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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』
(世界のおける六つ或いは七つの主要文明)
西欧キリスト教文明
ロシア正教文明
イスラム文明
ヒンズー文明
中華文明(黄河文明・長江文明・朝鮮文化)
日本文明(一つの国で一つの大文明を形成している世界で唯一の独立した文明)
中南米ラテン・アメリカ文明
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日本文明は、揚子江流域民=現・少数民族による長江文明の後継文明であって、黄河流域民=漢族=現・中国人による黄河文明の亜流文明ではない。
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文明は、人種・民族・宗教と一体であるが、反宗教無神論のマルクス主義(共産主義)とは相容れない。
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西洋諸国は、江戸時代の日本を清国(中国)と同等の世界帝国の一つと認めていた。
西洋人は、日本天皇の存在を知らないだけに、徳川将軍を大君、皇帝と尊称で呼んでいた。
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*自然破壊の大陸文明と自然保護の島国文明
日本文明は、島国特有の補完共生の精神で、森林や河川などの恵みを得て、自然に負担をかけない様に、貧相に近い、慎ましやかな生活を送っていた。
日本文明とは、島国という閉鎖された空間で生まれた、逃げ出せない文明であった。
対して。
世界文明は、大陸気質として、森林を乱伐し河川を征服し、自然を破壊し略奪する事で、贅沢でゴージャスな生活を、誰はばかる事なく自由気ままに満喫していた。
世界文明とは、大陸という開放された空間に生まれた、逃げ出す事が出来る文明である。
ヨーロッパ文明や中国文明は、紛れもなき大陸の世界文明である。朝鮮も、また大陸文明に属している。
安田喜憲「今日のヨーロッパの都市の森は、激しい自然破壊の結果生まれた苦しい体験と反省の産物なのである」(『森林の荒廃と文明の盛衰─ユーラシア大陸東西のフィールドから』)
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欧州の王族や封建領主は、狩りを行う為に公園としての森林を保護し、公園内への一般人の立ち入りを禁止した。狩猟を行う時は、獲物を追ってどこまでも追跡し、公園を出て農地を踏み荒らすことさえあった。農民が農地と作物を守る為に行く手を遮れば、反逆罪で公開処刑した。
高貴な上流階級にとって、身分の低い領民は権利を持った人ではなく、牛馬と同等の価値にしか見ていなかった。
ヨーロッパ諸王国の宮廷は、外敵の侵略以前に、王位を巡って身内での隠謀や暗殺が横行していた。国王や貴族の家長は、身内の反逆者から命を守る為に、外出する時は馬車を走らせていた。
馬車は、王侯貴族など支配階級の象徴という以前に、暗殺から身を守る為の乗り物である。
御者は、日頃から馬車を疾駆して走らせていた。時たま通行中の下層民をはねる事があったが、王侯貴族は下層民が重傷を負おうと死のうと歯牙にもかけなかった。
乗り物に関して、欧州は馬車の文化で有り、日本は牛車の文化である。
荷物を運ぶのも、大量に荷物を運ぶ為という以前に、盗賊から荷物を守る為に高速で逃げられる馬車が普及した。荷主の荷物を守る為には、通行人を跳ねようと農作物を踏み荒らそうとも走り続けた。
日本は、全てに非効率の人が押す荷車が主流であった。
各地の司教や司祭も、特権階級の一員として君臨し、貧困層が虐待を受け、殺害されようとも、餓死しようとも見捨てた。
農民や市民の生殺与奪の権は、領主や僧侶が持っていた。
キリスト教圏の欧州諸王国では、絶対神に愛された人とは王侯貴族のみであった。彼等のゴージャスな生活とは、そういう優雅な生活である。
ミシェル・ドヴェーズ「16世紀前半の歴代の王、すなわちフランソワ1世(在位1515ー47年)とアンリ2世(在位1547ー59年)は、ルイ14世(在位1643ー1715年)以前の諸王のなかで最も精力的にフランスの森林資源を守ったという事ができる。これらの主権者はいずれも狩猟に熱心で、その点で、諸侯と配慮をともにした。換言すれば、広大な林野の防衛に執着していた」
アシル・リュシェール「ボルドー大司教エリー1世(1187〜1206年)は、ヘンリー2世やリチャード獅子心王がよく使用したガスコーニュ人傭兵隊長の弟で兵士達に囲まれて彼の司教区から金を搾り取っていた。……下層階級は単に犠牲者であるばかりではなく、嘲笑の対象でもあった。貴族達にとっては、下層民は劣等な人種で、一切が取るに足らない存在で、その生命もまた何ら考慮を払う必要のない生き物なのである」(『フランス中世の社会─フィリップ=オーギュストの時代』)
