⛩2)─1─神道における祈りとは感謝する事で成功や奇蹟や恩寵を求める事ではなかった。〜No.2No.3 

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 2022年10月23日 MicrosoftNews ダイヤモンド・オンライン「【神社は「お願いをするところ」ではない】「神様が味方をする人」が神社で必ずしていること
 小林正観
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 Photo: Adobe Stock
 2015年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの神様』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。
 伊勢神宮での出来事
 伊勢神宮の近くで講演を頼まれた際、講演がはじまる前に知人たちと4人で詣でたときのことです。
 拝殿で1分間ほど手を合わせ、帰ろうとしたとき、拝殿に掛けてあった白い布(とばり)が、持ち上がったのです。
 風が吹いていたわけではありません。まわりの木々を見渡しても、まったく揺れていません。
 それなのに、90度くらいまで、金属板のようにまっすぐ固まったまま、スーっと上がりました(1分間ほどその状態が続き、布が下りるときも、鉄板のようにまっすぐになりました)。
 「不思議なこともあるもんだな」と思い、伊勢市の講演会でお話をしたところ、伊勢市の方が、こんなことを言っていました。
 「ダライ・ラマ氏が伊勢神宮を訪れ、手を合わせて帰ろうとしたときにも、同じように布が上がったそうです。霊的な力を持っている人が参拝をした場合、白い布が上がることがあるようです。ですが、今まで90度上がった例は聞いたことがありません。神様から祝福されたのかもしれませんね」
 神社は「ありがとう」を伝えるところ
 この一件は、私たち4人が霊的にすぐれていた、という話ではありません。私たちがそうだったように、「誰でも、神の祝福を受けることができる」のです。
 じつは、神社というのは、「お願いごと」をしに行くところではなく、「感謝」をしに行くところです。
 私たち4人が伊勢神宮を詣でたときも、誰ひとり「お願いごと」はしませんでした。1分間、ただひたすら「ありがとう」を言い続けたのです。
 そもそも「祈り」の本来の意味は、「意」に「宣」と書き、「意宣り」であり、「意のままに沿う」こと。
 つまり「あなたの仰せに従います。あなたが望むように生きています。ありがとうございます」という意味でした。
 そして「願い」は、「ねぎらい」が語源です。「ねぎらい」とは、「希望を叶えてください」ではなく、「よくしてくださってありがとうございます」と感謝することでした。
「祈り」も「願い」も、「夢や希望を叶えてもらいたいとき」に使う言葉ではありません。どちらも、神や仏に対して、
 「すでに、たくさんの恵みをいただいています。ありがとうございます」
 と感謝を伝える言葉なのです。
 神社は、「○○○をしてください」「○○○を叶えてください」とお願いをするところではありません。
 「今の自分がいかに恵まれていてありがたいか」を「感謝しに行く場所」ということになります。
 ただ自分が生かされていることに感謝し、手を合わせて「向こう側」に伝えることで、神様を味方に付けることができるようです。」
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 日本神道とは、心の想いを感謝に変えて祈る崇拝宗教であって、願いを叶えるための奇蹟や恩寵を求める信仰宗教ではなかった。
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 日本宗教が求める御利益・恵みは、世界宗教が求める成功・奇蹟・恩寵とは違う。
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 日本神道は、日本民族が数万年前の旧石器時代縄文時代から受け継いできていた土着宗教で、琉球人やアイヌ人の民族宗教にも通じていて、中国大陸や朝鮮半島の宗教とは縁が薄い。
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ありがとうの神様
小林正観さんの「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉
「ありがとう」のすごい秘密 (中経の文庫)