✨31」─4─上海ホロコースト未遂事件。日本陸軍と松岡洋右は上海でのユダヤ人虐殺を阻止した。1942年 〜No.157   *     

日本占領下の「上海ユダヤ人ゲットー」―「避難」と「監視」の狭間で

日本占領下の「上海ユダヤ人ゲットー」―「避難」と「監視」の狭間で


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   ・    ・    【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・  
 何が真実で、何が虚偽か。
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 中国共産党の真実と軍国日本の事実。
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 国連差別委員会など幾つかな小委員会はは、反日中国共産党の影響を受けている。
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 昭和天皇A級戦犯達は、世界が見捨てたポーランドユダヤ人難民達を、無償と自己犠牲精神(日本心・大和心)で助けた。
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 軍国日本は、人として、人類史に残るような良い事もした。
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 中国共産党は、悪い事を数限りなく行ったが、良い事は一つも行っていない。
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 戦争犯罪国日本の、人助けの人道貢献は全てが認められない。
 A級戦犯達の、無償と自己犠牲精神による人道貢献も全てが否定された。
 それが、国連と国際司法機関の公式見解である。
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 軍国日本は如何に人助けなど人道貢献をしても、正しく評価されないし、褒められないし、感謝もされない。
 何故なら、軍国日本はナチス・ドイツ同様に絶対悪だからである。
 昭和天皇東条英機A級戦犯達は、ヒトラーアイヒマンヒムラーなどナチ党員やゲシュタポの同類とされている。
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 アメリカやイギリスなどの連合国やバチカンや国際赤十字社は、ユダヤ人に冷たく、積極的に助けようとはしなかった。
 ヒトラーホロコーストをうすうすとは知っていたが、「そんな事はあり得ない」という「バイアス」から信じようとしなかった。
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 現代日本はもちろん世界も、そしてユダヤ人さえも、ポーランドユダヤ人難民達を無償で助けた東条英機松岡洋右A級戦犯達の人道貢献を歴史から抹消している。
 人道貢献を抹消する歴史には、意味もないし、価値もない。
 現代、子供達に教えられている歴史とはそうしたクズのような歴史である。
 同様に、中世キリスト教会と白人キリスト教徒が行った日本人奴隷交易も歴史から抹消されている。
 第1次史料の公式文書や責任ある地位の人物の証言があるにもかかわらずである。
 国際社会は、日本のキリシタン弾圧から逃げ信仰を守った潜伏キリシタンを世界記録遺産としていし、日本が行った非人道行為を後世に残そうとしている。
 現代日本では、その事を歓喜して喜んでいる日本人が少なからわず存在している。
 正しい歴史を抹消する、日本民族日本人には未来・将来はない。
 現実に、日本民族日本人は少子高齢化で人口が激減し、そう遠くない将来、消滅・絶滅・死滅する運命にある。
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*上海ホロコースト未遂事件
 昭和天皇東条英機内閣。
 1942年 日本軍部は、ユダヤ人難民を保護するべく、上海北部の日本人居住地区に「無国籍難民隔離区」を設置し、現地部隊に管理を命じた。
 昭和天皇は、口には出さなかったがユダヤ人難民の保護を望んでいた。
 7月頃 ナチス・ドイツは、日本に対して、上海にいるユダヤ人約4万人を全員虐殺するように圧力をかけ続けていた。「日本は外圧に弱い」というのが、世界常識であった。
 東京のアジア地区ゲシュタポ司令官ヨゼフ・マイジンガー大佐は、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリッヒ・ヒムラーの命令で、上海に出張して現地の日本側に対して次のような3つの提案を示している。
<上海のユダヤ人処理の方法>
 1,黄浦江に廃船が数隻ある。それにユダヤ人を乗せ、東シナ海に引きだし、放置し、全員餓死したところで日本海軍が撃沈する。
 2,郊外の岩塩鉱山で使役し、疲労死させる。
 3,お勧めは、揚子江河口に収容所を作り、全員を放り込み、種々の生体医学実験に使う。
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 日本の右翼・右派は、反ユダヤの人種差別主義者として、ヒトラーホロコーストを正当行為と認め、上海ゲットーでも同様のユダヤ人虐殺を行おうとした。
