🎑108)─7─中国の文化強国。中国がアニメ大国となり日本はアニメ小国となる。~No.241 ㉓ 

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 中国と日本の違いは、資金力と人口(消費者)である。
 少数精鋭とは、人口が多い国では成立するが、人口が少ない国では成立しない。 
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 2021年7月8日 MicrosoftNews 東方新報/AFPBB News「中国の夏休み映画の主力は「エンタメ愛国作品」 国産アニメも続々登場
 © CNS/李志華 香港で開催された『1921』の公開記念イベント(2021年7月4日撮影、資料写真)。
 【東方新報】中国では夏休みの映画シーズンを迎え、約40作品が上映される。7月1日に中国共産党創立100周年の記念日を迎え各地で祝賀イベントが盛り上がる中、エンターテインメント要素も取り入れた「愛国映画」が主力となっている。
 一番の注目作は、1921年7月23日に上海で中国共産党第1回党大会が開かれる過程を描いた『1921』。7月1日から公開が始まった。平均年齢28歳の結党メンバー13人が党大会を開く姿を青春群像劇のように表現し、スパイ活動やアクションシーンも取り入れている。出演者は、『グレートウォール』『空海-KU-KAI-』などに出演している人気俳優・黄軒(Huang Xuan)や、映画やテレビに引っ張りだこの女優・倪妮(Ni Ni)ら中華圏スターが勢ぞろいしている。
 中国共産党創設の主要メンバーの1人、李大釗(Li Dazhao)の伝記映画『革命者』も話題作だ。社会主義運動の先駆者として、革命の志士たちを率いて奮闘する姿をドラマチックに描いている。中国映画界の大御所、張芸謀(Zhang Yimou、チャン・イーモウ)氏と長女の張末(Zhang Mou、チャン・モー)氏が共同で製作する『狙撃手』は、朝鮮戦争に従軍した中国義勇兵のスナイパーが主人公だ。
 現代版愛国映画として、湖北省(Hubei)武漢市(Wuhan)で新型コロナウイルスと戦った最前線の医療従事者の実話を基にした『中国医生(英題:Chinese Doctors)』も上映。航空機事故で大惨事を防いだ実話をテーマにした2019年のヒット映画『中国機長(The Captain)』のスタッフが満を持した作品だ。
 中国映画批評学会の饒曙光(Rao Shuguang)会長は「夏休み期間中は、学生ら若者層の選択が興行収入を左右する」と解説。エンタメ色を取り入れた愛国映画が増える形となっている。
 成長著しい国産アニメの新作も相次ぐ。人と妖怪の境遇を乗り越えるラブストーリーで2019年に大ヒットした『白蛇:縁起(英題:White Snake)』の続編『白蛇2:青蛇劫起(英題:White Snake2)』や、始皇帝陵の兵馬俑に題材を得たアクションファンタジー『俑之城(英題:Realm of Terracotta)』、中国初のSFアニメ大作といわれる『冲出地球 Rainbow Sea Fly High』など話題作がめじろ押しだ。
 饒曙光会長は「コロナ禍でハリウッド(Hollywood)の大作がまだ上映されていない状態が続き、多くの国産映画が作られる。夏休みは上映期間が長いため、予想と異なる人気作が登場する可能性がある」と話す。
 中国の映画市場は近年、興行成績を毎年更新する勢いだったが、2020年はコロナ禍のダメージを受けた。新型コロナウイルスは現在おおむね抑制されているが、今年は春節旧正月、Lunar New Year)などの連休中は大入りで平日は観客が伸び悩み、中国メディアは「炎と氷の繰り返し」と表現している。この夏休みで多くの市民が映画館を訪れる習慣を取り戻すかが注目されている。【翻訳編集】(c)東方新報/AFPBB News
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💄62)─1─夫婦別姓は日本型家を破壊するマルクス主義である。~No.126 

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 夫婦別姓推進派が、徐々に増えている。
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 2021年7月6日 MicrosoftNews zakzak 産経新聞社「【突破する日本】「夫婦別姓は社会を破壊する」 共産主義と極端な個人主義思想。
 © 産経新聞社 【突破する日本】「夫婦別姓は社会を破壊する」 共産主義と極端な個人主義思想
 夫婦別姓の主張が一般に注目されたのは、1988年に国立図書館情報大学の女性助教授が職場で旧姓を使用したいと大学を訴えたことだった。要するに、職場での「旧姓の通称使用」の問題だった。98年に東京高裁で和解し、通称使用が認められた。
 問題は解決したはずだった。本来は民法改正に関係のない話だったのだが、原告の代理人弁護士の福島瑞穂氏(現・社民党党首)らが話を大きくして民法改正問題に仕立て上げた。
 夫婦別姓は、ロシア革命直後に実践された家族共同体を個人に解体する共産主義思想と、共同体からの個人の解放を主張していた90年代の極端な個人主義思想を両輪としていた。
 一人で生まれて一人で死ぬ人間が、人生の一時期の結婚ごときで姓を変更するのは個人のアイデンティティーを喪失させると主張された。極端な個人主義思想は「性の自己決定権」の名で女子中高生の「援助交際」を肯定もしていた。子供は大人と同じ権利主体であるとして「子どもの権利」が喧伝されてもいた。
 政府も無関係ではなく、自民党社会党新党さきがけと連立した村山富市内閣で、法相の諮問機関・法制審議会がいわゆる選択的夫婦別姓制の導入案を打ち出し、96年の通常国会での民法改正で実現するはずだった。
 昔話で恐縮だが、それに反対の意思を表明したのが私だった。ミニコミ誌で少しずつ主張していたが、月刊誌『諸君!』(文藝春秋刊)96年3月号(2月1日発売)に、「夫婦別姓は社会を破壊する!」と題する論考を発表したことで、政界からも注目された。
 当時は論壇誌が社会を動かした。福島氏ら夫婦別姓論者の意図を明らかにし、夫婦別姓を導入すれば、家族共同体は壊れ、社会は破壊されると主張した。当時、反対意見は皆無だった。保守派は小さな問題と考えていた。メディアはすべてが夫婦別姓に賛成だった。
 私の主張が広がり、野党第一党新進党や、少し遅れて自民党の議員が反対し始めた。ちょうど25年前、四半世紀前のことだ。その後、夫婦別姓の問題点が広く共有されるようになり、夫婦別姓の主張は浮かんでは消えを繰り返している。
 2015年12月16日、最高裁大法廷が、夫婦・親子が同じ姓を称することで家族の一体感が醸成されるとし、姓の変更による喪失感は旧姓の通称使用で一定程度緩和されるとして夫婦同姓を規定した民法憲法に違反しないとの判断を初めて示した。画期的な判決だった。
 6月23日の2度目の決定は、これがもはや確立した判例であることを確認した。
 ■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 1962年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了、政治学研究科博士後期課程研究指導認定退学。専攻は憲法学。皇室法制、家族法制にも詳しい。第2回正論新風賞受賞。高崎経済大学教授などを経て現在、麗澤大学国際学部教授。内閣官房教育再生実行会議有識者委員、山本七平賞選考委員など。法制審議会民法(相続関係)部会委員も務めた。著書に『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)、『公教育再生』(PHP研究所)、『明治憲法の思想』(PHP新書)など多数。」
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 夫婦別姓と正当女系母系天皇擁立が目指す所は同じである。
 夫婦別姓とは、石器時代縄文時代からの祖先神・氏神の人神崇拝という日本の家社会を破壊する事である。
 縄文人は、祖先の墓を中心に集落=ムラ=共同体をつくり、祖先の魂・霊魂と共に生きていた。
 非世襲性正当女系母系天皇とは、弥生時代からの伝統的女性神・自然神崇拝を護る為の血筋・血統(科学的遺伝子)を不可侵的根拠とする世襲性正統男系父系天皇からの変更であり、天皇が血を根拠として一子相伝で行うの孤独な秘儀・宮中祭祀の破壊・消滅である。
 世襲性正統男系父系天皇とは、血の神話(Y染色体神話)を絶対根拠とする、子孫が祖先(天皇霊)を祀り敬う宮中祭祀という「家宗教=国家宗教」の唯一の正統な宗教的継承者である。
 つまり反宗教無神論マルクス主義で、科学的根拠を、民族学・家族学の「血=遺伝子」に置くか、生物学の「人間(血の否定)」に置くかの選択である。
 天皇家・皇室は、宗教一家である為に政教分離はありえない。
 日本の家族も、宗教を中心として存在している。
 その意味で、日本民族には無宗教無神論はありえない。
 「自分は無宗教無神論である」と認める日本人は、石器時代縄文時代から日本列島に棲み着いてきた日本民族ではない。

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🎑108)─6─日本アニメは中国・韓国両国のアニメに競り負けて衰退していく。~No.240 

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 日本アニメ・マンガ産業の衰退は、人口激減によるアニメ・オタクやアニメ・ファンの減少である。 
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 exciteニュース 
 中国にもファン多い日本アニメ、「なんと衰退の危機らしい」=中国メディア
 サーチナ2018年3月9日 22:12

  また、日本のアニメ業界はテレビ局の制作費削減などの影響を受け、人件費のかかる動画製作などの作業を中国や韓国に受注しているのが現状であることを紹介。結果、日本のアニメ業界が衰退し始めており、中国や韓国などに「お家芸」を奪われてしまう可能性が浮上していると強調した。
 日本のアニメや漫画をきっかけに日本に興味を抱いたり、日本を好きになったりする中国人は大勢いる。これは非常に喜ばしいことだが、中国でも近年はアニメ産業の発展に力を入れており、質の高い作品を制作できるようになってきているのも事実だ。日本の文化でもあり、ソフトパワーの1つでもあるアニメや漫画を守り、さらに発展させるための努力が求められていると言えよう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)」
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 日本のTVドラマや映画は、世界で韓国や中国のTVドラマや映画ほど人気がない。
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 日本アニメ・マンガ産業は、賃金が安く、奴隷労働を強いられるブラック産業である。
 日本アニメ製作会社は、人件費が高い日本を嫌い、経費削減として製作費を安くする為に中国のアニメ製作会社に外注する。
 企画・原案・ストーリーは日本アニメ会社が行い、作画・製作・完成は中国アニメ会社が行う。
 つまり、見た目はメイド・イン・ジャパンの日本アニメだが、中身は中国アニメである。
 事実、日本アニメ作品のスタッフの中に中国人や韓国人の名前が増え始めている。
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 2021年6月17日 朝日新聞「文化
 世界中でファンを獲得してきた日本のアニメ。国の『クールジャパン』戦略にも関わる存在だが、その地位が中国では揺るぎつつあると、北京大の古市雅子準教授は指摘する。世界最大級の市場を抱える中国で、日本アニメは今どのような立ち位置にあるのか、聞いた。
 今回の論考
 古市雅子『「日本アニメは衰退した」激変する中国人の日本観』 (中央公論6月号)
 日本アニメ 中国で揺らぐ地位
 『日本のアニメは衰退を始めたが・・・』。北京大で指導する学生の言葉を、古市さんは論考冒頭で紹介する。1990年代に放送された『SLAM DUNK』や『美少女戦士セーラームーン』。あるいは『名探偵コナン』、『ドラえもん』といった日本のアニメ作品の数々は、両国の政治的関係の悪化などを経験しながら、なおも熱狂的な人気で迎えられてきた。だが今、『日本のサブカルチャーに対する熱は少しずつ冷めつつある』と、論考は続ける。
 古市さんは3つの理由を挙げる。それは反日機運の高まりによって中国の配信サイトから『日本アニメ』という文言が消え、視聴者が日本の作品に向かう入り口が狭まったこと。また世界各国のコンテンツ産業が中国進出に力を注ぎ、競争が激化したこと。そして中国共産党が掲げた『文化大国』政策のもとで、中国アニメが急成長してきたことだという。
 『日本のアニメを研究し吸収し、それを超える作品をつくりたいというものすごい熱量を感じる』。四半世紀を中国で過ごしてきた古市さんは、そう語る。各地に設置された『動漫(どうまん)基地』などの取り組みが、近年成果を生みつつあるとみる。日本で2019年から劇場公開された『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』や、昨年放送を開始した『魔道祖師』など、独自の世界観を持った中国アニメが日本で人気を博す事例も増えているという。
