🌏36)─1─古より今に至るまで日本には哲学はない。~No.106 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 東洋大学入試部
 日本における「哲学」の始まりと自然観の転換
 2015年12月22日
 明治時代、日本が西洋の哲学をどのように取り入れて自分のものにしていったのかを、いくつかの例を参考に考えてみます。
 フィロソフィーを初めて「哲学」と訳した西周(あまね)は、哲学は「百教一致」の方法だと言い、人間を客観的に見るために重要なのは「物理」だと考えました。物理とは「自然」のことで、物理を追求して得た洞察を、心理の洞察に生かそうと試みました。なお、明治時代にnatureは「自然」と訳されましたが、自然という言葉はそれ以前から「おのずから」という読みで存在していました。これは「あるがままに」という意味です。
 また、井上円了らと哲学を学んだ井上哲次郎は、著書『現象即実在論』で、「現象」の徹底的分析を通して「実在」の直観を目指しました。彼は「実在を問うことが哲学の目的である」と言っています。さらに、西田幾多郎は「自然は、自分たちもその内に生きている生きた全体である」として、「純粋経験論」を唱えました。
 このように、明治時代は日本人が西洋的な「自然」という考え方に直面し、自分たちの在り方がどうあるべきかを模索を始めた時代だったのです。
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 相楽 勉教授
 文学部 哲学科
 専門:現代ドイツ哲学、近代日本哲学 比較思想
 ※掲載内容は、取材当時のものです
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 2024年6月6日7:03 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「ほとんどの日本人が見落としている「重大な事実」…日本哲学が私たちの生活に役立つ「意外すぎる理由」

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 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。
 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。

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 【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」
 とある学生の素朴な疑問
 そもそも日本の哲学を学ぶ意義はいったいどこにあるのだろうか。それを知ることで何を得ることができるのであろうか。そのような疑問を抱く人もいるかもしれない。
 簡単に答えることのできない難しい問題である。その点について考えるために、かつて私が日本哲学史の講義をしていたときに、一人の学生から受けた質問を手がかりにしたい。その学生は、哲学は普遍的な真理をめざすものであり、それに「日本の」という形容詞を付するのは適切なのだろうかという質問をした。もっともな質問であると思う。
 確かに哲学は、その成立以来、普遍的な原理の探究をめざしてきた。しかし普遍的な原理の探究であることは、ただちに使用される言語の制約から自由であるということを意味しない。私たちの思索は、私たちの文化・伝承の枠のなかでなされるのであり、一つ一つのことばのズレ、その集積としてのものの見方や文化そのものの差異が、「真なる知」を問う問い方、答えの求め方に影響を及ぼさないとは、とうてい考えられない。
 ギリシアの哲学と、それを受け継ぐヨーロッパの哲学こそが唯一の哲学であるという考え方もあるが、私はギリシアの哲学もフランスの哲学もドイツの哲学も、それぞれの言語を用いてそれぞれの文化・伝承の枠のなかでなされる営みであり、その制約から自由ではないと考えている。
 私たちの知は私たちがものを見る視点の影響をつねに受ける。言いかえれば、私たちがものを見るとき、つねにその視点からは見えないもの、あるいはその視点設定のゆえに覆い隠されるものが生まれる。そのとき重要なのは、異なった見方を否定したり、排除したりすることではなく、それと対話することである。
