✨13)─2─仁科芳雄博士は無理を承知で「原爆開発、可能性あり」の報告書をまとめたのか?~No.42No.43 ⑨ 

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 日本の原子力研究は、東條英機から始まった。
 日本の原爆反対は、昭和天皇から始まった。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは、日本人の共産主義者無政府主義者のテロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 2023年4月3日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「《昭和史の謎》なぜ仁科芳雄博士は無理を承知で「原爆開発、可能性あり」の報告書をまとめたのか?
 科学者が一流でも政治指導者が無策なら国家は滅びる――。昭和史家・保阪正康氏の連載「日本の地下水脈 第30回 日本の『原爆開発』秘話」を一部転載します。(月刊「文藝春秋」2023年4月号より、構成:栗原俊雄)
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 戦時中の原爆開発計画を検証
 保阪正康氏 ©文藝春秋
 戦後長らく「科学技術立国」として世界をリードしてきた日本の地位が、急激に凋落している。半導体に代表されるハイテク産業は欧米どころか中国・韓国の後塵を拝し、基礎研究の分野でも目立った業績が出てこない。海外の大学や研究機関への頭脳流出も進んでおり、今後日本からはノーベル賞受賞者が出なくなると危惧する科学者も少なくない。
 日本の科学技術への信頼性が大きく揺らいだのは12年前の東日本大震災の直後に発生した福島原発の事故だった。「絶対安全」と謳われた日本の原子力政策が、科学的な客観性よりも政治的判断が先にありきで決められてきたことが露呈した。さらに災害など有事に対する甘い見通しの下、原子力業界そのものが補助金などぬるま湯に浸かってきた構造も明らかになった。
 かつて私は、太平洋戦争中に日本が原子爆弾の開発をしていた経緯に関心を持ち、計画に関与していた科学者たちに取材を重ねたことがある。
 結論を先取りするかたちになるが、戦前の日本には世界基準で見ても優秀な科学者が数多くいた。しかし、政治・軍事指導者が科学に対する理解をあまりにも欠いていたがために、彼らの能力を生かすことができず、原子物理学の研究そのものが歪められてしまったのである。
 戦後78年が経とうとしている今、科学技術軽視の風潮と、政治指導者の無理解によって科学の発展が歪められてしまうという地下水脈は、今なお日本社会に流れているように思えてならない。
 そこで今回は、戦時中に秘かに進められた原爆開発計画を検証しつつ、日本の科学と政治に内在する問題点を見てみたい。
 物理学に身を投じた俊才たち
 江戸時代、日本にはオランダからもたらされた科学書を研究する蘭学者たちがひそかに西欧の近代科学に触れていた。また、関孝和に代表される和算の歴史もあり、日本独自の数学も発展した。そして明治維新後、欧米の文化、技術が日本に流れ込むと、才能溢れる学徒たちは近代の自然科学に惹かれていった。
 当時、最も勢いのあった分野は物理学であった。物質が原子でできていることがわかり、その原子の構造の解明に注目が集まっていた。ルートヴィッヒ・ボルツマン、アーネスト・ラザフォードら、天才たちがミクロの現象の解明にしのぎを削っていた。原子の中心には原子核があり、その周囲に電子が雲状に存在することは今では中学生でも知っているが、それが解明されたのは高々この100年間のことに過ぎない。
 日本でも俊才たちが物理学に身を投じた。日本人で初めてケンブリッジ大学で学位を取得した菊池大麓、土星型原子模型を提唱した長岡半太郎、根尾谷断層を発見した田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)、世界初の永久磁石鋼「KS鋼」を発明した本多光太郎らが第1世代である。彼らが日本の科学界の牽引役となった。
 明治28(1895)年に日清戦争に勝利すると、政府は清から得た莫大な賠償金を利用して若手科学者を次々に西欧に留学させた。その第2世代にあたるのが、「量子力学の父」ニールス・ボーアの弟子である仁科芳雄(のちに理化学研究所所長)や京都帝大教授の荒勝文策らである。さらにその後継者として、湯川秀樹朝永振一郎、嵯峨根遼吉、坂田昌一ら、世界的な原子物理学者が日本から輩出された。
 ロス・アラモスで極秘開発
