはピリピリ。世間では「新しい皇室」への期待感――それが「愛子天皇」というキーワードだ。
 オランダ、デンマークスウェーデンノルウェー、ベルギー。男女同権が根付く欧州では、王室の王位を男女に関係なく継承させる国が増えた。オランダでは、愛子さまと同世代のアマリア王女が将来、女王として王位を継ぐ。ジェンダーフリーの価値観が自然なものとして浸透するなか、日本でも「愛子天皇」への期待は高まり続けている。
 世間と温度差があるのが政府サイドだ。
 皇室のあり方をめぐる政府の有識者会議は、岸田文雄内閣のもとで、「女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持」することと「旧宮家の男系男子の養子による皇族復帰」について検討を重ねていた。しかし、そこでは愛子さまの話題はタブーといった空気であった、と会合に参加した人物は振り返る。
 「会合の場で、愛子さまのご活動について意見が出される度に、『皇位継承問題に関わることは……』と遮られた。愛子さまに関する話題は、タブーといった雰囲気でした。世間では『愛子天皇』といった話題が熱をもって語られている状況に対して、ピリピリしていたのでしょう」
 現在の皇室典範にのっとって、皇嗣である秋篠宮さまが皇位継承順位1位、長男の悠仁さまが2位だ。有識者会議の報告書にもはっきりと、「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と書いてある。
 悠仁さまが将来天皇となることにゆるぎはない。政府サイドや一部の勢力が、愛子さまにかけているのは別の期待だ。
 2022年1月、先の有識者会議の最終報告書を受けたのち、政府は各党に皇族の減少について議論することを求めた。
 有識者で「旧宮家の男系男子の養子による皇族復帰」が議題に上がっただけに、関心が高まっているのが旧宮家の存在だ。
 同じ22年1月、旧皇族である伏見宮家の24代当主の伏見博明氏(90)が、オーラルヒストリーをつづった著書『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』を出版した。著書の中で伏見氏は、皇族への復帰についてこう述べている。
 「天皇陛下に復帰しろと言われ、国から復帰してくれと言われれば、これはもう従わなきゃいけないという気持ちはあります」
 旧皇族の復帰。それは、有識者会議が検討課題としてあげたように、「養子」といった形での復帰を念頭に置いた発言だと思われる。
 さらに踏み込むならば、「愛子さまのご結婚相手」としての旧宮家の存在だ。安倍晋三政権の当時、旧皇族から愛子さまと年の近い「お相手」をリストアップしていた。旧皇族との結婚によって男系を維持するという意味である。
 皇統を維持は確かに重要な命題だ。一方で、いまの時代に「政略的な結婚」が国民に受け入れられるのかという疑問もある。特に、愛子さまをはじめとする女性皇族自身が、旧皇族との結婚という考えに対してどう感じているのか。その胸の内は、国民には聞こえてこない。
 他方、ご自身の「家」と「家」の関係を断ち切り、本人の意思を貫いた眞子さんと小室さん結婚では、予想外のトラブルが露わになり皇室への反発を招いた。
 「あくまで、ごく自然な形で、ということです」(当時の政府関係者)
 皇室制度に詳しい八幡和郎・徳島文理大学教授も、こう話す。
 「もちろん、ご本人に意思がないのにお見合いをさせるような話ではないと聞いています。しかし、旧皇族はどのような形でも話があれば真剣に受け止める気持ちはあると思います。さらに言えば、政界有力者も含めて具体的に愛子さまとの結婚を打診してみては、と意見を口にする方もいます」
 自然な流れで成立すればよいし、そうでなければ無理はしないという程度だという。
 いずれにせよ、悠仁さまが天皇に即位することが前提だ。
 「愛子さま旧宮家の結婚は、悠仁さまの次の代に備えたひとつの案です。そもそも悠仁さまのご誕生以来、政府も宮内庁も、『愛子天皇』を想定してはいなかったはずです。仮にそうした案があるならば、愛子さまへの帝王教育がなされていなくてはいけない。しかし、知る限りそうしたものがなされた形跡はありません」(八幡教授)
 皇室を支えてきた保守系の支持層は、「男系で存続してきた」ことにこそ意味がある、と主張する。他方、世界の王室は次々に、男女に関係なく継承者を決めている。
 新旧の価値観と思いが混在する狭間で、皇室はどのような道を歩むのだろうか。
 (AERA dot. 編集部・永井貴子)」
   ・   ・   ・   
2022-09-24
🔯64」─3・D─日本人はイギリス人の王室に対する認識を何も知らない。開かれた 王家。~No.240 ㉘  
欧州諸王家。
2018-09-07
🔯66」─1─他国人に開かれた王家。フランス系スウェーデン王家。デンマークノルウェー王家。~No.244No.245No.246・ @ 
2019-08-13
🔯66」─2─開かれた王族。キング、クイーン、プリンス、プリンセスを返上する自由権利。~No.247No.248No.249・ ㉚ 
   ・   ・   ・   
2023-01-11
🔯68」─1─ギリシャ人は王制廃止を国民投票で決めた。~No.253No.254No.255 
   ・   ・   ・   
 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
   ・   ・   ・   
 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
   ・   ・   ・   
 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
   ・   ・   ・   
 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩の物語、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
   ・   ・   ・   
 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
   ・   ・   ・   
 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
   ・   ・   ・   
 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
   ・   ・   ・   
 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
   ・   ・   ・   
 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
   ・   ・   ・   
 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
   ・   ・   ・   
 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
   ・   ・   ・   
 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
   ・   ・   ・    

🌈9)─1・A─縄文祭祀⇨原始神道・古神道⇨民族神話・民族祭祀⇨天皇の宮中祭祀は神社祭祀の完成形。⦅15⦆〜No.18 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 伝統神道は、縄文人の自然(精霊)・妊婦(女性)・祖先(人神)崇拝に行き着く。
   ・   ・   ・   
 近代宗教学において、日本神道は最低位の自然崇拝神話宗教であってキリスト教のような最上位の唯一絶対神啓示信仰宗教ではない。
 宗教は人間の世界ではなく自然の中で人間によって創られ、人は神によって創られるのではなく、神こそが人によって創られる。
 その為に、人類史において数多くの宗教が民族とともに消滅している。
 つまり、人の歴史とは宗教の歴史である。
   ・   ・   ・   
 天皇宮中祭祀は、神話に基づく正統な世襲制における一子相伝の秘技である。
 日本天皇日本民族である。
   ・   ・   ・   
 2023年12月号 WiLL「朝三暮四 加地伸行
 道に聴きて〔そのまま〕塗(みち)に説(と)くは、徳を〔自分から〕之(こ)れ棄(す)つるなり。『論語』陽貨(ようか)
〈道に・・・説くは 受け売りするのは無責任。
 徳を・・・    自分で不道徳となる。〉
 安倍晋三元総理の無念の死から時が流れ、もう3ヶ月を超えた。人の心もやや落ち着いたが、事件の大因であった宗教問題について論じ始めつつある。
 ……。
 ……旧統一教会の宗教性を深く掘りさげず、日本のおける明治維新以後の諸宗教について大雑把に概説して、それで終わっている。
 しかも、一神教(例えばキリスト教)のような『信ずる宗教』と、多神教(日本列島に根づく諸宗教)のような『感ずる宗教』の重要性を大切にせよという。
 そしてこう結論する。引用すると〈『感ずる宗教』に内在する可能性に着目し、日本人の最も深いところに流れている宗教、すなわち祖先の前で身を慎んで暮らす道徳観の重要性を、改めて考えるときが来ているのではないだろうか〉と。
 老生、唖然とした。祖先を大切にして敬(うや)まい、その祭祀を怠(おこ)たない──この祖先崇拝は、日本だけではない。東北アジア(中国・朝鮮半島・日本等)全体において共通する宗教ではないのか。その宗教性を理解できておらず、『道徳観』と誤解までしている。
 あえて記そう、キリスト教派は、宗教には序列があると独断し、まず一神教キリスト教など)、次に多神教、次いでシャーマニズム(霊降ろし)等、最下は山や海などを崇(あが)める自然崇拝、とされている。
 要するに、キリスト教徒らは自分らが最上位だという理屈。その屁理屈を最高の真理と思いこんだのが、欧米留学をした明治の日本人たちだった。彼らは、帰国後、この宗教ランキングを日本全国に説いて回ったのである。
 それがいつのまにか宗教学のイロハとなり、純情な日本人インテリ(欧米崇拝派)が日本国中にそれをさらに広めていった。
 そうして明治以来のキリスト教派の〈宗教学〉に、現代日本宗教学者の大半が、いまだに従い、鸚鵡(おうむ)返ししている。情けない。
 学者と称するならば、要(かなめ)は自分の頭で考えろ。と言うと、お前はどうなんだ、と来るだろう。待ってました、こうだ。
 根本は〈宗教の定義〉である。数百を超える定義群があるが、ほとんどがキリスト教的。絶対者を置き信ずる。みな似たり寄ったり。
 そこで老生、こうした。方法論が第一であると。そこで宗教のみが扱える対象以外を除いていった。例えば、数計算法とか、生物飼育とか、ダンスとか・・・と。すると残った領域は唯一、すなわち死のみであった。そこで老生、こう定義した。『宗教とは死および死後の説明者である』と。
 となると、諸宗教間において上下などはなくなる。また人間は自分にとって最も納得できる『死および死後の説明』を選べる。
 もちろん、その背景に歴史があることは言うまでもない。東北アジアにおいて、人々に対して最も納得のいく〈死および死後〉の説明は、祖先の存在、そして祖先から続く自己との関係であった。すなわち、己の存在の背後に長い生命の歴史があり、その〈生命の連続〉を信ずることによって、生きてあることの意味や価値を大悟(だいご)する。その様式化されたものが〈祖先崇拝〉である。そしてこの祖先祭祀についての理論づけしたものこそ、〈儒学〉なのである。当然、儒教は宗教であり、東北アジアの人々の精神を形成してきた。
 これが加地学説。果たして山折某はそうした拙論を読んだのか。『感じる宗教』などというチャチな感想を出す前に、例えば老生のそれこそ生命を懸けた研究結果を精読してから宗教について発言すべきであろう。
 古人曰く、道に聴きて〔そのまま〕塗(みち)に説(と)くは、徳を〔自分から進んで〕之(こ)れ棄(す)つるなり、と。」
   ・   ・   ・   
 神道とは、日本列島で乱婚を繰り返した混血・雑種の日本民族が生み出した世界的に非常識な民族神話宗教で、その源流は数万年前の旧石器人(ヤポネシア人)・縄文人(日本土人)と数千年前の弥生人(渡来人)・古墳人(帰化人)の宗教観・自然観・死生観・人生観に辿り着く。
   ・   ・   ・   
 日本神道の祭祀を正しく受け継いでいるのが、皇室の宮中祭祀高天原神話・天孫降臨神話つまり天皇神話である。
 が、反宗教無神論のリベラル左派は信仰の自由と政教分離の原則で天皇の祭祀を否定し私的行事として国事行為から切り離した。
 縄文時代の宗教祭祀は、明治以前の宮中祭祀など伝統神道の大半の源流であるが、明治以降の新興神道縄文時代を源流とせず、ましてや戦後の新興神道縄文時代とは切り離されて縄文人の心、志、思い、気持ちは絶無である。
 その証拠が、利権、利益、金儲けとエコ・テロリストやマイノリティ・ファシズムなどの反宗教無神論・反天皇反民族反日本的イデオロギーによって古の神々が鎮座する自然が破壊されている、つまり日本人の手で「神殺し」が行われているのである。
 それは、現代日本人の天皇観・皇室観にもあらわれている。
   ・   ・   ・   
 天皇の正統性とは、民族中心神話を唯一絶対の根本根拠として、最高神である女神・天照大神に血で繋がる男系父系子孫という世襲血統の事である。
   ・   ・   ・   
 数万年前の旧石器時代縄文時代の正統な宗教性は、現皇室の宮中祭祀に遺って受け継がれている。
 民族神話には、正統性があっても正当性はない。
   ・   ・   ・   