 偏執狂的な彼等は、神道的日本精神の神髄が理解できないだけに、天皇は信奉する存在ではなく、自己満足の為に利用する便利な道具「玉」「錦の御旗」にすぎずなかった。
 昭和期の右翼や右派の大半は、品位・品格・品性がなく、維新期の志士でも、明治期の国士でもなかく、単なる乱暴者、分別なき無法者、騒音を撒き散らす迷惑なだけの存在にすぎなかった。
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 松岡洋右「私は独伊と同盟は結んだが、ユダヤ人を殺す約束まではしていない」
 E・ポートノイ(ユダヤ教導師)「世界はアメリカを指して文明国と言います。私は世界に日本はアメリカ以上の文明国であると言う事を知らせましょう」
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 上海のユダヤ人約4万人を助けたのは、A級戦犯である松岡洋右キリスト教徒)、松井石根と戦犯の安江仙弘らである。
 A級戦犯東條英機板垣征四郎らも、昭和天皇が抱くユダヤ人難民への「惻隠の情」「御稜威」を叶える為に、ユダヤ人難民を陰ながら助けた。
 国際軍事裁判所は、彼等を「人道に対する罪」で有罪判決を言い渡した。
 東條、松井、板垣は、全ての人間性を抹消されて、極悪人として絞首刑に処せられた。
 そして、遺灰はゴミのように海に捨てられ、その魂を靖国神社の祭神として祀る事も否定された。
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 ブルメンソール(カーター政権時の財務長官)「私は、ここ(日本軍管理下の上海ユダヤ人難民収容所)で支那人ともども侵略者日本の蛮行を目撃した」
 ユダヤ人は、日本軍の保護を受けた事を否定している。
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 戦争が激化してに日本人兵士が不足するや、上海ゲットーを管理していたのは朝鮮人軍属達であった。
 朝鮮人は、日本人と違ってユダヤ人への特別な親近感がなかった為に、ユダヤ人難民に対する扱いは冷淡であり酷かった。
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 ハインツ・E・マウル 「戦争中の日本では、反ユダヤ・キャンペーンが強化されたとはいっても、政府のユダヤ政策そのものは基本的に変わらなかった。
 松岡外相は1940年12月31日に個人的に招いたユダヤ富豪のレフ・ジュグマンに日本のユダヤ政策を説明している。『ヒトラーとの同盟は自分が結んだものだが、彼の反ユダヤ政策を日本で実行する約束はしていない』というのである。
 それは松岡個人の意見ではなく、日本政府の態度である。かつ、それを世界に対して語らない理由はない。松岡は満鉄総裁時代に当時の『ユダヤ問題顧問』のアブラハム小辻(小辻節三博士)に、自分は防共協定は支持するが反ユダヤ主義には賛成しないと言っている。」「1938年12月6日の五相会議の対ユダヤ人政策の決定は、政治指導部間の妥協の産物ではあったが、下された時期が良かった。これでユダヤ人の絶滅というナチスの目標に歯止めをかけたからである。日本のユダヤ人政策は明確な構想を欠いた複雑なものではあったが、人道・道義という面では汚染されておらず、おかげで日本は『ユダヤ人殺し』の汚名を負わずにすんだ。
 日本は投資が欲しくてユダヤ人を救ったわけではない。人種平等の原則によりユダヤ人を拒否しないという五相会議の決定は、政策の指針に政治的・倫理的マニフェストの性格を与えた。この決定は、不寛容、敵視、暴力とは無縁であり、人間を無差別に殺戮することを認めるものではなかったのだから。」「1939年の上海の入国制限は、軍の権威と自信を示そうとするものだった。政府のほうは自信がなく、時には無関心で、訓令も曖昧だったため、現地の担当者には行動の自由があった。満州やシナでは、はじめのころ、優越感や自信の欠如あるいは単なる手違いから、ユダヤ人を蔑視した取りあつかいも見られたが、後にはユダヤ人を援助し、支援し、さらには救済する方向に転じて、かつての過ちを補うことになった。」
 「欧州で戦争がはじまると、難民の流れは極東にむかう。難民の運命は日本の軍人、市民、税関や警察そして外交官の手中にあった。
 上海の柴田領事は生命の危険をおかしてゲシュタポの計画をユダヤ人に漏らした。関東軍東條英機参謀長は満州ユダヤ人を穏健に処遇するよう指令を発したし、アブラハム小辻(小辻節三博士)は外務大臣とのコネを利用して神戸のユダヤ人の状況改善をはかった。
 ぎりぎりの状況のなかでユダヤ人を救おうとした外交官もたくさんいた。日本船の船長は収容能力をこえてユダヤ難民を乗せたし、東京のドイツ大使館が日本在住のユダヤ人の解職を要求した際に、課長・局長クラスの役人はこれをはねつけた。」「日本のユダヤ政策は、国際関係や外交協定より下のレベルでおこった事象だった。他の国々にとっては、日本がユダヤ人をどうしようと、自国の利益が害されないかぎり関心外のことだった。エビアン会議からバミューダ会議まで、各国は耳をふさいでおり、ユダヤ難民への扉は閉ざされていた。ハルビンから上海まで、日本とユダヤの相互理解への努力は、直接の影響を受けないユダヤ人や非ユダヤ人の関心をひかなかった。日本と『日本の』ユダヤ人は他から孤立していたのだ。」「日本の海外進出への努力は、常に自国と周辺の異国との直接の対比のなかで行なわれた。ユダヤ人は日本人にとって『ユダヤ人』なのではなく単に外国人なのだった。日本は自分がユダヤ人と出会うまで、この民族が世界各国にとって問題をもつ存在であることを無視していた。ドイツと同盟を結んだ後でもそれは変わらなかった。『想像上の』ユダヤ人と『現実の』ユダヤ人には決定的な相違があった。ユダヤ人は日本人でなく、西洋の異人であり、所詮外国人だったのだ。