 日本の哲学はその対話に大きな寄与をすることができる。伝統を背負いながら、自ら主体的に思索するからこそ、他の文化・伝統のなかで成立した哲学と対話することができるし、哲学のより豊かな発展の可能性を見いだしていくことができる。そのことを視野に入れながらこれまで日本哲学史の講義を行ってきたし、本書でもそれを意識しながら話を進めていきたい。
 それでは日本の哲学はこの対話においてどのような寄与をなしうるであろうか。独自性はどういう点にあるだろうか。それはこの本のなかで少しずつお話ししていくが、あらかじめ簡単に各講の内容について記しておきたい。
 本の哲学を学ぶとはどういうことか
 日本の哲学について知り、学ぶ意義はどこにあるであろうか。
 哲学とは私たちのものの見方や考え方に対する反省であると言うことができる。私たちがどのように物事をとらえ、どのように感じ、どのように考え、どのように行為しようとしてきたのか、あるいはしようとしているのかを知る営みである。日本の哲学者たちの思索はこの営みの軌跡である。
 それは、いまを生きる私たちにとって無縁のことではなく、深い関わりをもっている。日本の哲学者たちの営みから私たちは私たちがどのように生きてきたのかを知る手がかりを得ることができるであろうし、それはまた、私たちがどのように考え、どのように行為すればよいかを考えるためのさまざまな示唆を与えてくれる。
 読者の皆さんも本書を手がかりにして、自分自身のものの見方や考え方についてあらためてふり返っていただきたいと思っている。そしてそこから、別の考え方(それは具体的な対話を通して知る考え方の場合も、書物を通して知る考え方の場合もあるであろうが)と対話し、自らのものの見方や考え方をより豊かなものにしていっていただきたい。
 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
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 6月8日7:03 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本のトップ頭脳たちが受けた衝撃…「哲学」という言葉が誕生した「意外な背景」

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 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。
 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。

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 【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」
 そもそも「哲学」ってなに?
 本書では「経験」や「自己」、「自然」、「美」などのテーマを立て、日本の哲学がどのような思索を展開してきたのか、その特徴や意義について考え、魅力を明らかにしたいと考えている。本講ではそれに先だって、明治の初めに哲学がどのように受けとめられ、どのような形で受容されていったのか、その苦闘の跡をたどってみたい。それはとりもなおさず、当時の人々──具体的には西周福沢諭吉中江兆民を取りあげる──が従来の世界観のどこに問題を見いだしたのか、新たに接した学問、とくに哲学をどのような形で新しい社会のなかに生かそうとしたのかを見ることになるであろう。
 私たちはいま、英語の philosophy(ドイツ語の Philosophie, フランス語の philosophie)をためらいなく「哲学」と訳すが、なぜそれが「哲学」と訳されるようになったのか、疑問に思われる方もいるにちがいない。「哲」は言うまでもなく、ことの道理や筋道に明るいことを指す漢字であり、聡いという意味でも使われる。一方、philosophy は、ソクラテスがしばしば使ったと言われているが、ギリシア語の σοφία(sophia, 知)と φιλεῖν(philein, 愛する)の合成語である φιλοσοφία(philosophia)というギリシア語を現代語にしたものである。「知を愛する」というのがもとの意味である。