 原子物理学のあり方を大きく変えたのは、1930年代に放射能の研究が進んだことだった。1934年、イタリアのエンリコ・フェルミ中性子をウランに照射して新元素を得たと発表。1938年にはドイツのオットー・ハーンらがウラン235中性子を当てると核分裂し、莫大なエネルギーを発することを発見した。さらに翌39年には、核分裂の連鎖反応が可能であることが証明された。ということは、核分裂をうまく制御すれば、巨大なエネルギーを生み出せる――人類は「第三の火」を手に入れたのである。
 しかし、世界はおりから戦争とファシズムの時代へ突入していた。欧州ではヒトラーのドイツがユダヤ人への迫害を強めていた。ユダヤ系の優秀な物理学者たちは迫害を逃れるため、こぞって米国に渡った。ボーア、フェルミのほか、特殊相対性理論アルバート・アインシュタイン、「水爆の父」として知られるハンガリー出身のエドワード・テラーなどがその代表格である。
 米国に渡った物理学者たちが危惧したのは、ヒトラー原子力を戦争に使う可能性であった。1939年、アインシュタインルーズベルト米大統領に手紙を書き、ウラン爆弾(原爆)開発に乗り出すよう提言した。彼は後年、この提言を後悔するのだが、当時は「もしヒトラーが先にこれを手にしたら」という恐怖感が大きかったのである。
 当初米国政府は消極的だったが、ナチスドイツは欧州を軍事的に席巻した。しかもドイツにはわずか31歳でノーベル物理学賞を受賞した若き天才ヴェルナー・ハイゼンベルクがいた。米国は国を挙げて原爆開発に取りかかることにした。1939年から極秘裏に諮問委員会で検討が始まり、42年夏、「マンハッタン計画」が本格始動した。中心となったのはカリフォルニア大教授のロバート・オッペンハイマーだった。ニューメキシコ州ロス・アラモスに研究所が設立され、全米から優秀な科学者を結集し、研究開発を開始した。
 問題は、ウランの分離であった。核分裂をするウラン235は、天然ウランの中にわずか0.7パーセントしかない。ウラン235の分離・濃縮は気の遠くなるような作業だが、米国政府は基礎研究への援助を惜しまず、全面的にバックアップし続けた。
 さて、日本はどうだったのか。かつて私は日本の原爆製造の内実を詳細に調べたことがある。著書も上梓した。その際の取材などをもとに、記述を進めて行く。
理研で始まった「ニ号研究」
 開戦前の昭和16(1941)年春頃まで、世界の原子物理学の最先端の情報はむろん日本にも入ってきていた。当時、理化学研究所にいた田島英三(のちに立教大学名誉教授)は、昭和50年代に私の取材に答えて、「理研にはトップクラスの物理学者が集まり、研究費も出るので、大学院に残るより難しかったんです。仁科芳雄先生は非常にフランクな人で、研究室の雰囲気もボーアのコペンハーゲン学派の雰囲気を取り入れて、自由な精神にあふれていました」と回想した。仁科は人間的にスケールの大きな人物だったらしく、弟子たちは親しみを込めて仁科のことを「親方」と呼び、自由な環境で研究に没頭していたという。
 しかし、彼らもまた否応なく戦争の渦に巻き込まれて行く。
 昭和15年、陸軍航空本部長の安田武雄は核分裂に興味を持ち、部下の鈴木辰三郎に「ウラン爆弾の可能性があるのか否か、調査せよ」と命じた。安田は陸軍から東大の電気科に派遣され、理科系の知識には秀でた軍人だった。鈴木もまた東大の物理学科に派遣された経歴がある。鈴木はこう回想していた。
 「理研の嵯峨根遼吉先生から話を聞き、自分でも計算してみて、『原爆ができる可能性はある。ウラン鉱石も日本に存在する』という資料をまとめ、安田さんに提出したのです」
 嵯峨根は前出の長岡半太郎の子息であり、カリフォルニア大学で原子物理学の最先端を学んでいた。
 鈴木の報告を受けた安田は、陸軍大臣東條英機にウラン爆弾開発を具申した。すると東條は「では専門家に研究させてみよ」と答えたという。こうして昭和16年5月、「ウラン爆弾研究、製造の可能性について」の研究依頼が仁科のもとに届けられた。この研究は仁科の頭文字をとって「ニ号研究」と呼ばれた。
 仁科は武谷三男(のちに立教大学名誉教授)ら若き俊英を研究に当たらせていた。だが、仁科自身は早い段階で原爆開発は到底無理であると見切っていたようだ。私は昭和50年代、仁科研に所属していた研究者たちに取材を重ねたが、彼らの多くは2つのことを強調していた。「仁科先生は原爆開発製造などできるわけがないと考えていた」こと。そして「それでも、可能か否かの研究は行った」ということである。元研究員の1人は、私の取材にこう話した。
 「日本で原爆などできるわけがなかった。そのことは自分たちも当時よく分かっていた。ただ完成に至る理論はあるのだから、そこに向けて努力を続けていた」
 別の1人はこう語った。
