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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
差別部落民が伝統的文化・芸術・工芸を支えていた。
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安くても外国産材料は、伝統工芸品をダメにし、価値を低下させる。
伝統軽視の日本人は、伝統的価値よりも見た目上の見栄えにしか興味がない為に、伝統工芸品を安い外国産で誤魔化そうとしている。
安価な中国産材料が出回り、高価な日本産材料は経費がかさむとして敬遠され、生産現場での日本人後継者不足から生産地は減少している。
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1万2000年前 国内で最古の漆。
9000年前 漆製品が生産されていた。器のほかに、櫛や弓、腕輪などに漆が使われていた。
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安土桃山時代。漆器は主力輸出品であった。
欧州の上流階級間で、日本漆器は最高級の嗜好品として取引されていた。
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日本人は、口では文化や伝統を大事にし保全に努めていると言っているが、その実なにもしていない。
文化財の為に支出している予算は雀の涙ほどであり、その少ない金額も実際には使わず、その大半が天下り先の利権に絡んだ財団・組織の維持経費に消えている。
日本人、官僚や政治家そして財界人は、文化財を大事にはしていない。
昔のお大尽様と現代の富裕層は、同じ日本人で金持ちだが、その本質は全く異なる。
現代の富裕層にとって価値ある文化財は、西洋の文化財であって日本の文化財ではなく、日本の文化財を保存する為に金を出す気はない。
事実、日本の文化財や伝統は衰退し、消滅し始めている。
文化のグローバル化に於いて、西洋の文化財はグリーバルとして残るが、日本の文化財はローカルとして失われていく。
グローバル化を正しい道として邁進する日本人にとって、ローカルな日本の文化財には価値を見出さないし、愛着さえ持っていない。
それが、現代の日本人である。
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2014年 指定文化財の管理や修復の「漆」は、明治時代に定められた規定に従って「原則3割国産、7割中国産」の混合漆が使われている。
国産漆は、年間約1トンで高値であった。
価格の安い中国産漆は年間約51トン輸入され、日本漆市場を独占し、国産漆を市場から駆逐しようとしている。
安価な中国産漆の消費拡大に伴って、日本国内での漆生産量は年々減少し、それに携わる生産農家や漆業者も減っている。
指定文化財以外の漆使用製品は、100%中国産で有り、作品に使われている木などの材料も国産物は少ない。
現代日本が生産している伝統工芸品で、100%純然たる国産は存在しない。
日本政府の重要文化財建造物修理予算は、文化を大事にする先進国内でも低く年間81億5,000万円である。
全国にある文化財1件あたり、管理、修復の予算は年間約300万円にすぎない。
低予算により、高度な管理と熟練した修復技術を持った匠の職人は減りつつある。
イギリスは、日本よりも文化財が少ないにも関わらず修繕費に年間約500億円を使用し、文化財保護の為に専門技術者を育成している。
日本は世界的な文化財を数多く所有している文化先進国として文化財保護を謳い文句としているが、その実は、必要以上に経費が嵩む文化財保存には真剣ではなく、職人的国産技術の保護にも関心がない。
本音は、貴重な文化財を自分の金儲けとして消費しても、伝統的文化財を子孫の為に大金を出して保護しようという気は薄い。
財政赤字が増えている現在において、政治家も官僚も企業家も個人所要の文化財ではない民族の文化財には愛着を持ってはいない。
彼らは、国際人として、民族固有の貴重な文化財よりも外国からの在り来たりな舶来物に価値を見出している。
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2015年 イギリスの文化財保護予算は約500億円で、国民一人当たりの修理予算は780円である。