 philosophy ということばをどう訳すか、そのことばにはじめて接した人は頭を悩ませたにちがいない。幕末から明治の初めにかけて、「窮理学(究理学)」や「性理学」、「理学」、「理論」、「玄学」、「知識学」などの訳が試みられた。そのなかでもっとも有力であったのは「理学」であった。多くの語学辞書が philosophy を「理学」と訳しているし、明治初期に広く読まれたJ・S・ミルの『自由之理』(中村正直訳)でも「理学」と訳されている。 当時の儒学者に大きな影響を与えた宋学(中国の宋代に興った儒学)、あるいは朱子学は、すべての存在や現象の根底に「理」という普遍的な原理を想定した。そのために「性理学」(理と気、および心性、つまり人間の本性を探究する学)とも、また単に「理学」とも呼ばれていた。当時の人々は、新しく触れた哲学をこの「理学」に重ねて理解しようとしたと言ってよいであろう。
 しかし、西周はこの「理学」という訳を採用しなかった。あくまでも「知を愛する」という原義に従い、philosophy を最初「希哲学」と、そしてやがて「哲学」と訳した。
 オランダに留学する直前、一八六一(文久元)年に津田真道が執筆した「性理論」に寄せた跋のなかで西は「希哲学」という表現を用いている。帰国したあと、一八七〇(明治三)年ころから「哲学」という表現を使い始めたようである。津田の方は「求聖学」や「希哲学」という訳を用いているが、これらはともに、第1講で触れた周敦頤『通書』のなかの「聖は天を希い、賢は聖を希い、士は賢を希う」ということばを踏まえた訳であったと言えるであろう。
 「希哲学」という言葉を知っていますか
 それでは西はなぜ「希哲学」の「希」を略して「哲学」としたのであろうか。その点に疑問をもたれる人もいるかもしれない。もっともな疑問だと思うが、残念ながら西はそれに関しては何も述べていない。忖度の域を出ないが、次のように考えられるかもしれない。ソクラテスはたしかに知を愛することの重要性を強調したが、哲学はその後、存在の本質や根本原理を探究する知の学として発展を遂げていった。それを表現するためには「哲学」の方がふさわしいと考えたのかもしれない。
 「哲学」という訳語は、西が使い始めてから徐々にひろまり、定着していった。それを決定的にしたのは、一八七七(明治十)年に東京大学が設立された際、文学部に「史学、哲学及政治学科」が置かれたことであった。哲学用語の確定に寄与したのは井上哲次郎らによって編まれた『哲学字彙』(一八八一年)であるが、そこでは辞書自体の名前が示すように、philosophy は基本的には「哲学」と訳されている。しかし興味深いことに、「実践哲学」ではなく「実践理学」というように、「理学」という訳も併用されている。

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 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。

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 藤田正勝
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 松下政経塾 論考
 我が日本、古より今に至るまで哲学なし。されど自今哲学身近となり我が日本、哲学あり。
 水上裕貴 第42期生
 2022/7/29
 「我が日本、古より今に至るまで哲学なし。」
 これは、日本を代表する思想家である中江兆民の、著作『一年有半』における言葉である。この言葉が世に出たのは1901年。それから120年経った現在、果たして我が国に哲学はあると言えるだろうか。
 日本における代表的な哲学者としては、まずは西田幾多郎の名が挙げられるだろう。京都学派の創始者で、西洋哲学と東洋思想、特に仏教思想及び儒教思想との融合を試みた学者である。その研究の成果として上梓された著書『善の研究』は日本初の哲学書としても有名である。
 あるいは和辻哲郎がそうである。彼は、倫理学者、文化史学者としてもよく知られている。比較文化論の大著『風土』における、気候・風土が文化および思想などの人間の精神構造を形成しているとの考察は、今もなお議論を呼んでいるところである。
 さらには九鬼周造が当てはまるかもしれない。『「いき」の構造』において彼が、日本人的な精神構造として「いき」という美意識を解明しようとしたことはあまりにも有名である。
