💄62)─1─夫婦別姓は日本型家を破壊するマルクス主義である。~No.126 

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 夫婦別姓推進派が、徐々に増えている。
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 2021年7月6日 MicrosoftNews zakzak 産経新聞社「【突破する日本】「夫婦別姓は社会を破壊する」 共産主義と極端な個人主義思想。
 © 産経新聞社 【突破する日本】「夫婦別姓は社会を破壊する」 共産主義と極端な個人主義思想
 夫婦別姓の主張が一般に注目されたのは、1988年に国立図書館情報大学の女性助教授が職場で旧姓を使用したいと大学を訴えたことだった。要するに、職場での「旧姓の通称使用」の問題だった。98年に東京高裁で和解し、通称使用が認められた。
 問題は解決したはずだった。本来は民法改正に関係のない話だったのだが、原告の代理人弁護士の福島瑞穂氏(現・社民党党首)らが話を大きくして民法改正問題に仕立て上げた。
 夫婦別姓は、ロシア革命直後に実践された家族共同体を個人に解体する共産主義思想と、共同体からの個人の解放を主張していた90年代の極端な個人主義思想を両輪としていた。
 一人で生まれて一人で死ぬ人間が、人生の一時期の結婚ごときで姓を変更するのは個人のアイデンティティーを喪失させると主張された。極端な個人主義思想は「性の自己決定権」の名で女子中高生の「援助交際」を肯定もしていた。子供は大人と同じ権利主体であるとして「子どもの権利」が喧伝されてもいた。
 政府も無関係ではなく、自民党社会党新党さきがけと連立した村山富市内閣で、法相の諮問機関・法制審議会がいわゆる選択的夫婦別姓制の導入案を打ち出し、96年の通常国会での民法改正で実現するはずだった。
 昔話で恐縮だが、それに反対の意思を表明したのが私だった。ミニコミ誌で少しずつ主張していたが、月刊誌『諸君!』(文藝春秋刊)96年3月号(2月1日発売)に、「夫婦別姓は社会を破壊する!」と題する論考を発表したことで、政界からも注目された。
 当時は論壇誌が社会を動かした。福島氏ら夫婦別姓論者の意図を明らかにし、夫婦別姓を導入すれば、家族共同体は壊れ、社会は破壊されると主張した。当時、反対意見は皆無だった。保守派は小さな問題と考えていた。メディアはすべてが夫婦別姓に賛成だった。
 私の主張が広がり、野党第一党新進党や、少し遅れて自民党の議員が反対し始めた。ちょうど25年前、四半世紀前のことだ。その後、夫婦別姓の問題点が広く共有されるようになり、夫婦別姓の主張は浮かんでは消えを繰り返している。
 2015年12月16日、最高裁大法廷が、夫婦・親子が同じ姓を称することで家族の一体感が醸成されるとし、姓の変更による喪失感は旧姓の通称使用で一定程度緩和されるとして夫婦同姓を規定した民法憲法に違反しないとの判断を初めて示した。画期的な判決だった。
 6月23日の2度目の決定は、これがもはや確立した判例であることを確認した。
 ■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 1962年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了、政治学研究科博士後期課程研究指導認定退学。専攻は憲法学。皇室法制、家族法制にも詳しい。第2回正論新風賞受賞。高崎経済大学教授などを経て現在、麗澤大学国際学部教授。内閣官房教育再生実行会議有識者委員、山本七平賞選考委員など。法制審議会民法(相続関係)部会委員も務めた。著書に『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)、『公教育再生』(PHP研究所)、『明治憲法の思想』(PHP新書)など多数。」
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 夫婦別姓と正当女系母系天皇擁立が目指す所は同じである。
 夫婦別姓とは、石器時代縄文時代からの祖先神・氏神の人神崇拝という日本の家社会を破壊する事である。
 縄文人は、祖先の墓を中心に集落=ムラ=共同体をつくり、祖先の魂・霊魂と共に生きていた。
 非世襲性正当女系母系天皇とは、弥生時代からの伝統的女性神・自然神崇拝を護る為の血筋・血統(科学的遺伝子)を不可侵的根拠とする世襲性正統男系父系天皇からの変更であり、天皇が血を根拠として一子相伝で行うの孤独な秘儀・宮中祭祀の破壊・消滅である。
 世襲性正統男系父系天皇とは、血の神話(Y染色体神話)を絶対根拠とする、子孫が祖先(天皇霊)を祀り敬う宮中祭祀という「家宗教=国家宗教」の唯一の正統な宗教的継承者である。
 つまり反宗教無神論マルクス主義で、科学的根拠を、民族学・家族学の「血=遺伝子」に置くか、生物学の「人間(血の否定)」に置くかの選択である。
 天皇家・皇室は、宗教一家である為に政教分離はありえない。
 日本の家族も、宗教を中心として存在している。
 その意味で、日本民族には無宗教無神論はありえない。
 「自分は無宗教無神論である」と認める日本人は、石器時代縄文時代から日本列島に棲み着いてきた日本民族ではない。

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