 中世キリスト教会は、絶対神の福音を日本に広めて日本国をキリスト教国に生まれ変わらせるべく、日本国内を改宗日本人で満たす為に異教徒日本人を奴隷として海外に売り、その売上金を神聖な使命である布教活動に使っていた。
 何故か、キリスト教国では当たり前に行われていた領主・地主や富豪・豪農からの寄進・喜捨・寄付金・免罪符金などの資金援助が異教国日本では得られなかったからである。
 それ故に、キリスト教原理主義は異教国日本で非人道的宗教侵略を行っていた。
 日本民族にとって、中世キリスト教の行為は「大きなお世話」どころか「とんでもないいい迷惑」であった、それ故にキリスト教を禁教とし、キリシタンを弾圧した。。
   ・   ・   ・   
 キリスト教の誕生は、イエス・キリストが人々の原罪を背負って処刑された西暦(グレゴリウス宗教暦)から導かれている。
   ・   ・   ・   
 反宗教無神論マルクス主義が成立したのは、1847(弘化4)年にマルクスエンゲルスがプロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った時とされている。
   ・   ・   ・   
 旧陸軍大将・今村均氏は、中国共産党が60年安保で荒れる日本の日教組日本共産党、反天皇反民族反日的日本人らに対して日本転覆のカギは「皇室と神社とより隔離」にあるとの指令を出した事を公表した。
 「中共の対日工作員である陳宇氏は、我が共産党員である日教組の幹部である赤津益三氏に対し、暗号電報により、6月1日『われわれは、この度の諸君の勇敢なる革新運動に敬意を表する。しかし貴国の革新は、民族をして、皇室と神社とより隔離せしめない限り、その実現は至難と思う』というような指令を打電した」(『修親』昭和41年1月号)。
   ・   ・   ・   
 2023年2月号 WiLL「東医即妙 死後の世界  岡田明三
 死後の世界
 死後の世界があるとすれば、われわれ人類は『肉体的な死』をむかえたあとも精神は来世で生きつづけ、『精神的な死』はむかえません。仏教では『極楽浄土』という死後の世界が想定され、人間の精神的な『生』が拡張されました。
 仏教にかぎらず、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教ユダヤ教・・・いま話題の旧統一教会でも、死後の世界が語られています。人間は弱い生き物なので、何かにすがります。そうして宗教は、前世・現世・来世がを語り、『現世のおこないによって来世が幸せになりますよ』と、現世で苦しむひとびとの救いになってきたわけです。
 ……
 しかし、人類にとって『死』は永遠の謎で、最先端科学をもってしても解明することはできません。
 東洋医学発祥の地・中国において、儒教の始祖・孔子が弟子から『死』について問われ、次のような言葉を遺しています。
 『いまだ生を知らず、いずくんぞ、死を知らん』
 生きていることも十分に理解していないのに『死』についてわかるはずがない──孔子はきっぱりと断言しています。孔子のいうとおり、『死』のことなど誰にもわからないのですから、何よりも大切なのは『生』のほうでしょう。」
   ・   ・    ・   

 2022年1月1日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「「神道とは何か」は説明できない?神道の枠組みは境界が曖昧な理由とは!?【図解 神道
 「神道とは何か」は説明できない?神道の枠組みは境界が曖昧な理由とは!?【図解 神道
 © ラブすぽ
 神道は明確な定義ができない
 神道は、古代から続く日本固有の信仰です。なんだ、ちゃんと説明できているじゃないか、と思われるかもしれませんが、実は右の文は「ちゃんとした説明」になっていないのです。たとえば、「古代」とはいつのことをいっているのでしょうか。弥生時代でしょうか、縄文時代でしょうか、それとも日本列島に人が住むようになって以来ということなのでしょうか。また、「固有」とはどういうことでしょうか。外来の要素をまったく含まないということなのでしょうか。しかし、神道には海外から来たとされる神も信仰されています。
 そもそも一口に神道といっても、朝廷で行われてきたものと、各地の神社で行われてきたもの、庶民の間で信仰されてきたのでは、さまざまな点で違いがあります。また、時代によっても大きな変化がありました。もちろん、時代によって変化したのは神道だけではありません。どの宗教も何らかの変化を経ています。しかし、仏教やキリスト教などは、神道ほど説明に苦労はしません。
 仏教やキリスト教には開祖がいるからです。ですから、仏教は「釈迦が説いた教えに基づく宗教」、キリスト教は「神であるイエスが人々に伝えた教えに基づく宗教」といった説明ができます。しかし、神道には開祖はなく、日本各地で自然発生的に成立したものが、大和朝廷の発展に伴って統合されていったのです。その過程で外来の要素も取り込まれました。ただ、はっきりしていることは神道はいつの時代も日本人の心の拠り所となってきた、ということです。
 出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』監/渋谷申博
 【書誌情報】
 『眠れなくなるほど面白い 図解 神道
 著:渋谷 申博
 「神道とは何か」は説明できない?神道の枠組みは境界が曖昧な理由とは!?【図解 神道
 © ラブすぽ
 「神道には教義がないって、本当なの?」「八百万の神々の中で一番偉いのは、誰?」「鳥はいないのに、なぜ鳥居というの?」神道の起源から日本の神様、開運神社のご利益まで楽しくわかる!古代から伝えられてきた日本の心──神道。その奥深い世界を57項目の素朴な疑問からズバリ解説します。「祭りを行なうのは生命力を更新するため」など、知っているようで知らなかった初耳学が満載!かわいいイラストや図解を交え、はじめての人でも神道の基礎知識がわかり、神社参拝が楽しくなるエンターテインメント雑学教養本です。」
   ・   ・   ・   
 2023年1月2日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「神道の始まりは、いつ?神道発祥の歴史は謎に包まれている理由とは!?【図解 神道
ラブすぽ の意見
 神道の始まりは、いつ?神道発祥の歴史は謎に包まれている理由とは!?【図解 神道
 © ラブすぽ
 古代のことが謎だらけで、よくわかっていない
 神道が古代から続く日本人の信仰であることは、誰もが認めることでしょう。しかし、古代といってもいろんな時代があります。日本人の信仰なのだから、日本人が日本列島に住むようになったとき、というご意見もあるかと思います。現在の考古学の成果によると、旧石器時代後期には、日本列島に人が住んでいたことがわかっていますので、この説に従えば、神道の起源も旧石器時代後期以前ということになります。 
 残念ながら旧石器時代後期の遺物は少なく、当時の人々がどんな精神生活を送っていたのか、詳しいことはわかっていません。しかし、海外の事例なども考え合わせると、死への恐れや死者への追悼に基づく信仰はあったものと思われます。では、それが神道の起源なのでしょうか。 
 もしそうだとすると、旧石器時代後期に続く縄文時代の信仰も神道の祖先ということになります。土偶や土面、石棒、過剰なまでの装飾が施された土器などが縄文時代の信仰の特徴ですが、これらはわれわれが知る神道とはだいぶ違うように思われます。問題は縄文時代弥生時代の間に起こった文化的断絶をどう考えるかです。
 弥生時代の信仰には穀物の神霊に対する信仰や、鏡・剣を祭祀具とすることなど、神道との共通点が多くみられます。縄文人の信仰は弥生人にも引き継がれて神道に流れ込んでいるのか、縄文文化を駆逐した弥生文化とともに神道が成立したのか。かつては後者の説が有力でしたが、近年は前者の説も注目されてきています。
 出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』監/渋谷申博
 【書誌情報】
 『眠れなくなるほど面白い 図解 神道
 著:渋谷 申博
 神道の始まりは、いつ?神道発祥の歴史は謎に包まれている理由とは!?【図解 神道
 © ラブすぽ
 「神道には教義がないって、本当なの?」「八百万の神々の中で一番偉いのは、誰?」「鳥はいないのに、なぜ鳥居というの?」神道の起源から日本の神様、開運神社のご利益まで楽しくわかる!古代から伝えられてきた日本の心──神道。その奥深い世界を57項目の素朴な疑問からズバリ解説します。「祭りを行なうのは生命力を更新するため」など、知っているようで知らなかった初耳学が満載!かわいいイラストや図解を交え、はじめての人でも神道の基礎知識がわかり、神社参拝が楽しくなるエンターテインメント雑学教養本です。」
   ・   ・   ・   
 2023年2月号 WiLL「日本人の宗教観  小名木善行
 12月になるとよく引き合いに出されるのが日本人の宗教観です。どういうわけか日本人は、12月25日にはどこの家庭でもクリスマスをお祝いし、大晦日になるとお寺さんに除夜の鐘をつきに行き、明けて元日になると初詣に行きます。クリスマスはキリスト教、除夜の鐘は仏教、初詣は神道です。いったい日本人の宗教観はどうなっているのかと、外国人にはとても不思議に思えるのだそうですが、多くの日本人は平気です。
 どうしてこのようなことになるのかというと、日本人にとって昔ながらの神道は、神様になる道だからです。人は死んだら神になる。家の守り神となり、村の守り神となり、国の守り神となるというのが、実は縄文以来の日本人の思考です。縄文以来というのには、はっきりとした理由があって、縄文時代の集落の遺跡は全国に何万とありますが、その多くが集落の真ん中に墓地があります。これは生者と死者が共存していたことを表します。人は霊(ひ)が本体、肉体はその乗り物であるというのが、その思考です。ですから亡くなると、肉体は滅んで土に還りますが、魂(霊)は村の守り神となると考えられてきました。仏教ではなくなると三途(さんず)の川を渡って極楽浄土へと旅立ちます。そのため葬式は別れを告げる告別式です。死者は旅装束(たびしょうぞく)でお棺に入ります。ところがどういうわけか日本では、旅立ってしまったはずの方の御霊(みたま)がお位牌に入って家の仏壇に納まります。これは仏教に神道の考え方が重ね合わせって生まれた日本独特の習慣です。
人が死んで神様になるという考え方は、ある意味たいへんに合理的なものです。死んだあとに子や孫たちから『ああ良かった、やっと逝ってくれたよ』と言われるようでは、迷惑がかかります。子や孫たちから『爺ちゃん、ずっと俺たちのことを見守っていてね』と頼られるくらいのお年寄りになりたいものです。これを『かんながらの道』といいます。詰めて神道です。つまり神道とは『神になるための道』です。
 神様になることが目標なのですから、そのため、日本人は仏教であれキリスト教であれ儒教であれ、良い教えであればすべて取り入れます。このことは大学受験に例えるとわかりやすい。大学受験には志望校合格への道があります。その道をできるだけ真っ直ぐに進んでいくために、数学ならこの先生、英語ならこの先生、歴史ならあの先生と良い教師に付き、できるだけ良い参考書や問題集で教えを受けます。ですから文字を見れば神道は〝神になる道〟であり、仏教、儒教キリスト教などは、いずれも、そのための〝教え〟とわかります。
 もともと日本に宗教という言葉はありません。宗教という言葉が生まれたのは幕末のことです。幕末の翻訳家たちが、英語の『レリジョン(Religion)』を訳して造語したのが『宗教』です。江戸時代までなんと呼ばれていたのかというと、仏教であれば『宗門、宗派』等であり、神道であれば『かんながらの道』です。『宗』はおおもと、『道』はそのまま道ですから、仏教ならおおもとへの帰結、神道なら神とつながる道です。つまり『かんながらの道』が人の道であり、そのための教えを仏教や、儒教で学んできのです。明治以降はそこにキリスト教も加わるようになりました。
 人が正しい生きる道が人道です。人道が大切であることは万国共通の常識です。人道は教えではありません。これが宗教による教えと神様になる道の違いです。
 さて大晦日は、もともとは歳神様(としがみさま)をお送りし、明日からはじまる新たな1年のための新しい歳神様をお迎えする準備をするたいせつな日です。ただびんやりと紅白歌合戦を観て過ごすのではなく、家族で道や教えを話し合いながら、新たな歳神様をお迎えする佳(よ)き日にしたいものですね。」
   ・   ・   ・   
 2023年1月3日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「八百万の神の国/日本には家の中にも神様がたくさんいる!代表的な神様とは!?【図解 日本のしきたり】
ラブすぽ の意見
 八百万の神の国/日本には家の中にも神様がたくさんいる!代表的な神様とは!?【図解 日本のしきたり】
 © ラブすぽ
 家の中を守る神様たち
 大昔から日本には、たくさんの神様がいると考えられてきました。山の神様、海の神様をはじめとする自然に宿る神様。稲や田、またそれらを耕す道具に宿る神様。言葉にまで言霊といわれる神様が宿ります。暮らしの中で行なわれてきたしきたりの中にいつも神様がいるように、日常の中でも神様がいつも私たちに寄り添っています。
 日本の神様は実は万能ではなく、それぞれに得意分野を持っています。そうした神様たちが持ちつ持たれつ、協力し合いながらお守りしてくれると考えられています。以下は、家の中にいる代表的な神様です。
 © ラブすぽ
 『図解 日本のしきたり』はこんな人におすすめ!
・お正月飾りは何のためにするのか? ・初詣に行く新年のならわしはなぜあるのか?
・運気を上げる日本のしきたりには、どんなものがあるのか?
