🎑32)─1─B級C級戦犯として処刑された昭和殉難者が遺した尊い詩歌。~No.82No.83 ⑩ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年8月号 Hanada「詩を読んで史を語る  平川祐弘
 第三回 世紀の遺書

 この果てに君あるごとく思はれて
   春のなぎさにしばしたたずむ

 これは日本の敗戦後数年、大学生の私の目にふれた和歌である。その時に記憶したままにいま書いたから、もとの言葉遣いが新仮名づかいか歴史的かなづかいであったか、さだかでない。作者は御存命としても今は100歳を越えているであろう。戦争で愛する人をなくされた方もいまではおおむね世を去られた。
 前回は戦場に散った日本の若き勇士の歌を紹介したが、今回はさらに辛い目にあって死んだ人々の詩歌を掲げる。しかしこれもまた昭和の大戦が後世に遺した尊い文字である。
■刑死者の遺言の句
 戦場で死んだ人は、そして夫に先立たれた人は、第二次大戦の敗北に際して、戦死者やその遺族にもまして苛酷な目にあった人がいた。戦後になって獄中の人となり、死刑を宣告され、刑に処せられた人たちである。その数は1,000人を越えた。その『戦犯』と呼ばれた人の中には、実際に罪を犯した人もいたであろう。だが中には無実の罪で死んだ人もいた。死刑に当たるとは思えぬ罪で絞首台の露と消えた人もいた。多くの冤罪を生んだに相違ないこの連合軍側の一連の『勝者の裁判』こそが、その形式だけの裁判で敗戦国の将兵を死に追いやったことこそが、私見では戦争犯罪の最たるものと思われるが、ここでは刑法上の当不当は問わない。
 ここで私が話題とするのは、戦争犯罪人として処刑された人の遺書にしたためられた詩歌についてである。洋の東西を問わず、死刑に処せられた人の多くは遺書を残した。B級戦犯の中には、遺書の執筆すら認められず、死んだ人もいたらしい。遺書をしたたても遺族の手に渡らなかった場合もあったようだ。それでも日本では701篇の遺書遺稿が一冊の本『世紀の遺書』(巣鴨遺書編纂会、昭和28年/講談社、昭和59年)にまとめられている。
 その中で私がこの連載『詩を読んで史を語る』で注目したい点は、日本人刑死者の何人かは遺書に詩歌を添えていることである。昭和殉難者法務死慰霊標に名をとどめた人の中で、遺詠が記録されている人の数は100を越える。これは他国の人には見られない日本人の心根のあらわれではあるまいか。たとえば、俳句は自己客観視を可能にする。死刑前夜の青木茂一郎の字あまりの句、

 明日は共に散る戦友(とも)の寝息や春の雨

 残された日々、わが身を大事にして、死刑を宣告された人は、プリズム内で生きていく。

 行く秋と共に逝く身を磨くべく

 この青井真光陸軍中尉は俘虜収容所長として済南で罪に問われ、死刑を宣告される独房に移され、1946(昭和21)年12月15日刑死した。その遺詠の句から。

 死刑受く此の日故郷(ふるさと)秋祭り
 此の秋を越せぬ刑の見いたわりて
 秋高し鉄鎖(てつさ)かくして正座かな
 寝返れば足に枷(かせ)あり秋冷えす
 神に委(あか)し生死一如の月まろし
 審(さばか)るる身は口重よ秋の風
 剃り終へば顔に罪なし秋の水
 枷とれば仙女の思ひ秋高し
 刑の沙汰未だし秋の暮れてゆく
 独房に来て尊くも冬を知る

■徳本光信大佐の歌
 歌は武人の嗜みである。1947(昭和22)年4月30日刑死した徳本光信大佐の遺詠から。

   判決入獄の日。
 生と死の分るゝ時ぞ判決の
  裁きの窓に春雨の降る
 さしてゆく宿のともしび見えそめて
  急ぐには惜し春の夜の月
   司令官を偲びて
 みいくさのつかさと仰ぐ君逝きて
  ひとやのけはひとみに沈める
 刑場にひかるゝ友は従容と
  あと見返りて笑(えみ)洩らしつゝ
 くろがねの足のくさりのいつしかに
  光りそめて死の迫り来る