 「原子核の基礎研究を続けたが、原爆製造のためとはまったく思っていなかった。そもそも実験段階でもウランがまったくないわけだから
海軍は「F号研究」を開始
 一方、陸軍だけでなく海軍も独自に核開発への興味を示す。海軍艦政本部第1部第2課にいた大佐の三井再男の証言では「軍で初めて原子力に目をつけたのは海軍技術研究所電気研究部の佐々木清恭部長と伊藤庸二技術大佐です。昭和14年夏、二人が中心となり『原子核理研究』なるテーマで研究が始まった」とのことだ。この動きは海軍内部でも秘匿されていたが、京都帝国大学の荒勝文策教授に依頼して研究を進めた。こちらは「fission(核分裂)」の頭文字を取って「F号研究」と命名された。湯川や坂田など名だたる研究者もスタッフとして名を連ねた。
 もっとも荒勝も早い段階で「今回の戦争中に製造の実現はできない」と海軍に伝えていた。三井によると、ここでの研究内容は、第1に原爆ができるか否かの可能性の研究、第2に使用されたときに混乱しないための研究、第3に戦時下でも原子物理学を守り育てようというもので、「製造はずっと先のこと」という暗黙の諒解があった。その点では海軍のほうが冷静であった。
 海軍は京都帝大以外にも研究の幅を広げようと模索した。昭和17年7月~18年3月、東京の水交社で十数回にわたり「核物理応用研究委員会」が開かれた。伊藤が主催し、仁科が委員長を務めた。大阪帝大の浅田常三郎によると「実際に参加していたのは、仁科さん、大阪帝大教授の菊池正士さん、それに私(浅田)の三人で、海軍からは伊藤さんらのメンバーでした」という。
 浅田によると、「今度の戦争の間には造れないだろう」との結論に達したという。さらに「米国も無理だろう」との意見でまとまった。そこで海軍としてもひとまずウラン爆弾には積極的に着手しないとの意向を固めた。
 このとき仁科は、陸軍からも海軍からもあれこれ言ってくるのは困る、窓口を一本化してほしいと要求した。そこで海軍は理研から手を引き、陸軍は理研で「ニ号研究」、海軍は京都帝大で「F号研究」に専念することになった。ただ、両方の研究者とも、「今回の戦争ではウラン爆弾の開発は無理」との結論で一致していた。
 ところが、事態はその通りには進まなかったのだ。
 東條英機からの命令
 一方、仁科は海軍の結論とは別に、陸軍の問い合わせには「原子核分裂によるエネルギー利用の可能性は多分にある」とする報告書をまとめ、陸軍航空本部に提出したのだ。なぜ仁科は無理を承知でこのような回答をしたのか?――これは昭和史の謎のひとつである。もちろん軍部からの圧力が最大の理由だろう。同時に、陸軍と科学者、あるいは陸軍と海軍の間で相当な駆け引きが行われていたことも窺える。仁科が戦時下でも日本の原子物理学の研究レベルを低下させないよう、研究費獲得のために無理を承知でこのような回答をしたとも推測できる。
 報告書には「31キログラムの水に濃縮ウラン11キロを混ぜた場合、普通の火薬1万トンのエネルギーに相当する」との計算も示されており、米国が広島に投下した原爆と同じ威力であることを、ほぼ正確に見通していた。
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 昭和史家・保阪正康さんによる「 日本の地下水脈 日本の『原爆開発』秘話 」全文は「文藝春秋」2023年4月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
 保阪 正康/文藝春秋 2023年4月号
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ソ連ポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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 日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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 現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
 現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
 つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
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日本の原子力研究は東條英機から始まった。