 と感じている方には大変おすすめな本です。
 「運気を上げる」をキーワードに、「春」「夏」「秋」「冬」の1年を通して行われる暮らしの中のしきたりと、成長や長寿などを祝う「通過儀礼」のしきたり、結婚や葬式などにまつわる「冠婚葬祭」のしきたりを解説していきます。また、しきたりの「そもそも」と、古来より受け継がれてきたしきたりの変化、地域色、慶事と弔事のしきたりなど、「しきたり七不思議」的な視点で読者の興味を喚起します。日本人ならぜひとも知っておきたい日本のしきたりを図解でわかりやすくまとめて紹介!
 シリーズ累計250万部を突破した「図解シリーズ」の読みやすさ
 図解シリーズは、右側に文章、左側に図解で解説という形で構成されているので、本が苦手な人にも理解しやすい内容です。
 © ラブすぽ
 図解シリーズには、健康・実用だけではなく大人の学びなおしにピッタリな教養のテーマも満載。さくっと読めてしまうのに、しっかりとした専門家の知識を身につけることができるのが最大の魅力です!
 気になる中身を少しだけご紹介!神が依る桜で運気アップ!“お花見”
桜の開花予想から満開までが連日ニュースで報道されるほど、桜の開花はかなり重要な関心事となります。桜の開花が宣言されると今度は満開予想に続き、北上する桜前線を追います。それほど日本人にとって特別な花である桜。日本最古の歌集『万葉集』にも桜の美しさを詠んだ歌が納められ、奈良~平安時代には桜は人々を魅了する花だったことがうかがわれます。しかし花見が広く庶民の楽しみとなったのは、江戸時代になってから。八代将軍・徳川吉宗飛鳥山(現在の北区)や隅田川の土手(墨田区)などに桜を植樹し、江戸庶民たちが弁当持参で花見に出かけ宴会を楽しむようになりました。桜の代名詞であるソメイヨシノや、花見団子が登場したのもこの頃といわれています。
 一方農民たちの間では、春の農作業の前に田の神様を迎える花見が古くから行われていました。春に山から降りてくる神様が田の神様となり、桜に依ると考えられていたからです。桜の「サ」は田の神様を、「クラ」は神様の座る場所の「御座」を意味し、桜は神様の依りしろとされました。花の咲き具合でその年の稲の豊作を占い、満開の桜に豊作を祈願しました。農民にとっての花見は、稲の実り具合に関わる大切な年中儀礼だったのです。そしてこれこそが、花見をするルーツともいわれます。桜の季節にはぜひとも花見をしてその年の吉凶を占い、運気アップにつなげましょう。
 © ラブすぽ
 1月7日に七草がゆを食べるのはなぜ?ヘルシーなしきたり“七草がゆ
 「七日正月」ともいわれる1月7日は、五節句のひとつ「人日の節句」です。6日の夜から7日の朝までを「六日年越し」「六日年取り」と呼び、正月七日の朝には7種類の若菜を炊き込んだ七草がゆを食べます。若菜の生命力を体の中に取り入れて、無病息災を祈りました。七草がゆは、中国の官吏が昇進の決まる1月7日に薬草の若菜を食べて立身出世を願ったのがそもそもの始まりといわれています。それが日本に伝わり、平安時代宮中行事として行なわれるようになりました。当時は七草を汁に入れて食べるならわしでしたが、やがてかゆに入れて食べるようになり、江戸時代には幕府の公式行事に取り入れられました。一般家庭に七草がゆの風習が広まったのもこのころです。
 6日の昼に七草を摘んで、7日の朝の朝食として食べられました。春の七草は地域で多少異なりますが「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草」と和歌で歌われるこれらが一般的です。七草を調理する際には、できるだけ大きな音を立ててまな板をたたき、刻むのがしきたり。お囃子まであるそうです。実はこうすることで七草の栄養価を引き出し、余すことなく体内に取り入れる効果も。青葉の少ない冬場のビタミン補給と、お正月のごちそうで疲れた胃腸をいたわる先人の知恵の詰まった七草がゆで、体の中の健康パワーをチャージしましょう。
 © ラブすぽ
 日本のしきたりについてもっと知りたくなる興味深い内容が満載!
 ★春のお彼岸は、あの世とこの世が大接近!?
 ★お中元は神様へのお供え物だった!
 ★最強の月パワーお月見(十五夜
 ★大晦日は寝ずに歳神様を待つ!?
 などなど気になるタイトルが目白押し!
 ほかにも、つい誰かに話したくなるようなトピックが満載!知ってそうで知らない、また知ってはいるけど意味までわからない、また意外な風習などを集め、楽しく学べるよう、親しみやすいイラスト図解でお届けします。日本人ならちゃんと知っておきたい「しきたり」や「文化」など知識がビジュアルでまるわかり!
 出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 日本のしきたり』
 【書誌情報】
 『眠れなくなるほど面白い 図解 日本のしきたり』
 © ラブすぽ
 「運気を上げる」をキーワードに、「春」「夏」「秋」「冬」の1年を通して行われる暮らしの中のしきたりと、成長や長寿などを祝う「通過儀礼」のしきたり、結婚や葬式などにまつわる「冠婚葬祭」のしきたりを解説していきます。また、しきたりの「そもそも」と、古来より受け継がれてきたしきたりの変化、地域色、慶事と弔事のしきたりなど、「しきたり七不思議」的な視点で読者の興味を喚起します。日本人ならぜひとも知っておきたい日本のしきたりを図解でわかりやすくまとめて紹介!」
   ・   ・   ・   



 3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 縄文時代 1万2000年~2000年前
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
 この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族アイヌ民族は生まれていない。
   ・   ・   ・   
 日本土人である縄文人ヤポネシア人=旧石器人の子孫)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
  ・  ・  
 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
   ・   ・   ・   
 日本神道の中には、数万年前の旧石器人(ヤポネシア人)・縄文人(日本土人)と数千年前の弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)の宗教観・死生観・人生観・自然観が深層に含まれ、その後の時代によって多くの人が往来する事でインドの仏教、ペルシャゾロアスター教、中東のユダヤ教、中国の儒教道教・その他、原始キリスト教キリスト教、アラブのイスラム教など数多くの宗教に影響を受けている。
 それ故に、多神教の日本神道は全ての宗教や如何なる文化をも分け隔てせず差別する事なく寛容に受け入れていた。
 人が崇め信じるは神や仏は尊い、と言う事である。
 仏教や儒教は同じでも、日本と中国や朝鮮とは全然違う。
   ・   ・   ・   
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、数万年前の旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
   ・   ・   ・   
 死生観・人生観・自然観・宗教観は、神道的仏教的な日本と儒教道教的な中国や朝鮮とは全然違う。
 反宗教無神論マルキシズムファシズム、ナチズム、レーニン主義毛沢東主義は、中華儒教に似ている。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、自分の為社会の為世の為にならないと判断した宗教やイデオロギーを日本から排除してきた。
 それが、中華儒教、中世キリスト教共産主義であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
   ・   ・   ・    
 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
   ・   ・   ・   
 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
   ・   ・   ・   
 「今亡き両親や両祖父母などの全ての祖先を神と祀る人神信仰」からすれば、全ての日本民族は神の子孫、神の子である。
 その象徴が、神の裔・天皇陛下である。
   ・   ・   ・   
 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
   ・   ・   ・   
 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
   ・   ・   ・   
 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
   ・   ・   ・   
 日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
   ・   ・   ・   
 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
   ・   ・   ・   
 日本民族の言霊信仰とは、民族中心神話に基ずく自然崇拝であり、宗教的精神的な自然への畏怖つまり畏れと敬い事である。
 それは、数千年前の弥生時代古墳時代から断絶する事なく繰り返されてきた正統世襲男系父系天皇による一子相伝宮中祭祀、さらには数万年前の石器時代縄文時代からの日本民族が受け継いだ自然の精霊と生命の永遠に対する崇拝宗教につながっている。
 日本民族伝統宗教とは、精霊崇拝宗教、八百万神の神話宗教、祖先祭祀宗教であって、信仰宗教、啓示宗教ではない。
   ・   ・   ・   
 小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
   ・   ・   ・   

💍35)─1─欧州では女性君主が次々誕生、男系男子の伝統を守る意味はあるのか。〜No.127No.128No.129 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の天皇家・皇室は、欧州の王侯貴族や中華(中国・朝鮮)の王侯貴族とも違い異質である。
   ・   ・   ・    ・   
 現イギリス王家の祖先はドイツ人であり、現国王チャールズ3世の母親はドイツ系エリザベス2世で父親はギリシャエディンバラ公フィリップ殿下である。
 イギリス国王は、イギリス民族、イギリス人、イギリス国民ではない。
   ・   ・   ・   
 現代日本人の多数派は、開かれた王家・イギリス王家を見本として閉ざされたた王家・日本皇室をイギリス化して開放しようとしている。
 真の開かれた王家とは、他国民にも開かれたという事である。
 未来の日本では、中国人や朝鮮人・韓国人の子供が天皇に即位する事になる、可能性がある。
   ・   ・   ・   
 2023年1月6日 YAHOO!JAPANニュース 週刊ポスト「【第1回】《皇族のSNS発信は必要か?》識者3人が議論 英王室では「SNSが大きく人気に寄与」
《皇族のSNS発信は必要か?》識者3人が議論 英王室では「SNSが大きく人気に寄与」
 右から皇室に詳しい王室ジャーナリストの多賀幹子氏、ニューヨーク州弁護士の山口真由氏、国際政治学者の三浦瑠麗氏
 悠仁さまが筑波大学附属高校に入学し、愛子さまは成年皇族として公務を開始。佳子さまの結婚報道も飛び出すなど、昨年は皇室関連のニュースが世間を賑わせた。秋篠宮さまの言及で話題になった皇族のSNS発信について、皇室に詳しい王室ジャーナリストの多賀幹子氏、国際政治学者の三浦瑠麗氏、ニューヨーク州弁護士の山口真由氏に語ってもらった。【全3回の第1回】
 * * *
 多賀:昨年11月の誕生日会見で、秋篠宮さまが皇族のSNS発信について、「あり得ること」と言及して話題になりました。
 三浦:私はお勧めはしません。誹謗中傷が心配ですし、皇族が一般人のSNSに反応するとトラブルなども起きやすい。
 山口:皇室は血縁の正統性や家的な制度が大事だと思うので、SNSを通じて「個」の部分がフィーチャーされることに違和感がありますね。
 多賀:あら、私は大賛成です。皇室こそ公務や普段の様子を国民に向けて発信してほしい。一般的に国民の生活レベルが上がり、昔ほど皇室が憧れの世界ではなくなった今、皇室はもっと個人の魅力をアピールすべきです。
 三浦:でも皇族が個人のSNSで発信したら、無難な内容でも見るに堪えないコメントがズラリと並びますよ。不特定多数から向けられる悪意に皇族方が耐えられるとは思えません。公式の皇室広報アカウントを作るくらいがいいでしょう。
 多賀:英国はダイアナ妃が亡くなった後、エリザベス女王が「もっと開かれた王室にしなければ」とインターネットやSNSでの発信を始めました。今ではすっかり定着し、王室メンバーの誕生日などに記念写真が投稿されて、英王室の人気にSNSが大きく寄与しています。
 山口:でも、例えば愛子さま悠仁さまのSNSがあって、どちらかが圧倒的にフォロワー数が多かったら、国民人気の差が浮き彫りになってしまうのでは?