■氷見谷實曹長の日記と詩
 蘭領東インドのバンドン憲兵隊の曹長だった氷見谷は、仲間に続いて、1948(昭和23)年12月29日、バタビヤのグロドック監獄で刑死する。日記はオランダ軍当局の手で途中で執筆を禁止されてしまう……
 ……
■祖先がのこしてくれた生死観
 敗戦となった以上、一方的に戦犯とかで処刑されることも仕方のない話である。しkしそのような際に、日本人の祖先がのこした生死観が蘇って、その蓄積がはたらいて、この人たちを支えたのかと思うと、なにか尊い事に思われてならない。よその国の戦争犯罪人の収容所でも同じような記録は残されたのだろうか。『死の家』の比較などと言えば、生きている者の不遜を免れないが、調査に値することではあるまいか。
 『世紀の遺書』に出て来る人は、特に高等教育を授かった人たちではない。同じグロドック監獄で、浅木留次郎は下士官上がりの少尉だが、自分に先立ち部下の刑死を見送る心境をこう字あまりの歌に詠んでいる。ナチスゲシュタポに相当するとしてオランダ当局に狙い打ちされた日本の憲兵たちだが、礼儀正しい、覚悟のできた人たちである。

 お先にと言ひつつ元気に次々と
  旅立つ部下の姿おろがむ

 ビルマのラングーンで刑死した松岡憲郎憲兵大尉は早稲田大学出身だが、こんな感想を残した。生への執着はあるに違いないが、解脱(げだつ)したというのであろうか、死への恐怖が不思議に感じられない。

 私の肉体は亡ぶ。これは自然の法則だ。木の葉が落ち花が散る。これも自然であり自然に帰ることを意味する。死とは自然に帰ることだ。(・・・)
 戦犯も大きく考える時は、自然に帰ることである。その道程こそ異なってゐるが、自然に帰一することは同じであるのだ。私の死も自然である。私も(・・・)判決を受けてからの今日のごとく、尊い1分1秒を送ったことはかつてなかつた。
 自然は美しい、自然は清い。自然はやさしい、自然は強い。自然は恵み深い。見れば見る程、眺めれば眺める程、美しく尊く深いものは自然だ。この数日私は自然を眺めよう、自然に帰ろう。そしてまた御奉公するのだ。御恩に報いるのだ。

 竹山道雄は戦犯刑死者の手記や遺書について『竹山道雄セレクション』Ⅳに収められた《死について》の中で次のように書いている。

 これほど切実に厳粛に、読んでいて襟を正さしめるものはほかにない。すべて苦悩によって浄化されて、『人のまさに死なんとするやその声よく』、真に人間性の本然の声をあげている。これらの人々も、おそらく平常の生活では欠点もある普通の人だったのだろう。しかし、いよいよ避けられないと分かると、たいていの人が立派な男性的態度をとった。すべての人が親に不幸おわび、妻にふかい思慕といたわりの言葉をのべ、子の前途を祈っている。国を思い、世話になった人々に感謝している。邪悪な運命に弄ばれていよいよ刑死を前にしたとき、そこに生まれたのは自暴自棄のようなものではなく、かえって人間性のもつ明るい積極的なものであるということは、おどろくべきことである。
■海軍軍医中佐上野千里の詩
 多くの人が無実、あるいは軍務の命じる行為を遂行したが故に、刑せられたのあろう。卑劣な者は要領よくたちまわり、真面目な責任感ある人が厄にあったのであろう。上野千里はトラック島で米軍捕虜殺害の廉で責任者とされて死刑となった。妻と5人の子名に宛てた遺書に詩が添えられている。その五連を抄する。

   みんなに
 悲しみのつきぬところにこそ
 かすかな喜びの芽生えの声がある
 熱い涙のその珠にこそ
 あの虹七色は映え宿る。
 人の世の苦しみに泣いたおかげで
 人の世の楽しみにも心から笑へる
 打たれ踏まれて唇を嚙んだおかげで
 生まれて来たことの尊さがしみじみわかる。

 ・・・
 幸せは自分の力で見出そうよ
 真珠のような涙と大陽の様な笑いの中に
 今日もまたあしたも進んで行こうよ
 きつといつの日か振り返って静かに微笑めるように。