 そもそも中国での日本アニメの人気は計画的に生み出されたものではなかったと古市さんは話す。
 『中国でテレビ番組の製作能力が未発達だった90年代に、香港経由で安価に入手できたコンテンツが日本のアニメだった。権利関係があいまいで、ビジネスモデルも確立しないまま広まっていった』
 海外でも愛されるアニメを作り続けるためには、国内の環境整備が一層求められる。アニメ産業に詳しい敬和学園大准教授の松本淳さんはそう話す。『「鬼滅の刃」の大ヒットが業績を押し上げたソニーグループのように、自力で多方面に展開する力を持つ大企業と、中小のアニメスタジオとの間で二極化が進んでいる』。大小のスタジオ、出版社も含めた世界でも類を見ない視野の広さがこれまで日本アニメを下支えし、多様な作品が生まれたと説く。『日本のクリエーターたちの待遇は、海外と比して劣る。中小のスタジオを税制面などで長期的に支援する政策を整えていくべきだ』
 『これまで日本のアニメは作り手の情熱に頼ってきた。しかし、それだけでは必ず無理が出る。ヒットした作品に便乗して、「国が後押ししています」となってはならない』
(山本裕理)」
 論壇委員から
 競争激化 産業守るには
 アニメ制作は中国だけでなくNetflix等も注力しており、クリエーターへの報酬は日本より好条件なものが多い。今後はアニメだけでなく、様々なコンテンツが海外から発注され、優秀な日本のクリエーターは海外企業に引き抜かれていく可能性がある。日本のアニメ産業を守るためには、労働条件の改善、海外に対する戦略など、『クールジャパン』の見直しを業界や行政が議論する必要がある。
 このように、世界的に有名な日本アニメの影響力が低下しているという『現実』に、驚く人も多いだろう。一方、メディアでは『日本すごい』論が散見される。日本に誇りを持つことは重要だが、世界からみた日本の『現実』と向き合う必要がある。(学習院大学非常勤務講師・塚越健司)」
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 日本アニメ・マンガ産業は、資金力がない為に失敗作品を出す事は許されない。
 中国アニメ・マンガ産業は、資金力のある為に、数多くの失敗作を出しても一作品でも成功作品があれば許される。
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 人口が激減する人生100年時代では、日本アニメ・マンガ産業は衰退し、最悪消滅する。
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 日本アニメ・マンガ産業衰退の最大の原因は、若者が少なく老人が多い人口激減にある。
 日本アニメ・マンガ文化は、明治からの若者が多く老人が少ない人口爆発で発展した。
 日本の人口は年平均約200万人の子供が生まれて、1868年の明治初期には約3,000万人、昭和20(1945)年には約8,000万人、昭和55(1980)年には約1億2,000万人。 
 年間出生数は、令和元(2019)年に約86万人、令和2(2020)年に約84万人で、十数年後には75万人台に減少する可能性がある。
 昔の8,000万人と将来の8,000万人は、総人口数は同じでも年代層が全然違う。 
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 日本アニメ・マンガ文化とは、未来に夢と希望を無限に高める子供・若年層文化であって、現代のみに限定した夢と希望を抱く大人・老人層文化ではない。
 大人・老人にマンガを読みアニメを見ろと推奨できない以上、日本アニメ・マンガ文化は衰退は避けられない。
 老人が多く若者が少ない人口激減では、衰退する日本アニメ・マンガを救う手段はなく、高学歴な知的インテリによる政府のクールジャパン戦略は失敗する。
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 年金生活の老人で、子供染みたアニメ映画を観に行く人は少ない。
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 優秀な日本人クリエーターは、衰退する日本アニメ・マンガ産業に見切りを付け、その才能を生かす為に日本を捨てて高給料を払ってくれる国に行き仕事をしたほうが良い。
 例えれば、中南米諸国から野球の才能がある若者がアメリカ・大リーグと高額で契約するように、である。
 中国アニメ・マンガ産業は、中国共産党の「文化強国」戦略で、貧困生活を強いられる優秀な日本人クリエーターを好条件で雇用する。
 中国共産党系中国軍系中国資本は、巨額の投資・融資で日本白物家電産業を吸収したように日本アニメ・マンガ産業をも吸収していく。
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 2021年6月2日 YAHOO!JAPANニュース ハフポスト日本版「日本のアニメが「中国で負ける日」が来る。「天才に頼らない」戦略が、圧倒的な差を覆そうとしている
 「スラムダンク」「聖闘士星矢」「ドラえもん」...こうした作品名を見るだけで、子ども時代が思い起こされる人も多いだろう。
 実は、それは海を越えた中国でも同じだ。これらの作品は、日本産であるにも関わらず、中国人にとって「国民的」な存在でもある。
 そんな日本のソフトパワーを象徴するアニメが今、中国で存在感を失いつつある。その原因を調べると、技術を吸収した中国側の台頭、そして「待っていればチャイナマネーが入ってくる」時代の終わりが見えてきた。
 「中国が作れるようになれば...」
 東京都町田市。街道沿いのオフィスビルに、中国発のアニメ制作会社「カラードペンシル」(本社:中国重慶市)が居を構えている。
 日本人と中国人、それにベトナム人などの国際的なメンバーがアニメ制作にあたる。大半は中国の動画プラットフォームに納入するものだ。
 日本のアニメ業界関係者を「これを中国が作ったのか」と驚かせた作品がある。現地で人気のウェブ小説が原作で、ネットゲームの世界を舞台にした「全職高手(マスター・オブ・スキル)」だ。主人公たちが武器や魔法を駆使した戦闘シーンなどの描写が高く評価されている。
 「制作工程や技術は、基本的に全て日本から勉強したものです。2Dアニメは特にそうですね」と瞿史偉(く・しい)代理社長は話す。
 中国の会社は過去にアニメ制作の下請けをした経験によって成長してきた。アニメの質を大きく左右する原画作業も「中国や韓国の単価が安かった時代は下請けに出されることも多かった」と振り返る。
 中国側も技術向上に積極的だ。日本に留学し技術を学んだアニメーターもいるが、「中国の場合は、アニメの専門学校というより美術大学を卒業した人材が多い。もちろん時間はかかりますが、表現力に基礎があるぶん上達が早いのです」という。
 原作の供給も増えた。「カラードペンシル」が提携する閲文集団はウェブ小説プラットフォームなどを運営する。膨大な投稿作品から人気の出たものをアニメ化させ、収益につなげていく。
 閲文集団は中国IT大手・テンセント傘下。同じくテンセントから出資を受ける「カラード」に制作を依頼し、テンセント系の動画プラットフォームに配信する。巨大ITに護られた生態系でコンテンツを育成していく。
 制作側の技量が向上し、中国産の原作も増えた。日本アニメが徐々に淘汰されつつあるのは当然の流れだと瞿さんは言う。
 「なぜ、かつては日本アニメのインパクトが強かったか。中国には(レベルの高い)アニメがゼロだったからです。何もないところに別世界のものが入ってきた。『こんな面白いものがあるのか』と感動を受けたくらいです。スラムダンクドラえもんは私たちにとっても国民的な作品なのです」
 「日本アニメが急に無くなることはありません。ただ中国人消費者にとって、より面白いものを作れるのは中国人クリエイターです。今までは自分たちで作れないから日本のものが入ってきましたが、作れるようになれば中国製が強くなるのです」
 中国産、ついに日本を追い越す
 数字も瞿さんの話を裏付ける。
 日本のアニメは、中国の動画プラットフォームが放映権を購入している。例えるなら、YouTubeニコニコ動画が海外アニメの権利を買い取り、日本語字幕をつけ配信するようなものだ。
 その買い付け数に変化が出ている。知的財産の中国展開などを手がけるIP Forwardによると、2018年には年間192作品が配信されていたのに対し、2019年は178作品。2020年は169作品と減少傾向だ。
 また現地メディアによると、日本のサブカルチャー好きが特に多く集まる「bilibili」でも、日本アニメの視聴数は2019年に中国産に追い抜かれた。
 介護の現場から、アニメの世界へ
 人材面でも課題解決に積極的だ。「カラード」は7人のクリエイターを正社員として雇う。非正規雇用も7人いるが、1年間働いて問題がないと判断されれば社員登用への道が開ける。新卒社員は月給およそ18万円、平均給与は20万円台後半だという。
 平均的なアニメーターの労働実態はどうか。「日本アニメーター・演出協会」の『アニメーター実態調査2019』によれば、アニメーターの平均年収は440.8万円。だが、20~24歳は154.6万円(全産業平均262万円)、25~29歳は245.7万円(同361万円)となっており、いずれも平均を100万円以上下回る。またフリーランスが50.5%と突出し、正社員は14.7%に留まる。
 「カラード」の安定した雇用を支えるのがビジネスモデルの違いだ。「中国はどちらかといえばアメリカ流。ネットフリックスやアマゾンのように、いい作品は予算を出して購入してくれます。受注件数や金額を予測しやすいのです。ここは日本と大きく異なる点だと思います」と瞿さん。
 このシステムで業界に戻った人もいる。動画検査や新人教育などを担当する藤森大志さん(28)はかつて、日本の制作会社で働いていたが「経済的な理由で脱落した」と退職。介護関係の仕事に就いていたが、去年6月に正社員として「カラード」に入社した。「普通に働いて普通にお金がもらえる。業界全体でも片手で数えるくらいです」と話す。
 常に同じメンバーが顔を揃えることで、技術の継承も進む。朱奕ハン(しゅ・やくはん)さん(26)は新卒で入社して3年目。「ほぼ毎日、仲良しの作画さんから書き方や構成を勉強させてもらっています」と声を弾ませる。原画に加え、演出も手がけるようになった。
 「アニメ業界だから特殊、ではない。プロフェッショナルに給料を出して育成し、長く働いて欲しい、というのは普通の態度では」と瞿さんは話す。一方で、中国側からの発注は日本と違って「急に来たのに(作品の)設定ファイルも足りない」など対応力が試されるものもある。「柔軟に対応するには正社員を揃えた方がやりやすいというのも正直なところ」と頭をかく。
 原作の供給増加、アニメ化の技術向上、雇用状況の改善...中国アニメはすでに、無敵を誇った日本アニメのシェアを目に見える形で奪いつつある。両者の差はどのくらい詰まっているのか。瞿さんは「個人的な意見」としたうえでこう話す。
 「日本には『天才』がいます。鉄腕アトムの時代から、最近では『エヴァンゲリオン』の庵野秀明さんまで。そういう存在は中国にはまだいません。トップ層は日本の方が全然強いのです。ただ天才は相応の給料をもらっていても、その下の人たちは(生活も)大変だと思います。天才たちの栄光を頼りにするのは限度があるのではないでしょうか」
 では、中国に天才は生まれるのか。
 「時間はかかりますが、掘り出しますよ。マーケットがそれが要望していますから」
 天才に頼らない時代へ
 中国勢の進撃に危機感を抱く人がいる。中国の知的財産法などが専門の弁護士・分部悠介(わけべ・ゆうすけ)さんだ。中国の海賊版対策に第一線で関わってきた経験を持ち、日本アニメの中国進出にも携わる。
 「ここ5年ほどで、中国アニメ産業が底上げされていると感じます。日本アニメ産業はもう少しこの市場を真剣に見ておくべきでした」と分部さん。
 これまでは、競合となる中国勢が育っていなかったため「作っていれば中国で売れ、口を開けていればチャイナマネーが入る時代」だったという。しかし認識を変えるべきフェーズにあると訴える。
 こうした議論でよく出るのが「中国人は日本のアニメを見なくて結構」といった声だ。
 分部さんは「それも一理あります。中国に進出する・しないは企業の戦略次第です」と前置きしたうえで、「日本の市場はシュリンク地盤沈下)していきます。すぐ隣にエンタメを求める魅力的な市場があれば、重視するのも戦略です。また、日本文化の象徴の一つとして外交的な側面もあると思います」と話す。
 中国のアニメ市場は2020年末時点で3.3兆円規模と推測される。統計主体が違うため単純な比較はできないが、日本動画協会が発表した日本の市場規模は約2兆5000億円(2019年)だ。
 中国では2021年4月、劇場版「名探偵コナン」が日本から1日遅れで公開され、話題を呼んだ。2016年には新海誠監督の「君の名は。」が大ヒットするなど、明るい話題もある。
 「稀に天才が生まれ、その作品は国境を超えます。それが中国でも享受されたということです」と分部さんは話す。一方で「天才はいつ出てくるか分かりません。日本のアニメを中国で継続的にヒットさせる仕組みづくりが必要です」。
 分部さんの提言はシンプルだ。
 「中国市場を分析し、考え、動くことです。流行っている作品を見て、裏で動いているプレイヤーや構造を知る。新市場に踏み込んでいく上では普通の経営戦略を、産業全体で考えるべきではないでしょうか」
 取材後記
 2011年、中国のテレビで流れたアニメに大笑いしたことがある。コメディだったからではない。あまりにひどい出来だったからだ。「デジモンアドベンチャー」の模倣としか思えないデザイン、足を一歩あげるごとに動く床にでも乗っているかのように移動するキャラ...
