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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
昔の日本人と現代の日本人は違う日本人であり、団塊の世代・団塊ジュニアとそれ以降の若い世代は別人のような日本人である。
何処がどう違うかと言えば、左派系団塊の世代・団塊ジュニアには民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が全然ない、という事である。
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戦後民主主義教育は、団塊の世代にリベラル価値観・マルクス主義価値観における反宗教無神論と反天皇反民族反日本を教えた。
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2022年9月号 WiLL「『あの世』を信ずる人、信じない人 奧野修司
無宗教を自認する日本人に待ち受ける死の恐怖──
死後の世界
人は死んだらどこへ行くのか?
おそらく人類が誕生して以来、永遠のテーマとなっています。宗教が『天国』や『浄土』といった死後の世界を提供したのも、その疑問に応えるためでしょう。
『あの世』が存在するかどうかは誰にもわかりませんが、戦前までの日本人は少なからず信じていました。『お天道様が見ている』『ご先祖様に申し訳ない』『死んだ親父に怒られる』──あの世があり、死後の世界から見つめられている感覚です。
たとえば、私が子供ころにもいじめはありましたが、昨今のような悲惨ないじめにはならなかった。『そんなバカなことをやっているとご先祖様に叱られるゾ』という感覚があり、死後の世界から見つめられている怯(おび)えのような感覚が自制心や克己(こっき)心を生み、子供の倫理を形成していたからです。
日本人の『恥の文化』も、『警察は怖くないけど、あの世に行ったらご先祖様に申し訳が立たない』といった感覚が生んだものです。
新渡戸稲造がベルギーの学者に、『日本の宗教教育は?』と聞かれ、『ない』と答えたら、『宗教教育なしにどやって道徳を教えているのか?』と問われ、ひどくとまどったというエピーソードがあります。それに答えるために書いたのが『武士道』ですが、武士には武士道があっても、多くの庶民にはこれというものはありません。
忘れられた『あの世』
昔から、日本人の価値観は玉ねぎの皮みたいに重層構造になっていると言われましたが、コアにあるのが『あの世この世』観だったに違いありません。あとで詳しく述べますが、日本は戦争への反省から、戦前を否定するような合理主義的な教育がおこなわれ、再現性のあること(科学)以外は排除されてしまったのです。
とくに合理主義的な教育を叩き込まれたのが、団塊の世代です。団塊の世代は『死んだら土になる』と教えられ、『あの世』を信じている団塊の世代はたった1割未満というデータもあります。千数百年にわたって何十億人という人が『あの世』を信じてきたことを考えると、死後の世界を考えなくなった現代こそ異常な時代かもしれない。
安倍元総理が射殺されるという痛ましい事件が起き、日本中が悲しみに包まれています。もし『あの世』が存在しないのであれば、それこそ安倍元総理は土になってしまいます。しかし、『あの世』を信じることができれば、安倍元総理は『あの世』で生き続けることもできるでしょう。
今回はそんな『死』について考えてみたいと思います。
愛する人の死
黒沢明監督の名作『赤ひげ』(1965年)では、労咳({ろうがい}結核)を患った男が亡くなるとき、この世にいないはずの女房が目の前にあらわれるシーンがあります。これは『お迎え』と呼ばれ、死の間際に亡くなった人物や通常は見ることができない事象を見る不思議な現象です。
『お迎え』であらわれるのは家族や親族だけでなく、数は少ないですが、『目の前に紫色の光の粒が広がっていた』『お花畑が見えた』『死んだ猫が来た』『白い袈裟(けさ)をかぶったお坊さんが呼んでいた』など、人それぞれです。もしも亡くしたはずの愛する人にもう一度会えたら、遺された人はどうするのでしょう。
私は2011年まで『がんの終末期』をテーマに、余命宣告を受けたがん患者の取材をしていました。興味深かったのが、妻をがんで亡くすと、遺された夫はほぼ1年以内に亡くなることがよくあります。
こうした夫婦間の死の連鎖は、有名人夫婦の間でも多くみられます。たとえば、2018年4月27日に朝丘雪路氏が亡くなり、その約3カ月後の8月4日に夫・津川雅彦氏が、同年9月15日に樹木希林氏が亡くなり、その約半年後の19年3月17日に夫・内田裕也氏が亡くなっています。