 ナチス時代の日本人にとって、ユダヤ人はどこからか来てどこかへ去っていく外人なのだった。日本と日本人にとって、ユダヤ人は、外国人が常に日本にとってそうであったしそうであり続けるべきもの、即ち通り過ぎる旅人なのであった。」(『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』)
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 ローラ・マーゴリス「上海のユダヤ人にはこの宣言は爆弾のようでした。難民にとっては、これまでくぐり抜けてきた苦労を考えると予想だにしなかったことでした。」(1944年)
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 ローズ・ショシャナ・カハナ「ポーランドにいるユダヤ人がすべて抹殺されたといううわさは本当でした。私達ポーランド難民は親戚・家族を残してきていたので、泣きはらした顔で歩きまわりました。多くが生き残ったことに罪悪感を感じたのです。親戚・家族が無残な死を遂げたのですから。」(1945年9月8日、上海にて)
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 軍部は、皇軍として、天皇の意志を尊重し、ユダヤ人難民をゲシュタポや親衛隊から救った。
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 ユダヤ人難民を現場で面倒を見たのが、外国語が話せる朝鮮人軍属であった。
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 日本は、ある意図を持ってユダヤ人難民(約4万人)を利用しようとして失敗した。
 この利用計画によって日本人は、アメリカ系ユダヤ人の憎悪を買った。
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 現代日本の良識ある国際主義派有識者は、この利用計画から、昭和天皇A級戦犯にはホロコースト幇助罪が成立すると糾弾している。
 戦犯国家日本の言い分は、聞き入れられる事がなく、そして認められる事はない。
 特に、戦争絶対反対の平和国家日本では、侵攻戦争を肯定する一切の言い訳は許される事がない。もし正当防衛や自衛行為を言うものならば、殺人者かその同類として社会から排除され、一切の言論が封じられた。
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 現代日本は、左翼・左派・革新派知識人らによる、絶対平和・完全非暴力・一切無抵抗を大義とする一種の言論弾圧下にある。
 彼らは、国家として、政府として、暴力を行使してくる他国から自国民を守る事に反対している。
 彼等は、国家や民族を犠牲にしても自分の信念だけでは守ろうとした。
 つまり、1,000人行けども我行かずである。
 彼等は、サムライでもなければ、武士道にも無縁であり、大和心もない。
 彼等は、A級戦犯が祀られている靖国神社を廃絶しようと、中国や韓国・北朝鮮などのアジア諸国と協力している。
 彼等には、歴史的な事実で知らない事は何もない、多くの事を理解している。
 全てを知った上で、全てを否定し、全てを抹消しようとしている。
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 ガンジー主義あるいはトルストイ主義を信奉する彼らは、自己責任論者として、国外において事件に巻き込まれても国家、政府は武力を行使してまで助けるべきではないと主張している。
 外圧に弱い現代日本人は、歴史の表裏を全て知った上で、昭和天皇A級戦犯の戦争責任を問い続けている。
 中国や韓国や北朝鮮の恫喝・脅迫・威嚇に恐怖して、A級戦犯を祀る靖国神社の廃棄を受け入れるべきとの、国民世論を作ろうとしている。現代日本ほど、外圧に弱い時代はない。
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 ユダヤ人は、A級戦犯はもとより昭和天皇さえも憎んでいる。口では親日的発言をしようとも、けっして弁護をしない。それどころか、口汚く呪いの声を吐きかけている。
 ユダヤ人の本心は、中国人や韓国人・朝鮮人などのアジア人同様に、反天皇であり、反日である。
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 ユダヤ教徒にとって、人間を神として崇める事は絶対神への冒涜である以上、ユダヤ人を助けたA級戦犯といえども神として祀る事を絶対に許さなかった。
 彼等にとって、人を神と祀る靖国神社とは滅ぼすべき悪魔の巣窟であり、現人神と僭称する神の裔・天皇は消滅させるべき悪魔の魔王であった。
