⛩34)─2─日本人はなぜかくも神の教え・福音のない神社に詣でることを好むのか。〜No.76 

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 日本の神社には、教えによって抱え込む信者・教徒はいない。
 日本の神々は、信仰を求めないし強要もしない、そして海外から来た異国異民族の神を受け入れて対立しないし排除しない。
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 2024年1月15日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「日本人はなぜかくも神社に詣でることを好むのだろうか 「教え」のない宗教としての神道というあり方
 島田 裕巳
 東京十社
 2024年の幕開けは、能登半島地震など心を痛める話題が続いたが、多くの人たちが神社に初詣にでかけた。初詣の対象になるのは神社だけではなく、寺院のこともあるが、多くは神社である。
 私も、今「東京十社」について取材を重ねているので、そこに含まれる神田明神品川神社を訪れたが、やはり参拝客は多かった。とくに神田明神の場合には、仕事始めの日に訪れたこともあり、企業のサラリーマンが集団で参拝に訪れている光景に接した。おかげで、神田明神の前の道路は通行止めになっていた。
 東京十社とは、明治元年明治天皇が幣帛を捧げた准勅祭神社のことで、昭和天皇の在位50年を祝って、十社を巡拝する企画が持ち上がった。そこには、神田明神品川神社の他に、根津神社亀戸天神社富岡八幡宮、芝大神宮、赤坂氷川神社日枝神社白山神社王子神社が含まれる。
 そのなかには、祭で知られるところもあり、昨年私は、富岡八幡宮の深川八幡祭、芝大神宮のだらだら祭、神田明神神田祭も訪れた。どこもコロナ流行の影響で4年ぶりということだったが、参加者も見物客も多く、祭りは活況を呈していた。
 神田祭 by Gettyimages
 © 現代ビジネス
 ほかにも、根津神社のつづじまつり、白山神社あじさいまつり、亀戸天神社の藤まつりも訪れた。「やはり祭はいいものだ」。祭の参加者をはじめ、参拝客や見物客の表情は明るかった。
 他宗教の礼拝施設に神社ならではの魅力
 おりしも、NHK大河ドラマは「光る君へ」で、『源氏物語』の作者紫式部が主人公である。その第1回では、紫式部の母である「ちやは」が、夫の藤原為時の仕官がかなうようにと、山のなかにあるいくつもの社を訪れるシーンが登場した。
 紫式部が『源氏物語』を書いたのは、西暦1000年前後のことだった。それから1000年以上の歳月が流れたものの、私たちは、紫式部の母のように社を詣で、そこで祈りを捧げている。
 祈りはどの宗教でも行われることで、それぞれの宗教では固有の祈りの場が用意されている。仏教なら寺院、キリスト教なら教会、イスラム教ならモスクである。神社もその一つになるが、神社には他の礼拝施設にはない特徴がある。
 まず何より、オープンであるところに特徴がある。なかには開門と閉門の時間が決められている神社もあるが、ほとんどは24時間開かれていて、鳥居を潜れば、誰もが神社に詣でることができる。
 寺院だと、著名なものになれば、仏像や建築物などの文化財も多く、拝観料が必要である。神社には、寺院に比べると文化財が少ないせいもあるが、拝観料をとるところはほとんどない。神社が、インバウンドの対象になるのも、その点が大きい。京都や奈良の寺院をめぐれば、拝観料だけでかなりの額になるが、神社ではその費用がかからない。
 しかも、神社には鎮守の森が形成されていて、自然が豊かである。森林浴ができるところも少なくない。東京の明治神宮などは、創建から104年しか経っていないが、立派な鎮守の森になっている。これは計画に従って植林された結果で、明治神宮はあたかも古代からそこに鎮座しているようなたたずまいを見せている。
 他の宗教の礼拝施設だと、自然のなかにあることは少なく、また、観光地化されたものを除くと、信者以外の人間はなかに入りにくくなっている。
 鎮守の森のなかの参道を歩き、しだいに社殿に近づいていく。それによって自ずと敬虔な気持ちが高まってくる。これは、神社の大きな魅力であり、だからこそ神社をめぐる人たちが少なくないのだ。
 原初からの拝礼対象としての「岩」
 もともと神社には社殿はなく、礼拝の対象になっていたのは、巨大な岩、磐座であった。あるいは、磐座がある山、神体山だった。古くからの歴史を持つ神社で至る所に磐座を見かけるのも、神社のそうした歴史が関係している。