 偽って生きるよりは偽られて死に
 偽って得るより偽り得ずに失えと。
 天国からじつと見守っているお父さんに
 手を振ってみんな答へておくれ『おう』と。

 何度転んでもまた起き上がればいい
 なーんだこれしきのことでと笑ひながら
 さあ、みんな朗らかに元気いっぱい
 さわやかな空気を胸に大きく吸いながら。

■刑死者の妻の歌
 遺族のことばにも心打たれる。金城陸軍主計大尉は巣鴨拘置所からシンガポールへ送られる船中で、1946(昭和21)年10月7日自決した。以下は妻淑子のうたである。
 
  すがも  
 夫、戦犯容疑者として出頭を命じられる
 ……

  夫、自決
 妻吾の涙に濡るゝこともなくきみは何処に果て給ふらむ
 わが背子のおきてゆきし冬衣頬にあつればにほひ儚し
 現(うつ)し世にいまさぬ君と知りながら尚忘れえず夢に哭(な)くなり
 すがもなるきみを偲(しの)べば
   妻吾ぞ哭きもてゆかむけふもあしたも
 すがもぬちゆ吾呼ぶ夫の声聴ゆ
  なつかしきかなあはれすがもは

 巣鴨遺書編纂会の『世紀の遺書』は読むことが辛いが、心にしみる文章の数々である。……」
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世紀の遺書 復刻
再考「世紀の遺書」と東京裁判: 対日戦犯裁判の精神史
わがいのち果てる日に: 巣鴨プリズン・BC級戦犯者の記録
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 いい日本人は2割、悪い日本人は3割、良くも悪くも命令に従順なで羊の様な日本人は5割。
 現代日本では、悪い日本人の中に如何にも自分はいい人間であるが如く装おうエセいい人が急造している。
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 昔の日本人は、言霊を信仰し、口に出した和歌や俳句には魂・霊魂が宿ると信じていただけに、推敲に推敲を重ねて文字に顕した詩歌には「心の丈」をありのままに飾らない嘘偽りのない素直で正直な言葉で歌い込んでいた。
 それが、歌心であった。
 故に、和歌や俳句は日本民族の精神文学であると同時に心の宗教であった。
 日本民族の歌心は、日本国語でしか込められない特殊な芸風で、中国語やハングル語(朝鮮語・韓国語)では不可能である。
 が、民族の歌心は、外国人でも持ち得る柔軟性と多様性を秘めている。
 古(いにしえ)の優れた歌詠みには、数多くの帰化人がいたが、渡来人ではほんのわずかしかいなかった。
 日本民族で最上級の歌詠みは天皇で、それ故に天皇の歌は御製として後世まで遺され手本・教本とされている。
 それ故に、和歌や俳句を詠むという事は日本国語の言葉と神話物語の心で天皇の御威光・大御心・御稜威に通じるという事であった。
 これが、天皇と民族・国民の紐帯関係である。
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あるB・C級戦犯の戦後史: ほんとうの戦争責任とは何か
考証 東京裁判: 戦争と戦後を読み解く (476) (歴史文化ライブラリー 476)
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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 日本軍は、戦場で人を殺すという戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人を助けるとい人道貢献を幾つも行っていた。
 戦前の日本には、暗く悪い面があれば、明るく善い面もある。
 連合国戦争犯罪裁判所は、人道貢献を行った日本軍将校を戦争犯罪者として不名誉処刑であるリンチ的縛り首で殺し、遺体を灰にしゴミのように海に捨てた。
 現代の日本人は、彼らを靖国神社の神として祀る事に猛反対し、人格を否定し、尊厳を踏みにじって喜んでいる。
 彼らは、人間として日本人だが、人として日本民族ではない。
 数万年前の石器時代縄文時代から脈々と受け継がれてきた日本の心、まごころ、志、精神、気概は、日本民族にあって日本人にはない。
 同様に、外国人であっても、帰化人にはあるが、渡来人にはない。
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 日本民族は、生と死そしてその境・狭間で生き、最も重視したのは境・狭間であった。
 境・狭間の象徴が、祈りの場である神社や仏閣であり、祭祀王の天皇であった。
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 昔の日本人と現代の日本人は別人のような日本人で、日本の心(大和心)、まごころ、志、精神、気概を昔の日本人は持っていたが現代の日本人は持っていない。
 持っていない日本人が急速に増え始めたのは、バブル経済が始まりだした1980年代頃からである。
 その象徴が、メディアや学校で靖国神社参拝問題やカミカゼ特攻犬死に論が取り上げられ始めた事である。