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 上海のユダヤ人ゲットーから、連合軍に日本軍の情報が流れていたと言われている。
 アメリカ軍の爆撃機は、上海のユダヤ人ゲットー以外を正確に爆撃していた。
 上海のユダヤ人ゲットーを監督していた日本人監視員は、連合軍のスパイであったといわれている。
 反日朝鮮人組織は、収容所の監視や補給所の運営などの後方任務を行う朝鮮人兵士や朝鮮人軍属に接近していた。
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 A級戦犯達は、人道に対する罪でリンチ的縛り首で処刑されたが、後に靖国神社に神として祀られた。
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 現代日本反戦平和団体と一部の宗教団体は、中国や韓国・北朝鮮と共に、ユダヤ人難民を助けたA級戦犯達を許さず、A級戦犯達が祀られている靖国神社を否定している。
 そして、昭和天皇を人道に反する極悪人と断罪している。
 これが、現代日本の人権及び人命重視の実態である。
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 中国、韓国・北朝鮮アメリカ、イギリス、ドイツなどの諸外国と国際的報道機関、キリスト教会などは、数万人のユダヤ人を無償で助けたA級戦犯達を祀る靖国神社を否定する。
 もし、靖国神社を残したいのであればA級戦犯達の霊魂を慰霊する事なく捨て去れと主張する。
 A級戦犯達は、国家の指導者として戦争を始めた「平和に対する罪」はあるが、人間としてユダヤ人難民を助けたのだから「人道に対する罪」は存在しない。
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 A級戦犯達は、昭和天皇を頼って軍国日本に逃げてきたユダヤ人難民を差別も虐殺もせず、和の「おもてなし」精神で助けた。
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 人道に対する罪がない以上、国際司法機関におけるA級戦犯達に対して「恩赦」があってもいいのではないのか?
 日本は、戦争犯罪を認め、サンフランシスコ平和条約において東京裁判は受け入れた以上、国際法で裁かれた東京裁判を無効にはできない。
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 主権国家同士はお互いに対等であり、戦争をする事は犯罪ではなく主権国家の権利とされていた。
 当然。国家の指導者が、政治判断で戦争を始める事も犯罪ではなく、戦争に敗れたからと言って戦争犯罪者として裁かれる事はない。
 マキャヴェリ「国家はいざという時に戦争に訴える権利がある」
 グローディウス「私は圧迫されている異民族があれば圧政者に対して戦争を行使する事ができると考える」
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 2014年10月17日 産経ニュース「中国と韓国の外務省反発 安倍首相の靖国神社への供物奉納に 
 【北京=川越一、ソウル=名村隆寛】中国外務省の洪磊報道官は17日の定例記者会見で、安倍晋三首相が靖国神社に「真榊(まさかき)」を奉納し、超党派の議員が神社を参拝したことについて、「中国は靖国神社を取り巻く問題で最近、日本国内で出現している否定的な動向に重大な関心を示し、断固反対する」と反発した。
 洪報道官は「日本が侵略の歴史を適切に正視し、深刻に反省してこそ、両国関係は健全で安定した発展ができる」と改めて主張した。
 韓国外務省報道官も17日、安倍首相の供物奉納に関し、「慨嘆を禁じ得ない」との論評を発表した。論評は「A級戦犯を神としてまつる神社に敬意と感謝を表すのは、日本が戦後、国際社会に復帰した前提と、国際秩序を否定する行為であることを日本の政治指導者は明確に認識しなければならない」と求めた。」
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 2014年10月18日 産経ニュース「米、靖国参拝見送りを注視 真榊奉納は論評せず
 米国務省のハーフ副報道官は17日の記者会見で、安倍晋三首相が靖国神社に「真榊」を奉納したことについて、直接の論評を避ける一方で「今後の展開は予断しない」と述べ、米政府として安倍氏靖国神社参拝を控えるかどうかを注視していることを示唆した。
 ハーフ氏はまた「日本には対話による友好的な方法で歴史問題の解消に向けて近隣国と取り組むよう働き掛けてきた」と語り、中国や韓国との関係改善を促した。
 米政府は昨年12月に安倍氏靖国神社を参拝した際、近隣国との緊張を悪化させる行動だとして「失望」を表明。日米関係は悪化した。(共同)」
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 2015年8月9日 産経ニュース「【歴史戦】中国、上海ユダヤ難民資料を記憶遺産申請へ 旧日本軍が保護の史実を隠蔽 「抗日戦勝70年」の一環に
 「世界記憶遺産」として登録申請の準備を進めている中国上海市内の上海ユダヤ難民記念館(河崎真澄撮影)