 それが10年後、こんな記事を書くとは思ってもいなかった。
 アニメの中国進出には障壁も増えた。中国政府は日本を含む海外産アニメの放映を制限することで、国産アニメを保護している。さらに2021年4月から、ネット配信される海外産アニメへの検閲も強化されたとみられる。中国の動画プラットフォームからすれば、せっかく日本から作品を買い取っても、検閲終了までに時間がかかるか、最悪検閲を通過しない可能性もある。買い控えが起きるのは当然だ。
 「天才の作品は国境を越える」分部さんの言葉が重い。中国には表現の自由がない。思いもつかないような発想という日本のアドバンテージが消えることはない。「天才」たちに続く新しい芽を育てつつも、片方で依存しすぎない戦略を立てることが求められる。こちらは今後の取材の課題としたい。
 中国も、アリババが突如当局の締め付けに遭うなど、世界的な巨大ITといえども経営環境をめぐる不安定性は高い。テンセントの生態系に暮らす今回のケースも、必ずしも安泰とは言い切れないはずだ。
 最後に、日本の強みを活かすべきだというカラードペンシル・瞿さんの提言を紹介したい。中国発の会社の経営層でありながら、日本アニメへの思い入れを随所に滲ませる瞿さんも、先行きを案じる一人だ。
 「中国は他の人と違う方向を目指す人にはあまり優しくはありません。比べて、寛大でなんでもありなのが日本だと思います。『こういう世界があるんだ』と見せられるのが日本の強みです。それを発揮するには若い世代が必要。そのためにはきちんとお金を出さないと。根性や愛情で頑張ろう、には限度があります。業界全体で1つのチームとなって欲しいです」 【高橋史弥/ハフポスト日本版】」
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 2018年3月6日 産経新聞「日本のアニメ産業ブラック化で衰退の危機! このままでは中韓に…
 【経済インサイド】日本のアニメ産業ブラック化で衰退の危機! このままでは中韓に…
 経済産業省がアニメ産業の生産性革命に乗り出した。海外に比べ、デジタル化に遅れた日本の制作工程をIT化するため、描画ソフトの共通規格を設ける。非効率的なアニメ制作の現場はブラック化しており、アニメーターの待遇改善が大きな課題となっているからだ。動画作成に大量の人手がかかる労働集約的な産業構造を変化させ、アニメーターの待遇を改善できなければ、日本のアニメ業界は衰退し、作画技術を伸ばす中国や韓国などにお家芸のお株を奪われかねない。
 2月20日、経産省の地下2階の講堂に約100人のアニメ業界の関係者が集まり、「アニメのデジタル制作導入ガイド報告会」が開かれた。大手制作会社のIT化の取り組み事例などが報告され、アニメーターの間で主流となっている5つの制作ソフトのデータ規格を統一することを確認。2月末に、共通規格の仕様を定めた最終報告書をまとめ、経産省に提出する予定だ。
 こうした細々した指示による制作工程は指示書を添付したカット袋という紙袋を使って管理されている。監督から指示を受けた原画担当者が印刷した原画を袋に入れ、動画担当者に渡す。動画担当者は監督の指示をもとに動画を作成し、実物を袋に入れて監督に差し戻すという具合だ。「制作会社がアニメーターを直接訪問して動画を回収している」というアナログ手法が残っている。作画ソフトごとに異なっていたデータ規格を統一することで、パソコン上でやりとりできるようにし、生産性の効率化につなげる。
 日本のアニメは「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」をはじめとしたスタジオジブリの作品のほか、マンガを原作にしたものなど、海外での人気が根強い。各国で開催されるイベントには数十万人が訪れており、平成28年に公開されたアニメ映画「君の名は」の世界興行収入が3億5500万ドル(約380億円)に達するなど、ビジネスチャンスが広がっている。
 日本動画協会によると、消費額を推定した「アニメ産業」市場は28年に2兆円の大台を突破。一方、全国に約600社あるアニメ制作会社の売上合計を推計した「アニメ業界」の市場規模は約2300億円にとどまる。経産省は「アニメは芸術品と同じで、人気作品にしか値段がつかず、無名のアニメーターにお金が回らないのが一因」と指摘する。「品質を重視する職人かたぎのアニメ業界とは対極的かもしれないが、効率化を支援し、少しでももうける産業にしていきたい」という。
 日本アニメは独自に進化した2次元の表現方法に強みを持つ。動画を細かくつなげば滑らかな動きになり、省略すれば、一瞬で大きく動いたようにみえて、スピード感が強調される。こうしたノウハウは職人の世界の中でアナログ手法で積み上げられ、守られてきた。一方、欧米のアニメで主流になっている3D(3次元)CG(コンピューターグラフィックス)のプログラマーがゲーム業界などからも引き合いがあることで、好待遇で迎えられるのに対し、日本のアニメーターは閉じられた業界で疲弊している。
 日本のアニメ業界はテレビ局の制作費削減などのあおりを受けて、さらに苦境に立たされている。人手がかかる動画作成を中国や韓国に外注することでアニメ制作を続けている。
 この結果、動画作成に携わった中国、韓国のアニメーターはめきめきと技術を向上させている。アニメの制作現場を見直し、生産効率とアニメーターの待遇改善が急務だ。(経済本部 高木克聡)」
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 中国市場で、中国人作家のアニメ・マンガが日本人作家のアニメ・マンガを駆逐していく。
 中国資本は、日本のアニメ・マンガ産業に対して大金を投じ、若き有能な日本人クリエーターに対してリクルートヘッドハンティングといった「千人計画」を発動し、日本のアニメ・マンガ産業を空洞化し、中国製アニメ・マンガ作品を日本に輸出し始める。
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 日本のアニメ・マンガ産業は奴隷労働のブラック産業で、長期的に見て若き才能が出なくなり、作品は売れなくなり、そして活力をなくして衰退していく。
・・・
 中国文化は、孫悟空の「西遊記」、梁山泊の「水滸伝」、「三国志演義」など数多くの世界文学作品を生み出している。
 日本のアニメ・マンガは、中国文化作品の影響を強く受けている。
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 日本の衰退は、モノ作り・白物家電の次はアニメ・マンガ文化である。
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 中国や韓国で、日本アニメ・マンガブームが起きたのは、内容が面白かったからではなく、安価で購入できたからである。
 それは、日本のテレビ黎明期にアメリカTVドラマが数多く放送されていたのに似ている。
 日本人は、その事が理解できず、有頂天になり、馬鹿になり、うかれてしまった。
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 将来、日本は中国や韓国から安価で良質なクオリティーが高いアニメ・マンガを輸入する事になる。
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 歴史的事実として、日本文化と中華文化(中国文化・朝鮮文化)は違うモノである。
 日本文化は、中華文化(中国文化・朝鮮文化)・西洋文化などを積極的に取り入れて新しい文化を生み出した。
 中華文化(中国文化・朝鮮文化)は儒教価値観に支配され、日本文化や西洋文化に影響されても、中華思想で下等で下劣の異物として排除し独自の文化を作り唯一絶対文化としたが、その多くはパクリ・盗作・海賊版であった。
 それは、韓国でも同じである。
 現代の日本人は、国内外に対する歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しい為にその事が理解できない。
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 日本国内には、日本の国益や日本人の利益よりも、中国・中国共産党、韓国・北朝鮮の利益の為に活動する日本人が少なからず存在する。
 東アジアに於ける秩序=儒教華夷秩序では、上位者・絶対支配者は中国で、中位者は朝鮮で、下位者・絶対被支配者は日本であった。
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 日本政府が大金を投じて行う「クールジャパン」が失敗するのは、当然の事である。
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 戦前の漫画がつまらなくなったのは、御用作家として、政府に迎合して時流・時勢に合わせ、軍部に媚びを売り戦争を美化したからである。
 それは、戦前の日本画も同様である。
 御用作家となった理由は、生活を維持する為に体制の弾圧を怖れたからである。
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 日本の文化・芸能・芸術には、越えてはならない不文律がある。
 それは、天皇・皇室である。
 何故なら、天皇・皇室が民族における全ての文化・芸能・芸術の絶対的唯一の保護者であるからである。
 それは、御上ではないし権威でもなく、強いて言えば生きる為、存在する為の空気、舞台でもあり、画紙などの素材である。
 それが、皇室の文化である。
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 アニメ・マンガを読んだ事がない愛した事がない、受験勉強の高学歴な知的インテリや進歩的インテリでは理解できずアニメ・マンガ文化を衰退させる。
 日本のアニメ・マンガ文化をダメにするのは、熱烈な日本人愛好家(オタク)である。
 日本のアニメ・マンガ文化とは、子供心、子供の好奇心、子供の興味、子供の遊びで、常識を持った頑固な大人は場違いの部外者である。
 現代教育は、大人中心の世界常識を教える事を最優先として、子供心、子供の好奇心、子供の興味、子供の遊びを潰している。
 民族的な子供心、子供の好奇心、子供の興味、子供の遊びは、日本国語で自然と生まれて来るのであって、英語などの語学教育では不可能である。
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 世界では、日本の映画・TVドラマ・音楽より韓国の映画・TVドラマ・音楽が売れている。
 日本の映画・TVドラマ・音楽が世界で好まれ、海外の才能豊かな芸術家に影響を与えたのは昔の日本であって現代の日本ではない。
 同様に、日本文学作品も世界で読まれるのは古典文学作品であって現代文学作品ではない。
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 日本のアニメ・マンガは、何時は売れなくなる。
 現代の日本人は、日本画や浮世絵を買わず、大金を出して西洋画を買って人に見せびらかして自慢する。
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 江戸時代の文化・芸能・芸術は、中華や西洋などの世界的な文化・芸能・芸術とは違っていた。
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 日本の文化・芸能・芸術は、市井にあって反権力・反権威・反体制・反御上として強い者に迎合せず反発し粋(いき)がり突っ張り弾圧されてこそ怪しげな魅力を発したが、御上である幕府や大名などの庇護を受けお抱え御用師として名誉と地位を得て安定・安心すると魅力がなくつまらなくなった。
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 日本の文化・芸能・芸術が粋・美と野暮・醜を兼ね備えた高度な境地まで極められたのは、中途半端・あやふや・手抜き加減・小手先を認めず排除する厳しい審美眼で吟味して金を出した身分低く貧しい庶民(百姓や町人)であった。
 日本の文化・芸能・芸術の面白さとは、支配者・権力者・強者・勝利者に対する遠回しな批判・風刺・嘲笑の「落書・落首」、つまり判官贔屓と勧善懲悪である。
 日本の文化・芸能・芸術の極致は、色も形もない余白・空白・曖昧さ・好い加減をどう活かし、何もない所で時空を越えた無限を邪魔にならないよう煩わしさを出さずにさりげなく現すかである。
 日本伝統では、白は黒でもあり、その間に濃淡様々な無限色の灰色が存在する。
 そして、完成型はない。
 身分低く貧しい庶民(百姓や町人)は、完成されたモノに興味がなく、不完全なモノが好きであった。
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 日本発祥のアニメ・マンガ文化における賞味期限は後僅かで切れ、中国など各国に独自のアニメ・マンガ文化が生まれる。
 音楽劇は古代ギリシャ・ローマから始まりイタリアで歌劇・オペラとして誕生しドイツで発展し完成したが、世界的な指揮者や有名楽団が数多く演奏するのはドイツ・オペラでで、紳士淑女の観客が好むのはドイツ・オペラであってイタリア・オペラではない。
 若者は、音楽激・歌劇と言ってもクラシック・オペラよりショー・ビジネスとしてのミュージカルを好む。
 日本のアニメ・マンガ文化も何れは魅力を失い、古代ギリシャ・ローマの音楽劇と同様に古典として地球の最果てのローカル文化として生き残る事になる。
 文化とは、そういうモノである。
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🎑27)─1─悪しき言霊。SNS、同調圧力によるレッテル貼りは魔女狩り、異端者審問。〜No.68No.69 ⑨ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 日本国語=言霊は使いようによって、人を助ける良薬にもなるが、人を殺す毒薬にもなる。
 現代日本では、心地良い美しい日本国語が消え、聞くに耐えない下品で粗雑な日本語が増えている。
   ・   ・   ・   
 日本国語と日本語は違う。
 日本国語は古い言葉で、江戸時代までの大和言葉である。
 日本語は新しい言語で、明治時代に新政府が国家統治と大陸侵略戦争(積極的自衛戦争=対ロシア戦)の為に創った日本国家語である。
 日本語という新語を必要としたは、国民を支配する政府ではなく、国民を兵士として戦場に送り出し戦争させる軍部であった。
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 国際化の時代、日本国語=日本語は使い勝手の悪い言語となった為に、新しい日本語=外国人に分かりやすい・理解しやすい・優しいカタカナ言語へと作り変えられつつある。
 日本人は言葉を愛し大事にする、はウソである。
