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2023年9月21日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「いま日本から「家庭の味」が失われている…日本人が「自分だけの料理」を作れなくなってしまった「2つの理由」
阿古 真理
投票: 日本人が「自分だけの料理」を作れなくなってしまった理由として、以下のうちどれが正しいでしょうか?
「自信」を失わせる合わせ調味料の氾濫
近年、家庭の味の原点が見えなくなっているのではないか?と思わせる傾向がますます強まってきた。そう思う理由は二つある。
一つ目は、合わせ調味料(シーズニング)の隆盛である。食のセレクトショップに行けば、多種多様なオリジナル合わせ調味料のビンが並んでいる。〇〇の素の類も合わせ調味料なので、スーパーに並ぶ種類もますます多彩になったと言える。ガパオやソムタムなどのアジア料理、洋食、和食に至るまで、これを入れれば味が決まる、というシーズニングミックスのコーナーも定着した。
© 現代ビジネス
SNS出身の人気料理家たちのレシピ本には、めんつゆやマヨネーズなどの合わせ調味料と基礎調味料をいくつも組み合わせ、「やみつきになる」濃くて複雑な味を推奨するレシピがたくさんある。
2017年に出た『もうレシピ本はいらない』(稲垣えみ子、マガジンハウス)に、「調味料A、調味料B」が示されていると、毎回レシピを見なければ作れない、という指摘があった。調味料をそのようにくくるのは、基礎調味料を何種類も組み合わせるからで、それはいわば自作の合わせ調味料である。
複雑な味を作る傾向はSNS出身の料理家にとどまらず、調味料Cまで入っているレシピもある。レシピ本文には「Aを入れる」とあって文章は短くなるが、読み手はいちいち材料欄のAの中身と突き合わせないといけないので、内容を理解するのに時間がかかる。
こうした合わせ調味料の氾濫は、台所の担い手の自信を失わせてきたのではないか?
『もうレシピ本はいらない』の著者の稲垣さんは、覚えきれないがゆえに頼りきりにさせられる調味料Aオンパレードのレシピ本を参考にするのをやめ、シンプルな料理に立ち戻ったことを書き記していた。
複雑な味の料理が増えたのは、昭和後半以降にさまざまな外国料理が流行し、定着していったことや、外食やテイクアウトの総菜の選択肢が増え続けたことが影響したと思われる。
外国料理の味は、レシピがあれば自宅でも再現できる。しかし、これだけ多彩にあるモノのレシピをいちいち覚えるのは大変、と思う人もいるだろうし、めったに使わない調味料を揃えるのも無駄を増やしてしまう。それで、便利な合わせ調味料の出番になる。
つまり、食べたい料理が増えるスピードに、台所の担い手が追い付けなくなってしまったのだ。
「テイクアウト」料理に「家庭の味」が奪われる
二つ目の要因は、自分の料理よりテイクアウトの総菜など外の味を基準にする、台所の担い手が増えたと思われることだ。そうした主婦の存在がクローズアップされたのは、2003年に刊行され話題を集めた『変わる家族 変わる食卓』(岩村暢子、勁草書房)だった。
レシピの世界で、自分の味を見失った人が増えたかもしれない、と思わせたのは調味料Aが氾濫する少し前、2000年に『きょうの料理』(NHK)で、「割合で覚える」料理の基本企画がヒットしたことだ。
この企画は、京都の日本料理店「菊乃井」主人の村田吉弘さんが、醤油などの調味料の量を「大さじ〇杯」ではなく、「1:1」などの割合で決めよう、と紹介した企画でヒットし、その後も2回村田さんが同様の企画で登場したほか、他の料理人も同様の企画に出ている。つまり、2000年代初頭にはすでに、自分の味に自信がない人たちが増え始めていたのだ。
台所の担い手が自信がないのは、家族の関係性など心理的な要因もあると思われるが、ここでは食の歴史の側面から探ってみよう。
© 現代ビジネス
日本では近代以降、外国料理を積極的に採り入れてきた。その傾向が加速したのが高度経済成長期。背景には、長年肉食を禁じて栄養が偏っていたこと、戦後は栄養不足を回復させる必要があったことがある。栄養をバランスよくちゃんと摂るために、当時の和食で少なかった油脂やタンパク質を豊富に含む、洋食や中華が人気になったのである。