GDPに対する観光業の直接的な貢献度比率は6.6%で、国民の5%弱の雇用を捻出している。
日本の文化予算は81億5,000万円で、国民一人当たりの修理予算は64円である。
観光業に対するGDP比率は2.3%で、雇用は1.5%弱にすぎない。
日本における文化財保護は、口に出して宣伝するほど熱心ではない。
日本人の関心は、直接大金を稼げる経済であり、僅かな寺銭・拝観料・入場料を得る事には関心が薄い。
それは、歴史的景観保護にもいえる。
日本人が世界に向かって自慢したいクールジャパンとは、ニューヨークのようなハイカラでゴージャスな現代的な街並みであって、ウサギ小屋のようなカビが生えたような薄汚れた昔のままの町並みではない。
その証拠が、中国産漆など安い外国産材料(大半が中国産)で、文化財の保護・修復を行っている。
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2017年7月31日 産経ニュース「12000年の漆文化から見る日本 歴博で企画展
英語で「japan」は漆や漆器を指す。それほど日本と結びつきの深い漆。その利用という観点から日本列島の歴史を読み直す企画展「URUSHIふしぎ物語 人と漆の12000年史」が、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で開かれている。
国宝「片輪車蒔絵螺鈿(かたわぐるままきえらでん)手箱」(東京国立博物館蔵、平安時代)をはじめ、縄文時代から現代まで漆に関連する約660点を展示。漆器を単に工芸品として扱うのではなく、考古学や美術史学、植物学、分析科学などを総合した学際的観点から考察する大規模展は初めて。
ウルシの木に傷を付けて得られる樹液である漆は、縄文前期から利用されていた。福井県の鳥浜貝塚から出土した約6千年前の櫛には鮮やかな赤い漆が塗られており、すでに高い木工、漆工技術があったことがわかる。1本の木からごく少量しか取れない漆は貴重品で、古代国家では各地から税として都に物納された。飛鳥宮跡で見つかった多くの漆運搬容器は、そうした事情を物語る。
日本の漆工品は飛鳥・奈良時代の大陸からの技術導入で一気に高度化し、平安期には中国と遜色ない水準に達する。蒔絵など独自の技法も発達し、安土桃山時代以降は日本を代表する工芸品として遠く西洋やインドにも輸出された。展示品の中でもひと際目を引く「花卉図(かきず)螺鈿蒔絵書箪笥(しょだんす)」(江戸後期〜明治初期)は、当時オランダで流行していた新古典様式の大型書箪笥を蒔絵と螺鈿で装飾したもので、西洋的な細かい花柄模様を精緻に表現した職人仕事に圧倒される。
一方、京都市で出土した17世紀のタイ産四耳壺(しじこ)には東南アジア産の漆が付着しており、原料を輸入し製品化した上で再輸出していた可能性も推測される。展示からは「加工貿易立国」の原像も垣間見えてくる。9月3日まで。月曜休。一般830円。(電)03・5777・8600。(磨井慎吾)」
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2018年6月29日 産経WEST「【関西の議論】中国産「漆」に待った 日本の宝は国産で守る…発祥の地、奈良・曽爾(そに)村の挑戦
不安定な足場の上で行われる漆の採取作業=昨年9月、奈良県曽爾村(漆ぬるべ会提供)
奈良時代に漆(うるし)の生産拠点「漆部造(ぬりべのみやつこ)」が置かれ、「漆発祥の地」とされる奈良県曽爾(そに)村が、長年廃れていた村産漆の復興に取り組んでいる。古くから塗料や接着剤など多様な用途に使われ、英語で「japan」と訳されるほど日本を象徴する素材の漆だが、実は現在国内で使う97%が中国などからの輸入。国宝や重要文化財建造物の修復にすら外国産漆を使わざるを得ない現状に、「日本の宝は日本の素材で守る」と、発祥の地の誇りを胸に立ち上がった。(田中佐和)
漆文化の発信拠点完成
奈良市から車で約1時間半。三重との県境に位置する曽爾村で5月25日、ものづくり工房「漆復興拠点ねんりん舎 Urushi Base Soni」の完成式典が行われていた。
20年間空き家だった古民家を改修して作られた同施設は、県内外の漆作家らが活用するシェア工房であるとともに、観光客向けの漆製品の展示やカフェスペースを設けた、漆文化の発信拠点にもなっている。