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 2021年7月2日06:00 MicrosoftNews JBpress「コロナ禍で荒む日本人に蔓延し始めた魔女狩りの「危険」
 © JBpress 提供 大衆をうまく操ったトランプ前大統領(写真:ロイター/アフロ)
 © JBpress 提供 アウシュビッツ強制収容所ファシズムの行き着いた先(写真:ロイター/アフロ)
 少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスクにも対応した制度基盤の構築も早急に求められている。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、これまでの経済、社会のあり方は大きく変わろうとしている。
 その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFI(Next Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。今回は理事長の森田朗氏による、ネットにはびこる魔女狩りの心理と大衆扇動のリスクについて。(過去19回分はこちら)。
 (森田朗:NFI研究所理事長)
 緊急事態宣言は沖縄を除き解除されたものの、首都圏では新規感染者のリバウンドが懸念される状況となっている。オリパラも人数制限をどの程度にするか、感染状況をにらみながら、ぎりぎりまで揉めそうだ。友人と楽しい食事も我慢を強いられ、なじみの店での一杯引っかけるのもままならない。コロナ疲れというか、ストレスが溜まり、多くの国民の気持ちがすさんできたように見える。
 そのやり場のない不満や怒りを、何かにぶつけて解消しようとする。自殺者まで生んだSNSの炎上、心ない言葉での非難は、こうした不満の発現だろう。極論すれば誰でもいいから、敵を作って攻撃しやっつけて、蓄積した不満を解消しようという行為だ。
 最初に誰かが、「○○は敵だ」「ケシカランことを言っている」「過去にも悪事を働いた悪い奴だ」と指さすと、皆一斉に同調する。そして、匿名で非難し、つるし上げる。それに対する反論も許さず、ネットやコミュニティから消え去るまで、いじめ抜き、抹殺を図る。そうした攻撃に耐えきれなくなり、自ら命を絶った気の毒な人が出るのも不思議ではない。
 こうした事件が報道されると、今度はSNSで攻撃をした者が社会の敵としてレッテルを貼られ、攻撃の対象となることもある。
 もともとが匿名での告発なので、その行為の正当性や攻撃の根拠などどうでもよい。ストレスの溜まった多くの人にとっては、社会の敵を非難することで、不満が解消され、一時的にも溜飲が下がれば、それでよいのだ。
 こういう心理パターンは、歴史上何度も見られた。ヨーロッパの中世における、あるいは過酷な環境にあったアメリカ大陸のニューイングランドの植民地等でみられた「魔女狩り」もその一つだ。
 すべてのこの世の不幸の責任を何の罪もない者のせいにし、その者に「魔女」の烙印を押して、凄惨な方法で処刑する。それによって、人々の不安や不満を解消しようとしたのだ。米国マサチューセッツ州セーラムの魔女博物館を訪れた時、かつて行われていた魔女狩りの残虐さを知り、愕然としたことがある。
 大衆心理を操作したトランプ前米大統領
 このような心理状態に置かれた人々は、他方で、恐怖心から逃れるために信仰にすがる。敬虔な信仰心が、他方で、魔女狩りと結びつく。それは、わが国でもオウム真理教の事件でも経験したことだ。
 トランプ前米大統領の言葉遣いにも、類似した要素がある。国民のうち、海外からの移民に職を奪われ、彼らに反感を持っている白人層、特に低所得の白人層の不満を煽って、外国からの移民を非難、攻撃した。SNSを使ってそれを拡散した点が新しいとはいえ、不満をもった国民の心理を操作して権力を拡大しようとした点は、古い手法そのものである。
 言うまでもなく、20世紀に入って、このような心理操作によって国民を動員しようとしたのがヒトラーである。
 ヒトラーに言わせれば、貧しい労働者が仕事を終えて帰る夕方、特にどんよりとした空模様で今にも雨が降り出しそうな時、つまり多くの人々が疲れて冷静に、ロジカルにものごとを考えて理解する能力を欠いた状態にある時、国民の不幸の原因がどこにあるのか、誰のせいなのかをわかりやすく説き、その者たちを打倒することを呼び掛けることが、心理操作において非常に効果的だという。
 大衆心理を操作するために訴えかける内容は、もちろん論理的なものではなく、反証に耐えうるものでもない。わかりやすくいえば「〇〇主義者」のレッテルを貼って、対象を具体化し、それを攻撃するにすぎないからだ。○○主義の何が悪いのか、なぜその人物がそのレッテルを貼られるのかについてはもともと説明する気もないし、説明することもできない。
 何でもない一言が悪の証拠として指摘され、それを口にした人物は、その者の思想や主義に関係なく、○○主義者だ、○○人だといって差別され、攻撃される。そして、この世から消えろという大合唱にさらされる。
 ファシズムの根底にある「レッテル貼り」
 そのような無茶な論理の主張に対して、論理的な反論は容易だ。しかし、反証も反論も無視して、しつこく何度も何度も単純な理屈で、「この世の諸悪の根源は○○にある」「お前は○○主義者だ」と説かれると、最初はそんなことはないだろうと思っていた人たちの中にも、本気で信じ込む者も出てくる。そうではないと思っていても、反論して否定する気持ちは失せてくる。反論などすれば、場合によっては、その人も同類としてレッテルを貼られることになりかねない。
 こうしたヘイトスピーチを含むレッテル貼りの拡大、発想の連鎖が、まさにファシズムの根底にあると言える。今日でも、形態は異なるものの、国民の間に不満が蓄積してくると、やり場のない不満のはけ口を求めて、このようなレッテル貼りと非難攻撃はしばしば見られる。
 私も最近、「コロナ感染症の拡大が止まらないならば、要請で行動を自粛しない者に対しては強い手段を用いることもやむを得ない」「多数の国民を感染から守り、自粛要請に応じた正直な業者がバカを見ないようにするためには、私権を制限することもやむを得ない」といった趣旨のコラムを書いたところ、ツイッターなどで激しく非難され、罵詈雑言を浴びた。
 「そのようなことをいうヤツは、民主主義や基本的人権を否定するとんでもない輩だ」「また日本を戦争へ導くつもりか」「ファシストだ」「狂っている」等々。言葉としての「私権制限」→「民主主義の否定」→「軍国主義者」→「右翼の学者」という飛躍のある連想の主張が多く、そこには理性の片鱗もみられない。
 ツイッターの場合、確かに数行の中に思いを述べ、主張を書き込まなければならないことから、表現は短絡的、過激になる。さらに匿名の投稿の場合、発言への責任は問われにくいから、ますます悪口に歯止めが効かない。
 私の場合、賛同してくれた方も非常に多かったので、傷つくことはなかったが、まさにこのような形でファシズムが生まれていくのかと痛感した。特に、非難する人間のプロフィールを見ると、博士の学位を持った大学教員も含まれており、ナチスオウム真理教の幹部の中に、その体制を支えた医師や科学者がいたことを思い出した。
 非理性的な非難や攻撃があるからといって、言論の自由が保障され、反証や反対意見の表明も自由にできる現代のわが国では、そうした主張が簡単に拡大することはないだろう。
 SNSは国民にとって「武器」か「凶器」か
 しかし、言論の自由が保障されているとはいっても、SNSというツールが普及している現代では、逆に、こうした非難攻撃の波が容易に起こりうることは、頭の片隅で覚えておくべきであろう。
 権力の悪を暴き、権力の濫用を抑制する手段として使われる場合には、SNSは一般国民が持つことのできる強力な武器といえるが、その攻撃の矛先が横にいる一般人に向けられ、ヘイトスピーチや個人攻撃に使われる時、それは深刻な権利侵害の凶器となりうる。そのような場合には、すぐに政府に規制を求める声が上がるが、今度は、政府の統制が表現の自由を制約するものともなりかねない。
 コロナ禍でのこの1年、科学者の真摯な警告も、自粛を求められた一部の者の反発で、政府の政策に十分に反映させることができず、その結果、有効な対策が打てず、感染が長引いている。そのため、ますます不満が蓄積し、そのはけ口として言論の暴力が蔓延している。
 早く大多数の国民がワクチンを接種して元の暮らしに戻り、安心して過ごせるようになればよいが、それまではコロナによるストレス、それからくる不満をどのように社会としてコントロールするかという問題を考え続けなければならない。
 これといった妙案はない。しかし、まず理解すべきは、人間とは不満が溜まった時、そのように行動しがちであるということだ。そして、その理解に基づいて、自分の心を制御し、論理的、理性的に行動するように心掛けることだ。それが、社会において言論の暴力を蔓延させず、また政府による言論統制を招かない唯一の道である。」
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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⛩58)─1─日本の古海洋民にとって入江・湾は子宮、河口と川は産道であった。〜No.133No.134 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 素人による根拠がない妄想。
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 古海洋民にとって、外海は死の世界であり、入江や湾は生の世界であった。
 入江や湾に漕ぎ入る事で、生きて無事に生の世界に辿り着いたと喜び、浜辺・渚の奥に広がる緑の覆われた大地の上に聳え立つ神奈備・神体山を見上げて安堵し、そこに神を見た。
 河口に漕ぎ入り、川を遡った先に目指す理想の神奈備・神体山があれば、その川は神に繋がる命の産道であった。
 神から授かった命は、神奈備・神体山の神から見えない神の道=臍の緒を通して精気と栄養を得て育つと信じられていた。
 それが、石器時代縄文時代から受け継がれてきた日本民族の歴史・文化・伝統そして宗教であった。
 民族中心神話・血の神話は、日本列島を神の島と伝え、日本国を神の国と讃えた。
 日本民族が崇拝した神とは、命を生み出す子宮と産道そして臍の緒を持った女性神・母性神であった。
 石器時代縄文時代の女性的母性的自然崇拝はこの中から生まれ、日本のローカルな民族宗教はこうして発展して今日まで受け継がれている。
 それが、日本神道であり、女性神の血を正統に受け継ぐ男系父系天皇が一子相伝として執りおこなう宮中祭祀である。
   ・   ・   ・   
 生活総研
 みらいのめ
 さまざまな視点で研究員が「みらい」について発信します
 2016.09.02
 第11回
 縄文からみえる豊かな女性多数派社会?
 from 北海道
 生活総研 客員研究員
 北海道博報堂
 山岸 浩之
 北海道へ東京から家族5人で移住して3年近く経ちました。3人の子供達も北の大地でのびのびと暮らしていて、すっかりどさんこになっています。
 ところで、札幌生活を始めたころにちょっと驚いたことがありました。長女は札幌市内の小学校へ転校したのですが、クラスの名簿を見ると、男女の人数差があまりに違っていたのです。クラス32名のうち、男子13名に対して女子がなんと19名!女子が圧倒的に多いのでした。これは、学年全体・学校全体ではこれほどではないにしても同じ傾向のようです。
 確かに北海道は、進学や就職の際に道外へ出て行く男性の若者が多いようです。人口の流入数より流出数の方が多い「社会減」と言われる状況です。こうした地域にとっては、大きな課題となっていますし、UIJターンの促進にさまざまな形で取り組んでいます。
それにしても、こうした社会減の若者より、更に若い小学生からして女子の比率が高いとは。長女の学校では、極端な例だと思いますが、あらためて男女数の差という視点から少し調べてみました。
 日本全体の人口性比で見ると、女性100に対して男性94.2と女性多数。実に男性より女性が348万人ほど多くなっていました(平成26年10月時点)。女性の平均寿命が長いことも影響しているかと思います。であれば、今後も女性比率が高まるのでは。そして北海道では、女性100に対して男性89.1と更に女性が多数な地域でした。これは、女性多数派社会の先進地域(?)とでもいえるのではないでしょうか。果たして女性が多数になるとどんな世の中になるのか?ぜひ想像してみて頂ければと思います。
 さてさて、唐突ですが話は約1万5,000年前の縄文時代まで遡ります。
 北海道は、その縄文時代が長かったことで知られています。本州が弥生時代奈良時代に入っても、北海道では続・縄文時代として続いていました。縄文時代というと、やはり竪穴式住居と土器が思い浮かびます。それまでの旧石器時代は、獲物を求めて洞窟などを移動しながらで暮らしていましたが、ようやく定住の地を見つけました。つまり、マイホームを手に入れて、キッチン用品を充実させ、いろんなアイデアで料理する、それが縄文ライフスタイルというわけです。
 自然の恵みを取り過ぎないようバランスのとれた生活を心がけ、小さなムラをつくって隣近所と助け合いながら次の世代、次の世代へとつないでいく。これが実に1万年以上も続いていたというのは驚きです。
 実は、女性中心の大家族と平等主義な社会であったことが長期安定を支えてきたと言われています。縄文のビーナスという土偶に象徴されるような、まさに女性が活躍していた時代だったのでは。ただ、縄文人の平均寿命は31才程度で、過酷な生活環境だったという研究結果もあります。その分、自然と同じように女性と子供、生命をコミュニティ全体で尊重し、大切にしていたようです。厳しいながらも、この時代ならではの豊かさがあったのではないでしょうか。
 また、縄文時代の初めから北海道と北東北は、津軽海峡文化圏と呼ばれる共通の文化基盤を持っていました。17箇所に及ぶ北海道・北東北の縄文遺跡群は圧巻です。そして今年、北海道と本州を結ぶ北海道新幹線が開業しました。時代を超えて新たな青函経済圏として活性化が期待されています。
 人口減少の波の中では、交流人口の増加こそが大事。これまでのハード・インフラの開拓を、ソフト・コミュニティの開拓へとつなげていかなければなりません。そこは、なんといっても女性の方が長けているはず。
 縄文時代には、みらいの女性多数派社会を豊かにするヒントがあるかもしれません。とても大きな研究テーマ。まずは縄文文化に触れてみないといけません。
 というわけで、冒頭の写真は、縄文時代の国宝土偶「カックウ」の顔のミニチュア(函館市縄文文化交流センター提供)。文様づけの体験が手軽にできるそうなので、今度家族で函館に行こうと思っています。レジャーではありません、研究です笑
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 東洋経済
 「東洋経済オンライン」
 日本人が知らない「縄文人」の意外な恋愛事情
 縄文人たちも恋をしていたのか?
