- 作者:岩下 哲典
- メディア: 新書
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
江戸幕府は、源平時代に天下の象徴として使用していた「日の丸」を日本国の旗印とした。
国旗「日の丸」は、歴史的に、文化的に、すでに存在していた。
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ダニエル・ウェブスター国務長官は、アジア地域においてアメリカ船が安心して自由に石炭及び水と食糧を得られる供給地として日本に目を付けた。
それ以上に重要な目的として、日本との交易を通じて中国などのアジア経済圏に食い込むことであった。
日本への遠征は、アメリカの国益を押し付ける為であって、日本への親切心ではなかった。
アメリカは、日本がロシア帝国やイギリスの植民地となる前に手に入れたいと渇望していた。植民地にできなくとも、影響力を行使できる従属国にと。
イギリスはインドを、フランスはインドシナを、スペインはフィリピンを、オランダはインドネシアを、それぞれ植民地支配していた。
タイはイギリスの勢力下に置かれ、中国は弱体化したとはいえ依然と腐敗堕落した清王朝が支配していた。
アメリカが中国沿岸から西海岸までの北太平洋を支配する為には、西欧列強の権利下にない日本の石炭が必要不可欠であった。
ウェブスター国務長官「石炭は人類一家の為に、万物の創造主から日本列島に置かれ、賦与された、主からの賜物である」
アメリカ連邦議会の大多数の議員は、七つの海を支配するイギリスへの敵対行動と見なされ、欧州貿易に支障を来す恐れがあるとして、日本への艦隊派遣に反対した。
アメリカ海軍内でも、イギリス海軍との軍事力差を考慮して慎重に行動するべきであるとの意見が強かった。
中国交易には、東回りでイギリスの植民地を通過するより、西回りで中国に船舶を乗り付けた方が利益が大きいとして、黒船派遣が決定された。
人種差別の強いアメリカの行動は、あくまでも白人キリスト教徒の利益が優先され、非白人異教徒の利益など問題にはしなかった。
ゆえに。アフリカ人は奴隷として売買され、インディアンは不毛の大地に追いやられ、混血児のメキシコ人は領土を奪われた。
あまたの非白人が、白人キリスト教徒によって人間として扱われず、植民地支配に抵抗すれば非人道的手段で虐殺された。
中国人もインド人も、日本人以外の全ての非白人は、奴隷的境遇を諦めて受け入れていた。
絶対神の「隣人愛」は、白人キリスト教徒の独占であり、非白人キリスト教徒はそのおこぼれを頂いていたに過ぎない。
鎖国状態の野蛮な日本を開国させ近代文明の恩恵を授けると善意を持って公言しても、本心は、あくまでもアメリカの国益に貢献させるように非白人の日本を誘導する事であった。
それは、白人キリスト教徒を中心とした世界歴史の常識である。
日本文化は、西洋の王侯貴族やアメリカの上流階級による独占的文化ではなく、高度な教育を受けた町人・百姓の洗練された庶民文化であった。
フランシスコ・ザビエルの報告「ここ日本では、女性や子供までもが読み書きができる」
庶民文化を中心とした文明は、日本だけといっても間違いない。
ペリー「神がこの素晴らしい天地(日本)を、創造された。我らの試みが、これまで見放された人々(日本人)を文明(西欧キリスト文明)へとお導き下さる様に、祈ります。どうぞ事が成就しますように」
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島国日本は、大陸国の様な超人的有能な指導者によるトップ・ダウン社会ではない。
中国的残虐な独裁者・皇帝を嫌う為に、下からの意見を聞き、全ての問題を皆でじっくりと時間と手間をかけ話し合って全会一致で決める、ボトム・アップ社会である。
日本的ボトム・アップ方式の象徴が、神の裔・万世一系の男系天皇(直系長子相続)制度である。