 多賀:英国では定期的に王室の人気ランキングが話題になり、チャールズ国王よりウィリアム皇太子のほうが常に上ですけど、実際の活動に影響はありません。
 三浦:愛子さま悠仁さまの比較には皇位継承問題が絡むでしょうね。愛子さまはいわば「本家」の子ですが、女性なので皇位継承権がない。そんな状態でSNSを始めたら、判官贔屓のような形で愛子さまを支援する反応が出て、それが悠仁さまを傷つけるかもしれません。
 多賀:なるほど。ただ国民の意見を先取りして、SNS発信を否定してしまうのは、どうでしょう。
 三浦:逆に男系男子を尊重する人は愛子さまに「早く嫁にいけ」などと言い出す恐れもある。
 山口:そもそも皇室と国民の支持は関係ないんですよね。欧州の王室は武力で土地を制して国民の支持を受ける「権力の象徴」ですが、日本の皇室は万世一系という「権威の象徴」で、皇室の正統性の根拠は国民の支持ではない。それでも私は成人を迎えられた愛子さまの立派な姿を見ると心が動くし、人間的な部分に思い入れを持ってしまう。
 三浦:皇族の人間的な部分は国民の支持調達の観点から大きな意味を持っていると思います。だからこそ、慎重に守って差し上げるべきところもある。小室圭さん・眞子さん夫妻へのバッシングでわかるように、今の大衆社会は暴走しがちです。
 (第2回に続く)
 【プロフィール】
 多賀幹子(たが・みきこ)/1949年生まれ、東京都出身。ジャーナリスト。お茶の水女子大学教育学部卒業。英米に10年以上在住。英王室を始め、女性、教育、海外文化などをテーマに取材、執筆、講演。近著に『孤独は社会問題』(光文社新書)。
 三浦瑠麗(みうら・るり)/1980年生まれ、神奈川県出身。国際政治学者。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。株式会社山猫総合研究所代表。近著に『日本の分断』(文春新書)。
 山口真由(やまぐち・まゆ)/1983年生まれ、北海道出身。NY州弁護士。東京大学法学部卒。財務省勤務を経て、2009~2015年、弁護士として法律事務所に勤務。現在は信州大学特任教授。近著に『「ふつうの家族」にさようなら』(KADOKAWA)。
 ※週刊ポスト2023年1月13・20日
   ・   ・   ・   
 1月7日6:58 YAHOO!JAPANニュース NEWSポストセブン「女性宮家女性天皇の是非 欧州では女性君主が次々誕生、男系男子の伝統を守る意味はあるのか
 女性皇族のあり方について識者3人が議論(撮影/JMPA)
 昨年は皇室関連のニュースが世間を賑わせた。なかでも注目を集めているのは成年皇族として公務を開始した愛子さまだ。そんななか、女性宮家の創設を求める声も上がっている。女性皇族のあり方について、皇室に詳しい王室ジャーナリストの多賀幹子氏、国際政治学者の三浦瑠麗氏、ニューヨーク州弁護士の山口真由氏に語ってもらった。【全3回の第2回。第1回から読む】
 【写真】女性皇族のあり方について語った王室ジャーナリストの多賀幹子氏、国際政治学者の三浦瑠麗氏、ニューヨーク州弁護士の山口真由氏。他、愛子さまと佳子さまなどの写真も
 * * *
 女王の時代
 三浦:皇室の存続自体も懸念されます。現状では天皇は男系男子しかなれず、女性皇族は結婚すると民間人になる。このままだと皇族が減って皇室が持続不可能になるため、女性宮家の創設を求める声があります。これは女性皇族が結婚しても皇族として残り、夫も子供も皇族となる制度ですが、女性皇族が結婚後も皇室に残ることを「選択」できるとするなら、男性皇族はなぜ民間人になる道を選べないんだという声も当然出てくるでしょう。
 山口:世間から猛反発されるだろうけど、私は皇室の方々の「個人の意思」を尊重する最近の風潮に疑問があります。もちろん権利は大事ですが、義務のほうが大きいのでは。宮家は常に天皇家を支え、いざとなったら天皇家のスペアになる立場です。皇室典範に特例を加えて、臣籍降下した宮家のお子さんを皇族の養子に迎えるのはどうでしょう。
 三浦:今の時代、子供の意思に関係のない養子縁組は無理筋でしょう。どうしても男系男子を維持したいのなら、女性天皇を認めたうえで、女性皇族と旧宮家の男子が結婚するほうがまだしも人道的と思います。いずれにせよ、皇族になる民間人は男女問わず厳しいセレクションを行なうことになるんでしょうけれど。
 多賀:一般社会では男女平等の努力が進められているのに、王室の継承権を男子優先のままにするのはおかしいとして、王位継承権を長子優先に変えた欧州の王室では、スウェーデンノルウェーもオランダもベルギーも君主の第一子は女子が多い。近い将来、「女王の時代」がやって来ます。欧州の人は「なぜ愛子さま天皇になれないの?」と不思議に思っています。
 山口:仰る通りですが、法律論としては「法の下の平等だから女性が天皇になってもいい」という考えに違和感があります。天皇制は法の下の平等を否定するところで成り立ち、皇室の方々は基本的人権を享受する範囲を制限されている。
 多賀:でも、世界がグローバル化して欧州で女性の君主が次々と誕生するなか、男系男子の伝統を守ることにどれほどの意味があるのでしょう。愛子さま天皇にしないことが決まった時点で、世界経済フォーラム発表のジェンダーギャップ指数を持ち出す人がいるかもしれない。2021年版で、日本の女性は156か国中120位。G7のなかで最下位です。こうしたことと結びつけられる可能性がないとは言えません。
 (第3回に続く)
 【プロフィール】
 多賀幹子(たが・みきこ)/1949年生まれ、東京都出身。ジャーナリスト。お茶の水女子大学教育学部卒業。英米に10年以上在住。英王室を始め、女性、教育、海外文化などをテーマに取材、執筆、講演。近著に『孤独は社会問題』(光文社新書)。
 三浦瑠麗(みうら・るり)/1980年生まれ、神奈川県出身。国際政治学者。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。株式会社山猫総合研究所代表。近著に『日本の分断』(文春新書)。
 山口真由(やまぐち・まゆ)/1983年生まれ、北海道出身。NY州弁護士。東京大学法学部卒。財務省勤務を経て、2009~2015年、弁護士として法律事務所に勤務。現在は信州大学特任教授。近著に『「ふつうの家族」にさようなら』(KADOKAWA)。
 ※週刊ポスト2023年1月13・20日
   ・   ・   ・   
 1月6日06:59 YAHOO!JAPANニュース 週刊ポスト「【第3回】皇室典範の改正議論「制度そのものが悲鳴をあげている」「情熱を燃やす政治家がいない」の指摘
 皇室典範の改正議論「制度そのものが悲鳴をあげている」「情熱を燃やす政治家がいない」の指摘
 皇室に詳しい王室ジャーナリストの多賀幹子氏らが議論
 昨年は皇室関連のニュースが世間を賑わせた。一方で今年は、皇位継承問題をはじめ、皇室改革が先送りできない課題となる。変わりゆく社会の中で、天皇制をどのように維持していくべきか。皇室に詳しい王室ジャーナリストの多賀幹子氏、国際政治学者の三浦瑠麗氏、ニューヨーク州弁護士の山口真由氏に語ってもらった。【全3回の第3回。第1回から読む】
 * * *
 国際結婚という選択肢
 多賀:今年は佳子さまのご結婚も気になります。
 三浦:小室夫妻の結婚騒動で皇族と結婚する一般人のハードルが上がりました。メディアの餌食になりたくない一般男性は躊躇するでしょう。メディアには真摯に反省していただきたいですね。
 山口:この際、日本人にこだわらず国際結婚でもいいのでは?
 多賀:欧州の王室は国際結婚が当たり前です。デンマークのメアリー皇太子妃はオーストラリアから嫁いできたし、オランダのマキシマ王妃はアルゼンチン出身です。
 三浦:日本のメディアは語学能力が高くないので、国際結婚ならお相手の男性にも取材しにくいかもしれません。
 多賀:とくにロイヤルがない国の人々は、ロイヤルに大変な憧れを抱いていますから。
 山口:将来の天皇である悠仁さまの結婚相手も同じ問題を抱えますね。
 多賀:悠仁さまはお茶の水女子大学附属小・中に通われましたが、私はその大学出身なので、悠仁さまの学校生活の情報が集まりました。同級生の女子生徒の親は「悠仁さまから好意を持たれたら将来苦労するから、あまりお近づきにならないように」と娘に言い聞かせていたそう。親としては将来“お嫁さん候補”として娘の名前が出たら困るのでしょう。
 三浦:皇室に嫁ぐ一般女性はとにかく大変な思いを強いられる。悠仁さまと結婚する女性には、お世継ぎのプレッシャーもかかってしまうでしょう。
 山口:今は体外受精の技術があるから、悠仁さまに嫁ぐ女性は20代の時に卵子をたくさん凍結しておけば、高い確率で男子が産めると思います。どうしても男系男子の血統が大事なら、今のうちに男性皇族の精子を凍結しておくべきかもしれません。進化する科学技術もまた、皇室の維持のために無視できないのでは。」
   ・   ・   ・   
 現代の日本人には、数万年前の旧石器時代縄文時代からの民族的な歴史力・伝統力・文化力・歴史力・宗教力がないだけに、世界的な王侯貴族も理解できない。
   ・   ・   ・   
 日本民族の皇室は、世界で唯一無二の血筋・皇統で、ジャポニカ・トキのように反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人の手で滅ぼされる種である。
   ・   ・   ・   
2022-09-24
🔯64」─3・D─日本人はイギリス人の王室に対する認識を何も知らない。開かれた 王家。~No.240 ㉘  
欧州諸王家。
2018-09-07
🔯66」─1─他国人に開かれた王家。フランス系スウェーデン王家。デンマークノルウェー王家。~No.244No.245No.246・ @ 
2019-08-13
🔯66」─2─開かれた王族。キング、クイーン、プリンス、プリンセスを返上する自由権利。~No.247No.248No.249・ ㉚ 
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
   ・   ・   ・   
 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
   ・   ・   ・   
 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
   ・   ・   ・   
 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
   ・   ・   ・   
 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
   ・   ・   ・   
 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
   ・   ・   ・   
 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
   ・   ・   ・    
 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩の物語、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
   ・   ・   ・   
 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
   ・   ・   ・   
 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
   ・   ・   ・   
 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
   ・   ・   ・   
 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
   ・   ・   ・   
 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
   ・   ・   ・   
 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
   ・   ・   ・   
 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
   ・   ・   ・    

✨42)─2─GHQによるハリウッド映画上映は洗脳教育の一環であった。~No.183 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族とは、単純でバカなのか、複雑で賢いのか。
 はっきり言える事は、現代日本人は自覚できない単純バカである。
   ・   ・   ・   
 2023年2月号 Hanada「エンドロールはまだ早い  なべおさみ
 第68回 ウィリアム・エリオット
 戦後、本当の戦後というものは、都会では昭和30年までの10年間ではなかろうか。昭和20年の夏からの時代を知る者が、いま現代を生きている〝戦後を知る者〟だと思う。
 ……
 そんな日本人にとって、戦後の最大の娯楽は映画でした。
 映画の果たした役割は、人々に夢や喜びを与え、萎(な)えた心を癒やすことでした。
 この役目は大きかったのです。
 現実に住むところも食うものも不十分だった終戦の翌年から、アメリカ映画が上映されるのです。その実現は実に早い。
 それに先駆けてGHQのマッカーサー元帥は、1945年10月2日、発足と同時に民間情報教育局ダイク局長に命じ、アメリカ映画上映の是非を占うべく、年の瀬に日比谷映画劇場で『ユーコンの叫び』をテスト上映させます。