 譽田 亜紀子 : 文筆家
 著者フォロー
 2018/11/25 5:30
 縄文人たちも人を好きになったりしていたのだろうか(写真:夏泊 / PIXTA
 平成の終わり間際になって突然、縄文時代が注目を浴びていることで始まった本連載。前回(空前の「縄文ブーム」背後にある日本人の憂鬱)は、縄文人たちの世界観と、そこに惹かれる現代人について述べた。そこで今回は、彼らの暮らし、主に出産や子育てにまつわる話について具体的に紹介していこうと思う。
 ただし、ここに記載する内容は、発掘調査によって見つかった遺構、および出土物から「こうではないか」と考えられることである。つまり、遺物から想像すると、ということであり、どんなに高名な研究者であろうと、タイムマシンに乗って当時を確認しないかぎり正解はわからない。そのことを念頭にお読みいただければと思う。
 縄文人はどんな恋愛をしていのか
 講演会やトークイベントなどで、「縄文人たちも人を好きになったりしていたんでしょうか」と、聞かれることがある。これはなかなか衝撃的な質問だ。
 確かに縄文人は昔の人たちすぎて、自分の想像をはるかに超えてしまっているから、「恋愛していたかどうか想像できない」ということかもしれない。そこで、この質問がされたときには決まってこう答えるようにしている。
 「私たちと同じホモ・サピエンスですからね。きっと人のことを好きになったり、大事に思ったりしていたはずです」
 1万年以上前の人たちと、今の私たちをつなげて考えるのは難しい。あまりに環境も暮らしも違いすぎるから、同じ人間とは思えないのかもしれない。しかし、前回も書いたように、私たちの中には縄文人のDNAがおよそ12%引き継がれている(沖縄、アイヌの人々はもっと多い)。
 もっと冷静に考えてみれば、盛衰はあったにせよ、日本列島に人が暮らし続けたということは、今の私たちと同じように、男女が交わり、子どもをつくってきたからである。だから私たちが存在する。縄文人たち、1万年以上、ずっと交わってきてくれてありがとう、と心の底から私は言いたい。
 そもそも、男女が交わり子どもをつくり、次に命をつなげることが彼らの最大ミッションであったと言っていい。そう言うと「フリーセックスの時代だったんだよね? いいな、縄文人たちは」と言う人がいる。
 そんなことはない。
 いや、そういう人も中にはいたかもしれないが、それは縄文時代に限った話ではない。いつの時代にもそういう主義の人はいただろう。ただ、縄文時代の人々の多くがそうであったかと言うと、そんなことはないのではないか。
 集落内の恋愛はタブーだった?
 50人以上が一時期に暮らすような大規模な集落ならいざ知らず、一般的な集落はおよそ15~20人ほどで暮らしていたという。構成としては、縄文時代に限らず世界中の先住民でも同じであるが、血縁者を中心に営まれることが多い。その中で年頃の娘が恋に落ちようとすると、条件的にはかなり難しいだろう。
 もちろん禁断の恋、というのもあっただろうが、昼ドラも真っ青の血みどろの争いになるのは間違いがないから、そんな危険はそうそう犯さなかったはずだ。それと、彼らは、それまでに培われた多くの経験から、血縁者と交わることによって起こるさまざまな問題を把握していたはずだ。よほどのことがないかぎり、集落内の恋愛はタブーだったのではないか。
 年頃の娘はどうやって恋に落ちていたのか。
 縄文時代は私たちが思う以上に列島内での交流、交易が盛んに行われていて、伊豆諸島の八丈島にある倉輪遺跡からは、関東、東海、近畿を中心に、遠くは青森の土器も見つかっている。縄文人たちは小さな丸木舟に乗って荒波を越え、島に向かう旅をしているのだ。
 もちろん、陸路もある。70カ所ほどある黒曜石の産地のうち、縄文人たちにとって最高のブランド黒曜石は長野県産のものだったようで、数百キロ離れた遺跡から見つかることも多い。
 もちろん、物だけが移動するはずもなく、人が運んでいる。集落から産地に赴き、入手することもあれば、現在のように仲介人のような存在が運んでいたことも考えられる。つまり、集落以外の人間がやってくる機会がそれなりにあったということ。これは、年頃の娘がいる集落にとっては絶好のチャンスである。
 物も欲しいが、婿はもっと欲しい。
 集落のオサをはじめ、総出で旅人をもてなし、少しでも長く滞在させたことだろう。居着くこともあれば、娘と恋仲になって子どもだけをつくり、外に出ていってしまうこともあったはずだ。
 縄文人の初産は18~19歳くらい
 とはいえ、男性には申し訳ないが、集落としては子種さえあれば良かったのではないか。その観点から見ると、縄文時代に作られた男性器を模した「石棒」という遺物も納得がいく。女性や妊婦を表現した土偶に対して、男性は男性器だけを表現した石棒で、全体を表現されることがない。なんとも露骨な話である。
 ほかに、いくつかの集落が、拠点集落と言われる大きな集落に集まり、一堂で祭りを行うことがあった。今でもそうだが、一種独特な高揚感も手伝って、祭りの場は恋が芽生えやすい。祭りの際には、皆ハレの衣装で着飾って祈りの儀式を行い、若者たちはその後、森に消える……。
 一年に数度行われる大きな祭りも、縄文人たちにとっては大切な出会いの場だったのだ。
 そうして外から新たな血を入れて集落は維持され、時に大きくなった。
 古人骨の研究者によれば、現在の狩猟採集民の民族事例から考えて、縄文人の初産は18歳から19歳ではないかという。
 意外に遅い。
 今よりも栄養状態が悪かったことを考えれば、初潮は14歳から15歳ぐらいだったはずで、だとすれば、この初産はごもっともである。それに、初潮が来たところで、前述のようにうまく男女が恋仲にならなければ、身ごもるチャンスはない。
では、一生のうち、何人ほど産んでいたのか。
 これも民族事例から考えて4人から6人ほどだったのではないかという。もちろん、栄養状態が良くなり、人口がいちばん増えた縄文時代中期はこの限りではないだろう。平均して、このぐらいだったのではないか、ということである。
 平均寿命は40歳前後と考えられるから、人によってはずっと妊娠、子育てしていることになる。そんな子だくさん、お母さんが疲弊しきっちゃうじゃない!と思うが、一時期テレビでよく目にした大家族の暮らしを思い出してほしい。上の子が下の子の面倒を見て、母の代わりをしていた姿を。
 「子どもは集落の子ども」だったのではないか
 縄文時代も言うに及ばず、上の子だけでなく、集落全体が社会の子どもとして面倒を見ていただろう。同じ時期に子どもを産んだお母さんがいれば、時には母乳だって融通していたはずだ。父親は狩猟の時にイノシシにやられることだってあるし、黒曜石を求めて集落代表として旅に出てしまうかもしれない。そうなると父親には頼れないから、集落全体で子どもを育てていくしかない。誰の子でも、集落にとっては大切な子どもなのだ。
 そもそも縄文時代は女性によって支えられた時代だと私は考えている。祖母から母、そして子へと生活の知恵が伝えられていく。女性たちは皆で子育てをし、森の恵みを採集し、料理を作る。季節によって土器を作り(男性が作る場合もあったと思う)植物の繊維から糸をよっては、布を編む。カゴ作りは男女共にしただろうが、暮らしの大部分を彼女たちが支えていたはずだ。
 今は核家族化が進み、子育ても自助努力と言われるが、限度がある。子どもを育てていく社会的現状は依然として厳しく、仕事と子育ての両立をしている女性たちの奮闘ぶりを見ると、頭が下がる思いだ。もちろん、男性も子育てに参加している人が多いとはいえ、やはり女性の負担が大きいのは否めない。
 縄文時代のような、子どもは集落皆の子ども、という考え方を現代に落とし込んだ仕組みはできないものか。当時、壮年の男女は働くことに忙しく、子どもの面倒を見るのは集落の年長者だったとする研究者が多い。
 昭和30年、40年代までの日本はそうだったし、地方では、まだその流れがある。まったく同様にとは言わないが、都市部も横とゆるくつながり、お互いさまで連携が取れる社会の仕組みが今まで以上に求められている。
 縄文時代のリアル子育てを見てきたわけではないけれど、そこに何かヒントがある気がしている。
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 2021年6月30日18:13 MicrosoftNews ITmedia NEWS「3000年前の縄文人、サメに襲われていた 人骨に残るかみ跡などから判明 最古記録を2000年更新
 © ITmedia NEWS サメの襲撃にあった、約3000年前の縄文人の人骨(発表資料より)
 京都大学などの研究チームは6月30日、岡山県の津雲貝塚から発掘された約3000年前の人骨に残る傷が、サメの襲撃によるものと特定したと発表した。これまで見つかっていたサメ被害の直接証拠は、プエルトリコで見つかった約1000年前の人骨が世界最古だったという。今回の発見は、人類史に残るサメ襲撃事件の最古記録を2000年以上更新することになるとしている。
 この人骨は1919年に発掘されたもので、発掘元の津雲貝塚縄文時代の代表的な遺跡の一つとして知られる。人骨からは右足や左手が失われていること、骨に無数の傷があることは知られていたが、その理由については特定されていなかったという。
 人骨の傷に注目したのは、オックスフォード大学で生物考古学を研究している大学院生のアリッサ・ホワイトさん。京都大学に訪れ、縄文・弥生時代の人骨に残る傷を観察する中で「日本で遭遇しうる数少ない大型肉食動物であるサメによるものではないか」と考え、サメ襲撃に詳しいフロリダ大学の研究者や、京都大学東京大学東京都立大学東海大学、独マックス・プランク研究所とともに研究を進めた。
 人骨は35~45歳程度の男性。死亡時期は紀元前1370~1010年とみられる。全身には少なくとも790の傷跡が見られるが、治癒の経過は認められなかった。傷跡の特徴を見ると、サメのかみ跡に共通する特徴が複数観察された。同じ部位を複数回かむ、臀部や下半身に深い傷があるといったサメ被害の特徴にも一致するという。左手首には切断面があり、右手側には損傷がなかったことから研究チームは「サメに対し左手で防御し、かみ切られたのかもしれない」としている。
 研究チームは「装飾品としてサメの歯が使われていたことは知られているが、形が好まれただけではなく、危険な動物としての認識した上での価値があったのかもしれない」と考察している。
 研究成果は、米国の国際学術誌「Journal of Archaeological Science: Reports」のオンライン版に6月23日付で掲載された。
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 NATIONAL GEOGRAPHIC
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 古代
 9000年前に女性ハンター、「男は狩り、女は採集」覆す発見
 狩猟採集民の食料調達、男女の異なる役割は生物学的か否か
 2020.11.09
 9000年前の南米アンデス山脈における狩りの様子を描いた想像画。この時代の墓を分析したところ埋葬されたハンターが女性だったことは考古学者たちを驚かせた。 
 2018年のある日。米カリフォルニア大学デービス校の考古学者ランダル・ハース氏の研究チームは、ペルーのアンデス山脈で発掘された約9000年前の墓の周りに集まった。墓の中には成人のものと思われる骨とともに、多種多様で見事な狩猟用の石器があった。大きな獲物を倒し、その皮をはぐ作業までの道具がそろっていた。
 「彼はきっと優れたハンターで、集団の中でとても重要な人物だったにちがいない」。当時、ハース氏とチームのメンバーたちはそう考えていた。
 だが、その後の分析によって意外な事実が明らかになった。石器のそばで見つかった人骨は、女性のものだったのだ。それだけではない。11月4日付けで学術誌「Science Advances」に発表された論文によれば、当時の南北米大陸では、女性のハンターは例外的な存在ではなかったという。
 論文の著者らはこの発見を受けて、米大陸全域で発掘された同時代の墓の調査結果も見直した。その結果、大型動物ハンターの30~50%が女性だった可能性が明らかになった。
 古代の狩猟採集社会における男女の役割については数十年にわたって議論が続いているが、今回の調査結果は、そこに新たな証拠をもたらすことになる。先史時代には男性が狩りをし、女性は採集と育児をしていた、というのが広く知られている考え方だ。だが一部の学者は、こうした「伝統的な」性別による役割分担は、19世紀以降の世界の狩猟採集民を調査してきた人類学者の記録に由来するもので、古代の人々にも当てはまるとは限らないと主張してきた。
 今回の調査結果は、ペルーの人骨が狩猟をする女性だったことを裏付ける確かな証拠だ。だがその他の多くの証拠は長い間見過ごされてきたと、米マイアミ大学の考古学者パメラ・ゲラー氏は指摘する。なお氏は今回の研究には関わっていない。
 「データはそこにあるのです。研究者たちがそれをどう解釈するかが問題です」と氏は言う。(参考記事:「有名なバイキング戦士、実は女性だった」)
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縄文の女性シャーマン カリンバ遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」128)
見出された縄文の母系制と月の文化
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 現代日本人とは違って日本民族縄文人、南方系海洋民は、陸地から完全に離れ、海上或いは海中で生きる事はできなかった。
 日本民族縄文人、南方系海洋民にとって、現代の日本人とは違って「海とは」一切の束縛がない自由の天地ではなく死が支配する恐ろしい地獄であった。
 現代の日本人と日本民族縄文人、南方系海洋民とは違っていた。
 現代の日本人は、昔の日本人と違って、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がない。
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 マルクス主義共産主義)は科学で、キリスト教絶対神の福音で、中華儒教は教条的観念論で、日本中心神話・土着宗教を野蛮で害毒であると否定し破壊し崩壊させ消滅しようとしている。
