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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本のムラ社会には、働きアリと遊ぶキリギリスが同居していた。
働きアリの百姓は、遊ぶキリギリスに衣食住を提供していた。
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2017年5月27日 朝日新聞「呉座勇一の交流の歴史学
藤木久志『雑兵たちの戦場』
ロマンと無縁な戦国の現実
戦国時代は、日本人にとって最もなじみ深い時代である。この時代に一家言を持っている人は多く、作家や企業経営者、政治家らもメディアで持論を展開している。
しかし『戦国時代に詳しい』と自称する人の大半は、武田信玄や上杉謙信といった戦国大名の活躍に関心を集中させている。これは仕方のないことで、学界においても戦国時代研究の中心は長らく戦国大名研究だったのである。
こうした英雄中心の戦国時代像に異を唱え、村や百姓の視点から戦国大名の内政や戦争を捉えなおしたのが藤木久志氏である。氏の主張には批判も多数寄せられたが、戦国社会の知られざる一面を明らかにした功績は大きい。
藤木氏のスタンスを象徴するのが、上杉謙信像の転換だ。謙信といえば、己の利益ではなく正義のために戦う『義将』のイメージが強く、度重なる関東出兵も関東管領上杉憲政を関東から駆逐した北条氏康の非道をこらしめるためだとと言われてきた。
けれど藤木氏は、謙信の関東出兵のタイミングが晩秋に出陣して戦場で年を越し、春から夏に帰る越冬型に偏っていることに注目した。そして、二毛作のできない越後では冬場に食料が不足するため、口減らしのために出陣したのではないかと推測する。村にいても食えない百姓たちは、謙信の関東遠征に参加し、現地調達=略奪によって食いつないだ。天下取りだの義の戦いだのといったロマンとは無縁な、戦国の世の過酷な現実を氏は示したのである(『雑兵たちの戦場』朝日選書)。
藤木史観の影響は、現在放映中の大河ドラマ『おんな城主 直虎』にも見られる。武田や今川、徳川といった大名ではなく、そうした大名たちに囲まれた地方領主のサバイバルを主題にした点で、従来の『英雄史観』から決別するという強い意志がうかがわれる。とはいえ、『真田丸』の真田昌幸と異なり、井伊直虎の事績はほとんど伝わっていない。だが製作者はそれを逆手に取って、戦国時代の風習や価値観を丁寧に描いている。
ドラマ開始時、ムロツヨシ演じる流れ者は村の『解死人(げしにん)』だった。解死人というのは身替わり要員である。村の正規メンバーの罪をひっかぶるのが仕事であり、そのために村から扶養されている。戦国の村は正規メンバーである百姓を全力で守るが、その一方でそれ以外の人間には冷淡であり残酷ですらある。
この『解死人』を発見したのも藤木氏であり、『物ぐさ太郎』も解死人だったのではないかと指摘している(『戦国の作法』講談社学術文庫)。働かず寝てばかりいて周囲の施しに頼って生きてきたため、皆が嫌がる京都での奉公を強いられた物ぐさ太郎は、確かに解死人に似ている。
劇中でムロツヨシは才覚を発揮し大金持ちになるが、これも天皇の御落胤と分かり立身出世した物ぐさ太郎を意識した演出なのかもしれない」
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
下手人(げしゅにん)とも読まれる。江戸時代,庶人に科せられた刑罰の一つ。元来は,みずから手を下して人を殺した者の意であるが,江戸時代に入って刑名となり,利欲にかからない殺人,乱心による殺人,あるいは殺人教唆などに対して科せられた。『公事方御定書』には,「首を刎 (は) ね,死骸は取り捨てるが,様斬 (ためしぎり) には付さない」とあって,処刑の方式は死罪と同じく打首 (うちくび。斬首) である。しかし,下手人の場合は,死罪と異なって,屍体をためし切りにされることも,田畑,家屋敷,家財を没収されることも,また引廻を付加されることもなかった。つまり,これらの付加刑の有無が,下手人と死罪を分つ指標になっているのである。
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デジタル大辞泉
《「下手」は物事に手をくだす意》
1 直接手を下して人を殺した者。殺人犯。げしにん。「下手人を捕らえる」
2 江戸時代、庶民に適用された斬首刑。死刑のうちでは軽いもので、財産の没収などは伴わない。げしにん。
3 事件の張本人。げしにん。
「仲正が所行然(しか)るべからずとて、―など召し出されんずるにて」〈著聞集・一六〉
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世界大百科事典 第2版
解死人(げしにん),下死人(げしにん)ともいう。殺人ないし致死の加害者を意味したが,江戸時代においてはむしろ幕府および諸藩等で死刑刑種の一つとなった。幕府では庶民に対する死刑のうち最も軽いもので,〈通例之人殺〉の刑とされたが,それには次の3条件が必要であった。(1)社会的身分が同じで,かつ主従,親族,師弟,名主地主など,上下支配の関係をもたないこと。(2)毒殺,辻斬など特別な態様や,利欲を動機とした計画的犯罪(〈巧(たくみ)〉)でなく,いわば単なる〈喧嘩口論〉の場合。
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大辞林 第三版
げしゅにん【下手人】
〔中世・近世には「げしにん」。「下手」は物事に手を下す意〕