2017-09-01
✨10)─1─陸軍航空総監東條英機中将は戦闘機「隼」と原爆開発研究を許可した。アメリカでの新薬人体実験。1940年~No.32・ @ 
2022-11-11
✨10)─2─軍国日本が核保有国であったら太平洋戦争も広島・長崎原爆投下もなかった。~No.33No.34 ⑥   ・   ・   ・   
ナチス・ドイツは原爆開発を断念していた。
2017-09-03
✨11)─1─世界的原爆開発競争。イギリスのチューブ・アロイズ計画。陸軍の二号研究と海軍のF号計画。1941年~No.35No.36No.37・ @ ⑦ 
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2017-09-06
✨12)─1─東條英機は原爆開発を命じた。アメリ化学兵器部局のマスタードガス人体実験。ソ連スパイの対日占領基本方針案。1942年~No.38No.39No.40・ @ ⑧ 
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原爆開発を行っていたのは軍国日本とアメリカ・イギリス・カナダ3ヵ国共同の二つだけであった。
2017-09-08
✨13)─1─日本の民族資本対米・英・カナダ3カ国の国際資本との原爆開発競争。軍国日本の戦争画。1943年~No.41・ @  
2023-04-03
✨13)─2─仁科芳雄博士は無理を承知で「原爆開発、可能性あり」の報告書をまとめたのか?~No.42No.43 ⑨ 
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理系の昭和天皇は原爆は無差別大量虐殺兵器である事を知り、如何に戦争に勝つためとは言え悪魔のような非人道兵器を開発製造し使用すべきではないと確信した。
つまり、心の弱い日本人は原爆を持てば必ず使用する危険性があると。
昭和天皇は、5・15事件、2・26事件、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と暴走して日本を戦争に巻き込んだ軍部を信用していなかった。
2017-09-12
✨14)─1─昭和天皇は、原爆を非人道的大量虐殺兵器であるとして東條首相と杉山元帥に製造中止を命じた。1944年~No.44No.45No.46・ @ 
2017-09-13
✨14)─2─陸軍は、昭和天皇の中止命令を無視し極秘に原爆開発研究を続けていた。1944年7月~No.479・ @ 
2017-09-13
✨14)─3─天皇の島・ペリリュー島玉砕、1944年9月15日~11月25日。平成の天皇・皇后両陛下の鎮魂。2015年。~No.48No.49・ @ ⑩ 
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陸軍原爆推進派は東條英機を怖じ気づいた負け犬として排除した。
2020-11-23
✨15)─1・A─昭和天皇と宮廷派における終戦工作。~No.50No.51 
2017-09-21
✨15)─1・B─昭和天皇は、杉山元帥に原爆開発中止を再度厳命した。1945年~No.52・ @ 
2017-09-22
✨15)─2・A─陸軍は、昭和天皇の厳命に従い原子爆弾開発を断念した。1945年4月~No.53No.54No.55・ @ 
2021-06-21
✨15)─2・B─戦争犯罪九州大学生体解剖事件。昭和20年5月17日。~No.53No.54No.55 
2017-09-24
✨15)─3─戦争に巻き込まれて死んだ学童・女子挺身隊・従軍看護婦らは靖国神社の神として祀られた。1945年7月25日~No.56No.57No.58・ @ 
2019-11-30
✨15)─4─8月10日午前2時 昭和天皇による第1回の聖断。〜No.59No.60No.61・ 
2017-09-25
✨15)─5─昭和天皇は、原爆による一般市民大虐殺を抗議した。軍部の皇統護持計画。1945年8月12日~No.62No.63No.64・ @ 
2019-04-12
✨15)─6─軍国日本の敗北は言霊を信じて第二案、次善の策・プランBを立案しなかったからである。~No.65No.66No.57No.68・ ⑪ 
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2017-11-10
✨16)─1─国家の戦後賠償に対する無責任な受忍論。~No.69No.70No.71No.72・ ⑫ 
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2017-09-04