 他にも、井上哲次郎三木清など、自身の思想体系を世に打ち出した日本人哲学者は数多く存在する。ふむ、日本哲学が打ち立てられたと言えるかもしれない。いや、ちょっと待て。哲学者が数多く存在したことが、すなわち哲学ありということなのだろうか。否、そうではない。哲学ありとは、文化として哲学が世間一般に根付いた状態を指すのではなかろうか。
 日本においては、哲学という言葉を耳にするとそれだけで難しそうだと身構えてしまう人が多い。哲学が日常と乖離している。そういうわけで、日本は未だ哲学なしである。しかしこれではいけない。哲学は何にも増して大切である。なぜか。それは自殺率の高さやインターネット上での誹謗中傷の増加、他者への関心の低さ等の我が国が抱える社会問題はこの「哲学なし」が原因だからではないかと私は考えているからである。
 哲学なし、すなわち意味づけ・価値づけすることができていない現状があるからこそ、社会問題が起こってしまっているのではなかろうか。これが私の主張である。個人的価値づけができずに、アイデンティティの確立ができていない。ゆえに自分に自信が持てずに自殺に流れてしまっていたり、相手を攻撃することに走っていたりするのではないか。社会的価値づけができずに、公共性が高まらないから、他者への関心が持てないではないだろうか。すなわち、日本の社会問題の解決は、「哲学なし」をどう「哲学あり」に持っていくか、どう「哲学を身近に」していくことができるか、が最も重要なのである。
 ここで少し、哲学という言葉の意味について検討してみたい。
 哲学とは一体何を指す言葉なのだろうか。この言葉の説明は一筋縄ではいかない。それは非常に射程の広い単語であるからである。語源で考えるとphilosophy。ギリシャ語の「philo(愛する)」と「sophia(知)」に由来し、「知を愛する」という意味がある。これが本来的意味なため、射程が広い単語なのである。さらに哲学の世界では難しい言葉が多用される。これはひとつには、既存の言葉では説明することのできない範囲・領域を説明するために新しい単語を用いたり、全く異なる概念を当てはめたりしていることが原因だと考えられる。
 私なりの答えを提出するとするならば、私は哲学とは「問いにこだわり、本質をあらわにし、世界と人間について知ること」であると考えている。問いを立てるところからはじめる。次に、これを抜いたらそれではなくなるといった、そのものの一番重要な「核」の部分を取り出す。そうして、世界と人間について理解する。これが哲学をするということであるわけである。
 少し詳しく説明すると、まずは、「問いを立てる」ところからはじめること。「〜とは何か」これが最もよく使用される問いである。哲学を学ぶ利点のひとつとして視野が広がることが挙げられる。それはまさにこの「問いにこだわる」特徴が理由であろう。
 このように問いを何よりも大切にする、その理由は、「本質をあらわにすること」。これをしようとしているからである。「概念を再検討すること」とも言い換えられるだろうか。常識を疑い、何事も一から考えよう、これが哲学の正統な態度である。正解というものは、範囲や視点や環境によって変わり得る、ただしそれは正解がないということではない。そんな一見すると正解が人の数だけ多様にあるように思えるそんな中でも普遍的な解を探究する、それが哲学というものの性質のひとつである。解は問に依存する。したがって問いは答えよりも重要であると言えるのである。
 そして、そのように問い続けていくことで、新しい世界観や人間観が切り拓かれてゆくのである。つまり、世界と人間を知る、これこそが哲学の目的であるのだ。
 哲学するとは、問うことである。問うこととは、本質をあらわにすることである。本質をあらわにすることとは、世界と人間について知ることである。これが私の考える哲学だ。ただしこれは哲学の表向きの意味。裏向きの意味があるのではないか、そしてそれこそが実はより重要なのではないかと考えている。それは「意味や価値を問い直す、取り除く、与える」といった意味である。
 フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが「実存が本質に先立つ」という言葉で語ったように、自身で自己や物事、大きくは世界に対して価値づけ・意味づけする。そうすることで価値観の強制から解放されて生きていくことができる。自分を納得させて生きていくことができるのではないかと思う。それこそが哲学の最大の効用ではないかと私は考えている。