 昨年の暮れ、私は滋賀県にある日吉大社の奥宮を訪れた、それは、相当にきつい登りが続く山道を通っていくのだが、そこには桃山時代に建てられた牛尾神社と三宮神社が鎮座し、その中央に「金大厳(こがねのおおいわ)」と呼ばれる磐座が鎮まっていた。日吉大社の信仰は、この磐座からはじまるようなのだ。
 これも昨年3月のことだったが、久しぶりに伊勢神宮を訪れた。伊勢神宮は内宮と外宮からなるが、そのときの私は、どちらも訪れなかった。私がめざしたのは、「内宮磐座」であった。
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 内宮磐座は、内宮の北側にある。伊勢神宮の事務を司る神宮司庁の近くにあるものの、神宮の側はそこを聖域とはしていない。したがって、表示も出ていないのだが、グーグル・マップを開くと、はっきりと内宮磐座と出てくる。
 それは男根を思わせる直立した磐座で、内宮の社殿で参拝すると、はるか北にこれを拝む形になっている。20年1度の式年遷宮最初の儀式である「山口祭」は、この磐座の脇にある開かれた場所で営まれる。やはり伊勢神宮の信仰はここからはじまると思わせるものである。
 神社で祈るということ
 このように、神社を訪れることで、私たちは古代に思いを馳せることもできるのだが、そこでの礼拝の仕方にも特徴がある。
 祈る、礼拝するという行為は、どの宗教にも見られる普遍的な行為で、基本は、誰もがいつどこででも行うことができる。礼拝のための施設を訪れなくても、かまわないのだ。
 私は数年前のこと、千鳥が淵に花見に出かけたことがあったが、道端に座り込んで一人礼拝をしている外国人の女性の姿を見かけた。イスラム教徒のようだったが、イスラム教では礼拝の時刻が決まっており、彼女はその時刻が訪れたので、メッカの方角にむかって祈っていたのだ。
 私たちも、家の神棚に向かって祈ることもできるし、朝日や夕日に向かって祈ることもできる。
 だが、これはどの宗教にも見られることだが、人々は個人としてではなく、集団で祈ることにむしろ喜びを感じており、それは礼拝施設で行われる。
 キリスト教だと日曜日に集団礼拝があり、イスラム教だとそれが金曜日になる。仏教の場合でも、それぞれの寺院には定められた行事の日があり、その日に出かけていく。神社だと、初詣が圧倒的に多い。
 祈りについての神社の特徴は、まず、祈りのことばが定まっていないことがあげられる。最近の神社では、二礼二拍手という所作が推奨されているものの、祈りの文句というものはない。こころのなかでどう祈ればよいのか、社殿には何も掲示されていない。
 他の宗教であれば、それぞれに祈りの文句が定められている。仏教にも念仏や題目、あるいは真言などがある。
 私は、神道の特徴は「ない宗教」というところに求められるのではないかと考えている。詳しくは、最近増補版を刊行した『神道はなぜ教えがないのか』(育鵬社)を見ていただきたいが、開祖も教えも聖典も救いもないのが神道の特徴であり、そこには祈りの文句がないことも含まれる。
 個人で自由に祈ってかまわない
 逆に言えば、何を祈ってもかまわないということであり、私たちは世界平和から合格祈願まで、神社の社殿の前でさまざまに祈るのだ。
 集団で礼拝が行われる場合、一般の宗教では、そこに集まった人々は同じ所作をし、定められた祈りの文句を唱和する。
 ところが、初詣の際に、神社に膨大な数の人が集まってきても、そうした形にはならない。それぞれの人間が個別に祈りを捧げるだけで、集団で一斉に祈るわけではない。
 メッカへの巡礼において、イスラム教徒は中心にあるカーヴァ神殿にむかって一斉に祈りを捧げる。神社でも、そうしたやり方をとることが可能なはずなのだが、神社を訪れた人々は、長い時間列に並んでも、拝殿の前にたどり着くまでは祈ったりしない。
 もし、神社でも集団での祈り、あるいは同じ所作で同じ祈りの文句を唱えるよう求められたとしたら、私たちはそれに戸惑い、違和感を持つのではないだろうか。
 個人で自由に祈ることができる。そこに、神社における礼拝の大きな特徴がある。
 あるいは私たちは、そこで、「宗教」と「宗教とは言えない何か」の区別をしているのかもしれない。神社での礼拝は後者なのである。
 戦前に、神道は宗教の枠から外された。そこには、神道の祭祀を国民に強制しようとする政府の政策が反映されていたが、一方で、神道を宗教と見なすことが難しいという事情もあったはずだ。
 戦後、神道も宗教となり、神社は宗教法人となった。だが、神社はオープンな空間であり、信者以外の人間にも開かれている。ない宗教である神道は、宗教ではないのかもしれない。私たちは改めてそのことについて考えてみる必要があるのではないだろうか。
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