 事前にGHQから指令を受けた方は慌てたでしょうね。なにしろ、8月に戦争が終わったといはいえ、4ヶ月も経ぬ間にアメリカ映画の上映ですよ。ちょっと前まで、敵国映画として上映できないでいたわけですから。
 『アメリカ映画で上映されていないストックはあるのか?』
 その筋からのお達しに、在庫を即答できた。
 『「ユーコンの叫び」です』
 1938年に輸入したまま上映できずにいた1930年作品だった。B級映画もいいところの、リパブリック映画のアラスカ活劇でした。
 敗戦からすぐ敵国映画上映
 この上映は強制されたうえでの公開です。
 『日本国民のアメリカ国家への反発はいかなるもおかを知る手立てになろ!』
 ダイク局長は、マッカーサーからそう言われていたのでしょう。これはマッカーサー自身がアメリカ政府からそう指令を受けていたのです。
 『日本国民に民主主義を植え付けるには、ハリウッドを使え!』
 ハリウッドとは映画のことです。
 つまり、アメリカ映画をどんどん上映して、アメリカ流の主義を根付かせろということでした。
 デモクラシーへの『洗脳』です。
 終戦のその12月6日、焼けなかった日比谷映画劇場で、『ユーコンの叫び』は3日間、テスト上映されました。
 考えてみてください。8月の何日でしたか、玉音放送は?茨城県の片田舎で『マツダ三球スーパー』のラジオを庭まで引っ張って、そこを取り囲んで聴いた人々が地面に泣き崩れるのを、いまでも思い出せます。
 それから4ヶ月も経たずに、敵国映画の上映です。もちろん日本人の怒りの現実の数々を記録すべく企画、、現実化したのでしょう。
・スクリーンに生卵が投げつけられた。
・暴漢が舞台上に駆け上がって野次った。『アメリカ映画を観る非国民ども!』
 新聞は報道した。『これぞ、〝ユーカンな叫び〟だ』と予測を。
 ところが、『クリビッテンギョウ・イタオドロ』だった(当時、巷{ちまた}で流行{はや}った『ビックリギョウテンオドロイタ』の造語)。
 こんなことは少しも起こらず、開場前から長蛇の列で、客は引きも切らず、とうとう3日の上映が一週間に延ばされたのです。
 これって、逆にマッカーサー元帥は怖くなってしまったのだと思います。アメリカ人的な考え方からすれば、こんなことはあり得ないはずですから。不気味です。
 どう考えたらいいのか判断できなかったのだと思います。そこで、マッカーサー元帥の取った行動はすごかいです。
 日比谷のGHQと、赤坂のアメリカ大使館の往復しかしなかったのです。行って帰って、それだけに徹底しました。ですから宿舎内に映写ルームをつくらせ、映画を観まくりました。軍命令で、ハリウッドで完成した映画が次々とアメリカ軍機で空輸されていたからです。
 ……
 こうした事実は、アメリカ政府の日本への懐柔政策をハリウッド映画が担(にな)っていた証(あかし)だと思えるのです。
 ですから、そのアメリカ映画を上映させるために、映画館の建設と補修、維持にはGHQは積極的に優遇をいただろうと想像できますね。日本の盛り場の復興は映画館から、と言っても過言ではありませんでした。
 私の小学校時代に全国的に映画館が普及し、国民最大の娯楽は映画となっていたのです。
 ……。
 馬の扱いが上手い役者
 その頃はわからなかったが、アメリカ映画の作品には大別すると二つの作品群があったのですね。
 一つは、きちんとした映画としての矜持(きょうじ)を守ってつくられている作品。もう一つは、とにかく映画館で上映するためにつくっている作品。後者を『プログラム・ピクチャー』と言います。二本立て興業の添え物的映画です。安く早くつくりあげるのが根底にあるのです。
 正直、安手(やすで)の映画です。
 ところが戦後の一時期に、この安手の西部劇がどれほど日本人の心を和(なご)ませたでしょう。愛され続けた『水戸黄門』や『銭形平次』のように、単純でわかりやすい『勧善懲悪』のストーリーで、肩が凝(こ)らない作品ばかりでした。
 私が映画を観始めた昭和25年は、アメリカ映画が130本も封切られました。このうち、西部劇は喜劇の西部劇も含めると20本を超えている。」
   ・   ・   ・   
 好書好日
 「敗戦とハリウッド」書評 米国映画浸透の歴史、多面的に
 評者: 吉岡桂子 / 朝⽇新聞掲載:2014年09月21日
 敗戦とハリウッド SCREENING ENLIGHTENMENT 占領下日本の文化再建
 著者:北村 洋
 出版社:名古屋大学出版会
 ジャンル:社会・時事・政治・行政
 ISBN: 9784815807757
 発売⽇:
 サイズ: 22cm/220,83p
 占領政策の一環としてハリウッド映画を利用したGHQとその到来を歓迎した日本人。両者の関係を多面的な交渉のプロセスと捉え、検閲・配給・宣伝をめぐる試行錯誤、ファン文化形成等… 
 敗戦とハリウッド―占領下日本の文化再建 [著]北村洋
 ハリウッド映画は、米国が第2次世界大戦で打ち負かした日本に、「良きアメリカ」を埋めこみ、そのパワーの傘下へと導く装置となった。
 本書は、戦勝国から押しつけられたともいえる映画が日本社会に歓迎され、浸透していった歴史を多面的につづる。事例として、ヒチコック監督の作品やゲーリー・クーパーエリザベス・テイラーらが出演した懐かしい作品が数多く登場する。映画好きにはとりわけ興味がそそられる占領の外交史であり、文化、社会史となっている。
 連合国軍による占領(1945〜52年)の約7年間で、ハリウッドが配給した長編映画は600本を超える。民主主義を教育し、啓蒙(けいもう)するため注意深く選ばれ、検閲された。たんなる娯楽を超えて、民主、人権や自由など米国が掲げる価値観を潜ませた。政界の腐敗に触れた作品は「見習うべき米国の民主主義が不当に描かれている」と上映が見送られたように。
 日本映画については、戦中の厳しい統制がとかれ、思想や芸術を表現する幅が格段に広がる。だが、あくまでも米国の検閲が前提である。原爆の描き方に強い注文がつき、封建を排する理由で時代劇には否定的だった。
 米国の政府、軍、映画産業の動機は、自らの利益にもとづく。しかし、日本の一部の文化人、ファンは米国の価値観を模範と感じて、すすんで普及に加わる。興行者は商機に突き動かされる。「映画の『消費』を通してアメリカの指揮下での日本再建を肯定する『感情の構造』」が形成されていく。ハリウッドと日本社会の化学反応が興味深い。
 著者は「親米的」社会が日本にうまれたメカニズムの解明を目的とし、是非は問うていない。ただ、通読すると、勝者と敗者という圧倒的な力の不均衡のもとに産み落とされた戦後の日米関係は、脈々と今につながっていることを思い知らされるのだ。
    ◇
 名古屋大学出版会・5184円/きたむら・ひろし 71年生まれ。米ウィリアム・アンド・メアリー大学准教授(歴史学)。
 吉岡桂子(ヨシオカケイコ)
 朝日新聞社編集委員
   ・   ・   ・   
 日本人は寛容と曖昧で「水に流す」民族であるが、中国人と朝鮮人は不寛容と厳格で「水に流さない」民族である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、「昨日の敵は今日の友」として、熾烈な殺し合いをし、原爆や絨毯無差別爆撃で罪もない数多くの女性や子供を虐殺したアメリカ人を友人・親友として復讐や報復など考えなかった。
 対して、満州南樺太で数十万人の女性や子供をいたぶって惨殺した中国人・中国共産党、ロシア人共産主義者ソ連、反天皇反日朝鮮人は許さなかった。
   ・   ・   ・   
 2013年12月18日 YAHOO!JAPANニュース「偽りの民主主義
 田中良紹ジャーナリスト
 浜野保樹著『偽りの民主主義』(角川書店)という本を読んでいる。敗戦後の日本の映画・演劇がGHQの指導の下で復興する過程を描いた本である。そこには「日本を民主化する」と称してアメリカが行った数々の「統制例」が書かれてある。
 日本の映画人たちは終戦の1か月後に集められ、「戦前の日本の検閲はすべて廃止し、民主化に協力するものに限って製作の再開を認める」というGHQの方針説明を受ける。その方針は演劇、浪花節、落語、漫才、講談にも適用された。
 GHQの担当官デイビッド・コンデは映画の素人だが、日本の映画界に絶対的な権力を振るうようになり、「検閲ではなくサジェスチョンだ」と言いながら事実上の事前検閲を行う。復讐劇が多い時代劇の制作を認めず、軍閥や財閥の横暴を暴き労働組合意識を高める映画を奨励した。また「キスは民主主義のシンボル」として映画にキスシーンの挿入を強要し、俳優に対する講習会まで開く。
 8月15日を日本人は「終戦」と思っていたがアメリカは違った。狂信的で好戦的な日本人を洗脳しなければ占領軍は日本人から襲われるという恐怖心からアメリカは心理作戦を継続する。それが映画や演劇に対する「統制」となる。コンデの指導の下に黒沢明の『わが青春に悔いなし』や木下恵介の『大曾根家の朝』、今井正の『民衆の敵』など「民主主義を扇動する」映画が作られた。
 戦後の日本でコンデが指導したのは映画だけではない。共産主義者であったコンデは労働組合の結成にも力を入れた。大映東宝労働組合が生まれ、それが後に米軍まで出動した東宝の大争議へとつながる。労働組合を作らせたのもアメリカなら後に争議を弾圧したのもアメリカであった。
 コンデはGHQの民政局に所属したが、冷戦が始まると民政局は反共主義者のウィロビー率いる参謀二部と対立する。1946年、コンデは天皇戦争犯罪を問う映画『日本の悲劇』を作らせたことから役職を解任された。アメリカは戦時中から天皇を中心とした傀儡政権を日本に打ち立てる方針を持っていたためである。『日本の悲劇』はフィルムのネガもポジもすべて没収された。
 日本人の洗脳を遂行するGHQは、占領当初は日本にアメリカ映画だけを輸入させる方針でいた。しかしヨーロッパ映画の輸入も認めざるを得なくなると、連合国側の映画は認めたが、ドイツなど敵側の映画は禁止した。
 そしてGHQはイギリスやフランスよりアメリカ映画が圧倒的に多く輸入される割当制を公布し、民主主義を広めると称して日本国内の映画館や劇場を接収し、映画だけでなく音楽や演劇の市場も占有しようとした。
 「貿易は映画に続く」というのがGHQの方針であった。映画によってアメリカへの憧れを生み出し、アメリカの生活様式を普及させれば、アメリカ製品が売れるという考えである。映画で見たウェディング・ドレスを着るためキリスト教徒でもない日本人が教会で結婚式を挙げ、映画で見たクリスマスを日本人が祝うようになった。
 日本は敗戦によって表現の自由が回復されたと思わせられたが、しかし占領の現実そのものを映画で表現する事は厳しく規制された。占領政策の妨害になるという理由で焼け跡の風景や横文字の標識、進駐軍施設を撮影することなどは許されなかった。
 日本が独立すると日本の映画人は占領期に作れなかった映画を作ろうとする。原爆投下を扱った『長崎の鐘』や『原爆の子』、基地問題を扱った『混血児』や『赤線基地』などが作られたが、谷口千吉が監督した東宝映画『赤線基地』はアメリカの圧力によって公開が中止される。日本映画界は60年安保後に今村昌平が『豚と軍艦』を撮るまで米軍基地を自由に描く事が出来なかった。
 1951年に日米安保条約が締結されると、ハリウッドはずるがしこい悪役という日本人のイメージを好転させなければならなくなる。そこで「日本女性とアメリカ人男性のロマンス」映画が次々に作られる。京マチ子ナンシー梅木らが出演した『八月十五夜の茶屋』や『サヨナラ』などは、しかしいずれも日本人には受け入れがたい異国情緒に塗り固められていた。
 こうした戦後の日本映画史を見てくると、民主主義を巡る日本とアメリカの関係は今も変わらないと思えてくる。一方にリベラルな民主主義を押し付けるアメリカがあり、もう一方にタカ派的な民主主義を押し付けるアメリカがある。その主張はまるで違うのだが、しかし両方とも目的は一つでそれはアメリカの国益を狙っている。
 アメリカは時と場合でどちらが有利になるかによってそれを使い分けてくる。ところが日本はどちらかを正義と考える二つのグループに分かれて対立するのである。GHQから追放されたコンデが日本に舞い戻り、社会党の機関誌に連載していた事実などを知ると、戦後の保革対立にはアメリカの影を感ずるが、冷戦が終わってからもその構図は変わらない。
 冷戦が終わる頃、アメリカの敵はソ連でも中国でもなく日本経済だった。その頃ワシントンで日本問題の専門家として活躍したロナルド・モース教授は私にこう言った。「地球上でアメリカと異質な国は日本、北朝鮮キューバの3つだ」。思わず「ソ連と中国は違うのか」と聞き返したが彼はかぶりを振った。
 日本の総理が「日本とアメリカは価値観を共有している」と発言するとき、私は言いようのない違和感を感ずる。アメリカはそう言わせる事が利益になると思えばそうするが、そうでないと思えば言わせないようにするだけの話である。
 終戦の日ニューヨーク・タイムズ紙には日本という怪獣の牙を抜く米兵の漫画が掲載され、「怪獣は死んでいないので牙を抜く作業は永遠に続けなければならない」と書かれてあったと言う。日本人は終戦によって戦争は終わったと考えているが、アメリカの対日戦争はまだ終わっていないのである。
 記事に関する報告
 田中良紹
 ジャーナリスト
 1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:1月29日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治動向を講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。現在令和5年12月までの会員を募集中です。
   ・   ・   ・   