 兆民の言葉が以下のように続く社会を作っていくことが今後の我々の使命なのだと確信している。「されど自今哲学身近となり我が日本、哲学あり」と。
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 日本思想(にほんしそう、英: Japanese philosophy)は、日本の哲学・思想のこと。日本哲学とも言う。太古にはアニミズムシャーマニズムとしての神道があったが、仏教、儒教、西洋思想の伝来によって習合・混合し、日本特有の思想風土が出来上がっていった。
 研究史
 「日本思想史」の形成
 日本思想が学術的な考察の対象に上ったのは明治時代以降のことである。戦前の代表的な思想史家として津田左右吉村岡典嗣和辻哲郎などがいる。
 以下、『日本思想史講座』シリーズ(ぺりかん社)の各巻「総説」を参考に記述する。
 儒教と国民道徳論
 「文明開化」に伴って、明六社福沢諭吉西周らによって西洋思想、西洋哲学の輸入が盛んに行われた。その中で、欧化主義に対して日本の伝統思想を回顧する動きも現れ、国粋主義国家主義者たちは国民道徳論を唱えた。東京帝国大学で西洋哲学の普及に努めた井上哲次郎は、朱子学陽明学、古学といった日本儒教・江戸儒学の研究を始め、西村茂樹も西洋哲学と伝統思想を融合した『日本道徳論』を著した。エドマンド・スペンサー社会進化論を紹介した加藤弘之らは啓蒙思想を批判する国権主義に走った。元田永孚儒教天皇崇拝を一体化させた「教育勅語」を起草した。
 ナショナリズム
 歴史学者津田左右吉は、日本古代史や『論語』の文献研究で知られるが、『文学に現はれたるわが国民思想の研究』を著して、初となる本格的な日本思想の通史的叙述を行った。自由主義的なナショナリストであった津田には『支那思想と日本』の著作もあり、中国が日本思想に与えた影響を否定することに力点を置いていた。村岡典嗣は『日本思想史研究』や『本居宣長』の著作があり、日本思想の文献学的研究を行った。村岡は宗教哲学者者の波多野精一から大きな影響を受けており、日本思想の中の宗教哲学の探求を動機として、江戸時代後期の国学者平田篤胤に日本伝統思想における宗教哲学の完成を見出していた。村岡典嗣の活躍した東北帝国大学では、西田直二郎の「文化史学」が興隆し、石田一良、佐藤弘夫らを輩出した。
 昭和戦前期の状況
 哲学者の西田幾多郎は『日本文化の問題』で、伝統思想を媒介とした西洋哲学の刷新を説いている。また、倫理学者の和辻哲郎は『人間の学としての倫理学』や『倫理学』で知られるが、彼もまた日本精神の研究を行った。和辻はドイツの解釈学を学び、それを思想史叙述に利用した。『日本精神史研究』は日本美術や芸能の中に日本精神を探る著作である。戦前に出版した『尊皇思想とその伝統』は、古代から近世の日本思想を尊皇思想という観点から渉猟し、戦争を控えて執筆が急がれた和辻倫理学の大きな目的の一つである、民衆を国家のために動員可能にする国家主義の完成を目的としていた。戦後にはこれを元にした完全版の『日本倫理思想史』が出版された。和辻門下には相良亨、源了圓、湯浅泰雄らがおり、現在では第三世代として佐藤正英などがいる。大川周明イスラーム哲学の研究者であり、アジア主義の代表的人物だが、人物評伝の『日本精神研究』や文明史の『日本二千六百年史』を著した[2]。皇国史観によって日本史を論じた平泉澄もこの時期の代表的な思想史家である。唯物史観の立場からの日本思想史研究では、三枝博音や、『日本における近代思想の前提』の羽仁五郎らがいる。
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 2015年6月26日 東洋経済オンライン「芥川も三島も漱石も、「哲学者」ではない理由
 理解し合えても、賛同し合えない哲学者たち
 中島 義道 : 哲学者
 哲学は「科学」ではなく、「文学」でもない……(写真:atelier5 / PIXTA
 前回は、哲学は宗教ではない、思想ではない、ということを書きましたが、今回は、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)に倣って「哲学は科学ではない」と「哲学は文学ではない」ことをお話ししようと思います。
