🎑27)─1─悪しき言霊。SNS、同調圧力によるレッテル貼りは魔女狩り、異端者審問。〜No.68No.69 ⑨ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 日本国語=言霊は使いようによって、人を助ける良薬にもなるが、人を殺す毒薬にもなる。
 現代日本では、心地良い美しい日本国語が消え、聞くに耐えない下品で粗雑な日本語が増えている。
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 日本国語と日本語は違う。
 日本国語は古い言葉で、江戸時代までの大和言葉である。
 日本語は新しい言語で、明治時代に新政府が国家統治と大陸侵略戦争(積極的自衛戦争=対ロシア戦)の為に創った日本国家語である。
 日本語という新語を必要としたは、国民を支配する政府ではなく、国民を兵士として戦場に送り出し戦争させる軍部であった。
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 国際化の時代、日本国語=日本語は使い勝手の悪い言語となった為に、新しい日本語=外国人に分かりやすい・理解しやすい・優しいカタカナ言語へと作り変えられつつある。
 日本人は言葉を愛し大事にする、はウソである。
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 2021年7月2日06:00 MicrosoftNews JBpress「コロナ禍で荒む日本人に蔓延し始めた魔女狩りの「危険」
 © JBpress 提供 大衆をうまく操ったトランプ前大統領(写真:ロイター/アフロ)
 © JBpress 提供 アウシュビッツ強制収容所ファシズムの行き着いた先(写真:ロイター/アフロ)
 少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスクにも対応した制度基盤の構築も早急に求められている。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、これまでの経済、社会のあり方は大きく変わろうとしている。
 その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFI(Next Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。今回は理事長の森田朗氏による、ネットにはびこる魔女狩りの心理と大衆扇動のリスクについて。(過去19回分はこちら)。
 (森田朗:NFI研究所理事長)
 緊急事態宣言は沖縄を除き解除されたものの、首都圏では新規感染者のリバウンドが懸念される状況となっている。オリパラも人数制限をどの程度にするか、感染状況をにらみながら、ぎりぎりまで揉めそうだ。友人と楽しい食事も我慢を強いられ、なじみの店での一杯引っかけるのもままならない。コロナ疲れというか、ストレスが溜まり、多くの国民の気持ちがすさんできたように見える。
 そのやり場のない不満や怒りを、何かにぶつけて解消しようとする。自殺者まで生んだSNSの炎上、心ない言葉での非難は、こうした不満の発現だろう。極論すれば誰でもいいから、敵を作って攻撃しやっつけて、蓄積した不満を解消しようという行為だ。
 最初に誰かが、「○○は敵だ」「ケシカランことを言っている」「過去にも悪事を働いた悪い奴だ」と指さすと、皆一斉に同調する。そして、匿名で非難し、つるし上げる。それに対する反論も許さず、ネットやコミュニティから消え去るまで、いじめ抜き、抹殺を図る。そうした攻撃に耐えきれなくなり、自ら命を絶った気の毒な人が出るのも不思議ではない。
 こうした事件が報道されると、今度はSNSで攻撃をした者が社会の敵としてレッテルを貼られ、攻撃の対象となることもある。
 もともとが匿名での告発なので、その行為の正当性や攻撃の根拠などどうでもよい。ストレスの溜まった多くの人にとっては、社会の敵を非難することで、不満が解消され、一時的にも溜飲が下がれば、それでよいのだ。
 こういう心理パターンは、歴史上何度も見られた。ヨーロッパの中世における、あるいは過酷な環境にあったアメリカ大陸のニューイングランドの植民地等でみられた「魔女狩り」もその一つだ。
 すべてのこの世の不幸の責任を何の罪もない者のせいにし、その者に「魔女」の烙印を押して、凄惨な方法で処刑する。それによって、人々の不安や不満を解消しようとしたのだ。米国マサチューセッツ州セーラムの魔女博物館を訪れた時、かつて行われていた魔女狩りの残虐さを知り、愕然としたことがある。
 大衆心理を操作したトランプ前米大統領
 このような心理状態に置かれた人々は、他方で、恐怖心から逃れるために信仰にすがる。敬虔な信仰心が、他方で、魔女狩りと結びつく。それは、わが国でもオウム真理教の事件でも経験したことだ。
 トランプ前米大統領の言葉遣いにも、類似した要素がある。国民のうち、海外からの移民に職を奪われ、彼らに反感を持っている白人層、特に低所得の白人層の不満を煽って、外国からの移民を非難、攻撃した。SNSを使ってそれを拡散した点が新しいとはいえ、不満をもった国民の心理を操作して権力を拡大しようとした点は、古い手法そのものである。