洋食・中華が家庭に定着したことで、味に保守的な男性たちが小料理屋などに「おふくろの味」を求める傾向が生まれ、和食の料理家が「おふくろの味」を大切にしよう、と訴えるようになった。『「おふくろの味」幻想』(湯澤規子、光文社新書)によれば、この言葉が使われ始めたのは高度経済成長期の初めで、メディアなどに作られた幻想の過去だったという。
この時代に定着した外国料理の味は、既成の商品で作る人が多い。カレーはルウを、スープはブイヨンを、麻婆豆腐は麻婆豆腐の素を使って料理する。外国料理を手っ取り早く作る方法として、合わせ調味料が開発され家庭でも採用されたのである。また、合わせ調味料であるケチャップやウスターソースを使い、「洋風」とみなす料理も増えた。
もちろん、基礎調味料・食材を組み合わせて作ることもできる。カレーは、いろいろなスパイスを組み合わせる。スープは鶏ガラやトンコツなどを長時間煮出して出汁とする。麻婆豆腐は唐辛子や味噌などを使えば成り立つ。
しかし、イチから作ることを敬遠したい理由が台所の担い手にはある。現代のシーズニング人気と同じで、外国の基礎調味料を家にストックしても、賞味期限内に使い切れないかもしれない。レシピを探すのも面倒だし、レシピがわからない場合もある。鶏ガラなど地元で手に入りにくい材料もある。
また、その頃は本格的なインド料理、中国料理、西洋料理を食べたことがない人がほとんどだった。味の基準がそもそもないのに、リスクを冒して基礎調味料を使いこなすより、用意された味を使ったほうが安心なのは当然である。
洋食・中華が根づいた頃、和食にも合わせ調味料の類が登場している。出汁の素とポン酢である。めんつゆも1952年以降、さまざまなメーカーが発売し、まずは想定された麵料理に使われ、やがて便利な合わせ調味料になる、といろいろな料理の味を決める助っ人になっていく。
そうした歴史を振り返れば、アジア料理が入ってくれば料理の味の素が出て、人気になるのも当然と言える。
厳密なレシピからの脱却
食のセレクトショップも、1986年に東京・下高井戸に1号店ができ、21世紀になって出店を加速した「カルディーコーヒーファーム」、2003年に丸の内で1号店が出店した「ディーン&デルーカ」、2013年に銀座で1号店を開業した「アコメヤ トウキョウ」などが人気になり、さまざまなブランドが増えていった。こうした店では、和出汁のオリジナル商品も扱っており、気がつけば「無添加」などのヘルシーな出汁商品はスーパーにも並ぶようになっていた。
「味が決まらない」悩みを持つ台所の担い手が増えたのは、グルメ化で多彩な外国料理が身近になって、合わせ調味料や調味料Aが家庭にも進出してきたことが大きい。
レシピで複雑な味になるのは、外食・中食が、わかりやすくおいしさを感じてリピートしてもらうため、複雑な濃い味を追求し、食べ手の側が慣れてしまったこともあるかもしれない。
しかし、濃い味は健康を損ねるリスクが高い。また、出汁など繊細な味をわからなくしてしまう可能性も高い。そして、味を決めるのが自分ではなく他人、という点が問題である。行きつけの店の公私ともに親しい飲食店の味ならともかく、たいていの場合はオーナーや社長も面識がないメーカー、飲食店、スーパーの味に振り回されている、と言えるからだ。
尊敬してやまない料理家の場合は、レシピに忠実に料理したいかもしれないが、レシピは本来、料理を覚えるためのガイドに過ぎない。基本をマスターしたら、その後は自分や家族の好みにカスタマイズすればよいのではないか。稲垣さんのように、調味料AからCまで全部書いてある通りに入れなければおいしくならない、そして作るのが煩わしくなってしまう料理なら、そのレシピ自体を手放せばいい。
私たちはおそらく今一度、原点を見つける必要がある。もし自分の過去をさかのぼって原点の味が見えてこなかったとしても、シンプルな味つけを、今から自分の基本にしていくことはできるのではないだろうか。
醤油などの和食の味でもいいし、塩味でもいい。複雑な味にしないほうが、素材の味が伝わりやすい。塩を振っただけのゆでたジャガイモ、蒸したカボチャの味を思い出そう。しかも、シンプルな味付けを生かすと、料理自体もシンプルになる。焼き魚は塩味、カブやキュウリの塩もみも塩だけ。そんな料理を選べば、作るのもラクになる。
複雑な味はプロに任せることにすれば、プロならではの魅力も再発見し、ハレの外食とケのおうちごはん、のメリハリもついて楽しくなるだろう。そして複雑な味が好きなら、週末やお祝い事など、たまのハレのおうちごはんのときに、そうしたレシピを引っ張り出して楽しめばいいのである。
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