① 人を殺した人。殺人犯。 「同心が−を捕らえる」
② 悪事の張本人。 「仲正が所行しかるべからずとて、−など召し出されんずるにて
③ 江戸時代、庶民に科された斬首の刑。殺人犯およびそれに準ずる罪に適用された。庶民に対する死刑のうち最も軽いもの。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
江戸時代の死刑の一種。もともとは手を下して人を殺した者という意味であるが、江戸幕府法上、手を下して人を殺した者は死刑に処せられるべきであるという思想から、牢屋(ろうや )で斬首(ざんしゅ)される死刑の一種を示すのに用いられた。死罪も同じく牢屋で斬首する刑で、利欲にかかわる殺人に科せられ、下手人は利欲にかかわらない喧嘩(けんか)口論などによる殺人に科せられた。死罪に比べ、下手人には様斬(ためしぎり)や家・屋敷などの没収はなかった。[石井良助]
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世界大百科事典内の下手人の言及
…下手人(げしゆにん)という直接の実行者をさす言葉は,すでに8世紀の養老律にみられ,以後今日までほぼ同じ意味でもちいられているが,いっぽう14世紀ころより,解死人・下死人とも書き,〈げしにん〉とよませる言葉があらわれる。《邦訳日葡辞書》には〈実際の罪人の代りに捕らえられたり,刑に処せられたりしている者。…
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歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義やマルクス主義に染まっていった。
江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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百姓は、同じムラ人には優しいが、そうでない者には冷淡で薄情、冷血で冷酷である。
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足軽として戦場を駆け巡っていた百姓兵は、乱取りなどで乱暴狼藉を働き、強姦や人攫いを行っていた。
戦場となった村人や近隣の村人は、戦場の周囲で落ち武者狩りをして褒美を貰ったり、合戦後の戦場に押し寄せて死んだ人間から鎧兜から衣服、刀・槍・弓矢などの武器、金目の物を全て奪った。
丸裸にされた死体は、懇ろに弔うこと為ず、大きな穴を掘って無造作に投げ捨てて埋めた。
百姓など褒められた人間でもなく、同情するに値しない人間であった。
それが、百姓(当時の総人口8割強)を祖先に持つ日本人の本性である。
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南蛮貿易で、ポルトガル人・スペイン人の商人と宣教師達が奴隷として売買していた日本人は、百姓足軽らが乱取りで捕らえた他領の百姓達であった。
日本人が、日本人を奴隷として海外に売っていたのである。
何の罪や咎がないのに、海外へ奴隷として売られた日本人は哀れであった。
薄情で冷淡な日本人は、そうした奴隷という悲惨な境遇のままで死んでいった同胞をなかったものとして、歴史の闇に葬って恥じない。
それは、現代の日本人でも同じである。
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日本人が、百姓を軽蔑し武士・サムライに憧れるのは、百姓が秘めていたドス黒くおぞましい本性を嫌悪していたからである。
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徳川家康が、「百姓を生かさず殺さず」支配したのはその為であった。
江戸時代。百姓は一揆を起こして領主・大名に逆らい続け、気にくわないと村を出て他の領主・大名の領地へ逃げ込むか、江戸・京・大坂などの非人・エタ・乞食などの下層部落に転がり込んでいた。
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明治新政府は、優秀な百姓の子供を高級将校に軍事教育を施したが、百姓出身軍人が暴走しないように統帥権で縛り、忠良な軍人にするべく軍人勅諭を徹底的に叩き込んだ。
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大正時代から昭和初期にかけて、政府は、大学などで高等教育を受けた百姓の子供が共産主義化する事を恐れて治安維持法を制定し、特高警察を創設して厳しい監視を行い、共産主義化した百姓出身高学歴エリートを弾圧した。
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歴代天皇は、荒ぶる百姓の心・魂を鎮める為に「大御宝(おおみたから)」として慈しんだ。
それ故に、百姓は天皇に決して逆らわず、反逆して弓を引く事はなかった。
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最も恐れた「荒ぶる魂」とは、自然災害と百姓であった。
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キリスト教と共産主義が日本で受け入れられなかったのは、自然災害と百姓が拒絶したからである。
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