 言うまでもなく、20世紀に入って、このような心理操作によって国民を動員しようとしたのがヒトラーである。
 ヒトラーに言わせれば、貧しい労働者が仕事を終えて帰る夕方、特にどんよりとした空模様で今にも雨が降り出しそうな時、つまり多くの人々が疲れて冷静に、ロジカルにものごとを考えて理解する能力を欠いた状態にある時、国民の不幸の原因がどこにあるのか、誰のせいなのかをわかりやすく説き、その者たちを打倒することを呼び掛けることが、心理操作において非常に効果的だという。
 大衆心理を操作するために訴えかける内容は、もちろん論理的なものではなく、反証に耐えうるものでもない。わかりやすくいえば「〇〇主義者」のレッテルを貼って、対象を具体化し、それを攻撃するにすぎないからだ。○○主義の何が悪いのか、なぜその人物がそのレッテルを貼られるのかについてはもともと説明する気もないし、説明することもできない。
 何でもない一言が悪の証拠として指摘され、それを口にした人物は、その者の思想や主義に関係なく、○○主義者だ、○○人だといって差別され、攻撃される。そして、この世から消えろという大合唱にさらされる。
 ファシズムの根底にある「レッテル貼り」
 そのような無茶な論理の主張に対して、論理的な反論は容易だ。しかし、反証も反論も無視して、しつこく何度も何度も単純な理屈で、「この世の諸悪の根源は○○にある」「お前は○○主義者だ」と説かれると、最初はそんなことはないだろうと思っていた人たちの中にも、本気で信じ込む者も出てくる。そうではないと思っていても、反論して否定する気持ちは失せてくる。反論などすれば、場合によっては、その人も同類としてレッテルを貼られることになりかねない。
 こうしたヘイトスピーチを含むレッテル貼りの拡大、発想の連鎖が、まさにファシズムの根底にあると言える。今日でも、形態は異なるものの、国民の間に不満が蓄積してくると、やり場のない不満のはけ口を求めて、このようなレッテル貼りと非難攻撃はしばしば見られる。
 私も最近、「コロナ感染症の拡大が止まらないならば、要請で行動を自粛しない者に対しては強い手段を用いることもやむを得ない」「多数の国民を感染から守り、自粛要請に応じた正直な業者がバカを見ないようにするためには、私権を制限することもやむを得ない」といった趣旨のコラムを書いたところ、ツイッターなどで激しく非難され、罵詈雑言を浴びた。
 「そのようなことをいうヤツは、民主主義や基本的人権を否定するとんでもない輩だ」「また日本を戦争へ導くつもりか」「ファシストだ」「狂っている」等々。言葉としての「私権制限」→「民主主義の否定」→「軍国主義者」→「右翼の学者」という飛躍のある連想の主張が多く、そこには理性の片鱗もみられない。
 ツイッターの場合、確かに数行の中に思いを述べ、主張を書き込まなければならないことから、表現は短絡的、過激になる。さらに匿名の投稿の場合、発言への責任は問われにくいから、ますます悪口に歯止めが効かない。
 私の場合、賛同してくれた方も非常に多かったので、傷つくことはなかったが、まさにこのような形でファシズムが生まれていくのかと痛感した。特に、非難する人間のプロフィールを見ると、博士の学位を持った大学教員も含まれており、ナチスオウム真理教の幹部の中に、その体制を支えた医師や科学者がいたことを思い出した。
 非理性的な非難や攻撃があるからといって、言論の自由が保障され、反証や反対意見の表明も自由にできる現代のわが国では、そうした主張が簡単に拡大することはないだろう。
 SNSは国民にとって「武器」か「凶器」か
 しかし、言論の自由が保障されているとはいっても、SNSというツールが普及している現代では、逆に、こうした非難攻撃の波が容易に起こりうることは、頭の片隅で覚えておくべきであろう。
 権力の悪を暴き、権力の濫用を抑制する手段として使われる場合には、SNSは一般国民が持つことのできる強力な武器といえるが、その攻撃の矛先が横にいる一般人に向けられ、ヘイトスピーチや個人攻撃に使われる時、それは深刻な権利侵害の凶器となりうる。そのような場合には、すぐに政府に規制を求める声が上がるが、今度は、政府の統制が表現の自由を制約するものともなりかねない。
 コロナ禍でのこの1年、科学者の真摯な警告も、自粛を求められた一部の者の反発で、政府の政策に十分に反映させることができず、その結果、有効な対策が打てず、感染が長引いている。そのため、ますます不満が蓄積し、そのはけ口として言論の暴力が蔓延している。
 早く大多数の国民がワクチンを接種して元の暮らしに戻り、安心して過ごせるようになればよいが、それまではコロナによるストレス、それからくる不満をどのように社会としてコントロールするかという問題を考え続けなければならない。
 これといった妙案はない。しかし、まず理解すべきは、人間とは不満が溜まった時、そのように行動しがちであるということだ。そして、その理解に基づいて、自分の心を制御し、論理的、理性的に行動するように心掛けることだ。それが、社会において言論の暴力を蔓延させず、また政府による言論統制を招かない唯一の道である。」
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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