⛩100)─1─軍神・乃木神社初詣は軍国主義を崇拝するもの。炎上問題。~No.221No.222No.223 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 リベラル左派全体主義者=反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人達。
   ・   ・   ・   
 2023年1月4日 MicrosoftStartニュース スポニチアネックス「立民・泉代表、初詣めぐる“炎上”に苦言「息苦しい」「初詣に行くと軍人崇拝なのですか?」
スポーツニッポン新聞社 の意見
 立憲民主党泉健太代表(48)が4日、自身のツイッターを更新。初詣の投稿が“炎上”したことについて、苦言を呈した。
 泉健太
 © (C) スポーツニッポン新聞社
 泉代表は1日、「新年明けましておめでとうございます。2023年(令和5年)本年も、皆様どうぞよろしくお願いいたします」と、新年のあいさつとともに、東京・赤坂にある乃木神社を参拝した写真を投稿。この投稿が「軍人を神と崇める行為」「立憲民主党は戦前回帰で軍国主義に傾倒ですか?」などとさまざまな意見も寄せられた。
 これらの声に、泉代表は「何だか息苦しいですね…」と吐露。「今年は幾つかの寺社を詣でましたが、近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが“軍人を神と崇める行為”とされるとは…。武人や軍人を祭神にしている神社は全国に多数あります。初詣に行くと軍人崇拝なのですか?」と疑問を投げかけた。」
   ・   ・   ・   
 1月4日 MicrosoftStartニュース 東スポWEB「立憲・泉健太代表が憤慨 乃木神社参拝に「軍国主義者ではない」
 立憲民主党泉健太代表が4日、ツイッターを更新。正月早々、炎上した件について言及した。
 立憲民主党泉健太代表
 © 東スポWEB
 京都3区が地元の泉氏は1日のツイートで乃木神社の写真を添付していた。初詣の報告と思われるが、乃木神社が明治時代の陸軍大将、乃木希典をまつった神社だけに「軍神賛美はダメです」「なぜ乃木神社なのですか」と批判的な書き込みが殺到していた。
 泉氏が訪れた乃木神社京都市伏見区にあるものだと思われる。批判に対して泉氏は「近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが『軍人を神と崇める行為』とされるとは…」と困惑のツイートをしていた。
 さらに、「私は過去の歴史に学ぶし、教訓にもする。乃木神社創建の経緯もある程度は知っている。でも当然だが、軍国主義者ではない。本当に失礼な話」と憤慨した。
 それでも批判の書き込みは続いている。」
   ・   ・   ・   
 現代日本人は昔の日本人とは、別人のような日本人はいない。
 現代日本人は、武士の子孫でもなければ、百姓とも縁がない。
   ・   ・   ・   
 軍神である乃木希典東郷平八郎は、中国や韓国・北朝鮮以外の多くの国にとっては歴史的な偉大な功績を英雄である。
 反日知日の中国人、韓国人、朝鮮人そして反天皇反民族反日的日本人達にとって、世界で賞賛される乃木希典東郷平八郎は嫌いであり、消滅すべき英霊である。 
   ・   ・   ・   
 1月5日16:55 YAHOO!JAPANニュース J-CASTニュース「立憲・泉代表、乃木神社参拝めぐる「軍国主義者」批判に怒り 「本当に失礼」「そうした考えの方がよっぽど危険」
 立憲民主党泉健太代表は2021年の代表就任以来「ウイングを伸ばす」といった言葉を繰り返してきた
 国会議員が年末年始に神社回りをすることは珍しくないが、立憲民主党泉健太代表の年賀ツイートが波紋を広げている。訪れたのが陸軍大将の乃木希典を祭ったことで知られる乃木神社で、それを「軍人を神と崇める行為」だとして批判する声が出たためだ。
 【画像】泉代表のツイート
 参拝で支持者を失う、という指摘がある一方で、泉氏は「近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが『軍人を神と崇める行為』とされるとは...」などと反論している。
■前川氏「これにより失う支持者は、得られる支持者より多いだろう」
 問題とされたツイートは、年が明けた直後の2023年1月1日0時4分、
 「新年明けましておめでとうございます。2023年(令和5年)本年も、皆様どうぞよろしくお願いいたします」
 というメッセージとともに、「令和五年 乃木神社御鎮座百年」の文字が入った立て看板の写真つきで投稿された。全国各地にある乃木神社のうち、東京都港区の乃木神社は1923年に鎮座祭が行われ、2023年に100周年を迎える。ツイートの写真は東京で撮影されたとみられる。泉氏の選挙区の京都3区にも乃木神社京都市伏見区)があるが、創建は1916年だ。
 なお、泉氏は2020年10月、赤い鳥居をバックに
 「おはようございます!ここは東京の乃木神社のお稲荷さん。京都伏見にも乃木神社伏見稲荷があるので親近感が湧きます」
 と投稿しており、乃木神社訪問を特段問題視する様子はうかがえない。
 逆に問題視したのが前川喜平・元文部科学事務次官だ。23年1月3日、泉氏の年賀ツイートを引用して
 「明治天皇に殉死した長州閥の軍人を神と崇める行為」
 だと批判し、
 「無自覚なのか意図的なのか知らないが、これにより失う支持者は、得られる支持者より多いだろう」
 と主張した。
 党大会あいさつでは「コアを固めながら中道の立ち位置までウイングを伸ばす」
 それぞれのツイートの返信には賛否の声が入り乱れており、様々な支持層との距離感が問われる局面だと言えそうだ。泉氏は21年の代表就任以来、「ウイングを広げる」「ウイングを伸ばす」という言葉をたびたび口にしてきた。例えば22年2月の定期党大会では
 「これまでの支持層を大切にしながら『コアを固めながら中道の立ち位置までウイングを伸ばす』この取り組みを進めていきましょう」
 「立憲民主党こそがリベラルと中道の旗手となっていこうではありませんか」
 などとあいさつしている。
 22年の臨時国会では、立憲と維新は8項目の政策分野について連携し、旧統一教会をめぐる被害者救済法など、一定の成果をあげた。これを「ウイングを伸ばす」活動の一環だと受け止める向きもある。
 一方の前川氏は「右傾化を深く憂慮する一市民」を掲げる。「コア」に近い左の立場からは、乃木神社参拝が支持者離れにつながると映ったようだ。前川氏の批判に対して泉氏は、
 「何だか息苦しいですね...。今年は幾つかの寺社を詣でましたが、近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが『軍人を神と崇める行為』とされるとは...」
 と反論。別のツイッター利用者からの批判の声には、次のようにやり返した。
 「『乃木神社に参拝したら軍国主義に追従すると批判されても仕方ない』とか、もう酷いもんだ。そうした考えの方がよっぽど危険。私は過去の歴史に学ぶし、教訓にもする。乃木神社創建の経緯もある程度は知っている。でも当然だが、軍国主義者ではない。本当に失礼な話」
 逢坂誠二代表代行も12月31日、写真つきで
 「令和4年の大晦日、函館乃木神社で大祓式と除夜祭に出席しました」
 とツイート。支持者とみられる人から批判が出始めている。
 泉氏は1月4日に訪問先の三重県伊勢市で開いた記者会見で、今後の維新との関係について問われ、臨時国会での連携が
 「国会論戦のための共闘、国民の生活向上のための共闘」
 だったとして、23年1月下旬に召集される通常国会について
 「維新を先頭にというか、他の野党に対して立憲民主党から呼びかけをしていきたい
 「政策的な連携というのは今回もいろいろと国会前から協議をしていきたい」
 などと話した。
 (J-CASTニュース編集部 工藤博司)
   ・   ・   ・   
 1月5日22:19 YAHOO!JAPANニュース 日刊スポーツ「立民・泉代表、乃木神社初詣の「炎上」問題に言及「軍国主義を崇拝するものではない」戸惑う様子
 立憲民主党泉健太代表(2022年10月21日撮影)
 立憲民主党泉健太代表は5日夜、BSフジの報道番組「プライムニュース」に出演した。
 1月1日の自身のツイッターに、陸軍大将の乃木希典をまつった東京・赤坂の乃木神社を初詣に訪れたことを記したところ、“炎上”している問題について言及した。
 泉氏は1月4日、乃木神社への初詣のツイート内容に「軍人を神と崇める行為」などと指摘されたことを受けて「何だか息苦しいですね…。今年は幾つかの神社を詣でましたが、近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが「軍人を神と崇める行為」とされるとは…。(略)初詣に行くと軍人崇拝なのですか?」などとつづった。ほかにも、批判のツイートに反論するなどしている。
 番組に出演した泉氏は「多くの方に(ツイートを)ご覧いただき、ありがとうございます」とした上で、「初詣の際に、何が祭神かをことさら気にして参拝する人ばかりではない」と強調。「乃木神社に行ったから乃木希典を崇拝し、その足跡と同じような政治的主張を述べたいと言っているわけではないですよと、言っているだけの話。あまりレッテルをはるべきではない」と訴えた。
 泉氏は、住んでいる議員宿舎の近くに乃木神社があることや、京都の選挙区(京都3区)にも乃木神社があり戦没者慰霊祭などに足を運んでいると明かし、自身にとってはなじみの神社であることをにじませた。
 司会の反町理氏に「(批判のツイートに)反応しなければいいのではないか」と指摘されると、「あくまで、普通の初詣。自然体に近所の神社の1つにお参りをしただけで、軍国主義を崇拝するものではない。落ち着いて見ていくべきではないか」と、炎上騒動に戸惑う様子をみせた。
 その上で、「こういうことを不安に思う人が相当多くなっているのも事実だ。岸田さんが国会を閉じた後に防衛費43兆円というところに踏み込んだことで、世の中に平和に対して案ずる気持ちを持つ人が増えている」と述べつつ「ただ、その気持ちも、行き過ぎはいけない」とも訴えた。
   ・   ・   ・    
 1月6日19:23 YAHOO!JAPANニュース J-CASTニュース「立憲・泉氏、乃木神社参拝での「軍国主義」批判に猛反論 「レッテルを貼るべきではない」
 立憲民主党泉健太代表。乃木神社参拝をめぐる年賀ツイートが波紋を広げている(2021年撮影)
 立憲民主党泉健太代表が2023年1月5日夜に出演した「プライムニュース」(BSフジ)で、乃木神社参拝に批判が出ていることについて「一般的にいろんな寺社を詣でることはよくある話」だとして、参拝に問題はないとの考えを改めて示した。
 さらに、全国に武人や軍人を祭った神社は多数あるとして、「あまりそういうところにレッテルを貼るべきではないと思う」とも。自らの立ち位置を「愛国リベラル」「愛国左派」だと表現し、「このツイートを契機にして軍拡が進むなんていう話は絶対ありえない」と強調した。
■「あまりそういうところにレッテルを貼るべきではないと思う」
 泉氏は、
 「初詣とか一般に参拝をするときに、何が祭神か、何を祭っているかということを、ことさらに気にして参拝する人ばかりではないわけで、一般的にいろんな寺社を詣でることはよくある話」だとして、乃木神社参拝も「その一連の普通の流れの中での行動」だと説明。その上で、乃木神社軍国主義をリンクさせるべきではないとした。
 「乃木神社に行ったから乃木希典を崇拝して、その足跡と同じような自分の政治的主張を述べたいと、そういうことを言っているわけではない」
 「全国に武人とか軍人を祭神としたお宮さんはいっぱいあるわけだから、あまりそういうところにレッテルを貼るべきではないと思う」
 さらに、商売繁盛の御利益で知られる伏見稲荷大社京都市伏見区)や赤穂浪士を祭った大石神社(京都市山科区)を挙げ、
 「その方がエコノミックアニマルかというと、そんなことはない」
 「そこにお参りする人は討ち入り主義者なのかと。そんなわけはない」
 などと話した。
 「かつての軍人などからも学ぶことは数多くある」
 東京や京都にある乃木神社で行われた戦没者慰霊祭への参列は「この20年の間に何回もあること」だとして、
 「乃木神社が過去の軍国主義に戻ろうとしていることはまったくないと思う」
 とも述べた。
 乃木希典については「軍人としては偉くはなったが、息子2人も前戦で戦死しているし、若い頃には失敗もしている」。当時うたわれた「忠義」のような考え方は「今の時代にはそぐわないかもしれない」とする一方で、次のように述べた。
 「苦労というか、さまざまな悲哀を受けて人生を終えてきたということは、いろいろな学びにもなる。やはり、息子2人を戦死させたことの苦しみや悲しみ、だからこそ戦争は起こしてはならないという今の時代なりの教訓、いろいろなものがある。かつての軍人などからも学ぶことは数多くあるという目線で、歴史もよく見ていくべきだと思う」
 司会の反町理氏が、今回のツイートを機に立ち位置が明確になったことを指摘すると、泉氏は、自らを「愛国左派」だと表現し、
 「戦争で亡くなられた方を弔うことは軍国主義ではないし、好戦的でもない。私は国を愛している『愛国』だが、平和主義者だしリベラルだし、そういう『愛国リベラル』『愛国左派』だって、いていい。『愛国民主』もいていい。私はだからと言って、このツイートを契機にして軍拡が進むなんていう話は絶対ありえない」
 などと持論を展開した。ただ、臨時国会閉会後に安保関連3文書が閣議決定されたことを念頭に
 「こういうことを不安に思う人が相当多くなっているのも事実」
 とも述べた。
 (J-CASTニュース編集部 工藤博司)
   ・   ・   ・   