男は女に依存する傾向があり、妻を失った喪失感が夫の死を早めているのかもしれません。なかには喪失感から生きる気力を失い、自殺してしまう夫もいます。
では逆に、さきに夫が亡くなった場合はどうか。じつは夫を亡くすと、奥さんは精神的に解放され、長生きする傾向にあります。家父長制の家庭であれば、その傾向はますます強くなる。
しかし驚いたのは、2月1日に石原慎太郎氏が亡くなり、その約1カ月後の3月8日、後を追うように妻・典子氏が亡くなったことです。長男で元衆議院議員の伸晃氏はツイッターで、『父 慎太郎が亡くなってから「寂しいわねぇ」と母はとても悲しんでおりました。大好きだった父の隣に寄り添うべく旅立ったのだと思います』と述べています。石原家は、昔ながらの家父長制が色濃く残る家庭ですが、おそらく典子氏にとって慎太郎氏は本当の意味で精神的支柱だったのでしょう。
5月16日には、元衆議院議員の浜田卓二郎氏が亡くなり、約2週間後の5月29日に妻・麻記子氏が亡くなりました。浜田家も同じ家父長制の家ですから、同じような境遇でしょう。
もっとも、『死人に口なし』ですから、こうした人たちが『お迎え』で亡くなった夫(妻)の霊を見て、後を追うように亡くなったとは断言できません。ただ、『お迎え』を見たことも否定できません。
『せん妄』や『幻覚』なのか
私が『お迎え』に注目したのは、宮城県にある岡部医院の故・岡部健医師と出会ったことがきっかけです。私は彼の遺書を書くつもりで取材をはじめ、2013年に拙著『看取り先生の遺書』(文藝春秋)を上梓しました。岡部医師は2,000人を越えるがん患者を看取(みと)った在宅緩和医療のパイオニアとして知られ、末期患者の多くが『お迎え』を見たことに注目していました。
『お迎え』と聞くと、なんとなくいかがわしいと思われる方もいるでしょう。じっさい、現代医学では『せん妄』や『幻覚』として処置されることがほとんどです。しかし岡部医師は、これを治療の対象にするのではなく、死の準備過程で起こる自然現象であり、〝お迎え』現象〟として受け止めるようにすれば、死にゆく人も看取る家族も穏やかになれるのではないか、そう考えました。
そして2002年から東北大学の文化社会学の専門家や社会調査士などと一緒に、遺族を対象に『お迎え』体験を調査しました。
すると、調査した患者のうち42%が『そういうことがあった』と答えたのです。故人がお迎えを体験しても、誰にも語らずそのまま逝ってしまうケースもありますから、実際はこの数字よりも多くの人が体験しているでしょう。
『お迎えで何を見たのか』という調査では、じつに52.9%の人が〈すでに亡くなった家族や知り合い〉と回答しています。『お迎え』という言葉から、私たちは仏様がお迎えにくるようなイメージをしがちですが、仏様があらわれたと答えた人はたった5.25%にすぎず、大半は身近な人物です。『お迎え』にあらわれたのは生者よりも死者のほうが71.1%と圧倒的に多く、その死者の78.1%が家族や親戚でした。
『お迎え』の正体
なお、お迎えを体験した場合は自宅が87.1%で、一般病院は5.2%にとどまります。自宅のほうが圧倒的に『お迎え』を見る理由について、岡部医師は『病院の治療が、穏やかな死をともなってくるような意識平癒を壊すようなことをしているのではないか』と語っていましす。
日本人の死因原因のトップはがん(悪性新生物)です。がん治療の主流は抗がん剤ですが、近年、抗がん剤を使用しない患者が急増しています。私は長年、抗がん剤について取材していますが、じつは抗がん剤を使おうが使うまいが延命率はさほど変わらないことがわかっています。この事実を普及しはじめて、激しい闘病生活を強いられる抗がん剤を使わない患者が増えているのです。抗がん剤は痛みや精神不安を招くので、とても『お迎え』を見られるような状態にはなりません。
岡部医師が言うように、『お迎え』はナチュラル・ダイイング・プロセス(自然死の過程)の臨終に近づいていく過程で人間に起こる生理現象ではないでしょうか。枯れるように亡くなる自然死こそ、『お迎え』を体験するカギなのかもしれません。
あるいは、『お迎え』は人間の根源的なものに根ざしているかもしれません。実証はできませんが、精神医学者のユングのいう集合的無意識(この世に生きるすべての人に共通で持ち合わせる潜在記憶)のなかに組み込まれたような現象です。
じつは『お迎え』現象は、見る人の宗教性に関係なくあらわれます。『マッチ売りの少女』のラストに、少女が薄れていく意識のなかでマッチを擦ると光りの中になくなったおばあさんがあらわれるというシーンがあるように、キリスト教圏でも『お迎え』にくるのは神や天使ではなく、亡くなった家族や知人だとわかります。