✨17)─1─ 『フーバー回顧録』、ルーズベルトが日米戦争を始めた。ヴェノナ文書、ルーズベルト政権内の共産主義者。1941年・1945年。~No.73No.74No.75・ @ ⑬ 
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2017-09-05
✨18)─1─ 米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書大東亜戦争 開戦の詔勅)。大東亜戦争終結ニ関スル詔勅終戦詔書)。内閣告諭。~No.76・ @ 
2022-08-09
✨18)─2─鈴木貫太郎首相はルーズベルト大統領の訃報を知り深い哀悼の意を表明した。~No.77No.78 ⑭  
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2017-09-26
✨19)─1─OSSのユダヤマルクス主義者(ニューディーラー)による敗戦国日本の共産主義化計画。~No.79No.80No.81・ @ ⑮ 
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2017-09-27
✨20)─1─アメリカ、ソ連中国共産党など核保有国による大量殺人兵器核爆弾開発と非人道的人体放射能実験。~No.82No.83No.84・ @ 
2017-09-30
✨20)─2─プーチン「核を保有しない国は、主権国家と呼ぶに値しない」。アメリカの日本核武装論。~No.85No.86No.87No.88・ @ ⑯ 
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2017-09-28
✨21)─1─昭和天皇は、原爆は非人道的大量殺戮兵器であるとして開発中止を厳命した唯一の国家元首。~No.89No.90No.92・ @ ⑰ 
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2019-08-14  
✨22)─1─アメリカのソ連原爆投下極秘計画。日本は実験であり、ソ連は実戦であった。〜No.93No.94No.95・ ⑱ 
   ・   ・   ・   
2017-09-29
✨23)─1─日本は、戦後処理として、税金で旧日本軍の中国遺棄化学兵器・毒ガス兵器破棄処分を行っている。~No.96No.97No.98・ @ ⑲ 
   ・   ・   ・   
2017-09-14
✨24)─1─アメリカ軍兵士による日本軍兵士の評価。玉砕した日本人兵士は強く、紳士的だった。~No.99No.100No.101・ @ ⑳ 
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2017-10-03
✨25)─1─メメント・モリ(死を想え)。日本のレクイエム、ソウル・ミュージックは、「荒城の月」と「海ゆかば」である。日本の軍歌。~No.102No.103No.104・ @ ㉑ 
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2017-10-04
✨26)─1─子孫が、祖先の霊魂を、人神として靖国神社や各地の護国神社で慰霊し顕彰し感謝する信仰はありか?なしか?~No.105No.106No.107・ @ 
2018-07-17
✨26)─2─危険な災害現場で救助活動を続ける自衛隊自衛隊廃止を訴える第九条護憲派日本人。~No.108No.109No.110・ @ ㉒
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2017-10-06
✨27)─1─日本天皇の下での公平な富の再配分方法。~No.111No.112No.113・ @ ㉓ 
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2018-12-27
✨28)─1─「菊と星条旗の国体論」。『永続敗戦』と現代日本人の奴隷根性。皇室消滅の危機。~No.114No.115No.116・ @ ㉔ 
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2017-10-15
✨29)─1─鎌田銓一元陸軍工兵中将は、中国軍の日本進駐を阻止して国土を守った。~No.117No.118No.119・ @ ㉕ 
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