💄71)72)─1─戦国時代の男色と現代の同性愛は別物である。〜No.143No.144No.145 

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 2024年4月9日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「「男色」が広まったのは戦場からではない?今日的な同性愛とは異なる、戦国時代の男色にありがちな誤解
 『豊臣勲功記』よち、本能寺で討ち死にする森蘭丸
 (歴史家:乃至政彦)
■ 男色に関する誤解
 戦国時代の男色(『日葡辞書』に「Nanxocu.ナンショク(男色) 悪い,口にすべからざる罪悪.」とあるように、「なんしょく」が正しい発音。「だんしょく」とは読まない)については、今も多くの誤解がまかり通っている。この時代の武士は、男色が当たり前だったというのは、ある意味では正しいが、ある意味では間違っている。
 男色を好きな武士はたくさんいたのは事実だが、有名な「カップリング」はごく一部を除いて、ほとんどどれも事実ではない。
 少なくとも、武田信玄春日虎綱高坂昌信)、上杉謙信樋口与六直江兼続)、織田信長森成利森蘭丸)の関係は、史料の誤読、または江戸時代や昭和の創作によって広まったものである。
 基本的に男色は一過性の「忍ぶ恋」であり、大っぴらにするものではなかった。だから、有名な関係にはなりにくい。
 このほか一般的な男色イメージと、事実との相違点を3点ほど述べていこう。
■ (1)男色は今日的な同性愛とは異なる
 北野武監督の映画作品『首』では、中年男性が中年男性の胸を舐めるようなシーンが印象的に描かれていて、「これでは『首』じゃなく『乳首』だ」という感想を漏らす友人もいた。これを見て戦国時代の男色をそのまま再現していると思った観客は少なくなさそうだ。
 しかし、当時の男色は、「未成年男性への性愛」であって、成人した「男同士の自由恋愛」ではなかった。だから、中年男性同士が性的に交わる例は史料に例が認められていない。少なくとも「あって当たり前」なものではなかったのである。 もちろん当時に今風の同性愛もあっただろうが、史料から探れる範囲では表立ってそのような関係は結ばれていない。タブーではなかったと思うが、他人に公表する理由がなく、社会的にも取り上げる必要がないと思われていたのか、そうした記録は残っていないのである。
 武士の男色に思いを馳せる場合、ここを前提としておく必要があるだろう。
■ (2)男色が広まったのは戦場からではない
 また、武士の間で少年愛が流行した理由について、「武士は完全なる男社会であり、特に戦場では女を禁忌としたからだ」と説明されることがある。だが、これは完全に間違いである。
 武士が男社会なのは事実だが、戦場に女性が排除されていたわけではない。なるべくなら安全のために立ち入らせなていなかったが、タブーだったわけではない。
 例えば、河越夜戦において大将の上杉憲政は、遊女を集めて遊んでいたところを北条氏康に奇襲攻撃されて、敗北したとされている。この遊女たちは氏康が派遣したクノイチとも言われている。
 これは事実ではなく創作話に過ぎないと思うが、それでも戦場に遊女を集めて遊ぶことが当時の景色として不自然ではない事実がなければ成り立たない逸話であろう。
 豊臣秀吉小田原城攻めでも、秀吉が本陣に武将たちの妻子を呼び寄せ、自身もまた遊女を集めてこれを敵方に見せつけた逸話が有名である。
 戦場に、女性が禁忌とされたというのは、事実ではないのだ。各地方の籠城戦では女性の活躍が多数認められ、夜戦地の首塚に女性の遺骨も発見されている。
 ではどこから男色が流行り始めたかというと、僧侶からである。足利時代に、僧侶たちが上級武士との接待や交流に稚児を使った。女装のような装束で着飾った美少年にチヤホヤされたら、武士たちが骨抜きになるのも当然であるだろう。ここから男色が広まっていったのである。
■ (3)男色は大歓迎されていたわけではない
 中世から近世にかけて、男色は無批判に受け入れられていたというイメージがあるが、これも眉に唾をつけておかなければならない。
 実際には、男色に嫌悪感を抱くものも少なからずいた。
 たとえば、近世初期に書かれた『田夫物語』には、百姓が武士の男色を徹底的にバカにして、「その方の非道、はやはや止めたまえ」と痛烈に非難するシーンがある。
 そして男色好きの武士は「お前たちは田舎者だから、そのよさがわからないのだ」と捨て台詞を残してさっさと退散する。
 実際、徳川幕府は、武士の男色を「無体」として、禁止する対策を取っていた。それから書かれた軍記では、バカなお殿様が無能者を取り立てる筋書きとして、「男色で出世した愚将」という基本構造による関係をたくさん捏造した。
 このほか男色については、たくさんの誤解がある。
 具体的な詳細は、4月12日ごろ発売の『戦国武将と男色 増補版』(ちくま文庫)に書いたので、興味のある方はぜひご一読願いたい。本書がメインで扱っているのは戦国時代だが、日本の男色そのものを理解するのにも有用となるだろう。
 【乃至政彦】ないしまさひこ。歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(ともにJBpress)、『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。現在、戦国時代から世界史まで、著者独自の視点で歴史を読み解くコンテンツ企画『歴史ノ部屋』配信中。
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