岡部医師は、『お迎え』現象は精神と肉体が程よくバランスをとりながら衰えていったとき起こると説明しています。このバランスがうまくとれないと、『お迎え』は訪れず、場合によっては、非常に苦しい最期を迎えることもあるそうです。
興味深いのは、『お迎え』を体験した故人の様子が『普段どうりだった』『落ち着いたようだった』『安心したようだった』との回答があわせて65.1%もあったこと。つまり『お迎え』を見たほうが、穏やかな死を迎えられるということです。
現代医学と霊体験
2000年頃の医学界では、『死んだ家族の霊があらわれた』『「お迎え」を体験した』なんて話は〝オカルト話〟として扱われてきました。しかしここ数年、一部の医者たちの間で大きな変化がみられます。
世の中には、最先端医療をもってしても解明できない症状がたくさんあります。たとえば、精神科医にやってくる患者をDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)に当てはめれば何らかの診断名がつきますが、どうしても病名がつけられない症状が1割未満ある。そうした患者がきた場合、コッソリと『霊能者』を紹介している精神科医もいるほどです。
拙著『死者の告白』(講談社)のなかで取材した宮城県・通大寺の金田諦應(たいおう)住職は、『全国各地から霊体験に悩む患者が医師の紹介でやってくる』と述べています。医師という立場である以上、表立って『霊を信じています』とは言えませんが、現代医学では解明できない不思議な現象を認める医師や、認めてあげることで患者に寄り添う医師が増えてきているのです。東日本大震災や新型コロナなど、人の〝死〟を目の当たりにしたことが大きかったのでしょう。
そもそも、これまで『お迎え』を認めてこなかった日本が異常です。アメリカの臨床腫瘍学会では、亡くなる前に夢を見る、つまり『お迎え』と思われる現象が7割ほどあると認めている。
かつて自宅で死ぬのが当たり前だった時代は、通夜の晩に、親戚中が集まって朝方まで故人について語り明かすのが普通でした。私は幼少期の一時期を和歌山で過ごしましたが、親戚が亡くなったときも、襖(ふすま)をとっぱらった広間で、『お迎え』の話は自然に語られていた。
『赤ひげ』が公開されたのは1965年ですが、当時の東京の人が見ても違和感がなかったのは、その頃『お迎え』は当たり前のこととして受け止められていたからではないでしょうか。
世界でもっとも臆病な民族
では、なぜ『お迎え』が語られなくなったのか。先述のように、戦後の合理主義的な教育が原因です。戦後、ドイツはアウシュビッツの反省のもとに、宗教的倫理教育が始まりましたが、同じ敗戦国の日本はそれを捨ててしまった。戦後、日本人は宗教を否定してきたのです。
私は1978年にブラジルに行った際、入国審査で『NO religion(無宗教)』と書き、共産主義者と間違えられて別室に連れて行かれたことがあります。外国人からすれば、『無宗教』なんて書くやつは、共産主義者のイメージしかないのでしょう。
宗教性を持った倫理教育をなくしたことが、日本人の意識に大きな影響を与えました。学習指導要綱が『死』についてまぅたく触れなくなっただけでなく、圧倒的な病院死によって私たちの生活から『死』が消えてしまった。あらゆる場面から宗教と死が排除されたため、連綿と日本人が持ち続けてきた『あの世この世』観が失われてしまい、無宗教であることが近代化であると錯覚してしまったのです。そして先祖崇拝が希薄になって『あの世』が語られなくなったことで、『お迎え』は家族のなかの特殊な出来事になり、共通の話題でなくなってしまった。
その結果、全世界で日本人が死に対してもっとも不安や恐怖を覚えるようにななり、世界でもまれな臆病な民族になってしまったのです。
いま、『死』を意識しているのが団塊の世代です。団塊の世代は『あの世』をほとんど信じていない。
そんな『死への道しるべ』がない団塊の世代が死を迎えるときのことを、岡部医師はたいへん心配しておられた。自宅に居場所がないうえに、無神論者が多いから死を前にすると右往左往する。団塊の世代が大量死するようになると、在宅地獄になりかねないと、警鐘を鳴らしていました。
死を意識したとき何よりも恐ろしいのが、『死への〝希望〟がないこと』です。死ぬことに希望がなければ、それこそ土になって消滅してしまいます。
いっぽうで、人は『信じるもの』があれば死ぬのが怖くなくなります。『信じるもの』と聞くと、宗教を想像してしまいがちですが、『あの世』に行けば死んだ家族に会える。死んだペットにも会える。ささやかですが、それが〝希望〟になり、死ぬことが怖くなくなるのです。『お迎え』を見た人が穏やかな表情で亡くなったのは、『お迎え』を見たことで『あの世』の存在を認めたからではないでしょうか。