 その現れが、宗教否定及び血筋・血統抹消の正当女系母系天皇問題である。
 それは、反宗教無神論・反天皇反日本の左翼・左派・ネットサハも人種差別主義の右翼・右派・ネットウヨクもかわりはない。
 そうした日本人が多いのが、高学歴な知的インテリや進歩的インテリであり、世代的にいえばリベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代である。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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⛩10)─1─琉球の縄文人(原日本人)は南海から日本列島の神奈備・神体山を目指した。~No.18No.19 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 琉球縄文人は、現代の琉球人と日本民族にとって共通の祖先である。
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 2021年7月1日号 週刊新潮「Book ノンフィクション
 評者 角幡唯介
 『アースダイバー 神社編』 中沢新一 講談社
 歴史を解読し、紡がれる 原日本人の壮大な物語
 この本は思考の力で精神の始原(しげん)を探求してきた中沢人類学のひとつの総決算ではないだろうか。本書をめくりながら、私は地図をもたずに日高山脈を登ったときのことを思い出していた。地図がないということは、この先に山があるのかも不明、という極端な状況のなかで登るということである。そこに突然見事な姿の山があらわれると、人はその威容に愕然とし、目の前に存在ごと組み込まれる。それは未来を予期し、情報を得たうえで確認する山とは全然ちがう、裸の山だ。はじめて日本列島に到着した原始の人が富士山を見たときの経験に、これは近いのではないかと思った。
 聖地の由来を象徴から読み解くこの本によれば、舟で列島にたどりついた縄文人は、各地の円錐形の山を神奈備として祀り、麓に住んだという。彼らの心性では大地の奧にひそむ不可視の力はときに雷や蛇となり立ち上がる。その現場がや、山であり、こうした創造の物語は彼らの故郷である南方の神話にも語られている。そしてそれがわかるののは、諏訪、出雲、大神(おおみわ)など列島各地に今も残る神社の古層に縄文の世界観が埋め込まれているからだという。
 神社には縄文古層、弥生中層、歴史時代以降の新層が折り重なる。表向きは新層しか見えないが、神話、古文書、祭祀の対象となる遺物などを慎重に分析することで見えない古層が露出するというのである。
 古層を解説し、紡がれてゆく原日本人の壮大な物語はじつにスリリングだ。まるで縄文弥生の原始の人々蠢(うごめ)きが、自然との関わりから生みだされる思考が、見えてくるようである。でもそれだけではないはずだ、と思える。こうした古層は何も土地や神社だけでなく、われわれ一人一人が山や自然に触れた折に何気ない感受の仕方にも秘められていて、その各々の古層と土地の古層は確実に共鳴しているだろうからだ。日高で見た裸の山のように。」
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 日本列島は、神の島として多様な神話の宝庫であった。
 日本民族は、数多の神話に囲まれ、八百万の神々と共に生きてきた夢想家・夢追い人・船乗り・旅人であった。
 日本民族のローカル宗教は自然神崇拝ではあるが、大陸におけるアニミズムの精霊信仰や地母神信仰とは根本からして違う。
 日本民族は、地産地消として、目の前で農耕漁労と狩猟採取をおこない山海の珍味を活きの良い新鮮な状態で火を使って調理し、神々に感謝して「ありがたく」食べ、その亡骸を心を込めて「丁重」に葬っていた。
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 日本列島に上陸したファースト日本民族日本人は、南方・琉球・長江から流れ着いたのであって北方・西方・朝鮮半島黄河から渡ってきたのではない。
 南方系海洋民の子孫である日本民族は、小さな手漕ぎ丸木舟を操船し、石器時代縄文時代から日本海を主要航路として日本列島を中心に広く住み乱婚を繰り返しながら生きてきた。
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 人は、生きる為にランドマークを目指す。
 海洋民は、山のある島(火山島)か平坦なサンゴ島を目指す。
 大陸で、草原の民は山・川を目指し、砂漠の民は森林とオワシスを目指した。
 海洋民と砂漠の民に似た所がある。
 例えば、蛇は、海洋の民と砂漠の民にとって神聖な生き物で、草原の民にとって邪悪な生き物であった。
 何故、蛇を生命の象徴として神聖視したのか、それは人が生きていけない海の中や砂漠でも逞しく生きていたからである。
 海洋民と大陸民とでは、山の意味が違う。
 当然、日本民族朝鮮人とでは「神奈備」は別物で、先に意識したのは日本民族であり朝鮮人は後である。
 中国の山は反権力、反権威、反儒教、反皇帝として、道教の仙人が住む霊山、仏教の逃避地、梁山泊の盗賊の巣である。
 朝鮮には、道教はない。
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 神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とは、神道において、神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁した領域のこと。または、神代(かみしろ)として自然環境を神体(しんたい)とすること。万葉集においての表記は7つ(22首、23例)ある。
 神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域や、神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や神体山を、また特徴的な岩(夫婦岩)や滝(那智滝)がある神域などをさす。神籬と磐座の総称でもある。依り代となる森林や岩などがない「神奈備野」もある。
 概要
 「カンナビ」は「神並び」の「カンナラビ」が「カンナビ」となったとする説や、「ナビ」は「隠れる」を意味し「神が隠れ籠れる」場所とする説がある。もっとも後者は、上代特殊仮名遣いの発見により否定されている。
 神奈備アニミズムでもあり、自然への感謝や畏敬や畏怖の体現であるが、神の住まう神域や、常世(とこよ)と現世(うつしよ)の端境、または、その常世と現世をわかつ結界や、禁足地なども意味する。
 自然を手付かずに残す事例として、自然環境の保護の観点からも重視され、里山やその周囲の文化として貴重であり、固有の土壌細菌の発見が新薬の開発のきっかけとなることがあるほか、世界中の自然環境学の研究者などが、研究に訪れる場所でもある。
 現在の神社神道の神体は「社(やしろ)」であり、神奈備とはいわない。神社神道も本来は日本で自然発生的に生まれた原始宗教といわれ、自然崇拝や精霊崇拝を内包する古神道から派生して現在に至る。現在の神社には、主たる祭神の尊(みこと)とは別に、「自然」という神体が存在するのが常で、神体として注連縄が飾られた社とともに、境内の内外に神木や霊石や鎮守の森の湖沼や滝などの神体が存在する。古い神社では、拝殿や本殿もなく、自然の神奈備そのものを祭神として祀るところもある。
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「神奈備」の解説
 神奈備 かんなび
 古代において神霊の鎮まる場所で、小山や森のような所と考えられる。神名樋、神名火、甘南備などとも書く。「かんなび」の語義については、(1)神の森の転訛(てんか)、(2)神並び、(3)朝鮮語ナムNamu(木)からおこり、神木の意、(4)神隠(かんなば)りの意など、古来種々の説があるが、(4)の説が妥当と考えられる。「かんなび山」の名称をもつ山は諸国にあったが、大和(やまと)の三輪山(みわやま)(奈良県桜井市)がもっとも著名である。このほか大和(奈良県)、出雲(いずも)(島根県)に多いため、出雲系の神を祀(まつ)ったものであろうとする説が有力である。大場磐雄(おおばいわお)は、この山容が円錐(えんすい)形または笠(かさ)形の美しい姿をして目につきやすいので、神霊が宿るにふさわしいものと考えている。
 [亀井正道
 三輪山
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 神体山(しんたいさん)とは主に神道において神が宿るとされる山岳信仰神奈備(かむなび・神々が神留まる森林を抱く山)の山をいう。
 また、「霊峰」とも呼ばれ、霊峰富士とされる富士山が代表的なものである。また峠や坂という小さな峰も神域や神が宿る場所とし畏怖畏敬された。
 概略
 文化人類学アニミズム論によれば、人類は生と死という現象を客観的に捉え、それを自我や意識に合わせた観念として「命」という認識を作り出し、生き物や自然の山河や岩や木々にも命や神や霊が宿ると考えた。日本でも同様に、神道、特に縄文時代以前からある縄文神道といわれる古神道では、大きいものや長いものや古いものに、より位の高い神が宿ると考えた。
 フィリピンのアカ族が信仰するピナトゥボ山
 その代表的なものが山や峰峰(連峰)であり、特徴的な大きな山には特に神が宿るとされ、これを山岳信仰という。山岳信仰は日本に限らず世界中にあり、ケニア南部のマサイ族やキクユ族は神が座する山としてキリマンジャロを信仰し、その他にはチベットシェルパ族はエベレストを、中国雲南省のナシ族(納西族)は玉龍雪山を、オーストラリアのアナング(アボリジニ)はウルル(エアーズロック)をそれぞれ神が宿る、神の山として信仰している。
 日本では神奈備(かんなび)といわれるものが、山岳信仰の一つの形である。古くは神奈備は磐座(いわくら)・磐境(いわさか)とともに、普通の山だけでなく、火山や森を抱かないいわゆる裸山や禿山も信仰の対象としたが、神奈備は木々や森林を抱く、集落に隣接する山として、鎮守の森や神籬(ひもろぎ)に変わっていき、磐座は夫婦岩などとともに岩・奇岩や巨石・奇石として霊石になり、現在では神籬と合わせ神社神道玉垣の原型とされる。
 これら古神道の信仰された場所に、現在の多くの神社神道の「社(やしろ)」が建立され、祭神は自然そのものから「尊」(みこと)といわれる人格神に取って代わっていった。このことは古代の神社の多くが神体山信仰(神奈備)に起源があり、その根拠として、神社の建築様式では基本的に「鳥居→社殿→神体山」という序列があり、参拝者の後方に神体山がある場合にも参道を考慮するとこの序列が成立するとする説からもうかがわれ、他の説もあるが、池辺弥が、古くから大規模集落にみられる祈祷や祭礼の場所としての古神道の神殿から、仏教思想の影響により、神社の本殿に神が鎮座するとする「神常在思想」が発生したとすることなども、古神道の場所に神社が建立された、とする説明に合致する。また景山春樹は古墳や塚と同様に祖霊信仰に始まり、やがて山そのものを信仰する自然神道的な形態に変遷し、後に山中の祖霊神に農耕の神の観念が重なっていったとする。
 後世には古神道山岳信仰が、密教禅宗道教陰陽道)と習合した、修験道での登拝も活発化した。
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 草原の民にとって蛇は、魔物か悪魔の使い魔として嫌われ、見つけたら殺していた。
 ネズミを捕食する蛇、キツネ・オオカミ・猫、鷹・フクロウなどの肉食動物を、宗教的理由で殺す事がペスト蔓延の原因となっていた。
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 縄文人は、日本列島を中心として、南は琉球、北は北海道・北方領土南樺太・千島列島、西は朝鮮半島南部に住み、東シナ海日本海ベーリング海を主要航路として小さな手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 一部の縄文人は小さな手漕ぎ丸木舟で、カムチャツカ半島ベーリング海を経てアラスカ・北米太平洋岸北部まで移動していた。
 縄文人は、南北アメリカ大陸の北方アジア系先住民(マイノリティ)と血の繋がりがある。
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 南方海洋民系日本民族と西方草原の民系中国人、朝鮮人・韓国人とは、別系統のアジア人つまり別人である。
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 日本民族は、人として数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
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 6月29日13:31 MicrosoftNews 時事通信「世界最古、サメに襲われた遺体発見=3000年前、日本で―英大学
 © 時事通信 提供 海を泳ぐホホジロザメ=2010年8月、オーストラリア南部ネプチューン諸島沖(AFP時事)
 【ロンドン時事】人間がサメに襲われるニュースが世界各地で後を絶たない中、国際的な研究チームが、世界最古のサメに襲われた犠牲者の遺体を発見した。英オックスフォード大が発表した。3000年以上前、場所は日本の瀬戸内海だという。
 24日付の発表によると、この遺体が見つかったのは岡山県の津雲貝塚。遺体には少なくとも790カ所のギザギザの傷が付いていた。
 研究チームはサメの研究者の助けを得て、考古学と法科学の手法を組み合わせて遺体がサメに襲われたと特定。紀元前1370年~同1010年の間に死亡した成人男性と結論付けた。
 研究によれば、この男性は仲間と一緒に釣りをしているところをサメに襲われたとみられ、遺体はその後すぐに回収され、埋葬された。歯形の特徴などから襲ったのはイタチザメかホホジロザメの可能性が高い。