 さて、「哲学は科学ではない」ことは当たり前ですが、こう堂々と宣言すると、多くの人を苛立たせるようです。おもしろいことに、「哲学」とか「哲学者」という言葉は、もうずっと前から脳死状態であると思い込んでいたのに、依然としてその言葉に対するプラスの価値は消えていない。
 だから、私が哲学をしていると言うと、「お前はくだらない私小説的哲学まがいの本を書いているだけで、哲学なんかしていない!」という罵声が飛んでくる。仕方ないので、肩書を「哲学者」と書くと、「お前は哲学者なんかじゃない! ただの偏屈ジジイだ!」というお叱りを受けるのです。そのたびに、わが国民はまだ「哲学」や「哲学者」に期待しているんだなあ、と感慨深いものがあります。
 哲学は「科学的客観性」を放棄している
 なんでこんなことを「枕」に使うかというと、わが国民は「科学」にも絶大な信頼を寄せているので、「哲学は科学ではない」と主張することを好まない。人類知性の両雄が手を携えて進まないことは嘆かわしい、とでも言いたげです。
 さて、ほとんどの科学者は、まさに「哲学は科学ではない」と確信しているのですが、そして、自分たちのほうが「偉い」と思っているのですが、その理由は簡単で「哲学は科学と呼ぶにはいかがわしすぎるから」で、「いまだ科学の高みに至っていないから」です。
 これは、まあ公平に見て正しい判定だと思います。しかし、哲学者が同じことを語るときの理由は、これと同じではなく「哲学は科学から見たらいかがわしくならざるをえないから」であり、「科学の高みに至りえないから」なのです。
 ここで、どの科学論の教科書にも書いてある「科学とは何か?」という退屈なお話を繰り返すことはやめて、ただ1つ、哲学は科学が後生大事にしている客観的知識(すなわち、科学的客観性)を放棄している、あきらめている、期待しない、ことだけを挙げておきましょう。
 科学はとにかく「科学的方法」というものが確立している。しかし、哲学の場合、確立された(お墨付きのある)方法は、まずないと言っていいでしょう。科学が期待する意味で、学べば万人に同じように「理解できる」哲学などないのです。
 どうしてかというと、哲学の道具は「言葉」だけであり、その言葉の意味を万人が同じように学びえないから、と言えましょう。哲学の専売特許である「存在」とか「無」とか「善悪」という言葉は、無限に開かれていて、こうした言葉を使用する文章もまた無限に開かれていて、それを学ぶ方法が確立されていないのですから、その唯一の意味を決定することは、原理的にできません。
 そして、その理由はおのずからわかる。たとえば、氷に触って「熱い」と言い、電気ストーブにあたって「冷たい」と言う人がいるとしても、はたして彼が普通の人と反対の感覚を持っているのか、それとも同じ感覚を持っていながら、何らかの理由で言葉を反対に使用しているだけなのか、(本人にも)区別はできないからです。
 理解し合えても、賛同し合えない
 もちろん、そうは言ってもどうにか共通の基盤があるかのようなので、とにかく大学に哲学科があり、日本哲学会という学会もありますが、そこは一定の科学者集団とは異なって、根本的に相容れない考え方をした人間が集まっていて成立している、世にも奇妙な集団です。
 そこでは、人間が考えうるありとあらゆる馬鹿げたこと(たとえば、他人はいないとか、未来はないとか、世界はないとか……)が堂々とまかり通っている。そして、専門哲学者たちは、そういう馬鹿げたことを主張する「論理」は理解し合えるけれど、ただひたすら賛同し合えない。
 そこで、まず論理の破綻を指摘し合うのですが、これはなかなかうまく噛みあわず、といって「私はそういう考えは嫌いだ」とは(心の中では叫んでも)表立っては言えないので、「おもしろくない見解だ」とか「陳腐な、月並みな、素人くさい、目配せの行き届かない、一方的な、ポイントを突いていない、論理が弱い、カントの亜流の、ただの寄せ集めの、全然説得力のない……見解だ!」と糾弾して、互いに自分以外の哲学理論を批判(非難、排斥、罵倒?)し合うわけです。
 そして、これが成り立っているということは、「陳腐でない、月並みでない、素人くさくない、目配せの行き届いた、ポイントを突いた、説得力のある……見解」において、彼らがそれほど大きく揺らがないことを示している。
 たとえば、フッサールハイデガーデリダ、あるいはウィットゲンシュタインデイヴィドソンクリプキが大嫌いな哲学(研究)者は少なくないのですが、とはいえ自分がこうした有名哲学者より「偉い」と思っている御仁はほとんどいない。