 靖国神社に祭神として祀られている東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達は「無言の昭和天皇の大御心・御稜威」に応えるべく、歴史的な人道貢献を行い、戦争を回避しようとした平和貢献を行っていた。
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 日本列島では、善人が幸せな人生を送る、悪人が不幸せな人生を送る、はうそである。
 因果応報で、善行を積めばいい事が起き、悪行を働くと悪い事が起きる、はウソである。
 悪人ほど得をし、枕を高くして眠れる。
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 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 現代の日本は歴史のない社会である。
 日本の歴史は、昔は神話・物語・天皇・民族・宗教・文明・文化・伝統・その他つまり生と死、命、魂・霊魂の生命力ある歴史であったが、現代では生物としての人類・人間を科学で分析する無味無臭・無味乾燥で生命力なき歴史である。
 現代の日本人が学ぶ歴史教育とは、試験合格用のキリスト教西暦・天皇元号と科学的な統計数字・分析数字の記録を丸暗記するだけの死んだ歴史である。
 そこには、生きるヒントを与える生きた歴史はない。
 それが、反宗教無神論と反天皇反民族反日本の戦後民主主義教育における歴史教育である。
 日本を歴史のある社会と歴史のない社会に分断したのが、1980年代頃で、それは当時の日本人が自ら選択した結果であって、誰かに強要されたわけでもなく、如何なる陰謀説も存在しなかった。
 まして、戦後レジームなど無関係であった。
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 靖国神社の心・志・精神は、戦前の軍国日本にはあったが、戦後の平和国家日本にはない。
 が、1980年頃まではあったが、1990年以降から消え始め、2020年以降には消滅した。
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 諫山創「人はいずれ死ぬ。ならば人生には意味がないのか?死んだ仲間もそうなのか?あの兵士たちも、無意味だったのか?いや違う‼あの兵士に意味を与えるのは我々だ‼あの勇敢な死者を‼哀れな死者を‼想うことができるのは生者である我々だ‼我々はここで死に、次の生者に意味を託す‼」(『進撃の巨人』)
 同じ自殺行為といっても、カミカゼ特攻とイスラムテロリストの自爆テロとは根本的に意味が違う。
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 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
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 H・P・ラヴクラフト「人類の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である」
 人類は、恐怖に打ち勝つ為と真理を究める為に宗教を編み出した。
 最強の恐怖とは「死」であり、究極の真理とは「生」である。
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 マンガ「アシュラ」 原作 ジュージ秋山
 私は お前に教えられた。
 それは
 命喰らわずして生きられぬ人の性(さが)である。
 海に生まれた命を奪い
 野山に育つ命を奪い
 人は生きて行く。
 罪を背負い
 それでも与えられた命の限りを生きようとあがく。
 だからこそ 
 この世は美しい。
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 石原慎太郎「(靖国神社参拝について)根本を云えば、民族としての〝垂直の情念〟をどう認識するかということなんだ。国の礎として斃(たお)れた死者の存在を抜きにいて今生きている我々の価値観だけで国家民族の命運を決めていいのか。その慮(おもんばか)りと畏怖が今の日本人にはない。
 〝死者の不在〟ということを強く感じるね。今の日本には死者の居場所がない。それぞれの家庭を見ても仏壇なり、神棚なり、壁に掛けた写真でもいい、死者たち、亡くなった両親や祖父母、曾祖父さんや曾祖母さんの占める場所があるかね。核家族が当たり前になって家の中で身内の死を見取ることもない。死は病院の中にしか存在せず、家の中には生者しかいない」
 「靖国参拝は政治じゃないんだよ。参拝は殊更(ことさら)なことじゃないし、褒められる事でもない。ただある少年の日に米軍機を追撃して私を守ってくれた、芋畑で仰ぎ見た戦闘機のパイロットがそこにいるかもしれず、確かなことは女房の親父や多くの親戚が私にとってあそこにいるといことなんだ」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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