 【上海=河崎真澄】戦前に欧州を追われ、上海に逃れてきた3万人近いユダヤ難民の資料を「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録する申請作業が中国で進んでいることが8日、関係者の話で分かった。ユダヤ難民は旧日本軍が当時、上海北部の日本人居留区に「無国籍難民隔離区」を置いて保護した経緯があるが、中国側はこうした事情をほぼ封印し、「抗日戦争勝利70周年」の一環として、中国がユダヤ人保護に貢献したかのように国際社会にアピールする考えだ。
 今回の申請作業を進めているのは、戦時中は摩西会堂(ユダヤ教会)と呼ばれ、現在は上海市虹口区当局が管轄している「上海ユダヤ難民記念館」。記念館が集めた難民の名簿や遺留品、旧日本軍が管理した隔離区(通称・ユダヤ難民ゲットー)に関する資料、難民から聞き取った証言などをまとめ、中国政府とともに登録を働きかけている。
 申請作業と並行し、9月3日に北京で大規模な軍事パレードなど一連の抗日戦勝利70周年記念イベントを行うのに合わせ、記念館や「リトルウィーン」と呼ばれたユダヤ難民の住居やダンスホール、カフェなどが立ち並ぶ、当時としては自由を謳歌(おうか)したエリアの建築物改修を終える予定だ。
 戦前の上海では、アヘン戦争(1840〜42年)を経て英国などが設置した租界や、1937年の日中戦争の後にできた日本人居留区への上陸には必ずしも正式な書類は必要なかった。
 元駐リトアニア領事代理の杉原千畝(ちうね)氏が人道的な見地から発給し続けた「命のビザ」を手に、日本を経由して、当時は世界でも限られた難民受け入れ地だった上海に向かったユダヤ難民も少なくなかった。
 42年、ナチス・ドイツが日本に「最終解決」と称してユダヤ難民の殺戮(さつりく)を迫ったが、旧日本軍はこれを拒否。43年に「無国籍難民隔離区」を置き、許可なく域外に出られない制限を加えてナチス・ドイツに説明する一方、ユダヤ人の生命を守った歴史がある。
 日本がユダヤ難民を保護した理由として、上海社会科学院歴史研究センターの王健副所長は、「旧日本軍がユダヤ難民を当時の満州などに移住させて利用しようとした『河豚(ふぐ)計画』が背景にある」とみている。
 中国は昨年6月、「南京事件」と「慰安婦」を世界記憶遺産に登録申請し、日本政府が反発している。」
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 2018年8月18日 産経ニュース「日本、慰安婦指摘に反論 「性奴隷は事実に反する」と主張 国連差別委員会 委員から謝罪要求の声も
 17日、ジュネーブで行われた国連人種差別撤廃委員会で、日本側の立場を説明する大鷹正人大使(中央、三井美奈撮影)
 【ジュネーブ=三井美奈】国連人種差別撤廃委員会の対日審査は17日、2日目の会合が行われた。日本政府代表の外務省の大鷹正人・国連担当大使は、慰安婦問題をめぐって会合中に委員から「性奴隷」という表現が使われたとして、「事実に反し、不適切」だと抗議した。
 これに対し、鄭(チョン)鎮星(ジンソン)委員(韓国)は「性奴隷という言葉は1990年代から国連機関で使われている」と反論した。
 日本側は、アジア女性基金を通じて元慰安婦への償い金支給や福祉支援を行ってきたと説明したが、鄭委員は「基金は徹底的な調査なしに設立された。償い金受け取りの拒否は難しかった」と述べた。
 また、2015年の日韓合意で両国が「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したとする日本の主張に対し、ガイ・マクドゥーガル委員(米国)は「政府間の合意で、個人の要求を消すことはできない」と発言。慰安婦への謝罪が必要だと主張した。マルク・ボシュイ委員(ベルギー)も「政府間の合意で解決はできない」と述べた。
 大鷹大使は、女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の偽証を朝日新聞が報じたことで、慰安婦問題が世界的に広がったことに言及。不正確な情報が流布したことで「不幸な側面があった。この新聞はすでに謝罪した」と述べ、委員に客観的評価を求めた。
 会合では人種差別的なヘイトスピーチへの対策、アイヌの人々の権利保護を求める声も出た。
 委員会は今回の審査を踏まえ、30日に日本への勧告を公表する。」
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 ウィキペディア 
 上海ゲットーは上海日本占領下の虹口のおよそ一平方マイルの地区。正式には「無国籍難民限定地区」として知られている。ナチス支配下にあったドイツ、オーストリアポーランドチェコスロヴァキアリトアニアでの迫害から逃れ日本に訪れたユダヤ人は、日本が当時公表していた“無国籍難民の定住と商売の制限に関する声明”によって日本占領下の上海に移住させられた。ゲットーは無祖国難民の限定地区として機能し、20,000人のユダヤ人難民と100,000人の中国人が定住し、貧しい難民が難を逃れ上海に移住するために押し寄せた。
 現地のユダヤ人家族とアメリカ系ユダヤ人の慈善団体は彼らを保護し、食事と衣服を与えた。日本の当局は次第にいろいろな制限を強めていき、生活環境は劣悪になっていったがゲットーが封鎖されることは無かった。現地の中国人居住者も同様に生活水準は悪かったものの、去ることは無かった。