団塊の世代の『死に支度』
私も団塊の世代の一員ですが、死はまったく怖くありません。じつは昨年、新型コロナウイルスの副反応で3週間寝込み、体重が6キロほど落ちた挙句、血圧が60まで下がりました。まるで亡くなる1カ月前のがん患者と同じ状態です。人は亡くなる2週間前くらいから、ものすごい倦怠感におそわれます。だから死ぬときは、倦怠感で生きることをあきらめてしまいます。まさにあのとき、私は生きることをあきらめていた。もっとも、『お迎え』は見られませんでしたが。
あのとき、なぜ死ぬことが怖くなかったのか。それはきっと、『あの世』を信じていたからかもしれません。
合理主義的な教育を続けてきたツケが回り、日本人は再現性のないことは簡単に信じない。ここまで私が述べたことも、一部の読者にとってオカルト話に聞こえるかもしれません。私の2008年頃までは、本音では『あの世』や『お迎え』を信じていませんでした。
ですが、いろいろな人の不思議な話を聞くなかで、『ひょっとしたら・・・』と思うようになり、信じられるようになったのです。
これから、団塊の世代が大量死する時代が必ずやってきます。私の話を頭から否定せず、死んだ後も『あの世』で人生が続くと思えば、死ぬまでの老後生活が楽しくなるのではないでしょうか。」
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人間で究極の平等は、必ず訪れる「老いと死」である。
仏陀は、四苦(生苦・老苦・病苦・死苦)からの救いとして「悟り」を開く仏教という宗教を広めた。
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日本国内には、敗戦、阪神淡路大震災、東日本大震災などで無念の死・不本意な死・残念な死などで死んだが死にきれない、成仏できない魂・霊魂による幽霊・亡霊現象が起きていたという話が数多く残っている。
日本の幽霊・亡霊に対する見方・考え方は、中国・朝鮮とは違うし、西洋のキリスト教や中東のイスラム教とも違い、日本独自の宗教文化である。
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映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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西行法師「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮参拝して)
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イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
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H・P・ラヴクラフト「人類の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である」
人類は、恐怖に打ち勝つ為と真理を究める為に宗教を編み出した。
最強の恐怖とは「死」であり、究極の真理とは「生」である。
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マンガ「アシュラ」 原作 ジュージ秋山
私は お前に教えられた。
それは
命喰らわずして生きられぬ人の性(さが)である。
海に生まれた命を奪い
野山に育つ命を奪い
人は生きて行く。
罪を背負い
それでも与えられた命の限りを生きようとあがく。
だからこそ
この世は美しい。
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日本民族は、石器時代・縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
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田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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戦後・現代の日本・日本人と戦前・昔の日本・日本人は、全く違う別の日本・日本人である。
現代日本を動かしているのは、反宗教無神論とエビデンス(科学的根拠)主義の左派価値観である。