言い換えれば、上の者が責任をとず、賛否に関係なく全ての者が平等・公平に責任をとる曖昧な社会でもある。
それは、責任の所在を明らかにしない無責任な国柄である。
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19世紀前半 アメリカやヨーロッパで発行された世界地図には、「日本海」という表記がされていた。
韓国が主張する「東海」という名称は歴史上一度も存在せず、「日本海」のみが国際的な唯一の名称であった。
「東海」と言う名称は、人類史及び世界史を完全否定する名称である。
アメリカで世界地図に日本海と東海を併記する事を決めた政治家は、正しい歴史を否定した。
つまり。アメリカの歴史とは、選挙に当選する為の政治の産物であって、人類が苦悩し知恵を絞って生きてきた事実に基づいた記述は不必要であると。
アメリカ人とは、真実に基づいた正しい歴史を話し合う事は不可能となった。
李氏朝鮮は、中華帝国・清国の惨めな属国として地球規模の変化に興味が無く、儒教による悪政が続き、賄賂と汚職で腐敗しきっていた。
サムライ日本には外交能力と軍事力があったが、朝鮮には外交能力も軍事力もなかった。
日本は近代化に向けて自力で歩き始めていたが、朝鮮は暗黒の中世のままで進歩も発展も見られなかった。
世界は、それ故に「日本海」という名称を認め、「東海」という名称を認めていなかった。
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1852(嘉永5)年 アメリカ商人は、イギリス貿易商に代わって、中国貿易であるアヘン密売と中国人奴隷売買の半分を請け負っていた。
太平洋航路がなかった為に、西洋の商船は大西洋を南下して喜望峰経由でアジア向かっていた。
イギリスが、1850年頃に汽船を開発して輸送能力を向上させた。アメリカは、対中貿易で負けない為に太平洋航路の開拓が急務となった。
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーは、日本を開国させるには強力な軍隊で圧力をかけるしかないとして、グラハム海軍長官に日本遠征と琉球占領の計画案を上申した。
フィルモア大統領は、中国との交易を拡大する為に、日本への遠征を承認したが、琉球占領を却下した。
政府内の一部は、イギリスに比べて対中貿易に出遅れているとして、ペリーに対して「琉球を軍事占領せよ!」との密命を与えた。
イギリス船は、中国人苦力をアメリカに運ぶ途中で難破して八重山に漂着し、清国人380人逃亡したので砲撃した。
幕府は、中国人生存者172人を、翌年に清国に送還した。
2月 アメリカ政府は、全権使節としてペリー提督の日本派遣を決した。
7月2日 ウェブスター国務長官は、ヘーグの駐オランダ代理公使フォルソムを通じて、オランダ政府に、通商交渉使節を派遣する事を日本側に伝える様に依頼した。
9月 オランダは、来年3月頃にアメリカが通商を求める使節団を派遣する事を知らせ、司令官はマシュー・ペリー提督で、蒸気軍艦に陸戦隊を帯同した艦隊である事を伝えた。
幕府は、アメリカとの外交交渉と清国を打ち破ったイギリスと北から侵略してくるロシアとの交渉は拒否する事を決定した。
オランダ通詞らに英語を習わせて、浦賀などに配置した。
老中阿部正弘は、最悪の事態としてアヘン戦争の再演を恐れ、極秘に長崎警護の福岡藩・佐賀藩と琉球を間接支配している薩摩藩に通報した。
幕府内では、英語が出来る中浜万次郎(極貧漁師出身)を登用してサムライとした。
福岡藩主黒田済溥は、迅速に問題処理が出来ない幕府勘定方の怠慢を批判する建白書を提出し、国難に際して早急に改善する様に求めた。
水戸藩は、極秘で進められているアメリカ使節団対策を知った。
幕府は、オランダから詳しい情報を仕入れた。
幕府の儒学者など漢籍に精通しているサムライ達は、清国から手に入れたアヘン戦争顛末と西欧情勢を書き記した書籍を取り寄せて研究した。