 その背景
 1920年代の終わり、ドイツ系ユダヤ人はドイツ国民としてドイツに忠誠を誓っていた。ドイツ社会に同化し、比較的成功するものも多かった。彼らはドイツ軍に仕官し、ドイツに科学、文化、経済面で貢献するものも多かった。しかし、ナチスの台頭する1933年以降、ニュルンベルク法(1935年)や水晶の夜(1938年)のような国家ぐるみの反ユダヤ主義政策によりドイツ系ユダヤ人は追い立てられて海外に亡命を求めた。しかし、ハイム・ヴァイツマンによると1936年当時の世界の情勢は"世界は二つに分かれている。それらの場所はどちらもユダヤ人が住むことができず、また、入ることも許されなかった。"というものであった。アメリカのユダヤ人移民に関する法案、エビアン・カンファレンスが制定される1930年代終わりまでユダヤ移民に開かれた国を見つけることは不可能に等しかった。

 ダナ・ジャンクロウイクスマンの著書によると
 ユダヤ人の男性は捕まえられ、強制収容所へ入れられていった。彼らは合計2週間から1ヶ月の去るための時間を与え、その時間内に行く先を見つけるように言った。外では彼らの妻や友人がパスポートやビザ、助けてくれる人を得ようと戦っていた。しかし、どの大使館も門を閉ざして開けず、そして続いてアメリカを含む多くの国が国境を封鎖していった。
 ・・・この噂はウィーンから始まった。・・・そこにはビザ無しでいくことができる。そこには自由に入る権利があるのだ。その話は炎のように広がっていった。そして皆が自由を求めそこに訪れた。