 そこに共通して認めざるをえないのは、それぞれ互いにかけ離れた仕方でかけ離れた内容を語っていながら、ケタ違いの思考力・言語力を持っていること、具体的には、哲学的問題がどこにあるかを嗅ぎ当てる鋭敏な嗅覚と、獲物を切り裂く見事なほどの切れ味を有していること、でしょう。
 言い換えれば、これらをある程度兼ね備えていれば、どんな分野であろうと優れた哲学者になれる。たとえば「無」というテーマにしても、「考え抜かれた」という印象、「この思考力にはとてもかなわない」という印象を持たせるほどの言語の力を有していればいいのであり、これを見抜けるのは、みずから同じテーマを考え続けている人だけですが……。
 しかも、哲学的思考はその哲学者の世界に対する態度と密接な関係にありますので、その態度がちょっとでもズレると、「どうにか字面を理解することはできるが、まったく同意できない広大な領域」が広がっている。
 ほとんどの哲学(研究)者は、自分の専門の狭い領域を超えると、たちまち「どうして、ああいう考え方をするのだろう、できるのだろう?」と呟き頭を抱えながら生きていると言っても過言ではないのです。
 どうでしょうか? 科学(科学者)と哲学(哲学者)の違いが、ぼんやりとでもわかってもらえたでしょうか? とりわけ、哲学の「いかがわしさ」の一端でもわかってもらえたなら幸いです。
 興味を持ちながら、徹底的懐疑は避けている
 そして、いま言ったことは、そのまま哲学と文学との境も示しています。哲学のテーマは割とはっきり決まっていて、「存在」とか「認識」とか「善悪」、もう少し具体的に言うと「時間」とか「自我」とか「言語の意味」であって、こうした問題に全身で携わっていなければ、あとはどんなテーマにおいて天才的な洞察を示しても、哲学者とは言えない。
 この意味で、ヒトラーガンジーが哲学者でないのは当然としても、ダーウィンアインシュタインも、科学的方法と科学的対象に全身拘束されているがゆえに、哲学者ではないのです。
 まったく同じことが文学者にも言えるのですが、小説家や詩人や評論家は同じ「言葉」を扱うので、哲学者との線引きがいい加減になされることがある。しかし、もう説明するまでもないでしょうが、いかに壮大な歴史物語を描いても、いかに人間心理の機微を抉り出しても、いかに言語の限界に挑戦しても……哲学の古典的問いのうちの1つでもいい、たとえば「存在とは何か?」について、「時間とは何か」について、頭が変になるほど思考していなければ、哲学者ではないのです。
 最近、読書会も開催しているのですが、『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」のところをあらためて読了して、「アリューシャ、神はいるのか?」と気軽に(「いる」の意味を吟味せずに)イワンに言わせているドストエフスキーが、哲学者でないことを再確認しました。
 同じように、トルストイシェークスピアカフカカミュも、そしてわが国の森鴎外夏目漱石三島由紀夫芥川龍之介も哲学者ではない。彼らは、あまりにも人間に興味を持っている。興味を持っていながら、徹底的懐疑は避けている。もしかしたら、「人間はいないかもしれない」など思ったこともない。「『見える』とはとても不思議なことだ」とか、「想起とは過去の事象とは無関係であって、いま起こっていることだけなのかもしれない」とか・・・・思い詰めることはない。
 それなりに、(場合によっては狂気に近づくまで)悩んでいるのですが、哲学的には「常識」をしっかり守っている。たとえ存在論らしきもの、認識論らしきもの、時間論らしきもの、自我論らしきものを展開することがあっても、「常識」を出ず、その「常識」の内部で聳える塔を打ち立てている、といった感じです。
 そして、前回に繋がりますが、とくにフランスの現代思想のごく近くにいたブランショクロソフスキーなど、いやラカンフーコーですら、ベルクソンサルトルなど正真正銘の哲学者と並ぶものではないと私は思っているのですが、これは専門的になるので、やめておきましょう。
 というわけで、哲学塾では、厳密な意味での哲学書のみを読んでいます。しかも、いかに難解でも、掛け値なしに超一流のもののみを……。
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