村産漆の復活に取り組み始めて13年。式典で芝田秀数村長は、「文化の復興、継承には若い力が必要。この工房がそのための場所となるよう、村を挙げて取り組む」と高らかに宣言した。
職人が住んだ漆部郷
人口約1500人の小さな村、曽爾村は「ぬるべの郷(さと)」の愛称で親しまれる。「ぬるべ」は「漆部」と書き、漆塗り職人を指す。ここは漆が多く自生する土地として、奈良〜平安時代に朝廷に献上する漆や漆器の生産拠点「漆部造」が置かれた、漆発祥の地とされている。
鎌倉初期までに成立した辞典「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」には、漆部造設置にいたる漆塗りの起源が、こんな伝承で紹介されている。
《倭武皇子(ヤマトタケルノミコ)が山で狩りをしていたとき、獲物に矢を射たがとどめを刺すことができなかった。それならばと、漆の木を折って木汁を矢先に塗り込めて再び射ると、見事仕留めることができた。手が黒く染まっていることに気付いた皇子が持っていた品物に木汁を塗ると、黒い光沢を放って美しく染まった》
曽爾村は他にもさまざまな時代の文献で「漆部郷」の名で登場するが、時代とともに漆塗りの文化は廃れ、いつしか職人もゼロに。戦後はスギやヒノキの植樹のために大量の漆が伐採され、村には「ぬるべの郷」という名前だけが残った。
地方創生の起爆剤
そうした中、「漆部郷の誇りを取り戻そう」と立ち上がったのが、村の塩井地区(約50世帯)の住民だ。深刻な過疎化を前に、漆という歴史資源を地方創生の起爆剤にしたいとの思いからだった。
平成17年には地区有志で「漆ぬるべ会」を創設。県外の漆専門家の指導を仰ぎながら、地区にかろうじて残っていた11本の原木の根を分ける方法で、植樹を始めた。
だが、土が合わなかったり、シカに食べられたりとなかなかうまく育たない。「漆はかぶれる」と嫌われ、住民の理解を得ることも簡単ではなかった。
道のりは平坦(へいたん)ではなかったが、これまでに千本を超える植樹を行い、どうにか200本程度が残った。同会の松本喬(たかし)会長(70)は、「数え切れない失敗を繰り返して、最近やっと漆に適した土地の条件が分かってきた」と話す。
28年、ついに漆の採取作業「漆掻き」をスタート。昨春には地域おこし協力隊の並木美佳さん(29)がメンバーに加わり、若い力で活動が本格化した。
漆掻きは木の幹を刃物で傷つけ、木がその傷を癒そうとして自ら出す樹液を採取する地道な作業で、これまでに採取できたのは約800cc(牛乳瓶約4本分)。ごく少量とはいえ、念願だった村産漆であることは紛れもない事実だ。
輸入97%、増産急務
村が漆の復興にこだわるのには、もう一つの理由がある。国産漆の減少だ。
化学塗料や安価な外国産に押され、漆は生産量が激減。農林水産省の統計では、28年の国内消費量約44トンのうち、国産は約1・2トン。97%が中国などからの輸入に頼っている。
国産漆の減少は、国宝や重文建造物の保存修理にも大きな影響を及ぼす。文化庁によると、国産だけでは足りず、昭和50年代ごろから、やむを得ず中国産漆を混ぜて使ってきたという。
だが、文化庁は「文化財は本来の資材・工法で修理することが文化を継承する上で重要」との方針を打ち出し、平成27年には「国宝・重文建造物の保存修理には100%国産漆を使うことを目指す」と発表した。そのためには長期的に年間平均2・2トンが必要と推計されており、増産が急務となっている。
継続的な植樹必要
「日本の宝物は日本の素材で守るべき。素材がないと伝統技術も失われる。そこに危機感を持っている」と並木さんは言う。
漆は成木になるまで10〜15年かかる上、一度漆を採取した木は切り倒してしまう。そのため、国産漆の安定的な生産には、今より地域を拡大して植樹活動を続ける必要がある。
現在活動している同会員は地区の約20人。なんとか村の取り組みや村産漆の存在を県内外にPRしようと、村では紅葉した柿の葉に村産漆を塗った漆器「葉の器」を製作。新たな特産品として売り出している。
松本会長は、「今はまだ塩井地区の小さな取り組みだが、村全体や近隣市町村を巻き込み、国産漆の復興を支えたい」と強い決意をにじませた。」
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