 1937年・上海
 上海の国際共同租界は南京条約によって設置されたものだった。中国当局は警察、施設管理、入国審査の権限をイギリスを始めとした列強に奪われ、自治委員会がこれらを実行していた。第二次上海事変の結果、この地域は大日本帝国に占領されたが、日本軍と南京国民政府はパスポートに関する社会体制を整えなかった。このため上海港は世界中で唯一ビザ無しで訪れることのできる場所となった。中国と列強の不平等条約は続いており、上海を訪れるには欧州からの旅券を見せるだけでよかったのである。
 ドイツ系ユダヤ人の到着までにも上海には多くのユダヤ人が訪れ、二つのユダヤ人社会を築いていた。カドーリエ家とサッスーン家を含む豊かなバグダッドユダヤ人社会と、1917年の10月革命で国を追われたロシア系ユダヤ人達が築いた上海のロシア系ユダヤ人社会である。

 杉原千畝と何鳳山
 ロシア系ユダヤ人社会の多くはリトアニアカウナス日本領事館で杉原千畝に救われた人たちである。上海ゲットーに逃れた人々の中にはミール・イェシーバーの学生や指導者もいた。ポーランドのミール(現在のベラルーシ)にあったミール・イェシーバーはホロコーストを生き延びた唯一のヨーロッパのイェシーバーであった。彼らは自由を求めてソ連の広大な領土を列車で越えてきたのである。
 同じように1,000人のオーストリアユダヤ人がウィーンの中国領事館で何鳳山に救われてやってきた。何鳳山は1938年から1940年の間ベルリンの中国大使の命令に反対してビザを発行し続けた。

 訪れたドイツ系ユダヤ
 チケットを購入した難民はジェノヴァから出航するイタリアと日本の客船で旅についた。この3週間の旅は迫害されるドイツとむさくるしい上海ゲットーとの間にあって非現実的なほど娯楽も食事もふんだんにある旅であったと書かれている。いくらかの旅客はエジプトでイギリス領パレスチナに行くことを望み、予定外の行動を試みるものもいた。
 1938年8月15日、最初のユダヤ人難民がオーストリアからイタリアの船で上海にたどり着いた。1939年の6月には8,200人ものユダヤ人難民がゲットーに到着していた。
 ハラス・カドーリエの設立した欧州ユダヤ人移民援助協会、ヴィクトリア・サッスーン、パウル・コモルの三者は新たに欧州移民国際協会を設置して、多くの援助を供給した。この組織は国際共同租界やフランス租界に比べ比較的安い虹口の避難所に準備された。かれらはみすぼらしいアパートや学校の前の6つの学校に収容された。上海を占領していた日本の占領当局はドイツ系ユダヤ人を「亡国の民」と見ていた。
 多くの難民が1937年以降に訪れた。その数は膨れあがり続け、受け入れが困難になっていった。このため1939年からは移民制限が行われた。しかしながら一部のユダヤ人は真珠湾攻撃が始まる1941年12月まで上海に逃れ続けた。

 ゲットーでの生活
 移民当初から日英米開戦まで
 当局は大規模移民の準備を整えておらず、到着した難民は貧乏な虹口地区で厳しい状況に陥った。10%の家庭が飢餓に近い状態であり、衛生は悪く、雇用は少なかった。写真週報では、ゲットーを「上海のパレスチナ」と表現している。
 バグダッド系とアメリカ・ユダヤ人共同配給委員会は家を借り、食べ物を供給するいくらかの援助を行った。ユダヤ人難民達は言葉の壁、極端な貧困、蔓延する病気、孤立、等に面していた。しかし、コミュニティーが設立した福祉機関によって徐々に生活の質を変えていった。ユダヤ人の文化生活は繁栄した。学校が設立され、新聞が発行され、劇場での劇の上演、スポーツチームはトレーニングに参加し、競技会とキャバレーさえあったという。
 このような生活は1941年12月の日英米間の開戦まで続いた。

 日英米開戦以降
 日本がマレー作戦と真珠湾攻撃を行って英米間と開戦して以後、英国民が多かったバグダッドユダヤ人グループは抑留され米国慈善基金は中止された。大きな資金源であったイギリスやアメリカとの関係が途切れた事から、雇用の悪化とインフレが起こり、再び難民に厳しい時代が訪れた。
 上海に訪れたアメリカ・ユダヤ人共同配給委員会の連絡係ラウラ・マーゴリスは日本の当局の許可を得て資金集めの取組みを続け、状況を安定させるように試みた。これを受け、1937年以前に訪れたロシア系ユダヤ人へも支援を行えるようになり、新しい制限も免除された。

 さらなる制限
 第二次大戦が激化するとドイツは日本に対して上海のユダヤ人を引き渡すよう圧力をかけはじめた。ウォーレン・コザックはゲットーのユダヤ人指導者が日本の上海市軍政府に呼びつけられたときのエピソードを記している。その中にはアムシノフ派のラビ、シモン・シャローム・カリシュがいたのだが、日本は彼に好奇心からこうたずねた。「どうしてそこまでドイツ人はあなたたちを嫌うのだ?」