 論文共同執筆者の独マックス・プランク研究所のマーク・ハドソン博士は声明で「この発見は古代日本に新たな視点を提供するだけでなく、考古学者が先史時代の集落の生活における劇的なエピソードを再現できたまれな例でもある」と意義を強調した。」
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 6月30日 MicrosoftNews 京都新聞「サメに襲われた最古の人骨、京都大で発見 英国学生が確認、京大研究者「しまった、そうだったのか」
 約3千年前にサメに襲われた痕跡が確認された人骨。いくつもの三日月型の傷が見える(30日、京都市左京区・京都大)© 京都新聞社 約3千年前にサメに襲われた痕跡が確認された人骨。いくつもの三日月型の傷が見える(30日、京都市左京区・京都大)
 サメに人が襲われた最古の直接証拠が、岡山県貝塚で発掘された約3千年前の人骨にあった-。そんな研究成果を、京都大などが30日発表した。掘り出されて約100年、千人を超える研究者が目にしてきた人骨からの新発見。英オックスフォード大から京大に来ていた大学院生アリッサ・ホワイトさんのお手柄で、京大の研究者は「傷があることは知られていたが、誰も深く探究しなかった。サメのかんだ痕と言われ『しまった。そうだったのか』と思った」と苦笑いする。
 航海の開始以来サメによる被害はあったとみられるが、これまで直接証拠としては、プエルトリコで発掘された千年前の人骨が世界最古だった。今回の発見は、2千年ほど記録をさかのぼることとなる。日本国内における先史時代での捕食による死亡例としても、初めての確認となるという。
 当該の人骨は1919年に津雲貝塚で見つかった。右脚や左手の部分は欠損している。35~45歳の男性で、身長は当時の縄文人としては標準的な158センチ。発掘時の写真からは、ほかの遺体と同じように屈葬されている様子が分かるという。人骨は京大が保管し、多くの研究者が見られる状態だった。
 京大理学研究科の中務真人教授によると、ホワイトさんは2017年ごろ人間同士での闘争について関心を持ち京大にある人骨を調べていた。その中で同研究科が保管していた当該の人骨を見て、人間が原因の傷にしてはしつようで、傷のタイプが似通っていることに疑問を持った。英国に帰ってからサメの専門家らとも研究を続けた後、同じ方向に走る傷の形状などから、サメのかんだ痕だと判断した。解析すると、全身で約800に及ぶ傷が残っていることも分かった。下半身に傷が多く肉の多い部分が狙われたとみられる。
 襲ったのは、ホオジロザメかイタチザメと考えられるが、サメの歯は回収できなかったため特定には至らなかった。中務教授は人骨が埋葬された背景について「遺体は漂着した可能性がある一方、仲間がサメから取り返したのかもしれない」と推測する。研究成果は、米学術誌にこのほど掲載された。」
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アースダイバー 神社編
増補改訂 アースダイバー
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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⛩47)48)─1─地鎮祭・上棟式は日本民族の伝統的宗教儀式である。~No.111No.112No.113No114 ⑨

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 地鎮祭上棟式とは、日本神道独自の「畏れ身を慎む怨霊信仰」であり、怨霊を御霊に換える「穢れを払う言霊信仰」である。
 ローカルな民族宗教において、大地を「血と死で穢す」事が最も忌むべき禁忌とされた。
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 グローバルなキリスト教において、大地を祝福し恩寵・恵みを与えるのは天地創造の創り主・全知全能の神・生と死を司る唯一絶対神のみである。
   ・   ・   ・   
 中華儒教は、正義の勝利と天子の統治を正当化する為に人もしくは牛を生贄として殺し血を大地に注ぐ儀式を執りおこない、団結を強化する為に生贄の血を飲み肉を食らう血盟儀式=義兄弟儀式を行った。
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 1. 式典の歴史 (地鎮祭上棟式の歴史)
 建物を建てる時には、どんな人でも、末永く持つ堅牢で安全な家が建つことを願うものです。また、そこにこれから住む家族の、健康や幸せをもたらせてくれる家である事にも、祈らずにはいられません。
 その素直な気持ちから、古くから建築工事中の各時期に、式典を設け工事の安全と建物の末永い神の加護を祈ります。
 特に地鎮祭の歴史は古く、持統天皇期の日本書記にはその記述があり、既に行われていたようです。地鎮祭は単に神事だけでなく、仏教の寺院でもそれに該当する儀式が行われていたと推測されています。というのも東大寺金堂や興福寺金堂などから、地鎮祭の際に土地の神様に捧げて埋める「鎮物」(しずめもの)が出土しているからです。
 地鎮祭が実際に建築儀礼として認められ広く普及していったのは、江戸時代後半になってからだと考えられています。
 また、上棟式は、平安時代初期から行なわれ、中世に盛んとなり、居礎(いしずえ)、事始め、手斧始め(ちょうなはじめ)、立柱、上棟、軒づけ、棟つつみ等、完成まで の建築儀式が数多くありましたが、江戸時代になって、これらの建築儀式を代表する形で、上棟式だけが行なわれるようになりました。
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 1. 式典の歴史 (地鎮祭上棟式の歴史)
 式典とページのタイトルをしたのは、地鎮祭上棟式、定礎式、竣工式(落成式、除幕式、火入れ式)、式の銘で工事の節目では祭儀が行われるところから、それらをすべて含めての表現するためです。
 建物を建てる時には、どんな人でも、末永く持つ堅牢で安全な家が建つことを願うものです。また、そこにこれから住む家族の、健康や幸せをもたらせてくれる家である事にも、祈らずにはいられません。その素直な気持ちから、古くから建築工事中の各時期に、式典を設け工事の安全と建物の末永い神の加護を祈ります。
 特に地鎮祭の歴史は古く、持統天皇期の日本書記にはその記述があり、既に行われていたようです。地鎮祭は単に神事だけでなく、仏教の寺院でもそれに該当する儀式が行われていたと推測されています。というのも東大寺金堂や興福寺金堂などから、地鎮祭の際に土地の神様に捧げて埋める「鎮物」(しずめもの)が出土しているからです。
 地鎮祭が実際に建築儀礼として認められ広く普及していったのは、江戸時代後半になってからだと考えられています。
 また、上棟式は、平安時代初期から行なわれ、中世に盛んとなり、居礎(いしずえ)、事始め、手斧始め(ちょうなはじめ)、立柱、上棟、軒づけ、棟つつみ等、完成まで の建築儀式が数多くありましたが、江戸時代になって、これらの建築儀式を代表する形で、上棟式だけが行なわれるようになりました。
 地鎮祭上棟式、竣工式などの式は『神をお迎えし』『神に依る加護を賜り、加護を祈る』『神をお送りする』という三つが流れになっています。そのうち、『神をお迎え』の儀式と『神をお送りする』儀式はどのケース(地鎮祭上棟式、竣工式)でも共通のものです。
 全体としてみると、なんだか大変なように思えますが、最初と終わりは共通ですから、一度地鎮祭で経験すれば、上棟式や竣工式でも不安はありません。違うのは、神を迎えて地鎮の儀か上棟の儀かあるいは竣工の儀の違いです。それぞれの違いを把握しておけば、恐れる必要はありません。
 もう少し言えば、『神をお迎え』の儀式と『神をお送りする』儀式はどのケース(地鎮祭上棟式、竣工式)でも共通のものです。
 つまり最初と終わりは共通のものです。宮司さんは、そこのところを心得ていて儀式をとり行っていくだけのことです。
 ■ 仏式の式典もある
 これまで、紹介してきたものは、神道式のものですが、地鎮祭上棟式には仏式もあります。私も一度ですが、仏式の地鎮祭が行われるのに参加したことがあります。(下の図)
 正式には、仏式の場合は、地鎮祭とは呼ばず「起工式」と呼んでします。しかし、その意義は神仏両者とも何ら変わりはありません。
 即ち、工事の安全と末永く住むことが出来る住まいへの願い、そして建てることが出来ることへの神仏への感謝です。
 神道式では祭壇となるところが、本尊をまつります。玉串の奉天ではなく、焼香台が設けられます。その他の形式では、地域や宗派により様々です。
 画像出典:仏式地鎮祭は藤井工務店 サギョウニッシによりました。
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 キリスト教では。
 父なる神は、天地を創り、大地を創り、特別でない有り触れた土・塵・芥(あくた)を捏ねて人を創り命・魂を埋めて生き物とした。
 人は、土から生まれ、死んで土に還る。
 父なる神は、人はもちろん大地、土地、土・塵・芥を祝福している。
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 ゆかしき世界
 HOMEブログの目次宗教日本の地鎮祭を知って、欧米の外国人が連想したことは?
 2019.10.29
 日本の地鎮祭を知って、欧米の外国人が連想したことは?
 きょう(2019/10/28)、ラジオ番組で地鎮祭のことを話していた。
 これは新築や改築などの工事を始める前に行う儀式で、土地の神様に「この土地を使わせていただきます」という挨拶と「工事が無事に終わりますように」というお願いをする。
 この他にも地鎮祭には、「新しくできる建物に3つの宝を招く」という意味もあるらしい。
 {この3つの宝とは『健康』、『財産』、『和合(わごう)』のことです。『和合』には“親しみ合うこと”、“仲良くすること”という意味があります。
 ニッポン放送のラジオ番組「スズキ・ハッピーモーニング 鈴木杏樹のいってらっしゃい」}
 話はかわって、2013年に兵庫県で新築を建設中、作業員がいたずらで玄関の基礎部分にドラえもんの顔を描いたところ、見学にきた家主に見つかるという“事件”が起きた。
 「精神的苦痛を受けた」と激怒した家主は裁判へ訴える。
 訴えられた建築メーカー側は、「落書き部分は完成後に見えなくなる予定だった」と反論。
 この話をアメリカ人したら、ドラえもんの絵を描いたという部分で大笑いして、裁判へ訴えたという部分で「ええっ!」と驚いていた。
 くわしいことはこの記事をどうぞ。
 日本人とアメリカ人の感覚の違い。”ドラえもん落書き訴訟”から。
 このとき地鎮祭の話をして、アメリカでも同じような儀式や行為があるか聞いたら、「そんなもん、聞いたことねえよ」と一蹴されてしまった。
 ただ世界中の移民が集まるアメリカは宗教のデパートでもあるから、自分の知らないところでそういうことをする人がいるかもしれない、と言う。
 ただドラえもんではなくて、ハーケンクロイツを描いたら問題になると話していた。
 このあと別のアメリカ人やイギリス人、トリニダード・トバゴ人などの外国人とホームパーティーをしたとき、彼らキリスト教文化圏の人たちに「ドラえもん落書き事件」の話をしてみた。
 みんな同じ反応で、「それはジョークの範囲内。裁判へ訴えるほどのことではない」とあきれる。
 ついでに日本で行われる地鎮祭の話をして、それについて聞いてみたら、これもみんな「そんな宗教儀式は知らない」という。
 キリスト教と家を建てるという行為にはまったく関連がないらしい。
このとき彼らは、「私たちの国なら、ホームウォーミング・パーティーをする」と話す。
 新しく家を建てたり引っ越しをしたときには、お祝いとしてその家や部屋で、みんなが食べ物を持ち寄ってパーティーを開く習慣が欧米にある。
 ホームウォーミング・パーティーアメリカのドラマでも見たから知っていたけど、地鎮祭の話を聞いた外国人がまさかこのイベントを思い浮かべるとは思わなかった。
 ドラえもんの話からハーケンクロイツを連想したこともそうだけど、これはボクにとってはかなり意外な展開。
 でも日本人にはない、欧米人らしい発想と思う。
 キリスト教文化圏の国で、地鎮祭と同じような儀式をするという人にはひとりだけ会ったことがある。
 きょねん京都のゲストハウスで出会ったイタリア人の女の子から、イタリアでは家を建てる前にカトリックの神父を招いて土地を清めてもらうことがあると聞いた。
 たしかに「清めの儀式」というとカトリック的で、アメリカやイギリスのプロテスタントならこんなことはしないだろう。
 台湾人とタイ人からは、地鎮祭のような儀式をするという話を聞いたことがある。
 「土地の神様」という発想はキリスト教イスラーム教などの一神教にはないけど、アジアの多神教ではありそうだ。
 日本人はハロウィンやクリスマスなどのキリスト教の宗教行事を、日本風イベントに魔改造してしまう。
 だから逆に、キリスト教徒の日本人が家を建てる時には、地鎮祭キリスト教式でするのだろうか?と疑問に思ったら、そういう例があった。
 そんな地鎮祭に参加した一級建築士がブログにこう書いている。
 {私も地鎮祭キリスト教式は初めてでした。但し地鎮祭とは呼ばず、地の霊を鎮めるという考え方は無いので、あえて言うなら起工式と呼ぶとのことでした。
 キリスト教式の起工式(地鎮祭)}
 一番大事なことは家主の意思という。
 「人が中心」という日本人の信仰がよくあらわれている。
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 一級建築士の「住宅のヒントと秘訣」
 注文住宅を考えたら「住宅の考え方が180度変わる」住宅勉強会やセミナー、他では聞けない住宅や建築がわかるブログ。
 キリスト教式の起工式(地鎮祭
 2007年08月24日 16時24分46秒 | 建築家の日記
 みなさん、こんにちは。ミタス一級建築士事務所の清水煬二です。
 本日は、地鎮祭でしたが、いつもと異なるのはキリスト教の牧師さんに行って頂いたのです。「神主さんではなく、牧師さんでもよろしいでしょうか?」と事前に施主からの質問がありました。もちろん良いですし、地鎮祭はしなくても良いのです。その家をお建てになる方の考え方が一番大切です。