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森林破壊は、ギリシャの昔から行われていた。
ギリシャの都市国家は、オリーブとブドウの樹を植える為に森林を切り開き、下草を刈る手間を省く為に大量の山羊を狩った。痩せた土地は、さらに栄養をなくして岩だらけの大地となって、穀物や野菜の生産が不可能となって食糧自給率を下げた。
ギリシャ人は、贅沢品であるオリーブ・オイルと高級ワインを輸出して、穀物などの食糧を大量に輸入した。
ギリシャの自由民は、特権階級として、同数の奴隷に生産活動を押し付け、政治談義や哲学や演劇やスポーツを満喫していた。古代ギリシャの民主主義は、奴隷の犠牲の上で維持されていた。
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大陸文明は、例外なく大量の奴隷を所有していた。
ローマ帝国は、銀の精錬と鋳造そして公開大浴場の燃料の為に大量の木材を必要とした。イタリア半島の森林が枯渇するや、材木を求めてガリアやイベリア半島遠征繰り返した。
中世ヨーロッパは、外洋航路の巨大帆船と、金銀財宝をちりばめた豪華な宮殿と、ステンドグラスで埋め尽くされた壮麗な教会の建材にする為に、広大な森林を乱伐した。
近世ヨーロッパは、建築用レンガを生産する為に森林資源を消費した。
森林資源が乏しくなったヨーロッパは、石炭を利用して産業革命を起こし、新たな資源を求めてアジアやアフリカに略奪するだけの植民地を、武力を使って獲得した。
森林破壊に恐怖したヨーロッパ人は、燃料を化石資源に依存して、自然保護を訴えて植林事業を本格化させた。自然破壊の元凶を、開墾して農地を広げ、放牧して下草を食い尽くす家畜を飼う農家に押し付けた。
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2016年10月号 Voice「永遠の杜(もり) 養老孟司
……『永遠の杜』について書く。これは明治神宮の森である。『永遠の杜』とは、この森を計画実施した本多静六の表現である。大正年間に明治天皇を記念して神宮の建設が行われた。同時にこの森が創られた。当時この地はほとんど木の生えていない、草原のような状況だったらしい。
創建当時、全国から10万本の樹木が献木された。現在は3万6,000本に減っている。それは当然で、木が大きくなって、その分滅びる木が出てくるからである。自然に間引かれてしまう。神宮の創建には政府の意向も大きく関与したであろうが、森はまさに草莽(そうもう)の民の志による。この森の特徴の第一はここにあると思う。戦後風にいえば『民主的』な森である。しかもその後の推移は、まったくの自然に任せている。木々の自然競争といってもいい。東京に森ができるとしたら、こんな森ですよ。現在の神宮の森はそれを如実に示している。
もう一つの特徴は、この森がまったくの人工林だということである。人工でも100年経てばここまでになる。世界自然遺産に代表されるように、自然というば、いまはまず『人手が入っていない』ことが注目される。しかし人跡未踏ということは、人間には無関係だということでもある。世界がここまで都市化してしまった現在、人工林の育成という課題はきわめて重い。たとえば中国の未来をお考えいただきたい。黄砂は日本にも大量に降ってくる。余計なお世話といわれるに違いないが、中国は尖閣より神宮の森に注目すべきであろう。広い中国に空き地がないはずがなく、そこに植樹する力が北京政府にないはずがない。あとは100年を待てばいい。日本人のヴォランティアが中国に植樹していると聞いているが、根本的にはご本人が本気にならなきゃ、埒が明かない。
神宮に行ってみると、とにかく人の多いこと。それも日本人だけではない。欧米人から中国人まで、なにを思っているのか知らないが、ブラブラと散歩している。……
『自然守る』という標語は世界中に広がっている。しかしいったい『なにを守っているのか』。それを意識する人はほとんどいない。『虫を捕るな』などというだけである。神宮の森に科学の調査が入り、その生態系について基礎的な事実が分かったのは、都民が誇るべきことであろう。仮に外国人から森についての質問があれば、詳細な説明が可能となっている。胸を張って答えていいい。猪瀬─桝添─小池と、都知事を野球の投手みたいに途中交代させ、選挙に毎回50億円をかける。でも動植物の各分野の専門家は、ほとんど無報酬で黙々と働く。仕事が好きですから。
ところで、なぜ神宮に森まであるのか。進士氏はいわれる。『ドイツにも森はあるけれど、神社はないよ』。そのとおり。いわば神社と寺院のおかげで、多くの森が維持されてきた。社叢林(しゃそうりん)という成語があるくらいである。聞く耳さえあれば、森は人になにか大切なことを語りかける。その一端に触れたければ、伊藤弥寿彦・佐藤岳彦『生命の森 明治神宮』を見ていただくといい。」
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