🕯161)─2─日本人を待っているのは老いと死。如何なる時も笑う日本民族の生老病死とは。~No.340 

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 縄文人(日本土人)の子孫である日本民族は、死を見つめ、死するを覚悟しながら生きてきた。
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 2023年2月13日 MicrosoftStartニュース Finasee「待っているのは老いと死だけ…「君を忘れてしまう」無常に過ぎる現実
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 待っているのは老いと死だけ…「君を忘れてしまう」無常に過ぎる現実
 © Finasee
 2月15日は、鎌倉時代の末期から南北朝時代にかけて活躍した、随筆家であり歌人であった吉田兼好の忌日である。
 順調な宮仕えを捨て遁世生活を貫いた吉田兼好の生涯
 本名は卜部兼好(うらべ・かねよし)であるが、吉田兼好(よしだ・けんこう)という名の方が一般的だ。これは兼好の生家である卜部家が、京都の吉田神社の神官を務めたことから、江戸時代以降に子孫が吉田姓を使用したことに由来する。
 なお、30歳前後に出家遁世したことから兼好法師とも呼ばれるが、法名として音読し兼好(けんこう)と名乗ったことから、俗名でも兼好(けんこう)と呼ばれるようになる。
 堀川家の家司となったのが仕事始めで、後に後二条天皇が即位すると、堀川家と縁があったことから六位蔵人に任じられる。従五位下左兵衛佐という地位にまで昇進するものの、30歳前後で出家遁世する。
 出家した後は、修学院や比叡山横川などで仏道の修行を積む傍ら、和歌の修練にも努めた。鎌倉にも2度訪れ滞在もしたが、現在の横浜市金沢区にある上行寺の境内に庵を持っていたとされる。当時、鎌倉幕府御家人で後に執権となる金沢(北条)貞顕らと交友を温めた。官位を持つ朝廷警護の前職が、こうした身分の高い人物との交流を可能にしたようだ。
 南北朝時代になると、現在の大阪市阿倍野区に所在する正圓寺の近くに移住し、清貧な生活を送る。二条為世に和歌を教わり、為世門下の和歌四天王の1人に名を連ねるほどの実力があったとされる。
 『徒然草』の作成は鎌倉時代の末期とされるが、その後の室町時代以降に大いに評価されるようになる。兼好の思索や雑感などが漢字や仮名文字でつづられるが、作品全般に流れる基調は「無常観」だ。
 鎌倉末期は、戦乱に次ぐ戦乱で飢餓や病に人々が苦しんだ時代だ。命あるものはいつか死ぬ、形あるものはいつか壊れる、という無常観が作品に一貫している。しかし、単に嘆くばかりではなく、だからこそ今を大切に生きるべきだと訴える。同時に、古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事をはじめとする制度・風俗・習慣などを盛り込むなど、王道を歩むものへの参考書としての役割も果たした。
 時代を超えて人心を捉え続ける兼好の人生観
 兼好の代表作である随筆『徒然草』は、清少納言の『枕草子』や鴨長明の『方丈記』とともに日本三大随筆とされるが、主として人生の無常観で貫かれている。
 平易な語り口とその内容は、乱世を生きる人たちに共感の輪を広げた。兼好の死後100年が経過した江戸時代になると、庶民に愛読される身近な古典となり、現代もなお人々の心を打つ。
 「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ」で始まる第7段は、この随筆集の基調として、人生の無常を説く。
 かげろうのように朝に生まれて夕べには死ぬ、夏のセミのように春秋の季節美を知ることなく死にゆくことを考えると、命あるもので、人間ほどに長生きするものはいない。しかし、醜い姿になるまで生きていて何になろう。長生きすると恥をかくことも多くなる。死があるからこそ生が輝くのだと、死を恐れすぎるなと語りかける。
 「蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ南北に走(わし)る」で始まる第74段では、待っているのは、老いと死の2つだけだ。しかも、この2つは目にも留まらぬ早さでやって来る。生きる意味を知ろうとしないものは、老いも死も恐れない。この世が永久に不変と思い込んで、万物は流転し変化するという無常の法則をわきまえないからだと、無常の世と一生の短さを訴える。
 さらに、第108段では「寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか」で始まり、短い一生だからこそ、わずかな時間でも大切に過ごすべきだと説く。一銭はわずかな金であるが、コツコツと貯めていくと貧乏人も金持ちになる。それゆえ、商売人が一銭を惜しむ心は切実だ。同じように、一瞬などの短時間は明確に意識することは困難だが、その一瞬をおろそかにしていると、たちまちのうちに一生の最期を迎えてしまう。つまらないことに心を取られないで、世間との付き合いを絶ってでも真理を追究せよと諭す。
 事欠かない無常観を伝える古今東西の至言
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ」
 胸に迫る、おなじみの『平家物語』の冒頭部分だ。豊臣秀吉の辞世の句「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」を連想させて、人生のはかなさが胸を打つ。
 鴨長明の『方丈記』も、常ならぬ人生を説く。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。切々と無常観を紡ぐ作品だ。
 無常の世を訴えるのは、日本人だけではない。シェークスピアも『お気に召すまま』の第2幕で、“All the world’s a stage, And all the men and women merely players.”と説く。人間はみんな、舞台劇の役者のようなものだ。舞台でのことを気にするな。持っている金も地位も、舞台の上でのものであり、一切のものは流転する。全ては常ならずと、人生の移ろいをつく。
 第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスも、『自省録』で「すべてかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も。遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆる者は君を忘れてしまうだろう」と述べている。
 一方、かつて30年ほど前だと思うが、ある大手商社の社長が語った言葉がある。「たった一回しかない人生だから、しっかり楽しむ。人間どう生きていくのか、社会に対する会社に対する責任もあるが、何といっても自分自身に対する責任が最も大きい」――いまだに忘れられない言葉だ。
 人それぞれの人生、納得のゆく人生にしたいものだ。
 執筆/大川洋三
 慶應義塾大学卒業後、明治生命(現・明治安田生命)に入社。 企業保険制度設計部長等を歴任ののち、2004年から13年間にわたり東北福祉大学の特任教授(証券論等)。確定拠出年金教育協会・研究員。経済ジャーナリスト。著書・訳書に『アメリカを視点にした世界の年金・投資の動向』など。ブログで「アメリカ年金(401k・投資)ウォーク」を連載中。
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