 お子様がいらっしゃれば、一生にそうあることではないので、この機会に写真を含めて記念にという考え方もありますし、形式的なことは必要ないという考え方でも良いのです。どちらでも良いという方には、後で後悔しないようにやっておいたらいかがですか?とお答えしています。
 結婚式はともかく、私も地鎮祭キリスト教式は初めてでした。但し地鎮祭とは呼ばず、地の霊を鎮めるという考え方は無いので、あえて言うなら起工式と呼ぶとのことでした。
 私が考える地鎮祭は、これから工事のスタートにあたり、入学式や結婚式のように気持ちを新たに区切りを付けて態度で表し、工事中の安全や完成後の皆さんの幸せをみんなで願うというものです。今回も、私はそういうことを心の中で祈りながら参加させて頂きました。
 賛美歌を歌い、お話があり、それは結婚式でも同じですから予想していたのですが、鍬入れもあったので少し驚きました。
 「鍬入れはやらなくても良いのですが、工事業者さんが不安がるといけないから。」ということで、簡単に行なわれたようです。
 特に細かい決まりはないので、牧師さんの考え方で細かい部分は変わるようです。
 地面に聖書を埋めるという方もいらっしゃるそうです。
 賛美歌は、3曲唱いましたが、良く知っている曲は大きな声で唄えますが、知らない曲は、小さな声で一瞬遅れるような感じで唱ってしまいます。工事業者の人たちは、ほとんど固まっていました。(笑)
 住宅設計 ミタス 一級建築士事務所のホームページ  
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 日本民族の伝統的宗教儀式の正統性は、唯一正統な神の血筋・血統である男系父系天皇が一子相伝として主宰する宮中祭祀を模倣している事である。
 女系母系天皇には、石器時代縄文時代から受け継がれている宗教的な正統性はない。
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 現代の台湾や韓国には、日本の植民地統治時代に日本独自の宗教・文化・伝統・習慣・風習が持ち込まれて根付いている。
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 反宗教無神論マルクス主義のリベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者が政教分離を貫くのであれば、公共施設を建設する際の宗教行事である地鎮祭上棟式に反対するのが筋である。
 左翼・左派・ネットサハの反天皇反日的日本人達は、神の血筋を正統とする日本天皇の否定し、石器時代縄文時代から受け継がれている民族宗教を破壊し消滅させようと。
 現代の右翼・右派・ネットウヨクそして一部の保守派やメディア関係者も同様である。
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 神社本庁 地鎮祭について
 地鎮祭とは、建物の新築や土木工事の起工の際などに、その土地の神様を祀り、工事の無事進行・完了と土地・建造物が末長く安全堅固であることを祈願するために、おこなわれる祭りです。
 一般には「じまつり」などとも呼ばれ、国土の守護神である大地主神おおとこぬしのかみと、その地域の神様である産土神うぶすなのかみ、またその土地の神々である「此の地を宇志波伎坐うしはきます大神等」をお祀りします。
 地鎮祭は地域によりお祭りの仕方が異なる場合もありますが、基本的な祭儀の流れは神社の祭儀とほぼ同様です。そのなかでも特徴的なこととして三つの行事がおこなわれます。
 一つは祓はらいの行事であり、四方祓しほうはらいの儀と称して、祭場四方の敷地を大麻で祓ったり、半紙と麻を切って作った切麻きりぬさなどを撒き、祓い清めます。
 二つ目は起工の行事であり、刈初かりぞめの儀・穿初うがちぞめの儀と称して、施主・施工者が忌鎌いみかま・忌鍬いみくわ・忌鋤いみすきなどにより、草を刈り、地を穿つ(掘る)所作をおこない、神様に工事の開始を奉告します。
 三つ目は供物の行事であり、鎮物しずめもの埋納の儀と称して、神霊を和め鎮めるために鎮物の品を捧げて、工事の無事安全を祈念します。
 土地の神に敬意をはらい、使用の許しを得て、工事の安全と生活の平安を祈願するという祭りの意味は、まさに日本人の生活習慣における伝統や信仰に基づいたものといえます。
 (『神道いろは』92・93頁参照)
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「地鎮祭」の解説
 地鎮祭 じちんさい
 建築・土木の工事に着手する前、土地の神を祝ってその工事の無事に済むことを祈る祭りをいう。地(じ)祭りともいって、家主、大工、親戚(しんせき)などが集まり、神職に祈ってもらう。岡山県では新たに屋敷をつくったり、新築をするときは神官、法印、民間の祈祷師(きとうし)を招いて地鎮祭を行ってお祓(はら)いをする。ここでは出雲(いずも)大社で祈念し、大社屋敷の砂をもらってきて敷地に撒(ま)いておくと障(さわ)りがないといわれている。福井県三方(みかた)郡常神(つねかみ)では地祭りといって、新築にとりかかるとき土地を塩で清め、東西南北と書いた幣(へい)を立て、方丈(ほうじょう)さんに拝んでもらうという。これを土(つち)祭りともいっている。火災にあった家では土を掘り取って清い山の土と入れ替えることも行われた。新潟県佐渡島では地祭りといって、敷地の四隅(よすみ)と中央にカワラケと神主の書いた呪文(じゅもん)を入れた竹筒を埋め、中央に祭壇を設け、山の物、海の物、神酒、塩を供えて祈祷し、金神除(こんじんよ)けとして幣束(へいそく)を立ててお祓いをする。
 [大藤時彦
 [参照項目] | 建築儀礼
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 ヨムーノ
 地鎮祭って、何のためにしているの?
 2021年03月22日更新
 進藤
 家を建てたことのない人にとって、「地鎮祭」はあまり馴染みのない言葉なのではないでしょうか。最近では新築の住宅を建築する際にも、地鎮祭を行わない人や、略式で簡単にすませる人が増えてきています。では、そもそも地鎮祭は何のためにしているものなのでしょうか。
 地鎮祭の持つ意味
 日本には八百万(やおよろず)の神という言葉があり、自然界のあらゆるものなどに神が宿るとされてきました。地鎮祭には、これから家を建てようとしている土地に宿る神様(氏神様)を鎮め、土地を使うことに対する許可を得るという意味があります。日本の神はないがしろにされると怒り、祟るという性質もあるとされていますが、地鎮祭で土地を利用する許可を得ることによって、祟りを防いで工事の安全を祈るという意味もあります。これらの意味から、建築工事を着工する前に地鎮祭は大安の日を選んで行われることになります。一般的には神道の神主を呼んで祝詞(のりと)をあげてもらいますが、実は霊魂の供養などの意味を込め、仏式で行うケースもあります。地鎮祭は神様のためだけの形式的な行事ではなく、家づくりを依頼する施主や施工業者はもちろん、設計者や棟梁、職人などが一堂に会する機会ととらえることもできます。お互いの顔を知っておくことで信頼関係が生まれ、「あの人にまかせたから安心」「あの人のためにいい家をつくろう」と思えるようになるかもしれません。
 やらなきゃダメ?地鎮祭の実態
 地鎮祭は、必ず行わなければならない儀式ではありません。特に最近では施主の意向を反映し、地鎮祭を勧めないハウスメーカーも増えており、都会では地鎮祭をする人が少なくなってきています。ただし昔からある工務店では、地鎮祭を勧めるところが多いようです。地鎮祭にかかる費用は、主に神主への謝礼です。「玉串料」「初穂料」と呼ばれ、神社によって金額が異なり、2~5万円前後が目安。ハウスメーカーによっては、見積もりの費用に地鎮祭玉串料を含んでいる場合もあるので、重複しないよう注意しましょう。お供え物などの儀式に必要なものは、多くの場合神主もしくはハウスメーカーの担当者が用意してくれます。自分で用意するべきものがあるか、担当者に確認しましょう。工事関係者と顔合わせができるため、地鎮祭をすることで良好な関係を築きやすいというメリットはありますが、やらなかったからといって心証が悪くなるということはありません。するもしないも、施主の気持ち次第。ただ、誰もが経験できることではないので、家づくりの記念と考えてやってみてもよいかもしれません。
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 ウィキペディア
 地鎮祭(じちんさい、とこしずめのまつり)とは、土木工事や建築などで工事を始める前に行う、その土地の守護神(鎮守神)を祀り、土地を利用させてもらうことの許しを得る。これには神式と仏式がある。一般には神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されており、安全祈願祭と呼ばれることもある。鎮地祭、土祭り、地祭り、地祝いとも言う。費用は施工業者(奉献酒や玉串料は施主を含めた関係者)が負担する[要出典]。
 地鎮祭、東京にて
 一般的には、土地の四隅に青竹を立て、その間を注連縄で囲って祭場となし、斎主たる神職のもと、建設業者・設計者・施主らの参列の上で執り行う。場合によっては、赤白の横断幕を張ったテントの中で行われる事もある。祭場の中には木の台(案という)を備え、その中央に神籬(ひもろぎ、大榊に御幣・木綿を付けた物で、これに神を呼ぶ)を立てて祭壇(南向きまたは東向き)となし、米・酒・魚・野菜・塩・水等の供え物を供える。また、関西などの特定の地方によっては伊勢神宮近隣の浜から砂または塩を取り寄せ、四隅に置く場合もある。祭壇の左右に、青・黄・赤・白・黒の五色絹の幟に榊をつけた「真榊」を立てる場合もある。この五色絹は五行説における天地万物を組成している5つの要素、つまり木・火・土・金・水を表している。昔は竜柱(祝い柱)を建て、丑寅(北東)と未申(西南)の方向にそれぞれ矢を立てて普請の安全を祈った。
 日本以外では韓国や台湾でも地鎮祭に似たお祓いをすることがある。
 農業における地鎮祭
 農家が中心となって行われる地鎮祭における幟の例
 一般的にその土地の神に対して豊作と農作業の際の事故防止を祈願する。春先は主に豊作と無事故祈願、秋口に行われるのは豊作への感謝(不作においては来年の豊作祈願)と無事故(事故が発生した年は来年の無事故祈願)の感謝を捧げている。一般的に農業関係者等が中心となり行われ、これに関しては宗教的行事というよりも地域の安全祈願も含まれている為に例え「仏教徒」だろうが「キリスト教徒」だろうが宗派関係なく参列するのが一般的であり、例え普段宗教行事に厳しい考えを持つ者もこの行事には関係なく出席している事が多い。会場には町内会館に隣接した社(管理は町内会)や岩にしめ縄を締めた場所等で行われ、その場所には幟が立てられる。
 仏教における地鎮祭
 仏教では、地鎮法、鎮宅法(じちん、ちんたく・ほう)、安鎮法(あんちんほう、安鎮国家不動法の略)、地天供(じてんく)、あるいは俗に地祭り、地堅めの法などともいう。密教の場合は不動明王を本尊として行う鎮宅不動法という儀式があり、堂宇や仏塔、墓碑を建立する前にその土地を結界して、地天を本尊・中心として諸天の天神や、横死した霊魂なども含めて、それらを供養し鎮霊して、永久に障難が及ばないように修する。
 堂宇などの場合、まだ板敷きを敷かずに土壇を鎮める修法を鎮壇法といい、地鎮と鎮壇を個別に修する。なお略式で同時に修する場合もある。壇の中央に五宝や七宝などを入れた賢瓶を埋めて、鎮石と呼ばれる平らな石を置き、再建する場合も決して動かさない。八方に輪や橛(くい)、五玉を埋める。
 日蓮正宗でも「起工式」という形で行われ、本尊の力で土地を清め、工事の安全を祈願する意味合いがある。敷地中央に祭壇を組み、寺院の常住本尊を掲げて住職の導師により読経・唱題の上、鍬入れの儀式が行われる。
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 地鎮祭
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 地鎮祭って本当に必要?その起源とは?費用や儀式の流れを解説
投稿日 : 2019/10/18 更新日 : 2019/11/05
家を建てる前に、家の安全と繁栄を祈願するために行われる儀式「地鎮祭」。大規模なビルや建物を建造するときはよくニュースなどで見かけることもありますが、個人の戸建ての場合は本当に必要なものなのでしょうか。
 地鎮祭とは?
 地鎮祭(じちんさい)とは、家を建てる土地の神様に、土地の利用を許可してもらうよう祝い鎮める儀式のことをいいます。また、その土地上に建てる建物の工事の安全と家の繁栄を祈願する儀式でもあります。また正式には、「とこしずめのまつり」と呼びます。
 地鎮祭は、とても起源の古いものです。西暦690年ごろ(持統天皇期)にはすでにその記述があり、土木・建築などに伴う祭として行われていたとされています。 しかし地鎮祭が建築儀礼として広く普及していったのは、江戸時代後半になってからだと考えられています。
 土地購入後、家を建てる工事着工前に執り行われるこの地鎮祭ですが、必ずする必要もないようです。
 具体的には何をするの?
 地鎮祭は、必ず行うべき儀式ではなく、逆に地鎮祭を勧めないハウスメーカーもいるほどです。特に都会では地鎮祭を行う人も少なくなってきているようです。ただし昔からある一部の工務店などでは、地鎮祭を勧めるところもあるようです。
 しかしこの地鎮祭、一体いくらほどするのでしょうか。費用は主に神主への謝礼であり、神社によって異なるため、一概にいくらかは断定できませんが、2~5万円ほどだといわれています。続いて用意するものですが、儀式に必要なお供え物は神主もしくはハウスメーカーが用意してくれる場合が多いです。

 いかがでしたか。地鎮祭は必ずやらなければいけないものではないようですが、工事の安全と家の繁栄を祈願するものですし、工事関係者と顔を合わす機会でもあります。良好な関係を築くうえでも、やっておいたほうが安心して家づくりを進められるのではないでしょうか。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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