 {カリシュ師はためらうことなく、また同胞の運命が自らの答えにかかっていることも知らず、通訳に〔イディッシュ語で〕こう言った。"Zugim weil mir senen orientalim(ドイツ人は我々が東洋人であることを憎んでいるのだといってくれ。)"。カリシュ師と対面したときから硬い表情であった知事の頬がゆるんだ。軍事同盟が結ばれていたにもかかわらず、結局ドイツの要求に日本が応ずることはなく、ユダヤ人が引き渡されることもなかった}

 そこに出席したほかのラビによると、カリシュ師の答えは「彼らは黒髪で背が低い人間を憎んでいるのだ」であったという。『東洋人』にあたる言葉は、当時のイディッシュ語ヘブライ語には存在しない言葉であり、現代ヘブライ語における学術的な用語であるため、実際の発言ではないと考えられている。
 1942年11月15日、ゲットーの制限案が承認された。また1943年2月18日、日本の当局は「無国籍難民指定区域」を宣言し、1937年以降に訪れた難民に居住可能範囲と営利事業の可能な範囲を一平方マイルに制限することを命令し、5月15日までにその区域に移住するように命令した。無国籍難民は財産を処分するために日本の許可を必要とし、他のものもゲットーに移住する許可を必要とした。それまでゲットーには有刺鉄線も外壁も無かったが、これ以降は外出禁止令が敢行され、地域は警邏されたうえ、食料は配給制になり、区域からの出入りにはパスが必要になった。
デビッド・カンツラー(David Kranzler)博士によれば、

 {このため、おおよそ人口の半分、1,6000人の難民が大きな難関に差し掛かった。暮らしの手段を見つけ、もう一度「指定区域」外での住居や職から去らねばならず、10万人の中国人と、8000人の避難民であふれる一平方マイルに満たない狭い地域に再移住しなければならなかった。}
とある。
 ゲットーの外での働くために一時通行券が支給され、適宜許可された。一時通行券は初年以降大幅に削減された。しかし、中国人が虹口のゲットーを去らなかったということは、ゲットーは隔離されていなかったことを示している。にもかかわらず、経済的には困窮した。心理的ゲットー化の調節は厳しかった。1943年の冬には特に深刻で、飢えが蔓延した。
 連合国軍による上海空襲は1944年から始まった。最も徹底的な空襲は1945年7月に日本の虹口ラジオ局に対して行われたものであり、31人の難民が死亡し、500名のけが人、700名もの放浪者を出した。
 ゲットーのアメリカ系やイギリス系のユダヤ人の中には、日本軍に対する抵抗活動を始めるものもいた。彼らは地下組織のネットワークに参加し情報を手に入れ、伝え合った。日本の施設でのサボタージュを行い、撃墜されたアメリカ軍のパイロットを中国の支配地域に逃げさせることを手伝った。

 解放後
 ゲットーは公式には1945年9月3日に解放された。そのしばらく後、蒋介石中国国民党の軍が上海解放のために進駐した。1948年のイスラエル国家の建設、1949年の国民党の敗退と中華人民共和国建国によって、ユダヤ人はほとんどが上海から去った。1957年には上海に残ったユダヤ人は100名しかおらず、現在では数名住んでいるかいないかである。
 イスラエル政府は諸国民の中の正義の人の栄誉を1985年に杉原千畝に、2001年に何鳳山に与えた。
 イスラエル中華人民共和国の外交関係は1992年に結ばれ、ユダヤ人と上海のかかわりがいろいろ認識されるようになった。2007年、イスラエルの上海総領事館は、26のイスラエルの会社から寄付された66万人民元を、虹口の地域共同体計画に対して寄付した。ゲットーを設け難民を受け入れたことに感謝して寄付されたと認識されている。
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 2018年8月19日 産経ニュース「【アナン元国連事務総長死去】「反ユダヤ主義と戦った」 イスラエル首相が哀悼
 死去したアナン元国連事務総長肖像画の前に添えられた花=18日、ニューヨークの国連本部(共同)
 イスラエルベンヤミン・ネタニヤフ首相は18日、死去したコフィ・アナン元国連事務総長について、反ユダヤ主義ナチス・ドイツによるホロコーストユダヤ人大量虐殺)を否定する動きと「戦った人だった」と称賛、家族に哀悼の意を表するとした声明を出した。
 イスラエル外務省も声明で「地球の平和と貧困の撲滅、子どもの死亡率低下に人生をささげた人」と評価し「世界の指導的政治家だった」と賛辞を贈った。(共同)」
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