 2021年8月26日 YAHOO!JAPANニュース J-CASTニュース「中国メディア、「乃木坂46」に突如噛みつく 歴史問題めぐり「筋違い」批判
 乃木神社(東京都港区)を訪問した中国人俳優が非難された問題に便乗する形で、中国共産党系の「環球時報」が日本のアイドルグループ乃木坂46を、やり玉にあげている。
 記事では、騒動をきっかけに「各種の戦犯を祀った神社がいまだに多く存在する」ことに警戒を呼びかけており、そのうちのひとつとして乃木神社が登場。陸軍大将の乃木希典を祭った神社で、記事では「日本の女性アイドルグループである『乃木坂46』の名前も、乃木希典にちなんだものであることは注目に値する」と主張している。
 アイドルグループを歴史問題と結びつけた格好だが、このグループ名は最終オーディションが行われた建物「SME乃木坂ビル」(当時)に由来する。
 東京都港区赤坂にある乃木神社。中国人俳優が同神社で行われた結婚式に出席したとして強い批判を受けた
 2019年の乃木神社訪問が批判浴びる
 そもそもの発端は、中国人俳優の張哲瀚(チャン・ジャーハン)さん(30)が、19年に乃木神社で行われた友人の結婚式に出席したことだ。当時の写真や、過去に靖国神社で撮った写真が21年8月になって中国のネット上で拡散され、批判が殺到。張さんは
 「私は無知な自分を恥じ、これまでの不適切な行動を深く謝罪します」
 「私は親日家ではありません、中国人です! 」
 などとする声明を出したが、人民日報は
 「公的人物として、このように一般的な歴史の知識がなく、民族の苦難に無自覚であることは許されない」
 といった記事を掲載して批判を展開。微博(ウェイボー)をはじめとする各種SNSの公式アカウントを削除されるなど、芸能人としてきわめて厳しい局面に立たされている。
 環球時報の記事は、この件に便乗する形で「ご用心!日本で戦犯を祖先として祀っている神社は他にもある」と題して8月25日にウェブサイトに掲載された。張さんの件に言及しながら、
 「中国の世論は、こうした人気者の悪行を批判することに集中しているが、日本にはいまだに様々な戦犯を祀る神社があり、軍国主義の亡霊が浮かんでいるという事実にも警戒すべきだ」
 と主張。東京裁判で死刑判決を受けて処刑された7人の軍人・政治家を祀った興亜観音(静岡県熱海市)に言及し、
 「日本には、興亜観音のようなA級戦犯が祀られている場所のほかに、特定の軍国主義者を祀った神社が数多くある。 その中でも有名なのが、乃木神社と児玉神社だ」
と続けた。乃木希典は旅順を苦戦の末に攻略し、日露戦争勝利に導いたことで知られるが、環球時報の記事によると「悪名高い軍人」で、「日清戦争日露戦争には、それぞれ旅団長、軍司令官として参加した。日清戦争後は第3代台湾総督を務めた、残虐な人物。 特に日清戦争では、悲惨な旅順の大虐殺に関わった」。神社については、次のように解説した。
 「そんな血まみれの処刑人が、生前に対外侵略・拡大政策を忠実に実行していたことから、死後、日本の軍国主義者に『軍神』として崇められ、乃木神社は日本の軍国主義の重要なシンボルとなった」
 グループ名は「乃木希典」ではなく「SME乃木坂ビル」にちなんだもの
 こういった記述の後に、唐突に乃木坂46は登場する。
 「日本の女性アイドルグループである『乃木坂46』の名前も、乃木希典にちなんだものであることは注目に値する。 日本人は元旦に神社に参拝して幸運を祈る習慣があるが、乃木坂46の初詣とグループメンバーの成人式は、東京都港区赤坂にある乃木神社で毎年行われている」
 乃木坂46のメンバーが初詣と成人式で乃木神社を参拝するのは事実だが、グループ名が「乃木希典にちなんだもの」だという主張は正確ではない。グループ名は最終オーディション会場が乃木坂にある「SME乃木坂ビル」(現・ジャニーズ事務所本社)だったことに由来する。
 今の乃木坂は、かつては「幽霊坂」や「行合坂」(ゆきあいざか)と呼ばれていたが、乃木希典の死を悼んで当時の赤坂区議会が改名を決議したという経緯がある。
 乃木坂46は中国でも広く認知されており、微博の公式アカウントのフォロワー(登録者)は311万人もいる。18年9月には、日中平和友好条約締結40周年を記念したコンサートに出演している。
 (J-CASTニュース編集部 工藤博司)」
   ・   ・   ・   

💄2)─1─男尊女卑は日本古来の伝統ではなかった。日本の最高神は女性神・天照大神。~No.2 * 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族神話における最上位神は太陽神である女性神で、天皇家・皇室の祖先神である。
   ・   ・   ・   
 日本に男尊女卑・家父長主義を持ち込んだのは、海の外から渡来した男性中心主義の仏教、儒教キリスト教マルクス主義共産主義)であった。
   ・   ・   ・   
 2022年11月3日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「「男尊女卑は日本古来の伝統ではありません」ワンオペ育児を正当化して女性の負担を増やした日本人男性の“罪深すぎる誤解”
 『女性の覚悟』より
 坂東 眞理子
 昭和女子大学の理事長・総長で、300万部のベストセラー『女性の品格』の著者である坂東眞理子氏。そんな坂東氏が2022年6月30日に新著『女性の覚悟』(主婦の友社)を上梓した。
 坂東氏は同書の中で「人生100年時代に50歳前後の女性がどう生きるのか。その大前提はひとりひとりの女性が『覚悟』を持つこと」としている。自分の人生に責任を持ち、1日1日を丁寧に暮らすことが、「覚悟」を持つことにつながるそうだ。
 ここからは、『女性の覚悟』からさらに一部を抜粋してお届けする。(全4回の3回目/2回目から続く)
 ©️iStock.com
 この記事の画像(2枚)
 ◆ ◆ ◆ 
 1975年の「固定的性別役割分担が諸悪の根源」という国連の言葉
 1975年は国連が国際婦人年と定め、メキシコで第1回の世界婦人会議が開催され、世界行動計画が採択されました。その中で「男は仕事、女は家庭」「男は外、女は内」のように性別で役割を固定的に考える「固定的性別役割分担が諸悪の根源」という言葉を聞いたとき、私は大きな感銘を受けました。
 それまで男性と女性は生まれつき体力・体格の差、性格・適性の差があり、女性が男性より劣った存在として扱われるのは仕方がないことかと半ばあきらめていたからです。多くの宗教は男尊女卑の儒教だけでなく、イスラム教もキリスト教も男性の優越を前提としていました。
 私自身は「女らしくない」し、普通の女の子よりは体力もあるし勉強もできるけれど、それは学校の中だけ。社会に出たら女性だから男性のようには活躍できないと思い込んでいました。
 しかしその原因は個人の能力の差というより、社会的な役割分担の影響なのだ。生まれつきの生物的な差より、私たちは後天的に社会的役割を刷り込まれ、女性に仕事や社会的活動では機会が与えられてないことから差がもたらされるのだ。自分たちを「第2の性」として男性より劣った存在だと思っていてはいけないのだという思いに国連が大きく後押ししてくれたと勇気づけられたものです。自分のもやもやした思いに「言葉」が与えられたことによって、課題が明確になりました。
男尊女卑は日本古来の伝統という誤解
 私は歴史が好きですが歴史上の人物として活躍するのはほとんど男性、historyはhis story だったのですが、その内実は、世界各地域で少しずつ違います。
 日本では女性たちの影響力が他の父権的社会より強かったのです。太陽神が女性で最高神というのも欧米や中国の文化では見られず、日本は父系社会でもなければ母系社会でもない。父母双系の社会で、父は地位や職業、母親は家族の生産活動や結婚や後継者決定に大きな影響を持ち、家や土地は母親から娘に相続されました。
 中国からもたらされた儒教の男尊女卑の考え方が武士の社会では一般的になった後も、町人や農民の間では女性たちは相続権や財産権を持ち、狂言でも落語でもおかみさんは強く、家業を支えていました。それを知る中で、私の考え方は変化してきました。
 しかし多くの日本人は、男尊女卑は日本古来の伝統と誤解しています。皇室典範の男系の男子という考え方も戸籍制度も夫婦同姓も明治以降の制度です。古来の伝統ではありません。
 今でも日本に色濃く残る「性別役割分担」
 強固に見えた性別役割分担の慣習も40年たつと少しは変わってきています。1978年から学習指導要領が改められ、男性も家庭科を履修するようになった影響という人もいます。若い男性が少し子育てや家事(主に料理)に携わるようになりました。私の世代では保育所の送り迎えは女性、母親の仕事でした。祖父母は手伝ってくれましたが、父親は長時間労働だったということもあり、全く手伝わず、たまにお迎えに父親が来ると珍しがられ、ほめそやされました。
 しかし今では昭和女子大学附属こども園では朝の送りは父親が半分近く、夕方のお迎えにも父親がかなり参加しています。若い共働きの家庭では父親が保育、子育てを分担するのが当たり前になってきたようです。
 それでもまだ日本の父親・夫たちは他の先進国と比べて性別役割分担が色濃く残っています。スウェーデンアメリカなどでも女性のほうが男性より育児に割く時間は長いのですが、その差は日本ほど大きくはありません。6歳未満の子供を持つカップルで父親の家事・育児参加は、他の国ではおおよそ3対2というところが日本では5対1にすぎません。
 だからワンオペ(ワンオペレーションの略)育児といわれるように母親1人が育児を背負い込んでいるのです。それを正当化しているのが男性の長時間労働や職場外の「付き合い」でした。それは日本の経済成長率をさせている慣習でしたが、働き方改革やコロナ対応の在宅勤務の広がりで変わり始めようとしています。
 女性の負担感を高める微妙な習慣
 育児以外の家事も女性の負担となっています。まとまった時間やエネルギーがいるわけではありませんが、こまごまとした家事――ゴミの分別、布団やベッドの後片づけ、宅急便の受け取り、市役所への届出、書類処理、洗濯物取り込みや仕分けなどなど、誰かがやらなければならないのでつい女性が抱え込んでしまう「名もなき家事」の数々。
 男性にはそうした家事は女性の仕事、お金を稼いでいる自分は家庭では「ご主人様」、「お客様」の気分で、サービスされるのが当然と考える意識がまだ残っています。そうした気くばりや世話ができる女性が「女子力」があるとして評価されています。こうした微妙な習慣が女性の負担感を高め、新しい分野へのチャレンジを妨げてきました。
 男性は仕事だけをしていればよい、家庭は女性の責任という役割分担は20世紀の後半の専業主婦が多い時期にはそれなりに機能したでしょうが、共働き家庭が多数を占める現在ではもう維持できません。少子化はその結果です。
 ©️iStock.com
 人生の責任者になるという覚悟が足りなかった日本の女性
 女性の社会進出が進んで、女性が経済的責任を分担しているにもかかわらず、家事も育児も介護も妻が主で夫は手伝いだけ。お互いの責任として分担するのが当たり前にはなってはいません。これが女性の晩婚化、非婚化を生み、少子化の大きな原因になっています。女性にとって職場で男性と同じように働き、そのうえ、家事育児を抱え込むのは、重いリュックを背負って男性と100メートル競走をしろと言われるようなものです。
 ヨーロッパでもアメリカでも女性が職業につき、経済的負担を分担し始めたときに女性たちは男性に家事を分担するように要求しました。しかし日本ではその要求が十分でなかったことが、企業や社会の古い体制を温存しました。なぜ他の国の男性は変わったのに日本の男性は変わらなかったのでしょうか。
 男性が職場の長時間労働で疲れ果てて全く余力がなかった(ゴルフや付き合いの時間はあるようです)からだけでしょうか。日本の女性が有能で、男性がすべき仕事をみんな抱え込んだからでしょうか。いろんな理由はありますが、私は女性自身がアンコンシャスバイアスにとらわれて「仕方がない」とあきらめていたことが大きな原因と思います。女性たちが自分の力に自信がなく人生の責任者になるという覚悟がなかったので、働きかけが弱かったことは確かです。(#4に続く)」
   ・   ・   ・   
 11月3日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「40年前の“古すぎる結婚観”を引きずり「子供が生まれると昔の父親像に戻る」男性も…令和の女性が見極めるべき“結婚相手の資質”
 『女性の覚悟』より #4
 坂東 眞理子
 昭和女子大学の理事長・総長で、300万部のベストセラー『女性の品格』の著者である坂東眞理子氏。そんな坂東氏が2022年6月30日に新著『女性の覚悟』(主婦の友社)を上梓した。
 坂東氏は同書の中で「人生100年時代に50歳前後の女性がどう生きるのか。その大前提はひとりひとりの女性が『覚悟』を持つこと」としている。自分の人生に責任を持ち、1日1日を丁寧に暮らすことが、「覚悟」を持つことにつながるそうだ。
 ここからは、『女性の覚悟』からさらに一部を抜粋してお届けする。(全4回の4回目/3回目から続く)
 ◆ ◆ ◆ 
 結婚してもしなくても、長期的な経済的安定が不可欠
 40年前と異なり女性にとって結婚の目的も重要性も大きく変わりました。
 いつの時代も、人生が始まったころの10代の少女の多くは将来素敵な人と出会い、温かい家庭を築き、かわいい子供を育てたいと、夢見ます。でもだんだん成長するとともに、自分は異性にとって魅力的かどうかわからない、「素敵な」男性はそんなにはいない、そしてそういう人に出会えるかどうか、その人と付き合えるか結婚まで到達できるかどうかは「運」によるということがわかってきます。