その価値観の伝道師(洗脳師)が、反日本反民族反国家系のメディアと教育で、その歴史は1980年頃からという深みのない浅さである。
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マルクス主義価値観で動いている現代日本では、死を覚悟して生きる哲学・思想、文化、宗教、精神論の「武士道」は存在しない。
つまり、武士でも武士の子孫でもない現代の日本人、特に左派系日本人にとって武士道は「ブタに真珠」で無縁であり、「牛に経文」の如く武士道精神など理解できない。
それは、野狐禅となっている右派系日本人でも同じである。
左派系日本人も右派系日本人も、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がない。
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アニメ・マンガといっても、世代によって読んでいる作品・観ている作品がちがちがう。
受験勉強・受験戦争を勝ち抜いた勝ち組の高学歴の政治的エリートや進歩的インテリは、日本カルチャーのアニメ・マンガを低俗・低能・下等と偏見で見下し理解力がない。
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数万年前の石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)は、墓地を中心として周囲に家を建て、あるいは墓地の隣に集落・ムラを形成して生活していた。
石器人、縄文人は、宗教として生まれ変わり・蘇りによる永遠の命を信じ、現実として死と隣り合わせ、死を受け入れ、死を見詰めて生きていた。
自然の精霊と死者の魂・霊魂は一体であった。
それを確信させていくれるのが植物で、毎年、花を咲かせ実を付けて枯れて死ぬが、翌年には新しい命を得て芽吹いて茎や枝を伸ばし葉をつけ、そして花を咲かせ実を付ける。
それ故に、石器時代、縄文時代の平和は「植物的」であった。
日本民族は、石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)の子孫である。
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日本のアニメで人の心に感動を与え、生きる意味を教え、愛する事の大切さを感じさせ、夢を忘れず、苦しくても辛くても耐えそして諦める事なく希望と勇気をもって前を向いて歩く事を語る作品は、必ずと言っていいほどそこには大事な人との悲しい別れとしての「死」が存在する。
そして、大人の常識である哲学や思想は表にしゃしゃり出ず後ろに控え、傲慢なご高説を説く科学はもちろん宗教やイデオロギーは決して登場させない。
日本のアニメが好まれるのは愛があるからではなく、子供向けであっても「生と死」から逃げる事なく真っ正面から真摯に向き合っているからである。
死を考え思うという事は、生きる者の心・魂と死者の霊魂とのつながりを忘れない、という事である。つまり、思い思われる関係である。
それが、昔ながらの日本民族的な「子供心」である。
現代日本、特に1980年代頃から日本急速につまらなく、くだらなくなったのは、現代の日本人から昔ながらの「子供心」が消えたからである。
別の言い方をすれば、素直で無邪気な遊び心を捨てた、という事である。
が、では子供心や童心とは何かと言えばそれは、言葉で言い表せないし、文字で書き表せない、表現しずらい、単純で簡単な事ではあるが考えれば考えるほど複雑で難しい。
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戦時中、生き残れない絶望的戦場で明日は万歳突撃で玉砕を覚悟した日本人兵士達の多くが、死に際の一言として「天皇陛下万歳!」を叫ばず神仏に祈りを捧げず、母親や妻や子の名前を口にしたのは死ぬ準備としてごく普通の事である。
気の弱い日本人とすれば、天皇陛下万歳や神仏への祈りは嘘で、愛する愛おしい母親や妻や子の名前を呼ぶのが当然の事である。
日本民族は尚武の民族ではなく死ぬのが怖くて仕方がない、生きる事に事に拘る臆病で女々しい民族である。
例えるなら、窮鼠猫を噛むのネズミである。
日本人は、中国人や朝鮮人とは違う人間である。
脆弱な精神しか持っていない日本人にとって、理不尽な理由で死ぬ事への安心装置として靖国神社が必要であった。
玉砕する日本人兵士の心理状態は、カルト宗教や宗教原理主義の無差別殺害の自爆テロリスとの高揚感とは全然違う。
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