ロシア帝国は、ニコライ1世は、アメリカより先に日本と国交を開く為にロシア艦隊を派遣した。
ニコライ1世は、プチャーチン提督に対して、「ロシアの最南端はウルップ島である」との訓示を与えた。
ロシア海軍は、ウルップ島の確保を最優先として、択捉島以南の北方領土領有を断念した。
日本側には、歴史的事実としてウルップ島領有を主張するだけの権利はあった。
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フランス帝国皇帝ナポレオン3世は、首都パリの、糞尿や汚水が溢れる劣悪環境と犯罪者が横行する無法地帯という不名誉な汚名を返上する為に、街の大改造を決意した。
ペルシニー内務大臣は、パリ大改造を帝国経済の浮揚に利用すべく、生産的歳出政策を実行した。
1853年6月 ジョルジュ・オスマン男爵は、セーヌ知事に任命されるや、強権的手法でパリ大改造を断行した。
改造計画地域の下層階級は強制的に立ち退かされ、建物全ては歴史的に貴重なものでも容赦なく破壊された。
凱旋門を基点にして道幅の広い大通りを敷き、区画整理をした土地に新たな住宅を建設した。
さらに、ノートルダム大聖堂の修復も行った。
こうして、パリは花の都に生まれ変わった。
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第二次英緬戦争。イギリスは、ビルマのお茶の産地である北部とコメ栽培の最適地である南部のイラワジ河口を奪う為に、ビルマに対して狡猾な嫌がらせを繰り返した。
ビルマ王国は、イギリスの挑発に乗せられて戦争を起こすが敗北し、国土の半分を失った。
イギリス支配は、他の欧州列強と同様に植民地の発展ではなく搾取であったが、植民地経営が巧妙であっただけに、地元民の敵意を受ける事が少なかった。
だが、過酷な植民地支配には変わりがなかった為に、ビルマ人は悲惨な生活に追い込まれ、救いのない絶望の中でのたうちながら生きる事を強要された。
アジアはアジア人に管理させる基本方針から、インド人商人と華僑に特権を与えて送り込んでビルマ経済を支配させ、強盗まがいの搾取でビルマ人を極貧状態に追い込んだ。
華僑は、拝金主義で賄賂と不正と横領を蔓延らせ、支配者のイギリス人に媚び諂い、ビルマを地獄と化し見るも無惨に破壊した。だが。処世術に長けた中国人は、ビルマ人の悲惨の責任を巧みにインド人に転嫁し、にこやかにビルマ人に接してありったけの同情を振りまいて、ほくそ笑んでいた。
正統派儒教とは、人間を、厳然たる上下関係で固定する排他的な差別主義である。
ビルマ人の多くが、奴隷の如く苛酷な重労働が強要され、誰からも救済される事なく、疫病と餓死と過労で死亡した。
イギリスは、ビルマ王国支配で差別され虐げられていたカレン族などの山岳諸民族を平地に強制移住させ、キリスト教に改宗させて警察官や兵士として暴力でビルマ人を管理・監視させた。
キリスト教会は、各地に教会を建て、唯一絶対神の「隣人愛信仰」を説き、死後に得られる天国での「永遠の命」を保証し、絶望に打ちひしがれて今を生きるビルマ人に布教活動をおこなった。
だが。多くのビルマ人は、強制された普遍宗教を拒否し、伝統的な民族中心宗教である上座部仏教を命賭けて守り抜いた。
民族主義者は、民族中心宗教を守る為に、武器を持ち暴力で抵抗し、そして改宗ビルマ人やカレン族などによって虐殺された。
イギリスとキリスト教会は、表面的には民族宗教を保護し、異教徒の神や仏に敬意を払った。
狂信的な宣教師は、改宗ビルマ人やカレン族に唯一絶対神への信仰の証として、各地にある民族宗教や土着信仰や迷信や言い伝えを撲滅するように命じた。
植民地独立戦争とは、普遍宗教と民族中心宗教による宗教戦争でもあった。
オランダは、この戦争の顛末とビルマ王家の悲惨な末路を、幕府に報告した。
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