 お見合い結婚が当たり前だったころは、家柄・財産、家族の状況、本人の育ち、性質などよくわかった人が「つり合いのとれた」相手を紹介してくれました。しかし今は自分で探し相手と合意しなければなりません。インターネットで結婚相手を探す人もいます。
 素晴らしい人と結婚できる例もある一方で、とんでもない人と結婚し、後悔する例も多数あります。リアルに出会った場合も若くて経験の少ない時期の恋は盲目で、結婚した相手がどんな人か、将来どうなるかわかるはずがありません。結婚は生涯をかけた大ギャンブルです。
 ©️iStock.com
 この記事の画像(2枚)
 思いがけない当たりくじに当たるか、外れくじをつかむか。まさに運次第です。おとぎ話のように「性格のよい美しい女の子」が素敵な王子様と結婚できるとは限りません。現実には性格の悪い、悪賢い女性が素晴らしい男性と結婚し、素晴らしい女性が悪い男性にひっかかることも珍しくありません。
 異性の魅力については小説や文学のほうが雄弁に語っていますし、いろんな恋があり、いろんな結婚があるのが人間の面白いところですからこの本では深入りしないことにします。これからの時代は、女性が自分がなすべきこと、今できることを続けている途中でよい出会いがあればラッキーだけれど、出会いがなくても仕方ない、1人でも生きていけると覚悟する必要があるのではないかと思います。それは失敗でも不幸なことでもありません。
 しかしそのためには女性も長期的に経済的に安定した基盤を持つことが必要不可欠です。よい人と結婚し、養ってもらえるまでの短期間だからと気楽に考えて、不安定な仕事についてはいけません。
 現実には「つり合わない結婚」はあまりない
 この社会で生きている大多数の男性は大多数の女性同様「特別の才能や特別に優れた人格でない」そこそこの普通の人です。よいところもあるけれど欠点もあります。そして自分も長所だけでなく短所もある「人間」です。「この人でいいのだ」とお互いに納得して結婚するのが「両性の合意」に基づく結婚です。
 私がデビュー作の『女性は挑戦する』を書いたころは、女性自身が社会で活躍する選択肢はとても限られていたので、将来の所得、社会的地位も男性(夫)次第でした。古いジョークですが、「高校の同級生が20年後に巡り合いました。成績の悪かったかわいい女の子は社長夫人になっており、クラスで一番成績がよくて頑張った女の子はその会社の事務員でした」というケースはあり得る話でした。
 現実には多くの調査の示すところによれば結婚は同類婚といわれるような似た者同士の割合が高いようです。学歴も出身階層も同じような場合が多く、現実には「玉の輿」も「逆玉の輿」も少ないのです。
 最近の調査でも女性は大学に進学したグループの生涯所得が高い、これは大学進学した女性は生涯所得の高い高学歴男性と結婚する割合が高くなるからだ、とされています。いわゆるつり合わない結婚は皆の関心を引き印象深くて話題になるのですが数は少ないのです。
 昔は「悪い結婚」でも結婚しないよりよかった
 私が昭和女子大学で卒業生の就職に力を入れようとしたときに「女子学生にとって就職はそんなに重要ですかね? どうせ2、3年でやめるのだし、それより永久就職が大事ですよ」と大まじめで言うお年を召した男性の教授もいらっしゃいました。昔はそうだったでしょうが現実は変わっています。
 お互いがお互いを大事に思い、お互いが助け合う、そうしたいい結婚が女性にとっても男性にとっても人生の喜び、幸福の源であるのはどんな時代になろうと変わらぬ真実です。もちろんそれは出会いの際の「条件」だけで決まるのではなく結婚してから2人でつくり上げるものです。
 この40年の間に大きく変わったのは「悪い結婚」に対する考え方です。40年前は夫が暴力をふるう、浮気や婚外恋愛をする、妻の能力や仕事をバカにする、育児や介護を妻に押しつける、そうした「悪い結婚」であっても夫が経済的な扶養責任を果たしていれば、妻は我慢して結婚すべきだと考える人が多数派でした。
 ましてや相手が自分を理解してくれない、十分に愛してくれないから離婚するなんて「わがまま」とされていました。夫が家事育児を妻に押しつけていて分担しなくても「当然」でした。そうした「悪い結婚」でも結婚しないよりよい、離婚よりよいというのが常識でした。
 離婚したら女性は食べていけないでしょう、子供を養う力がないでしょう、だからどんなひどい夫であっても妻は忍耐すべきだ、と親も周囲も考えていました。妻から離婚を要求するのは、夫が犯罪を犯した、ギャンブルで借金をつくった、などよくよくの場合だけ。よその女性と浮気をしても目くじらたてず自分のもとに帰ってくるのを待つ妻が「できた妻」とされていました。
 離婚した後の女性の生活は
 今では離婚は婚姻数の約3分の1、決して珍しいことではなくなりました。妻の側が悪い結婚に我慢しなくなってはいるからです。一方、夫の側は扶養義務を果たせばよいと昔の結婚観を引きずっているケースも多く、その差が離婚に結びつきがちです。
 女性に忍耐力がなくなったから、わがままになったからといわれますが、私は男性が社会の変化、女性の変化に十分追いついていないのが大きな原因だと思います。男性も変化を認識し、結婚観を変えなければなりません。多いのは結婚するまで、子供が生まれるまでは女性の仕事を理解し、支援しているけれど、子供が生まれると昔の父親像に戻る例です。
 離婚後の親権は妻、母親がとることが多いのですが、妻がしっかりとした仕事を持たないでパート、アルバイトなどの低収入の仕事についているケースが多いので母子家庭に多くの問題を生んでいます。母子家庭の母親の所得は平均220万円で標準世帯の約3分の1です。夫からの養育費はとても少ないか払われないことが多く、マンションなど住居も夫の名義になっていることが多いのです。
 子供の貧困が話題になっていますが、その大半は母子家庭の母親の貧困がもたらしたものです。離婚しても自分と子供が暮らしていける収入を確保する、子供を持っても正社員の仕事を続けるのが女性の人生設計の基本です。
 ©️iStock.com
 もしも夢やぶれても
 私はかねがね「自分と未来は変えることができる。他人と過去は変えることができない」と思っています。自分と未来を変えるのも簡単ではありませんが、可能です。しかし自分が結婚した相手を変えることができる、というのは不可能な幻想に近い。
 誠実かどうか、努力をいとわないかどうか、勤勉かどうか、忍耐強いかどうか、そうした資質は結婚してから妻の愛情で変わることはほとんどありませんから、結婚する前にしっかり見極めましょう。しかしだれも「悪い結婚」をしようと思っていなくても「悪い結婚」はなくなりません。若いときは、自分の愛によって相手を変える「夢」を見てしまいがちですが……。夢がやぶれても最低限生きていく力が必要だというとロマンチックではありませんが、それが現実です。」
   ・   ・   ・   

🏯37)─2・A─下級武士の懐事情は想像以上に厳しく日々倹約と内職の暮らしであった。~No.71 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 武士は、日本のみに存在し、中国や朝鮮には存在しなかった。
 日本の武士は、ヨーロッパの騎士とは違う。
   ・   ・   ・   
 武士は、「貧すれば鈍する」事は少なく、「武士は食わねど高楊枝」の痩せ我慢で武士の体面を保っていた。
 武士は内職をする為に、百姓や商人に頭を下げて仕事を分けてもらい、品物を納めて金を貰っていた。
   ・   ・   ・   
 2023年1月3日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「下級武士の「懐事情」は想像以上に厳しかった! 倹約続きの生活で人気だった意外な「内職」とは?
 武士全体の9割以上を占めていたという四十九石以下の下級武士たち。限られた収入の中、分相応の生活を営み、愉しんでいたという。週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』では、江戸三百藩の暮らしと仕事を解説。ここでは下級武士たちの懐事情をさぐる。
 週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』から(イラスト/さとうただし)
 © AERA dot. 提供
 *  *  *
 武士は給与の点からみれば、俸禄を所領つまり知行地で与えられた知行取と、現物(切米・蔵米と称される)で支給された切(蔵)米取に分けられる。知行取の場合は約40%の年貢率を所領に掛けて年貢米を徴収するとともに、領民である農民を労働力として使えるメリットもあった。
 しかし、上級幕臣である旗本でも知行取は4割ほどに過ぎない。残りは俸禄を現物で支給される切米取である。下級幕臣御家人に至っては大半が切米取だった。現米取も名称のとおり、現物の米で俸禄が支給された御家人だ。「八丁堀の旦那」の異称でも知られる江戸町奉行所の同心は御家人だが、その俸禄は三十俵二人扶持である。切米三十俵のほか、扶養手当にあたる扶持米が別に二人扶持支給された。
 幕府の場合、切米一俵は三斗五升入りで三十俵なら十石五斗。この俸禄米を年三回に分けて支給された。二月と五月に4分の1ずつ、十月に2分の1という割合である。扶持米は一日分が米五合とされ、1年360日分として年に一石八斗(一人扶持)となる計算だった。これを分割して、毎月月末に支給されることになっていた。
 切米や扶持米が支給される日、幕臣たちは幕府の年貢米が収納された隅田川沿いの浅草御蔵まで受け取りに出かけた。ただし、実際のところは札差と呼ばれる商人に切米や扶持米の受け取りや換金業務を代行させ、現金だけを受け取っている。
 扶持米は換金せず、そのまま飯米に回すことも多かったが、切米も扶持米も玄米で支給されたため、このままでは食べられなかった。そこで搗米屋に依頼して精米したが、御家人のなかには屋敷内に踏み臼を設置し、自分で白米についた者もいた。精米代を節約できるメリットがあったが、生活環境の厳しさが窺えるエピソードに他ならない。
 生活費を浮かせるため、食材などを共同購入することも珍しくなかった。酒は罇で買って升単位で分配している。燃料の炭などもまとめ買いした上で分配した。
 調味料の味噌や醤油などは自家製で、まさに手前味噌だった。屋敷内で野菜を作って自家用とすることも普通である。
 普段の食事も質素であり、朝食のおかずは味噌汁と香の物。お昼は野菜などを醤油で炒めた煮染物。夜は魚に野菜が付くだけだった(山本政恒『幕末下級武士の記録』)。
 下級武士の懐事情の厳しさを物語る食生活だが、それゆえ内職に勤しむのはごく普通の光景であった。傘張りなどは定番だが、幕府から与えられた土地を共同して活用する手法も広くみられた。
 御家人は所属する組単位で、おのおのが住む土地を与えられた。これは組屋敷と呼ばれ、おおむね数千坪単位で下賜された。これを組の人数で分けたが、この広大な土地が共同利用されたのである。
 東京の初夏の風物詩として台東区入谷の朝顔市は、将軍の警護役を勤めた御徒が内職として栽培した朝顔を市場に出したことがはじまりだった。組屋敷を朝顔の栽培地として共同利用することで、大量に出荷して安価に販売することが可能となったのである。
 新宿区大久保周辺に集住していた鉄砲百人組同心が組屋敷で共同して栽培したツツジは、江戸のガーデニングブームのなかで名産品にまでなる。江戸の観光名所を挿し絵入りで紹介した「江戸名所図会」でも紹介されたほどだった。
 組屋敷では朝顔ツツジの栽培のほか、鈴虫やこおろぎ、金魚などの飼育も盛んであった。養殖には巨大な池が必要だが、組単位で土地を活用すれば難しいことではない。ここまでのレベルになると、内職というよりサイドビジネスと言った方が正確だろう。
 こうしたサイドビジネス御家人の生活を支えるとともに、江戸の庭園・ペット文化も支えていたのである。
 ◎監修・文/安藤優一郎
 あんどう・ゆういちろう/1965年千葉県生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。近著に『江戸の旅行の裏事情』(朝日新書)、『越前福井藩松平春嶽』(平凡社新書)、『お殿様の定年後』(日経プレミアシリーズ)他、著書多数。JR東日本・大人の休日倶楽部「趣味の会」等で江戸をテーマとする講師も務める。
 ※週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』から
   ・   ・   ・   
 トライイット
 ホーム社会中学社会中学歴史江戸時代武士による支配
 中学歴史
 身分別の人口の割合 幕末のごろ
 総人口約3,200万人
 百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
 江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
 一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
 その次に多いのが7%の 武士 です。
 3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
 町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
 そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
 公家・神官・僧侶、その他1.5%。
   ・   ・   ・   
 江戸時代は庶民の時代で、武士道は社会の片隅であった。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
   ・   ・   ・